「目立たぬ中堅国」マレーシアの2025年を振り返って:ASEAN議長国としての役割と国内制度改革の進展
在マレーシア日本国大使館 経済部 二等書記官 江波 千晃
はじめに 2025年、マレーシアが表舞台に立った年
2025年は、国際社会においてマレーシアという国の存在感がかつてなく高まった一年であった。この年、マレーシアはアンワル首相のリーダーシップの下、ASEAN(東南アジア諸国連合)の議長国を務め、地域が直面する多岐にわたる課題への対応を迫られた。域内経済統合の深化から地政学的緊張の緩和、さらには域外パートナー国との協力深化に至るまで、マレーシアは調整型リーダーシップを通じて、ASEANの結束とレジリエンスを強化する上で重要な役割を担った。
一方で、国内に目を向ければ、2025年は長年先送りされてきた構造改革、特に補助金改革と財政再建が本格的に動き出した年でもあった。これまでのマレーシア経済は、手厚い補助金制度によって国民生活を支えてきた側面があるが、その代償として慢性的な財政赤字という課題を抱えていた。2025年の改革は、財政の持続可能性への懸念を払拭し、より健全で透明性の高い経済運営への転換を図るための重要な一歩となった。
今日の国際情勢は、米中対立の激化、サプライチェーンの再編、気候変動問題など、かつてないほど複雑かつ不確実性を増している。ASEAN域内においても、域内経済格差、タイとカンボジアの国境問題、ミャンマー情勢など、地域協力の根幹を揺るがしかねない問題が山積する。こうした中で、マレーシアは議長国としてASEAN全体をつなぎ止め、共通の利益を追求するための「調整役」として、その真価が問われる一年であった。そして、その役割を果たす上で、国内の安定と改革へのコミットメントが、国際的な信認を裏打ちする不可欠な要素となった。
本稿では、2025年のマレーシアのASEAN議長国としての外交成果と国内経済対策という2つの軸を連動させて概観し、中所得国の罠からの脱却を目指すマレーシアの姿について考察を深めることを目的とする。
1 マレーシアとは — 「目立たぬ中堅国」の潜在力
マレーシアは、東南アジアの中心部に位置し、その地政学的重要性を持ちながらも、世界的には十分に注目されていない国かもしれない。読者の皆様の中にも、インドネシアの圧倒的な人口規模、タイの多様な製造業基盤、シンガポールの国際金融センターとしての強みといった、他のASEAN諸国が世界に誇るような「特定の代名詞」がマレーシアには存在しないと考えている方が多いのではないだろうか。
一方で、こうした静かなイメージとは裏腹に、マレーシアのマクロ経済は堅調な推移を示している。2025年の実質GDP成長率は4.0~4.8%と予測され*1、世界経済の減速懸念が続く中でも、高い成長を持続している。また、2025年の消費者物価指数(CPI)の上昇率は1.0~2.0%*1と安定的であり、これは、後述する補助金改革を慎重に進めた結果、国民生活への急激な影響を抑えつつインフレ抑制に成功したことを物語る。また電気・電子製品をはじめとする輸出セクターが牽引役となって経常収支も黒字基調を維持し、外貨準備高も十分な水準を確保していることから、外部からのショックに対する耐性も強化されていると言える。そして、近年の政治情勢の安定、法制度の整備、及び他国と比較して整ったインフラといった投資家へのインセンティブが相まって、海外直接投資(FDI)の流入も引き続き旺盛であり、2024年のFDI純流入額は前年比33.4%増の515億リンギ*2(約1兆9,055億円、1リンギ=約37円)に達した。そのうち、情報通信や金融といったサービス業へのFDIが半分以上を占め、次いで電気・電子分野をはじめとする製造業、採鉱・採石業が続いた。
次に、外交面での存在感についても、マレーシアは伝統的に中立を基調とする政策を堅持してきたため、目立ちにくい印象を与えるかもしれない。しかし、足元で米中両大国間の競争が激化する中で、特定の利害関係に深くコミットせず、多様なパートナー国と良好な関係を構築し、ASEANの中心性を守りながら多角的なバランス外交を展開する「中立性」の姿勢こそが、ASEAN域内において信頼できる調整国としての役割を果たす上での基盤となっている。外交上で国際的には注目を浴びる機会が少ないかもしれないが、多くの国々との重厚な貿易・投資関係を築き、強固な経済基盤を確立する上で、この手法が一定の貢献をしてきたと言える。
このような安定したマクロ経済環境、及び均衡型外交姿勢を背景に、マレーシアは2025年にASEAN議長国としての重責を担うこととなった。この議長職は、マレーシアがその静かなる潜在力を国際社会に発信し、域内外の注目を一身に集める絶好の機会となった。マレーシアが如何にしてこの機会を活かし、そのリーダーシップを発揮したのか、次章以降で紹介したい。
コラム1 マレーシア人の国民性(筆者主観)
第1章でマレーシアの外交姿勢について述べたが、マレーシア人は意外にも日本人と共通する国民性を持つと個人的に考える。例えば、争いごとが嫌いで協調を大切にする「長いものには巻かれろ」精神、嫌なことをはっきり嫌と言わず礼儀としての裏表の顔がある点、道で他人にぶつかりそうになったら反射的にSorry~と言うところ、など。南国でよく見られる「時間感覚がゆっくり」「大らか」といった特徴も確かにあるのだが、このような日本人にも似通った性質のおかげで、我々日本人にとっては異文化ストレスが比較的少なく暮らせる国だと感じる。多民族社会の中で他人に配慮をしながら平和的に暮らすという国民性が、「中立」という国家としてのスタンスにも繋がっているのではないだろうか。もちろん「日本人は勤勉で綺麗好き」といった一般的なステレオタイプから外れる日本人も多くいるように、全てのマレーシア人に当てはまるものではないことを申し添える。
写真 大使館のマレーシア人の同僚達と共に(右端が筆者)
2 ASEAN議長国としての成果
2025年のASEAN議長国としてマレーシアは、バランサーとしての調整力を駆使し、地域統合の深化と国際的な課題解決に大きく貢献した。いわば、従来の「目立たぬ中堅国」という殻を破り、積極的かつ実務的な外交を展開した一年であった。本章では、2025年に開催された第46回、及び第47回ASEAN首脳会議及び関連会合におけるマレーシアの議長国としての成果について述べていく。ミャンマー問題や南シナ海問題等、残念ながら大きな進捗が見られなかったアジェンダもあるが、本稿ではあくまでもマレーシアが成し遂げた項目について着目することとしたい。
(1)ASEAN経済統合の進展と拡大
マレーシアは、2015年以来5度目となるASEAN議長国*3として、議長国テーマを「包摂性と持続可能性(Inclusivity and Sustainability)」と据え、国内の優先課題をASEANの枠組みに統合しつつ、ASEAN域内での開発格差の解消や経済成長の推進を通じて、メンバー国に具体的な利益をもたらすことを目指した。
まず、2025年5月の第46回ASEAN首脳会議において、今後20年間の地域の戦略的方向性を示す「ASEAN共同体ビジョン2045(ASEAN Community Vision 2045)」が採択された。これは、2015年のマレーシア議長下で制定された10か年指針「ASEAN共同体ビジョン2025」の後継となるものである。今回は、本ビジョンと並行して経済分野の指針である「ASEAN経済共同体戦略計画2026~2030年(ASEAN Economic Community Strategic Plan 2026–2030)」も承認された*4。本経済指針は、地政学的緊張、サプライチェーンの再編、気候変動といった世界のメガトレンドに地域一丸となって対応するため、域内デジタルインフラの強化やマイクロ・中小企業(MSME)の育成といった新たな重点分野に焦点を当て、急速に変化する外部の不確実性に対応するための指針を示している。本計画は、従来の10年単位のブループリント計画から転換し、5年サイクルで戦略を見直し、各国の状況や外部環境の変化に応じて施策を調整できるよう仕組みを整えた。こうした機動的な体制を敷くことで、ASEANが不確実性の高い国際経済の中で一体性と競争力を強化することを狙いとしている。
また、サプライチェーンの強化という観点からは、RCEP協定*5が2022年に発効して以来、初となるRCEP首脳会合も開催し、不安定さを増す地政学的状況の中での本協定の重要性を改めて強調した。RCEPは世界最大のFTAであり、参加15か国のGDPの合計、及び人口の合計がどちらも全世界の約3割を占めるとされる一方、他のFTAに比べて特恵条件が限定的で、利用率が低いことが指摘されていた。こうした状況を踏まえ、マレーシアが提案したRCEP事務局の設置と、2027年の協定見直し開始は、本協定の競争力強化の基盤を築くものとなる。これにより、域内の経済包摂・レジリエンス強化に繋がることが期待されている。
最後に、ASEAN加盟国の拡大に向けても、マレーシアは議長国として重要な役割を果たした。10年以上に渡りASEAN加盟の意欲を示してきた東ティモールの加盟に向けて、マレーシアは加盟プロセスのロードマップ作成を主導し、東ティモールの能力構築支援にも積極的に取り組んだ。偶然か必然か、1997年にラオスとミャンマーがASEANに加盟した際も、議長国はマレーシアが務めていた。この度、開発途上の東ティモールが11番目のASEAN加盟国になったことは、議長国としてのテーマ「包摂性」を確認し、ASEANが地域全体の安定と繁栄を追求する開かれた共同体であることを内外に示す成果となった。
写真 東ティモールを加えた11か国のリーダー達でASEANスタイルの握手(出典:マレーシア国営ベルナマ通信)
(2)米中対立の中でのバランス外交
マレーシアは、米中という二大大国間の競争が激化する中で、「ASEAN全体を守る防波堤」として機能した。ASEANと大国との継続的な関与を巧みに維持しつつ、台頭するグローバルサウス諸国との関係も積極的に推進し、地域全体の安定と繁栄を追求するバランス外交を展開した。第47回ASEAN首脳会議及び関連会合には、米国のトランプ大統領をはじめ、日本の高市首相(総理指名後わずか4日での海外訪問であった)、中国の李強首相、ブラジルのルラ大統領(BRICS議長国)や南アフリカのラマポーザ大統領(G20議長国)等、20人を超す各国のリーダーたちが参加した。米国に至っては、2022年以降3年ぶりの大統領の参加となり、米国とASEANの関係が再構築したことを対外的にアピールできる場面となった。
米国との関係では、アンワル首相とトランプ大統領の初となる二国間首脳会談を行い、両国の関係を包括的戦略パートナーシップに昇格し、貿易・投資、先進技術、防衛・安全保障、エネルギー安全保障等における更なる連携強化を宣言した。さらに、二国間のみの関係だけではなく、マレーシアは、米国とASEANの関係においても議長国として重要な役割を果たした。その一例が、米国が全世界に対して課した追加関税問題への対応である。マレーシアは、個別の二国間交渉を継続しつつも、ASEAN域内における臨時の経済大臣会合等を複数回開催し、各国の輸出構造や米国市場への依存度を考慮した上で、ASEAN全体として報復措置は取らず、「対話を通じた解決」を求める共通の立場を形成することに尽力した。この調整努力が実を結び、米国とマレーシア、カンボジア、タイ、ベトナムの4カ国との間で、(ASEAN諸国が多数の片務的義務を負う内容でありながらも、)それぞれ貿易協定に署名または枠組みに合意することができた。これは、ASEANが「一つの声」として大国アメリカに挑み、現職の米国大統領が交渉のテーブルに着いたことを示した一定の成果となった。実際のところ、トランプ大統領のマレーシア滞在は約24時間と短く、その関与は形式的なものに留まったかもしれないが、象徴的価値として議長国マレーシアが得たものは大きいだろう。その他、アンワル首相とトランプ大統領は共にタイとカンボジアの国境紛争解決に向けた共同宣言の署名式にも立会い、米国とASEANの協力がより確固たるものになったことを象徴する出来事となった。
また中国との関係では、第47回ASEAN首脳会議において、既存のASEAN・中国自由貿易協定(ACFTA)の改定に署名し、デジタル分野や再生可能エネルギー等、新興産業を含む9分野で協力を強化することを決めた。投資規模の大きさ、そして意思決定のスピード感がある中国と新興分野で協力を深め、ASEAN諸国が世界のトレンドから遅れを取らないようにするための画策であると言える。また、マレーシアは第46回ASEAN首脳会議に中国・李強首相を招待し、初となるASEAN・GCC・中国首脳会議*6を開催した。本会議は、ASEANが中国と湾岸諸国を同時に結びつける初の対話枠組みとして、エネルギーや投資協力の強化に道を開いただけでなく、トランプ関税による米中摩擦の再拡大に備え、サプライチェーン多角化と南南協力を通じた経済安定化を進める上でも重要な意味を持った。
(3)ASEAN議長国としての発信と投資誘致
マレーシアは、一連の首脳会議や閣僚会合において、ASEAN全体の経済統合の進展、単一市場としての潜在力、そして域内サプライチェーンが持つレジリエンスを強調し、ASEANを一つの投資市場として売るという実務的なアプローチを採った。同時に、マレーシア政府は、豊富な資源、戦略的な地理的位置、デジタル経済への積極的な取り組みといった自国の強みも積極的に発信した。多くの多国籍企業が、サプライチェーンの多様化と強靭化を図る中で、マレーシアはその有力な候補地として再認識され、半導体、データセンター、再生可能エネルギーといった高付加価値分野での魅力的な投資先であることを、ASEAN議長国としての注目度を利用しつつ、全世界に向けたアピールを行った。
コラム2 ASEAN議長国イヤーの空気感
ASEAN首脳会議及び関連会合は、首都・クアラルンプールの中心地で開催された。会議期間中はマレーシア全土から1万人以上の警察官が招集される気合の入りようで、クアラルンプール中で交通規制が敷かれた。車社会のマレーシアでは一般市民への影響が大きく、テレワークやホームスクーリングを推奨する会社・学校がほとんどであった。もちろん我々大使館職員は一年で一番の繁忙期であり、高市首相及び茂木外務大臣御一行が円滑に会議に参加できるようにするため、政府専用機がクアラルンプールを飛び立つその瞬間まで、大使館職員全員体制で心血を注いだ。次回、マレーシアがASEAN議長国を務めるのは計算上では2036年となるが、そのときマレーシアはどのような変貌を遂げているのか、楽しみにしている。
写真 高市首相とアンワル首相(出典:マレーシア国営ベルナマ通信)
写真 高市首相到着の前日、会議場にて(右が筆者)
3 財政再建と補助金・税制改革—ASEAN議長国としての信認を支えた内政
本章では、マレーシアの国内制度改革に目を向ける。2025年のマレーシアは、外交面での躍進と並行して、国内の財政健全化と補助金改革という困難な課題に果敢に取り組んだ。この内政改革は、ASEAN議長国としての国際的な信認を裏打ちし、マレーシアが長らく抜け出せずにいる「中所得国の罠」を乗り越えるために不可欠なものであった。
(1)大規模な補助金改革
マレーシアは1990年後半以降、慢性的な財政赤字に悩まされており、コロナ禍に財政状況はさらに悪化し、2020年には財政赤字対GDP比は6.2%まで拡大した。2022年に樹立したアンワル政権は、2023年に財政責任法(Public Finance and Fiscal Responsibility Act)を制定し、財政赤字を対GDP比3.0%以下、政府債務残高を対GDP比60%以下にするという目標値を掲げるほか、包括的な財務計画策定や報告要件を定め、財政健全化・透明性向上に取り組んでいる。2025年末時点ではいずれも目標値には到達していないが、特に財政赤字は対GDP比で3.8%と、6年ぶりの3%台が達成できる見込みであり*7、目標達成に向けて順調な道筋が示されている。
財政再建のためにまずアンワル政権が大鉈を振るったのは、歳出で大きな割合を占めていた燃料、電気、食料などに対する補助金の合理化改革であった。これらの補助金は国民生活を支える一方で、市場の歪みを引き起こし、資源の非効率な配分を招くだけでなく、膨大な財政負担となり、政府の財政の柔軟性を著しく損なっていた。
アンワル政権は2023年に鶏肉の補助金合理化を開始し、その後、電気、ディーゼル燃料、卵と続き、2025年9月にはガソリン補助金の削減に着手した。政府発表によると*7、各種補助金・社会扶助金の支出額は2023年の718.7億リンギ(確定値、約2兆6,559億円、1リンギ=約37円)から2026年の490.0億リンギ(見込み、約1兆8,130億円、1リンギ=約37円)まで減少する見込みである。
補助金改革の必要性は以前から認識されていたものの、政治的に最後の聖域とされてきた。食料品や燃料の補助金削減は、国民の生活費に直接影響するため、強い反発を招きやすく、歴代政権は選挙を前にしてその実施を躊躇してきた経緯がある。アンワル政権は、「対象を絞った補助金(targeted subsidy)」というキーワードを繰り返し用い、補助金の恩恵を受けられる主体を限定する手法で世論やインフレを上手くコントロールして改革を行った。またアンワル政権は、補助金合理化を進めるとともに、低所得層への影響を緩和するため、補助金合理化で節約できた財源を用いて低所得者層への現金給付や生活必需品引換券の提供といった社会セーフティネットの強化策も同時に導入した。
2025年にかけて改革が本格的に進んだ背景には、ASEAN議長国という国際的視線の高まりが、国内改革を推進する追い風となったという側面があると言えよう。国際社会からの注目が集まる中、マレーシア政府は、地域のリーダーとしての責任を果たすためには、まず自国の財政基盤を健全化し、より透明性の高いガバナンスを示す必要があるとの強い認識を持った。IMFや世界銀行といった国際機関からも、財政健全化と補助金改革の必要性が繰り返し提言されており、世界からの信頼性を維持するためにも、改革の断行は避けられない選択となった。
この改革の結果、当初は物価上昇の懸念の声もあったものの、段階的に対象を絞った補助金削減を行ったこと、世界的にエネルギー・食料価格が落ち着いてきたこと、そして政府の現金給付等による緩和策が効果的に働いたことにより、2025年通年のCPIは第1章で述べた通り低位安定が予想されている。
(2)SSTの拡大と財政再建の展望
補助金改革と並行して、アンワル政権の財政再建のもう一つの柱として、売上・サービス税(SST:Sales and Service Tax)の課税対象の拡大と税率の引き上げが実施された。SSTとは、2018年にGST(消費税)の代替として再導入された、物品の販売に課される「売上税」と、特定のサービス提供に課される「サービス税」からなる税である。具体的には、2025年7月より、売上税に関してはサーモンや輸入果物といった生活“非”必需品とみなされる高級食料品へ5%課税するほか、サービス税については課税対象がリース・レンタル、建設、金融サービス、教育といった複数の新たな分野に拡大された。本措置においても、国民へ過度な負担をかけないよう、基本的な食料品含む生活必需品や、基本的なサービスを課税対象から除外するというターゲットを絞ったアプローチを採用している。その甲斐あって、2026年のSSTによる歳入は前年比で11.6%の増加を見込んでいる*7。また、政府は石油関連歳入への依存度低減への努力もしており、歳入増及び歳入源多様化の一環として、SSTの拡充に加え、eインボイスの導入、たばこ・酒等健康リスクが高い製品への物品税の引き上げ、炭素税の導入(2026年内を予定)等、財政の安定化と持続可能性を追求している。
これらの改革努力の結果、国際格付機関もマレーシアの信用格付け見通しを「Stable(安定的)」と継続的に評価しているほか*8、この財政再建へのコミットメントは、ASEAN議長国としての財政ガバナンスアピールに繋がり、国際社会からの信頼を一層高める要因にもなっている。
コラム3 マレーシアの物価相場
約10年前は、マレーシアはじめ東南アジアは安く遊べる旅行先として人気があったが、現在筆者が暮らすクアラルンプールにおいては、日本と比べて安く感じるものはほとんどない。足元のリンギ高の影響もあるのだが、特に外食費は日本とほぼ同じで、ちょっとお洒落なカフェでコーヒーを飲むと一杯15リンギ(約555円、1リンギ=約37円)ぐらいはかかるし、お酒に至ってはビール1杯20リンギほど(約740円、1リンギ=約37円)と日本よりも高い値段で販売されている。食料自給率も、生活必需品とされているものでも品目によっては低く(牛肉:15.9%、米:56.2%、豚肉:69.6%等*11)、輸入品を取りそろえるようなスーパーマーケットでは、日本と同等レベルの値段である。ただし、マレーシアは世界で一番お得に5つ星ホテルに泊まれる国と言われており、クアラルンプールだけではなく、ペナン島、ランカウイ島といったリゾート地にも外資系有名ホテルがたくさんある。日本からの直行便の豊富さや治安の良さもあり、子連れ家族にとってもホカンスを楽しみやすい国となっている。
写真 庶民の台所、ローカル市場。スーパーマーケットよりも安価なので、日本人も良く利用する。
4 マレーシアが示す「中所得国の罠」脱却の道筋
2025年のマレーシアは、単なるASEAN議長国としての役割を超え、中所得国が直面する課題に対する新たな解決モデルを提示したと言える。それは、国際協調、財政再建、そして投資誘致のための産業高度化という、複数の困難な目標を巧みに連動させながら推進した稀有な例であった。
アンワル政権が掲げる一丁目一番地の10か年経済指針「マダニ経済政策(Malaysia MADANI)*9」では、年率5.5%のGDP成長を持続的に達成し、2030年までにGDP世界トップ30入り、及び2030年までの高所得国入りを視野に入れている。世界銀行が定める高所得国の基準は国民1人あたりGNIが14,005米ドル(2025年度基準)であるが、マレーシアは2024年時点で11,670米ドルに達しており*10、悲願の達成が目前に迫っている。*11
しかし、マレーシアは過去20年以上にわたり「中所得国の罠」に陥っていると指摘されてきた。その原因は多岐にわたるが、主に労働集約型製造業からの脱却の遅れ、イノベーションへの投資不足による高コスト、そして長年にわたる過度な補助金制度や一部の保護主義的政策が市場競争と生産性向上を阻害してきた点にある。経済が一定の水準に達した後、労働コストの上昇や技術革新の停滞により、これまでの成長モデルが機能しなくなり、先進国への移行が困難になるという典型的な課題に直面していた。
2025年の補助金改革やSSTの拡大といった財政健全化は、まさにこの「中所得国の罠」から抜け出すための構造改革の一環である。しかし、単に高所得国とみなされる「数字の基準」を達成するだけでなく、真にイノベーション主導型の、生産性の高い、持続可能な産業構造への転換を達成できるかが、マレーシアが直面する次なる、そして最も本質的な課題であろう。単なるGDPやGNIの数値的な上昇だけでなく、研究開発への更なる投資、デジタル経済やグリーン産業といった新産業分野への積極的な移行、そして国際競争力のある人材の育成といった、経済社会の好循環への転換が不可欠となる。
また、2025年はASEAN議長国としての立場が国内改革を後押しする相乗効果を生み出した点も特筆すべき点である。ASEANの一体性を守りながらの多方面へのバランス外交は、国際社会からのマレーシアへの認知・注目度を高め、それが国内の補助金改革や財政透明性向上への国際的な期待となり、政府が困難な改革を断行する上での追い風となった。国際的な舞台でリーダーシップを発揮するためにも、自国の足元を固める必要があるという認識が国内改革の原動力となったと言えよう。
今までのマレーシアは、他の近隣諸国に埋もれ、目立たないイメージが強い国であった。しかし2025年以降、ここに「調整力の高いASEANのリーダー」、「積極的な制度改革」といった要素が加わった。経済成長を牽引する外国投資の誘致においても、安定的で見通しの明るい経済、そして透明性の高い政府運営が重要視されるという点において、2025年はマレーシアに新たな競争優位性をもたらしたと言えるだろう。
おわりに
本稿では、2025年のマレーシアの煌びやかな功績に焦点を当てたが、ASEAN議長国としての激動の一年を終えた後も、マレーシアがこの改革の勢いを維持し、長期的な経済成長と財政健全化の道筋を確固たるものにできるかが、真の高所得国になる上で今後の大きな課題となるだろう。特に、補助金改革の更なる深化やGSTの再導入といった、国民生活に直接影響を与える政策については、丁寧な国民への説明と社会セーフティネットの強化が引き続き求められる。しかし、マレーシアは、困難な課題を乗り越えるための強い意志と、実務的な能力を有していることを既に実証することができており、筆者としては、この「知る人ぞ知る成長著しい国」の更なるポテンシャルに期待したい。読者の皆様にとって、本稿が、歴史的とも言える転換点を迎えたマレーシアへの理解を深め、この「目立たぬ中堅国」を、頭の片隅に置いていただくきっかけになれば幸いである。
写真 光り輝くペトロナスツインタワーとマレーシア議長国の看板
図表1 GDP成長率(2025年4月IMF WEO databaseより筆者作成)
図表2 外貨準備高(2025年12月マレーシア中央銀行発表より筆者作成)
図表3 対GDP比財政赤字及び債務残高(2025年10月マレーシア財務省発表より筆者作成)
*1) マレーシア財務省:2025年10月発表。
*2) マレーシア統計局:2025年6月発表。
*3) ASEAN議長国は、加盟国名のアルファベット順で1年ごとの輪番制。マレーシアは、1977年、1997年、2005年、2015年にASEAN議長国を務めた。
*4) ASEAN経済共同体(ASEAN Economic Community):ASEAN加盟国を一つの経済圏とみなし、域内の物品・サービス、投資、労働者、資本の自由化を図り、域内の経済発展を目指す経済統合。2015年に発足。
*5) 地域的な包括的経済連携協定。本稿執筆時点での加盟国は、ASEAN10か国(東ティモールを除く)、日本、中国、韓国、オーストラリア及びニュージーランド。
*6) GCC(湾岸協力会議):参加国は、アラブ首長国連邦、サウジアラビア、オマーン、バーレーン、カタール、クウェート。ASEAN・GCC首脳会議は2023年に第1回目が開催された。
*7) マレーシア財務省、2025年10月発表。
*8) 本稿執筆時点(2025年12月3日)のS&P、Moody’s及びFitchの見通し評価。
*9) MADANIは、「持続可能性(kemampanan)」「繁栄(kesejahteraan)」「イノベーション(daya cipta)」「尊重(hormat)」「信頼(keyakinan)」「思いやり(ihsan)」を意味するマレー語から1文字ずつ取った造語であり、かつアラビア語で「文明的、包括的社会」という意味を持つ。
*10) World Bank Open Data(2025年12月3日時点)
*11) 2023年時点の食料自給率(マレーシア統計局2024年9月発表)

