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皆が決算書を読める国の未来

松本興産株式会社 取締役
松本 めぐみ

 私は高等専門学校で電気電子工学を学び、半導体装置メーカーのエンジニアとして働いた。当時は売上と利益の違いすら意識できていなかった。現場は性能や精度の話が中心で、商売の地図は手元になかった。のちにスイスでMBAに挑み、会計を基礎から学び直した。
 現在は自動車部品製造会社・松本興産の取締役として10年以上、経営に携わっている。悩みは常に「人」と「金」である。かつては部署間の主張が衝突し、上の意図が現場に届かず、人事トラブルの芽もあった。そこで数字を誰にも伝わる形に翻訳し、決算書を図で読む風船会計メソッドを考案した。今は皆が経営者マインドを持ち、毎週、売上・粗利・在庫・固定費・回収を自分たちで確認し、静かに方向を修正するようになった。数字が共通言語になると、対立は合意に、指示待ちは自律に変わる。
 教育現場でも同じ手応えがある。小学校から大学まで授業を行い、先日は中学3年生50名とサンリオとオリエンタルランドの決算書を比較した。アンケートの理解度は100%。これまでに、学生は数百人、中小企業の経営者は500名、大企業の従業員は1万人以上に決算書の読み方を伝えてきた。多くは「数字は苦手だ」と言うが、BSとPLのつながりが腑に落ちると表情は明るくなり、会話は前へ進む。決算書は社会を映す鏡であり、読み解き方がわかれば抽象的な不安は具体的な希望に変わる。
 ここで福澤諭吉である。福澤が重んじたのは「誰が読んでも同じ結論になる帳簿」である。これがあれば事実で話せる、だから決められる。帳簿は約束の証拠であり、信用が蓄積する。信用があれば人も資金も集まり、公正な分配ができる。家計・商店・工場の一冊一冊が整えば、国全体の無駄が減り、富が増える。『帳合之法』の普及は、声の大きさではなく契約と計算が通る社会への転換装置だった。私たちが今取り戻すべきは、難解さを競う学問ではなく、暮らしと現場に効く実学としての会計である。
 もし会計が義務教育に入っていたらどうなるか。進路の選択幅は広がる。大企業だけでなく、伸び盛りの中小企業や起業・家業承継も現実的な道になる。会計は“持続する力”を与える。景気や職場が変わっても、BS・PL・CFという地図で立て直せるからだ。企業の内側では会計という共通言語で全体最適の議論が可能になり、部署間の摩擦は減る。公共部門でも「どこから、いくらを、何に使うか」が生活の常識となれば、参加は高まり、無駄は減り、説明は明晰になる。
 数字は人を裁くためではなく、明日の行き方をそっと照らす道具だ。小さな現場の変化の積み重ねが、しなやかで、しぶとい国を育てる。私はその未来を、今日の1枚の決算から始めたい。そこに込めたいのは、日本に“商売力”を育てることだ。商売力とは、つくった価値をていねいに伝えて値段にする力、お金を切らさず働く人の安心を守る力、迷ったときに数字で落ち着いて話し合える力。家庭では「わが家の1枚決算」を囲み、会社では週に一度、数字を見ながら今できる小さな修正を決める。学校では子どもたちが決算書を読み、役所では収入と支出を1枚で示す。場所は違っても、同じ地図が見られれば、足取りはそろう。数字がわかれば、できることが増える。できることが増えれば、挑戦はこわくない。日本に“商売力”を。一人ひとりの暮らしと仕事の手ざわりから、その力をやさしく育てていきたい。