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講師 冨田 勝 氏(慶應義塾大学先端生命科学研究所 所長)

演題 地方都市鶴岡から創る、ニッポンの未来 令和3年9月30日(木)開催

はじめに
私は東京生まれ、東京育ちで、米国に10年間いました。慶應義塾大学の湘南藤沢キャンパス開校と同時に帰国して、2001年に慶應義塾大学が山形県鶴岡市に開設した先端生命科学研究所の所長に任命され、もう20年が経ちます。
「日本の再生は地方から」と言われるように、自然豊かな地方が活気付くことが日本全体にとって重要だと思います。

1.「日本のため、人類のため」が地方を潤す
地方創生というと、つい「人口減少を食い止める」とか、「経済が下り坂にあることを止める」とか、「弱者救済」の目線になりがちですが、私はそれでは日本の地方は再生しないと考えています。地方ならではの優位性があり、東京よりもよいものがたくさんあるので。それをうまく活かして東京ではできないことを地方でやる。そして自分の地方のためだけに行うのではなく、日本のため、人類のために産業を創るのだという、高い意識と志が重要です。そうでないと、地方間の競争に陥ってしまい、日本全体としてはプラスになりません。
慶應義塾大学先端生命科学研究所から、世界が注目するベンチャー企業が次々と誕生しています。日本のサイエンスには足りないと言われがちなワクワク感が、研究者をはじめとする多くの人を集め、バイオベンチャーを育て、新しい技術と製品を生み出しています。そのうちのひとつ、世界的なベンチャー企業Spiber社には11か国から若い頭脳が集まっています。世界にここにしかない技術が彼等を惹きつけているのです。天然のクモの糸は、重さ当たりの強靭性が鋼鉄の340倍あるといわれています。枯渇が懸念されている石油を原料としないため、次世代の素材として期待され、20兆円の市場規模があるといわれています。
鶴岡市が描いたのは、研究所から技術が生まれれば、鶴岡市でベンチャー企業が立ち上がり、まちが活気付くというものでした。地域のためということではなく、日本のため、ひいては人類、社会のためにゼロから産業を興す、それが結果的に地元も潤うことにもつながります。

2.鶴岡サイエンスパーク
2001年、鶴岡サイエンスパークに慶應義塾大学の研究所ができたときは一階建の建物しかなく、あとはすべて田んぼでした。当初、増築の計画はありませんでしたが、競争的資金が得られ、研究が増え、ベンチャー企業が立ち上がって、場所が足りなくなりました。そこで2006年に鶴岡市がいわゆるラボスペースの建物を建て、慶應義塾大学やベンチャー企業が有料で入居しています。
2013年にはSpiber社の工場ができ、その2年後には6倍の大きさのマザー工場ができました。2018年には「SHONAI HOTEL SUIDEN TERRASSE」という木造風の温泉ホテルと児童教育施設「KIDS DOME SORAI」もできました。冬でも楽しく遊べるようにできています。2022年には鶴岡市がもう一棟研究スペースを作る予定です。
2001年に慶應義塾大学が鶴岡市に進出してから今までに7つの会社が立ち上がり、どの企業も好調です。創業者は当時の准教授や、大学院生、研究所の若手・中堅ですが、私がベンチャーを立ち上げるように言ったわけではなくて、彼らが自らグループあるいは個人の突破力で起業しています。これら企業の従業員数は合計で550名ほどで、慶應義塾大学の人員まで含めると700名近くになります。鶴岡市の労働力人口はだいたい7万人ですので、約1%にあたります。
鶴岡サイエンスパークにはまた、世界レベルのがんの研究機関である国立がん研究センターと慶應先端研が連携して、「国立がん研究センター・鶴岡連携研究拠点『がんメタボロミクス研究室』」も設置されており、がんの治療法やバイオマーカーの探索などに取り組んでいます。
この4年ぐらいで国内外でも注目してもらえるようになり、Forbes Japan誌の“日本を面白くする「イノベーティブシティ」10”という記事で鶴岡市が第3位に選ばれました。首相官邸の国際向け広報のページにもひとつの成功例として鶴岡サイエンスパークが挙げられていますし、さらに慶應義塾大学先端生命科学研究所を核に構成された「鶴岡サイエンスパーク」が、2021年6月に内閣府から「地域バイオコミュニティ」として認定されています。

3.慶應鶴岡発のベンチャー企業
先ほどの7つのベンチャー企業のうち、最初に起業したのは2003年のヒューマン・メタボローム・テクノロジーズ(HMT)社です。このベンチャー企業は分析技術を核としています。これはサンプルの中に数百種類の様々な成分がごちゃ混ぜに入っているものを一回の測定でほぼ全部定量してしまうメタボロームという技術です。2002年に特許を取得して、日本発の技術としては国際競争力があるとJST(国立研究開発法人科学技術振興機構)から認定を受け、2013年に東証マザーズに上場しました。
日本の上場企業は数千社ありますが、山形県に本社を置く上場企業はそれまで8社しかありませんでした。山形県と鶴岡市が慶應義塾大学を誘致して13年目にHMT社が山形県内で9社目の上場企業になり、鶴岡市で唯一の上場企業になりました。
慶應義塾大学先端生命科学研究所が鶴岡市にできた当初は地元からクールな反応もありましたが、上場企業の誕生で「なにか大きな産業が生まれつつある」という認識が広まり、2013年以降は「鶴岡の未来の希望だ」と言ってもらえるようになりました。
サリバテック(Saliva Tech)社は、小さな容器の中にごくわずかの唾液を出すだけで、乳がん以外にも肺がんや大腸がんなど6つのがんのリスクを一度に検査できる技術を開発しました。
この検査は全国1,400の医療機関で実施されていて、去年からは自宅で唾液を出して郵送するサービスを始めました。まだ保険が適用されないので少し高いのですが、すい臓がんも検査できるということで、とても期待されています。
Spiber社は2013年に軽くて強くて伸縮性のある、夢の合成クモ糸の量産技術を確立し、世界中から注目を浴びました。
代表執行役の関山和秀さんは大学4年生の時、飲み会の席で「クモの糸って強いらしいね。なんで実用化されないのだろうか。」と話題に上り盛り上がったことをきっかけに研究をスタートさせました。その分野はすでにNASAや米軍等名だたる組織が研究に取り組んでいたのに、成功していませんでした。だから周囲の反応は懐疑的を通り越して否定的でした。
しかし、私は関山さんの研究を面白いと思いました。失敗してもそこから学べばいいのです。NASAができなかったのだから、大学生がやっても無理だろう、というのは、理論的に無理だということではありません。彼らができると思うなら、気の済むまでやればいいし、やってみて、やはりできなかったとなれば、時間の無駄だったと考える人もいるかもしれませんが、私はそういう過程が人を成長させると思います。
関山さんは、人工クモ糸にインスパイアされ、たんぱく質素材を自由自在に開発できる技術を開発しました。紡糸技術を使ってこのたんぱく質を繊維にすることもできますし、フィルム状にしたり、ジェルにしたり、様々な形にすることができます。ですから、強くて軽くて伸縮性がある夢の繊維と言われ、そのアプリケーションは無限にあるといっても過言ではありません。輸送機器や車の部品に使えば、軽いので燃費が良くなりますし、ゴムが使われているビルの免震構造にも使える可能性もあります。まずはアパレルの分野で勝負することになり、同社が開発したタンパク質素材を使ったアウトドアジャケットを大手スポーツ衣料企業と共同開発し、製品化を実現しました。また、有名な日本のブランドや、著名な若手日本人デザイナーと提携もしています。Spiber社は人工のカシミヤも作っています。カシミヤはカシミヤ地方のヤギの毛ですが、ヤギの毛は羊の毛よりも細いので、ウールよりも手触りが良く保温性があります。だからカシミヤのセーターは高価なのです。一方でカシミヤのセーターを一枚作るのにヤギは3頭必要です。ヤギは草を食べ、げっぷをしてそれが温室効果ガスになるので、非常に環境負荷が高いといわれています。Spiber社の技術は脱炭素に対応しているほか、動物素材を使わないアニマルフリーという動きにも対応しています。
また、主に医療用のウィッグ(かつら)は合成繊維で作られますが、あまり水にしならず、不自然な感じがするものもあります。人間の髪の毛でできたウィッグは高価でもありますので、Spiber社は日本のウィッグメーカーとバイオマスから人工的に毛髪を作る共同開発を行っています。
Spiber社はナイロン、ポリエステルをたんぱく質素材に置きかえることを数十年後の目標にしています。なぜならナイロン、ポリエステルは石油由来のもので、石油は60年から80年のうちに無くなるといわれている有限の資源です。誰かがナイロン、ポリエステルに代わる素材を開発して、安価に普及させることが人類社会にとって必要なのです。Spiber社はその大きなミッションに取り組んでいます。
もう一つ注意すべきことがあります。ナイロンやポリエステルでできた服を洗濯機で洗濯すると、摩耗してマイクロプラスチックが洗濯機から流れ出て、最終的に海に流出します。洗濯水から出るマイクロプラスチックごみの量は毎年50万トンで、このことが今、大変問題になっています。脱石油、脱プラスティック、脱アニマルのSpiber素材はSDGsの観点からも世界を変えるゲームチェンジャーになると思います。
Spiber社は2021年3月にタイに工場を作りました。鶴岡の工場の100倍の規模です。さらに2023年には米国アイオワ州に、既存の施設を改良して、タイの工場の10倍、つまり鶴岡の工場の1,000倍の規模の工場ができる予定です。「なんだ、Spiber社は結局海外に行ってしまうのか。」と思われる方もいるかもしれませんが、同社の工場はほぼ全自動で約20名が働いているだけなので、雇用が失われているということではありません。そして会社のかなめの研究開発は鶴岡の本社から絶対に出さない方針だと聞いています。

4.意欲ある高校生を研究助手、特別研究生に
私たちの研究所では、地元の高校生を受け入れる制度が2つあります。一つは研究助手としてアルバイトで研究を手伝ってもらう制度で、もう一つは高校生の自由研究を応援する特別研究生という制度です。地元の高校生には、得意分野をどんどん伸ばして、それで社会に貢献できる人材になってほしいと思っています。
私は大学合格を目的にした教科書だけの勉強に大きな疑問を感じています。教科書には全部正解が書いていますが、世の中では正解が決まっているものはめったにありません。やってみないとわからないし、あるいはどうやればよいのか自分で作戦を考えないといけません。これはとても大切なことで、今の日本に足りないところだと思います。
2009年に鶴岡中央高校から4人を受け入れたのを皮切りに、これまで受け入れた人数は延べ250人を超えています。毎年4月になりますと、チラシを作って市内の高校生一人一人に渡すのですが、こういうことができることが小さい町の良いところだと思います。
応募条件にはとてもハードルが高いことが書いてあります。ひとつ目は「世界的な科学者になるという強い意欲」、2つ目は「地元を世界的な都市にするという高い志」、3つ目は「採用されたらその研究成果をアピールすることによって、AO入試または推薦入試で大学受験するという気概と勇気をもっていること」です。つまり採用されたら、受験勉強はしないでください、という条件が付いているのです。
いわゆる偏差値教育というか、五教科七科目で勝負したり、或いは大学入学共通テストの準備をするとなると、大抵の場合、苦手科目を克服することに結構な重点が置かれ、得意科目はそのまま置いておくという状態になります。そういう人がいてもいいと思いますし、私はそういう教育を否定するつもりはありませんが、やはり一握りの生徒は得意科目を一生懸命伸ばして、教科書の枠にはまらないような自由研究をして、そして何らかのコンテストに入賞する、あるいは自分の研究が新聞記事になるなどの成果を出して、その成果をアピールしてAO入試で大学に入学する。中途半端に共通テストの準備はしないという、そういう気概と勇気がある生徒さんがいたら、私たちの研究所が受け入れて全面的に応援することにしています。
人と違うことをすると、それが独創的であればあるほど、周りの人からはまともに信用されません。でも「本当のブレイクスルーは、最初はホラに聞こえる」と私はある番組で言いました。地球は丸いとか、光は曲がる、とか言っても、最初は「そんなわけないだろう」と馬鹿にされるわけです。関山さんたちのクモの糸も、すでにNASAなどが大金をかけて研究開発していたのにうまくいっていないことを、大学4年生がゼロから始めたのです。「そんなのできるわけないだろう」とみんなから馬鹿にされていたのです。人工のクモの糸が本当にできるのか本人も半信半疑でした。できないかもしれないが、もしできたら大きなインパクトがある。だからチャレンジしない理由はない、と関山君は使命感を持って突き進んだのです。
日本には「三振してはいけない」という失敗を許さない風潮がありますが、ベストを尽くして挑戦して空振りに終わった場合は、「ナイストライだった!」と拍手で称える文化を根付かせる必要があると思っています。さもないと誰も新しいことに挑戦しなくなってしまいます。
福沢諭吉の「異端妄説の譏を恐ることなく、勇を振て我思う所の説を吐くべし」という言葉があります。これは馬鹿にされることを恐れるな、ということで、私なりに現代語訳するなら「流行や権威に迎合して点数を稼ぐ優等生ではなく、批判や失敗を恐れず勇気をもってやれ」ということだと思います。
私は20年間鶴岡の研究所でこの文化をとても大切にしてきました。私は「普通は0点」、つまり「その研究は普通だよね」と言われたら、ここでは全否定を意味します。「人と違うことをやろう。普通のことはやる人が沢山いるから、その人たちに任せて、私たちは違うことをやろう」という文化をずっと守り続けています。

5.なぜ?大企業から続々と山形へ移住
2018年から人材育成などを目的として大企業の社員を受け入れるプロジェクトをはじめました。目指すのは「文理融合」です。実際に世の中に存在する問題で、文系だけで解決できる問題はもはやないし、理系だけで解決することもできません。
大企業の方とお話しすると、口をそろえて「うちの社員はみな優秀だが、人と違うことをするような人がいない。」と言います。誰かが人と違うことをしないと、社会も組織も進歩しません。そういう人たちを応援するのが慶應義塾大学の理念です。
はじめに大手損害保険会社から人材を受け入れ、東京から鶴岡にやってきました。派遣期間は決まっておらず、会社からは無期限と言われ、さらに、社会人学生に与えられた課題は何一つありません。
彼らのうちの一人は、先端研の健康に関する技術 と鶴岡の旅行を組み合わせたヘルスツーリズムをテーマに研究を続けています。彼は鶴岡での生活について「本当に刺激しかない。社員を放牧させて何もない環境に置くと、必死に考えて、もがきながら、苦しみながらやっていく。その過程が、主体的に動く人間を作るトレーニングになっているのではないかと思う。」と言っています。
送り出した企業は「単に勉強の場、研修の場で終わらせるのではなく、鶴岡の地で新しい事業を作り上げるまで何年かかってもいいので、ぜひやってもらいたい。」という思いで社員の成長を見守っています。
はじめに大手損害保険会社と協定を結んで2人を受け入れ、それが新聞記事になると、今度は大手生命保険会社が「社員を送り込みたい」と言って協定を結ぶことになり、またその新聞記事を見て、とIT企業や証券会社などから現在10名の受け入れを行っています。
これらの企業は今のところ好調ですが、10年後、20年後までこの状況が続くのか非常に危機感を持っています。今好調なビジネスモデルが20年後も続くとは到底思えないと言います。だから新しいことをしなければならないけれども、何をやっていいのかわからない。手探りですが、ライフサイエンスやバイオサイエンスはきっと将来のビジネスモデルに関係があるだろう、と多くの企業が社員を送り込んで自由に活動させています。

6.SYONAI HOTEL SUIDEN TERRASSE
サイエンスパークには、そこで働く研究者やその家族、視察や研修などに訪れる人々のための施設も充実しています。これらの企画・建設・運営を担っているのが、まちづくり会社「ヤマガタデザイン株式会社」です。
この会社の社長はSpiber社の関山さんと同年代の山中大介さんで、慶應義塾大学藤沢キャンパスの卒業生です。彼はバイオが専門ではなくて、大学卒業後、大手不動産会社に7年間勤めた後、退職して家族と鶴岡に移り「SYONAI HOTEL SUIDEN TERRASSE」をオープンさせました。
彼は、都会的な開発はやりたくない、鶴岡で働くことやこの場所で暮らすことに豊かさを感じられるような空間にしたいと、木造にこだわり、低層にこだわり、全部を造成するのではなく田んぼや水との調和も大切にしました。
サイエンスパーク内に宿泊施設をつくろうというときに、「普通は0点」ですから、坂茂さんというプリツカー賞を受賞された世界的に有名な建築家に設計をお願いすることになりました。木造風の田んぼに浮かぶホテル、というコンセプトで、かつ、温泉を掘って、源泉かけ流しで、露天風呂もあります。
「サイエンスパーク」や「学園都市」というと、どうも日本では研究所の団地といったお堅い感じになってしまいますが、そこにワクワクするような感じが今一つ乏しいと感じていました。欧米の研究所はみな田舎町にあって、大学にはテニスコートが6面もあったり、インドアプールがあったり、レストランやバー、ゲームセンターがあったりします。そういったものをセットでアカデミアといいますが、日本人の感覚だと無駄使いではないかと考えられ、そのようなアメニティ、無駄と思われる部分がどんどん切られてしまいます。
でも、優秀な研究者を獲得するためには、研究者本人だけではなく、家族にも「ここはいいなあ。」と思わせることが重要なことだと思います。山中さんはそれを理解して「SYONAI HOTEL SUIDEN TERRASSE」を建てたのです。
山中さんは、経済的な豊かさだけを追求することを是として競い合うということではなく、経済性と環境性と人間性のバランスを取りながら成長させていくことが、これからの人が生きやすい社会を作ることにつながり、何よりも地域資源に恵まれている地方都市に優位性があると考えています。

7.地方の優位性を活かす
ケンブリッジ大学があるケンブリッジも、オックスフォード大学があるオックスフォードも、のんびりした田園都市ですし、シリコンバレーは何の変哲もない地方都市です。むしろ、首都圏に研究所や大学が集中しているのは、ちょっとナンセンスかなと思います。恐らく、先進国では日本ぐらいではないでしょうか。欧米先進国の大学や研究所は、大体地方都市にあります。
私は、クリエイティブな仕事は東京ではなく、地方のほうが絶対によいと思っています。私たちはブレインストーミングというか、なにか良いアイデアを出し合うために合宿をするときは、普通、都会のビジネスホテルではなく、那須や軽井沢、箱根などに行って合宿をすると思います。それは、アイデア出しをするには、少しリラックスした環境で、みんなでワイワイやった方が良いことを知っているからです。
地方の優位性はたくさんあって、自然がきれいだということもありますが、一番の優位性は通勤時間だと思います。地方では歩いて5分、自転車で5分、車で5分、長くても10分といったところでしょう。これまでは東京の大企業にネクタイを締めて電車に乗って通勤することが日本人にとってのステータスでしたが、毎日、往復2時間くらいかかります。これは、本当にもったいないことです。
東京の大企業は本社機能の一部をどんどん地方に出すべきだと思います。その方が日本全体の効率は必ずよくなると思います。昔は図書館がないと研究できないといった時代もありましたが、今は論文をすべてインターネットで読むことができますし、オンラインで会議もできます。なんでもAmazonが翌日には配送してくれます。
これからは、地方の美しい自然やワークライフバランスが追い風を受け、「地方で仕事を得られなかったので、やむなく東京で就職することにした」という会話が普通になるかもしれませんね。
その時こそ、地方と都会の役割がいい感じで分散され、真の日本創生が実現するのではないかと私は思います。

講師略歴
冨田 勝(とみた まさる)
慶應義塾大学先端生命科学研究所 所長
1981年慶應義塾大学工学部数理工学科卒業。カーネギーメロン大学コンピューター科学部大学院修士課程及び博士課程を修了し、その後、カーネギーメロン准教授等を経て同大学Center for Machine Translation副所長に就任。1990年より慶應義塾大学環境情報学部助教授、教授、学部長を歴任し、2001年に先端生命科学研究所 所長に就任。2007年文部科学大臣表彰科学技術賞、2017年国際メタボローム学会国際的学術賞受賞、2021年第5回バイオインダストリー大賞など受賞。