田内学さん(社会的金融教育家)編
はじめに
和田広報室長 本企画は、財政や税の役割等について読者の皆さまにわかりやすくお伝えするために、様々な分野でご活躍されている方々をお招きして、日本の未来やイマについて対談をする企画です。今回は、社会的金融教育家として数々の講演活動をはじめ、金融の分野を中心に幅広く活躍されている田内学さんをお迎えし、財務省の田中課長、冨永室長、こども家庭庁の老月課長補佐と対談していただきます。田内さんが行っておられる取組や財政・財務省に対するご意見を率直にお話し頂ければと思っています。それでは、宜しくお願いいたします。
写真1 左から二人目が田内学さん
お金から始まる未来の議論
田内学さん 本日はよろしくお願いします。私はもともと、十数年間、外資系証券会社で金利トレーダーとして働いていました。現在は少し立場を変えて、「お金と社会の関係」をテーマに講演や執筆をしています。財政に関しては「社会保障費は増加するが、財源が足りない」という話をよく耳にします。しかしそもそも医療や介護に従事する人がいなければ、たとえ財源を確保しても支払う“先”がありません。世の中一般的に「お金さえ貯めれば何でも解決できる」という風潮がありますが、実際には、お金よりも人の制約、つまり、労働力の問題が深刻化しています。そこに目を向ける必要があると感じています。
年金問題についても、一時期、老後資金2,000万円問題が話題となりましたが、働いて社会を支えている現役世代が減っていけば、仮に年金が十分支給されたとしても、社会全体としては厳しい状況になります。そうした懸念から、一作目の『お金のむこうに人がいる』を書きました。実は、その本を読んでくださった厚生労働省の年金の担当者も、労働力の制約こそが核心だと考えていて驚いたことがあります。
財務省としてはどのように考えていますか。もちろん、財務省が、お金の制約を考えないわけにはいけないことは理解しているつもりです。
田中課長 お金という切り口で資源の量を捉えて、その資源の制約の中でどうしたらいいか考える、それが財務省の仕事の本質だと思っています。そして、お金という切り口を通じて、労働力や人的資源を含めた制約要因にも目を向けながら、政策を考える場所だと思っています。
田内学さん この「労働力の制約」を解決しないことには、物やサービスを十分に生み出せません。つまり、供給が追いつかない以上、インフレは続いてしまう。ところが、「インフレに対応するために資産運用をしよう」という声が強くなっているように感じます。最近は、大学生のうちから「奨学金を早く返して投資を始めたい」と焦る人が増えていて、驚いています。
資産運用自体を否定しませんが、それでは全体の問題は解決しませんよね。少子化はすぐには解決できないのだから、これから社会に出る若い人たちが存分に活躍できることが何より大切です。そのためには学生時代こそ「人としての成長」にしっかり投資してもらうべきです。本当は、若者が「資産運用を頑張らなきゃ」と焦るのではなく、働いたりモノを生産したり、労働を行うことで十分に生活できる社会が普通であるべきではないでしょうか。政府には、そうした“働くことが報われる社会”を支える税制や仕組みを整えていくことが求められていると思います。
老月補佐 こども家庭庁で、ひとり親家庭や低所得の子育て世帯への支援を担当しています。労働の制約が課題というのは今の仕事でも痛感しています。例えば、就労や養育費確保などの支援事業は、地方自治体が業務を担当しますが、その自治体自身も労働の制約に直面し、新しい施策を進める余力がないという所も多いです。またひとり親家庭の生活支援は相談員と当事者の信頼関係を作りながら進めていくもので、人間にしかできない仕事ですが、相談員も人材が不足しており、支援が届きにくい要因の一つです。
また、ひとり親の多くはシングルマザーですが、フルタイムで働いても年収200万円ほどが中心で、このお金で教育費も含めて親子の生活を賄わなければならないという厳しい状況です。男女の賃金格差や正規・非正規の二極化により、子どもを育てる女性が稼ぎ手になろうとしたとき、ディーセント・ワーク(働きがいがあり安定収入が得られる人間らしい仕事)が非常に限られるのが実情です。「こんなに一生懸命働いているのにどうして貧困なのか」と思うような状況が想像以上に多く、またそれが先進国日本で起きているということにショックを感じることもあります。
田内学さん 子育て支援のお金を増やすことはできないのでしょうか。
田中課長 子育て支援に関する予算は年々増えています。継続的な政策ですので、その効果検証は今後よくよく行っていく必要があります。
子育て支援というと児童手当などの現金給付になりがちですし、規模としても大きな割合を占めています。経済的に困っている人には大きな助けになると思う一方で、子育て支援は相談支援など様々な施策から成り立つものです。社会全体の在り方を含めて、本当に有効な打ち手を描けていないということが一番の問題です。
田内学さん 少子化対策というのは、生産活動の担い手である労働力を増やすという意味で重要な政策ですよね。他方で、個々人の幸せの追求という意味でも、結婚して子供を持つという選択肢が「当たり前に取れる社会」であったほうが大切だと思うんです。もちろん、子どもを持つ、持たないはあくまで個人の判断で、どちらが良い悪いというつもりはありません。ただ、足元、経済的な理由で結婚や子供を持つことを諦める若者が増えている。これはなんとも世知辛い現実ですよね。そう考えると、たとえそれが短期的に少子化対策や生産性向上につながらなかったとしても、生き方の選択肢を保障する予算は出す価値があると思うんです。
また、最近の若い世代の中で「年功序列や終身雇用の会社がいい」という人が増えているのはご存じですか?これは「安心できる居場所」の問題だと思っています。学生時代は、家族や学校など、何もしなくても受け入れてくれる場所でしたが、社会に出るとそういった繋がりが会社だけになってしまうことも多いようです。
コロナ以降、転職やテレワーク勤務が増えてきたこともあり、会社での繋がりも弱くなってきました。昨今の「お金があればすべて解決できる」という風潮は、裏を返せば「全てが自己責任」ということです。その結果、孤独感や息苦しさが加速している。みんな、本音では、自分の居場所を探しているように感じます。
老月補佐 確かに、社員同士のコミュニケーションが濃密だった時代は、会社は仕事をする場所以上の重要な居場所になっていたのだと思います。今はそれが薄れると同時に、地域の活動や趣味の場が第3,第4の場所になっている人も多く見られます。今後益々、そうした会社・家庭以外の居場所を持つ人が増えていくのではないでしょうか。
田中課長 田内さんは、外資系の証券会社に勤めて、今は個人で活動されていますが、田内さん個人としての居場所は何ですか。
田内学さん 会社と比べると個人での活動は、やはりつらいこともあります。でも私の場合は、家族がいるから頑張れています。家族がいなかったらちょっときついなと思います。
財務省の仕事は、つらくないですか。
田中課長 仕事はつらいですよ(一同笑い)
でも居場所という意味では、課題に対して一緒に取り組む仲間がいます。とても幸せなことですよね。
写真2 田内学さん
写真3 こども家庭庁支援局家庭福祉課 課長補佐 老月梓
消費者の幸せにつながる経済のあり方
田内学さん せっかくなので、経済の話をした方がいいでしょうか(笑)。特にエネルギーに関する政策の話もお聞きできればと思います。田中課長 物価高対策という話であれば、短期的にはエネルギー価格の高騰で困っている家計の支援を行ってます。とはいえ、長期的には、より少ない労働投入量でエネルギー効率の良い技術革新や進歩が促されることが望ましく、ずっと価格を抑える支援を続けたり使用量を我慢したりすると、そういったイノベーション促進のインセンティブが低下しかねません。
田内学さん 貿易収支の問題もあると思います。外国からエネルギー資源を購入する場合、支払いのため、外貨を買わなくてはいけません。その結果、通貨安を通じて国内の物価高が生じます。つまり、物価高対策として政府が支援したお金が、まわりまわって、インフレという形で国内生活に影響しているということになります。皮肉ですね。
もう一つ、昔から円安は日本企業にプラス論がありますが、石油を輸入して自動車を輸出していたころは成り立っていたかもしれませんが、現在は成り立たないものと思います。その証拠に、足元の円安で売れているものと言えば国内の不動産や土地です。
田中課長 日本企業も海外に生産拠点を移していますので、円安だから日本の製品が売れるという構造は変化してきています。また企業にはプラスの面があったとしても、その恩恵が消費者にも還元されているかという問題もあります。むしろ物価高を通じて消費者にはマイナス面の影響が大きいという見方もできると思います。
田内学さん おっしゃる通り、企業などの生産者側と消費者側では必ずしも同じ立場にはないというのは、他の場面でも多々感じます。
高校1年生のとき、阪神大震災で被災しましたが、「復興需要でモノが売れるから経済はプラスになる」といった人がいました。震災でモノが壊れて生活が一変した中で、普通に考えれば良いわけがありません。復興に乗じて、いかに消費者にお金を使わせるかしか考えていない、まさに生産者の理論だなと思いました。消費者としては、「自分が使いたいことにお金を使えること」が幸せであって、そうでないことにお金を使うことは幸せではないはずです。
何でもいいからGDPを増やすのであれば、すべての物やサービスを有料化すればよいですし、あらゆるモノは壊れやすい方がいいということになりますが、消費者目線で考えるとそうではないと思います。政策を議論する審議会や有識者会議では多様な人が参加していますが、主張を聞いていると結局生産者側の意見に寄りがちになってしまうのではないかと思うことがあります。もっと消費者の声が汲み取られるような仕組みが必要ではないでしょうか。
老月補佐 政治情勢を見ていると、消費者に寄り添った主張の方が支持を得られやすいという場面は増えてきているように思います。
冨永室長 先日のFinancial Timesで、オーバーツーリズムに対する国内批判が増えているという記事が載っていました。外国人旅行者が円安の恩恵で爆買いしたり旅行したりと楽しんでいる一方、国内消費者としては物価高で生活が苦しいというのが背景にあるという内容でした。消費者の現状に対する不安は様々な形で表れているように思います。
写真4 右から2番目が田内学さん
お金だけ見ていては見落としてしまうこと
田内学さん そうですよね。円安が進んでも、大量生産できるようなモノの輸出が増えていれば問題ないかもしれないですが、実際には輸出量は変わっていないという話も聞きます。エネルギー分野、とりわけ化石燃料の輸入額が年々増加傾向にある中、輸入が増えた分、何か輸出をしていかなくてはいけないと思うところです。
また、知的労働においては、今後、AI技術が発展すると、より少ない労働投入で完結するようになります。労働力の制約に直面している日本にとっては有用ですし、AIを使いこなすようになることは重要です。
お金の流れを見るとAIはアメリカなどの他国がサービス提供をしていることから、AI使用料の支払いを通じて国外にお金が出ていきます。円の流出を減らすために、日本のモノやサービスの輸出量を増やしていく必要があると思いますが、これからの日本に国際競争力を持つコンテンツはあるのでしょうか。現実は非常に難しいなと思います。
冨永室長 政府の会議では、国内労働供給量が下がっていく中で、どうやって経済成長をしていくのか、といったことを検討しています。
今年の骨太の方針では、中長期的に実質1%を上回る成長を確保した上で、2%の物価安定目標が持続的・安定的に実現すれば、2040年頃に名目1,000兆円程度の経済が視野に入ることなども示されています。
田内学さん 日本の生産年齢人口はピークを過ぎ、減り続けていますよね。それでもGDPが増えているのは、女性の労働参加率が上がったことが大きいと思います。ところが、家事や育児の負担は依然として女性に偏っている。GDPだけを“経済活動”とみなすことで女性が犠牲になってきたわけです。これから先は、新規の労働参加がほとんど期待できませんし、人口減少が進んでいる中で労働投入が確実に減っていくことが見込まれます。引き続き、GDPの数値を達成することがどれほど現実的で、意味のあるものなのでしょうか。
冨永室長 まさに重要なことは、経済政策の目標をどこに置くのか、ということだと思います。
田内学さん そうですよね。単にGDPの数字を増やすために、消費者が本当は欲しくもないものを作り続ける。そのために必要なスキルを習得して、リ・スキリングをして、、、、。もちろん、GDPが増えれば給料も増えるでしょう。しかし、その結果として、消費者が本当に欲しいものを作ることには人手を割けなくなれば、本末転倒ではないでしょうか。数字の上では成長している気になっても、社会としての充足感がどんどんなくなっていく。そうなると、「何のための成長なのか」という問いを立ち止まって考える必要がある気がします。
田中課長 GDPだけに注目していると、例えば介護や保育といった賃金が低い分野の労働者は、賃金が高く労働生産性の高い分野に移動してくださいということになってしまいますが、コロナの時を思い返しても分かるように、社会において、エッセンシャルワーカーの存在は必要不可欠です。労働力人口が減少する中で、どうやってエッセンシャルワーカーを維持しながら全体の生産性を上げていくかが大きな課題です。
田内学さん それは、僕も強く感じます。たとえば、熊本のTSMCは産業振興の成功事例と言われますよね。でも実際には、賃金の高い工場に働き手が集中しすぎて、地域の学校では、先生のなり手が減っている。教育現場が人材不足で困っているという声を聞きました。
3年前にテレビ番組に出演した時からずっと言い続けていますが、学校の先生の給料はもっと上げたほうがいいですよ。どんどん教育格差が開いていますし、格差は更に次の世代へ引き継がれてしまいます。埋められない格差があれば、がんばろうとも思えない。長期的な生産性の低下にもつながりますし、早急の対応が必要だと思っています。
老月補佐 こども家庭庁で仕事をしていると常々感じるのですが、誰しもいきなり大人になるわけではなく、子ども時代の様々な経験や積み重ねによって大人になっていき、ひいては社会を形作っていきます。子ども分野や教育政策に重点的に資金を出していく今の政府方針は間違っていないと思うのですが、まだまだ不足している点もあるのかなと思います。
田内学さん それと、GDPを上げることだけを優先してしまうと、個人の幸せや価値観というような大事なものを見落としてしまうと思うんです。
また、たとえば子育てを例にすると、GDPを増やしたければ、「お金を払って子どもを預けて、外に働きに行くこと」が“最適解”になりますよね。でも、みんながそうしたいわけではない。大事なのは、働くか、家で子育てするか、親に子どもを預けるか、多くの選択肢から自分の幸せを選べることだと思うんです。GDPを優先した場合の“最適解”が、必ずしも個人の幸せと一致するとは限りません。一人ひとりが自分の価値観で選べる選択肢を増やせる社会にしていくこと。それこそが、これからの政策の核心なのではないでしょうか。
写真5 大臣官房総合政策課 企画室長 冨永剛晴
写真6 主税局 税制第一課 課長 田中勇人
さいごに
和田室長 GDPの金額だけに注目するのではなく、どのように社会が支えられていて、経済活動が人々の幸せにつながっているのかという視点も大事だと改めて思いました。まだまだ話が尽きないところではありますが、時間になりましたので、本日はここまでとさせていただきます。ありがとうございました。
(了)

