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英国
~歴史と伝統が未来と出会う国 在英国日本国大使館一等書記官 男澤  直孝*1
 
1. はじめに
2021年の夏に在英国日本国大使館財務班に着任してから1年と5か月が経ちました。英国は長い歴史を持つ島国であり、王室が存続する民主主義国家であり、G7を構成する先進国であるなど、日本と似通っている部分も多い一方、伝統を大事にしながらも常に時代の流れを見極め、リスクを取って新たな未来を切り開いていく姿勢は見習うべき所があります。本稿では、英国とはどのような国なのかについてご紹介しつつ、あまり広く知られていない大使館財務アタッシェとしての仕事についても一部ご紹介したいと思います。
 
2. 英国とは?
英国は、西ヨーロッパに位置する面積24.3万平方km2(日本の約3分の2)、人口6,708万人(日本の2分の1強)の島国です。かつて大英帝国として世界の超大国であった英国は、現在のGDPでは米国、中国、日本、ドイツ、インドに次ぐ世界6番目となっています。
約900万の人口を擁する首都ロンドンは、アングロ・サクソン人だけでなく、大陸ヨーロッパやアフリカ、アジアなど様々なルーツを持つ人々が生活する国際都市であり、地下鉄に乗っていると周りの誰も英語を話していないということも珍しくありません。データでは、ロンドンの人口に占める白人英国人の割合は既に50%を下回っているそうです*2。また、ロンドンは世界有数の金融センターでもあり、EU離脱後も依然としてその地位を維持し、現在でも数多くの金融機関が欧州最大の拠点をロンドンに構えています*3。
ロンドンと言えば、ビックベン(国会議事堂)をイメージする方もいると思います。他にもウェストミンスター寺院、セントポール大聖堂、トラファルガー広場、大英博物館、ロンドン塔など多くの名所が存在し、「007」や「ハリー・ポッター」、「シャーロック・ホームズ」、「ノッティングヒルの恋人」をはじめ、多くの映画やドラマの舞台にもなっています。街中に多くの公園があり、ガーデニングの本場でもあるため、普通に公園を歩いたりジョギングしたりするだけでも、多くの美しい自然と風景に出会うことができます。
英国は北緯50度より北に位置し、これは北海道稚内市よりも北になりますが、夏は最高気温が20~25℃程度と比較的過ごしやすい一方、冬の気温は東京とそれほど変わらず、雪もあまり降りません。他方、日の長さが日本と比べて夏はかなり長く、冬はかなり短くなります。夏至の頃は朝4時半頃から夜10時頃まで明るく、夕食の時間でもまだ真っ昼間のような感覚ですが、逆に冬至の頃は朝8時頃から夕方4時頃までしか太陽がなく、仕事が早く終わった日でも既に何時間もの残業をしているような気分になります。
「イギリスは天気が悪い」というイメージがあるかもしれません。確かに、冬を中心にどんよりとした天気が続くため、英国人にとって太陽は貴重な存在であり、日の長い夏にできる限り太陽を浴びようと、公園で日光浴をしている人を多く見かけます。ただ、雨が降っても土砂降りは少なくにわか雨が多いため*4、年間降水量で言えばロンドンは東京よりも少ないそうです。
「イギリスはご飯が美味しくない」というイメージもあるかもしれません。昔はそう言われていたかもしれませんが、上記のとおり国際都市であるロンドンでは今日、日本食も含めて世界の様々な美味しい料理に出会うことができます。英国料理を取ってみても、パブでエールビールと共にいただくフィッシュ&チップス*5などは格別の味わいですので、是非実際にトライしてみてください。
ロンドンでの生活で一つ苦労を挙げるとすれば、水道水の問題があります。石灰質(ライムスケール)を豊富に含む硬水であるため、水を放置していると浴室や台所といった水回りやケトルの中などはすぐに真っ白になります。洗濯時もしっかり対策を取らないと、白いシャツなどはみるみる灰色になっていきますので注意が必要です。
英語はイギリス(イングランド)で生まれた言語ですが、17世紀以降に伝わって現在アメリカで話されている英語とは綴り、発音、単語、言い回しといった様々な点で違いが生じています。日本人が主に学校で勉強するのはアメリカ英語とされているので、両者の違いを意識して読んだり聞いたりしていると興味深いこともあります。本稿で詳細にはご紹介しませんが、個人的に興味深かったのは英国における敬称の多さです。MrやMsは馴染みがあると思いますが、国王に対するMajestyのほか、公爵(Duke)に対するGrace、侯爵・伯爵・子爵・男爵(それぞれMarquess、Earl、Viscount、Baron)に対するLord、伯爵以下の貴族や閣僚に対するThe Right Honourable、準男爵(Baronet)・ナイト(Knight)に対するSirといった、貴族制度が残る英国ならではの敬称が今でも使われており、状況に応じて正しい敬称を使用することが慣習上重要であると考えられています。
(写真1 テムズ川沿いに建つビックベン。時計塔は2017年から改修工事によりストップしていたが、2022年11月に5年ぶりの復活を遂げた。)
(写真2 フィッシュ&チップスは味が付いていない状態でサーブされ、塩胡椒で自由に味付けし、モルトビネガー(麦芽で作られる酢)をたっぷり掛けて食べるものとされている。)
 
コラム1
当地における情報収集
大使館で働く外交官として重要な外交活動の一つは、当地における情報収集です。財務班では、財政・税制・金融・マクロ経済といった分野がメインとなります。もちろん、英国政府による公式発表や当地メディアの情報も重要ですが、公開情報では必ずしも明らかとならない内容について政府関係者とコミュニケーションを取ったり、発表された政策のインプリケーションについて金融機関やエコノミスト等の有識者と意見交換したりして情報収集に当たります。その際には先方から日本について問われることも多く、日本の政策や考え方を客観的なデータと共にしっかり説明することも重要となります。
 
 
3. 4つの国の連合王国
日本人が英国又はイギリスと呼ぶこの国は、イングランド(首都ロンドン)、スコットランド(首都エディンバラ)、ウェールズ(首都カーディフ)及び北アイルランド(首都ベルファスト)の4つの国からなる連合王国*6であり、正式名称を「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国(United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland、UK)と言います。英国と言うと無意識にイングランドやロンドンをイメージしてしまいますが、実際には4つの国のうちの1つの国や首都ということになります。
4つの国というくらいなので、制度や文化の面で様々な違いがあります。英国政府を兼ねるイングランドの政府のほか、それぞれの地域に政府があり、首席大臣と議会が存在します*7。通貨としての価値は英ポンドと同一であるものの、スコットランドや北アイルランドでは独自の紙幣も発行しています。言語面でも、スコットランドではスコットランド・ゲール語、ウェールズではウェールズ語といった、ゲルマン系の英語とは系統の異なる言語が併せて使われています。税制面でも、例えば所得税率はイングランドほか2つの地域で3つであるのに対し、スコットランドでは5つ税率があるなどの違いが存在しています*8。
(写真3 英国旗であるユニオンジャックは、イングランドの旗である聖ジョージ旗(白地に赤十字)、スコットランドの旗である聖アンドリュー旗(青地に白い斜め十字)及びアイルランドの旗である聖パトリック旗(白地に赤い斜め十字)が組み合わさったもの。)
 
4. 英国王室
英国は立憲君主制をとり、元首は国王です。近代以降、多くの欧州諸国が君主制から共和制に移行する中、英国では1066年にノルマンディー公ウィリアムがイングランドを征服して開いたノルマン朝以降、王朝の変遷はありながらも王室が連綿と続いてきました。現在の王室は一般にウィンザー朝と呼ばれており、18世紀にドイツのハノーヴァー選帝侯が英国王ジョージ1世として開いたハノーヴァー朝に端を発しています。英国の国王は連合王国の元首であるだけでなく、15か国*9からなる英連邦王国の元首でもあります。また、英連邦は共和制を取る加盟国も含めれば56か国*10に及び、世界におけるこうした大きなつながりが、世界共通言語としての英語に加えて英国の強みとなっています。
1952年に25歳で即位したエリザベス2世女王は、2022年に在位70周年を迎え、同年6月にはPlatinum Jubileeと呼ばれる記念式典が盛大に開催されました。大半の英国民が女王以外の国王を知らずに暮らしてきた中、同年9月8日に女王が崩御したことで英国は深い悲しみに包まれました。女王が後述のトラス氏を9月6日に首相に任命した2日後の出来事でした。女王の崩御を受けてチャールズ皇太子がただちに国王に即位し、9月19日には各国元首が参列する中、ロンドンのウェストミンスター寺院で国葬が行われました。その後、女王の棺はウィンザー城に運ばれ、前年に亡くなった夫のフィリップ殿下のそばに埋葬されました。チャールズ3世新国王の戴冠式は、2023年5月6日にウェストミンスター寺院において行われる予定となっています。
(写真4 エリザベス2世女王の崩御を受け、多くの英国人が女王の宮殿であるバッキンガム宮殿を訪れ、花を手向けた。)
 
5. 政治情勢
議院内閣制を採用する英国では、下院(House of Commons、庶民院)と上院(House of Lords、貴族院)による二院制の下、下院の多数を占める政党から首相が選出され、内閣が組織されます。下院の選挙制度は小選挙区制のみであるため二大政党制となりやすく、第二次大戦後は保守党(Conservatives)と労働党(Labour)が政権を奪い合う形となっています。2010年から現在まで保守党が政権を握っており、労働党のほかに自由民主党(Liberal Democrats)、スコットランド民族党(SNP)、緑の党(Green Party)といった野党が存在します。下院議員の任期は5年間ですが、首相が下院を解散した上で総選挙に臨むこともあり、そうした点は日本の衆議院と似ていると言えます。他方、上院は議員が非公選の貴族により構成され、原則として終身任期かつ無報酬であるなど、日本の参議院とはかなり異なるシステムとなっています。
2010年の総選挙に勝利した保守党政権では、デービッド・キャメロン氏が首相となり、その任期は6年以上に及びましたが、2016年のEU離脱国民投票の結果、英国はEC時代も含めて50年近くにわたり加盟していた欧州連合からの離脱を選び、その直後にキャメロン氏は首相を辞任しました。後継となったテリーザ・メイ首相は、EU離脱の実現に当たりましたが離脱方針をまとめきれず、2019年7月にボリス・ジョンソン氏が後を継ぎました。ジョンソン首相は2020年1月末にEU離脱を実現し、その後は大規模なワクチン展開をはじめとしたコロナ対策の指揮に当たりました。しかし、コロナ・ロックダウン規制下の首相官邸パーティーへの参加で首相自身が罰金を科されるなど不祥事が相次ぎ、2022年7月には閣僚等の政務が続々と辞任したことを受け、ジョンソン首相自身も辞任を表明しました。
これを受けて実施された保守党党首選では、リズ・トラス氏とリシ・スナク氏の2人の候補が1か月強にわたって政策論争を繰り広げました。中でも経済・財政を巡って両者は激しくぶつかり、トラス氏が即座の減税実施による経済成長の実現を訴える一方、スナク氏は財政規律を重んじる立場に立ち、インフレ抑制まで減税実施を待つべきだと主張しました。党員投票の結果、9月6日に首相となったトラス氏は、エネルギー価格高騰への対応として6か月間で約600億ポンド(約10.8兆円*11)に及ぶ光熱費支援策を就任2日後に発表し、2.5%の成長目標を掲げて過去50年間で最大規模となる450億ポンド(約7.6兆円)の減税パッケージ*12を中心とする成長戦略を9月23日に発表しました。しかし、この成長戦略は財源の裏付けや中期的な財政見通しを伴うものではなく、金融引締めを進める中央銀行の金融政策との整合性も疑問視されたことから、英国債金利の高騰や英ポンドの急落といった金融市場の混乱をもたらしました。トラス首相は、成長戦略を公表したクワシ・クワーテン財務相を交代させるなどしましたが状況を打開できず、10月20日に辞任表明に追い込まれました。その結果、2022年7月まで約2年半にわたり財務相としてコロナ対応を指揮したインド系のスナク氏が、10月25日にアジア系初かつ近代最年少*13(42歳)の首相に就任しました。
 
コラム2
出張者の受入れ
日本からの出張者の受入れも大使館の重要な仕事の一つです。財務班としては、財務省や金融庁からの出張者対応が主となりますが、大使館総動員で大規模な対応に当たることもあります。私の着任以降は、COP 26への岸田総理出席(2021年11月)、岸田総理による欧州訪問(2022年5月)、そして天皇・皇后両陛下によるエリザベス2世女王国葬への御参列(2022年9月)と3回の大規模対応がありました。本国からの要請を踏まえて英国側との調整に当たるプロセスはチャレンジングなものですが、外務省のみならず様々な省庁や組織からの出向者と協力しながら要人対応に当たる作業は得難い経験となります。
 
6. 財政方針
大規模減税策の公表に端を発する金融市場の混乱を経験した英国では、健全な財政の見通しを明確に示すことによって、金融市場を安定させることが最大の課題となっていました。
そのような中、2022年10月にトラス前政権下で財務相に就任し、スナク新政権でも財務相に留任したジェレミー・ハント氏は、まずクワーテン前財務相が公表した減税策の大半を撤回し、法人税率の引上げ(19%→25%)についても当初の予定どおり2023年4月から実施することを表明しました。
更に11月17日、ハント財務相は議会下院で秋季財政演説(Autumn Statement)を実施し、「安定」「成長」「公共サービス」の3つを優先課題と明示し、インフレ対応に優先的に当たりつつ、歳出削減と増税を通じて2027年度に年間約550億ポンド(約9.2兆円)の財政健全化を図ることを表明しました。ここで「2027年度」とされたのは、同時に公表された中期の財政ルール*14において、今後5年間で政府債務対GDP比を減少させ、5年後までに政府借入をGDP比3%未満とする目標が新たに設定されたためです。
歳出面では、医療・介護及び教育の分野に追加資金を配分しつつ、国防支出は少なくともGDP比2%*15にとどめ、海外援助予算についても財政状況が改善するまでGNI比0.7%の達成*16は困難であると明言しました。その上で、ほとんどの中央省庁について2021年10月の歳出見直し*17で設定された2024年度までの支出計画を維持することとしました。これにより、名目ベースの予算削減は行わないものの、インフレの上昇でコストが増加する中で実質的には厳しい効率化を各省庁に求めました。これらと併せて、2025年度以降の経常的な予算をインフレ率を1%上回る緩やかな引上げにとどめることにより、2027年度には300億ポンド(約5兆円)の歳出削減を実現することとしました。
税制面では、所得税・法人税といった主要税目の税率は引き上げないものの、実際には様々な増税策が盛り込まれました。具体的には、石油・ガス関連のエネルギー企業の法人税に上乗せされる収益負担金(Energy Profit Levy)*18を引き上げたり(25%→35%、2023年1月~)、自動車税(Vehicle Excise Duty)の免除対象となっている電気自動車(EV)を新たに課税対象としたり(2025年4月~)、所得税最高税率(45%)が適用される所得基準を引き下げたり(15万ポンド→約12.5万ポンド、2023年4月~)、所得税・相続税・国民保険料(National Insurance)における所得基準の凍結期限を2年間延長*19(2026年4月→2028年4月)すること等が発表されました。これらの増税策を通じて、2027年度には全体で250億ポンド(約4.2兆円)の税収増を実現するとしました。
2020年以降の大規模なコロナ対策により、債務残高対GDP比が戦後最高水準に到達するなど英国の財政は厳しい状況にありましたが、ハント財務相は上記の施策を通じて中期的な財政健全化を図ることを明確にし、中期の財政ルールについては目標年度である2027年度よりも1年早い2026年度に達成する見込みとしました。こうした健全な財政の見通しが示されたことが評価され、英国の金融市場は現在のところ落ち着きを取り戻しています。
 
7. 経済情勢
英国の成長率は、ロックダウンといった厳しいコロナ規制の影響を受けた2020年の▲11%から2021年には+7.5%を記録するなど急回復を遂げていましたが、2021年後半から深刻なインフレに直面しており、2022年11月の消費者物価指数(CPI)は+10.7%と40年ぶりの高水準となっています。インフレの要因としては、ウクライナ情勢を受けたエネルギーや食料品価格の高騰、中国のコロナ対応によるサプライチェーンへの影響といったグローバルな要因が大きいですが、他の先進国とは異なる固有の要因も指摘されています。例えば、EU離脱を受けて欧州大陸からの移民が減少したことやコロナ・パンデミックを経て労働市場から多くの労働力人口が退出した*20ことにより労働市場が逼迫して賃金上昇圧力が高まっていることや、EU離脱により通関手続きが復活したことを受け、EUとの間の貿易コストが増加していること等が要因として指摘されています。
英国の中央銀行であるイングランド銀行(Bank of England)は、目標としている2%を大きく上回るインフレを抑制するため金融引締めに転じ、2021年12月の金融政策決定会合で他の先進国に先駆けて利上げを決定して以降、9会合連続で利上げを実施し、政策金利はこの1年間で0.10%から3.50%まで引き上げられました。それでもインフレは収束する気配を見せず、賃金上昇がインフレに追いつかずに実質賃金が低下し、住宅ローン金利の上昇が家計への大きなプレッシャーとなり、消費支出や企業投資が落ち込んでいることも相まって、英国経済は2022年第3四半期から1年を超える景気後退に突入したと予測されています。
 
8. 経済見通し
こうした中、2022年11月17日に英予算責任庁*21が2027年度までの経済見通しを公表しました。この最新見通しでは、英国のインフレ率は2022年に9.1%を記録した後、2023年も引き続き7.4%と高い物価上昇となり、これに伴い2023年には▲1.4%のマイナス成長になると予測されました。日本も含めてほとんどの先進国が既にコロナ前のGDP水準を回復している中、英国は景気後退を挟んで2024年第4四半期までコロナ前の水準を回復できないということが示されました。
当地メディアにおいてとりわけ大きく取り上げられたのは生活水準の低下です。インフレの上昇に名目賃金の上昇が追いついておらず、一人当たり実質可処分所得は2022年度に4.3%減少と1956年度の記録開始以来最大の落ち込みとなり、2023年度も引き続き2.8%減少すると予測されました。当地シンクタンクは、低所得層や年金受給者等への家計支援策の対象とならない中間層にとっては家計への一層のプレッシャーになると指摘しています。
また、経済見通しにおいて長期的な懸念事項として挙げられたのは労働市場における非労働力人口の増加です。英国の労働力人口はEU離脱やコロナ・パンデミックを経て大きく減少しており、全体の労働力人口は既にパンデミック前から30万人減少しているということが示されました。前述のとおり、こうした労働力不足が労働市場を逼迫させることで、英国のインフレを悪化させていると言われています。
 
9. インフレの影響
深刻なインフレは、英国社会の様々な面に影響をもたらしています。第一に、「生活費危機」(cost of living crisis)とも呼ばれる生活費高騰の問題です。最も影響が大きいのは光熱費であり、家庭用の平均年間光熱費(電気・ガス代)は国際的なエネルギー価格の高騰を受け、2021年10月の1,277ポンド(約21.5万円)から2022年10月には3,549ポンド(約59.6万円)に上昇する予定となっていました。政府の支援策により、2022年10月から6か月間は年間2,500ポンド(42万円)に、2023年4月から1年間は3,000ポンド(50.4万円)に抑制されてはいるものの、それでも実質所得が減少する中で光熱費が1年前の約2倍となることの影響は甚大であり、同時に食料品価格等も高騰する中において、家計は生活費を切り詰めざるを得ない状況に置かれています。
第二に、「不満の冬」*22とも称されるストライキの問題です。公共サービス部門の労働者は実質所得の減少を避けるため、インフレ並みかそれ以上の賃金上昇を求めていますが、当局は財政状況が厳しい中、大幅な賃上げはインフレを悪化させるとして労働者の賃上げ要求に完全に応じてはいません。労使交渉の決裂はストライキにつながり、2022年は鉄道ストが頻発し、ロンドン地下鉄は幾度となく終日ストップしました。郵便局のストにより郵便物の配達に混乱が生じたり、法廷弁護士のストにより裁判の進行に支障を来したり、大学講師のストにより講義が休講になったりしました。他にも空港の入国審査官や公的医療制度の看護師・救急隊員もストを実施するなど、日本では考えられないような事態が2022年に入ってから頻発しています。
 
10. 日英関係
日英両国は、1600年に英国人航海士ウィリアム・アダムス(三浦按針)が日本に漂着して以来、1858年の日英修好通商条約締結により外交関係が開設され、1902年には日英同盟が締結されるなど長い交流の歴史があります。
現在、英国には63,659名(2021年)と国別では世界6番目の在留邦人がおり、進出している日本企業数は960社(2021年)と欧州ではドイツに次ぎ2番目となっています。在日英国人数は16,568名(2021年)であり、コロナ前の2019年には424,279名の英国人が日本を訪問しています。また、日本から英国への投資は約17.1兆円(2021年)と対外直接投資残高の約8%を占め、EU離脱後の新たな経済枠組みとして2021年には日英EPAが発効するなど緊密な経済関係があります。
日英両国は、自由、民主主義、人権、法の支配といった基本的価値を共有する重要なパートナーであり、経済や安全保障といった国際社会の諸課題に共に立ち向かう中において、英国と日本の関係はかつてないほど緊密となっています。
 
11. 終わりに
以上、これまでの経験を基に英国とはどのような国かについてご紹介してきました。英国という奥が深い国について限られたページ数で語りきることはなかなか困難ですが、本稿を通じて英国に少しでも関心を持っていただければ幸いですし、お読みいただいた皆さんも是非機会があれば英国を訪問され、その魅力を体感していただければと思います。
 
コラム3
日本産酒類の振興
日本では国税庁が酒類業の振興を担っているため、日本産酒類の振興も大使館財務班の仕事の一つとなっています。ウィスキーやジン、エールビール等の本場であり、パブがコミュニティにおいて重要な役割を果たす英国でも、日本産のウィスキーやジンは近年人気が高まっており、日本酒の輸出も2021年に過去最高となりました。しかし、日本産酒類が一般の英国人に浸透しているとはいまだ言い難く、特に日本酒については「蒸留酒である」「アルコール度数が高い」「熱燗でないと飲めない」といった誤解が多いです。そうした中、少しでも多くの英国人に日本産酒類の魅力を知ってもらうよう、大使館主催のイベントやレセプションに日本産酒類を提供するなどして積極的なプロモーションに取り組んでいます。
 
(図表1.英10年国債利回りは9月下旬から10月上旬にかけて4.5%を突破した。)
(図表2.英ポンドの対米ドルレートは9月26日に一時過去最安値の1.0327ドルまで下落した。)
(図表3.公的部門純債務対GDP比(イングランド銀行を含む)は2023年度に101.9%と64年ぶりの高水準まで上昇するものの、その後は低下軌道をたどる見通し。)
(図表4.量的緩和、CPI、政策金利の推移)
(図表5.実質GDP水準の見通しは2022年3月の前回見通しから下方修正された。)
(図表6.1人当たり家計実質可処分所得は金融危機時を超える落ち込みとなる見込み。)
 
*1) 本稿は全て筆者の個人的な見解であり、筆者の所属する組織を代表するものではありません。
*2) ロンドンの人口に占める「白人英国人(White British)」の割合は43.4%、「その他の白人(Other White)」は14.6%となっている(2019年時点)。
https://www.ons.gov.uk/peoplepopulationandcommunity/populationandmigration/populationestimates/articles/populationestimatesbyethnicgroupandreligionenglandandwales/2019
*3) 英シンクタンクZ/Yen社の「2022年世界金融センター指数」では、英ロンドンは米ニューヨークに続く2位。
https://www.longfinance.net/media/documents/GFCI_32_Report_2022.09.22_v1.0_.pdf)
*4) こうしたにわか雨はshowerと呼ばれ、それほど強くなく比較的すぐに止むため、雨が降り出しても傘を差さない英国人は多い。
*5) タラ等の白身魚のフライにポテトフライを合わせた伝統料理。英国ではchipsと言えばポテトフライを指し、アメリカで言うところのポテトチップスはcrispという。
*6) オリンピックには英国代表として出場している一方、例えばサッカーワールドカップにはそれぞれの地域の代表が出場している。2022年ワールドカップでは、1次リーグ・グループBでイングランドとウェールズが対戦し、イングランドチームが英国歌でもある「God Save the King(神よ国王を守り給え)」を歌う中、ウェールズチームはウェールズの国歌である「Hen Wlad Fy Nhadau(我が父祖の土地)」を歌った。
*7) 他にもマン島、ガーンジー島及びジャージー島といった王室属領(Crown Dependencies)やケイマン諸島、ジブラルタルといった海外領土(Overseas Territories)が存在する。
*8) イングランド、ウェールズ及び北アイルランドの所得税率は20%、40%、45%の3つである一方、スコットランドの所得税率は19%、20%、21%、41%、46%の5つとなっている。
*9) オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、ジャマイカ、パプアニューギニア、バハマ等の国々。
*10) マレーシア、シンガポール、インド、パキスタン、バングラデシュ、ガーナ、南アフリカ等の国々。英連邦加盟国(Commonwealth)が参加する大規模な競技大会としてコモンウェルス・ゲームズが4年ごとに開催され、クリケットやスカッシュといった、オリンピックにはない種目も高い人気を見せている。
*11) 1ポンド=168円として換算。以下同じ。
*12) 2022年4月から実施されていた国民保険料引上げ(+1.25%ポイント)の撤廃(同年11月~)、所得税基本税率の引下げ(20%→19%)の1年前倒し(2023年4月~)、所得税最高税率(45%)の撤廃(2023年4月~)、法人税率引上げ予定(19%→25%)(2023年4月~)の撤回、不動産購入時に掛かる土地印紙税における非課税枠の倍増等。
*13) 英国史上最年少は、1783年にわずか24歳で首相となったウィリアム・ピット(小ピット)。
*14) 2021年10月にスナク財務相(当時)が発表した従前の中期財政ルールでは、今後3年間で政府債務対GDP比を減少させ、3年後までに経常的な予算を均衡させる目標が設定されていた。
*15) ジョンソン元首相は、国防支出を2030年までにNATO基準を上回るGDP比2.5%まで引き上げると表明しており、トラス前首相はこれを更に上回るGDP比3.0%まで引き上げることを表明していた。
*16) 2015年海外開発法(International Development Act 2015)はGNI比0.7%分をODA予算に充てると定めているが、コロナ・パンデミックに直面する中、2020年11月にスナク財務相(当時)がGNI比0.5%への減額を表明していた。
*17) 歳出見直し(Spending Review)は今後3年間の支出計画であり、各年度の予算はこれに沿って編成される。
*18) エネルギー価格の高騰により異例の利益を上げるエネルギー企業に対する一時的な課税であるため、windfall tax(超過利潤税)と表現されている。
*19) 英国のように通常時でも物価が上昇する国では、税率を区分する所得基準をインフレ率に合わせて引き上げず凍結すれば実質的な増税となり、とりわけ足元の高インフレの中では通常時を超える税収増につながると予測されている。
*20) 英国の公的医療サービスであるNHSでは、コロナ禍に伴い通常の診療が受けられなかった待機者が700万人を超えると言われており、このバックログにより多くの労働者の健康状態が悪化し、労働市場からの退出を余儀なくされたことが労働力人口の減少につながっているとも指摘されている。
*21) 英予算責任庁(OBR)は2010年にジョージ・オズボーン元財務相により創設された機関であり、今後5年間の経済財政の見通しを政府から独立した立場で通常年2回公表している。
*22) 英語のWinter of Discontentは本来、1978年から79年にかけて実施された幅広いストにより英国社会に生じた不満を表した言葉。ウィリアム・シェイクスピアの史劇「リチャード3世」の台詞に由来している。1970年代の英国経済社会の停滞は「英国病」と呼ばれ、他の欧州諸国からは「欧州の病人」と呼ばれていた。