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8,000m峰は居酒屋のようなもの

看護師・登山家
渡邊 直子

 世界に8,000mを超える山は14座あり、私はそのすべてを登頂しました。看護師として働きながら、給料をつぎ込んで、時には借金をしてでも8,000m峰に通うという生活を10年以上続けてきました。14座登頂した今でも8,000m峰遠征に行き続けています。
 日本人にとって「ヒマラヤ」は、過酷な場所であり、敷居の高いところというイメージがまだまだあるような気がしています。しかし、実際は、楽しいところなのです。ベースキャンプにはカフェやバーがあり、暖炉のある巨大なドームテントの中で、シェフが作る各国のおいしい料理が食べられ、ベッドで寝ることができます。最近では王族やモデル、女優、社長令嬢など、登山経験の少ない各国のお金持ちが、何千万円と払って、シェルパをたくさんガイドにつけ、酸素ボンベを大量に吸いながら、登頂するケースも増えてきました。どんな人でも、同じ人間として立場関係なく接することができるのがヒマラヤの魅力の一つです。
 また、遠征を共にするシェルパたちと、たわいのない話をしたり、時には深い話をしてシェルパたちの考え方に触れます。シェルパたちの間に“いじめ”がなく、“許す文化”があります。また、8,000m峰では生死に関わる場面や判断に迫られることもありますが、その時、知らなかった新たな自分の一面に出会うことがあります。ヒマラヤは学びの場でもあるのです。
 私にとってヒマラヤは、完全に「息抜き」なのです。日本にいると、人間関係で息苦しくなったり、いろいろなことを億劫に感じたりすることが多いのですが、ヒマラヤで過ごすと、いつも不思議と「素直な自分」に戻れる感覚があります。人と話すことが苦にならず、心が解きほぐされていく。シェルパたちの考え方に触れたり、毎日起こるハプニングや普段できない刺激的な体験をしたり、圧倒的な景色を目の前にしたりすることで、日常の悩みや不安が一気にちっぽけになってくるのです。つまり、私にとってヒマラヤは、皆さんが仕事終わりに同僚や友人と居酒屋で一杯やるようなもの。そんな“居酒屋通い”を続けていたら、いつの間にか世界の女性のなかで最多の31回も8,000m峰に登っていました。登頂することよりも、楽しむことを第一の目的にしている人は、きっと世界で私ひとりだけでしょう。
 かつて高齢者施設で、政府の高官を務めた方を看取ったことがありました。社会的に高い地位を築き、権威ある立場にあった方でしたが、晩年は認知症になり、敷地内を車いすで徘徊する毎日でした。その姿を見て、「あれほどの地位を手にしても、最後はこうなってしまうのか」と思わずにはいられませんでした。さらに、テレビ業界で長年華やかに活躍していた方をケアしたこともあります。かつては多くの人に知られた存在でしたが、家族すら誰ひとり訪ねてきませんでした。孤独に過ごすその姿に、「成功しても人生の最期が報われるとは限らない」と痛感しました。
 長生きすることが必ずしも幸せではないし、社会的な成功が幸福な人生の結末を保証するわけでもない。むしろ、たとえ短くても、濃く充実した時間を生きられたなら、それで十分なのではないか。大切なのは、どれだけ長く生きるかではなく、「いい人生だった」と思えるかどうかだと。本来の自分に戻ることができたら、自分を少しずつ好きになれる。私は「いい人生だったな」と笑って死ねるように、そんな自分に近づくための挑戦を重ねています。