世界遺産をめぐる~東紀州~
名古屋税関四日市税関支署尾鷲出張所長 木全 建介
1 四日市税関支署尾鷲出張所について
名古屋税関四日市税関支署尾鷲出張所は、戦後税関が再開した1946年に四日市税関支署尾鷲監視署としてスタートし、1963年に出張所に昇格、現在は、尾鷲市をはじめ、三重県南部の度会郡度会町、度会郡大紀町、北牟婁郡紀北町、熊野市、南牟婁郡御浜町及び南牟婁郡紀宝町を管轄しております。
尾鷲市は、ブリの養殖が盛んで、市の魚に指定されています。海外での日本食人気による鮮魚需要の増加で尾鷲のブリは、アジア地域を中心に輸出されています。
写真 尾鷲地方合同庁舎
2 尾鷲市について
当出張所のある尾鷲市は、三重県南部東紀州地域の中央に位置し、北は北牟婁郡紀北町、南は熊野市、西に奈良県、東は太平洋に囲まれており、熊野灘に臨むリアス海岸の入り江の奥にあります。
古くから漁業と林業の第一次産業で栄え、高度経済成長期には旺盛な電力需要に応じるため火力発電所が設置され、第二次産業を発展させてきました。
また、小学生のころ「降水量が多いまち」として授業で習った方も多いのではないでしょうか。尾鷲市は全国有数の多雨地帯であり、年間降水量は約4,000mmを記録しています。一度に多くの雨が降り、さらにその雨粒の大きさは飴玉にもたとえられ、雨粒の跳ね返りが激しいことから、「尾鷲の雨は下から降る」とも言われています。しかし、雨量は多いですが、日照時間は全国平均とほぼ同じで、晴れの日も多くトンビの鳴き声と海風に包まれる素敵な街です。
写真 天狗倉山からの尾鷲市街
3 管内の世界遺産・観光名所・グルメ
(1)熊野古道伊勢路
「伊勢に七度、熊野に三度」江戸時代にはこんな言葉があったそうです。東紀州は、当時の人々が何度でも訪れてみたいと思う憧れの地でした。
2004年7月に紀伊山地の三つの霊場(「熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)」「高野山」「吉野・大峯」)とそれらを結ぶ参詣道が、世界遺産に登録されました。その霊験あらたかな熊野三山と、「お伊勢参り」で有名な伊勢神宮を結ぶ道が「熊野古道 伊勢路」であり、道中には数多くの名所や峠があります。
尾鷲市は、伊勢と熊野三山のちょうど中間あたりに位置しており、市内には4つの峠があります。今回その1つで尾鷲市の北部にある「馬越峠」を歩いてみました。この峠は、尾鷲ヒノキと見事な石畳が続く美しい峠として知られています。初心者向けのコースとして案内されていましたが、勾配の急なところもあり汗をぬぐいながら必死に歩き、馬越峠から少し脇に入って天狗倉山の頂上になんとかたどりつきました。そこは、熊野灘を一望できる絶景スポットで疲れを吹き飛ばしてくれました。
江戸時代に起きた伊勢神宮への参詣ブームから数百年が経過し、昨年世界遺産20周年を迎えた今、あらためて熊野の聖地をめぐる旅が注目されています。
ここからは、伊勢路に沿って名所やグルメをいくつかご紹介していきます。
写真 熊野古道 馬越峠の石畳
(2)丸山千枚田
熊野市紀和町丸山地区には、標高差約160mの斜面を利用した1,340枚もの水田が連なる日本最大規模の棚田があり、日本の棚田百選にも選ばれています。
この棚田は、1601年に2,240枚の田があったという記録が残っていますが、昭和の稲作転換対策による杉の植林、過疎・高齢化による後継者不足のため耕作放棄地が増加し、平成の初めころには530枚まで減ってしまいました。そこで棚田の復元を目指し、1993年に丸山地区住民による保存会が結成され、810枚の復元に成功しました。現在は1,340枚の棚田が維持保存されています。また、復田された田を利用して稲作体験などができる、丸山千枚田オーナー制度も実施されています。
写真 日本の棚田百選 丸山千枚田
(3)日本最古の神社 花の窟神社
熊野市にある花の窟神社は、720年(奈良時代)に記された日本最初の歴史書である『日本書紀』の「国産みの舞台」に登場する日本最古といわれる神社で世界遺産に登録されています。ここは神社ですが社殿はなく、高さ約45mの巨石そのものを御神体とし、季節の花々で神をお祀りしたことから花の窟の名が付けられたと考えられています。毎年2月2日と10月2日には、日本一長いともいわれる長さ170mもの大綱を御神体と境内の隅にある御神木に渡す例大祭(お綱掛け神事)が行われます。
写真 世界遺産 花の窟
(4)熊野灘を一望 鬼ヶ城
花の窟神社のすぐ近くにある鬼ヶ城は、長さ1.2kmにわたり大小無数の洞窟が階段状に並ぶ大岩壁で、波の浸食と地震による隆起によって作られた自然の芸術作品です。1927年に日本を代表する景勝地として「日本百景」に指定、1966年には日本交通公社発表の「新日本旅行地100選」にも選ばれ、2004年に世界遺産に登録されました。
鬼ヶ城の名は、室町時代にこの辺りを治めていた有馬忠親が山頂に隠居城として山城を築いて「鬼ヶ城」と称したことに由来しています。また平安時代初期には征夷大将軍・坂上田村麻呂が鬼ヶ城を根城にして鬼と恐れられた海賊「多娥丸(たがまる)」を征討したという鬼ヶ城伝説も残っています。
写真 世界遺産 鬼ヶ城
(5)日本一の砂礫海岸 七里御浜と日本最大の狛犬 獅子巌
七里御浜は、熊野市・御浜町・紀宝町の三市町村にわたって続く約22kmの日本一長い砂礫海岸です。松並木が続く美しい海岸で、「日本の渚百選」や「21世紀に残したい自然百景」などに選ばれています。また、春から夏にかけてアカウミガメが上陸する地としても知られており、近くにある「道の駅 紀宝町ウミガメ公園」では無料でウミガメを見ることができます。
七里御浜に悠然と姿を現す地盤の隆起と海蝕現象によってうまれた高さ約25m、周囲約210mの奇岩「獅子巌」は、獅子が海に向かって吠えている様子から、付近を流れる井戸川上流に位置する大馬神社の狛犬として愛されていました。このため、大馬神社には、狛犬が設置されていません。
写真 世界遺産 獅子巌
写真 世界遺産 七里御浜
(6)翻車魚(マンボウ)
紀北町紀伊長島地区では、古くから「マンボウ」を食べる文化があり郷土料理として親しまれています。マンボウは、身も肝も大変美味な魚ですが、漁獲量が少ないことに加え、日持ちしにくく、鮮度が落ちると独特の臭みが生じるため、ほぼ現地のみで消費されています。
漁師さんたちが、茹でたものを味噌和えや酢味噌でいただいたというのが始まりで現在もおなじみの食べ方とのことですが、「道の駅 紀伊長島マンボウ」で食べることのできるマンボウフライも、鳥のささ身のような味で人気があります。
写真 マンボウフライ定食
(7)さんま寿司
東紀州では古くから神事やお祝いの席でさんま寿司を食べる風習があり、多くの店で提供されています。このさんま寿司ですが、紀北地域(尾鷲市・紀北町)と紀南地域(熊野市・御浜町・紀宝町)によって作り方に違いがあります。紀北地域は、さんまを腹開きにして骨と頭を取り除きます。一方、紀南地域は、さんまの尾頭を付けたまま、背開きにして骨を取り除き、紀北地域と同じように調理します。熊野市には、かつて代官所があり、腹開きは、侍の切腹を連想させることから敬遠されたため、紀南地域は背開きでつくられたそうです。なお、最近は最初から頭を除いたかたちでつくられるようになってきています。
写真 紀北地域のさんま寿司
4 おわりに
これまでの紹介により、東紀州に足を運びたいと思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか。私自身、今回取材のために初めて「馬越峠」を歩きましたが、他の登山者とすれ違う際に「こんにちは」と皆さんが挨拶をしてくださいました。普段は他人とすれ違っても挨拶することもないため、とても清々しい気持ちになりました。通学路の知らない人にも挨拶していた子供のころを思い出し、気持ちよく挨拶することの大切さを改めて考える、とても良い機会となりました。
これまでの紹介以外にも、高校野球ファンにはたまらない、全国の有名強豪校と熊野地方の高校が参加する「くまのベースボールフェスタ」が毎年秋に開催されています。現在アメリカで活躍する大谷翔平選手も花巻東高校在学時に参加していました。まるで甲子園かのような豪華対戦カードですので、お好きな方はこの時期にあわせて足を運んでみてはいかがでしょうか。
写真 七里御浜ふれあいビーチからの熊野灘
〈参考文献〉
東紀州(一般社団法人東紀州地域振興公社)
熊野古道伊勢路(三重県地域連携・交通部)
南部地域振興局(東紀州振興課)
尾鷲市ホームページ
熊野市ホームページ
(写真)すべて筆者撮影
歴史と自然にあふれ、思い出を“さがし”に行く街
三池税関支署久留米出張所(佐賀空港事務所) 所長 楠本 朋久
はじめに
佐賀空港事務所が所在する佐賀市は、佐賀県の県庁所在地として九州北部に位置し、人口は約23万人、豊かな自然環境と共に佐賀藩の歴史を色濃く残す地域であり、歴史的・文化的な魅力が溢れる都市です。
佐賀空港は平成10年7月に供用開始となり、当初国内線のみの空港でしたが、平成24年1月に中国路線(週1便)が就航し、平成25年12月に三池税関支署久留米出張所佐賀空港事務所を開所。また、同月に税関空港として佐賀空港が開港。当初、国際便入港に伴う税関検査のため、三池税関支署久留米出張所から佐賀空港まで約1時間かけて職員を派遣していましたが、中国路線の増便、韓国路線や台湾路線も随時拡大され、国際線の入港便が増加していったことに伴い、平成30年に職員が常駐化されました。途中、新型コロナウィルス感染拡大に伴い国際線全便が運休するという期間もありましたが、令和5年4月、台湾路線が再開、以降、韓国、中国路線も再開し、令和7年4月現在で3路線(中国、台湾、韓国)週10便が運航しております。
佐賀市の見どころ
○佐賀城本丸跡地と佐嘉神社
佐賀城本丸跡地と佐嘉神社は、佐賀市の歴史的な名所として、地域の文化と伝統を感じることができる場所です。まず、佐賀城本丸跡地は、江戸時代に佐賀藩の中心であった場所で、現在もその歴史的な遺産が残っています。佐賀城はもともと龍造寺氏の居城であった村中城を慶長13年から16年(1608年から1611年)までの総普請(そうふしん)により、拡張整備され、佐賀藩主(鍋島家)の居城として使用されました。現在の本丸跡地には、城壁や濠、そして国指定重要文化財となっている「鯱の門」及び「続櫓」が残り、当時の面影を感じることができます。また、天保6年から9年(1835年から1838年)に佐賀藩10代藩主鍋島直正公により建てられた佐賀城本丸御殿については、大正9(1920)年頃に一部玄関等が解体されましたが、平成16年に当時の工法で復元し「佐賀城本丸歴史館」としてオープン、一帯が佐賀城公園として整備され、四季折々の自然と歴史を楽しむことができる場所として、多くの観光客が訪れる場所となっています。
佐嘉神社は昭和8年に創建され、佐賀の名君であった佐賀藩10代藩主鍋島直正公と11代藩主直大公をお祀りする神社です。境内には佐賀藩が製造した鉄製カノン砲やアームストロング砲が復元、展示されているめずらしい神社でもあります。
写真 佐賀城鯱の門
写真 佐嘉神社
○三重津海軍所跡
三重津海軍所は、嘉永6(1853)年のペリー来航後、時代が大きな転換期を迎えようとしていく中、安政4(1857)年に佐賀藩が海軍取調方を置き、翌年三重津に御船手稽古所を置いて独自に海軍技術の教練を行うこととしたことがはじまりとされています。当時、三重津海軍所では単なる伝習所としてではなく、蒸気艦船の製造も目指しており、慶応元(1865)年に日本初の実用蒸気船「凌風丸」を完成するなど、幕末の日本において近代海軍の始まりを象徴する重要な場所でした。現在、三重津海軍所跡には歴史館が設立されており、当時の貴重な遺構や資料が展示されており、海軍所の歴史や近代化の過程、技術革新に関する展示を行っており、来館者に幕末の歴史的背景を学ぶ良い機会を提供しています。
写真 三重津海軍所跡地
○佐賀市歴史民俗館(レトロな建築群)
江戸時代に佐賀藩を通る重要な交通路であった長崎街道、昔は商業や文化交流に大事な街道として多くの人々の往来を支えてきたことで知られていますが、この旧街道沿いには、現在も貴重な歴史的建造物が整備、保存されており、佐賀市歴史民俗館として昔の面影を今でも残しています。この建築群は、主に明治、大正期に建築された銀行や町家などであり、全部で7館(旧古賀銀行、旧古賀家、旧牛島家、旧三省銀行、旧福田家、旧森永家、旧久富家)が残されており、観光・見学施設として公開されている他、コンサートなどのイベント会場としても活用されています。
写真 旧古賀銀行
○まちかど恵比寿さん
佐賀市内には800体余の恵比寿像が祀られており、その数は日本一ともいわれており、地域の商店街の一角に位置するなど、恵比寿様を祀った小さな祠が多数あります。もともと、佐賀で恵比須信仰が始まったのは、鍋島藩初代藩主の鍋島勝茂公が西宮神社(兵庫県西宮市)に崇敬が深かったことに由来するといわれていますが、多くの恵比寿様が祀られるようになったのは、長崎街道の宿場町として栄えた街であったことから、たくさんの商家が商売繁盛を祈願して祀ったという説や、豊漁の神として漁業や航海の安全を祈願して祀ったなど諸説あります。そんなまちかど恵比寿さん、八十八ヶ所巡りがあるなど、多くの人々に親しまれており、佐賀市内を観光で訪れる人々にも笑顔で鯛をもってお迎えしていただけます。
写真 佐賀空港でお出迎えする恵比寿様
○佐賀インターナショナルバルーンフェスタとバルーンミュージアム
佐賀インターナショナルバルーンフェスタとは、毎年10月下旬から11月上旬の5日間、佐賀市内の河川敷にて開催される熱気球の国際競技大会です。1980年に始まり、世界中から約100機以上の熱気球が集まり、色とりどりのバルーンが佐賀の空を彩る光景は圧巻です。競技飛行や気球教室など、たくさんのイベントが開催され、参加者と観客が一体となるイベントであり、昼間のフライトだけでなく、「夜間係留」や「光のバルーン」も見どころで、家族連れや観光客に人気のイベントとなっています。また、佐賀市内にはバルーンミュージアムがあり、気球の博物館として気球の歴史や気球に関連する展示品など、気球について学べる場所があります。特に気球の模型や映像、飛行体験のシミュレーターなどがあり、気球のことを知らずバルーンフェスタを訪れた人々も、まずはミュージアムで気球の歴史や魅力に触れることによって、さらに気球の楽しさを知り、空を飛ぶことの素晴らしさを感じられる場所となっています。
写真 バルーンフェスタ時の気球飛行
○佐賀のグルメ
〔シシリアンライス〕
一説によると、昭和50年頃、佐賀市中心街にある喫茶店で誕生したといわれているシシリアンライス、喫茶店やレストランの定番メニューとして愛され続け、今では佐賀市内のいろんなお店で味わうことができます。1枚の皿に温かいライスを敷き、その上に炒めたお肉と野菜を盛り合わせ、マヨネーズをかけたものが基本形ですが、いろんなお店でアレンジが加えられるなど、非常においしい一品です。
写真 シシリアンライス
〔佐賀海苔〕
世界有数の干満の差を誇る有明海は多くの河川からのミネラル豊富な栄養塩が流れ込む恵み豊かな漁場であり、そこで採れる佐賀海苔は口どけがよく、香ばしさがあり、トロけるような甘みがあってのど越しがいいのが特徴的です。佐賀の名産としてとても有名です。
写真 海苔の養殖(有明海)
〔佐賀ラーメン〕
佐賀市内には、佐賀ラーメンという独自のスタイルのラーメンがあります。特徴的なのは、豚骨スープをベースにしたもので、特にあっさりとした味わいのものが多く、福岡などの豚骨ラーメンと比べて、脂分が控えめで、スープがクリーミーというよりも、あっさりとした風味が特徴なラーメンです。麺の特徴は細麺が多く、スープとよく絡み、トッピングにチャーシュー、もやし、ネギなどを使うことが多いですが、独自の工夫を凝らしたトッピングを提供する店も多くあります。特に、家庭的な雰囲気を大事にしている店が多く、地元の人々に支えられているラーメン屋が多いといえます。佐賀市内のラーメンは、福岡などの近隣の都市のラーメンとは一線を画しており、独特な味わいが楽しめる地域性が色濃い一品であるといえます。
〔佐賀銘菓〕
昔、日本と海外を結ぶ唯一の窓口だった長崎、そこから伝えられた珍しい文化や物資は長崎街道を通って運ばれており、当時希少だった砂糖もその中の一つでした。このため長崎街道はシュガーロードともいわれ、その街道沿いの城下町・宿場町であった佐賀では、この希少な砂糖を使ったお菓子文化が今も根付いており、丸房露や羊羹を始めとする伝統銘菓から、いろんな創作和菓子まで各店趣向をこらしたお菓子が市内で販売されています。
おわりに
佐賀市内には、歴史と文化にあふれた魅力的な場所がたくさんあり、あなたにとっての思い出を“さがし”に行ける街です。是非一度お越しください。お待ちしております!
写真提供、使用許諾先:佐賀市役所地域振興部文化財課、
佐賀市観光協会、佐嘉神社、
佐賀バルーンフェスタ組織委員会、
九州佐賀国際空港ビル(株)
名古屋税関四日市税関支署尾鷲出張所長 木全 建介
1 四日市税関支署尾鷲出張所について
名古屋税関四日市税関支署尾鷲出張所は、戦後税関が再開した1946年に四日市税関支署尾鷲監視署としてスタートし、1963年に出張所に昇格、現在は、尾鷲市をはじめ、三重県南部の度会郡度会町、度会郡大紀町、北牟婁郡紀北町、熊野市、南牟婁郡御浜町及び南牟婁郡紀宝町を管轄しております。
尾鷲市は、ブリの養殖が盛んで、市の魚に指定されています。海外での日本食人気による鮮魚需要の増加で尾鷲のブリは、アジア地域を中心に輸出されています。
写真 尾鷲地方合同庁舎
2 尾鷲市について
当出張所のある尾鷲市は、三重県南部東紀州地域の中央に位置し、北は北牟婁郡紀北町、南は熊野市、西に奈良県、東は太平洋に囲まれており、熊野灘に臨むリアス海岸の入り江の奥にあります。
古くから漁業と林業の第一次産業で栄え、高度経済成長期には旺盛な電力需要に応じるため火力発電所が設置され、第二次産業を発展させてきました。
また、小学生のころ「降水量が多いまち」として授業で習った方も多いのではないでしょうか。尾鷲市は全国有数の多雨地帯であり、年間降水量は約4,000mmを記録しています。一度に多くの雨が降り、さらにその雨粒の大きさは飴玉にもたとえられ、雨粒の跳ね返りが激しいことから、「尾鷲の雨は下から降る」とも言われています。しかし、雨量は多いですが、日照時間は全国平均とほぼ同じで、晴れの日も多くトンビの鳴き声と海風に包まれる素敵な街です。
写真 天狗倉山からの尾鷲市街
3 管内の世界遺産・観光名所・グルメ
(1)熊野古道伊勢路
「伊勢に七度、熊野に三度」江戸時代にはこんな言葉があったそうです。東紀州は、当時の人々が何度でも訪れてみたいと思う憧れの地でした。
2004年7月に紀伊山地の三つの霊場(「熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)」「高野山」「吉野・大峯」)とそれらを結ぶ参詣道が、世界遺産に登録されました。その霊験あらたかな熊野三山と、「お伊勢参り」で有名な伊勢神宮を結ぶ道が「熊野古道 伊勢路」であり、道中には数多くの名所や峠があります。
尾鷲市は、伊勢と熊野三山のちょうど中間あたりに位置しており、市内には4つの峠があります。今回その1つで尾鷲市の北部にある「馬越峠」を歩いてみました。この峠は、尾鷲ヒノキと見事な石畳が続く美しい峠として知られています。初心者向けのコースとして案内されていましたが、勾配の急なところもあり汗をぬぐいながら必死に歩き、馬越峠から少し脇に入って天狗倉山の頂上になんとかたどりつきました。そこは、熊野灘を一望できる絶景スポットで疲れを吹き飛ばしてくれました。
江戸時代に起きた伊勢神宮への参詣ブームから数百年が経過し、昨年世界遺産20周年を迎えた今、あらためて熊野の聖地をめぐる旅が注目されています。
ここからは、伊勢路に沿って名所やグルメをいくつかご紹介していきます。
写真 熊野古道 馬越峠の石畳
(2)丸山千枚田
熊野市紀和町丸山地区には、標高差約160mの斜面を利用した1,340枚もの水田が連なる日本最大規模の棚田があり、日本の棚田百選にも選ばれています。
この棚田は、1601年に2,240枚の田があったという記録が残っていますが、昭和の稲作転換対策による杉の植林、過疎・高齢化による後継者不足のため耕作放棄地が増加し、平成の初めころには530枚まで減ってしまいました。そこで棚田の復元を目指し、1993年に丸山地区住民による保存会が結成され、810枚の復元に成功しました。現在は1,340枚の棚田が維持保存されています。また、復田された田を利用して稲作体験などができる、丸山千枚田オーナー制度も実施されています。
写真 日本の棚田百選 丸山千枚田
(3)日本最古の神社 花の窟神社
熊野市にある花の窟神社は、720年(奈良時代)に記された日本最初の歴史書である『日本書紀』の「国産みの舞台」に登場する日本最古といわれる神社で世界遺産に登録されています。ここは神社ですが社殿はなく、高さ約45mの巨石そのものを御神体とし、季節の花々で神をお祀りしたことから花の窟の名が付けられたと考えられています。毎年2月2日と10月2日には、日本一長いともいわれる長さ170mもの大綱を御神体と境内の隅にある御神木に渡す例大祭(お綱掛け神事)が行われます。
写真 世界遺産 花の窟
(4)熊野灘を一望 鬼ヶ城
花の窟神社のすぐ近くにある鬼ヶ城は、長さ1.2kmにわたり大小無数の洞窟が階段状に並ぶ大岩壁で、波の浸食と地震による隆起によって作られた自然の芸術作品です。1927年に日本を代表する景勝地として「日本百景」に指定、1966年には日本交通公社発表の「新日本旅行地100選」にも選ばれ、2004年に世界遺産に登録されました。
鬼ヶ城の名は、室町時代にこの辺りを治めていた有馬忠親が山頂に隠居城として山城を築いて「鬼ヶ城」と称したことに由来しています。また平安時代初期には征夷大将軍・坂上田村麻呂が鬼ヶ城を根城にして鬼と恐れられた海賊「多娥丸(たがまる)」を征討したという鬼ヶ城伝説も残っています。
写真 世界遺産 鬼ヶ城
(5)日本一の砂礫海岸 七里御浜と日本最大の狛犬 獅子巌
七里御浜は、熊野市・御浜町・紀宝町の三市町村にわたって続く約22kmの日本一長い砂礫海岸です。松並木が続く美しい海岸で、「日本の渚百選」や「21世紀に残したい自然百景」などに選ばれています。また、春から夏にかけてアカウミガメが上陸する地としても知られており、近くにある「道の駅 紀宝町ウミガメ公園」では無料でウミガメを見ることができます。
七里御浜に悠然と姿を現す地盤の隆起と海蝕現象によってうまれた高さ約25m、周囲約210mの奇岩「獅子巌」は、獅子が海に向かって吠えている様子から、付近を流れる井戸川上流に位置する大馬神社の狛犬として愛されていました。このため、大馬神社には、狛犬が設置されていません。
写真 世界遺産 獅子巌
写真 世界遺産 七里御浜
(6)翻車魚(マンボウ)
紀北町紀伊長島地区では、古くから「マンボウ」を食べる文化があり郷土料理として親しまれています。マンボウは、身も肝も大変美味な魚ですが、漁獲量が少ないことに加え、日持ちしにくく、鮮度が落ちると独特の臭みが生じるため、ほぼ現地のみで消費されています。
漁師さんたちが、茹でたものを味噌和えや酢味噌でいただいたというのが始まりで現在もおなじみの食べ方とのことですが、「道の駅 紀伊長島マンボウ」で食べることのできるマンボウフライも、鳥のささ身のような味で人気があります。
写真 マンボウフライ定食
(7)さんま寿司
東紀州では古くから神事やお祝いの席でさんま寿司を食べる風習があり、多くの店で提供されています。このさんま寿司ですが、紀北地域(尾鷲市・紀北町)と紀南地域(熊野市・御浜町・紀宝町)によって作り方に違いがあります。紀北地域は、さんまを腹開きにして骨と頭を取り除きます。一方、紀南地域は、さんまの尾頭を付けたまま、背開きにして骨を取り除き、紀北地域と同じように調理します。熊野市には、かつて代官所があり、腹開きは、侍の切腹を連想させることから敬遠されたため、紀南地域は背開きでつくられたそうです。なお、最近は最初から頭を除いたかたちでつくられるようになってきています。
写真 紀北地域のさんま寿司
4 おわりに
これまでの紹介により、東紀州に足を運びたいと思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか。私自身、今回取材のために初めて「馬越峠」を歩きましたが、他の登山者とすれ違う際に「こんにちは」と皆さんが挨拶をしてくださいました。普段は他人とすれ違っても挨拶することもないため、とても清々しい気持ちになりました。通学路の知らない人にも挨拶していた子供のころを思い出し、気持ちよく挨拶することの大切さを改めて考える、とても良い機会となりました。
これまでの紹介以外にも、高校野球ファンにはたまらない、全国の有名強豪校と熊野地方の高校が参加する「くまのベースボールフェスタ」が毎年秋に開催されています。現在アメリカで活躍する大谷翔平選手も花巻東高校在学時に参加していました。まるで甲子園かのような豪華対戦カードですので、お好きな方はこの時期にあわせて足を運んでみてはいかがでしょうか。
写真 七里御浜ふれあいビーチからの熊野灘
〈参考文献〉
東紀州(一般社団法人東紀州地域振興公社)
熊野古道伊勢路(三重県地域連携・交通部)
南部地域振興局(東紀州振興課)
尾鷲市ホームページ
熊野市ホームページ
(写真)すべて筆者撮影
歴史と自然にあふれ、思い出を“さがし”に行く街
三池税関支署久留米出張所(佐賀空港事務所) 所長 楠本 朋久
はじめに
佐賀空港事務所が所在する佐賀市は、佐賀県の県庁所在地として九州北部に位置し、人口は約23万人、豊かな自然環境と共に佐賀藩の歴史を色濃く残す地域であり、歴史的・文化的な魅力が溢れる都市です。
佐賀空港は平成10年7月に供用開始となり、当初国内線のみの空港でしたが、平成24年1月に中国路線(週1便)が就航し、平成25年12月に三池税関支署久留米出張所佐賀空港事務所を開所。また、同月に税関空港として佐賀空港が開港。当初、国際便入港に伴う税関検査のため、三池税関支署久留米出張所から佐賀空港まで約1時間かけて職員を派遣していましたが、中国路線の増便、韓国路線や台湾路線も随時拡大され、国際線の入港便が増加していったことに伴い、平成30年に職員が常駐化されました。途中、新型コロナウィルス感染拡大に伴い国際線全便が運休するという期間もありましたが、令和5年4月、台湾路線が再開、以降、韓国、中国路線も再開し、令和7年4月現在で3路線(中国、台湾、韓国)週10便が運航しております。
佐賀市の見どころ
○佐賀城本丸跡地と佐嘉神社
佐賀城本丸跡地と佐嘉神社は、佐賀市の歴史的な名所として、地域の文化と伝統を感じることができる場所です。まず、佐賀城本丸跡地は、江戸時代に佐賀藩の中心であった場所で、現在もその歴史的な遺産が残っています。佐賀城はもともと龍造寺氏の居城であった村中城を慶長13年から16年(1608年から1611年)までの総普請(そうふしん)により、拡張整備され、佐賀藩主(鍋島家)の居城として使用されました。現在の本丸跡地には、城壁や濠、そして国指定重要文化財となっている「鯱の門」及び「続櫓」が残り、当時の面影を感じることができます。また、天保6年から9年(1835年から1838年)に佐賀藩10代藩主鍋島直正公により建てられた佐賀城本丸御殿については、大正9(1920)年頃に一部玄関等が解体されましたが、平成16年に当時の工法で復元し「佐賀城本丸歴史館」としてオープン、一帯が佐賀城公園として整備され、四季折々の自然と歴史を楽しむことができる場所として、多くの観光客が訪れる場所となっています。
佐嘉神社は昭和8年に創建され、佐賀の名君であった佐賀藩10代藩主鍋島直正公と11代藩主直大公をお祀りする神社です。境内には佐賀藩が製造した鉄製カノン砲やアームストロング砲が復元、展示されているめずらしい神社でもあります。
写真 佐賀城鯱の門
写真 佐嘉神社
○三重津海軍所跡
三重津海軍所は、嘉永6(1853)年のペリー来航後、時代が大きな転換期を迎えようとしていく中、安政4(1857)年に佐賀藩が海軍取調方を置き、翌年三重津に御船手稽古所を置いて独自に海軍技術の教練を行うこととしたことがはじまりとされています。当時、三重津海軍所では単なる伝習所としてではなく、蒸気艦船の製造も目指しており、慶応元(1865)年に日本初の実用蒸気船「凌風丸」を完成するなど、幕末の日本において近代海軍の始まりを象徴する重要な場所でした。現在、三重津海軍所跡には歴史館が設立されており、当時の貴重な遺構や資料が展示されており、海軍所の歴史や近代化の過程、技術革新に関する展示を行っており、来館者に幕末の歴史的背景を学ぶ良い機会を提供しています。
写真 三重津海軍所跡地
○佐賀市歴史民俗館(レトロな建築群)
江戸時代に佐賀藩を通る重要な交通路であった長崎街道、昔は商業や文化交流に大事な街道として多くの人々の往来を支えてきたことで知られていますが、この旧街道沿いには、現在も貴重な歴史的建造物が整備、保存されており、佐賀市歴史民俗館として昔の面影を今でも残しています。この建築群は、主に明治、大正期に建築された銀行や町家などであり、全部で7館(旧古賀銀行、旧古賀家、旧牛島家、旧三省銀行、旧福田家、旧森永家、旧久富家)が残されており、観光・見学施設として公開されている他、コンサートなどのイベント会場としても活用されています。
写真 旧古賀銀行
○まちかど恵比寿さん
佐賀市内には800体余の恵比寿像が祀られており、その数は日本一ともいわれており、地域の商店街の一角に位置するなど、恵比寿様を祀った小さな祠が多数あります。もともと、佐賀で恵比須信仰が始まったのは、鍋島藩初代藩主の鍋島勝茂公が西宮神社(兵庫県西宮市)に崇敬が深かったことに由来するといわれていますが、多くの恵比寿様が祀られるようになったのは、長崎街道の宿場町として栄えた街であったことから、たくさんの商家が商売繁盛を祈願して祀ったという説や、豊漁の神として漁業や航海の安全を祈願して祀ったなど諸説あります。そんなまちかど恵比寿さん、八十八ヶ所巡りがあるなど、多くの人々に親しまれており、佐賀市内を観光で訪れる人々にも笑顔で鯛をもってお迎えしていただけます。
写真 佐賀空港でお出迎えする恵比寿様
○佐賀インターナショナルバルーンフェスタとバルーンミュージアム
佐賀インターナショナルバルーンフェスタとは、毎年10月下旬から11月上旬の5日間、佐賀市内の河川敷にて開催される熱気球の国際競技大会です。1980年に始まり、世界中から約100機以上の熱気球が集まり、色とりどりのバルーンが佐賀の空を彩る光景は圧巻です。競技飛行や気球教室など、たくさんのイベントが開催され、参加者と観客が一体となるイベントであり、昼間のフライトだけでなく、「夜間係留」や「光のバルーン」も見どころで、家族連れや観光客に人気のイベントとなっています。また、佐賀市内にはバルーンミュージアムがあり、気球の博物館として気球の歴史や気球に関連する展示品など、気球について学べる場所があります。特に気球の模型や映像、飛行体験のシミュレーターなどがあり、気球のことを知らずバルーンフェスタを訪れた人々も、まずはミュージアムで気球の歴史や魅力に触れることによって、さらに気球の楽しさを知り、空を飛ぶことの素晴らしさを感じられる場所となっています。
写真 バルーンフェスタ時の気球飛行
○佐賀のグルメ
〔シシリアンライス〕
一説によると、昭和50年頃、佐賀市中心街にある喫茶店で誕生したといわれているシシリアンライス、喫茶店やレストランの定番メニューとして愛され続け、今では佐賀市内のいろんなお店で味わうことができます。1枚の皿に温かいライスを敷き、その上に炒めたお肉と野菜を盛り合わせ、マヨネーズをかけたものが基本形ですが、いろんなお店でアレンジが加えられるなど、非常においしい一品です。
写真 シシリアンライス
〔佐賀海苔〕
世界有数の干満の差を誇る有明海は多くの河川からのミネラル豊富な栄養塩が流れ込む恵み豊かな漁場であり、そこで採れる佐賀海苔は口どけがよく、香ばしさがあり、トロけるような甘みがあってのど越しがいいのが特徴的です。佐賀の名産としてとても有名です。
写真 海苔の養殖(有明海)
〔佐賀ラーメン〕
佐賀市内には、佐賀ラーメンという独自のスタイルのラーメンがあります。特徴的なのは、豚骨スープをベースにしたもので、特にあっさりとした味わいのものが多く、福岡などの豚骨ラーメンと比べて、脂分が控えめで、スープがクリーミーというよりも、あっさりとした風味が特徴なラーメンです。麺の特徴は細麺が多く、スープとよく絡み、トッピングにチャーシュー、もやし、ネギなどを使うことが多いですが、独自の工夫を凝らしたトッピングを提供する店も多くあります。特に、家庭的な雰囲気を大事にしている店が多く、地元の人々に支えられているラーメン屋が多いといえます。佐賀市内のラーメンは、福岡などの近隣の都市のラーメンとは一線を画しており、独特な味わいが楽しめる地域性が色濃い一品であるといえます。
〔佐賀銘菓〕
昔、日本と海外を結ぶ唯一の窓口だった長崎、そこから伝えられた珍しい文化や物資は長崎街道を通って運ばれており、当時希少だった砂糖もその中の一つでした。このため長崎街道はシュガーロードともいわれ、その街道沿いの城下町・宿場町であった佐賀では、この希少な砂糖を使ったお菓子文化が今も根付いており、丸房露や羊羹を始めとする伝統銘菓から、いろんな創作和菓子まで各店趣向をこらしたお菓子が市内で販売されています。
おわりに
佐賀市内には、歴史と文化にあふれた魅力的な場所がたくさんあり、あなたにとっての思い出を“さがし”に行ける街です。是非一度お越しください。お待ちしております!
写真提供、使用許諾先:佐賀市役所地域振興部文化財課、
佐賀市観光協会、佐嘉神社、
佐賀バルーンフェスタ組織委員会、
九州佐賀国際空港ビル(株)