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日本で最も豊かな隠れ里・人吉球磨 人吉市
人吉税務署 総務課長
宮武 伸行

はじめに
 人吉税務署は、熊本県南部に位置する人吉市及び球磨郡(錦町、あさぎり町、多良木町、湯前町、水上村、相良村、五木村、山江村及び球磨村)の1市4町5村を管轄しており、この地域は人吉球磨と呼ばれております。
管内の特色
 管内の特色を挙げると、緑豊かで山深い九州山地に囲まれ、日本三大急流の一つである球磨川が東西に貫流し、川下りや鮎釣りでも有名です。
 また、鎌倉時代初期から明治維新まで約700年にわたり相良家が治めてきた地で、その歴史を物語る文化財が数多く点在しており、「相良700年が生んだ保守と進取の文化」~日本でもっとも豊かな隠れ里・人吉球磨~として日本遺産にも認定されています。
 そして、日本遺産の構成文化財の一つである「球磨焼酎」は、日本に4つしかない産地呼称が認められた本格焼酎のブランドの一つであり、27の蔵元があり、複数の個性ある銘柄を持ち、芳醇な香りと深いコクが楽しめるのが特徴です。
写真 球磨川(写真提供:人吉市)
管内の見どころ
〔国宝青井阿蘇神社〕
 青井阿蘇神社は、平安時代初期の大同元年(806年)に創建された神社で、本殿、廊、幣殿、拝殿、楼門の建造物五棟と、附(つけたり)として造営時の棟札1枚と改築の年代や内容が明記された銘札5枚が、平成20年(2008年)に国宝に指定されました。
 茅葺の社寺建造物では初めての国宝指定で、急勾配の茅葺屋根をはじめ、随所に桃山様式をとり入れた多彩な装飾や色彩、南九州地方にみられる雲龍の彫刻が施されているのが特徴で、拝殿横に神供所を配置するL字状の配置は、球磨地方の社寺建築の規範となっています。
写真 青井阿蘇神社(写真提供:人吉市)
〔人吉温泉〕
 球磨川沿いに広く分散する人吉温泉は、50数か所の泉源があり、泉質は無色透明・無味無臭の弱アルカリ炭酸泉などで、しっとりとした優しい肌触りが特徴です。
 それぞれの泉源に特徴があり、子どもからお年寄りまで安心して入浴でき、美肌効果が高い「美人の湯」としても知られています。
写真 人吉温泉(写真提供:人吉市)
〔球磨焼酎〕
 500年以上の歴史を誇り、27の蔵元がある球磨焼酎は、原料を国産の米と球磨川水系で採取された水を使用し、全工程が人吉球磨地方内で行われたものと定義されています。
 球磨焼酎は、蒸留方法や貯蔵方法などによって味や風味が大きく変わることから、自分好みの球磨焼酎を見つけるため、酒蔵見学や球磨焼酎の飲み比べはもちろんのこと、仕込み作業の一部を体験したり、陶器を使って味わう“ガラ・チョク”という昔ながらの飲み方で試飲したりと楽しんでもらうための多彩なプログラムが用意されています。
 また、御朱印帳ならぬ“蔵印帳”を手に各蔵のスタンプを集めるのもおすすめです。
写真 球磨焼酎(ガラ・チョク)(写真提供:人吉市)
〔人吉海軍航空基地跡(ひみつ基地ミュージアム)〕
 錦町と相良村に立地する、人吉海軍航空基地は本格的な航空基地として建設され、昭和19年(1944年)2月に人吉海軍航空隊が開隊し、整備兵教育が始まりました。
 その後、戦況に応じ海軍飛行予科練習生の教育基地、神風特別攻撃隊の訓練基地、本土決戦を見据えた兵站備蓄基地へと役割が変化しました。
 特に、兵站備蓄用に掘られた地下施設は、本部としても使用された魚雷調整場をはじめ、錦町内に約50か所現存しており、当時の状況を今に伝えています。
 これら、地下施設跡はひみつ基地ミュージアムのガイドツアーにて見学することができます。
写真 魚雷調整場跡(ひみつ基地ミュージアム)(写真提供:人吉市)
〔観光鍾乳洞「球泉洞」〕
 球磨村に位置する球泉洞は、昭和48年(1973年)に愛媛大学学術探検部によって発見された九州本土最大級の鍾乳洞です。
 全長は約5,000m。鍾乳石は、約3億年前海中にあった石灰岩層が隆起し、長い年月をかけ少しずつ浸食され今の形にまでなったと考えられています。
 また、世界的にも貴重な鍾乳石が点在し、固有の生物も生息しています。
 入洞体験は、一般コースと冒険雰囲気を楽しめる探検コースの2種類あり、鍾乳洞内の「ハートストーン」を見つけ、「恋人の聖地」の認定を受けている幸せの鐘を鳴らすと幸福が訪れるかもしれません。
写真 球泉洞(写真提供:人吉市)
〔SL人吉〕
 かつて熊本駅と人吉駅間を走行していた「SL人吉」は車体の老朽化などにより、惜しまれながら令和6年3月に現役を引退しました。
 その後、車体は、JR九州から人吉市に譲渡され、現在は人吉駅前に展示されています。
 今後は、レールを延長し、大型コンプレッサーを搭載し、圧縮空気により走行できるよう車両改修が予定されており、九州では唯一となる動態展示を令和7年11月16日開催予定の「鉄道フェス」においてお披露目できるよう進められています。
写真 SL人吉(写真提供:人吉市)
おわりに
 アニメ「夏目友人帳」のモデル地になっている人吉球磨は、スタンプラリーやモデル地をまわるタクシープラン、キャラクターの影絵を点灯しており、国内はもとより国外からも多くの方が訪れています。
 ほかにも、高さ66mある西日本唯一の橋から川辺川に向かって飛び出す「五木バンジー」(五木村)、本格的な高地トレーニング施設の「スカイヴィレッジ」(水上村)、夢を乗せて走る列車にお泊りできる「ブルートレインたらぎ」(多良木町)などに加え、四季を彩る花々や各地で開催される祭りなど、まだまだ見どころ満載です。
魅力あふれる人吉球磨へぜひお越しください。


海幸・山幸 日南の幸 日南市・串間市
日南税務署 総務課長
沼田 一豊

はじめに
 日南税務署は「日本のひなた宮崎県」の南部に位置する日南市及び串間市を管轄しています。
 全国に税務署が創設された明治29年11月に飫肥税務署として設置された後、昭和25年1月に現在の名称となり、昭和42年1月に現在の庁舎に移転しました。
 日本の南と書いて「日南」というように南国ムード満点の地域で、中でも国定公園指定70周年を迎えた「日南海岸」はどこまでも広がる青い海と青い空、特にモアイ像7体(イースター島から正式許可を受けて復元)のある丘から太平洋を一望する景色は、地球は丸いと改めて感じることができます。今回は、管内の有名な観光列車である「海幸・山幸」になぞらえて、管内の「幸」をご紹介します。
写真 日南海岸(写真提供:日南市)
管内の見どころ~日南エリア~
〔鵜戸神宮〕
 宮崎県南部の日向灘に面する神秘的な洞窟の中に朱塗りの本殿が鎮座しています。洞窟内には「お乳岩」や「お乳水」と呼ばれるパワースポットがあり、安産・育児などのご利益で有名です。
 また、本殿前の広場から海岸を見下ろすと12メートル先に亀石があり、願いを込めながらその亀石に向かって運玉を投げる「運玉投げ」の神事でも知られています。男性は左手で、女性は右手で願いを込めて一心に投げ、亀石の背中のくぼみに入れば願いが叶うといわれています。
 さらに、海の水平線から神々しく昇る朝日を拝むことができるため、年始は初日の出を見ようと多くの参拝客が訪れます。
写真 鵜戸神宮(写真提供:日南市)
〔飫肥城下町〕
 飫肥は天正16年(1588年)に伊東祐兵が入城してから明治2年(1869年)の版籍奉還まで、伊東氏の城下町として栄えました。門構えと石垣が美しい街並みをつくり、武家屋敷が残る風景は、九州で最初の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。名物グルメを食べ歩きで散策することや四半的(しはんまと)と呼ばれる飫肥藩に伝わる半弓も楽しむことができます。また、武家屋敷や商家が点在する閑静な街並みは九州の小京都「飫肥」とも言われており、着物を着て情緒ある風景の中をゆっくり散策するのがおすすめです。
管内の見どころ~串間エリア~
〔都井岬〕
 宮崎県最南端・串間市にある都井岬は、日南海岸国定公園の一部で、日向灘に突き出すような形をした風光明媚な岬です。ここには、日本在来種として国の天然記念物に指定されている野生馬「御崎馬」が生息しています。
 御崎馬は、ほとんど人の手を加えない状態で放牧されており、岬にあるものだけを食べて暮らし、繁殖を続ける、貴重な生態を保っています。現在、約100頭生息していますが、普段は数頭の群れで生活しています。これは、雄馬1頭に数頭の雌馬(一夫多妻制)、その子馬という家族群で「ハーレム」と呼ばれているそうです。例年4月から5月が出産のピークのため、その時期は春駒(生まれたばかりの子馬)に出会えます。
 約550ヘクタールという広大な敷地には、グランピング施設や内部を見学できる都井岬灯台もあり、御崎馬以外も見どころいっぱいです。紺碧の空とエメラルドグリーンの海、その間に果てしなく続く水平線を見渡す丘にはのんびりと草を食む馬たち、癒しスポット間違いなしです。
写真 都井岬風景(写真提供:串間市)
グルメ情報
〔日南一本釣り カツオ炙り重〕(日南市ご当地グルメ)
 「一本釣りカツオ」漁獲量日本一の日南市が自信をもってオススメする昼のご膳といえば「カツオ炙り重」です。新鮮なカツオは刺身でもイケますが、片面だけ軽く炙り召し上がるのが格別で、締めはお茶漬けが定番です。
 なお、大海原を泳ぐカツオを、釣り竿一本で次々と釣り上げる豪快な漁法「日南かつお一本釣り漁業」は日本農業遺産に認定されています。
〔串間活〆ぶりプリ丼ぶり〕(串間市ご当地グルメ)
 串間市の特産品である「黒瀬ぶり」。それは、最高の漁場と最高の技術が出合い育てられたブリのことです。
 水揚げ後、船上ですぐに活き締めされるため、鮮度バツグン、これ以上ないくらい引き締まってプリップリ、さらには上品な脂がのっており、普通のブリとは一味も二味も違う黒瀬ブリ、それを一面覆う贅沢な丼ぶり、それが「ぶりプリ丼」なのです。
 ぶりプリ丼は、ご当地グルメ12か条の定義にならい、各店舗でアレンジされています。串間市に来た際には、ぜひ食べてみてください。
写真 串間活〆ぶりプリ丼ぶり(写真提供:串間市)
おわりに
 今回ご紹介した名所やグルメ以外にも、温暖な気候により国内有数のサーフポイント(一年中サーフィン可)やプロ野球チーム等のキャンプ地としても有名で、季節によってはマンゴーや伊勢海老も美味しく安くいただけます。
 さらに、令和5年3月に高速道路が開通したことで、宮崎空港から日南市までは車で約40分と交通の利便性も高くなり、串間市に行くにもこれまで以上にアクセスが良くなっています。
 南国ムードあふれる日南税務署管内は、「映えスポット」に満ち溢れていますので、ぜひお越しいただき、多くの「幸」を感じていただけたら幸いです。
 日南の幸はてげいっちゃが(すごく良いよ)!!


南九州市~人と歴史と自然の調和~ 南九州市
知覧税務署 総務課長
前田 幹

はじめに
 知覧税務署は、明治29年11月に設置された後、長きにわたり鹿児島県の南薩地域の税務行政を担っています。設置当初は現在とは異なる管轄区域でしたが、指宿税務署の新設分離や平成の市町村大合併を経て現在は枕崎市、南さつま市及び南九州市の3市を管轄しています。
 管内地域は豊かな自然と気候に恵まれ、地域ごとに個性豊かな産業が根付いています。
 知覧税務署管内3市には焼酎の製造場が14場あり、南九州で愛されているさつまいもを主原料とした芋焼酎を主に製造しています。豊富な農産物と清らかな水を生かし、焼酎杜氏の発祥の地とも言われる技術と伝統を受け継ぐ焼酎づくりは、地域産業として定着しており、地域文化としても愛されています。
写真 明治蔵(写真提供:鹿児島県南薩地域振興局)
管内の名所
 知覧税務署が位置する南九州市は、平成19年に旧知覧町・旧川辺町・旧頴娃町の3町が合併して誕生しました。それぞれに歴史があり特色のある町です。
〔開聞岳とお茶畑〕
 令和6年度、鹿児島県は「荒茶」の生産量が日本一になりました。その中でも南九州市の知覧町と頴娃町ではお茶の生産が盛んで、特に知覧地区で生産されたお茶は「知覧茶」のブランドで高い評価を受けています。
 知覧町から頴娃町にかけては目の前に茶畑が広がり、「薩摩富士」と称される開聞岳と茶畑との壮大な風景は見る人の心を癒してくれます。「茶ばっけん丘(茶畑の丘)」からは、その開聞岳を背に広大な茶畑が望め、ドライブコースとしてもおすすめです。
写真 茶畑と開聞岳(写真提供:公益社団法人鹿児島県観光連盟)
〔特攻・戦跡〕
 知覧町(現南九州市)には、太平洋戦争の末期、陸軍の特別攻撃隊の基地が置かれ、多くの隊員が沖縄方面に飛び立っていきました。南九州市には「旧知覧飛行場給水塔」や「旧知覧飛行場弾薬庫」のように多くの戦跡が残っており、また、特攻隊員が出撃前の時間を過ごした「三角兵舎」は復元もされております。
 毎年、多くの人が訪れる「知覧特攻平和会館」には、多くの遺品や手紙が展示してあり、二度と戦争の悲劇が繰り返されぬよう、戦争の悲惨さ、平和や命の尊さを教えてくれます。
 また、あまり知られてはいませんが、知覧税務署管内の南さつま市にはもう一つの特攻基地「万世(ばんせい)飛行場」がありました。太平洋戦争末期、陸軍最後の特攻基地としてわずか4カ月しか使われなかったことから「幻の基地」とも呼ばれています。200人近い特攻隊員がこの地から飛び立っており、17歳という若い隊員も特攻作戦に参加しています。
写真 知覧特攻平和会館(写真提供:鹿児島県南薩地域振興局)
〔川辺二日市〕
 毎年、二月の第一土曜と日曜に開催される鹿児島県内三大市の一つです。江戸時代天明年間に周囲の農民たちがワラ細工や竹製品を持ち寄った市が始まりとされており230年以上の歴史があります。当日は、川辺町のメインストリートが歩行者天国となり、1.3キロメートルに約400店舗が軒を連ねます。毎年、15万人以上が訪れるとても活気のあるイベントとなっております。
写真 川辺二日市(写真提供:南九州市商工会)
〔川辺仏壇〕
 川辺町を流れる清水川沿いの岸壁には鎌倉時代から摩崖仏が刻まれてきました。昔から地元の人たちになじみがあり、信仰心の篤い土地柄でもあったことから南九州市川辺町は古くから仏壇の産地として栄えてきました。昭和50年には全国の仏壇産地に先駆けて国の伝統工芸品にも指定されています。
〔番所鼻自然公園〕
 「番所(ばんどころ)」とは、警備や見張りのために設置された施設のことを言います。この公園は、以前海上の監視をするための薩摩藩の海上警備の番所がありました。「薩摩富士」と称される開聞岳と東シナ海に面する荒々しい岩礁地帯を一望できます。江戸時代、日本地図作成のために立ち寄った伊能忠敬から「天下の絶景」と称えられ、伊能もそのロケーションに感動したとも言われています。また、近くには日本で唯一のタツノオトシゴ養殖場である「タツノオトシゴハウス」もあり、癒しのスポットとしても知られています。
写真 番所鼻公園(写真提供:鹿児島県南薩地域振興局)
特攻の母と税金
 太平洋戦争中、知覧町で「富屋食堂」を営んでいた「鳥濱トメ」という人物について紹介します。「富屋食堂」は陸軍の指定食堂として多くの特攻隊員が訪れました。「特攻隊」の最前線基地である知覧で、トメさんは多くの隊員に親しまれ、出撃を待つ若者たちを我が子のように慈しみました。温かい食事とトメさんの優しさは隊員らの心の支えとなりました。トメさんは、出撃が決まった隊員からお願いをされることも多かったようです。検閲が厳しい時代でしたが、「家族に手紙を出してほしい」という隊員の願いを聞き入れ、彼らの代わりに手紙を出しました。そして、静かにその出撃を見送りました。その温かさと献身さからトメさんは「特攻の母」と呼ばれるようになりました。
 昭和20年8月15日、太平洋戦争は終わりました。トメさんは「彼らの命の供養と感謝をもってこの国の発展・平和を願う」の想いから飛行場跡地に棒杭を建て、供養のため祈りを捧げ続けました。戦後、知覧では米軍の進駐もあり特攻のことに口を閉ざす町民も多かったのですが、トメさんは供養し続けました。トメさんは、特攻隊員の慰霊と平和の願いを込めた活動に尽力し、最終的に多くの方々の賛同のもと、飛行場跡地に観音堂が建立されるにいたりました。
写真 特攻隊員とトメさん:現富屋旅館広間前(写真提供:富屋旅館)
〔「特攻の母」と「納税おばさん」〕
 「特攻の母」と呼ばれているトメさんは戦後、「納税貯蓄」の活動に尽力されます。毎日夕方になると、「納税は、日掛け、月掛け、心掛け」の掛け声とともに知覧の町を回り、納税のための日掛け集金活動を行いました。現在の「納税貯蓄組合」活動にあたります。この活動からいつしか「納税おばさん」と呼ばれるようになったそうです。「税金は国を流れる血。この血が足らなくても、汚れても、また澱んでも国は成り立たないんだ」これがトメさんの信念であり口ぐせでした。
 トメさんは、「社会のため、国のため、子供たちの将来のため」と熱心に活動された功績が認められ、昭和38年には熊本国税局長納税表彰を受賞されたほか、昭和55年には知覧税務署の一日税務署長も務められました。
 トメさんは平成4年に他界されましたが、「富屋旅館」(トメさんが昭和27年に開業)の3代目女将である鳥濵初代さん(トメさんの孫嫁)がトメさんの意思を引き継ぎ、トメさんから受け継いだ「想い」や「税の大切さ」など、トメさんが後世に託した願いを、語り部として多くの人に伝えておられます。
写真 講話の様子(写真提供:富屋旅館)
おわりに
 美しい山々と海の風景、受け継がれてきた暮らし、そして過去に向き合いながら未来を見つめる姿勢。南九州市には、自然と人々の営み、そして平和への願いが調和する空気があります。今回は知覧税務署が位置する南九州市に特化して紹介させていただきましたが、管内にはまだまだ紹介しきれない魅力がたくさんあります。管内はいずれの市も豊かな自然に恵まれ、平和の尊さを伝える歴史も深く息づいており、戦争という悲しい過去に向き合いながら、その教訓、その時代の人々の気持ちを後世に語り継ぐ取組も行われています。
 皆さんにも是非訪れていただき、それぞれの市がもつ魅力を感じていただきたいと思います。平和とお茶のまち、知覧で皆様のお越しをお待ちしております。