
先日、恩師の利根川進博士が亡くなった。利根川先生は「抗体産生の分子メカニズム」を解明しノーベル生理学・医学賞を受賞した後、「記憶・学習の脳神経メカニズム」の研究へと転じた。私は2013年から5年間、MIT(マサチューセッツ工科大学)の利根川ラボで人為的な記憶操作の研究に取り組んだ。利根川先生は「サイエンスおばけ」のような方で、土日昼夜を問わず全身全霊で研究に没頭し、80歳を超えてなお、2つ目のノーベル賞を狙うかのような速度で走り続けていた。あれほど純真にサイエンスを愛し、好奇心に満ちて童心を忘れない研究者を私は他に知らない。ヒトをここまで強く突き動かす「好奇心」とは一体何なのか。
かつて研究者という人種は朴訥とし、好奇心の赴くままに生きる、ムーミン谷の「ヘムレンさん」のような存在だった。虫眼鏡を片手に一人で谷を歩き、誰に頼まれたわけでもなく珍しい植物や虫を探す。しかし現代では、一本の論文で要求されるデータ量も証明の精緻さも格段に増したため、高額研究機器を整備し、プロジェクトチームを率いる必要が生まれた。それに伴い、Principal investigator(PI)と呼ばれるラボの主宰研究者は、研究に加え、資金調達、人事、組織運営、広報までを一手に担う中小企業の社長のような能力が求められるようになった。天才と変人の境界にいる浮世離れした人間達に、バランス感覚を要する企業経営を任せるのだから、無理が生じるのも当然である。
かく言う私も、大学生の頃、恋に色めき立って『anan』などを熟読する同級生たちを尻目に、「これからは恋の分子生物学の時代だ!惚れ薬を作る!」という突拍子もない願いと溢れる好奇心を胸に走り続け、いつの間にかこんなところまで来てしまった。記憶操作技術を駆使して、特定の相手に対する好きや嫌いの感情を、人為的に作ることにも消すことに成功し、見事マッドサイエンティスト街道を快走中である。そしてPIとなった現在、自分の「好奇心」を守る闘いに直面している。
昨今、日本の研究力低下が語られる。日本の代名詞だった「高い科学力」も、圧倒的な研究投資を続ける中国の前で存在感を失いつつある。文部科学省の『科学技術指標2026』によると、2024年の中国の研究開発費は総額でとうとう米国を上回り世界首位となった。日本の研究現場にいて強く感じるのは、人は資金に追われ、仕事に忙殺されると、好奇心を育てる余白を失うという事実である。研究者はしばしば「好きなことをして生きられる仕事」と言われるが、実際には「好きなことを続けるために、好きではないことを驚くほど大量にやらなければならない仕事」でもある。研究費の申請書を書き、人を雇い、報告書を書き、会議に出て、評価を受け、予算を管理し、また次の申請書を書く。油断すると、「好奇心から研究する」のではなく「研究を続けるために研究する」という倒錯ループに陥りうる。
以前、利根川先生に「研究をうまくやるコツは何ですか」と尋ねたら、ニヤッと笑って「若いうちにノーベル賞を取ることだよ」と教えてくれた。ノーベル賞受賞者の小粋なジョークだが、実に言い得て妙である。受賞後には研究費獲得の心配も減り、そのぶん純粋に好奇心の赴くまま最先端研究を追求できるのであろう。この先摩耗と闘いながら、好奇心は果たして私をどこまで連れて行ってくれるのだろうか。利根川先生の好奇心に溢れたキラキラした目が忘れられない。

