講師
村瀬 俊朗 氏
(早稲田大学商学部 准教授)
演題
変化を力に変える行政組織-心理的安全性が拓く未来のリーダーシップ-
令和7年11月25日(火)開催
本講演では、「変化を力に変える行政組織 ―心理的安全性が拓く未来のリーダーシップ―」をテーマに、先行きの不透明な時代において、組織がいかに柔軟に対応し、チームワークとリーダーシップを通じて持続的に成長していくかが論じられました。
以下、講演内容の概要を紹介します。
変化に柔軟に対応できる組織
21世紀に入り、とりわけ2010年以降、世界市場は不確実性を増し、将来の予測が極めて困難な状況となっている。
2015年のマッキンゼーのレポートでは、人材獲得競争の激化、新興経済やテクノロジー企業の参入、知識集約型産業への利益移行などにより、市場環境はより不安定になると指摘されている。
こうした環境下では、従来のルールや成功体験に依拠するのではなく、変化に柔軟に対応できる組織文化を構築することが重要である。
不確実性が高まるほど、組織による予測や計画の限界は明確になる。そのため、単に将来を見通すのではなく、不確かさそのものに挑戦し、既存のやり方を変えながら学習していける組織づくりが求められる。
そこでは、挑戦と失敗を前提としたカルチャーが重要な意味を持つ。
アマゾン創業者のジェフ・ベゾスは、挑戦とは結果が事前に分かっていないものであり、失敗から学び続けることが成長の源泉であると述べており、多くの企業が「挑戦」を掲げながら、実際には失敗を避けようとする姿勢を示していることに対して批判的である。
組織改革やDXなどの取り組みの成功率は3割程度にとどまると言われており、挑戦の多くは失敗に終わるのが現実である。
アマゾンのAI音声認識サービスの「アレクサ」は、一定の普及をした一方で、期待通りの成果を出せたとは言い難く、近年では開発部門の縮小も行われている。
しかしアマゾンでは、こうした失敗も含めた試行錯誤そのものが組織文化として受け入れられている。
重要なのは、失敗を許容し、そこから何を学び、次の改善や発想につなげられるかであり、現場から自由に提案が生まれる環境を整えることが、変化の時代を生き抜く組織にとって不可欠なのである。
我々の発想や提案の本質は「創造性」にある。
創造性とは、これまで組み合わされたことのない要素を探索し、既存の枠組みに取り入れることによって生まれるものである。新しい要素が導入され、それが適切に結び付けられたとき、人はその提案を「新しい」と感じる。
例えば、スーツケースは、1980年代半ばまでは「持ち上げて運ぶもの」という概念に基づいていており、改良するとしても色・素材の変更、軽量化といった既存要素の微調整が中心であった。ところが、ある時、ポーターが台車で荷物を運ぶ姿に着目し、「車輪」という要素を直接スーツケースに組み合わせたことから現在のスーツケースの原型が誕生した。従来の概念には存在しなかった要素を掛け合わせたことで、新たな価値が生み出されたのである。
組織が新しい環境に対応していくためには、スーツケースの事例のように、既存の枠組みの中で要素の組み合わせを変える工夫に加え、これまでになかった要素を取り入れる姿勢が不可欠である。
「今までなかった要素の掛け合わせ」を実現できなければ、組織は環境変化に適応できない。新しいパターンを模索し続ける意識を組織全体で持つことが、創造性の出発点となる。
しかし、イノベーションは本質的に容易ではない。なぜなら、アイデアの価値は誕生した時点では分かりにくいからである。スマートフォンやハッシュタグのように、現在では当たり前とされるものも、当初は専門家や組織の内部で否定的に評価されていた。組織では、想定内に収まる提案が生き残りやすく、未知のアイデアは排除されやすい。
その背景には、人は「分からないもの」を本能的に嫌うこと、新しい提案に対しては粗探しが行われやすいこと、失敗の方が成功よりも予測しやすいこと、そして組織内の成功体験が新たな挑戦の障壁になることがある。
特に成熟した組織ほど、過去の勝ちパターンに人や資源、発想が固定化され、新しい挑戦が難しくなる。このような特性を理解した上で、創造性や挑戦を支える環境を意図的に整えることが重要である。
組織が既存の思考や行動パターンを打破していくためには、リーダーの役割が極めて重要である。
特に求められるのが、メンバーが「スピークアップ」、すなわち自らの気づきや意見を表明しやすい雰囲気を醸成することである。先行きが見えず、環境変化が激しい状況においては、現場に最も近い部下こそが、顧客の困りごとや新たなサービスの可能性に気づいている。その気づきを組織の中に引き出すことが、変化への対応力を高めることにつながる。
創造性とは、従来の考え方ややり方に疑問を投げかけ、必要に応じて修正や見直しを行う営みの結果として生まれるものである。その前提として、現場からの問題意識や提案が欠かせない。しかし、提案に対して性急に結論を求めたり、内容の不備を厳しく問い詰めたりすると、次第に発言そのものが控えられるようになる。
重要なのは、意見の一致を急ぐことではなく、メンバーそれぞれが持つ知見や価値観を共有し、固定観念や既存のやり方を相対化しながら、複数の意見を組み合わせていく過程を大切にする姿勢である。こうした環境が整って初めて、現場の部下は安心して問題意識や気づきをスピークアップできるようになる。
そのための基盤となる概念が「心理的安全性」である。心理的安全性が確保された組織においてこそ、メンバーは失敗や未完成な提案を恐れずに意見を述べ、組織としての学習と創造が促進されるのである。
心理的安全性
心理的安全性とは、1990年代後半にハーバード・ビジネス・スクールのエイミー・C・エドモンドソンによって提唱された概念であり、組織の創造性や学習能力を高め、不祥事や隠蔽の抑制にもつながるとされている。組織は人の集まりであり、互いの知見や価値観を共有し、自由に議論できる状態が不可欠である。心理的安全性が高い環境では多様な意見が表出しやすくなり、困難な課題に対しても新しい発想を模索することが可能となる。
一方で、発言すると否定されたり、馬鹿にされたりするのではないかという不安が支配する職場では、心理的安全性が低く、「スピークアップ」は起こりにくい。しかし、多少間違っていても耳を傾けてもらえ、反対意見であっても排除されない雰囲気があれば、メンバーは「発言してみよう」と感じるようになる。
エドモンドソンは病院を対象に調査を行い、心理的安全性が高い職場ほどエラーの報告件数が多いという結果を得た。一見すると矛盾するように見えるが、これは心理的安全性が低い環境では、ミスをしても叱責を恐れて報告が行われないためである。心理的安全性が高い職場では、報告することへの抵抗感が少なく、結果として情報が組織に蓄積される。こうした「スピークアップ」によって、ミスの原因が個人の問題なのか、組織構造上の問題なのかが明らかになり、学習の機会が生まれる。これがなければ、組織の成長や創造は期待できない。
心理的安全性の実践例として、アニメーション制作会社ピクサーでは、制作チームが最初に提出する提案は未完成で穴だらけであることを前提としており、過去の制作に携わった先輩たちと率直に議論する「ブレイン・トラスト」という場を設けている。この場では、提案を否定するのではなく、問題点を言語化し、改善の方向性を共に考えるプロセスが重視されている。こうした議論を何度も繰り返すことで、作品の質が高められていく。
逆に、完璧さを求め、提案の粗を厳しく責める職場では、次第に誰も提案をしなくなる。実際に、たたき台を求められたにもかかわらず、高い完成度を要求されて叱責された結果、提案そのものが恐怖となり、業務が停滞してしまった事例もある。重要なのは、まず提案してもらい、議論を通じて学習と改善を促す雰囲気をつくることである。そのためには、非難や皮肉を避け、互いに敬意を払いながら、本質的な課題と解決策に焦点を当てた対話を積み重ねることが不可欠である。
心理的安全性について説明すると、「甘い」「ぬるま湯ではないか」「数字を背負う組織にそんな余裕はない」といった反応が返ってくることがある。しかし、他者と多角的に議論できることこそ、真の課題の特定や問題解決の糸口となるのであり、高い目標を掲げ、厳しい成果を求められる職場ほど、心理的安全性が不可欠なのである。
声を挙げやすい職場づくりのための四つの要素
1.変化を促す
声を挙げやすい職場をつくるためには、リーダーの関わり方が極めて重要である。リーダーには、部下が高い目標や変化に挑戦する理由を理解できるよう、「なぜそれが必要なのか」という目的や背景を丁寧に伝えることが求められる。部下はリーダーに対して、ビジョンやゴール設定、変化の必要性を明確に語ってほしいと考えている、という調査があり、DX改革に成功している企業では、リーダーが危機意識や変化の必然性を言葉にし、新しい挑戦を促していることが明らかになっている。
ただし、言葉だけでは不十分であり、リーダー自身が模範となる行動を示すことが不可欠である。部下はリーダーの言動が一致しているかを敏感に見ており、行動によって本気度を判断している。身近に手本となる存在があることで、望ましい行動が理解されやすくなり、学習や自信の形成が促される。生産現場の安全性向上の事例に見られるように、「安全優先」を掲げるだけでなく、不安全行動があれば実際に機械を止め、その判断を称えるなど、一貫した行動と組織的な支援が文化を形づくるのである。
2.耳を傾ける
部下の声を引き出すためには、リーダーが積極的に耳を傾ける姿勢を持つことが重要である。役職が上がるほど現場から距離が生じるため、多様な意見を意識的に吸い上げなければならない。相手の話を途中で遮らず、すぐに否定せず、その背景にある意図を理解しようとする態度が、発言のしやすさを生む。相手を理解したうえで議論することで、より建設的な解決策が導き出されるようになる。
そのための工夫としては、少人数の場を設けること、プロジェクト初期に時間をかけて意見を集めること、質問の仕方を変えて発想を引き出すこと、あえて「失敗した場合」を仮定して議論することなどが有効である。
前提や問いを変えることで、表に出にくかった懸念や新たな視点が共有され、組織としてより柔軟で創造的な判断が可能になるのである。
3.力を与える
組織において部下が自立的に行動するためには、リーダーが意図的に「力を与える」ことが不可欠である。その第一歩は、声を挙げる行動や自律的に動くことが当たり前になる規範を職場に根付かせることである。
個人に呼びかけるだけでは行動は変わらず、周囲の行動が基準となって初めて変化が生まれる。リーダーは、変化を受け入れ、外部情報を収集し、将来を見据えて考えるといった行動を評価し、職場の標準として定着させていく必要がある。
同時に、部下に権限や裁量が与えられていなければ、いくら声を出しても実際の行動にはつながらない。自由度のない環境では、創造的な判断や主体的な行動は抑制される。官僚的な管理が強い組織では、顧客のために考えて動いた行為ですら、マニュアル逸脱として叱責され、結果として「自分で考えて動かない」選択が合理的になってしまう。こうした状況は、組織の成長や学習を阻害する。
短期的には管理職が仕事を巻き取った方が早い場合もあるが、それを続ければ部下の経験値は蓄積されず、自発性は失われていく。多くの研究が示すように、現場への裁量権委譲は自発的行動を促進し、役割が限定されるほど主体性は低下する。部下に任せ、待つこともマネジメントの重要な役割である。
もっとも、権限を与えられても、人は自信がなければ動けない。自信は、成功体験、身近な手本からの学習、そして「あなたはできる」と言葉で伝えられることによって育まれる。部下の成長や能力の伸びを具体的に示し、自ら考えて行動することを後押しする説得が重要である。本心からの称賛は、次の挑戦への意欲と自信につながり、経験と評価が組み合わさることで、部下は力を得ていく。
4.思いやる
加えて、声を挙げやすい職場には「思いやり」に基づく関係性が欠かせない。組織の関係性は、役割に基づく上下関係から始まるが、成熟すると個人と個人のつながりへと発展する。そこには、能力や実績に基づく「認知的信頼」だけでなく、「この人になら言っても大丈夫だ」という「感情的信頼」、すなわち「心のつながり」が必要である。
この「心のつながり」は、共有体験や日常的な対話、困難な仕事を共に乗り越えた経験、さらには上司が自らの弱さを開示することによって育まれる。心理的安全性を高めるためには、上司が意識的にこうした関係性を築き、部下と向き合う姿勢を持つことが重要なのである。
アライメントの揃った組織
組織の階層が上がるほど、マネージャーとメンバーとの心理的距離は広がり、直接的なやり取りが難しくなる。その結果、現場のメンバーがトップやミドルリーダーの意図する方向性に十分コミットできない状況が生まれやすくなる。こうした分断を防ぐうえで重要なのが、課長・係長クラスといった現場リーダーの存在である。
成功している企業では、現場リーダーがトップ・ミドルリーダーの意図に強くコミットしており、その度合いは成功していない企業よりも高いことが示されている。トップ・ミドルの考えや狙いを現場リーダーが腹落ちさせることで、彼らが率いる各部隊は一貫性を持って行動しやすくなる。
一方で、トップ・ミドルリーダーが全体に向けて方針を示すだけで、その背景や目的を十分に共有しなければ、組織は期待通りに機能しない。また、現場リーダーが他のリーダー層や上位層と意思疎通を図らず、独自の判断で現場を動かしてしまうと、組織全体の動きはばらばらになってしまう。
トップ・ミドルリーダーと現場リーダーが一体となったリーダーシップチームを形成し、方向性や価値観、言動の基準を共有することで、各現場に一貫した行動が生まれる。現場リーダーが中心となって実行を担いながらも、組織全体として方針が揃った状態、すなわちアライメントの取れた強い組織が構築されるのである。
最後に
変化を起こすためには、心理的安全性を基盤として現場の力を引き出すことが不可欠である。そのために、声を挙げやすい職場づくりの四つの要素を各職場で実践していくことが重要である。また、トップ・ミドルリーダーにとって、現場リーダーは最も重要なパートナーであり、彼らとの関係性を大切にすることが、組織全体に意図や思いを浸透させる原動力となるのである。
講師略歴
村瀬 俊朗(むらせ としお)
早稲田大学商学部 准教授
1997年の高校卒業後、渡米。2011年にUniversity of Central Floridaから産業組織心理学の博士号を取得。Northwestern UniversityおよびGeorgia Institute of Technologyで博士研究員(ポスドク)として就労後、シカゴにあるRoosevelt Universityで教鞭を執る。2017年9月から現職であり、専門はリーダーシップとチームワーク研究。『恐れのない組織』(エイミー・C・エドモンドソン著、野津智子訳、2021年、英治出版)や『失敗できる組織』(エイミー・C・エドモンドソン著、土方奈美訳、2025年、早川書房)の解説者。大学の仕事以外では、数々の企業との共同研究やアドバイザリィ活動を通じて、リーダーシップ、チームワーク、組織開発に関する組織の課題に対して助言や伴走を行っている。
村瀬 俊朗 氏
(早稲田大学商学部 准教授)
演題
変化を力に変える行政組織-心理的安全性が拓く未来のリーダーシップ-
令和7年11月25日(火)開催
本講演では、「変化を力に変える行政組織 ―心理的安全性が拓く未来のリーダーシップ―」をテーマに、先行きの不透明な時代において、組織がいかに柔軟に対応し、チームワークとリーダーシップを通じて持続的に成長していくかが論じられました。
以下、講演内容の概要を紹介します。
変化に柔軟に対応できる組織
21世紀に入り、とりわけ2010年以降、世界市場は不確実性を増し、将来の予測が極めて困難な状況となっている。
2015年のマッキンゼーのレポートでは、人材獲得競争の激化、新興経済やテクノロジー企業の参入、知識集約型産業への利益移行などにより、市場環境はより不安定になると指摘されている。
こうした環境下では、従来のルールや成功体験に依拠するのではなく、変化に柔軟に対応できる組織文化を構築することが重要である。
不確実性が高まるほど、組織による予測や計画の限界は明確になる。そのため、単に将来を見通すのではなく、不確かさそのものに挑戦し、既存のやり方を変えながら学習していける組織づくりが求められる。
そこでは、挑戦と失敗を前提としたカルチャーが重要な意味を持つ。
アマゾン創業者のジェフ・ベゾスは、挑戦とは結果が事前に分かっていないものであり、失敗から学び続けることが成長の源泉であると述べており、多くの企業が「挑戦」を掲げながら、実際には失敗を避けようとする姿勢を示していることに対して批判的である。
組織改革やDXなどの取り組みの成功率は3割程度にとどまると言われており、挑戦の多くは失敗に終わるのが現実である。
アマゾンのAI音声認識サービスの「アレクサ」は、一定の普及をした一方で、期待通りの成果を出せたとは言い難く、近年では開発部門の縮小も行われている。
しかしアマゾンでは、こうした失敗も含めた試行錯誤そのものが組織文化として受け入れられている。
重要なのは、失敗を許容し、そこから何を学び、次の改善や発想につなげられるかであり、現場から自由に提案が生まれる環境を整えることが、変化の時代を生き抜く組織にとって不可欠なのである。
我々の発想や提案の本質は「創造性」にある。
創造性とは、これまで組み合わされたことのない要素を探索し、既存の枠組みに取り入れることによって生まれるものである。新しい要素が導入され、それが適切に結び付けられたとき、人はその提案を「新しい」と感じる。
例えば、スーツケースは、1980年代半ばまでは「持ち上げて運ぶもの」という概念に基づいていており、改良するとしても色・素材の変更、軽量化といった既存要素の微調整が中心であった。ところが、ある時、ポーターが台車で荷物を運ぶ姿に着目し、「車輪」という要素を直接スーツケースに組み合わせたことから現在のスーツケースの原型が誕生した。従来の概念には存在しなかった要素を掛け合わせたことで、新たな価値が生み出されたのである。
組織が新しい環境に対応していくためには、スーツケースの事例のように、既存の枠組みの中で要素の組み合わせを変える工夫に加え、これまでになかった要素を取り入れる姿勢が不可欠である。
「今までなかった要素の掛け合わせ」を実現できなければ、組織は環境変化に適応できない。新しいパターンを模索し続ける意識を組織全体で持つことが、創造性の出発点となる。
しかし、イノベーションは本質的に容易ではない。なぜなら、アイデアの価値は誕生した時点では分かりにくいからである。スマートフォンやハッシュタグのように、現在では当たり前とされるものも、当初は専門家や組織の内部で否定的に評価されていた。組織では、想定内に収まる提案が生き残りやすく、未知のアイデアは排除されやすい。
その背景には、人は「分からないもの」を本能的に嫌うこと、新しい提案に対しては粗探しが行われやすいこと、失敗の方が成功よりも予測しやすいこと、そして組織内の成功体験が新たな挑戦の障壁になることがある。
特に成熟した組織ほど、過去の勝ちパターンに人や資源、発想が固定化され、新しい挑戦が難しくなる。このような特性を理解した上で、創造性や挑戦を支える環境を意図的に整えることが重要である。
組織が既存の思考や行動パターンを打破していくためには、リーダーの役割が極めて重要である。
特に求められるのが、メンバーが「スピークアップ」、すなわち自らの気づきや意見を表明しやすい雰囲気を醸成することである。先行きが見えず、環境変化が激しい状況においては、現場に最も近い部下こそが、顧客の困りごとや新たなサービスの可能性に気づいている。その気づきを組織の中に引き出すことが、変化への対応力を高めることにつながる。
創造性とは、従来の考え方ややり方に疑問を投げかけ、必要に応じて修正や見直しを行う営みの結果として生まれるものである。その前提として、現場からの問題意識や提案が欠かせない。しかし、提案に対して性急に結論を求めたり、内容の不備を厳しく問い詰めたりすると、次第に発言そのものが控えられるようになる。
重要なのは、意見の一致を急ぐことではなく、メンバーそれぞれが持つ知見や価値観を共有し、固定観念や既存のやり方を相対化しながら、複数の意見を組み合わせていく過程を大切にする姿勢である。こうした環境が整って初めて、現場の部下は安心して問題意識や気づきをスピークアップできるようになる。
そのための基盤となる概念が「心理的安全性」である。心理的安全性が確保された組織においてこそ、メンバーは失敗や未完成な提案を恐れずに意見を述べ、組織としての学習と創造が促進されるのである。
心理的安全性
心理的安全性とは、1990年代後半にハーバード・ビジネス・スクールのエイミー・C・エドモンドソンによって提唱された概念であり、組織の創造性や学習能力を高め、不祥事や隠蔽の抑制にもつながるとされている。組織は人の集まりであり、互いの知見や価値観を共有し、自由に議論できる状態が不可欠である。心理的安全性が高い環境では多様な意見が表出しやすくなり、困難な課題に対しても新しい発想を模索することが可能となる。
一方で、発言すると否定されたり、馬鹿にされたりするのではないかという不安が支配する職場では、心理的安全性が低く、「スピークアップ」は起こりにくい。しかし、多少間違っていても耳を傾けてもらえ、反対意見であっても排除されない雰囲気があれば、メンバーは「発言してみよう」と感じるようになる。
エドモンドソンは病院を対象に調査を行い、心理的安全性が高い職場ほどエラーの報告件数が多いという結果を得た。一見すると矛盾するように見えるが、これは心理的安全性が低い環境では、ミスをしても叱責を恐れて報告が行われないためである。心理的安全性が高い職場では、報告することへの抵抗感が少なく、結果として情報が組織に蓄積される。こうした「スピークアップ」によって、ミスの原因が個人の問題なのか、組織構造上の問題なのかが明らかになり、学習の機会が生まれる。これがなければ、組織の成長や創造は期待できない。
心理的安全性の実践例として、アニメーション制作会社ピクサーでは、制作チームが最初に提出する提案は未完成で穴だらけであることを前提としており、過去の制作に携わった先輩たちと率直に議論する「ブレイン・トラスト」という場を設けている。この場では、提案を否定するのではなく、問題点を言語化し、改善の方向性を共に考えるプロセスが重視されている。こうした議論を何度も繰り返すことで、作品の質が高められていく。
逆に、完璧さを求め、提案の粗を厳しく責める職場では、次第に誰も提案をしなくなる。実際に、たたき台を求められたにもかかわらず、高い完成度を要求されて叱責された結果、提案そのものが恐怖となり、業務が停滞してしまった事例もある。重要なのは、まず提案してもらい、議論を通じて学習と改善を促す雰囲気をつくることである。そのためには、非難や皮肉を避け、互いに敬意を払いながら、本質的な課題と解決策に焦点を当てた対話を積み重ねることが不可欠である。
心理的安全性について説明すると、「甘い」「ぬるま湯ではないか」「数字を背負う組織にそんな余裕はない」といった反応が返ってくることがある。しかし、他者と多角的に議論できることこそ、真の課題の特定や問題解決の糸口となるのであり、高い目標を掲げ、厳しい成果を求められる職場ほど、心理的安全性が不可欠なのである。
声を挙げやすい職場づくりのための四つの要素
1.変化を促す
声を挙げやすい職場をつくるためには、リーダーの関わり方が極めて重要である。リーダーには、部下が高い目標や変化に挑戦する理由を理解できるよう、「なぜそれが必要なのか」という目的や背景を丁寧に伝えることが求められる。部下はリーダーに対して、ビジョンやゴール設定、変化の必要性を明確に語ってほしいと考えている、という調査があり、DX改革に成功している企業では、リーダーが危機意識や変化の必然性を言葉にし、新しい挑戦を促していることが明らかになっている。
ただし、言葉だけでは不十分であり、リーダー自身が模範となる行動を示すことが不可欠である。部下はリーダーの言動が一致しているかを敏感に見ており、行動によって本気度を判断している。身近に手本となる存在があることで、望ましい行動が理解されやすくなり、学習や自信の形成が促される。生産現場の安全性向上の事例に見られるように、「安全優先」を掲げるだけでなく、不安全行動があれば実際に機械を止め、その判断を称えるなど、一貫した行動と組織的な支援が文化を形づくるのである。
2.耳を傾ける
部下の声を引き出すためには、リーダーが積極的に耳を傾ける姿勢を持つことが重要である。役職が上がるほど現場から距離が生じるため、多様な意見を意識的に吸い上げなければならない。相手の話を途中で遮らず、すぐに否定せず、その背景にある意図を理解しようとする態度が、発言のしやすさを生む。相手を理解したうえで議論することで、より建設的な解決策が導き出されるようになる。
そのための工夫としては、少人数の場を設けること、プロジェクト初期に時間をかけて意見を集めること、質問の仕方を変えて発想を引き出すこと、あえて「失敗した場合」を仮定して議論することなどが有効である。
前提や問いを変えることで、表に出にくかった懸念や新たな視点が共有され、組織としてより柔軟で創造的な判断が可能になるのである。
3.力を与える
組織において部下が自立的に行動するためには、リーダーが意図的に「力を与える」ことが不可欠である。その第一歩は、声を挙げる行動や自律的に動くことが当たり前になる規範を職場に根付かせることである。
個人に呼びかけるだけでは行動は変わらず、周囲の行動が基準となって初めて変化が生まれる。リーダーは、変化を受け入れ、外部情報を収集し、将来を見据えて考えるといった行動を評価し、職場の標準として定着させていく必要がある。
同時に、部下に権限や裁量が与えられていなければ、いくら声を出しても実際の行動にはつながらない。自由度のない環境では、創造的な判断や主体的な行動は抑制される。官僚的な管理が強い組織では、顧客のために考えて動いた行為ですら、マニュアル逸脱として叱責され、結果として「自分で考えて動かない」選択が合理的になってしまう。こうした状況は、組織の成長や学習を阻害する。
短期的には管理職が仕事を巻き取った方が早い場合もあるが、それを続ければ部下の経験値は蓄積されず、自発性は失われていく。多くの研究が示すように、現場への裁量権委譲は自発的行動を促進し、役割が限定されるほど主体性は低下する。部下に任せ、待つこともマネジメントの重要な役割である。
もっとも、権限を与えられても、人は自信がなければ動けない。自信は、成功体験、身近な手本からの学習、そして「あなたはできる」と言葉で伝えられることによって育まれる。部下の成長や能力の伸びを具体的に示し、自ら考えて行動することを後押しする説得が重要である。本心からの称賛は、次の挑戦への意欲と自信につながり、経験と評価が組み合わさることで、部下は力を得ていく。
4.思いやる
加えて、声を挙げやすい職場には「思いやり」に基づく関係性が欠かせない。組織の関係性は、役割に基づく上下関係から始まるが、成熟すると個人と個人のつながりへと発展する。そこには、能力や実績に基づく「認知的信頼」だけでなく、「この人になら言っても大丈夫だ」という「感情的信頼」、すなわち「心のつながり」が必要である。
この「心のつながり」は、共有体験や日常的な対話、困難な仕事を共に乗り越えた経験、さらには上司が自らの弱さを開示することによって育まれる。心理的安全性を高めるためには、上司が意識的にこうした関係性を築き、部下と向き合う姿勢を持つことが重要なのである。
アライメントの揃った組織
組織の階層が上がるほど、マネージャーとメンバーとの心理的距離は広がり、直接的なやり取りが難しくなる。その結果、現場のメンバーがトップやミドルリーダーの意図する方向性に十分コミットできない状況が生まれやすくなる。こうした分断を防ぐうえで重要なのが、課長・係長クラスといった現場リーダーの存在である。
成功している企業では、現場リーダーがトップ・ミドルリーダーの意図に強くコミットしており、その度合いは成功していない企業よりも高いことが示されている。トップ・ミドルの考えや狙いを現場リーダーが腹落ちさせることで、彼らが率いる各部隊は一貫性を持って行動しやすくなる。
一方で、トップ・ミドルリーダーが全体に向けて方針を示すだけで、その背景や目的を十分に共有しなければ、組織は期待通りに機能しない。また、現場リーダーが他のリーダー層や上位層と意思疎通を図らず、独自の判断で現場を動かしてしまうと、組織全体の動きはばらばらになってしまう。
トップ・ミドルリーダーと現場リーダーが一体となったリーダーシップチームを形成し、方向性や価値観、言動の基準を共有することで、各現場に一貫した行動が生まれる。現場リーダーが中心となって実行を担いながらも、組織全体として方針が揃った状態、すなわちアライメントの取れた強い組織が構築されるのである。
最後に
変化を起こすためには、心理的安全性を基盤として現場の力を引き出すことが不可欠である。そのために、声を挙げやすい職場づくりの四つの要素を各職場で実践していくことが重要である。また、トップ・ミドルリーダーにとって、現場リーダーは最も重要なパートナーであり、彼らとの関係性を大切にすることが、組織全体に意図や思いを浸透させる原動力となるのである。
講師略歴
村瀬 俊朗(むらせ としお)
早稲田大学商学部 准教授
1997年の高校卒業後、渡米。2011年にUniversity of Central Floridaから産業組織心理学の博士号を取得。Northwestern UniversityおよびGeorgia Institute of Technologyで博士研究員(ポスドク)として就労後、シカゴにあるRoosevelt Universityで教鞭を執る。2017年9月から現職であり、専門はリーダーシップとチームワーク研究。『恐れのない組織』(エイミー・C・エドモンドソン著、野津智子訳、2021年、英治出版)や『失敗できる組織』(エイミー・C・エドモンドソン著、土方奈美訳、2025年、早川書房)の解説者。大学の仕事以外では、数々の企業との共同研究やアドバイザリィ活動を通じて、リーダーシップ、チームワーク、組織開発に関する組織の課題に対して助言や伴走を行っている。

