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ファイナンスライブラリー

評者 名古屋大学客員教授 佐藤  宣之
 
斎藤  毅 著
抽象数学の手ざわり
岩波書店 2021年7月 定価 本体1,300円+税
 
 
(今昔物語)
本書は、東京大学の数学の教授である著者が高校までの数学と大学で学ぶ抽象数学との隔たりを埋めたいとの動機から執筆したという。著者曰く、数学は19世紀半ば以降に抽象化へ大きく転換したが、高校までの数学の大部分は抽象化への転換前に完成したので、現代の抽象数学の対象や考え方について感覚が掴みにくいと思われる、時間があれば紙と鉛筆を用意の上で本書を読んで抽象数学の手ざわりを感じて頂きたい、と。
評者はA先生の高校1年の授業で数学の魔力に取り憑かれたが、物理が苦手且つ不得意で理系進学とはならなかった。今は昔数学を愛した文系進学者の勝手代表として、分かり易さの美名の下、数学で大事な厳密性を脇に置いて本書の解説を試みるが、本書中の多くの重要な数式は正直なところ評者の理解力を超えるものであり、様々な誤解曲解は完全に評者の責めに帰する。
 
 
(本書要約)
本書の実際の構成とは異なるが、著者の別の著作等も参照しつつ、数学が抽象化していく過程を辿ってみよう。
1. 古代ギリシャ時代からつい数百年前まで、数学は単一の学問とは必ずしも認識されておらず、数の性質を扱う代数学、図形の性質を扱う幾何学は基本的に別々の学問として発展したようである。
2. 17世紀には、(x,y)、(x,y,z)の実数の組でそれぞれ平面、空間上の点を表す座標が生まれた。座標は今では当たり前にも思える内容だが、こうした数と図形の結びつけは別々に発展してきた代数学と幾何学の接近の第一歩と評価できる。そして、高校までの数学の大部分はここまでの発展内容を取り込んだもの。
3. 19世紀半ば以降、幾何学では現実の2次元平面、3次元空間から離れ、非現実のn次元空間(蒔絵漆器のように対称性を保つ3次元空間から何とも描写し難い4次元以上空間まで)に考察を広げ、これが物理の一般相対性理論の基礎にもなっていく。n次元空間の分析手段として、集合(一つ以上のモノ・コトの集まり)と位相(本書では定義を避けているが、切る繋ぐNGの粘土遊びのように、図形を構成する点の連続的位置関係を変えずに変形した図形を同じ図形とみなす考え方)が発展した。現代の幾何学では、図形を構造付き集合(直線も現実の図形から離れて実数の集合と考える)と捉えて分析し、「円は直線の無限の彼方に一点を付け加えたものと位相として同じとなる」ことが視覚に訴える直感的な説明、集合による厳密な証明の両方で示される。
4. 19世紀には代数学でも抽象化が進み、一定の性質を持つ数を抽出して構造付き集合として捉え、様々な集合の相互関係を分析する手法が発展した。例えば整数を素数の積で表す素因数分解の一意性を証明するには、高校までの数学では煩雑な手順を要するが、現代の代数学ではより洗練された方法で確認できる。ルービックキューブの最少手数も現代の代数学のテーマとなった。
5. 20世紀に入ると、構造付き集合の分析には飽き足らず、個々の「閉じられた」集合自体よりも集合の間の「開かれた」関係性に着目する圏論が発展した。圏論を要約すると、(1)「圏」とは集合および集合の間の関係性からなるネットワークのうち、関係性(専門用語では「射」又は「矢」)が合成可能性など関数類似の一定の条件を満たすもので、(2)異なる「圏」の関係性同士、ネットワーク同士を比較する道具を用いて、異なる「圏」同士の異同等をあぶり出すもの。例えば正三角形の幾何学的な対称性と2の3乗根(3乗すると2になる数で実数1つ、複素数2つの合計3つ)の代数学的な対称性は数学的に同一であることが圏論で確認される。圏論的アプローチ、即ちある種類の数学的対象に別の種類の数学的対象を対応させる手法は、代数学・幾何学共通の統一的視点を与え、以て数学の一体化を推進した。
 
 
(圏論私見)
圏論は色々広がりがありそうだ。人気アニメ「SPY×FAMILY」のお互いに正体を偽る3人家族の関係性は「圏」の典型例かもしれない。また「ファイナンス」発行元の財務省の使命「国の信用を守り、希望ある社会を次世代に引き継ぐ。」も、「各世代の社会」を集合とし「次世代に引き継ぐ」を関係性とする「圏」として捉えると、次世代に引き継ぐ行動の大切さが際立つ。
既に言語学では、欧米語より非論理的と言われがちな日本語に「てにをは」が確固たる論理構造を与えていることや、「小腹が空く(「腹」が「小」さく「空く」ことであり「小腹」なるものは存在しない)」等のよく考えると不思議な表現の構造が圏論的視点から注目されている由。有識者さえも混同する「解放」と「開放」の正確な使い分けも圏論がヒントになるかもしれない。
ビジネスの世界だと、「嗜好品の愛好家による応援活動」と「嗜好品の国内外での市場拡大」との関係とか、金科玉条化しつつあるE(環境)・S(社会)・G(ガバナンス)の相互関係とか、圏論を用いて掘り下げた分析ができれば興味深い。各論に走るほど専門家の領域となり非専門家が口を挟みにくいが、圏論的アプローチで新たな真実が浮かび上がる可能性もある。
この機会に圏論が勃興した20世紀半ば当時の日本について俄学問したところ、高名な哲学者・倫理学者の和辻哲郎が西欧の個人主義に批判的で、人は孤立した存在ではなく常に人と人との間柄においてのみ人間たり得るという「間柄的存在」の概念を提唱している。和辻は社会についても「(他者と区別された)人の集まり」のような閉じられた定義をせず「自分と他人の関係」という開かれた定義を与えた。和辻の思想は圏論のニュアンスに似ていると感じるのは評者の思い込みだろうか。
 
 
(数学私見)
古代の数学の議論を見ると、数として整数しか観念せず例えば2と3との間の数は存在しない、「数」と「量」は別物で一緒に議論してはならない、のような今から見れば迷信的な扱いも見られた。数学が機械的でつまらないと感じる人がいるのは、逆説的だが数学が理屈に基づいて精緻に発展したことの成果とも言えよう。
正三角形の対称性と2の3乗根の対称性の数学的同一性について、「2の3乗根を複素平面上に点描すると正三角形が誕生する」のを本書で目撃し、高校当時に興味津々だった複素数に興味を超えて震え驚嘆した。この驚嘆は民事訴訟法のT先生の大学3年の授業及び4年のゼミで「手続保障の第三の波は手続保障さえあればどんな判決も正当化する」との話に触れて以来である。
他方、高校当時に数学の中で興味薄だった行列は、本書を通じて重要な道具であることは理解し多少の興味は持ったが、驚嘆レベルには及ばない。
なお、西洋の数学が天文学をはじめ他の自然科学と相互に影響し合いつつ発展したとみられるのに対して、江戸時代の和算は他の自然科学とはほぼ無関係に発展した。一説には、平和な江戸時代の日本人が和算をクイズ的に楽しんだのが和算発展の原動力だったとか。学校の数学が不人気な一方、テレビのクイズ番組が相変わらず大人気なのは、江戸時代の日本人のDNA由来だろうか。
 
複素数、複素平面
複素数とは、実数と純虚数(実数×「マイナス1の平方根」を意味するi)の和でx+yiと表現される数のことで、虚数とも言う。複素平面とは、複素数x+yiを座標(x,y)に対応させた平面のこと。実のところ複素数はパソコン、携帯電話を含めITでは必須のようで、「虚」な数ではない。因みにi表記の由来となったフランス語の原語(nombre imaginaire)を直訳すれば「想像数」であり、何やら楽しそうである。
 
手続保障の第三の波
主役たる裁判所が当事者の紛争を解決する観点から形成された従来の理論・実務を、主役たる当事者間で紛争解決する観点から全面的に見直し、当事者の役割分担を意識した行為規範をきめ細かく探求すべきとする立場。主唱者は専門家の権威者目線を脱して市民の目線で民事訴訟を再構築すべきであると主張し、同時期の数学・統計学を駆使して驚かせた証明論共々、「民訴は眠素」と長年揶揄された民事訴訟法学界に大波を立てた。
 
行列
数や数式などを縦と横に配列し、全体を両括弧で括ったもの。あたかも一つの数のように見て、行列同士の加減乗除も行われる。行列の英語の原語(matrix)は「母体」に由来するので「行」や「列」と直接関係ない一方、mother、maternityとは類義語なので、行列の概念には新しいものを生み出すとの意味合いが込められていそうである。