現代のアメリカでは、専門知やそれに基づく診断・処置が民主主義社会のなかで受け入れられにくくなっている。例えば、異常気象の原因が気候変動にあることは専門家のなかでコンセンサスが構築されてきているが、トランプ大統領は2017年6月に気候変動の国際条約であるパリ協定から離脱を宣言した。また、中央銀行に独立性を付与することや公務員に身分を保障することは、政治的な動向に左右されずに専門的な知見を政策に取り入れるための制度設計だったが、トランプ政権は公務員の自由な任用を拡大し、中央銀行にも介入を強めている。コロナ期にその対策を主導した国立アレルギー・感染症研究所のアンソニー・ファウチ博士は批判にさらされ、2024年には連邦下院の公聴会において追及を受けた。
このような分断や反知性主義は、アメリカだけでなく世界的に進んでいる。イギリスは2020年にEUから正式に離脱(Brexit)したが、専門家によるBrexitへの警告は顧みられなかった。最近でも、2026年5月の地方選挙においてReform UKが議席を伸ばし、労働党スターマー首相の辞任につながった。フランスでは2018年に黄ベスト運動が生まれた。これは直接的には燃料税引き上げへの反対運動だったが、都市のエリート政治への反発が底流にあった。ドイツでも、コロナ対策や難民受け入れを契機に、ドイツのための選択肢(AfD)が躍進を遂げている。
本書は、公共経済学や行動経済学、政治哲学を専門とし、第2次トランプ政権誕生の直前までワシントンD.C.に滞在した著者が、分断と反知性主義が進むアメリカでの経験を出発点としながら、その来歴や原因、生じている問題、そして処方箋までを、経済学、政治学、哲学、歴史など幅広い社会科学の知見を総動員しながら論じた骨太な1冊である。
本書の概要は以下のとおりである。まず第1章では、分断と反知性主義はアメリカにおける新しい現象ではなく、歴史的に根強く存在したものであることを明らかにしている。例えば、1828年に国民の高い人気を受けて誕生したアンドリュー・ジャクソン大統領は、政治や経済を人民の手に取り戻すことを目指し、エリート主義を否定した。そしてこの章では、「分かりやすさ均衡」という概念を導入することで、反知性主義が生まれるメカニズムの解明を試みている。社会現象は複雑に絡み合っているが、人間はそうした複雑な現象を理解することが苦手であり、目の前の現象を単純化して分かりやすく理解する傾向がどうしてもある。そして分かりやすい話の方が受け入れられやすいため、メディア等も分かりやすいストーリーに流れがちである。その結果、分かりやすい話ばかりが蔓延することになるが、筆者はこうした現象を「分かりやすさ均衡」と呼んでいる。2002年にノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンは、人間の思考には、速く・自動的で・直感的なシステム1と、遅く・意識的で・分析的なシステム2に分かれており、通常はシステム1が作動するが、システム1には系統的なバイアス(クセ)があるため、間違えやすいパターンがあると指摘している。人間が分かりやすさを求めるのは、システム1が作用しているためともいえるだろう。そして、筆者は反知性主義を単なる無知として退けるのではなく、専門家を信頼できなくなる社会的・政治的構造が存在しているからだとしている。
第2章および第3章はケーススタディである。第2章では、コロナ期の公衆衛生対策や経済財政政策を取り上げている。アメリカには、高い医療能力とパンデミックに対する備えがあったにもかかわらず、コロナによって大きな人的被害が出た。また経済財政政策においては、連邦議会予算局が経済財政政策の問題点の「診断」のみに終始した結果、政策決定に影響を及ぼせなかった実態が描かれている。第3章では格差を取り上げられている。アメリカでは近年格差が拡大しているが、筆者はそれだけに注目するのではなく、アメリカ社会において、自己責任論や能力主義といった形で格差が正当化される状況を分析している。
第4章では、相互容認や共通の事実認識といった民主主義の「共有地」が侵食される状況を分析している。民主主義が機能するためには、選挙で負けた側が結果を受け入れる、相手を正当な競争相手として認める、最低限の事実認識を共有するといった、「共有地」が不可欠である。筆者は、共有地を再構築するための熟議と連帯の役割を論じている。第5章では、気候変動、AI、感染症といった人類規模の危機を扱っている。これらは、相互依存や多様なメカニズムを経由して社会全体に影響を与え、原因と結果が空間的・時間的に離れているタイプの問題である。そのため、目の前の現象を単純化して考えがちな人間が苦手な問題であり、反知性主義の下での「分かりやすさ均衡」のデメリットが顕在化する領域である。第6章では日本への射程を論じている。日本ではアメリカのような反知性主義は広まっていない。しかしながら筆者は、日本ではむしろ争点が構造化されず、選択肢が提示されないまま意思決定が行われており、その結果、判断の焦点がぼやけ責任の所在が曖昧になる「無知性主義」だとしている。
以上が本書の概要だが、本書のサブタイトルは「知性の敗北と再建の政治経済学」であり、知性の再建策も検討している。本書で分析している反知性主義のメカニズムを踏まえると、単に知識を普及するだけでは不十分である。筆者は「知の公共回路」を設計することが必要だとしている。知の公共回路とは、診断(問題の構造とトレードオフを明らかにする)→翻訳(専門知を公共の言葉に置き換える)→比較(代替案の費用と利益を示す)→選択(政治・市民が選択する)→検証(政策の結果を追跡する)→学習(結果を次の制度設計に活かす)というサイクルを民主政治のなかに組み込む回路だとしている。そのために必要なことを3つ提言している。第一は、診断と処置を分離することである。専門家による診断と処置が一体化すると異論が政治化されて専門家に対する信頼が低下するが、専門家が診断のみに徹すると現実の意思決定を動かす力にならない。第二は、専門家が前提と不確実性を可視化することである。専門家はトレードオフを示すことに徹し、選択は政治に委ねる。第三は、異論と事後検証を制度的内部に組み込むことである。
このように本書は、アメリカにおける分断と反知性主義を題材とし、幅広い社会科学の知見を総動員しながら、その原因から処方箋までを論じた1冊である。読み進むにつれて、その射程の広さと深さを感じさせるものになっている。もちろん、本書の知見を現実に応用しようとすると、考えなければならない課題も残されている。例えば第一に、専門家による診断と処置を分離するとして、具体的にどういった機関がそうした機能を担うべきか。日本でもアメリカの議会予算局のような独立財政機関の設置が長年議論されているが、日本のなかにそうした機能をどう埋め込むべきか、考慮すべき点は多い。第二に、専門家によるトレードオフの可視化が重要だとしても、トレードオフの可視化自体に価値判断が入り込む余地がある。トレードオフの計算には機会費用の考え方を理解する必要があるが、機会費用は得てして見えにくい。例えば関税を引き上げると、少なくともその一部は国内の消費者に転嫁される。しかし分かりやすさが重視される世界では、「関税は全て国外企業が負担している」という主張が勝ってしまうことはないか。そうした主張が分かりやすければ、「分かりやすさ均衡」の隘路に再びはまってしまう恐れはないか。第三は、異論・事後検証と行政の無謬性の関係性である。日本は失敗に対して不寛容な傾向があるため、政治や行政も失敗をしない決断をしがちであり、失敗したとしてもそれを認めることは簡単ではない。異論と事後検証が大事だとしても、それが過剰な批判への曝露につながってしまうのであれば、民主主義社会にその機能を埋め込むことは簡単ではないだろう。これらの点は今後、それぞれの現場で検討すべき論点だろう。
筆者も指摘するように、日本ではアメリカのような分断や反知性主義は蔓延していない。しかしながら、国際秩序が不安定化し、社会課題が複雑化し、人口減少などの長期的な課題に対応しなければならない日本にとって、専門知をどのように民主主義のなかに取り入れていくかは大きな課題である。本書はそのための見取り図を提供してくれるものであり、今後の制度設計の指針を提供するものだといえる。多くの方が手に取ってくれることを期待したい。


