講師
宮本 恒靖 氏
(公益財団法人日本サッカー協会会長)
演題
日本でサッカーをもっと大きな存在に
令和7年9月30日(火)開催
はじめに
ご紹介いただきまして、ありがとうございます。皆さんよろしくお願いいたします。
財務省に来る機会はなかなかないので、ちょっとアウェー感はあるのですけれども、オンラインの皆さんも百数十名いらっしゃるとお聞きしており、多くの方にご参加いただき感謝しております。今から色々とお話させていただきますが、質疑応答の時間なども利用して皆様からもいろいろと質問していただければと思いますので、よろしくお願いします。
自己紹介
先ず簡単な自己紹介をさせていただきます。先ほど紹介いただいた通り、私は2002年の日韓ワールドカップ、そして2006年のドイツのワールドカップに2回出場いたしました。日本代表チームの試合には71試合に出場いたしまして、3ゴールしております。Jリーグの試合では337試合に出場した中で、挙げた得点が8点です。ディフェンダーなので、それほど多くはないです。それに対してオウンゴールも3点とっております。なかなか厳しい世界です。
その後、2015年からはサッカーの指導者としてガンバ大阪アカデミーのU-13というチームで中学一年生を指導いたしました。幼少期にサッカーを始めてから、中学生になるにつれて、子どもたちはどんどん成長していきます。体の変化もありますし、心の変化もあるこの時期の選手に、いかに向き合い、接していくのかということはすごく大事になるとの思いから、指導に取り組みました。
2018年にはガンバ大阪のトップチームの監督に就任することとなり、プロの選手を教えることになりました。当時、チームは2部リーグへの降格の危機にあり、しかもシーズンのちょうど折り返しを迎えた難しい時期でした。周囲からは「火中の栗を拾うようなものだ」と言われましたが、自分を育ててもらったクラブであること、苦境にあるチームを何とか救えるのではないかという根拠のない自信のようなものがあったことから、引き受ける決断をしました。
監督就任後、選手たちがしっかりと自信を取り戻してくれたので、そのシーズンは1部リーグに残留することができました。ところが、その後、2シーズンぐらいは成績も上向いていたのですが、就任して4シーズン目に結果が良くなく、シーズン途中に監督を解任されることになりました。
ある日、「宮本さん、この部屋に来てください。」と呼ばれて、いつも通りのミーティングかなと思っていたのですが、部屋に入った時に顔ぶれがいつもと違うことに気付きました。社長がいらっしゃったのです。その瞬間に解任を悟りました。監督としてそういうタイミングに出会うことが初めてだったので、いろいろ学びはありました。
その後、日本のサッカー界の統括機関である日本サッカー協会(JFA)に入りまして、理事そして専務理事を経て、現在は会長の仕事をしております。
日本でサッカーの存在をもっと大きくしたい
1.日本代表チームの活躍
日本代表チームはいろいろと活躍しております。2026年のワールドカップに向けての予選も史上最速で突破してくれました。現在はヨーロッパでプレーしている選手が多いことから、非常にレベルの高いチームになっております。
彼らは本気で優勝を狙うと言っております。私が選手としてプレーしていた頃は、「ワールドカップで優勝する」と口にするのも恥ずかしく、そんな無理なことは言わない方がいいという空気がありました。
その十年後に本田圭佑や長友佑都の世代が代表選手となり、優勝を口にするようになってきました。今から約十年前のことで、その時はまだちょっと早いのではないかという空気が漂っていたのですけれども、今では優勝を口にすることに対して、あまり違和感がなくなってきたというのが実感です。これはやはり選手たちがこれまで積み上げてきたものによって説得力が増しているのかなと思っています。
本日の演題にも掲げましたが、「日本でサッカーの存在を大きくしたい」という気持ちは、選手時代から持っていました。初めてJリーグの試合を見に来てきてくれた人が、「サッカーは面白いな、また見に行きたいな」と思ってもらえるようなパフォーマンスをしたいと思っておりました。監督になってからもやはり「ガンバ大阪の試合をまた見に行きたい」と言ってもらえるような、そんな試合を披露するのだということを思ってやってきました。現在は日本サッカー協会会長という立場となりましたが、もっともっと日本でサッカーの存在を大きくしたいという思いを軸にしながら仕事をしています。
2.2002年ワールドカップの盛り上がり
そう思うようになったきっかけが、2002年のワールドカップ日韓大会でした。あの時、テレビもしくはスタジアムでご覧になった方もいらっしゃるかと思いますが、日本中が沸いていたと思います。スタジアムはもちろん、日本中がサッカーで一つになるという光景は圧巻でした。渋谷の街を歩けば、ブルーのユニフォームを着た人が歩き、日本が勝った時にはハイタッチをしながら歩いたり、道頓堀に人が飛び込んだりするような盛り上がりがありました。私は大阪出身ですが、先日阪神が優勝した時もやはり道頓堀に飛び込んでいましたので、大阪の人間にとっては普通のことかもしれないですけれども、そのような盛り上がりを見た時に、日本でもっとこういうシーンが増えたらいいなと思ったのが最初です。
3.フェイスガード装着のプレー
当時、私はフェイスガードを装着してプレーしていました。なぜ私がフェイスガードを装着していたのかご存知の方はいらっしゃいますか?
実は鼻を骨折して治したのですけれども、治した鼻がもう一度骨折しないようにするために装着していました。
皆さんの中で鼻を折られた方はいらっしゃいますか?鼻を折ると、麻酔は効きますけれども、治すのが本当に痛いのです。脱脂面に麻酔液を浸して10分から15分間寝かされて、ベルトで体を締めらます。「はい、始めます」という声ととともに、鼻に箸のような棒を入れられて、 曲がっている鼻を治すのです。メリメリという音がします。本当に魚のように釣られる感じなのです。痛みで体が動いてしまわないようにベルトで締められるというわけです。
もう一度鼻を折ると、それをもう一度しなければならないことが嫌で仕方なかったので、フェイスガードを装着してプレーしておりました。
皆さんも実際に体験してみるとわかると思うのですけれど、フェイスガードを装着すると、視野がかなり制限されます。フェイスガードがない時には、足元にあるボールは見えるのですが、フェイスガードを装着するとそのボールが視界から消えてしまうのです。そのため、足元のボールを見ながら周囲の相手や味方との距離感を把握することが、フェイスガードを装着すると難しくなります。フェイスガードを装着してのプレーは本当に大変だったのですが、鼻をもう一度折ることが嫌だったので、この当時の私はフェイスガードが手放せませんでした。
2002年のワールドカップ日韓大会は本当に素晴らしい盛り上がりで、私が装着したフェイスガードも注目され、一般のお客さんが真似するようなところもありました。タレントの香取慎吾さんがテレビ番組「笑っていいとも!」のオープニングでこのマスクをして登場したのを見たときに、自分のことだけれども、他人事のような感じがしたような、そんなこともありました。
あの盛り上がりをもう一度、そして、あのような盛り上がりが常にある世界になるといいな、という思いが、スタートとして私の心の中にあるのです。
日本サッカー協会の理念
ここで改めて日本サッカー協会の理念をご紹介したいと思います。日本サッカー協会の理念とは「サッカーを通じて豊かなスポーツ文化を創造し、人々の心身の健全な発達と社会の発展に貢献する」というものです。
困ったことがあるときや事業が日本サッカー協会に適したものなのか迷う時には、やはりここに立ち返って考えます。この理念をもう少し短く端的にいうと、「サッカーで未来を創る」という意味であると私は理解しております。
この理念に合わせて三つのビジョンにブレイクダウンしております。それが「サッカーの普及に努める」、「サッカーの強化に努める」、そして「社会の発展への貢献」の三つです。
日本サッカー協会は「2050年に目指す姿」を、2005年宣言という形で発表しました。一つ目は「サッカーを愛する仲間、サッカーファミリーが1000万人になる。」というものです。日本人の約10人に一人がサッカーファミリーになればいいなという思いで設定した目標です。
二つ目は「FIFAワールドカップを日本で開催し、日本代表チームはその大会で優勝チームになる。」というものです。
私自身の強い思いである、日本でサッカーをもっと大きな存在にするためにも、日本サッカー協会の理念を推進していくことは重要なテーマであると感じています。
日本サッカーの歴史
1.スタートは1873年
ここで、日本サッカーの歴史をさかのぼってみたいと思います。
サッカーは1873年に日本に伝わってきました。イギリス人が日本の学生にサッカーを教えたのがスタートだと聞いております。
そこから50年近く経って、日本サッカー協会ができました。
話が少し脇道に逸れますが、日本にサッカーが伝来した1873年から10年前の1863年にイギリスではサッカー協会(The Football Association 略してFA)ができました。当時、各地でサッカーらしきものが色々とプレーされていたのですけれども、Aという町、Bという町、Cという町で、それぞれ違うルールでプレーされていました。そこで、統一したルールを持ちましょうというとことになり、サッカー協会(FA)が誕生しました。そこから世界中に広がっていったのです。
日本サッカー協会設立の後は、日本サッカーのオリンピックの初出場(1936年ベルリンオリンピック)があったり、日本サッカーリーグ(JSL)が発足(1965年)したり、有名なメキシコオリンピックでの銅メダル獲得(1968年)、そしてJリーグの発足(1993年)という流れになります。
2.Jリーグの発足と川淵三郎初代チェアマン
ここで、日本サッカーリーグ(JSL)のクライマックスの試合、1981年に当時の国立競技場で行われた三菱重工対フジタ工業の試合をご紹介します。
当時は数えるぐらいしか観客がいませんでした。すごい時代でしたね。閑古鳥が鳴くような、本当にまさにそのような有様だったと思います。当時、日本代表も本当に弱くて、マレーシアやインドネシアに勝てないという、そんな時代でした。
何とかしなければいけないという思いから立ち上がったのが、川淵三郎さんをはじめJリーグの発足に尽力された皆さんです。1989年ぐらいにプロリーグ設立の準備室が立ち上がって、そこから約4年後にJリーグができました。
リーグ初代チェアマンの川淵三郎さんは今年で89歳ですが、時々日本サッカー協会にもいらっしゃって、私も川淵さんといろいろと話す機会があります。
先日食事を共にする機会があったのですが、本当にお元気で、お寿司をどんどん食べていらっしゃいました。
お聞きしてみると、川淵さんはX(旧Twitter)などいろいろやっておられますし、朝起きると日経新聞を全部お読みになるそうです。日経新聞の何をお読みになるかというと、イベントの記録みたいなものが載っているところ、そこをとにかく集中してお読みになるそうです。やはり今のトレンドは何かということを常に気にされています。そして自分をどんどんアップデートして、例えばXの発言にしても、新しいことを発信されております。私よりも40歳上の方です。すごいなあと思いながら、お話を聞きました。
川淵さんは今でもゴルフをされます。エージシュート(age shoot:プレーヤー自身の年齢と同じ、もしくは年齢以下のスコアで18ホールを回りきること)が何回もあるそうです。でも川淵さんはエージシュートをこの年齢で達成しても面白くないと言っておられます。要はご自分の年齢が上がっていくので、そんなに低いスコアでなくてもエージシュートになってしまうのだ、と言っておられました。
3.Jリーグ発足当時(1993年)と現在の比較
(1)クラブ数の推移
1993年にJリーグがスタートした当時は10クラブしかありませんでした。関東に偏っていて、東海に2クラブ、関西に1クラブ、中国にサンフレッチェ広島があるだけで、北の方は全くないという状況でした。当時は「Jリーグ」という言葉が流行語大賞にも選ばれたような、そんな時代でした。
それから30年以上経って、今では60クラブに増えています。これはいろいろなところでJ2(2部リーグ)、J3(3部リーグ)ができたことによるものです。「おらが町のクラブを作る」、「地域密着のクラブを育てる」といったJリーグの理念に賛同した人が、それぞれの地域でクラブを作り、そのクラブをどうしたら発展させていけるのか、成長させていけるのかということを真剣に考えてきました。その結果、最初は関東や大阪や広島など限られた地域にしかなかったクラブが、今では日本全国に広がるまでになりました。
現在Jクラブが存在していないのは、岩手県、福井県、滋賀県、三重県、和歌山県、島根県です。でも、こうした地域にもJクラブを目指すチームが活動を続けていて、Jリーグの理念が本当に浸透してきているなあ、と感じます。
(2)予算規模・人件費
Jリーグ発足当時の1993年、Jリーグ10クラブの平均収入は約27億6700万円だったそうです。それが今では、浦和レッズにおいては2024年で102億円の売上で、人件費が31億円となっております。30年前の一つのクラブの予算を上回るだけの人件費を浦和レッズが持っていることになります。やはり人件費で金額を引っ張ってもらうのは、すごく嬉しいなあと思います。選手たちがそれだけいろいろな待遇を受けられるようになるからです。
例えばFC町田ゼルビアでは、Cyber Agentの藤田晋さんがお金を投入する、ヴィッセル神戸においても楽天グループがたくさん資金を投入するということがあり、選手の待遇がすごく変わってきております。監督のお給料も多分変わっております。
当時一番報酬が高い人でも2億円に満たなかった選手たちが、今では多分、トップクラスではその倍になっていると思います。監督にしても報酬が1億円の人は少なかったのですが、今では海外の人であればその倍の金額になってきていると思います。
イングランドなどに行くと、その10倍です。浦和レッズで102億円と申し上げましたけれども、例えばパリ・サンジェルマンFCやマンチェスター・シティFCなど、クラブの予算規模が、1,000億円を超えるようなクラブがあります。そうなれば、もっと人件費が大きくなり、選手や指導者の給与が高くなります。
(3)入場者数の推移
Jリーグ公式戦の入場者数の推移をみると、順調に増えてきています。開幕当時の盛り上がりの反動で下がった時期はありましたが、基本的に右肩上がりとなっています。
最近ではコロナ禍の影響も受けましたが、完全に復活し、昨シーズンは初めて1200万人を超え、過去最高を記録しました。
4.海外でプレーする日本人選手
Jリーグ発足当初は海外でプレーしていた選手はほとんどおりませんでした。私がプレーしていた2002年では、23人の選手のうち、4人ほどしか海外でプレーしていなかったのですが、今では27人中21人ほど海外でプレーしています。
これは本当に素晴らしいことですけれど、一方で我々からするとお金がかかります。10月に対ブラジル戦と対パラグライ戦がありますが、日本代表選手を海外から日本に呼び戻すときに、その旅費はサッカー協会が負担します。日本国内でプレーしている選手が多い方が、サッカー協会からの出費は少なくなるのです。
今まではヨーロッパでプレーしている選手を商業フライトで帰国させていました。しかし、それでは選手のコンディションがバラバラであるという問題点が生じます。これに対処するため、今ではチャーター機を利用しています。
例えば、フランクフルトでプレーしている選手をパリに、アムステルダムからパリに、ロンドンからパリに、それぞれセスナ機を飛ばして集めます。そうやって集めた選手たちが一台のチャーター機で日本に向かうのです。こうすると、商業フライトを利用するより一日早く日本に帰ることができます。トレーニングも一日多くできるし、ミーティングも1~2回多くできるので、全然パフォーマンスが違ってくるという報告を受けております。
飛行機のチャーター費用は約1億円かかります。例えば海外にいる選手たちをワールドカップの最終予選に呼び戻す時にチャーター機を使った場合、この1億円を高いと感じるかどうかです。この1億円を投資したことで、中国戦で7-0というスコアで順調に勝って、ワールドカップに行くことを決めるとすれば、それが我々の価値を上げることにつながるのではないか。そういう意味で、やはり投資という観点は重要なのかなと思っているところです。
この取り組みは本当たくさんの選手や監督から感謝の声を聞いているところです。
5.日本の女子サッカー
日本の女子サッカーにも少し触れておきたいと思います。
WEリーグというプロリーグが2021年からスタートしました。WEリーグは12クラブで構成されております。
WEリーグの下に、アマチュアの「なでしこ1部リーグ」と「なでしこ2部リーグ」があり、1部に12クラブ、2部に12クラブがそれぞれ所属しております。
まだお客さんの数は少なくて、一試合当たり2,000人を超えるかなというぐらいの数です。
皆さん、SAMURAI BLUE日本代表の試合はご覧になられましたでしょうか?
では、なでしこジャパン日本女子サッカー代表の試合はご覧になられましたか?
「男子の方が、動きがダイナミックで面白い」という方も多いようで、私もやはり昔はそうでした。でも、2023年の女子のワールドカップ(ニュージーランドとオーストラリアの共催)の決勝戦をシドニーで見てから見方が変わりました。決勝戦には75,000人が集まって、前年のカタール・ワールドカップの男子の時と同じような試合前の期待感が漂っていて、プレーのレベルも高いと感じました。ダイナミックさや力強さは男子とは少し違うのですけれども、男子とはまた違う面白さが見えてきました。少しスローな分、もっと戦術的なところが面白く見えたり、柔らかなテクニックがあったりといった点が印象的でした。
日本の女子選手がヨーロッパでプレーしている数もどんどん増えております。日本の男子の選手の評価が上がっているのですけれども、女子の選手の評価も高く、「日本の女子の選手でいい選手はいるか?」という問い合わせが増えています。たとえば浦和レッズレディースからも去年のシーズンを終えて、3人ぐらい海外でプレーしているような状況です。日本選手はとても質が高いという評価をもらっています。
6.日本サッカー協会が国税庁の広報大使に
日本サッカーの歴史のところを長く語りましたけれども、Jリーグ発足後30年近く経って、みんなの努力によっていろいろな意味でサッカーの価値を上げてきたと思います。
我々に一定程度の発信力ができたから、昨年秋に日本サッカー協会が国税庁の広報大使という役割をいただけたのかなと思います。「イータ君」(国税庁電子申告・納税システム(e-Tax)のキャラクター)と一緒になって森保一日本代表監督以下、男子の代表選手たちが「納税はキャッシュレスで!」のアピールに一役買ったり、なでしこの選手たちも同じく「イータ君」と一緒に「税を考える週間」のアピールをさせていただいたりしたところです。
選手たちにとっても、自分たちがそういうことをやれるということは嬉しいのです。今回国税庁の広報大使をさせていただいておりますけれども、そういったもの以外の役割も与えていただいたら、我々もやれることはあるかなと思っております。
日本サッカー協会の会長として
1.大事にしたいこと
私は去年の3月末に日本サッカー協会の会長に就任いたしました。就任時には、サッカーを大きなものにしていきたいと思っている中で、大事にしていきたいことをビッグゴールとして掲げました。「日本代表だけでなく、アンダーカテゴリーと言われる20歳以下、17歳以下の女子も男子も強い状態である必要がある」ということが一つ目です。
二つ目は「女子のサッカーをもっと拡大したい」ということです。
三つ目は「我々のサッカーが持つコンテンツの社会的な価値を高める」ということ、すなわち、我々はパートナーの皆さんから協賛金をいただいている立場ですので、商業的な価値を上げていくところにつなげたいということです。
2.日本サッカー協会の予算
日本サッカー協会の2025年度予算についてお話いたします。収入面では、「協賛金・放映権・商品事業(グッズ等)」で収入の50数パーセントを占めております。このほか、代表の試合でのチケットの売り上げなどにあたる「男子代表の国際・国内競技会」という項目になっています。
次に支出の方をお話いたしますと、「男子代表の国際・国内競技会」という項目で、競技をする、競技会を作るというところにやはりお金がかかっています。代表の試合をする時には、対戦相手が日本に来るために必要な費用はこちらが持たなければいけません。ホテル代・食事代・エア代・いわゆるマッチフィーのようなものもあり、そういうものをひっくるめての支出となっています。それを先ほど収入面でお話しした、チケットの売り上げ代などで回収しています。
ファンの皆さんからは「強い相手と対戦してほしい」という声が届きますが、マッチフィーは強いチームになればなるほど高いのです。FIFAランキングの低いところの方がマッチフィーはちょっと安くなっております。
今後、収入面では例えば現在200億円の予算ですが、商業的な価値を向上させて300億円に増やしたいと思っています。それをサッカーの強化だけでなく、地域に還元したり、社会に還元したり、子どもたちに投資したりすることを通じて、日本サッカー協会の理念である、「サッカーで未来をつくる」ところにつなげていきたいと思っております。
3.強豪国レベルの投資額を目指す
強いチーム、強い国というのは、多くのお金を投資しています。FIFAランキング1位、2位のアルゼンチン、フランスは公表しておりませんが、例えば3位のスペインは413億円、4位のイングランドは290億円のお金を投資して、施設に使ったり、選手に使ったりしています。施設へ投資できるというのは本当に効果が大きいと思います。
日本は一番良い時にはFIFAランキング15位まで上がったのですけれど、最近負けたことで現在は19位です。日本の投資額は2023年のデータで143億円となっています。
これからは投資を増やしていくことが重要だと考えております。Jリーグは来年からシーズンの移行が実施されます。今までは2月に始まって12月に終わっていたのですけれども、来年からは8月にスタートして、翌年の5月に終わるというシーズンに変わります。
そうなると、降雪地域での練習場や競技場が必要になります。また、今、暑熱が問題となっていて、選手たちは本当に暑い中でプレーしておりますが、そういった環境でもプレーできるような、冷涼化設備も必要になってきます。このようにお金がますます重要になってまいります。
4.都道府県サッカー協会と共に
海外の事例になりますが、投資を呼び込むために、ヨーロッパでもいろいろな取組がされています。
ヨーロッパサッカー連盟(UEFA)は各加盟協会の成長戦略を考えております。細かくは触れませんけれども、多分野に渡る専門的支援により、サッカーを通じてたくさんのお金を生み出しているのです。ご興味のある方は、UEFAのサイトで「UEFA Grow」を調べていただくと、具体的な内容が出てくると思います。
UEFA Growのような制度をそのまま日本へ持ってくることは簡単ではないかもしれませんが、日本には47都道府県にサッカー協会があります。先ほどの日本サッカー協会の理念のところで述べた未来の成長戦略を、それぞれのサッカー協会と連携しながら、一緒に進めております。
5.「アスパス!」活動への取り組み
もう一つ、最近注力しているのが、環境や人権、教育などの分野です。
日本サッカー協会が取り組む五つの重要課題である「環境」「人権」「健康」「教育」「地域」に取り組む活動を総称して「アスパス!」と呼んでいます。「地球(Earth)」のアースと、「明日」のアスと、「私たち(us)」のアス、この三つのアスと未来をつなぐ、パスを出すという意味で「アスパス!」という名前を作りました。
例えば重要課題の一つである暑熱対策は「環境」に関係しますが、日本サッカー協会では「7月、8月にサッカー協会主催の試合を行わない」と宣言しています。暑い中で試合をすると、とんでもなく熱中症の危険性があるので、そのリスクを避けるという意味でそういったステートメントを出しています。
「環境」だけでなく、「人権」に関しても、あらゆる人にサッカーをしてもらえるような、そうした関係づくりが重要だということも言っております。
6.サッカーを通じて被災者に寄り添う
もう一つ、「災害が起きたときに我々に何かできることはないか?」ということを常に考えております。
能登半島地震で被災された方を選手が訪ねて、一緒にウォーキングフットボールという、歩くサッカー、走らないサッカーで一緒にプレーをして交流しています。これだと子供もおじいさんもおばあさんも一緒にできるのです。日本代表の遠藤航キャプテンをはじめ、SAMURAI BLUEやなでしこジャパンの選手が参加しています。
森保監督も能登を訪れて、被災された方と交流しておられます。この時、ボランティアで来ていた20歳ぐらいの女性がいました。彼女は宮城県から来たそうです。2011年の東日本大震災の時に、同じようにサッカー選手が来てくれて、心がちょっと救われた、と話されていました。ちょっと笑顔になれた、ちょっと体を動かすことで楽しくなれた、そういう体験があったからこそ、今回は恩返ししたい、という思いで、昨年の夏、我々が能登の珠洲市でイベントを行った際に参加してくれたのです。
この出来事を通して、改めてサッカーやスポーツが持つ力を再確認しました。日常がつらいと感じている人たちが、プレーをすることで笑い声が生まれ、その人自身が明るい気持ちになっていく。周りで見ている親御さんも、子供たちの笑顔を見て、明るくなれる。我々の活動にはそうした価値があるのではないかと思っています。今後も続けていきたいと思っています。
私も今年は金沢に行って、子どもたちと一緒にウォーキングフットボールをしました。能登の方からも参加していただき、一日楽しんでいただきました。サッカーは本当に人を笑顔にする力があるなと改めて感じたところです。
7.全国のサッカースタジアムの新設・建替え構想
今、日本の各地で新しいサッカースタジアムを作ろうという構想が立ち上がっております。
その一つがエディオンピースウィングスタジアムです。これは広島にできたのですけれども、収容人員28,500人、約300億円の規模でできました。
もう一つの例は長崎スタジアムシティです。こちらは1,000億円弱というとんでもないお金がかかっております。
これからの時代、サッカースタジアムは単にサッカーをするだけの場所だけではなくなっていくと思います。サッカーの試合がない日には、例えばクリニックを開いたり、商業施設を併設したり、ライブイベントを開催でできるような機能を持たせることで、スタジアムの稼働率を高めることができます。そこが、スタジアムの価値になっていくと思いますし、その地域のシンボルとして、地域の皆さんのプライドにつながっていくのではないかなと思います。
最近では、岡山県でもファジアーノ岡山というチームがJ1で活躍しています。彼らのホームスタジアムは、収容人数15,000人の陸上競技場なのですが、今年はすべての試合でチケットが売り切れになるほどの人気です。そこで今、新しいスタジアムを作ろうという機運が立ち上がっております。
私も先日、現地にお邪魔して、新スタジアム建設の署名活動に参加しました。その様子をインスタグラムに投稿したところ、「ぜひ頑張ってください」という声もあれば、「税金の無駄遣いだ」という声もありまして、私のインスタグラムが皆さんのコメントでいっぱいになったので、ちょっと驚きました。
もちろん、皆さんそれぞれ立場があると思います。ただ私から言えることは、この新しいスタジアムができることで、子どもたちの憧れにつながり、明るい未来を想像しながらそこで生活できる、そんな力が新スタジアムにはあるのではないかと思いますし、それこそがスポーツの力なのかなと思います。
最後に
日本のサッカーの力を向上させることが、社会的な価値の向上につながります。そしてその価値が商業的にも評価されることで、さらに日本サッカーの力の向上につながっていくという好循環が生まれていく、そんな未来を思い描きながら活動しています。
これからもサッカーを通じてみんなが元気になれる世界を目指して取り組んでいきたいと思います。
ご清聴ありがとうございました。
講師略歴
宮本 恒靖(みやもと つねやす)
公益財団法人 日本サッカー協会 会長
大阪府出身。同志社大学経済学部卒業。
1992年からガンバ大阪ユース、1995年からガンバ大阪でJリーガーとして活躍。日本代表選手としては、シドニー五輪、AFCアジアカップなどに出場し、2006年のFIFAワールドカップドイツ大会では、キャプテンを務めた。
2011年に現役を引退後、2013年FIFAマスター修士課程を修了。2018年から2021年までガンバ大阪監督。2022年から日本サッカー協会の理事などを務め、2024年3月から同協会会長。
宮本 恒靖 氏
(公益財団法人日本サッカー協会会長)
演題
日本でサッカーをもっと大きな存在に
令和7年9月30日(火)開催
はじめに
ご紹介いただきまして、ありがとうございます。皆さんよろしくお願いいたします。
財務省に来る機会はなかなかないので、ちょっとアウェー感はあるのですけれども、オンラインの皆さんも百数十名いらっしゃるとお聞きしており、多くの方にご参加いただき感謝しております。今から色々とお話させていただきますが、質疑応答の時間なども利用して皆様からもいろいろと質問していただければと思いますので、よろしくお願いします。
自己紹介
先ず簡単な自己紹介をさせていただきます。先ほど紹介いただいた通り、私は2002年の日韓ワールドカップ、そして2006年のドイツのワールドカップに2回出場いたしました。日本代表チームの試合には71試合に出場いたしまして、3ゴールしております。Jリーグの試合では337試合に出場した中で、挙げた得点が8点です。ディフェンダーなので、それほど多くはないです。それに対してオウンゴールも3点とっております。なかなか厳しい世界です。
その後、2015年からはサッカーの指導者としてガンバ大阪アカデミーのU-13というチームで中学一年生を指導いたしました。幼少期にサッカーを始めてから、中学生になるにつれて、子どもたちはどんどん成長していきます。体の変化もありますし、心の変化もあるこの時期の選手に、いかに向き合い、接していくのかということはすごく大事になるとの思いから、指導に取り組みました。
2018年にはガンバ大阪のトップチームの監督に就任することとなり、プロの選手を教えることになりました。当時、チームは2部リーグへの降格の危機にあり、しかもシーズンのちょうど折り返しを迎えた難しい時期でした。周囲からは「火中の栗を拾うようなものだ」と言われましたが、自分を育ててもらったクラブであること、苦境にあるチームを何とか救えるのではないかという根拠のない自信のようなものがあったことから、引き受ける決断をしました。
監督就任後、選手たちがしっかりと自信を取り戻してくれたので、そのシーズンは1部リーグに残留することができました。ところが、その後、2シーズンぐらいは成績も上向いていたのですが、就任して4シーズン目に結果が良くなく、シーズン途中に監督を解任されることになりました。
ある日、「宮本さん、この部屋に来てください。」と呼ばれて、いつも通りのミーティングかなと思っていたのですが、部屋に入った時に顔ぶれがいつもと違うことに気付きました。社長がいらっしゃったのです。その瞬間に解任を悟りました。監督としてそういうタイミングに出会うことが初めてだったので、いろいろ学びはありました。
その後、日本のサッカー界の統括機関である日本サッカー協会(JFA)に入りまして、理事そして専務理事を経て、現在は会長の仕事をしております。
日本でサッカーの存在をもっと大きくしたい
1.日本代表チームの活躍
日本代表チームはいろいろと活躍しております。2026年のワールドカップに向けての予選も史上最速で突破してくれました。現在はヨーロッパでプレーしている選手が多いことから、非常にレベルの高いチームになっております。
彼らは本気で優勝を狙うと言っております。私が選手としてプレーしていた頃は、「ワールドカップで優勝する」と口にするのも恥ずかしく、そんな無理なことは言わない方がいいという空気がありました。
その十年後に本田圭佑や長友佑都の世代が代表選手となり、優勝を口にするようになってきました。今から約十年前のことで、その時はまだちょっと早いのではないかという空気が漂っていたのですけれども、今では優勝を口にすることに対して、あまり違和感がなくなってきたというのが実感です。これはやはり選手たちがこれまで積み上げてきたものによって説得力が増しているのかなと思っています。
本日の演題にも掲げましたが、「日本でサッカーの存在を大きくしたい」という気持ちは、選手時代から持っていました。初めてJリーグの試合を見に来てきてくれた人が、「サッカーは面白いな、また見に行きたいな」と思ってもらえるようなパフォーマンスをしたいと思っておりました。監督になってからもやはり「ガンバ大阪の試合をまた見に行きたい」と言ってもらえるような、そんな試合を披露するのだということを思ってやってきました。現在は日本サッカー協会会長という立場となりましたが、もっともっと日本でサッカーの存在を大きくしたいという思いを軸にしながら仕事をしています。
2.2002年ワールドカップの盛り上がり
そう思うようになったきっかけが、2002年のワールドカップ日韓大会でした。あの時、テレビもしくはスタジアムでご覧になった方もいらっしゃるかと思いますが、日本中が沸いていたと思います。スタジアムはもちろん、日本中がサッカーで一つになるという光景は圧巻でした。渋谷の街を歩けば、ブルーのユニフォームを着た人が歩き、日本が勝った時にはハイタッチをしながら歩いたり、道頓堀に人が飛び込んだりするような盛り上がりがありました。私は大阪出身ですが、先日阪神が優勝した時もやはり道頓堀に飛び込んでいましたので、大阪の人間にとっては普通のことかもしれないですけれども、そのような盛り上がりを見た時に、日本でもっとこういうシーンが増えたらいいなと思ったのが最初です。
3.フェイスガード装着のプレー
当時、私はフェイスガードを装着してプレーしていました。なぜ私がフェイスガードを装着していたのかご存知の方はいらっしゃいますか?
実は鼻を骨折して治したのですけれども、治した鼻がもう一度骨折しないようにするために装着していました。
皆さんの中で鼻を折られた方はいらっしゃいますか?鼻を折ると、麻酔は効きますけれども、治すのが本当に痛いのです。脱脂面に麻酔液を浸して10分から15分間寝かされて、ベルトで体を締めらます。「はい、始めます」という声ととともに、鼻に箸のような棒を入れられて、 曲がっている鼻を治すのです。メリメリという音がします。本当に魚のように釣られる感じなのです。痛みで体が動いてしまわないようにベルトで締められるというわけです。
もう一度鼻を折ると、それをもう一度しなければならないことが嫌で仕方なかったので、フェイスガードを装着してプレーしておりました。
皆さんも実際に体験してみるとわかると思うのですけれど、フェイスガードを装着すると、視野がかなり制限されます。フェイスガードがない時には、足元にあるボールは見えるのですが、フェイスガードを装着するとそのボールが視界から消えてしまうのです。そのため、足元のボールを見ながら周囲の相手や味方との距離感を把握することが、フェイスガードを装着すると難しくなります。フェイスガードを装着してのプレーは本当に大変だったのですが、鼻をもう一度折ることが嫌だったので、この当時の私はフェイスガードが手放せませんでした。
2002年のワールドカップ日韓大会は本当に素晴らしい盛り上がりで、私が装着したフェイスガードも注目され、一般のお客さんが真似するようなところもありました。タレントの香取慎吾さんがテレビ番組「笑っていいとも!」のオープニングでこのマスクをして登場したのを見たときに、自分のことだけれども、他人事のような感じがしたような、そんなこともありました。
あの盛り上がりをもう一度、そして、あのような盛り上がりが常にある世界になるといいな、という思いが、スタートとして私の心の中にあるのです。
日本サッカー協会の理念
ここで改めて日本サッカー協会の理念をご紹介したいと思います。日本サッカー協会の理念とは「サッカーを通じて豊かなスポーツ文化を創造し、人々の心身の健全な発達と社会の発展に貢献する」というものです。
困ったことがあるときや事業が日本サッカー協会に適したものなのか迷う時には、やはりここに立ち返って考えます。この理念をもう少し短く端的にいうと、「サッカーで未来を創る」という意味であると私は理解しております。
この理念に合わせて三つのビジョンにブレイクダウンしております。それが「サッカーの普及に努める」、「サッカーの強化に努める」、そして「社会の発展への貢献」の三つです。
日本サッカー協会は「2050年に目指す姿」を、2005年宣言という形で発表しました。一つ目は「サッカーを愛する仲間、サッカーファミリーが1000万人になる。」というものです。日本人の約10人に一人がサッカーファミリーになればいいなという思いで設定した目標です。
二つ目は「FIFAワールドカップを日本で開催し、日本代表チームはその大会で優勝チームになる。」というものです。
私自身の強い思いである、日本でサッカーをもっと大きな存在にするためにも、日本サッカー協会の理念を推進していくことは重要なテーマであると感じています。
日本サッカーの歴史
1.スタートは1873年
ここで、日本サッカーの歴史をさかのぼってみたいと思います。
サッカーは1873年に日本に伝わってきました。イギリス人が日本の学生にサッカーを教えたのがスタートだと聞いております。
そこから50年近く経って、日本サッカー協会ができました。
話が少し脇道に逸れますが、日本にサッカーが伝来した1873年から10年前の1863年にイギリスではサッカー協会(The Football Association 略してFA)ができました。当時、各地でサッカーらしきものが色々とプレーされていたのですけれども、Aという町、Bという町、Cという町で、それぞれ違うルールでプレーされていました。そこで、統一したルールを持ちましょうというとことになり、サッカー協会(FA)が誕生しました。そこから世界中に広がっていったのです。
日本サッカー協会設立の後は、日本サッカーのオリンピックの初出場(1936年ベルリンオリンピック)があったり、日本サッカーリーグ(JSL)が発足(1965年)したり、有名なメキシコオリンピックでの銅メダル獲得(1968年)、そしてJリーグの発足(1993年)という流れになります。
2.Jリーグの発足と川淵三郎初代チェアマン
ここで、日本サッカーリーグ(JSL)のクライマックスの試合、1981年に当時の国立競技場で行われた三菱重工対フジタ工業の試合をご紹介します。
当時は数えるぐらいしか観客がいませんでした。すごい時代でしたね。閑古鳥が鳴くような、本当にまさにそのような有様だったと思います。当時、日本代表も本当に弱くて、マレーシアやインドネシアに勝てないという、そんな時代でした。
何とかしなければいけないという思いから立ち上がったのが、川淵三郎さんをはじめJリーグの発足に尽力された皆さんです。1989年ぐらいにプロリーグ設立の準備室が立ち上がって、そこから約4年後にJリーグができました。
リーグ初代チェアマンの川淵三郎さんは今年で89歳ですが、時々日本サッカー協会にもいらっしゃって、私も川淵さんといろいろと話す機会があります。
先日食事を共にする機会があったのですが、本当にお元気で、お寿司をどんどん食べていらっしゃいました。
お聞きしてみると、川淵さんはX(旧Twitter)などいろいろやっておられますし、朝起きると日経新聞を全部お読みになるそうです。日経新聞の何をお読みになるかというと、イベントの記録みたいなものが載っているところ、そこをとにかく集中してお読みになるそうです。やはり今のトレンドは何かということを常に気にされています。そして自分をどんどんアップデートして、例えばXの発言にしても、新しいことを発信されております。私よりも40歳上の方です。すごいなあと思いながら、お話を聞きました。
川淵さんは今でもゴルフをされます。エージシュート(age shoot:プレーヤー自身の年齢と同じ、もしくは年齢以下のスコアで18ホールを回りきること)が何回もあるそうです。でも川淵さんはエージシュートをこの年齢で達成しても面白くないと言っておられます。要はご自分の年齢が上がっていくので、そんなに低いスコアでなくてもエージシュートになってしまうのだ、と言っておられました。
3.Jリーグ発足当時(1993年)と現在の比較
(1)クラブ数の推移
1993年にJリーグがスタートした当時は10クラブしかありませんでした。関東に偏っていて、東海に2クラブ、関西に1クラブ、中国にサンフレッチェ広島があるだけで、北の方は全くないという状況でした。当時は「Jリーグ」という言葉が流行語大賞にも選ばれたような、そんな時代でした。
それから30年以上経って、今では60クラブに増えています。これはいろいろなところでJ2(2部リーグ)、J3(3部リーグ)ができたことによるものです。「おらが町のクラブを作る」、「地域密着のクラブを育てる」といったJリーグの理念に賛同した人が、それぞれの地域でクラブを作り、そのクラブをどうしたら発展させていけるのか、成長させていけるのかということを真剣に考えてきました。その結果、最初は関東や大阪や広島など限られた地域にしかなかったクラブが、今では日本全国に広がるまでになりました。
現在Jクラブが存在していないのは、岩手県、福井県、滋賀県、三重県、和歌山県、島根県です。でも、こうした地域にもJクラブを目指すチームが活動を続けていて、Jリーグの理念が本当に浸透してきているなあ、と感じます。
(2)予算規模・人件費
Jリーグ発足当時の1993年、Jリーグ10クラブの平均収入は約27億6700万円だったそうです。それが今では、浦和レッズにおいては2024年で102億円の売上で、人件費が31億円となっております。30年前の一つのクラブの予算を上回るだけの人件費を浦和レッズが持っていることになります。やはり人件費で金額を引っ張ってもらうのは、すごく嬉しいなあと思います。選手たちがそれだけいろいろな待遇を受けられるようになるからです。
例えばFC町田ゼルビアでは、Cyber Agentの藤田晋さんがお金を投入する、ヴィッセル神戸においても楽天グループがたくさん資金を投入するということがあり、選手の待遇がすごく変わってきております。監督のお給料も多分変わっております。
当時一番報酬が高い人でも2億円に満たなかった選手たちが、今では多分、トップクラスではその倍になっていると思います。監督にしても報酬が1億円の人は少なかったのですが、今では海外の人であればその倍の金額になってきていると思います。
イングランドなどに行くと、その10倍です。浦和レッズで102億円と申し上げましたけれども、例えばパリ・サンジェルマンFCやマンチェスター・シティFCなど、クラブの予算規模が、1,000億円を超えるようなクラブがあります。そうなれば、もっと人件費が大きくなり、選手や指導者の給与が高くなります。
(3)入場者数の推移
Jリーグ公式戦の入場者数の推移をみると、順調に増えてきています。開幕当時の盛り上がりの反動で下がった時期はありましたが、基本的に右肩上がりとなっています。
最近ではコロナ禍の影響も受けましたが、完全に復活し、昨シーズンは初めて1200万人を超え、過去最高を記録しました。
4.海外でプレーする日本人選手
Jリーグ発足当初は海外でプレーしていた選手はほとんどおりませんでした。私がプレーしていた2002年では、23人の選手のうち、4人ほどしか海外でプレーしていなかったのですが、今では27人中21人ほど海外でプレーしています。
これは本当に素晴らしいことですけれど、一方で我々からするとお金がかかります。10月に対ブラジル戦と対パラグライ戦がありますが、日本代表選手を海外から日本に呼び戻すときに、その旅費はサッカー協会が負担します。日本国内でプレーしている選手が多い方が、サッカー協会からの出費は少なくなるのです。
今まではヨーロッパでプレーしている選手を商業フライトで帰国させていました。しかし、それでは選手のコンディションがバラバラであるという問題点が生じます。これに対処するため、今ではチャーター機を利用しています。
例えば、フランクフルトでプレーしている選手をパリに、アムステルダムからパリに、ロンドンからパリに、それぞれセスナ機を飛ばして集めます。そうやって集めた選手たちが一台のチャーター機で日本に向かうのです。こうすると、商業フライトを利用するより一日早く日本に帰ることができます。トレーニングも一日多くできるし、ミーティングも1~2回多くできるので、全然パフォーマンスが違ってくるという報告を受けております。
飛行機のチャーター費用は約1億円かかります。例えば海外にいる選手たちをワールドカップの最終予選に呼び戻す時にチャーター機を使った場合、この1億円を高いと感じるかどうかです。この1億円を投資したことで、中国戦で7-0というスコアで順調に勝って、ワールドカップに行くことを決めるとすれば、それが我々の価値を上げることにつながるのではないか。そういう意味で、やはり投資という観点は重要なのかなと思っているところです。
この取り組みは本当たくさんの選手や監督から感謝の声を聞いているところです。
5.日本の女子サッカー
日本の女子サッカーにも少し触れておきたいと思います。
WEリーグというプロリーグが2021年からスタートしました。WEリーグは12クラブで構成されております。
WEリーグの下に、アマチュアの「なでしこ1部リーグ」と「なでしこ2部リーグ」があり、1部に12クラブ、2部に12クラブがそれぞれ所属しております。
まだお客さんの数は少なくて、一試合当たり2,000人を超えるかなというぐらいの数です。
皆さん、SAMURAI BLUE日本代表の試合はご覧になられましたでしょうか?
では、なでしこジャパン日本女子サッカー代表の試合はご覧になられましたか?
「男子の方が、動きがダイナミックで面白い」という方も多いようで、私もやはり昔はそうでした。でも、2023年の女子のワールドカップ(ニュージーランドとオーストラリアの共催)の決勝戦をシドニーで見てから見方が変わりました。決勝戦には75,000人が集まって、前年のカタール・ワールドカップの男子の時と同じような試合前の期待感が漂っていて、プレーのレベルも高いと感じました。ダイナミックさや力強さは男子とは少し違うのですけれども、男子とはまた違う面白さが見えてきました。少しスローな分、もっと戦術的なところが面白く見えたり、柔らかなテクニックがあったりといった点が印象的でした。
日本の女子選手がヨーロッパでプレーしている数もどんどん増えております。日本の男子の選手の評価が上がっているのですけれども、女子の選手の評価も高く、「日本の女子の選手でいい選手はいるか?」という問い合わせが増えています。たとえば浦和レッズレディースからも去年のシーズンを終えて、3人ぐらい海外でプレーしているような状況です。日本選手はとても質が高いという評価をもらっています。
6.日本サッカー協会が国税庁の広報大使に
日本サッカーの歴史のところを長く語りましたけれども、Jリーグ発足後30年近く経って、みんなの努力によっていろいろな意味でサッカーの価値を上げてきたと思います。
我々に一定程度の発信力ができたから、昨年秋に日本サッカー協会が国税庁の広報大使という役割をいただけたのかなと思います。「イータ君」(国税庁電子申告・納税システム(e-Tax)のキャラクター)と一緒になって森保一日本代表監督以下、男子の代表選手たちが「納税はキャッシュレスで!」のアピールに一役買ったり、なでしこの選手たちも同じく「イータ君」と一緒に「税を考える週間」のアピールをさせていただいたりしたところです。
選手たちにとっても、自分たちがそういうことをやれるということは嬉しいのです。今回国税庁の広報大使をさせていただいておりますけれども、そういったもの以外の役割も与えていただいたら、我々もやれることはあるかなと思っております。
日本サッカー協会の会長として
1.大事にしたいこと
私は去年の3月末に日本サッカー協会の会長に就任いたしました。就任時には、サッカーを大きなものにしていきたいと思っている中で、大事にしていきたいことをビッグゴールとして掲げました。「日本代表だけでなく、アンダーカテゴリーと言われる20歳以下、17歳以下の女子も男子も強い状態である必要がある」ということが一つ目です。
二つ目は「女子のサッカーをもっと拡大したい」ということです。
三つ目は「我々のサッカーが持つコンテンツの社会的な価値を高める」ということ、すなわち、我々はパートナーの皆さんから協賛金をいただいている立場ですので、商業的な価値を上げていくところにつなげたいということです。
2.日本サッカー協会の予算
日本サッカー協会の2025年度予算についてお話いたします。収入面では、「協賛金・放映権・商品事業(グッズ等)」で収入の50数パーセントを占めております。このほか、代表の試合でのチケットの売り上げなどにあたる「男子代表の国際・国内競技会」という項目になっています。
次に支出の方をお話いたしますと、「男子代表の国際・国内競技会」という項目で、競技をする、競技会を作るというところにやはりお金がかかっています。代表の試合をする時には、対戦相手が日本に来るために必要な費用はこちらが持たなければいけません。ホテル代・食事代・エア代・いわゆるマッチフィーのようなものもあり、そういうものをひっくるめての支出となっています。それを先ほど収入面でお話しした、チケットの売り上げ代などで回収しています。
ファンの皆さんからは「強い相手と対戦してほしい」という声が届きますが、マッチフィーは強いチームになればなるほど高いのです。FIFAランキングの低いところの方がマッチフィーはちょっと安くなっております。
今後、収入面では例えば現在200億円の予算ですが、商業的な価値を向上させて300億円に増やしたいと思っています。それをサッカーの強化だけでなく、地域に還元したり、社会に還元したり、子どもたちに投資したりすることを通じて、日本サッカー協会の理念である、「サッカーで未来をつくる」ところにつなげていきたいと思っております。
3.強豪国レベルの投資額を目指す
強いチーム、強い国というのは、多くのお金を投資しています。FIFAランキング1位、2位のアルゼンチン、フランスは公表しておりませんが、例えば3位のスペインは413億円、4位のイングランドは290億円のお金を投資して、施設に使ったり、選手に使ったりしています。施設へ投資できるというのは本当に効果が大きいと思います。
日本は一番良い時にはFIFAランキング15位まで上がったのですけれど、最近負けたことで現在は19位です。日本の投資額は2023年のデータで143億円となっています。
これからは投資を増やしていくことが重要だと考えております。Jリーグは来年からシーズンの移行が実施されます。今までは2月に始まって12月に終わっていたのですけれども、来年からは8月にスタートして、翌年の5月に終わるというシーズンに変わります。
そうなると、降雪地域での練習場や競技場が必要になります。また、今、暑熱が問題となっていて、選手たちは本当に暑い中でプレーしておりますが、そういった環境でもプレーできるような、冷涼化設備も必要になってきます。このようにお金がますます重要になってまいります。
4.都道府県サッカー協会と共に
海外の事例になりますが、投資を呼び込むために、ヨーロッパでもいろいろな取組がされています。
ヨーロッパサッカー連盟(UEFA)は各加盟協会の成長戦略を考えております。細かくは触れませんけれども、多分野に渡る専門的支援により、サッカーを通じてたくさんのお金を生み出しているのです。ご興味のある方は、UEFAのサイトで「UEFA Grow」を調べていただくと、具体的な内容が出てくると思います。
UEFA Growのような制度をそのまま日本へ持ってくることは簡単ではないかもしれませんが、日本には47都道府県にサッカー協会があります。先ほどの日本サッカー協会の理念のところで述べた未来の成長戦略を、それぞれのサッカー協会と連携しながら、一緒に進めております。
5.「アスパス!」活動への取り組み
もう一つ、最近注力しているのが、環境や人権、教育などの分野です。
日本サッカー協会が取り組む五つの重要課題である「環境」「人権」「健康」「教育」「地域」に取り組む活動を総称して「アスパス!」と呼んでいます。「地球(Earth)」のアースと、「明日」のアスと、「私たち(us)」のアス、この三つのアスと未来をつなぐ、パスを出すという意味で「アスパス!」という名前を作りました。
例えば重要課題の一つである暑熱対策は「環境」に関係しますが、日本サッカー協会では「7月、8月にサッカー協会主催の試合を行わない」と宣言しています。暑い中で試合をすると、とんでもなく熱中症の危険性があるので、そのリスクを避けるという意味でそういったステートメントを出しています。
「環境」だけでなく、「人権」に関しても、あらゆる人にサッカーをしてもらえるような、そうした関係づくりが重要だということも言っております。
6.サッカーを通じて被災者に寄り添う
もう一つ、「災害が起きたときに我々に何かできることはないか?」ということを常に考えております。
能登半島地震で被災された方を選手が訪ねて、一緒にウォーキングフットボールという、歩くサッカー、走らないサッカーで一緒にプレーをして交流しています。これだと子供もおじいさんもおばあさんも一緒にできるのです。日本代表の遠藤航キャプテンをはじめ、SAMURAI BLUEやなでしこジャパンの選手が参加しています。
森保監督も能登を訪れて、被災された方と交流しておられます。この時、ボランティアで来ていた20歳ぐらいの女性がいました。彼女は宮城県から来たそうです。2011年の東日本大震災の時に、同じようにサッカー選手が来てくれて、心がちょっと救われた、と話されていました。ちょっと笑顔になれた、ちょっと体を動かすことで楽しくなれた、そういう体験があったからこそ、今回は恩返ししたい、という思いで、昨年の夏、我々が能登の珠洲市でイベントを行った際に参加してくれたのです。
この出来事を通して、改めてサッカーやスポーツが持つ力を再確認しました。日常がつらいと感じている人たちが、プレーをすることで笑い声が生まれ、その人自身が明るい気持ちになっていく。周りで見ている親御さんも、子供たちの笑顔を見て、明るくなれる。我々の活動にはそうした価値があるのではないかと思っています。今後も続けていきたいと思っています。
私も今年は金沢に行って、子どもたちと一緒にウォーキングフットボールをしました。能登の方からも参加していただき、一日楽しんでいただきました。サッカーは本当に人を笑顔にする力があるなと改めて感じたところです。
7.全国のサッカースタジアムの新設・建替え構想
今、日本の各地で新しいサッカースタジアムを作ろうという構想が立ち上がっております。
その一つがエディオンピースウィングスタジアムです。これは広島にできたのですけれども、収容人員28,500人、約300億円の規模でできました。
もう一つの例は長崎スタジアムシティです。こちらは1,000億円弱というとんでもないお金がかかっております。
これからの時代、サッカースタジアムは単にサッカーをするだけの場所だけではなくなっていくと思います。サッカーの試合がない日には、例えばクリニックを開いたり、商業施設を併設したり、ライブイベントを開催でできるような機能を持たせることで、スタジアムの稼働率を高めることができます。そこが、スタジアムの価値になっていくと思いますし、その地域のシンボルとして、地域の皆さんのプライドにつながっていくのではないかなと思います。
最近では、岡山県でもファジアーノ岡山というチームがJ1で活躍しています。彼らのホームスタジアムは、収容人数15,000人の陸上競技場なのですが、今年はすべての試合でチケットが売り切れになるほどの人気です。そこで今、新しいスタジアムを作ろうという機運が立ち上がっております。
私も先日、現地にお邪魔して、新スタジアム建設の署名活動に参加しました。その様子をインスタグラムに投稿したところ、「ぜひ頑張ってください」という声もあれば、「税金の無駄遣いだ」という声もありまして、私のインスタグラムが皆さんのコメントでいっぱいになったので、ちょっと驚きました。
もちろん、皆さんそれぞれ立場があると思います。ただ私から言えることは、この新しいスタジアムができることで、子どもたちの憧れにつながり、明るい未来を想像しながらそこで生活できる、そんな力が新スタジアムにはあるのではないかと思いますし、それこそがスポーツの力なのかなと思います。
最後に
日本のサッカーの力を向上させることが、社会的な価値の向上につながります。そしてその価値が商業的にも評価されることで、さらに日本サッカーの力の向上につながっていくという好循環が生まれていく、そんな未来を思い描きながら活動しています。
これからもサッカーを通じてみんなが元気になれる世界を目指して取り組んでいきたいと思います。
ご清聴ありがとうございました。
講師略歴
宮本 恒靖(みやもと つねやす)
公益財団法人 日本サッカー協会 会長
大阪府出身。同志社大学経済学部卒業。
1992年からガンバ大阪ユース、1995年からガンバ大阪でJリーガーとして活躍。日本代表選手としては、シドニー五輪、AFCアジアカップなどに出場し、2006年のFIFAワールドカップドイツ大会では、キャプテンを務めた。
2011年に現役を引退後、2013年FIFAマスター修士課程を修了。2018年から2021年までガンバ大阪監督。2022年から日本サッカー協会の理事などを務め、2024年3月から同協会会長。

