評者
政策研究大学院大学博士課程(政策プロフェッショナルプログラム)在籍
日本政策投資銀行設備投資研究所上席主任研究員
渡部 晶
赤川 省吾 著
日独冷戦秘史 東独機密文書が語る歴史の真実
慶應義塾大学出版会 2025年10月 定価 本体3,200円+税
文字どおり、練達のジャーナリストの快作である。東西冷戦下の激烈な共産圏の情報機関の活動は、われわれからすると大変遠い世界であった。漫画好きな方は、昨年『漫画家生活60周年記念 青池保子展 Contrail 航跡のかがやき』を開催した青池保子氏の西ドイツの諜報機関の新米諜報員を生き生きと描いた『Z -ツェット-』等を覚えているかもしれない。これはまさに漫画の中の話であった。しかし、実は日本でも現実として展開されていたのだ。
著者は現在日本経済新聞社欧州駐在編集委員。幼少期から日本とドイツを行き来し、1994年に日経に入社し、財政・金融・首相官邸などを担当したのちに、2007年に欧州駐在に転じ、ベルリンで9年間勤務し、欧州総局(ロンドン)に移り、現在に至る。欧州の政治家やセントラルバンカーに幅広い人脈を持つ。日経新聞の読者は、著者の署名入りの欧州政治家へのインタビュー記事や深い考察のあるコラムなどをしばしば目にしてきたはずだ。
あとがきに「日本とドイツの交流史には、歴史の空白があるのではないか。」との疑問から探索の旅が始まったという。戦後ドイツは1949年に東西に分裂し、1990年に再統一するまで、鉄のカーテンで西ドイツと対峙していたのにすっかり忘れ去られている実態に対し、徹底的な調査で解き明かすことにしたという。
本書の構成は以下のとおり。
プロローグ 大物スパイの日本潜入、第1章 なぜ日本だったのか―東西冷戦の舞台裏(1.東西陣営がせめぎ合う日本/2.独裁政党が決める対日政策/3.日本を舞台とした西独との攻防)、第2章 国家承認への渇望―社会党工作の失敗、第3章 歴史に消えたカリ貿易―不正で始まった東独ビジネス、第4章 東独・日本経済委員会の発足―政冷経熱の60年代、第5章 自民党と手を結べ―東西デタントと国交樹立、第6章 最高権力者を送り込め―帝国主義陣営への橋頭堡、第7章 財界人を活用せよ―絡め取られる日本企業、第8章 暗躍する産業スパイ―ココム違反への誘惑(1. 標的になった日本/2.商業調整部という犯罪組織/3.罠にはまった東芝、見返りは大型商談/4.繰り返された不正/5.会社ぐるみの技術支援/6.工作員ロンネベルガーの逮捕と対日工作の停滞)、第9章 崩壊への道程―もう一つの東芝ココム事件(1.64Kおよび256KDRAMの技術移転/2. かりそめの成功/3.破綻した計画と証拠隠滅/4.NEC、シャープ、三菱電機、JVCとの接触/5.秘密警察の手先となった欧亜通機)、〈コラム1〉 産業スパイの総司令官を日本に招いた自民党衆院議員・佐藤一郎、第10章 ホーネッカー訪日―無謀なる野望の終焉、〈コラム2〉 東独と北方領土問題、第11章 文化政策の虚実―そして、何が遺ったのか、〈コラム3〉 国家保安省特務将校ヘルマン・へーバーと対日政策、エピローグ 冷戦とは何か、過ちを繰り返さないために、あとがき、解題に代えて(ベルリン自由大学教授 クラウス・シュレーダー)、である。
その後に70頁になる詳細な「注」のページがある。著者が読み込んだ日米欧の機密文書は総計80万頁、東独の党幹部・政府高官ら歴史の生き証人への聞き取り調査延べ数百回の実績が反映されている。
本書の意義は、著者が師事した、戦後ドイツ史の研究で知られるクラウス・シュレーダー教授の解題にバランス良く示されている。評者は、通読して、上記で小見出しまで紹介した第8章・第9章が、著者が「ベルリン自由大学での博士論文を基礎に、10年をかけて取り組んだ調査と研究の結晶」中の「結晶」と思う。ジャーナリストとして政官財の「平和ぼけ」の実態を、事実をして生き生きと語らしめていて強い読後感を読む者に与えるのだ。
エピローグで、著者は本書の狙いとして5つのメッセージを読者に贈る。(1)日本にとって冷戦とは何だったのかを示す、(2)日本の近代史を総括する、(3)見えぬ<いま>を見る。(4)日本の「西欧偏重」の是正を望む、(5)日本における公文書についての意識改革を訴える、である。どれも重要であるが、現時点で日本が真摯に受け止めて行動変容すべき喫緊の課題として(3)及び(5)を挙げたい。東独の実態は、「今日の強権国家の見えざる内幕を類推」するものだし、公文書を軽んじアーカイブに資源を割かないことは国力に影響するのだ。
本書は重厚な内容ではあるものの、書き手の熟達の文章で快適に読み通すことができる。経済安全保障に関心を持つ者には必読だし、著者のメッセージがリアリズムをいまだに自分のものにできない今の日本に広く伝わることを期待したい。ぜひ一読をお勧めするものである。
政策研究大学院大学博士課程(政策プロフェッショナルプログラム)在籍
日本政策投資銀行設備投資研究所上席主任研究員
渡部 晶
赤川 省吾 著
日独冷戦秘史 東独機密文書が語る歴史の真実
慶應義塾大学出版会 2025年10月 定価 本体3,200円+税
文字どおり、練達のジャーナリストの快作である。東西冷戦下の激烈な共産圏の情報機関の活動は、われわれからすると大変遠い世界であった。漫画好きな方は、昨年『漫画家生活60周年記念 青池保子展 Contrail 航跡のかがやき』を開催した青池保子氏の西ドイツの諜報機関の新米諜報員を生き生きと描いた『Z -ツェット-』等を覚えているかもしれない。これはまさに漫画の中の話であった。しかし、実は日本でも現実として展開されていたのだ。
著者は現在日本経済新聞社欧州駐在編集委員。幼少期から日本とドイツを行き来し、1994年に日経に入社し、財政・金融・首相官邸などを担当したのちに、2007年に欧州駐在に転じ、ベルリンで9年間勤務し、欧州総局(ロンドン)に移り、現在に至る。欧州の政治家やセントラルバンカーに幅広い人脈を持つ。日経新聞の読者は、著者の署名入りの欧州政治家へのインタビュー記事や深い考察のあるコラムなどをしばしば目にしてきたはずだ。
あとがきに「日本とドイツの交流史には、歴史の空白があるのではないか。」との疑問から探索の旅が始まったという。戦後ドイツは1949年に東西に分裂し、1990年に再統一するまで、鉄のカーテンで西ドイツと対峙していたのにすっかり忘れ去られている実態に対し、徹底的な調査で解き明かすことにしたという。
本書の構成は以下のとおり。
プロローグ 大物スパイの日本潜入、第1章 なぜ日本だったのか―東西冷戦の舞台裏(1.東西陣営がせめぎ合う日本/2.独裁政党が決める対日政策/3.日本を舞台とした西独との攻防)、第2章 国家承認への渇望―社会党工作の失敗、第3章 歴史に消えたカリ貿易―不正で始まった東独ビジネス、第4章 東独・日本経済委員会の発足―政冷経熱の60年代、第5章 自民党と手を結べ―東西デタントと国交樹立、第6章 最高権力者を送り込め―帝国主義陣営への橋頭堡、第7章 財界人を活用せよ―絡め取られる日本企業、第8章 暗躍する産業スパイ―ココム違反への誘惑(1. 標的になった日本/2.商業調整部という犯罪組織/3.罠にはまった東芝、見返りは大型商談/4.繰り返された不正/5.会社ぐるみの技術支援/6.工作員ロンネベルガーの逮捕と対日工作の停滞)、第9章 崩壊への道程―もう一つの東芝ココム事件(1.64Kおよび256KDRAMの技術移転/2. かりそめの成功/3.破綻した計画と証拠隠滅/4.NEC、シャープ、三菱電機、JVCとの接触/5.秘密警察の手先となった欧亜通機)、〈コラム1〉 産業スパイの総司令官を日本に招いた自民党衆院議員・佐藤一郎、第10章 ホーネッカー訪日―無謀なる野望の終焉、〈コラム2〉 東独と北方領土問題、第11章 文化政策の虚実―そして、何が遺ったのか、〈コラム3〉 国家保安省特務将校ヘルマン・へーバーと対日政策、エピローグ 冷戦とは何か、過ちを繰り返さないために、あとがき、解題に代えて(ベルリン自由大学教授 クラウス・シュレーダー)、である。
その後に70頁になる詳細な「注」のページがある。著者が読み込んだ日米欧の機密文書は総計80万頁、東独の党幹部・政府高官ら歴史の生き証人への聞き取り調査延べ数百回の実績が反映されている。
本書の意義は、著者が師事した、戦後ドイツ史の研究で知られるクラウス・シュレーダー教授の解題にバランス良く示されている。評者は、通読して、上記で小見出しまで紹介した第8章・第9章が、著者が「ベルリン自由大学での博士論文を基礎に、10年をかけて取り組んだ調査と研究の結晶」中の「結晶」と思う。ジャーナリストとして政官財の「平和ぼけ」の実態を、事実をして生き生きと語らしめていて強い読後感を読む者に与えるのだ。
エピローグで、著者は本書の狙いとして5つのメッセージを読者に贈る。(1)日本にとって冷戦とは何だったのかを示す、(2)日本の近代史を総括する、(3)見えぬ<いま>を見る。(4)日本の「西欧偏重」の是正を望む、(5)日本における公文書についての意識改革を訴える、である。どれも重要であるが、現時点で日本が真摯に受け止めて行動変容すべき喫緊の課題として(3)及び(5)を挙げたい。東独の実態は、「今日の強権国家の見えざる内幕を類推」するものだし、公文書を軽んじアーカイブに資源を割かないことは国力に影響するのだ。
本書は重厚な内容ではあるものの、書き手の熟達の文章で快適に読み通すことができる。経済安全保障に関心を持つ者には必読だし、著者のメッセージがリアリズムをいまだに自分のものにできない今の日本に広く伝わることを期待したい。ぜひ一読をお勧めするものである。

