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新々 私の週末料理日記 その49

3月△日日曜日
今朝、例によってスーパーに買い出しに出かけたら、「○○商品を△月△日から値上げします」という値上げ予告の張り紙が目についた。先月ある酒蔵を見学した折に酒粕を入手したので、粕汁を作ろうと買い出しに行ったのである。
コロナ禍起因の物流の混乱やら各国の景気回復による需要増とやらで、世界的にインフレ傾向となっているらしい。それに加えて、ロシアのウクライナ侵攻とこれに対する経済制裁も行われている。原油価格はどんどん上がる。穀物も上がる。世界的に物価上昇は深刻なものになってきたと報じられる今日この頃である。長年デフレが続く日本でも、卸売物価は顕著に上昇し、小売物価もまだ恐る恐るではあるが上がりつつある。原材料や輸送費が上がっているのだから当然のことなのだが、長年にわたって給料がほとんど上がっていない消費者の側からすれば、やっぱり困る。将来の社会保障も不安だから節約しないと。値上げせずに企業努力で何とかしてくれと言いたくなる。しかし企業努力というのは、結局のところリストラなので、人件費の下げ圧力となるのだから、ここはおおらかに値上げを受け入れるべきだろう。そもそも適度なインフレは、無産階級にとっては長期的には有利なはずで、格差是正にもプラスに作用するはずだ。
ということはわかっちゃいるのだが、スーパーの売り場では長年の悲しき習性なのか、わずかでも安い品を探し、値上げ予告があれば駆け込みで買い込んでしまう。いい年齢をしてまことに情けない。粕汁用の食材のほか、賞味期限近くなって割引になっている豚の薄切り肉を買う。こちらは生姜焼き用だ。加えて値上げ予告品の数々で大荷物である。
さて、先日「『月給百円』サラリ-マン」(岩瀬彰著、講談社現代新書)という本を読んだ。大正後期から戦前昭和にかけてのサラーマンライフを給料と家計の観点から描いた本である。因みに、書名の「月給百円」とは、戦前昭和でサラリーマンとして夫婦子供二人で何とか普通の生活ができる給与水準の相場観を意味する。デフレが深刻であった昭和6年の家計調査でホワイトカラーの1か月の平均実収入(貯金の取り崩しなども含む)は92円である。当時ボーナスは年間2~4か月支給であったから年収1,200円というところであろう。現在に引き直すと年収5~600万円という感じであろうか。
さて、同書によると、戦前の通貨価値は、総理府統計局が昭和28年に公表した戦前基準の物価指数(昭和9~11年平均)をあてはめて現在と比較するのが通例らしい。同書によると、今から100年ほど前の大正11年の小売物価指数は1.5であり、昭和10年頃より5割高かった。第一次大戦の好景気の余韻が残っていたということだろう。一方、不景気の谷底にあって、経済政策を金解禁・緊縮財政から金輸出再禁止・積極財政に転換した昭和6年は0.885であり、大正後半から戦前昭和にかけてのボトムであった。その後緩やかに上昇して昭和11年が1.04。昭和12年以降は急速に上昇した。
50年近く前に学校で習った戦前の物価騰貴と言えば米騒動である。米騒動は大正7年8月に富山県西水橋町の漁家の主婦たちの暴動に端を発し、30府県以上に波及した。大正5年まで1升10銭台だった米の小売値が、7年8月には40数銭まで急騰した。エンゲル係数の高い庶民にとって、主食がこれほど上がっては堪まらないだろう。米価急騰はシベリア出兵を見込んだ米の買い占めが直接の原因であるが、大正5年以降物価は全般的に大きく上昇した。「物価の世相100年」(岩崎爾郎著、読売新聞社)によれば、当時の新聞には「開闢(かいびゃく)以来」の「物価の昂騰(こうとう)」と報じられた。これは第一次世界大戦下で、国内生産力を超えて輸出が激増したいわゆる飢餓輸出によって、国内の生活必需品に不足が生じたことによるところが大きい。7年11月の大戦終了に伴い「休戦反動」とよばれる不況となり物価は下落するが、8年4月以降再び好景気となると、物価が上がり、米価は7年の水準を超えて上昇した。他方賃金も上昇し、各企業で基本給引き上げと高額のボーナス支給が行われた。ボーナスを考慮すると、大手企業では新入社員の給料が2倍になったという。ところが、大正9年に戦後恐慌が起き、以後日本経済は長い不況に入る。バブルから長い不況へというところは平成以降に似ている。
昭和初年は物価が下落する一方、賃金も下落していき、昭和6年には年収1,200円以上の官吏の減俸が実施されている。また農村では、世界恐慌の影響から繭などの価格が暴落した上に、昭和5年の内地米・朝鮮米を通じた記録的大豊作を原因として、米価は大正3年以来の「革命的安値」となり、深刻な農業恐慌状態となった。都市住民は米価下落のメリットを享受したわけだが、デフレ下で失業の不安の中、賃金が下落する時代は庶民にとって幸せでなかったろう。
こういう観点からみると、今から百年前の大正後半という時代は、物価高騰や戦後恐慌があり、関東大震災もあったものの、総じて経済的には昭和初期よりかなりよい時代であった。庶民にとって、物価も上がり賃金も上がる時代の方が、両方下がる時代より、よかったといえるのではあるまいか。
ところで、このところコロナで飲み会のお誘いが少ないので、家で過ごす晩が多い。老眼が進んだことに加えて、サブスクリプション契約のネット配信の映画コンテンツが充実しているから、家にいるときは本を読むより映画を見ていることのほうが多くなった。韓国の犯罪物映画を観ることが多いが、旧い邦画、例えば高倉健や鶴田浩二の任侠映画もよく観る。この手の映画の時代設定は戦前昭和が多い。和製ギャング物や「日本暴力団シリーズ」はともかく、時代劇の股旅物の系譜に連なる正統派任侠映画については、暗い世相の昭和初期という時代設定で、登場人物は和服着流し姿というのが一番なじむような気がする。高倉健の「唐獅子牡丹」シリーズは第1作こそ敗戦直後という設定だがそれ以外の8作は、すべて昭和初期が舞台である。また鶴田浩二主演の「傷だらけの人生」も舞台は昭和初年の大阪だ。彼の代表作「人生劇場飛車角」も戦前が舞台である。原作である尾崎士郎の「人生劇場残侠篇」によると、同篇の主役飛車角が吉良常と出会った後に自首して7年の実刑を食うのが大正14年であるから、出所して三州吉良に身を寄せるのは昭和初期ということになる。因みに尾崎士郎が「人生劇場 青春篇」で取り上げた早稲田騒動は大正6年の出来事であり、好景気だったが飢餓輸出で物価上昇著しく賃金上昇が追いつかない時期に起きた椿事である。次期学長の座をめぐって現学長派と前学長派が、教員や学生を巻き込んで争った学園紛争であった。尾崎士郎は当時政治経済学科の学生で、ジャーナリストの石橋湛山(後に首相)とともに現学長派の先頭に立って、演説するなど活躍した。
閑話休題。映画の時代設定についてはこのぐらいにして、物価と経済の話に戻ると、昭和7年以降高橋是清蔵相の積極財政と円安放置による輸出増加から景気は回復に転じ、物価も緩やかな上昇に向かい、賃金も景気回復に遅れつつ回復に転じた。昭和9年後半になると、機械工業の熟練工の中には重役並みの高給の者までいたという。緩やかな物価上昇と賃金の上昇とで、当時のサラリーマン諸氏も比較的楽しく日々を送れたのではないか。
しかし、公債に財源を依存した財政は戦時財政化し、12年になると物価が高騰して一気に「サラリーマン恐怖時代」になった。同年支那事変が起きると一段と物価が上がるとともにモノとカネの統制が本格化し、13年には物品販売価格取締規則に基づく公定価格制度が導入された。それは同時にヤミ取引、ヤミ価格の横行を招いた。統制あるところヤミありであった。「物価の世相100年」によれば、マル公制度発足の同年7月から10月までに統制違反で取締りを受けた者は全国月平均9.4万人だったものが、10月には24.4万人に達した。戦時経済下数年を経ずして「世の中は星に錨に闇に顔。馬鹿者のみが行列に立つ」という戯れ歌が流行る時代となってしまうのであった。(「星」と「錨」とは陸海軍の階級章のことであり、「顔」は顔が利くという意味であろう。)
任侠映画を観ながら、大正後半から昭和初期の物価に思いをめぐらすうちに、休日は暮れ、夕餉の支度をする時刻となった。今晩の献立は、粕汁と豚の生姜焼き、そして昨晩の残りの鶏胸肉とサラダ玉ねぎの和風あえである。粕汁については浅学にして起源を知らないが、酒粕については、糟湯酒という言葉が山上憶良の貧窮問答歌に出てくる。万葉時代、上級貴族は布で漉した酒を飲み、憶良のような下級役人は漉した残りの酒粕をお湯で溶いて飲んでいたのだろう。現在のような板状の酒粕が広く出回ったのは江戸時代だという。とすれば、比較的単純な酒粕料理である粕汁は、江戸時代には食されていたと考えていいのではないか。一方、典型的日本の洋食である豚生姜焼きは、大正時代には既にメニューとして確立していたものらしい。和洋折衷の夕食に、「月給百円」時代のサラリーマン諸氏の暮らしに思いを馳せ、彼らが憧れたであろう大正ロマン昭和モダンを想うことにしよう。
*前掲の「物価の世相100年」の中に、経済学者ケインズが1931年(昭和6年)1月、不況下の英国のラジオ放送で「倹約することが不景気の原因である」と述べたという話があった。曰く「皆さんが5シリング節約すると1人の人が失業する結果となり、1人失業すればそれだけ購買力が低下するから、さらに失業者を出す結果となり、不景気はますます深刻になる」。現在の日本であれば、ケインズは何と言うかな。「消費者が原材料費高騰に伴う価格転嫁に過度に厳しいことが、経済成長を妨げている一因である」とでも説くであろうか。中小の製造業者や旅館、食堂などが価格転嫁できなければ、そうでなくとも低水準の利益率がさらに下がる。そうなれば、結局は労働者への分配が厳しくなるし、設備投資も難しくなる。我が国政府は企業に賃上げを要請している。これをさらに高望みさせてもらえば、政治家や経済学の碩学の中から、国民に対して「適正な価格引上げには鷹揚になって下さい」と、(賃上げ要請と同時並行して)呼び掛けてくれる人が出てほしいと願う。しかし、スーパーで血眼になって値引き品を探す私が言うべきことでないことは、わかっている。

酒と根菜の粕汁のレシピ(2人分)
〈材料〉 塩鮭2~3切れ(辛塩がよいが甘塩でも可、食べやすい大きさに切る)、大根10cm位(8~10ミリ幅のいちょう切り)、人参半本(6~8ミリ幅のいちょう切り)、里芋3個(皮をむき乱切り)、椎茸4本(石突を取り4等分にスライス)、油揚げ1枚(油抜きして短冊切り)、万能ねぎまたは長ねぎ少々(小口切り)、酒粕100g(板状のもの。ちぎってぬるま湯に浸し、やわらかくする)、味噌(大さじ3)、昆布だしの素、麺つゆ
(1)鍋に、湯1リットルを沸かし、大根、人参、里芋、椎茸を入れあくを取りながら10分ほど煮る。
(2)鮭と油揚げを加え5分ほど煮たら、弱火にして昆布だしの素を加える。
(3)酒粕と味噌を濾し器で溶き入れる。(濾し器がない場合は酒粕とぬるま湯を入れた器に味噌をいれて匙などでよく混ぜて滑らかにしてから鍋に加える。)酒粕は濾し器に一部残るが、最終的に残った粕も加える。
(4)味見して、麺つゆ、塩などで味を調え、味が決まったらねぎを散らして出来上がり。
(5)好みで七味唐辛子を振って食す。
*だしは、いりこだしでもよい。かつおだしは合わないように思う。
**ごぼうやこんにゃくなどを使っても美味い。