はじめに
那覇税務署は、1896(明治29)年に開署され、第二次世界大戦の戦火拡大により、1945(昭和20)年に税務署の機能が停止されましたが、1947(昭和22)年には、沖縄民政府の下で南部地方税務署として再発足し、1952(昭和27)年の琉球政府創設により、那覇税務署に改称し、1954(昭和29)年に那覇市松尾から現在の旭町へ移転しました。
1972(昭和47)年の本土復帰により、国税庁管轄下となり、1980(昭和55)年には旧庁舎を建て替え、現在に至っております。管轄は、那覇市(一部地域を除く)、糸満市、豊見城市、南城市、与那原町、南風原町、八重瀬町の沖縄本島南部4市3町です。ここでは、管内の歴史等を紹介します。
那覇市
昔の那覇は、海に浮かぶ「浮島」でした。1451年、長虹堤(海中道路)を築いて首里との交通の便が開け、泊や那覇港の繁栄につれて那覇四町(西、東、若狭町、泉崎)を形成するようになりました。1879(明治12)年の廃藩置県により、那覇に県庁が置かれたことで、首里に代わって沖縄県の政治・経済・文化の中心地となりました。同年、泊、久米、久茂地を編入し、1950(昭和25)年みなと村を編入、さらに1954(昭和29)年に首里市、小禄村を合併しました。1957(昭和32)年には真和志市との合併を実現して現在の那覇市となっています。
那覇大綱挽
那覇大綱挽は、琉球王国時代の那覇四町綱の伝統を引き継ぐ、長い歴史を有する伝統文化催事です。その発祥は、1450年頃だとされていて、交易都市那覇を象徴する大綱挽です。みーんな(女綱)、をぅーんな(男綱)をかぬち棒で結合させて、西東に分かれて挽きあう綱は、陰と陽の結合を意味し、人類繁栄を願う神話的行事です。1995(平成7)年ギネスブックによって「世界一のわら綱」と認定され、いまや世界一の綱挽として、沖縄最大の伝統行事として定着しています。(全長200m、直径1.56m、総重量40トン)

那覇大綱挽
糸満市
糸満市域を構成する行政区画は、古くは「しもしましり」・「きやめ」・「まふに」と称されていました。「しもしましり」は、いつしか島尻兼城・島尻大里・島尻真加比の三つの間切に分割され、1667年に島尻兼城は兼城(かねぐすく)と改称しました。1908(明治41)年に施行された町村制によって、糸満は兼城の一村から分離し、町制を布いて沖縄県で唯一の「町」として誕生しました。1961(昭和36)年には糸満町・兼城村・高嶺村及び三和村が合併し新たな糸満町となり、1971(昭和46)年には市制を施行して、糸満市としてスタートとしました。
糸満大綱引
糸満大綱引は、豊年と大漁祈願、家内安全、無病息災を祈る神事で、南北に分かれた雌雄の綱の結合によって実りを予祝し、勝負の結果で吉凶を占います。伝統的に毎年旧暦の8月15日に開催されること、綱引きの当日に大綱作りをすることが特徴の一つです。県道256号線の糸満ロータリーと白銀堂の間は交通規制が敷かれ、雄綱・雌綱合わせて長さ約150m、最大直径約1mの県内最大級の綱を制作します。綱作りに用いられる稲藁は総重量で約10トンにも及ぶそうです。

糸満大綱引
豊見城市(とみぐすくし)
「豊見城(とみぐすく)」の地名は、後の南山王 汪応祖(おうおうそ・わんおうそ)が漫湖を眺望する丘陵上に築城したグスクを「とよみ城(ぐすく)」と称したことが由来です。時代を経て「とみぐすく」となり現在に続いています。古琉球の時代には豊見城間切と呼ばれ、中山に対する山南の要衝地として重要な位置にあり、間切名の由来である「豊見城グスク」をはじめ、各所にグスクが築かれました。1908(明治41)年の町村制によって、豊見城の他10字をもって「豊見城村」が誕生しました。本土復帰以降、肥沃な農地に恵まれた人口10,000人弱のおだやかな農村から、那覇市を中心とした都市圏域の拡大により各地で住宅団地の建設や宅地開発が進み市街化が進行した結果、急激に人口が増加することで都市として大きく発展し2002(平成14)年には単独市制施行を果たしました。
豊見城市の特色
沖縄におけるハーリー(爬龍船競漕)発祥の地、またエイサー(旧盆の青年踊り)ゆかりの地、幕末ではジョン万次郎滞在の地でもあります。
那覇空港に近くレンタカー各社の拠点や、道の駅豊崎、アウトレットモールなどの商業施設が充実しています。県内最大級の人工ビーチ豊崎美らSUNビーチや瀬長島といった夕陽の美しい憩いの場があり、沖縄県から「エアウェイリゾート豊見城」として指定を受けています。
南城市
「遥か昔、大海原の彼方・ニライカナイから南の島のある浜辺に神が降り立った。神の名はアマミキヨといい、グスクを構え、子供をつくり、稲を植え、そして人々の世を創った。いつしか人々から祖霊神と呼ばれるようになり、御嶽に祀られ、国家安泰や五穀豊穣の祈りの対象となった。」このような言い伝えと共に、沖縄には古くから祖先を敬い、自然の恵みに感謝し祀ってきた歴史・文化があります。
「東御廻り(あがりうまーい)」は、創造神・アマミキヨがニライカナイから渡来して住みついたと伝えられる霊地を巡拝する行事で、首里城を中心として、太陽が昇る東方(あがりかた)、または東四間切(あがりゆまじり)といわれ、佐敷、知念、玉城、大里に点在する聖地をまわる巡礼を称したものです。南城市は2006(平成18)年に「東御廻り」の地である佐敷町・知念村・玉城村・大里村の合併により誕生した新しい市です。
与那原町(よなばるちょう)
与那原町の歴史は古く、沖縄最古の古謡集「おもろさうし」の中に「ヨナハル」や「ヨナハバマ」の名で登場して始まります。与那原の地名は、かつて海岸地であったところの名称で、その場所はきわめて静かで白い砂浜が続く入り江を前にした浦辺の仙境であったと言われています。1879(明治12)年の廃藩置県により与那原は大里間切の一つに組み入れられ、1908(明治41)年の町村制により大里村の一字となりましたが、1949(昭和24)年に大里村より分離し、同年4月に町制を施行して与那原町となりました。
与那原大綱曳
与那原大綱曳の始まりは、1500年代の尚永王時代まで遡るとされており、長い歴史を誇っています。与那原大綱曳は『与那原町の民話』によると、その昔、害虫が発生し稲が不作で人々は餓死寸前まで追い込まれた年があった。困り果てた村頭は、姥捨て山に捨てた老人に相談したところ、「野山の草を集めて焼き、皆で鐘やドラを叩き、大声を出しながら綱を曳くように」と教わったという。その結果、害虫はいなくなったとの言い伝えに由来しているとされています。与那原大綱曳は、那覇・糸満と並ぶ沖縄県の三大大綱引きの一つですが、他の綱曳とは違う大きな特徴があります。それは、綱の上に支度を乗せることから始まって、綱曳が終了するまでの一連の流れに区切りがなく、すべてが連続した動きであるということです。また、綱を曳く時も単に「引きずる」のではなく、綱本体を上下させながら(地面に叩きつけながら)曳くことも他では見られない大きな特徴の一つです。曳き始めの合図がなく、東西に分かれた雄雌二本の大綱が、カナチ棒で結ばれた瞬間に一気に曳きあいます。

与那原大綱曳
南風原町(はえばるちょう)
王府時代の首里は平等(ふぃら)と呼ばれる行政単位で三分割されていて、それぞれ、南風之平等(ふぇーぬふぃら)、真和志之平等(まーじぬふぃら)及び西之平等(にしぬふぃら)と呼び、三つの平等をまとめて「三平等(みふぃら)」と呼ばれていました。南風原町は、南風之平等の一部として直轄地に組み込まれていました。現在の南風原町の境界は、1908(明治41)年の町村制により定まり、南風原村が形成され、その後、1980(昭和55)年に町制へ移行し、南風原町となっています。
飛び安里
ライト兄弟が有人動力飛行をするはるか以前、琉球王国時代に人力の機体で空を飛んだ人物がいます。南風原町出身の「飛び安里」です。南風原町内には、復元機のレプリカや記念碑などがあります。機体は鳥のように翼を羽ばたかせながら飛ぶ「羽ばたき式飛行機」と呼ばれるもので、弓の弾力を活かし、鳥の翼を模した羽を付け、その羽は足を上下させて動かしたのです。初飛行の時には予想以上に高度が上がってしまったため、命綱を託されていた妻が慌てて引っ張り、バランスを失って自宅の台所付近に落ちたという逸話もあります。
八重瀬町(やえせちょう)
東風平町(こちんだちょう)と具志頭村(ぐしかみそん)は1908(明治41)年の町村制に基づき「東風平村」「具志頭村(ぐしちゃんそん)」として誕生し、幾多の歴史を刻み発展してきましたが、2006(平成18)年、東風平町と具志頭村が合併し「八重瀬町」となりました。
港川人
港川人は、旧具志頭村港川にあるフィッシャーと呼ばれる岩の裂け目内から発見された、約22,000年前の人骨化石です。発見された地域にちなんで港川人と呼ばれています。
5~9体分の人骨が発見され、そのうち4体は全身の骨格の多くが残っており顔つきや体つきを復元することができることから、旧石器時代を代表する人骨化石となっています。
おわりに
ここでは歴史の一部のご紹介となりましたが、那覇税務署管内には、琉球王国時代の遺跡など見どころの多い場所が、まだまだあります。
是非、一度足をお運びください。
(写真提供:(一財)沖縄観光コンベンションビューロー)
各地の話題
宮古島
んみゃ~ち かぎすま
宮古島
はじめに
宮古島税務署は、北東から南西へ弓状に連なる琉球弧のほぼ中央に位置する宮古島に置かれており、宮古島市と多良間村の1市1村からなる宮古群島を管轄しています。
明治29年11月の官制改革により「宮古税務署」として開庁、戦後の税務署廃止、琉球政府時代の開庁などを経て、昭和47年5月沖縄県の本土復帰に伴い「平良税務署」として開庁、平成17年10月の市町村合併により、宮古島市が誕生したことから、平成20年7月に「宮古島税務署」に名称変更し現在に至っています。
宮古島の橋と海と水
【宮古島に架かる3つの大橋】
宮古群島は、沖縄本島から南西に約290kmに位置し、宮古島、池間島、来間島、伊良部島、下地島、大神島、多良間島、水納島の、大小八つの有人島から構成されており、池間島、来間島、伊良部島は宮古島と橋によって陸路でつながっています。
平成27年に開通した伊良部大橋(3,540m)は無料で通行できる橋としては日本最長を誇っており、橋の左右に広がるエメラルドグリーンの海と放物線を描く橋の傾斜が美しく、ドライブコースとして人気です。
また、平成4年に開通した池間大橋(1,425m)からは大神島や美しいグラデーションを描く宮古ブルーの海を、平成7年に開通した来間大橋(1,690m)からは来間島や東洋一美しいビーチと言われる与那覇前浜ビーチを眺めることができ、どちらも感動的な美しさです。
これらの橋を歩いて渡れば、かなりの確率でウミガメがのんびりと泳いでいる姿に遭遇できます。

伊良部大橋
【宮古ブルー】
宮古島はサンゴ礁が隆起してできた「琉球石灰岩」の島です。
琉球石灰岩は水を通しやすい特徴を持っており、雨水がすぐに地中に浸透することで、土砂が海に流れ込みにくく、宮古島の海は透明度が非常に高くなっています。
更に、海底の白いサンゴ砂が太陽光を反射することで、「宮古ブルー」と称される、絶景で美しい青のグラデーションの海を作り出しています。

与那覇前浜ビーチ
【地下ダム】
琉球石灰岩の島である宮古島には大きな河川がなく、水資源の確保は長年の大きな課題でした。
昭和47年から2年間のボーリング調査により、琉球石灰岩層に豊富な地下水が存在することが確認されたことで、地中にコンクリートの止水壁を作って地下水を溜め、農業用水として利用するという、世界に類のない壮大な地下ダム構想が浮上しました。その後、平成12年度には複数の地下ダムやパイプライン等の建設といった大規模地下ダム事業が完了し、島全体の農業用水の安定供給が可能となりました。
地下ダムからの安定した農業用水の供給により、さとうきびの干ばつ被害は解消され、収穫量も増加したほか、高級ブランドとして人気の「宮古島産マンゴー」の生産も進み、近年では日本最南端でつくられる「宮古島メロン」も新たな特産品として定着しています。どちらも至福の味です。
伝統行事・文化・伝統工芸品
【パーントゥ】
宮古島の島尻地区で旧暦の9月吉日に行われる「パーントゥ」は、国指定重要無形民俗文化財の伝統行事です。平成30年にユネスコの無形文化遺産に登録され、全国でもその名を知られるようになりました。
夕刻、仮面をつけ草をまとい全身に泥を塗った異形の来訪神「パーントゥ」3体が村落内に現れ、誰彼かまわず人々の顔や家屋、車などに泥を塗なすりつけることで厄払いをします。
泥を塗られると1年間の無病息災が約束されるといわれ、「パーントゥ」のまわりでは、子供たちの悲鳴、大人の笑い声、歓声が響きます。

パーントゥ
【多良間島の八月踊り】
宮古島と石垣島のほぼ中間に位置する多良間島は、肉用牛の生産が盛んで、普段は静かなところですが、毎年旧暦の8月8日から3日間にわたり行われる「八月踊り」の時期には多くの観光客が訪れ活気に溢れます。
「八月踊り」は国指定無形民俗文化財に指定されており、その起源は定かではありませんが、人頭税制のころの税の皆納を御嶽(ウタキ)の神々に報告した「八月御願(パチュガツウガン)」が起源とされ、古くは「皆納祝い」とも言われていたそうです。
穀税や反布税を皆納し、完納の報告と次年の豊作を祈願することを年中行事とするようになり、毎年、重税を完納したことに、島民挙げて盛大に祝い、楽しみ、慰め合い、励ましあった祝席で踊りだした「民俗踊り」が、現在まで伝わる「多良間の豊年祭・八月踊り」です。

多良間の八月踊り
【宮古上布】
日本三大上布の一つに数えられる「宮古上布」は、苧麻(ちょま)を原料にした、軽やかで上質な風合いが魅力の宮古島が誇る伝統織物で、国の重要無形文化財にも認定されています。
寛永14(1637)年に人頭税として上納布に指定された歴史を持ち、厳しい監視下で、精巧な織物であることが要されたことで、その技術が磨かれ、一層美しい上布が作られるようになったと言われています。
おわりに
宮古の島々には、今回ご紹介できなかった観光スポットや、おいしいグルメ・泡盛、美しい星空、博愛の心を持つ宮古の島々の人々、宮古方言(みやーくふつ)など、まだまだ書き足りないほど、魅力に溢れています。
“んみゃ~ち かぎすま 宮古島”
(いらっしゃい 美しい島 宮古島)
宮古の島々へ、是非、一度足をお運びください。
(写真提供:宮古島観光協会)
各地の話題
沖縄市
魅力あふれる中部地区
~世界遺産・自然・スポーツ・異文化交流~
はじめに
沖縄税務署は、昭和22年に中部地方税務署として開設し、昭和27年の琉球政府創立と同時に胡座税務署、昭和47年の本土復帰と同時にコザ税務署、昭和49年の沖縄市発足(コザ市と美里村が合併)時に、沖縄税務署と名称変更されました。
沖縄税務署は、沖縄本島中部地区のうち、沖縄市、宜野湾市、うるま市、北谷町、嘉手納町、読谷村、中城村、北中城村の3市、2町、3村を管轄しています。管内面積は247.93km2、管内人口は約49万人です。管内市町村それぞれに豊かな自然や素晴らしい文化を有しています。今回は、管内8市町村の魅力をご紹介させていただきます。
沖縄市
沖縄市は、国際文化観光都市を掲げ、戦後の多文化が息づくコザの歴史を今に伝える街です。中心にはBリーグ琉球ゴールデンキングスのホームアリーナである沖縄サントリーアリーナがあります。アリーナは最新音響・照明と可動席、充実の設備を備え、国際規模の大会やコンサートの実績があり国際イベント等を牽引する県内最大規模の屋内イベント施設です。沖縄南ICからのアクセスも良く、近くにはミュージックタウンや民謡酒場などもあり、観戦前後にコザの街を楽しむことが出来ます。また、旧盆明けに行われる沖縄全島エイサーまつりは、胡屋十字路の道じゅねーからコザ運動公園の本祭まで、三線と太鼓が鳴り響き、街全体が踊りで一体になり、祭りの最後は、会場全体がカチャーシーで最高潮に達します。

沖縄全島エイサーまつり
宜野湾市
宜野湾市は、政治・経済・文化の中心地として栄え「琉球の根(ね・ねたて)」と呼ばれました。市内には、市指定名勝の洞穴を神域とする普天満宮があり、奥宮参拝を通して、地域に根付く信仰文化に触れることができます。4月には日本一早く夏の訪れを告げる音楽花火イベント「琉球海炎祭」が開催され、音楽とシンクロする約1万発の花火が夜空と海を鮮やかに彩ります。沖縄コンベンションセンターでの催事と併せて訪れることで、海や文化、歴史を一日で体感できます。また、西普天間地区では、琉球大学医学部病院を核とした沖縄健康医療拠点の整備が進み、健康医療と研究が集積する新たなまちづくりが進展し、歴史と未来が交差する街となっています。

琉球海炎祭
うるま市
沖縄本島東海岸・うるま市の三本柱は、世界遺産・勝連城跡、海中道路、闘牛です。勝連城頂からは東西の海を一望でき、曲線の城壁や朝焼けはとても美しく、按司・阿麻和利の物語が魅力的です。海中道路は約5km、平安座・浜比嘉・宮城・伊計の四島を結び、潮位で表情が変わる絶景ドライブを楽しむことができます。闘牛は土煙と歓声のなか、力比べを堪能することができます。さらに旧盆の頃には、青年会が太鼓と歌三線で練り歩くエイサー・道じゅねーが圧巻で小太鼓パーランクーの軽快な響きと掛け声、静と動の所作が胸を打ちます。特に200年以上続く平敷屋エイサーは必見で、秋の市祭では各地の型を一度に体験できます。

世界遺産・勝連城跡
北谷町
北谷町の一番の魅力は、海と街が近接し、日常的に潮騒と夕陽に心が包まれ、マリンアクティビティが楽しめる点です。また、美浜アメリカンビレッジを中心に、買い物・食事・エステ・宿泊・散策を一度に楽しむことができます。宮城海岸では一年中サーフィンが楽しむことができ、春にはアグレスタジアム北谷に中日ドラゴンズがキャンプに訪れるなど町は活気に溢れています。那覇空港から直行バスでアクセスも良く、町内は予約制バスで移動も簡単です。町営駐車場を利用して、美しい海沿いの遊歩道を散歩することもできます。サンセットビーチで空が茜色に染まる時間の景色は格別です。チャタンビールなど地元の味を楽しみながら美しい夕陽を是非お楽しみください。

サンセット(北谷町)
嘉手納町
嘉手納町は沖縄本島中部の西海岸にあり、那覇から北へ約23kmに位置します。面積は15.12km2で、約82%を米軍嘉手納基地が占めます。町域を流れる比謝川は沖縄本島最大の流域面積を持ち、流れが穏やかです。川沿いの遊歩道では散歩や野鳥観察をすることができます。マングローブ観察カヤックや、サンセット・カヤックなどの人気のアクティビティを楽しむことができます。嘉手納町は、多彩な伝統芸能があり、町指定の民俗文化財として、千原エイサー、野里の道イリク、野里棒及び野國天川が有名です。嘉手納町エイサーまつりや野國總管まつり等で楽しむことができます。

千原エイサー
読谷村
読谷村は、日本一人口の多い村でありながら、自然・歴史・文化が調和する地域です。世界遺産・座喜味城跡や断崖絶壁の残波岬、やちむんの里では人間国宝・金城次郎の系譜が息づきます。読谷山花織は600年余の歴史をもち、色糸で浮き出す幾何学模様は花のように美しく、沖縄県指定無形文化財、経済産業大臣指定伝統的工芸品として愛されています。読谷村図書館は、建築空間そのものを楽しめるオープンな滞在型図書館として、充実した学習スペースがあり、珈琲の良い香りが漂う居心地の良い空間となっています。

読谷村立図書館
北中城村
北中城村は、「平和で人と緑が輝く健康長寿と文化の村」です。沖縄の伝統的な豪農の住居様式を今に伝える国指定重要文化財建造物「中村家住宅」が現存し、花咲爺会というボランティア組織が地域景観美化活動を長年行っており、花と彫刻で整備された散策路が「日本の歩きたくなる道500選」に選定されています。小道(すーじぐわー)を巡るガイドツアーでは、エイサーの定番曲「仲順流り」の発祥の地を訪れることができます。地域協定に基づく景観保全(赤瓦奨励・生垣推進)で世界遺産・中城城跡周辺の歴史景観を守り、エイサーや綱引きなど伝統行事が地域の活気を生んでいます。

国指定重要文化財構造物「中村家住宅」
中城村
中城村は、世界遺産・中城城跡を核とし、護佐丸伝承や首里城へ続く歴史の道(ハンタ道)があります。座喜味城・中城城・今帰仁城の3大グスクを築いた「築城の名手」護佐丸をこよなく愛する中城村には、護佐丸歴史資料図書館があり、中城村や郷土の歴史と護佐丸について学ぶことが出来ます。夕方には村内放送で「護佐丸ダンス」が流れ園児が踊る姿が見られます。中城村では、世界遺産・中城城跡を活用した様々なイベントを実施しており、文化財保護下でも滞在可能にする自律型設備を用いたポップアップ滞在の実証実験を行い、夕暮れ~夜の城跡鑑賞を楽しむ新たな魅力づくりに取り組んでいます。中城村の特産品「島にんじん」と「在来種島とうがらし(中城ヂゴレ)」は絶品ですので是非お試しください。

在来種島とうがらし(中城ヂゴレ)
おわりに
沖縄税務署管内の8市町村は、それぞれに魅力的な歴史・文化・芸能・伝統工芸・自然を有しています。紙面の都合上、詳しくご紹介できず残念です。是非、各地を訪れていただき、心(くくる)やすまる癒しや、心わくわくさる体験、楽しんでみそーりねー。
(写真提供:各市町村)

