このページの本文へ移動
稚内市~最北端における江戸後期の軌跡と風力発電
函館税関稚内税関支署 支署長
井口 富夫

1.はじめに
 稚内税関支署が所在する稚内市は日本最北端にあり、宗谷海峡をはさんで東はオホーツク海、西は日本海に面し、宗谷岬からわずか43kmの地にサハリン(旧樺太)の島影を望む国境の街です。
 ここは、江戸時代の貞享年間(1684~1687年)に松前藩が、宗谷に藩主直轄の宗谷場所を開設したのが始まりで、以来、アイヌの人々との交易の場として、また北方警備の要所として栄えてきました。
 そして、明治12年(1879年)宗谷村に戸長(こちょう)役場が置かれた年を市の開基としています。
 日露戦争後の明治38年(1905年)南樺太が日本の領土となり、大正12年(1923年)稚内~樺太間に定期航路が開設されてからは、交通運輸の基地として発展を続け、昭和24年(1949年)には北海道で14番目となる市制が施行されました。
 戦後は、「水産」を中心に「酪農」「観光」を三本柱として飛躍を続け、北海道北部の中核都市という機能も果たしています。
 稚内税関支署は、明治30年(1897年)に監視署が設置されたのが始まりで、昭和22年(1947年)税関支署に昇格し、その翌年の昭和23年(1948年)に稚内港が開港に指定されました。
 平成に入ると、旧ソ連崩壊に伴いロシア・サハリンなどからカニを積載した外国貿易船の入港が激増し、年間4,000隻を超える年(平成9年、当時の全国8位)もありましたが、その後年々減少し、現在は100隻を下回る入港隻数で推移し、主な積載貨物もカニからウニへと変わっています。
2.江戸後期の軌跡
 稚内市には、江戸後期にまつわる記念碑や記録などがたくさんありますが、ここではその一部をご紹介します。
(1)間宮林蔵渡樺(とかば)出港の地
 間宮林蔵は、文化5年(1808年)幕府から命を受け樺太探検に出発し、その翌年に樺太北端まで踏査して樺太が島であることを確認しました。この時の探検地図が後にシーボルトによって紹介され、樺太北部と大陸の間が「間宮海峡」と命名されています。
 この樺太探検の出発の地として考えられているのが、宗谷岬から西へ3kmの地点にある「間宮林蔵渡樺出港の地」(写真)です。彼の著書「東韃(とうだつ)紀行」では、その出発点は「宗谷」とあるだけですが、林蔵の墓石が見つかったことやアイヌの「林蔵祭」伝承などから、出発の地としてこの場所に記念碑が建立されました。
 林蔵は出発の際、生きて再び日本の土は踏めないと覚悟し、郷里から持ってきた自分の墓石を海岸に建て、探検への決意を示して旅立ったと言われています。また、宗谷アイヌに「もし生きて帰れなかったら線香の一本でもたむけてほしい」と言い残し、以来、宗谷アイヌはこの墓石を囲み年に何回か「林蔵祭」を行い、それが代々引き継がれてきました。
 なお、宗谷岬には彼の偉業を称えた立像も建立されています(写真)。
(2)旧藩士の墓
 江戸幕府は、度重なるロシアの南下※に備えるため、文化4年(1807年)に津軽藩士、翌年には同じ東北の会津藩士に北方警備を命じ、宗谷に派遣されました。樺太の背後にロシアの脅威※を感じた幕府が、間宮林蔵らに樺太探検を命じたのもこの頃です。
 しかし、東北とは全く違う厳しい寒さに対し、十分な装備もないまま冬を迎えることになり、多数の越冬死者を出しました(一冬で50名余りが死亡)。
 旧藩士の墓は全部で13基あり、この時に犠牲になった会津藩士をはじめ、秋田藩士や幕府関係者らが葬られています。
 これらの墓は、かつて点々として海岸や道端などにあったものを明治時代に村民の手により1か所に集められ、さらに昭和33年(1957年)に現在地(宗谷岬から西へ7.7kmにある宗谷歴史公園)に移されました。(写真)
(3)津軽藩兵詰合の記念碑
 前述のように北方警備のため幕府の命により派遣された藩士達は、寒さと野菜不足からくる水腫病により多くの方が亡くなったと記録されています。(水腫病…身体の組織の間にリンパ液などが多量にたまった状態)
 その水腫病に対してコーヒーに薬効があることが当時既に発見されていましたが、残念ながら実際に水腫病の予防薬として和蘭コーヒー豆が配給されたのは、その何十年もあとのことでした。
 当時、コーヒーは一般に出回っておらず、庶民が口にしたのはこの頃が初めてと言われています。
 前述した宗谷歴史公園内には津軽藩兵詰合の記念碑があります。この碑は、コーヒーを飲むことができずに亡くなった藩士達を悼み、津軽藩士の故郷である弘前市の有志が中心となり平成4年に建立したもので、コーヒー豆の形をしています。(写真)
(4)国内初のストーブ 宗谷で誕生
 安政3年(1856年)、箱館(函館)奉行の役人だった梨本弥五郎は、宗谷に赴任することが決まった際、妻を伴って行くことを決意しましたが、暖房の設備に不安を感じていたことから、かつて英国船で見たことがあった煙突のついたストーブの原型を箱館の職人に命じて作らせ、宗谷に送ってもらうことにしました。しかし、慣れない作業のため、年が暮れようとしている時期になっても思うような物が作れず、おまけに同僚の妻が身ごもっていたこともあり、弥五郎は宗谷で試作することを思い立ちます。
 ちょうど宗谷には、鉄砲修理等を手掛ける腕の立つ鍛冶屋のアイヌがいたため、彼に鉄製で試作させたところ、箱館で作る予定だった鋳物の3分の1の費用で作ることができました。こうして完成した1号機は早速同僚宅で重宝され、続いて同じく辺境の地だった網走・斜里方面へも送られ、全道へと広がりました。厳しい環境で越冬する者にとっては救いの神となり、宗谷はストーブ国産、実用化の発祥の地として語り継がれています。
 江戸後期にまつわるお話はほかにもあり、あの桜吹雪の刺青で有名な遠山の金さんの父である遠山金四郎景晋(かげくに)が、文化3年(1806年)宗谷へ来たという記録が残っています。遠山金四郎景晋らの蝦夷地調査などに基づき、宗谷も含めた蝦夷全域が幕府の支配下におかれ、前述の北方警備へとつながっていきます。
※ 当時ロシアは、最高級品としてヨーロッパで需要の高かったラッコなどの毛皮を求めてオホーツク海を南下していましたが、漁のための食糧、燃料を確保するため、日本と通商条約を結ぼうとしました。しかし、幕府は鎖国を理由に通商を認めなかったため、交渉を担当したロシア人は憤懣を抱き、日本に軍事的圧力をかけてこれを認めさせようとし、樺太、宗谷などの海域で船や番屋を襲うなど略奪行為を繰り返しました。しかし、これらの行為はロシアの国益に反するとして、彼らは同国の海軍大佐に逮捕されますが、日本側は誰もそのことを知らずに、来るはずのないロシア船を藩士たちも幕府の役人たちも待ち続けることになります。
3.風力発電
 稚内市の特性である「風」は、年間平均風速7m、風速10m以上の日が90日を超すことから、風力発電の導入が進み、現在市内では136基、発電規模約34万kwの風車が設置されています。
 風力発電は市内10か所に点在していますが、そのうち一番大きな規模を誇るのが「宗谷岬ウィンドファーム」です(写真)。57基もの風車があり、壮観な景色が広がっています。
 ここにはフォトスポットとして人気のある「白い道」があります。約3kmの散策路で稚内の名産であるホタテの貝殻を敷き詰めており、宗谷丘陵のなだらかな斜面に建てられた白い大風車群と緑の草むらのなかに伸びる白い道、その美しいコントラストが話題となっています(写真がカラーでないのが残念です)。
 風力発電は稚内市だけでなく、その周辺である宗谷地方全体で200基余りが設置されており、北海道にある風力発電の半分以上を占めています。今後も同地域では風力発電の大規模な計画が公表されており、再生可能エネルギーの最先端を行く地域として注目されています。
4.おわりに
 幕府の命令により遠路はるばる赴任してきた藩士達ですが、想像を絶するこの地の冬の厳しさになすすべもなく多くの方が亡くなりました。この当時の状況は、同じ宮仕えとして身につまされる思いがします。その苦しめられてきたであろう「風」に対し、最先端の技術により再生可能エネルギーとして活用している今の状況は、当時の藩士達にどう映っているのか聞いてみたい気もします。
 稚内市の魅力は、ここでご紹介したほかにもたくさんあり、夏は20度を超える程度のしのぎやすい気候、美しい北方景観が自慢の利尻礼文サロベツ国立公園、豊富な海の幸など、これらを目的に多くの観光客が訪れる北海道有数の観光地でもあります。みなさんもぜひ、この「さいはて」の街に足を運んでみてはいかがでしょうか。

参考文献
稚内市ホームページ
稚内市・稚内観光協会著「わたしがガイド」
おわり


宮古島~国際的なリゾート地に向かって~
沖縄地区税関宮古島税関支署 統括監視官(総括部門)
宮里 典明

1.はじめに
 宮古列島は宮古島、池間島、大神島、来間島、伊良部島、下地島の大小6つの島々からなり、琉球諸島のほぼ中間に位置しています。最も大きい島は宮古島で総面積の約78%を占めており、宮古島と池間島は池間大橋、宮古島と来間島は来間大橋、宮古島と伊良部島は伊良部大橋、によって結ばれています。人口は沖縄県内の市町村で第9位(令和6年10月現在約5万3千人)となっていますが、宮古島市には住民票を移していない人が数万人規模でいると噂されています。
 なお、現在の市域には、かつて平良市及び宮古郡伊良部町・上野村・城辺町・下地町の5市町村が存在していたものの、平成17年10月1日に合併(新設合併)して宮古島市が誕生しました。
 去る令和7年10月には、市制施行20周年を記念するイベントが多数催され、多くの市民が節目を祝いました。
写真 宮古島市市制施行20周年記念ロゴ(宮古島市役所提供)
2.宮古島市の特色
 宮古島は美しい海と自然が魅力です。特に「東洋一美しい」と称される与那覇前浜ビーチや、宮古島の最東端にある東平安名崎、砂山ビーチなどが人気です。また、宮古島は周辺の島々を結ぶ橋が整備されており、平成27年に開通した宮古島本島と伊良部島を結ぶ全長3,540mの伊良部大橋は、無料で渡れる橋としては日本最長の橋といわれています。このほかにも来間島や池間島などへの大橋ドライブ中にウミガメが水面で泳いでいる姿を見ることができます。
 島の特徴として、海に囲まれた隆起珊瑚礁からなる平坦な島で、低い台地状を呈し、山岳部は少なく、大きな河川もなく、生活用水等のほとんどを地下水に頼っています。その現状と合わせ、宮古島では地下水を守ることと環境作りのため、「エコアイランド宮古島」を宣言しています。
 ちなみに、標高が低く、過去の海進時に水没して以来他の島と陸続きになる機会がなかったため、琉球列島の面積の大きい島の中では、唯一ハブのいない島といわれています。
 また、毎年国際的規模のイベントである全日本トライアスロン宮古島大会、陸上競技や球技など各種スポーツ団体の合宿等が行われるとともに、リゾート地に相応しくゴルフ場も複数存在し、年間を通して観光客需要を取り込むなど、島全体が「スポーツアイランド宮古島」としても活気づいています。
 更に宮古島市は令和5年11月に、環境省の実施する「脱炭素先行地域」に選定されており、「千年先の、未来へ。」脱炭素エコアイランド宮古島をテーマに、脱炭素先行地域として選定された下地地域・狩俣地域の脱炭素化に向けて取り組んでいます。
写真 与那覇前浜ビーチ(宮古島市役所提供)
写真 ウミガメ(宮古島市役所提供)
3.産業について
(1)農業
 宮古島は農業が盛んで、特にサトウキビは年間生産量約30~40万トンほどで、沖縄県内の総生産量の40%を占める県内最大の生産地域となっているほか、肉用牛、葉たばこ、そして人気のマンゴーを中心とするフルーツが作られています。あまり知られていませんが、ゴーヤー、カボチャ、オクラなどを含め、宮古島市は農業産出額県内1位を誇っています。
写真 宮古島産マンゴー(宮古島市役所提供)
(2)水産業
 宮古島周辺は、⿊潮の源流にあたり漁場が近く、⽔産業として恵まれた位置にあります。宮古の⽔産業は、2~3時間で到着できる浮⿂礁(パヤオ)を利⽤した「⼀本釣り」、近海の「底⿂⼀本釣り」、沿岸の伝統漁法「追い込み」や、銛突き漁、モズク、クルマエビ等の海⾯養殖業等が営まれています。また、1年中水揚げがある伊良部島・佐良浜の鮮度抜群の「一本釣り日戻りカツオ」も逸品です。
写真 クルマエビ(宮古島市役所提供)
写真 一本釣り日戻りカツオ漁(宮古島市役所提供)
(3)観光業
 宮古島の観光客数は、伊良部大橋の開通もあり年々増加し、ホテルや、観光関連施設の整備も進んでリゾート地として成長しています。また、離島らしい暮らしや文化が息づく島として、美しいビーチが点在する島として、ますます人気が高まっています。
 しかしその一方で、宮古島市では、現在、観光客増加による地価上昇や、それに伴う賃貸住宅不足、いわゆる住宅難が発生しています。特に、観光需要の高まりによるホテル建設や、商業施設の進出が地価を押し上げ、賃貸物件の家賃上昇や物件不足を引き起こしている側面もあります。
 なお、国土交通省及び沖縄県が令和7年9月16日に発表した令和7年7月1日時点の都道府県地価(基準地価)において、全用途(林地を除く)の上昇率で沖縄県が都道府県別で全国2位となり、その中で宮古島市は住宅地・商業地ともに県内市町村別で上昇率首位タイになっています。
4.平良港について
 平良港は、古くから漲水(はりみず)港の名称で呼ばれ、宮古唯一の良港として親しまれ利用されてきました。昭和33年に琉球政府より重要港湾に指定され、昭和34年には名称を現在の平良(ひらら)港と改められています。また昭和47年5月、沖縄本島とともに本土復帰した際、那覇、運天(本部町)、石垣の各港とともに、国の重要港湾に指定され、その後、随時港湾整備が実施されてきました。
(1)平良港国際クルーズ拠点整備事業
 平成26年まではクルーズ船の寄港回数は年間10件に届かず低調に推移していましたが、平成27年にクルーズ船が定期就航するようになってからは寄港回数が大幅に増加し、令和元年には全国6位となる147回の実績を記録しました。
 しかし、平良港ではクルーズ船専用の岸壁が整備されていなかったため、市街地から約3km離れた貨物用岸壁の下崎埠頭での受け入れや、5万トンを超える大型船は沖に停泊しテンダーボートに乗り換えての上陸を行うなど、安全性・利便性の面で課題を抱えていました。
 これらの課題に対応するため、漲水地区沖合で「平良港国際クルーズ拠点整備事業」を平成29年度から着手しました。当初は、令和2年春までに14万トン級クルーズ船対応の岸壁及び受入施設を整備することでスタートしたものの、クルーズ船の大型化が年々進展するなか、船社から22万トン級クルーズ船の寄港要望が出てきたことから、平成30年11月に港湾計画変更(一部変更)を行い、岸壁等を22万トン級対応の施設に変更することとなりました。
 その結果、令和2年10月に14万トン級のクルーズ船に対応した専用ターミナルが暫定供用、令和4年3月に22万トン級クルーズ船に対応した岸壁等が完成しています。
写真 平良港に入港したクルーズ船(沖縄総合事務局平良港湾事務所提供)
(2)平良港複合一貫輸送ターミナル整備事業
 平良港の漲水地区で整備が進められてきた「複合一貫輸送ターミナル」が完成し、全面供用を祝う式典が令和7年6月8日に開催されました。国や行政関係者、経済団体の代表者らが多数出席し、テープカットやくす玉開披、伝統芸能の演舞などが披露されました。
 大規模災害時の緊急物資輸送にも対応できる耐震強化岸壁の整備は、能登半島地震での事例を踏まえても離島の防災力強化に直結するものとして注目されています。
 更に宮古島では前述のとおり、国際クルーズ船の寄港数が増加傾向にあり、リゾート開発も進み、観光需要は右肩上がりの状況にあり、今回の全面供用開始により、RORO船2隻が同時接岸可能となるほか、更に11万トン級のクルーズ船も寄港できる体制が整いました。
 本事業は、宮古圏域の物流を支える基幹インフラとして平成24年度に着手され、平成29年には岸壁295mを暫定供用し、その後も段階的な整備が続けられてきましたが、新ターミナルは観光・物流の双方を支える多機能港湾として、今後ますますその存在感を強めていくことになりそうです。
写真 平良港の漲水地区の複合一貫輸送ターミナル(沖縄総合事務局平良港湾事務所提供)
5.下地島空港について
 下地島空港は、昭和40年前後に航空需要の世界的な伸長を受け、国内にジェットパイロット養成のための訓練飛行場を建設したいという民間航空会社の強い要望により建設され、昭和54年度に供用開始されました。
 本格的な訓練が開始された昭和55年度の訓練着陸回数は5,162回でしたが、順調に伸び続け、ピーク時の平成4年度には28,526回となりました。その後、実機を使わないシミュレーションによる訓練、外国での実機訓練が増加したことにより、平成22年度に日本航空が、平成26年度に全日本空輸が下地島空港での操縦練習使用を終了しています。
 このような中、沖縄県は平成27年3月に利活用の目標像を定めた「下地島空港及び周辺用地の利活用基本方針」を策定し、平成29年3月には、「下地島空港を活用した革新的航空パイロット養成事業」及び「国際線等旅客施設整備・運営及びプライベート機受入事業」を提案した民間事業者と事業実施に関する基本合意書を締結し、あわせて、目標像を実現するための個々の事業内容を具体化した「下地島空港及び周辺用地の利活用実施計画」を策定しました。
 令和2年9月に「下地島宇宙港事業」、令和5年9月に「旅客ターミナルのネット・ゼロカーボン化事業」を提案した民間事業者と基本合意書を締結し、都度、具現化に向け実施計画を改定しています。
 税関業務と関連のある「国際線等旅客施設整備・運営及びプライベート機受入事業」に関しては、令和7年夏季スケジュールにおいて、韓国ジンエアー航空(仁川⇔下地島)が週5便、香港エクスプレス航空(香港⇔下地島)が週4便(途中週3便に変更)、台湾スターラックス航空(台北⇔下地島)が週2便と定期便を就航させ、冬季スケジュールにおいても韓国ジンエアー航空(仁川⇔下地島)が週5便を継続運航しており、発着数が堅調に推移しています。また、令和6年4月にビジネスジェットターミナルの使用が開始され、富裕層を含む幅広いニーズに合わせたサービスが提供できるようにもなっています。
写真 下地島空港(SAMCO提供)
6.おわりに
 平良港のクルーズバース整備や下地島空港の発展とともに、海外からの入域観光客数が増加したことに連動して税関における業務量も増えたことから、令和5年7月に石垣島税関支署平良出張所から宮古島税関支署に昇格となり体制も強化されました。今後も増え続ける海外からのクルーズ船や航空旅客機及びその旅客等に対応し、宮古島市やその周辺離島がより魅力的な国際的観光地として発展するよう、税関の使命の一つである安心・安全な地域社会の実現のため、宮古島税関支署一丸となって尽力していきたいと思います。
 最後になりますが、宮古島は、美しい海や満天の星空をはじめとした豊かな自然、数多くの祭祀がある独自の文化、多様な観光スポット、美味しいグルメ、そしてアクセスの良さなど、様々な魅力が詰まった島です。ぜひ一度訪れて、その魅力を体感してみてください。

【参考文献及び資料】
国土交通省HP
沖縄県HP
宮古島市HP
宮古島市観光協会公式情報サイト
(一社)日本埋立浚渫協会発行MarineVoice301(平良港特集)