本誌2023年3月号で、著者の「よくわかる沖縄の歴史」の2冊目にあたる『琉球近世の社会のかたち』を紹介したが、その後も『琉球王国から沖縄県へ』(2023年11月)、『沖縄の昭和戦前期』(2025年5月)が発行されてきた。このシリーズは、高校生にも分かる形で、かつ、いわゆる通史の形式をとらず、時代の展開とともに論点を選んで配列している。
『琉球王国から沖縄県へ』は、日本本土は「近代」に向かう中、『「琉球処分」により「沖縄県」となった/されたものの、そのときの内政の改革は留保された』時期を描いた。この著作における著者の「琉球処分」再評価論には瞠目させられる。そして最終章では、経済的・社会的に統合されることになった「沖縄県土地整理事業」(1899~1903年)を取り上げる。続く『沖縄の昭和戦前期』では、「土地整理事業」以後の沖縄社会から、著者ご自身やその父上の体験も踏まえた戦時下の疎開までを描いている。
本書の著者の来間泰男氏は、1941年那覇市生まれ。戦時中九州へ疎開ののち、沖縄に戻り、那覇高校、宇都宮大学農学部、琉球政府(経済局協同組合課)、同大学院農学研究科(農業経済学専攻)を経て、現在の沖縄国際大学に1970年から2010年まで務めた。現在は名誉教授。この「よくわかる沖縄の歴史」シリーズ、その元になった「沖縄史を読み解く」(全5巻9冊)を合わせて、本年2月に「沖縄タイムス出版文化賞」の「特別表彰」を受けた。
来間氏は、先行する「(沖縄の歴史)学者たち」に「異論」を唱え、また、「経済を踏まえない歴史はだめですよ」と言い続けている(参照:『琉球王国から沖縄県へ』の「おわりに」)。たしかに、沖縄の歴史については、政治史・社会史は豊富にあるが、専門の研究者はともかく、一般のものが中立的にその経済について知りたいときに信頼して参照できるものは少ないように思う。
本書の帯には「日本は、無謀な戦争に突き進んだあげく、敗戦。沖縄戦による荒廃から人々はどう生きたのか。アメリカは「沖縄県」から「琉球」へと名前を変えて、軍事支配を展開した。その様相と住民生活をえがく。」とあり、「そして、日本政府はどう関わっていたか。」とゴチックで書かれている。
構成は、はじめに、第1話 第二次世界大戦と日本、第2話 沖縄戦とその直後(一九四五~四六年)、第3話 元の居住地への帰還と統制経済(一九四六~四八年)、第4話 サンフランシスコ講話と沖縄(一九四八~五二年)、第5話 新しい経済の枠組み(一九四八~五二年)、第6話 「島ぐるみの土地闘争」(一九五二~五九年)、第7話 基地建設と「基地経済」(一九五三~五七年)、第8話 経済政策の転換(一九五八~六四年)、第9話 砂糖とパイン缶詰の製造業(一九四五~七二年)、第10話 製造業全般(一九四五~七二年)、おわりに、である。特に目についた重要な指摘をいくつか紹介したい。
第2話で、「いわゆる『ゼロからの出発』という表現は、戦争被害の大きさを強調するための文学的修辞としてはともかく、歴史的現実を正しく伝えるものではない」との指摘にははっとさせられる。
戦後の沖縄県民の生活は「アメリカ軍のキャンプ」(一時的に設定されたとの意味)で始まったとし、そこでの体験談を紹介するなどして、キャンプでの県民の生活を描く。経済基盤が破壊された沖縄本島とその周辺の島々で1年貨幣経済が法的(ニミッツ布告)にも実態的にも止まったが、戦災の少なかった奄美大島、宮古、八重山、久米島においては貨幣経済がそのまま持続されたということもわかる。沖縄の歴史で米軍の強圧を象徴する言葉「猫と鼠」についても冷静な解釈を示す。
1953年制定の「土地収用令」による土地の強制収用は「第二次土地接収」であり、米軍が戦闘の中で本島全土をほぼ占領した際の「第一次土地接収」で、在沖アメリカ軍基地の大半が確保されたと指摘し、「在沖アメリカ軍基地は、銃剣とブルドーザーによって接収されたものである」というのは一面的すぎるとする。
第6話では、島ぐるみの土地闘争で、本来の地代(経済的地代)が6%程度であるところ、軍用地料は36%として算出されたとする。著者の過去からの一貫した主張であるが、いまも「社会をむしばんでいる」と論じる。最後の第10話での「ザル経済」論への批判も手厳しい。
沖縄・日本復帰への途
よくわかる沖縄の歴史
日本経済評論社 2026年4月 定価 本体2,400円+税

来間 泰男 著
来間泰男氏の「よくわかる沖縄の歴史」シリーズの最新刊(現時点)が本書である。
「はじめに」にあるように「本書の取り扱う範囲は、アメリカ軍占領支配下の時代とその中で日本復帰に突き進んでいく時代である」。アメリカ軍占領下の時代は、本誌別頁で紹介した『沖縄県から琉球へ』で重点的に取り上げており、本書はその後半に重点が置かれる。
構成は、はじめに、第1話 那覇市の復興過程(一九四四~五七年)、第2話 瀬長亀次郎、那覇市長になる(一九五六年)、第3話 日本復帰運動と大衆運動(一九四五~六七年)、第4話 アメリカ軍関係の事件・事故(一九五五~七〇年)、第5話 「軍事基地の島・沖縄」あれこれ、第6話 人口の動きからみた社会の変化(一九六〇~八〇年)、第7話 日本復帰をめぐるアメリカ(一九五八~六三年)、第8話 佐藤首相の沖縄訪問(一九六五年)、第9話 近づく復帰、高揚する復帰運動(一九六八~七二年)、第10話 一体化政策と「建議書(一九六七~七二年)、おわりに、である。特に目についた重要な指摘をいくつか紹介したい。
第1章で、前著でも指摘されているところであるが、「戦争が終わって、いったんは沖縄の全域を直接支配していたアメリカ軍は、一九四五(昭和二〇)年一〇月から、住民のキャンプでの収容を解き、旧居住地への帰還を段階的に認めている。「軍事基地として必要な所は確保したうえで」である。那覇市と首里市は全域がいわば「軍用地」であったとする。当初、これらの住民は、糸満市に移ることになったのだ。その後、四六年一月に糸満市壺屋区として帰還が許され、四月に那覇市に昇格した。周辺との合併において、真和志市との合併が難航したことなど興味深い。
第2話は、反米・日本復帰を主張する沖縄人民党の瀬長市長についての叙述である。著者は、市長当選について、当時の新聞は冷淡であったと指摘。当時のムーア高等弁務官が瀬長市長を強権発動して退任させたことについて、国際政治学の故宮里政玄琉球大学名誉教授の著作などを引いて、沖縄の指導者の要請があったとの解釈を紹介する。新聞論調もこの強権を容認していた。著者は、「しかし、長い目で見れば、そのことが人民党や革新勢力に打撃を与えたのではなく、逆にその勢いに火をつけた」とみる。
第3話で叙述される、初の立法院選挙での当選者に要請された「アメリカ軍への宣誓」を瀬長議員がただ1人拒否した事件につながっている。
第4話では、コザ反米騒動については、著者がちょうど一九七〇年四月から現在の沖縄国際大学にあたる「国際大学」で勤務を始めたところで、臨場感あふれる記述になっている。
第6話で人口について分析を行う。一九四〇年の人口が五七万人、戦争で一二万人も失われたものの、海外からの引き揚げとベビーブームによってすぐ回復し、一九五〇年には七〇万人となった。産業別の人口を概観し、第一次産業人口の減少と、第三次産業人口のみならず、戦前に比して第二次産業人口も顕著に増加したとする。ただし、前著での「沖縄で製造業が成立するのは、原材料が地元で調達でき、製品が地元で消費されるもの/場合にほぼ限られる。そのことを自覚し、そこそこに展開できることに禁欲せねばならない」という指摘を踏まえなければならないだろう。
第10話では、琉球政府の2つの行動、すなわち、日本政府との間の通常の「一体化」政策の決定、もう1つは、それとは異なって、内外の革新勢力の意向を汲んだ、進められている沖縄の日本復帰路線に対する反対の意思表明である「建議書」について述べる。屋良主席は、前文を中心に、自らの語り口で文言を修正して書き上げたという。著者はこの建議書作成チームのメンバーであった。それまでの日本政府と琉球政府の間で協議され合意されたことについての、いわば「下からの/外からの異議申し立て」(青年将校のクーデター)だったと回想する。
「おわりに」で、前著第3話で取り上げた「戦果アギヤー」が、暴力団の結成に関わっていたとの警察官OBの指摘を踏まえ、戦果や戦果アギヤーを語る時に、ただユーモラスに扱うことは慎むべきという峻厳な態度を取ると表明している。
著者はこのシリーズの最後の1冊として、“日本復帰後の沖縄県”と、“これからの沖縄”を書くという。発刊が待ち遠しい。


