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海外ウォッチャー
財務アタッシェから見たイギリス

在英国日本国大使館・一等書記官 林 良樹

1 はじめに(自己紹介)

僕は2015年に財務省に採用してもらい、法令審査(文書課)や国税調査(高松国税局)、海外税制調査(主税局)などに従事しました。その後、総務省でコロナ禍の10万円給付を担当し、米国留学を経て、デジタル庁で健康保険証とマイナンバーカードの一体化に携わりました。2024年7月よりロンドンの日本大使館に出向し、財務アタッシェとして日々当地の英国財務省(HM Treasury)やイングランド銀行(BOE)や金融センターであるシティの金融機関と情報交換をしています。幸運にも英国で働く機会をいただき、2年程経ちました。

この寄稿では、英語が決して得意ではなく初心者外交官として日々あくせくしながら、英国の財政・金融をウォッチしている担当者として、2026年8月現在で英国の政治・経済などをなるべくわかりやすくお伝えしたいと思います。冒頭で英国の基本的な情報や、政治、経済の現状を説明し、その後コラムというかたちで英国財政・金融・歴史などに触れます。なお、この寄稿は、僕個人の考えや経験を踏まえた記事になります。

2 英国の基本情報について

(1)英国は、人口が日本の約半分、面積は約60%程度(約6,800万人、約24.3km2)です。IMFによるとGDPは日本に次いで世界5位(約4兆2,600万ドル)です。英国は、国連安保理の常任理事国であり、G7・G20メンバーでもあり、NATOの主要メンバーで、国際的にも影響力が大きいです。また、BBCやFinancial Timesといった世界的なメディアや、オックスフォード大学・ケンブリッジ大学等のトップ研究機関があります。その他にも、旧大英帝国時代のかつての植民地であった国々との国家連合・国際組織であるコモンウェルスの中心地でもあり、首都ロンドンは世界有数の金融・会計・法律分野の中心地です。

(3)英国の政治制度は「立憲君主」、「議会主権」、「不文憲法」が特徴です。国家元首の国王(今はチャールズ3世)は、実質的な権限はほぼもちません(国王は君臨すれども統治せず)。議会は二院制で、選挙で選ばれた議員で構成される庶民院(定数650名)と、聖職者と一代貴族が終身議員となる貴族院(現在770名)で構成されます(たとえば庶民院の総選挙のマニュフェストとなった政策について貴族院は否決しないという庶民院優先の原則あり)。議員内閣制で、下院多数党の党首が首相になり、閣僚は議員から選ばれます。野党は政権交代に備えて「影の内閣」を組織することが慣例です。19世紀中頃から二大政党制となっていますが、近年は労働党や保守党の二大政党に対する支持率が減少傾向にあり、強固な反移民政策を打ち出す右派政党の改革UK等の少数政党も存在感を増しています。

(4)英国経済は、コロナ禍やウクライナ戦争によるエネルギー危機後も引き続き、生産性は低迷している状況です。2026年の国内経済は、労働党政権による国民負担増や中東紛争の影響から引き続き低迷の見通しです(成長率は1.1%と予測)。インフレ率は足元では2.6%(6月)と中東紛争開始時よりも徐々に落ち着きを取り戻していますが、イングランド銀行は今年後半には中東紛争の影響でインフレ率が再び上昇する見込みであるとの見解を示しています(政策金利は3.75%)。

写真1 議会の建物であるウエストミンスター

写真1 議会の建物であるウエストミンスター

3 労働党政権とバーナム新首相について

(1)英国では、2024年7月の総選挙(5年に1回・首相に解散権あり)で労働党が歴史的な勝利を収め、14年ぶりに労働党政権(スターマー前首相)が誕生しました(庶民院議員650名のうち400席以上獲得。庶民院は単純小選挙区制度)。スターマー政権では2回の大きな予算編成を行いましたが、トラス・ショックの経緯から財政規律を重んじるリーブス財務大臣の下、国民保険料の雇用主負担の増加や所得税の実質増税(課税基準額のインフレ調整を凍結)などの国民負担の増加が目立ちました。さらに2026年5月の統一地方選挙での大敗などにより、スターマー政権の求心力が著しく低下し、6月にスターマー首相は辞任を表明、7月に新たに労働党の党首となったバーナム氏が首相に任命されました。

(2)バーナム首相は、2001年から16年間庶民院議員(ブラウン内閣では保健大臣)を務めたのち、2017年から2026年6月までイングランド北部のマンチェスター市長を務めました。マンチェスター市長時代は、コロナ禍での経済対策として、中央政府から北部への追加支援を勝ち取ったことで「北の帝王」とも呼ばれました。長年、ロンドン(中央議会があるウエストミンスター)中心の政治に異議を唱え、地方分権の推進を訴えています。この背景としては、英国(イングランド)の地域格差があります。ロンドンをはじめとするイングランドの南東部には金融やITなどの稼ぐ力のある産業が集まる一方で、かつて産業革命を支えたイングランド北部は、鉄鋼・造船・炭鉱などの衰退によって経済的な打撃を受けており、南北の経済格差があります。なおバーナム首相はエスタブリッシュメントが話すイングランド南部の「標準英語」ではなく北部の地元のアクセントを残しています。

(3)バーナム新政権は、当面は内政、とくに経済運営に注力する見通しです。政権は、家庭用電気料金への付加価値税(VAT)の引き下げや、バス運賃の上限の引き下げ、パブ等の事業用固定資産税(ビジネスレート)の引き下げ等を発表し、物価高対策に迅速に取り組んでいます。また英国では諸外国と比較して中央政府の税源が大きいことも背景に、地方分権の推進として所得税の一部の税源や住宅、交通、雇用支援に関する権限を地方自治体に委譲し、地方への投資を促進する方針を発表しています。さらに地方分権推進の司令塔として、地元のマンチェスターに自身も週一回程度勤務する首相府の地方拠点「No10ノース」を新設しました。なお、政権は10月28日に秋季財政演説を行い、経済政策の財源も含め予算案を発表する予定ですが、財政状況は芳しくなく、市場の信任を維持するため、政策の優先順位の位置づけや民間資本の動員が必要とされます。

(4)バーナム政権の外交方針については、スターマー前政権の米欧重視の外交路線が継続となる見通しです。なお、バーナム首相の着任後最初の電話会談の相手はトランプ米大統領でした。また英国はウクライナ支援において米国と協調を図りつつ中心的なリーダーシップを発揮しており、バーナム首相が最初に英国で会談した外国首脳はゼレンスキー大統領です(2025年末時点で英国が実施・コミットしている対ウクライナ支援の総額は約220億ポンド)。

(5)安全保障政策としては、長期にわたるウクライナ戦争やトランプ大統領による米国の欧州での軍事プレゼンス低下の姿勢を背景に、2025年に英国は2035年までに国防関連経費を対GDP比5%(国防関連経費3.5%、関連インフラ投資1.5%)に引上げる旨を発表しています。

写真2 スターマー前首相

写真2 スターマー前首相

写真3 バーナム首相

写真3 バーナム首相

4 日本との関係について

(1)日英関係はここ10年程度で大きな進展を遂げ、日英同盟以来の高みに達したとも評価され、高市首相は2026年6月の訪英では日英関係を「準同盟国(quasi-ally)」であるとの認識を示しました。背景としては、英国のEU離脱に伴い英国がEUとはまた別の親密なパートナーを探す中で日本がその求めに積極的に応じたことや、日英両国が自由、民主主義、人権、法の支配といった基本的価値を共有していること、G7メンバーとして共通の戦略的利益を有していること、そして、どちらも米国との関係を特別なものとしながら国際社会でリーダーシップをとってきたことがあります。

(2)強固な日英関係を示すものとして、2023年5月に当時の岸田首相とスナク首相による安全保障・経済貿易・科学技術等の協力を内容とするグローバルな戦略的パートナーシップである「広島アコード」の発出があります。また今年6月の高市首相の訪英では、広島アコードを補完するものとして、エネルギーや重要鉱物に関するサプライチェーンも内容とする「経済安全保障協力に関する日英共同宣言」の発出がありました。

(3)厳しさを増す安全保障環境に対応するため、日本と英国、イタリアは、次世代戦闘機の共同開発計画(GCAP)を進めており、防衛技術の共有・共同研究を通じて開発コストと期間を抑えつつ、2035年に向けて第6世代のステルス戦闘機を共同開発しています。

5 英国の財務省について

(1)英国では、首相がFirst Lord of the Treasury(第一大蔵卿)であり、財務大臣はChancellor of the Exchequerと呼ばれます。これは、英国財務省であるHMトレジャリー(His Majesty's Treasury, HMT, 国王陛下の財務省)の歴史に由来します。もともと、12世紀から近世にかけてイングランドの国家財政は財務府(The Exchequer)が担当していました(名前の由来は、チェスの盤の模様(chequer)のカウンターで帳簿をつけていたこと)。この財務府の最高責任者は当初は大法官でしたが、後に補佐役であった財務大臣(Chancellor of the Exchequer)が担うようになりました。

(2)16世紀エリザベス1世の統治時代に、HM Treasuryが財務府から分離・設置され、第一大蔵卿のもとで国家財政を担うようになりました。さらに1721年に第一大蔵卿(First Lord of the Treasury)となったロバート・ウォールポールが与党を統制し閣議を主宰し、議会の支持を背景に政治を行って実質的に首相となると(責任内閣制の始まりとされます)、第二大蔵卿であった財務大臣(Chancellor of the Exchequer)がHMTの常任大臣となりました。なお、その後にピットの財政改革を経て、財務に関する権能はHMTに集中し、財務府の組織は形骸化して1834年に廃止されました。

(3)財務大臣が議会で新しい予算案を発表する日(例年秋の10月頃)を「Budget Day」と呼びます。財務大臣は、首相官邸(No.10)のすぐ横にある財務大臣公邸(No.11)から「赤色の古い革製のカバン(Budget)」に予算書を入れて、徒歩5分ほどの距離にある議会(ウェストミンスター)に持ち込みます。Budgetという単語は「小さな袋」を意味するフランス語に由来します。

(4)現バーナム政権での財務大臣はヒーリー財務大臣です。前スターマー政権では国防大臣を務めていましたが、厳しい安全保障状況の下で国防予算の増強を主張し、HMTと対峙し2026年6月に国防大臣を辞任しました。ヒーリー財務大臣が今度は財政運営の責任者となったことで、国防費を含む重要政策への資源配分と財政規律をいかに両立するのかが注目されています。ヒーリー氏が財務大臣に任命されたことはサプライズとして受け止められましたが、ヒーリー財務大臣は秋の予算編成にあたっては財政規律を遵守することを明示しています。

写真5 英国財務省

写真5 英国財務省

写真6 リーブス前財務大臣

写真6 リーブス前財務大臣

写真7 ヒーリー財務大臣

写真7 ヒーリー財務大臣

コラム1 官邸の猫ラリーについて

・昨今は激しい政権交代が続くダウニング街ですが、首相官邸(No.10)には「主が変わっても決して変わらない公務員」がいます。それが、公式の役職名を持つ「首相官邸ネズミ捕獲長(Chief Mouser)」の猫、ラリー(Larry)です。

・2011年の就任以来、彼はキャメロン首相、メイ首相、ジョンソン首相、トラス首相、スナク首相、スターマー首相、そして2026年7月に誕生したバーナム首相にいたるまで、激動の英国政治を見つめ続け、実に7代もの首相に仕えてきました。

・ちなみに、彼のお給料であるキャットフードは、官邸職員たちの自発的な寄付で賄われています。

写真4 首相官邸ネズミ捕獲長の猫のラリー

写真4 首相官邸ネズミ捕獲長の猫のラリー

6 イングランド銀行について

(1)イングランド銀行(BOE)は、ルイ14世率いるフランスとイングランドを含む欧州諸国との戦争である大同盟戦争の戦費調達のため、1694年に設立されました。その際BOEは120万ポンドの資本金を公募し、同額を政府に長期融資しました。政府はその見返りに年利8%と4,000ポンドの管理手数料を支払い、紙幣発行権限をBOEに授けました。BOEは公募開始からわずか12日間で目標の120万ポンドを集め、戦争で財政破綻直前であったイングランドを救いました。このとき投資家たちがイングランド政府にお金を貸した証明書(領収書)が、のちのポンド紙幣の原型となりました。

(2)1997年に、労働党のブレア政権の下でBOEの金融政策決定権が政府から独立し、政策金利の決定権は財務省(HMT)からBOEに移りました(BOEの金融政策決定権の独立は、前保守党政権下で決められていました)。その際、従来国債管理政策に関する権限と責任はBOEが有していましたが、仮に金融政策決定権を有するBOEが国債発行・管理を行えば、利回りについて利益相反になりうるとの懸念から、1998年4月にHMTの下に国債管理庁(DMO)が設立され、政府の借入と債務管理を担うこととなりました。

(3)BOEには「スレッドニードルの老婦人」というニックネームがあります。これはBOEが1734年以来「スレッドニードル通り」に所在していることや、1797年にナポレオン戦争により銀行の金塊が底をつきかけてお札の金による払い戻しをストップしたことがあり、これが当時の風刺画で「金塊を奪われないように抵抗するお婆さん」として描かれたことに由来します。なお、BOEの金庫には世界中から預かった約40万本の純金バーが眠っており、これはニューヨーク連邦準備銀行に次ぐ量の金塊の保管庫となっています。

(4)なお、イングランド銀行以外にも、スコットランドや北アイルランドでは商業銀行の中に紙幣(スコットランド紙幣・北アイルランド紙幣)を発行できる銀行があります(イングランド銀行券などの資産保有の裏付けが必要)。ウェールズには紙幣発行権限のある銀行は存在しません。

写真8 イングランド銀行

写真8 イングランド銀行

コラム2 トラス・ショックについて

・2022年に誕生したリズ・トラス政権は、英国政治史の中で短命でありながら、金融市場に大きな混乱をもたらした政権として知られています。トラス首相は、エネルギー危機と高インフレが同時進行する厳しい状況で就任し、「成長最優先」を掲げて大規模減税と規制緩和を中心とする経済政策を打ち出しました。その象徴が、クワーテング財務大臣が発表した「ミニ予算(Mini-Budget)」で、法人税引き上げの撤回や高所得者向け所得税の減税など、総額450億ポンド規模の減税を含む内容でした。しかし、財源の説明が不十分で、歳出削減や財政再建の計画も示されず、独立財政監督機関である予算責任庁(OBR)との調整も行われなかったため、市場は「財政規律の喪失」と受け止めました。

・この結果、英国の金融市場は急速に混乱し、いわゆる「トラス・ショック」が発生しました。ポンドは急落し、英国国債の利回りが急上昇、特に長期金利の急騰は年金基金の投資戦略を直撃し、資金繰り危機が発生しました。イングランド銀行(BOE)は市場安定のため緊急の国債買い入れを実施し、金融システムの崩壊を防ぐ対応に追われました。市場の不信感は政権への支持を急速に失わせ、トラス首相は政策の撤回を余儀なくされました。財務大臣は交代し、後任のハント財務大臣がミニ予算の大部分を取り消して財政規律の回復を宣言しましたが、政権への信頼は戻らず、トラス首相は就任からわずか49日で辞任し、英国史上最短の在任期間となりました。

コラム3 英国のVATについて

・英国の消費税であるVAT(付加価値税)は、1973年に英国がECに加盟した際に導入されました。それ以前は第二次世界大戦中から「購買税(Purchase Tax)」が使われており、商品の贅沢度に応じて最大100%まで税率が変動する複雑な制度でした。EC加盟に伴い購買税は廃止され、VATが標準税率10%で始まり、その後の財政事情や政権交代を経て税率は引き上げられ、2011年以降は標準税率20%が維持されています。一方で、食品や子ども服など生活必需品には現在もゼロ税率(0%)が適用されています。

・英国では、財務大臣が「1968年暫定徴税法」に基づき、議会の正式な法案成立を待たずに税率を暫定的に変更できる仕組みがあります。2008年のリーマンショックでは標準税率が17.5%から15%へ引き下げられ、2020年のコロナ禍では外食産業のVATが特例的に引き下げられました。

・コロナ禍での特例措置は段階的に行われ、まず2020年7月から2021年9月まで外食のVATが20%から5%へ引き下げられました。その後、激変緩和のため、2021年10月から2022年3月までは12.5%に特例的に設定され、2022年4月に特例措置が終了して通常の20%へ戻りました。

コラム4 英国のユニークな税金について

・英国の税制には、生活に直接影響を与えたユニークな歴史的な税が数多く存在します。代表的なものが1696年に導入された「窓税」で、家の窓の数に応じて課税する仕組みでした。当時は所得を正確に把握することが難しく、窓の多さが富の象徴とみなされたためです。この税の影響で、多くの家が窓をレンガで塞ぎ、現在でもロンドンや地方都市の古い建物に「塞がれた窓」が残っています。窓税は1851年に廃止されました。

・同様に、1662年に導入された「暖炉税」は、家の暖炉の数に応じて課税する仕組みで、課税官が暖炉の数を確認するために家の中へ立ち入る必要があり、プライバシー侵害として国民の強い反発を招きました。これが「最も嫌われた税」と呼ばれる理由で、最終的に1689年に廃止されました。

・さらに、建築用レンガに課税する「レンガ税」(1784~1850)も存在し、税負担を減らすためにレンガを巨大化させる工夫が行われました。その結果、18~19世紀の建物には異様に大きなレンガが使われている例が残っています。

7 シティ・オブ・ロンドンについて

・ロンドンはニューヨークに次ぐ国際金融センターであり、その中心で行政区かつ金融ギルドでもあるシティ・オブ・ロンドン(シティ)について説明します。シティ・オブ・ロンドンは、ロンドン(広域行政区域であるグレーター・ロンドン)の中心部に位置する特別な自治区域で、約1マイル四方(1マイルは約1.6km)の面積から「スクエア・マイル」とも呼ばれます。このシティは、ロンドンの名前の由来にもなった、ローマ時代の都市ロンディニウムが起源です。

・行政はCity of London Corporationが担い、ロンドン市長(Lord Mayor)が統治します。人口は約1万弱である一方、金融機関が集中し約30万以上の人々が働く世界有数の金融・会計・法律分野の中心地です。ロンドン証券取引所、イングランド銀行、世界有数の保険市場であるロイズなどが集まっています。なお、日本の金融機関は英国で約1万2千名程度の雇用を行っており、一定の存在感を持っています。

・現在のロンドン市長はスーザン・ラングレー氏(女性)であり、レディ・メイヤーと呼ばれます。ロンドン市長は金融都市シティを代表する特命大使であり、国内外でのシティのプレゼンス強化を行います。給与・経費はゼロであり、任期は1年で毎年交代し、現在697代目となっています。

・中世以来、シティの金融街は王室に莫大な資金を貸し付けて戦争遂行など国家財政を支えてきました。その見返りとしてシティは独自の自治を与えられてきました。今でも国王が公式にシティを訪れる際には、伝統的にロンドン市長がシティの門を開くなど、その歴史が垣間見られます。

8 その他ロンドンで生活していて気づくことなど

(1)ロンドンの決済方法と英国コインの伝統について

・ロンドンでは、日常生活のほぼすべての場面でキャッシュレス決済が主流となっています。スーパー、レストラン、カフェ、バス、地下鉄に至るまで、クレジットカードやデビットカード、スマートフォン決済が一般的に使われています。特にロンドン交通局(TfL)は早くから非接触決済を導入しており、地下鉄やバスではカードやスマホを改札にタップするだけで乗車できます。現金を使う場面はほとんどなく、観光客でもカードさえあれば問題なく生活できます。僕が現金を使うのは、子供の小学校(地元の公立小学校)でたまに寄付のために子供に数ポンドを持たせるときだけです。

・ロンドンでは、現金を扱わない店舗も増えています。治安面の理由や、レジ処理の効率化、従業員の負担軽減などが背景にあり、「Card Only」と掲示する店が珍しくありません。特に若い世代はほぼ現金を持ち歩かず、財布ではなくスマホだけで外出することも一般的です。

・一方で、英国の硬貨にはユニークな伝統があります。英国のコインに刻まれる国王(または女王)の横顔は、代々向きが反対になるという慣習です。これは17世紀のチャールズ2世の時代から続く伝統で、王の肖像を左右交互にすることで「新しい時代の到来」を象徴するとされています。例えば、エリザベス2世は右向きでしたが、現在のチャールズ3世のコインは左向きになっています。

・この伝統は法律で定められているわけではなく、英国造幣局(Royal Mint)が歴史的慣習として守っているものです。王の向きが変わることで、英国民は「新しい君主の時代が始まった」と実感することができ、コインが歴史の節目を象徴する役割を果たしています。なお、イングランド銀行が発行する紙幣は肖像の向きが固定されています。

コラム5 保険市場ロイズ(Lloyd's of London)について

・ロンドンのシティにあるロイズ(Lloyd's of London)は、世界最大級の保険市場であり、海上保険や特殊リスク保険の分野で中心的な役割を果たしています。ロイズは一般的な保険会社ではなく、複数の保険引受組織(シンジケート)が集まる「市場」であり、世界中のブローカーが複雑なリスクを持ち込み、シンジケートがそれを分担して引き受ける仕組みとなっています。

・ロイズの起源は1688年頃、ロンドンの「エドワード・ロイドのコーヒーハウス」にあります。船主や商人が航海情報を交換する場として発展し、やがて「どの船のリスクを誰が引き受けるか」を決める海上保険の中心地となりました。ロイド氏自身は保険業者ではなく、情報交換の場を提供した店主であった点が特徴です。

・ロイズの保険引受は長く「ネーム(Names)」と呼ばれる個人出資者が担ってきました。ネームは無限責任でリスクを負う仕組みであり、高い利益を得られる一方、巨大災害が起きれば莫大な損失を被る可能性がありました。20世紀後半のアスベスト訴訟などを経て、現在は法人中心の有限責任へ移行しています。

・ロイズには独特の伝統が多くあります。重大な海難事故が起きた際に鳴らされる「ルーティン・ベル」や、著名人の身体の一部(俳優の顔やサッカー選手の足)に対する保険を引き受ける慣習などが知られています。また、ロイズの建物はリチャード・ロジャース設計の建築で、配管やエレベーターを外側に配置した特徴的な構造です。

・ロイズは海上保険、航空保険、自然災害、テロ、サイバー攻撃、宇宙産業など、通常の保険会社では扱いにくい複雑なリスクを引き受けていて、300年以上にわたり、国際経済を支える「リスクの最後の砦」として重要な役割を果たしています。

写真9 ロイズの建物

写真9 ロイズの建物

コラム6 高橋是清らの戦費調達について

・1904~1905年の日露戦争で日本が深刻な資金不足に陥った際、当時日本銀行副総裁だった高橋是清らが英国の金融街シティに渡り、巨額の外債発行を成し遂げました。日本は開戦直後から戦費が不足し、武器や軍艦の購入には英国ポンドが不可欠でしたが、国内資金だけではまかなえず、海外での資金調達が必須となりました。しかし英国政府は、財政支援は軍事同盟である日英同盟の範囲を超えることなどを理由に日本への保証を拒否し、ロンドンの投資家も日本の返済可能性に疑念を抱いていたため、外債発行は困難な状況でした。

・こうした状況で高橋是清は、日本の財政状況や関税収入を担保にした返済計画等を丁寧に投資家に説明しました。当時ロシアの国力が日本の数倍であることから市場は慎重でしたが、高橋是清は香港上海銀行やロンドンの銀行家たちと粘り強く交渉を重ね、さらに1905年にはニューヨークの金融家ジェイコブ・シフがロシアの反ユダヤ政策への反発から日本支援を表明したことで状況は大きく転換しました。シフの支援はロンドン市場の信用を高め、日本は最終的に約13億円(戦費約20億円の半分以上)を海外で調達することに成功し、戦争継続の体制を整えることができました。

写真10 高橋是清

写真10 高橋是清

(2)ロンドンの気候について

・ロンドンは北緯50度に位置し、北海道稚内市よりも北にありますが、大西洋の暖流の影響もあり、冬の寒さは肌感覚として東京とあまり変わらない印象です(年に1~2回程度雪が降る)。夏は例年、最高気温が20~30度程度であり比較的過ごしやすいですが、2026年はヨーロッパが猛暑に見舞われ、ロンドンも8月には38度に迫るなど厳しい夏となりました。ロンドンの伝統的な家や学校・地下鉄・バスにはクーラーがなく、扇風機で暑さをしのいでいます。

・なお、2026年6月は観測史上2番目に暑い6月でした。経済への影響としては、小売業者やレジャー業者にとっては追い風となる一方で、建設業や、熱波のため休校にもなった学校教育分野ではマイナス要因となりました。

(3)英国の移民事情について

・イングランド及びウェールズで生まれた赤ちゃんの名前ランキングの男子1位は、2年連続で「Muhammad」(ムハンマド)君となっており、イスラム教徒の移民2世・3世の増加が浮き彫りになっています。

・僕はロンドン西部のアクトンという、日本人学校や日本人向け病院のある地域で暮らしています。ロンドンの中でも日本人が多い地域ではありますが、同時に世界各国出身のイスラム教徒の方々も多い地域です。子どもは地元の公立小学校に通っていますが、多くの生徒はイスラム教徒であり、学校の給食も100%ハラル対応となっています。

・2025年9月にはロンドン中心部で15万人を超える反移民デモが行われ、カウンター・デモに約5,000人が集まり、双方を引き離すために出動した警官が26名負傷しました。この事態を受け、当時のスターマー首相は「英国国旗は多様の象徴であり、英国国旗を暴力と分断のシンボルにしようとしている勢力に決して明け渡さない」と宣言しています。

(4)英国のアルコール事情について

・英国では現在、若者の飲酒離れが進み、伝統的なパブ文化が大きく変化していす。若者世代を中心に健康志向の高まりやメンタルヘルスへの配慮、さらに物価高が飲酒を控える理由になっています。その結果、パブの経営は厳しくなり、家賃や人件費の上昇も重なって、1日平均1件以上のパブが閉店する状況が続いています。

・一方で、英国の酒類市場が一律に縮小しているわけではなく、クラフトビールなど質を楽しむ消費は根強く残っています。日本酒は高級レストランを中心に人気が高まり、英国の食文化の多様化とともに存在感を増しています。日本のウイスキーが、プレミアムウイスキーとして高級店で販売されているのをよく見かけます。また、日本の冷えたビールも最近はスーパーやパブで広く流通しています。

・なお、英国では健康志向も相まって、日本食レストランは増加していて(ロンドンで約900店舗程、英国全土で約1800軒程度)、最近は抹茶やおにぎりもブームとなっています。

(5)英国を構成する4つの国(Countries within a country)について

・英国で生活しているとフットボールやラグビーの応援では「イギリス」というチームがでてきません。僕の子供は2026年ワールドカップでは日本代表やイングランド代表を応援していました。また遊びで使うラグビーボールはウェールズのチームのものを使用しています。僕が普段よく食べるビスケットにはスコットランドの国旗がついています。英国で生活すると「イギリス」だけでなく、それを構成しているイングランド・ウェールズ・スコットランド・北アイルランドを意識することが多く、この寄稿の最後に、その成り立ちについて歴史を説明します。

・現在の英国の地域には古代からケルト人が住み、後にローマ帝国がイングランドとウェールズを支配しましたが、スコットランドやアイルランドにはローマの勢力が及ばず、それぞれ独自の王国と文化を発展させていきました。ローマ撤退後、イングランドではアングロ・サクソン系の複数王国が台頭し、スコットランドではゲール系とピクト系の王国が統合されてスコットランド王国が成立しました。ウェールズやアイルランドでも複数のケルト系王国が存在し、現在の英国地域は長く多様な政治体が並立する状態が続いていました。

・13世紀にはイングランド王エドワード1世がウェールズを征服し、ウェールズはイングランドの支配下に置かれました。これによりイングランドは島内で最も強い勢力となりました。このときエドワード1世は、反発するウェールズの人々をなだめるため、「ウェールズ生まれで、英語をまったく話さない者を次のプリンス(君主)にする」と約束し、現地の城で生まれたばかりの自分の息子(のちのエドワード2世)を連れてきて「この子こそが新しいプリンス・オブ・ウェールズだ」と宣言しました。これが由来となり、現代でも「次期英国王(皇太子)」にこの称号が与えられる伝統が続いています(現在はチャールズ3世の長男ウィリアム王子がプリンス・オブ・ウェールズの称号を保有)。その後、ウェールズはイングランドの法律や仕組みに統合されていきましたが、独自の言葉や文化は今も大切に守られています。

・1603年にはイングランド女王エリザベス1世が後継者を残さずに死去し、スコットランド王ジェームズ6世がイングランド王位を継承して両国の王を兼ねる同君連合が成立しました。両国は依然として別々の議会と法律を持っていましたが、王を共有することで統合への基盤が築かれました。1707年にはスコットランドの財政危機を背景にイングランドとの交渉が進み、「連合法」により両国は正式に統合され、単一国家であるグレートブリテン王国が誕生しました。これが現在の英国の中心的な枠組みとなっています。

・18世紀末のアイルランドでの反乱を制圧する形で、1801年にアイルランドを加えた「連合王国」が成立しました。イングランド・スコットランド・ウェールズ・アイルランドが一体となり、英国はグレートブリテン島とアイルランド島全体を包括する国家となりました。

・しかし第一次世界大戦後、アイルランド独立運動が激化し、1921年の英愛条約によりアイルランドの大部分が独立しました。北部の6州は宗教的・政治的理由から英国残留を選び、北アイルランドとして英国の構成国に残りました。こうして、イングランド・スコットランド・ウェールズ・北アイルランドの4つが構成国となる現在の英国が成立しました。各国は独自の文化や制度を保ちながら、外交・防衛などは英国政府が一体で運営する「連合王国」として存在しています。

写真11 英国地図

写真11 英国地図

写真12 5つの国旗

写真12 5つの国旗