
自己紹介
1.子どもの頃は戦争の時代
私は1935年、昭和10年生まれでございます。あと数日で91歳になります。戦前、戦中、戦後、そして高度成長期まで、一通りすべてを体験させていただいた年代です。
子どもの頃は、ずっと戦争の時代でした。当時私は東京におりましたが、「学童疎開」で長野県の湯治場へ連れて行かれました。これは後で聞いた話ですが、村長さんは「学童を100人引き受ければ、子どもたちの食べるものなどは国が用意する」と思っていたそうです。ところが実際には、「村で全部面倒を見なさい」という話だったといいます。田んぼや畑はあっても、村の方々がかろうじて食べていける程度の暮らしです。そこへ100人もの子どもが来たわけですから、相当なご苦労があっただろうと思います。
そして終戦を迎えました。進駐軍がやってきて、日本はアメリカに占領されることになりました。教育は、軍国主義から一転してアメリカ主義へと、がらりと変わりました。使っていた教科書は墨塗りだらけになり、読むところがほとんどなくなって、半年ほどは授業らしい授業がなかったように記憶しています。
その後は何でもアメリカ風になりました。保護者会に父親が出席した際、校長先生に「このPTAというのは、先生のお名前ですか」と尋ねたところ、校長先生も「いや、私もよく分からなかったのですが、これはペアレンツ・アンド・ティーチャーズ・アソシエーションでございます。早い話が、保護者会ですね」とお答えになったそうです。そんな具合に、あらゆるものが横文字に変わっていきました。
2.高校卒業後は銀行に就職
高校卒業後、私は三菱銀行に就職しました。
若い方からよく「なぜ若宮さんは大学に行かなかったんですか」と聞かれますが、当時は男性でも大学へ進学できる人は非常に少なく、まして女性はほとんど大学へは行きませんでした。企業側も、大卒の女性は採用しなかったのです。表向きの理由は「勤めて2、3年で結婚し、辞めてしまうから」というものでしたが、本音の部分では「女が学問をすると生意気になる」という考えがあったように思います。
三菱銀行は旧財閥系で、どちらかというと堅く、厳しい職場でした。私も「続けられるだろうか」と思うことがあり、実際に体調を崩して会社を休んだこともありました。それでも私は、何事も自分流でやってしまう性分でしたので、上司に強く咎められることはあまりありませんでした。むしろ、面白がってくださる上司もおられました。
ちょうどその頃は、世の中が急速に変化していく時代で、それまでになかった新しい仕事が次々と現れてきていました。
もう一つ、大きく変わったのが事務手続きです。私が入行した頃は、そろばんを使い、お札も手で数えていました。銀行ですから扱う金額の桁も大きい。それをそろばんで計算していたのですから、今考えると本当にすごいことです。総勘定元帳も手書きで、たいへんな時代だったと思います。
その後、アメリカから事務用機械が入ってきて、やがてコンピュータが導入されました。私はそろばんやお札を数えるのが苦手でしたので、「自分が苦手なことは、いずれ機械がやってくれるのではないかしら」と思っていましたが、まさにその通りになりました。どんなに器用な人でも、機械より速くお札を数えることはできません。そんな経験から、私はコンピュータのような新しいものに、自然と興味を持つようになったのです。
3.58歳の時にパソコンを購入
ようやくコンピュータが登場しても個人が家庭でも使えるようなコンピュータ「パソコン」が登場したのはずっと後です。1995年にインターネットが一般に普及してからです。私はそれが待てずに1993年(58歳)に買ってしまいました。
周りからは、「それだけのお金があったら、桐の箪笥や上等な着物が何枚も買えたのに」「あんなガラクタを買って、どうするの」と散々言われました。
当時はマニュアルもなければ、パソコン教室もありません。とにかく試行錯誤するしかありませんでした。でも私は、試行錯誤することが嫌いではありませんので、むしろ面白がっていました。そして、ある夏の日のことです。画面に突然、「まさこさん ようこそ」というメッセージが表示されました。その瞬間、うれしくて、汗と涙で顔がぐしょぐしょになりました。
それ以来、今もこの“ガラクタ”と付き合い続けております。
4.母の介護をしながらネットで交流
銀行を退職したら、自分の時間ができて、いろいろ楽しめるだろうと思っていました。ところが私は兄弟の末っ子で、年老いた母が一人で身の回りのことができなくなってきたため、母の世話をすることになりました。大変ではありましたが、さまざまな経験をさせていただきました。
今から38年ほど前のことです。当時の通商産業省が、「これからはネットで交流する時代になる。高齢者もネットで交流するようになる」と、ネット通信を推進しました。当時は「パソコン通信」と呼ばれており、電話回線で、やっと文字が送れるような時代でした。私もその流れに乗って、さまざまな交流を始めました。
交流に参加している方は、当時は技術系の男性が多かったのですが、中には女性もいらっしゃいました。そうした女性は、静岡県の焼津など、港町の方が多かったのです。後で分かったことですが、ご主人が漁船で海に出ている間、奥さまが自宅で通信を担当していたため、ネットでのやり取りにあまり抵抗感がなかった、という背景があったということを知りました。そうした方々と、ネットを通じて随分やり取りをしました。その流れが、現在の一般社団法人メロウ倶楽部へとつながっています。
母の介護は確かに大変でしたが、寂しくはありませんでした。ウトウトしている母の枕元でパソコンを立ち上げると、そこにはたくさんの友人がいたからです。高齢で体が自由に動かなくなった方でも、ご家族の介護で外出できない方でも、ネットを通じて人とつながることができれば、孤独を感じずに済むのではないでしょうか。
こうした経験から「高齢者も、これからはITリテラシーを高めた方がよいのではないか」と思うようになり、今もさまざまな勉強会や講演会の場で、「高齢者もITをやりましょう」とお話しして回っております。
5.海外も含めた幅広い分野での交流
母が亡くなり、もっと自分の活動範囲を広げようと思い、海外の人たちとのお付き合いも始めました。
私は高卒ですし、英語も得意ではありません。しかし、「できないからやらない」のではなく、「できなくてもやってしまう」性格ですので、海外の方々との交流も、あまり苦にはなりません。
TEDというアメリカ発のイベントがあります。2014年からは日本でも、TEDx○○○として年一回開催されることになり、その第一回に、私も登壇を依頼されたのです。
主催者の方は、「若い男性ばかりの世界に、おばあちゃんが登壇したら白けてしまうのではないか。白けるのは仕方ないとしても、若宮さんが傷つくのではないか」と心配してくださったそうです。でも私は、そんなことで簡単に傷つくような人間ではありません。「はい、出ます」とお返事して出演しました。
私は物好きで、いろいろなことに首を突っ込みます。「プログラミングというものがあるらしい」と聞いて、面白そうだ、やってみようと思い、「hinadan」というアプリを作りました。そのことが東京の新聞に掲載され、さらにアメリカのCNNのサイトで「81歳の日本人のおばあちゃんがアプリを作った」と、大きな写真付きで紹介されたのです。
それをご覧になったアップル社のCEOが「その人に会いたい」とおっしゃったそうで、私はアメリカに招待されました。最初は行くつもりがなかったので、しばらく返事をしなかったのですが、「80代のおばあちゃんが一人でアメリカに行くのは心配だろう」と思われたのでしょう、アップルの日本支社の方が付き添ってくださることになりました。こうして無事に訪米し、アップル社を訪問して、CEOとお会いすることができました。
その後、「高齢者にとってITリテラシーがいかに重要かを、国連の社会開発委員会で発言してほしい」と依頼を受け、2018年に国連でお話をさせていただきました。この頃になると、たいていのことは怖くなくなっていましたが、それでも「ニューヨークの夜は一人で歩かないでください。誰かが一緒に行きますから」と、日本のマイクロソフト社の社会貢献チームの方々が交代でサポートしてくださいました。
国連を訪問した際、内部をいろいろ見学させていただきました。緑のじゅうたんが敷かれ、椅子が置かれ、カーテンが下りている小さな部屋が一つありました。この部屋は何のためにあるのかと尋ねると、「各国の代表者は、自国の利益ばかり主張し、地球全体のことを考えていないときがある。自分でもその矛盾に気づいているはずだから、一人でゆっくり考えてもらうための部屋です。そこで考え直し、自国のエゴを通すのをやめてくれればいいのですが」とのことでした。ところが残念なことに、掃除のおじさん以外、この部屋に入った人はいないようだということでしたので、私は少しがっかりしました。
その後帰国すると、今度は内閣官房の「人生100年時代構想会議」の有識者議員になってほしいと依頼されました。メンバーは、早稲田大学の教授や慶應義塾大学の教授、経団連会長など、そうそうたる顔ぶれです。私は「とんでもない。有識者と言われても、私は高卒ですし、一つの会社しか経験していません」とお断りしました。しかし、「こういうメンバーだからこそ、若宮さんのような方が必要なのです」と言われ、「月に1回、首相官邸に行くのも面白そうだ」と思い、引き受けました。
そこで初めて気づいたことがあります。いろいろな場で、高齢者が立派な意見を述べても、実は誰も本気では聞いていない。でも、ここでは少なくとも、内閣の人たちがきちんと耳を傾けてくれる。「ここは、私が行くべき場所だ」と思いました。
6.現在やっていること
現在、私は一般社団法人メロウ倶楽部の理事を務めています。高齢者自身が運営する、高齢者のための団体です。単なるおしゃべりクラブではなく、「自分たちもバージョンアップしよう」「社会に貢献しよう」という考えを掲げて活動しています。
また、一般社団法人「熱中小学校」で講師もしております。地域の活性化のために、地域の人たちがもっと学べる機会を作ろうという団体です。
このほか、デジタル庁のデジタル社会構想会議の構成員をはじめ、総務省など、政府関係の仕事にも関わっております。
さらに、「エクセルアート」の創始者として、創作活動も続けています。本日私が着ているシャツの花柄も、実はExcelでデザインしたものです。「Excelでデザインするなんて」と、皆さんによく笑われます。でも、台湾のオードリー・タンさん(政治家・プログラマー)は、「デジタルアートで成功した人は誰もいない。あなたは曲がりなりにもそれを成し遂げたのだから、すごい」と褒めてくださいました。とても嬉しかったですね。
そのほか、講演活動もいろいろ行っております。
そういうわけで、私は高額納税者です。年金をいただいているほか、講演をするときにはまとまった謝礼をいただくこともあります。一応、青色申告をしております。
ただし、高齢者控除というものはありませんし、私は医者嫌いで病院にもあまり行きませんので、医療費控除もありません。結果的に、一切控除がないのです。でも、この年齢で税金を納められるというのは、幸せなことですし、私は誇りに思っています。
種々の活動
1.一般社団法人メロウ倶楽部
メロウ倶楽部は、元気で頑張っている高齢者たちの、オンライン上での集いの場です。運営はすべて会費で賄っており、役所や企業からの支援は一切受けていません。
メンバーは、会員同士の交流を大切にしながら、自分自身も向上させていこうという意欲が強い人たちです。そのため、社会貢献にも積極的に取り組んでいます。
会員は全国に約260名おり、海外在住の日本人も多く参加しています。オンラインで活動しているからこそ可能なことです。海外に住んでいると、普段は現地の言葉を使わなければ生活できませんが、時には日本人と日本語で交流したい、という思いから参加してくださっているようです。
年齢層は80代が中心で、特に80代後半の方が多く、90代の会員も少なくありません。私の兄も95歳ですが、今でもとてもアクティブです。高齢者というと、すぐに介護の話になりがちですが、必ずしもそうではないと思っています。
メンバーの中には、車椅子から降りられない方や、寝たきりの方もいらっしゃいます。リハビリに励んでいる方もいます。しかし、そうした方々も、ネットにつながる道具さえあれば参加できるのです。皆さん、前向きで明るい、あるいは「明るく生きよう」と意識している人たちです。
メロウ倶楽部には「生・老・病」の部屋があります。余命宣告を受け、「私はあと三か月くらいしか命がもたないらしい」と書き込まれる方もいますが、そうした方も、残された時間を前向きに生きようという思いで参加されています。
転んで複雑骨折をし、リハビリ中に理学療法士さんに写真を撮ってもらって、「今日は杖なしで10分歩けた」と書き込む方もいます。すると、ネットの仲間が「すごい」「えらい」「じゃあ明日は50分歩けるように頑張ろうね」と励ましてくれます。こうした励ましは、リハビリにとって非常に大きな力になります。その方もどんどん回復され、最終的には駅まで杖なしで歩けるようになったそうです。
趣味の部屋もいろいろあります。「植物好きの部屋」「旅好きの部屋」「カメラ好きの部屋」、「AI描画の部屋」もあります。私にはよく分からないような高度な内容が書き込まれていて、会員のITリテラシーはかなり高いと感じています。しかも、英語を勉強するために、英語でAI描画に挑戦している方もいて、本当に向上心の強い方ばかりです。
会員の中の詳しい方が中心となって、オンライン句会を開いたり、万葉集の講座を行ったりするほか、外部の講師を招いた勉強会も開催しています。先日は、加齢性難聴についての講演会も実施しました。実は85歳を過ぎると、音は聞こえても、言葉としてははっきり聞き取れなくなる人が多くなります。例えば災害時、「津波だ、逃げろ!」と大声で叫ぶだけでなく、「逃げろ、山の上に行け!」と紙に書いて示すなどの工夫が、必要だと思っています。
社会貢献活動の一環として、「メロウ伝承館」という取り組みも行っています。大正時代の記録や、戦争に行かれた方、戦後に旧植民地から引き揚げてこられた方の文章を集め、後世に残す活動です。会員だけでなく、外部の方からも資料をお預かりしています。「俺たちの記録を消してしまってはいかん。俺たちの遺言だと思って守ってくれ」と託されることもあります。
普段はネット上で文字による交流をしていますが、年に一度、オフ会も実施しています。参加できるのは全体の3割ほどで、対面で会うのは年に一度きりです。それでも、最後はみんなで手をつなぎ、「今日の日はさようなら」を歌い、涙を流す人がたくさんいます。
年寄りだって、やればできるのです。高齢者が自立して活動することを、ぜひ支援していただきたいと思っています。介護だけではなく、「介護になる前」の人たちを支えてほしいのです。
2.一般社団法人熱中小学校
熱中小学校は、政府の支援も受けながら進められている取り組みで、地方の活性化を目的としています。私はここで講師を務めています。
地域を元気にするためには、やはり住民自身が学ばなければなりません。もう一度小学生になったつもりで、新しい時代を学び直そう──これが「熱中小学校」の基本的な考え方です。
昔のテレビドラマ「熱中時代」の舞台となった山形県高畠町の廃校で取組がスタートしたので、そこから名前をとっています。
現在、熱中小学校は全国に20か所ほど開校しています。その中には、宮城県の「丸森復興分校」や、熊本県人吉市の「ひとよしくま」のように、災害で大きな被害を受けた地域も含まれています。また今、同じく震災で被害を受けた能登でも実施しようと、準備を進めているところです。
普段の運営は地域の人たちが中心ですが、外部から講師を招くこともあります。目指しているのは、「地域発の新しい価値創造」です。新たな事業を立ち上げ、実際に起業へとつながった例も出てきています。休耕地で「ここでは何も作物は育たない」と言われていた土地に、「ある種類のブドウなら育つのではないか」と挑戦した地域がありました。そのブドウは見事に実を結び、そこで造ったワインが大変好評を博した、という事例もあります。
熱中小学校には、五つの流儀があります。
「楽しいこと」、「多様性のある人がいること」、「刺激と感動があること」、「輪の広がりがあること」、「そこに貴方がいること」の五つです。
中でも特に大切にしているのが、「多様性」です。地域ではどうしても、「よそ者」「馬鹿者」「変わり者」を排除しがちです。しかし、「よそ者、馬鹿者、変わり者と一緒にやることで、新しい世界が開けるのではないか」と考える人が多く集まっています。ここでは、年寄りも若者も子どもも一緒になって、地域活性化に取り組んでいます。
食べ物を食べずに生きている人はいませんよね。「食」というのは、生産地と消費地を結ぶものです。生産する人だけでなく、加工する人がいて、卸があり、小売があり、レストランがあります。食べ物が人の口に入るまでの過程には、実に多くの人が関わっています。しかも「食」は、万人にとって欠かすことのできない要素です。だからこそ、生産地と消費地が交流することには、大きな意味があります。そうしたつながりを生み出すことを目指しています。
農業は、日本の未来にとって非常に重要な分野です。そこに、都市部の人たちも関わっていく。そして、地域活性化には、やはり「学び」が欠かせません。私は、そう考えています。
海外ですでにはじまっている未来
1.デンマーク
(1)国営郵便局が手紙の配達を廃止
私は一昨年、デンマークに行ってまいりました。なぜデンマークかというと、国営郵便で手紙の配達をやめてしまったからです。「郵便をやめた」と聞くと、ずいぶん思い切った話だと思われるでしょう。
しかし、よく考えてみると、郵便ほど非効率なものは、今の世の中にはないのではないでしょうか。はがきや封書を最後に出したのはいつでしょう。仕事は別として、個人で出した記憶は、あまりないのではないかと思います。それに、郵便ポストに手紙が入っているかどうかは、実際に行ってみなければ分かりません。そのために人が回る。過疎地であっても回る。これは非効率だ、ということで「やめよう」という話になったそうです。
では、デンマークの人たちは、それを簡単に受け入れたのかというと、そうではありません。
デンマークには、高齢者の権利団体があります。日本の高齢者団体というと、自分たちの権利や義務についてあまり声を上げず、お茶を飲んでお菓子を食べている、そんなイメージがあるように思いますが、デンマークの高齢者団体はまったく違います。
「Ældre Sagen(エルドラ・セイエン)」という団体で、日本語に訳すと「高齢者といたしましては」という意味だそうです。新しい法律や制度、システムが導入されると、「高齢者にとって本当に大丈夫なのか」「きちんと使えるのか」をいろいろな角度からチェックします。手紙の配達廃止についても、「定期的に手紙が配達されることを頼りにしている人が大勢いる」と指摘しました。
(2)デジタル化が進むデンマーク
デンマークでは、徹底したデジタル化が進んでいます。ルーティンワークはAIなどに任せ、人間の仕事は「想像し」「創造すること」だ、と考えられています。
新しいものを生み出すためのブレインストーミングを行う際、日本ではスーツにネクタイ姿で、「今日はブレインストーミングですから、しっかり意見を出してください」と始めることが多いですよね。ところがデンマークでは、雑談を大切にします。雑談こそが、新しいアイデアの芽になると考えているのです。服装も自由で、ジャージでもTシャツでも構いません。コーヒーも用意されていて、甘いものを食べたほうが脳が働きやすい人もいるからと、お菓子も置いてあります。日本のお役所でも、こうした形のブレインストーミングをやったらいいのに、と思います。きっと、雑談の中から良いアイデアが生まれるのではないでしょうか。
デンマークは、2023年の世界競争力ランキングで総合第1位です。小さな国ですが、効率を上げ、その成果を国民の生活の質向上にきちんと還元しています。
その象徴が「午後4時一斉退社」です。4時になったら、皆が帰ります。暖房を切り、鍵をかけ、会社は閉まります。日本では、なかなか想像しにくい光景ですよね。
もう一つ特徴的なのが、「マニュアル通りでなくてもいい」という考え方です。マニュアルを作っている間に、時代はどんどん変わってしまう。委員会でマニュアルを作り、チェックして、各部署に配る頃には、もう古くなっているのです。それならば、自分なりの最適解で動いたほうがいい。失敗するかもしれないけれど、失敗しても構わないという上司の声がけがあるんです。
デンマークでは、政府もデジタル化が進んでいます。OECDの2023年調査によると、政府のデジタル化は韓国に次いで世界第2位です。日本は、残念ながら大きく遅れています。まずは国が率先して電子化を進めるべきだと、私は思っています。
(3)国民の生涯学習を国が支援
デンマークは小さな国ですが、「どこにでもあるもの」では勝負していません。「どこでも買えるものより、少し高い。でも、ほかにはない価値があります」と言って売る国なのです。デンマークで成功している企業の共通点は、「一つのニッチな分野に深く特化している」ことです。こうした企業が狙っているのは、「アップマーケット」と呼ばれる高級市場で、高価でも、お客さんが喜んでお金を払う製品やサービスを提供しています。
では、なぜデンマークは、他国とは違うものを生み出すことができるのでしょうか。
その背景にあるのが、働き方です。デンマークでは、週37時間労働が基本です。さらに、年5週間の休暇が法律で保障されています。そして、国民はその時間を使って生涯学習を行っています。私たちが学校で学んだことは、どんなに最新の知識であっても、あっという間に古くなってしまいます。そのためデンマークでは、「学び続けること」が当たり前なのです。国は、国民がデジタル社会で生活するために必要な技術や知識を、生涯にわたって学べる環境を整えています。
学び方も多様で、夜に勉強する人もいれば、週に1度通う人もいる。中には、1年間休職して学び直す人もいます。運営は主に政府が担っていますが、受講料は無料ではありません。少しでも自分で費用を負担することが大事だ、という考え方があるようです。
その結果、デンマークでは「パソコンが使いこなせる」ということは特別な能力ではなく、ごく当たり前のことになっています。
デンマークでは、仕事は午後4時に終わりますが、家に帰って毎日勉強ばかりしているのかというと、そういうわけではありません。アパートの集会室などで、住民が集まって一緒に食事をすることも、大きな楽しみの一つになっています。「お食事会にお金をかけているのか」というと、そうではありません。普段食べているものを持ち寄って、みんなで食べるのです。私も集合住宅に住んでいますが、同じ住民同士でお食事会をしたことは、一度もありません。ですが、デンマークでは、それがごく自然なこととして行われているのです。
(4)高齢者福祉の三原則
デンマークには、高齢者福祉の三原則があります。「生活の継続性」「自己決定」「残存能力の活用」の三つです。私は、日本でもこの考え方を取り入れなければならないと思っています。
まず一つ目は、「生活の継続性」です。例えば、長年使ってきたひざ掛け。それが、おばあちゃんから自分へ、そして娘へと受け継がれていく。そういう「自分の生活が続いている」という感覚を何より大事にする、という考え方です。
次に、「自己決定の原則」です。これは、非常に重要です。日本では、たとえば老人クラブでピクニックをすると、弁当は80個、すべて同じ、いわゆる“当てがいぶち”のお弁当が配られます。でも、デンマークは違います。何を食べるか、デザートまで含めて、自分で選びます。この「選ぶ」という行為そのものが、脳にとても良い刺激になるそうです。百マス計算より、よほど脳の訓練になるとも言われています。選ぶためには、「あれはどんな味だったか」「前に食べたあれはどうだったか」と記憶を呼び起こさなければならない。それが、とても大切なのです。
三つ目が、「残存能力の活用」です。日本では、例えば左手が不自由な人がいると、お風呂上がりに介護士さんが後ろから大きなバスタオルで、全部拭いてしまいます。でも、それではいけないのです。自分で拭けるところは自分で拭く。どうしても拭けない部分だけ、手伝ってあげる。日本では、要介護になると、介護する側がすべてやってしまいます。しかし、それは本人の能力を奪ってしまうことになるのです。本人ができることは本人がやる。それを若い人や行政が支える。これが、高齢者福祉の基本的な原則なのです。
デンマークでは、こうした仕組みを徹底しているため、郵便ポストがなくなっても、大きな混乱は起きません。国からの通知も、すべてデジタルで届きます。デンマークが「高齢者対策のモデル国」と言われるのは、高齢者の自立を尊重し、若者や行政がそれを支援するというスタイルを確立しているからです。
どの国でも高齢化は進んでおり、国の財政健全性を保つためには、給付を減らすか、税などで歳入を増やすか、そのどちらかしかありません。「少し大変だけれど、高齢者も頑張ってくださいね」という姿勢で高齢者も社会に参加している。私には、そう感じられました。
2.スイス
私はスイスにも行ってまいりました。スイスは、直近の2025年の世界競争力ランキングで総合第1位となっています。2位がシンガポール、次が香港、そしてデンマークという順です。
私にとってスイスといえば、「アルプスの少女ハイジ」に出てくる、おじいさんと山羊のイメージでした。しかし実際には、スイスにおける農業のGDP構成比はわずか0.7%に過ぎず、情報通信や金融などが48.9%を占めています。イメージとはずいぶん違う国なのです。
そして、やはり教育に非常に力を注いでいます。義務教育は4歳から11歳までですが、「勉強ができる子は、思いきり伸ばそう」という考え方があります。普段は村の小学校に通いますが、学力の高い子どもは、週に1回、県庁所在地のような場所にある、優秀な子どもたちが集まる学校へ通います。早い話が、エリート教育です。
一方で、進学しない子どもたちに対しても、「徒弟制度」がしっかり整っています。「徒弟契約企業」の協力を得て、週に数日は実務訓練を受けます。例えば、学校の授業で「チーズに青カビが生える」という話をし、それがどのような化学反応によるものなのかを学びます。すると次は、実際にチーズを製造している協力企業へ出向き、チーズの匂いを嗅いだり、青カビを自分の目で確かめたりするのです。匂いや味も含めて体験しなければ、本当の理解にはならない、というのがスイスの人たちの考え方です。
理論と実践を徹底的に結びつけて学ばせる。この教育のあり方こそが、スイスで育つ職業人のレベルが非常に高い理由なのだと思います。
国内に目を向けましょう
1.情報リテラシーの格差
では最後に、日本について考えてみたいと思います。日本は現在、「少子高齢化」「災害の激甚化」「貧困」「東京一極集中」「情報リテラシーの格差」「ジェンダー不平等」など、さまざまな課題に直面しています。その中で、私が一番深刻だと感じているのが、「情報リテラシーの格差」です。
現在、市役所などでは、「高齢者にスマートフォンの操作方法を教える」という取り組みが中心になっています。でも、本当に大事なのは、そこではありません。「情報リテラシーの格差」を是正するというのは、操作方法を覚えることではなく、「情報とは何か」「情報の価値とは何か」「情報をどう扱うべきか」を学ぶことだと思っています。
これをきちんと身につけていないと、個人情報の漏えいが起きたり、オレオレ詐欺のような犯罪に巻き込まれたりしてしまいます。一番大事なところに、まだ十分に手が打たれていない。このままでいいのだろうか、という強い危機感を持っています。
2.デジタル人材の不足
2024年の世界デジタル競争力ランキングによると、日本の順位は31位です。つまり、「デジタル人材が圧倒的に不足している」ということを意味しています。これは、一部の専門家だけの問題ではなく、「すべての日本人がバージョンアップしなければならない」ということだと思います。
まったく何もやっていない人は、少しでもやってみる。すでに専門性を持っている人は、さらに深めていく。そうした取り組みを、国民全体で積み重ねていく必要があります。
ところが、日本ではこれがなかなか進みません。「DXは重要だ」「やらなければいけない」と分かっていても、実行に移せない。日本では、新しいことを始めるときに、必ず組織の中で根回しをしますよね。「今度こういうことをやります」と言うと、「ああでもない、こうでもない」「うちの部署では無理だ」と議論がかき回され、結局、後回しになってしまう。
この「根回し」「かき回し」「後回し」が、日本の大きな弱点であり、ビジネスの素早さに欠けています。ここを何とかしなければならない、と思っています。
3.デジタルを使いこなせていない日本人
インターネットの普及率を見ても、日本は決して高くありません。アジアの中で見ても普及率が高いのは、マレーシア、韓国、シンガポール、台湾といった国々で、日本はタイやブータンよりも低い水準です。
デジタル活用の国際比較をしてみると、スウェーデン、ドイツ、アメリカでは、男女の差はそれほど大きくありません。ところが日本では、男性でも「デジタルを使いこなせている」と言える人は4割程度にとどまり、女性はさらにその半分くらいです。
さらに、60歳以上を5歳刻みで見ていくと、日本では年齢が5歳上がるごとに、利用率が極端に下がっていきます。一方、他の国々では、80歳以上を除けば、そこまで大きくは下がりません。日本の高齢者は、やはり少し遅れているのではないか、と感じています。
4.日本のこれから
日本では、2000年のIT戦略会議で、「我が国のIT革命の遅れ」や「情報格差の是正」が議論されました。それから25年が経ちました。昨年、2025年10月に国勢調査が実施され、ネットでの回答も可能になりましたが、ネット回答率は45.4%にとどまりました。まだ紙で提出した人のほうが多かったのです。
実は、ネット回答率が最も高かった都道府県は滋賀県でした。滋賀県では、県として「DX推進戦略」を進め、「誰一人取り残さない」「安心・安全で、人にやさしい」デジタル社会の実現を目指しています。やはり、こうした明確な姿勢が必要なのだと思います。
これからの時代、日本全体として、もっとITリテラシーを高めていってほしい。そのための仕組み作りを、本気で進めるべきだと思います。
介護の分野でも、ロボットやAIをどんどん取り入れていく必要があります。高齢者も、ロボットにお世話になることを嫌がるのではなく、「ロボットとともに生きる」という心構えを、今から持っておくことが大切です。
私自身は、今のところ自分のことは自分でできますが、できなくなったら、喜んでロボットの実験台になるつもりです。家庭のことを何でもやってくれるヒューマノイドロボットを家に置いて、いろいろなことをやってもらうつもりです。「ここは使いにくい」「これはもっとこうしたほうがいい」と、開発者の方と話し合っていけたらいいな、と思っています。
ご清聴ありがとうございました。

講師略歴
若宮 正子(わかみや まさこ)
ITエバンジェリスト
1935年生まれ。高校卒業後、三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)に定年まで勤務。58歳からパソコンを独学で習得。2017年にゲームアプリ「hinadan」を公開。これにより米国アップル社CEOよりWWDCに特別招待される。2017年より数々の政府主催会議の構成員を勤める。2018年 国連社会開発委員会のイベントで講演、2020年 国連人口基金のイベントで講演。
現在、一般社団法人メロウ俱楽部 理事、熱中小学校教諭(一般社団法人熱中学園)、デジタル庁デジタル社会構想会議構成員。
著書に『やりたいことの見つけかた』『昨日までと違う自分になる』『88歳、しあわせデジタル生活 もっと仲良くなるヒント、教えます』『和田秀樹、世界のマーチャンに会いに行く(共著)』ほか多数。
エクセルアートの創始者。

