金融庁 新発田 龍史/東京大学 服部 孝洋
[プロフィール]
新発田龍史 企画市場局審議官
1993年、東京大学法学部卒業後、大蔵省に入省。金融庁監督局銀行第一課長、銀行第二課長等を経て、2024年より現職。1997年コロンビア大学国際公共政策大学院修了。
服部孝洋 東京大学公共政策大学院特任准教授
2008年、一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了後、野村證券に入社。2016年、財務省財務総合政策研究所を経て、2020年に東京大学に移籍し、現在に至る。経済学博士(一橋大学)を取得。
本インタビューの目的
金融庁による金融行政や歴史については、金融の実務家等からの関心が高い一方で、その概要を明らかにした文献は必ずしも多いとはいえません。そこで本稿では、金融庁での経験が長い新発田審議官との対談を通じて、金融庁および金融行政の過去と現在に迫ります。
新発田審議官の大蔵省入省以降のキャリア
服部:本日はよろしくお願いいたします。金融庁は2000年に設立されましたが、その前の金融行政は大蔵省が担っていました。大蔵省の不祥事等を経て、1990年代後半に金融行政が大蔵省から金融庁へ分離されました。金融セクターでは、戦後段階的に規制緩和が進んでいきますが、特に1996年に成立した橋本内閣により、フリー(市場原理が働く自由な市場)、フェア(透明で信頼できる市場)、グローバル(国際的で時代を先取りする市場)の理念を掲げた「金融ビックバン」が打ち出され、様々な規制緩和や改革が進み、現在に至っています。
新発田審議官は1993年に大蔵省に入省され、大蔵省時代から金融行政に携わっており、金融庁設立以降、金融庁に長く勤務されています。金融庁は比較的新しい組織といえますが、新発田審議官は大蔵省時代、金融庁設立から現在までを経験されており、金融庁での経験が最も長い官僚の一人だと思います。新発田審議官のご自身のキャリアを聞くことが金融庁の組織の理解にもつながると思うので、まず、新発田審議官ご自身のキャリアからお聞かせいただけないでしょうか。
新発田:長けりゃ良いというわけでもないと思いますが(笑)、役人人生の2/3近くの時間、金融行政に携わってきたことになります。それとは別に、金融庁に移る前、財務省の総合政策課で日銀の金融政策への対応を担当したこともあります。当時は、ゼロ金利政策解除、量的緩和の導入といった政策変更の節目となる大きなイベントが起きた頃ですが、こうしたものも含めれば金融との関わり合いはもっと多いと思います。
服部:新発田審議官が大蔵省に所属されていた当時は、銀行局もご経験されていますよね。
新発田:はい、米国留学から帰ってきて、銀行局調査課の係長として金融ビッグバンの法制化の取りまとめを担当することになりました。1997年の夏です。当初は、金融持株会社の設立を解禁する法制を担当するチームの一員として法案提出ロジや国会対応等に取り組んでいましたが、1997年の11月になって、金融危機が深刻化しました。
今の若い人にとっては、「金融危機」というと2008年のリーマンショックを想起される方が多いと思います。リーマンショック当時は、毎週のようにアメリカの金融機関が次々と破綻しましたが、それと同じことが1997年11月に日本で起こっていました。そんな話をすると、「応仁の乱」を「先の戦」と呼ぶ京都人を見たような顔をされるのですが、当時、日本でも三洋証券や山一證券、北海道拓殖銀行などの金融機関が毎週のように破綻したのです。
この結果、銀行の預金等の安全性に対する不安が高まり、一部の銀行では窓口に行列ができるなど取り付け騒ぎ一歩手前のような状況になりました。最終的には、当時の三塚大蔵大臣が、預金等の全額保護を宣言することで、一旦沈静化しました。その後、公的資金注入の議論が本格化することになりますが、このタイミングを境に、ニューヨークやロンドンに比肩する国際金融センターを目指す、という「前向き」な制度改革から、「後ろ向き」とは申し上げませんが、日本発の金融危機を起こさないための緊急対応に仕事のバランスが大きく変わったことを覚えています。
1998年6月には財金分離の結果、大蔵省から金融監督庁が分離されました。私は当時、大蔵省に残された金融企画局に所属しており、金融再生のための法制度づくりを担当するチームの一員でした。もっとも、様々な紆余曲折を経て、政府提出法案は廃案となり、与野党協議の結果、金融再生法と早期健全化法が成立する一方で、長銀(日本長期信用銀行)や日債銀(日本債券信用銀行)が破綻し、国有化されました。
服部:新発田審議官は、2000年前半に起こった、東京三菱銀行と三井住友銀行によるUFJの争奪戦の頃にも金融庁にいらっしゃいましたよね。UFJ信託銀行の住友信託銀行への売却が決まりそうであったところ、最終的にUFJ銀行が東京三菱銀行と合併し、現在の三菱UFJ銀行が生まれました。当時、大きく報道され、様々なドラマがあったとされます。
新発田:当時は小泉政権で、郵政民営化が焦点となっていた頃です。少し遡ってお話しすると、直前に金融担当大臣であった竹中平蔵さんは、2004年に「金融再生プログラム」を発表し、主要行の不良債権問題の解決を通じて経済の再生を企図しました。主要行の不良債権比率を2年半で半減させることを掲げ、資産査定の厳格化などを行いました。その中で、まず、りそな銀行が過小資本に陥り、公的資金を注入することとなりました。また、地方銀行の足利銀行が債務超過となったために国の管理下に置かれることになりました。その後、ご指摘の争奪戦に続いていきます。
UFJ銀行には公的資金が入っていたため経営健全化のためのいくつかの目標が課せられていましたが、それを達成することができず、経営責任を問われることとなりました。それに伴い、当初はUFJ信託銀行の売却を巡る争いだったものが、最終的にはUFJグループ全体の経営権を巡る争いになったということです。この結果、現在の三メガの体制になっています。
本件が問題になった当初は、私は銀行第一課の課長補佐として、本件を担当していた総括補佐のサポート役や代理をしておりましたが、その後、七条明金融担当副大臣の秘書官に異動したことで、より大きな視座で全体を見ることができました。
なぜ金融庁の仕組みの理解は難しいか
服部:学生からみると、金融庁はどういうイメージでしょうか。
学生:銀行の規制や監督をするというイメージですが、複雑な印象を受けます。
新発田:金融庁の仕組みが複雑だと思われるのには大きく2つの理由があると思います。一つには、発足以来組織の形が大きく変遷を遂げていることがあります。
先ほどお話にあったとおり、もともと金融行政は大蔵省が担当していました。大蔵省には、銀行局、証券局という局が存在しており、加えて銀行局の中にある保険部が生保・損保を担当していました。銀行局内では、今のメガバンクや地方銀行については銀行課、信用金庫等については中小金融課、政府系金融機関については特別金融課といった具合に縦割りの組織編制になっていました。証券局では、証券会社を担当するだけでなく、東証等の取引所、企業会計や財務情報の開示制度についても担当していました。大蔵省時代は、局・課単位の縦割りで監督も制度の企画立案も行っていました。
しかし、金融行政機構の見直しの議論が始まった際、当初は検査と監督、すなわちアンパイア(審判)とコーチの分離が求められました。その後、金融検査・監督機能の分離が求められ、1998年に、金融庁の前身の組織である金融監督庁が、総理府の外局として設置されました。その背景には、1995年に発覚した大和銀行ニューヨーク支店巨額損失事件の対応の遅れや、二信組の破綻、住専(住宅金融専門会社)問題への対応(公的資金の投入)などにより、大蔵省が行ってきた金融行政に対する信頼が失われたことがあります。
省庁再編の議論の中で、「財金分離」ということで、結果的には、政策金融や破綻処理制度、金融危機管理に関する企画立案機能を除き、金融制度の企画立案機能も含めて、財務省から分離されることとなりました。2001年1月の省庁再編に先駆けて、2000年7月に金融庁が誕生し、現在の組織の原型ができました。
金融庁の仕組みが複雑だと思われるもう一つの理由として、金融庁が機能別の局編成になっていることもあると思います。先ほどお話ししたとおり、大蔵省は銀行・証券・保険という縦割りで部局が構成されていました。それが、金融庁になり、監督や検査、企画といった機能ごとに局が設置され、いわば横割りで組織を編成したという経緯があります。日本では、金融危機の原因となった不良債権問題への対応という要請から、他の国とは異なり、立入検査という広い意味ではモニタリングの一つの機能にしかすぎないものを、あえて広義の監督から括りだして独立した別組織にしたのが特徴だと思います。そこに金融庁発足時に、制度整備などを担う企画部門が合流したことで、監督・検査・企画という三つの機能を持つ組織になりました。海外では、監督・検査あわせてモニタリングと呼んでいます。モニタリングの中で、実際に金融機関に立ち入って行うものをオンサイト・モニタリング(立入検査)と呼んでいます。
一方、金融機関にとって、横割りになっている金融庁のどの部局とも接点があることから、逆に金融庁の誰と話をすればよいのかがわからない、ということになってしまっては困ってしまいます。このため、基本的には金融機関とのコミュニケーションの窓口は、監督局の担当に一本化するのが通例です。これにより、金融庁のある部署の人からはこう言われたけど、別の部署の人からは違うことを言われたということが起きないようにしています。
監督と検査とは
服部:金融庁初期は特に監督と検査の機能が大切だったということだと思いますが、そもそも監督と検査というもの自体が、初学者にとって理解しにくい点だと思います。金融庁の一般向けの説明を参照すると、監督とは「金融機関から定期的に報告をうけたりしながら、各金融機関の仕事ぶりについて絶えずチェックすること」と説明する一方、検査については「金融機関がちゃんとしているか、法律・ルールを守って仕事をしているかなど、金融庁の検査官が各金融機関に直接出かけて調査を行うこと」と説明しています*1。
新発田:監督というのは銀行など金融機関に対する許認可を行うにあたり必要な要件を充足しているかチェックをしたり、不祥事やシステム障害が発生した時に報告を受けてその後の対応をフォローアップしたり、さらに必要な場合には業務の改善を求める行政処分を行う機能のことです。銀行に関する規制が厳しいことはみなさんご存知かもしれませんが、銀行は他の事業と異なり、経営の健全性を確保する観点から、銀行業以外の業務は何をやってもよいということではなく、銀行ができる業務は、法令で認められたものに制限されています。このため、新しい商品やサービスを始めたい銀行は、法令上問題がないか当局の担当者に確認することも少なくありません。
一方、以前存在していた検査局は金融機関の財務や業務の実態を正確に把握するために、立入検査をする機能を持っていました。金融監督庁初代検査部長の五味さんは、検査の仕事とはレントゲン技師だ、どんな診断になるかは考えずに、とにかく正確なレントゲン写真を撮ってこい、という指示を検査官に出しています。金融庁、そしてその前身の金融監督庁が発足した2000年前後、日本の金融の最大の課題は不良債権問題への対応でした。バブルが崩壊し、資産価格が下落する中で、不良債権となってしまった貸出が金融機関のバランスシートに潜んでいるという前提で、たとえて言えば、検査の仕事はまずは正確なレントゲン写真を撮って実態を把握することであり、それをベースに医者としての監督局が治療方針等対応を考えるという役割分担です。
その後、不良債権問題が落ち着いてくると、不良債権問題への対応に大きな役割を果たしてきた検査の副作用が出てきます。「重箱の隅をつつくような検査ばかりして本質的な指摘ができていない」といった批判も受けました。そこで、検査局を廃止して、総合政策局を新設しました。もちろん、金融庁には検査を行う人はいますが、かつてのように年に4回立入検査にだけ行っていればよいということはなく、総合政策局では市場リスク、システムリスクといったリスクカテゴリー別に、いわば横串を差すようなかたちで専門的な分析等を行うほか、フィンテックやサイバーセキュリティ、経済安全保障などに関する政策立案も併せて担当しています。監督局がそれぞれの金融機関の「かかりつけ医」のような存在として、経営トップを相手に全体的な健康管理を担当する一方で、総合政策局は、「専門医」の立場で、高度な専門性を要する個別のリスクについて深掘りする。この両者を組み合わせることで、部分最適に陥ることなく、全体としてのバランスを確保するアプローチを採用しているともいえます。
金融庁の改革
服部:金融庁の変革という観点で、私が印象に残っているのは、2016年に出た『捨てられる銀行』という新書です。この書籍は当時の森信親金融庁長官による改革を取り上げた書籍であり、非常に話題になりました。例えば、検査マニュアルを廃止して金融改革を実現した森信親金融庁長官の取り組みについて書かれています。
新発田:金融庁改革に森信親さんが果たした役割は極めて大きいと思います。ただ、その改革には布石があって、歴史を振り返ると、2000年代後半に長官に就任された佐藤隆文さんが、「ベター・レギュレーション」を掲げ、プリンシプルとルールの適切な組み合わせによる金融行政の質の向上を唱えるといった取組みが前史としてあったのも事実です。不良債権問題が収束したのち、金融庁のミッションの再定義がなされました。私たち金融行政官の究極的な目的は、国民の厚生の増大であり、金融システムの安定や金融機関の健全性確保は、金融の円滑と並ぶ中間的な目標であり、絶えず両者のバランスをとらなければならないということです。
わかりやすく言えば、例えば、コロナの時、一時的な要因で売り上げがなくなり、また、お客さんがいなくなってしまったことで事業者の方の財務の状況が厳しくなりました。そんな状況下で、金融機関に対して厳しい検査を行って、その瞬間だけを見て貸出債権の回収可能性を判断することには常識的に考えればやはり違和感があると思います。業況が良くないことが一時的な要因であることが明らかな場合や、国から補助金等の支援が見込まれている場合は、そういった要素も勘案して金融機関に貸出の可否を考えてもらう必要があり、そうすることが日本の経済にとって最も良い結果になるのだと思います。
その意味で、検査も監督も、過去に起きたことばかり見たり、個別の問題点ばかりあげつらったりして、ただ厳しいことを言っていてもダメで、将来や全体を見据えて本質的な議論をしなければなりません。このように、検査・監督のこれまでの手法が、時代の変化に応じてアップデートされないと存在意義が失われてしまいます。金融検査マニュアルの廃止は、そうした問題意識の反映です。
服部:金融検査マニュアルとは、金融庁の検査官が金融機関を検査する際に用いる手引書のことですよね。
新発田:そうです。厳格な検査による不良債権問題の収束という過去の成功体験へのこだわり、あるいは過剰適応により、仕事のモデルを変えることに難しさはあったのだと思います。しかし、重箱の隅をつつくような検査ではなく、もっとダイナミックに、本質的な課題を金融機関の方々と議論する方向に変わっていくことになりました。
服部:ドラマ「半沢直樹」では、検査官の厳しい姿勢が描かれました。かつての金融庁がガチガチに縛るというイメージだったのでしょうか。
新発田:戦後の金融システムは、長期の設備投資資金を供給する長期信用銀行と、都市銀行、地方銀行、信託銀行、そして中小企業向け金融機関である信用金庫等、という形で、専門性に応じて規制による間仕切りを設け、資金不足の中で、限られた資金資源が円滑に配分されるよう競争を抑制する仕組みとなっていました。監督当局であった大蔵省はその仕組みの中で、金融秩序の維持という目的のため、パターナリスティックに監督を行っていました。「護送船団行政」と言われていたのはこの頃の話です。
しかしながら、経済成長の過程で間接金融から直接金融のウェイトが高まる中で、海外での展開を含めて規制緩和が求められるようになりました。また金融を取り巻く環境が大きく変化していく中で、当局と金融機関の間の情報の非対称性が拡大し、従来型の監督では限界があるし、イノベーションを阻害しかねないことも認識されました。そうしたことから、1991年に金融制度改革がなされ、銀行が証券会社を子会社で持つことや、その逆に証券会社が子会社に銀行を持つことが可能となり、さらにその後、持株会社方式によるグループ化も認められました。規制緩和とセットで、金融機関による高度なリスク管理と自己規律を求める代わりに、当局の役割を、こうした市場メカニズムを補完するものに転換しようとしていたのが、金融システム改革の思想だったと思います。
ところが、1990年代後半以降の金融危機は、そうした動きを一変させてしまいました。まさに不良債権問題の解決が「一丁目一番地」になったわけですが、経済再生のためにも銀行のバランスシートに隠れていた不良債権を徹底的に洗い出し、処理することが当時は求められていました。「半沢直樹」の世界に出てくる強面の検査官のイメージはその頃のものでしょう。銀行の財務の健全性を確保することが至上命題にならざるを得なかった結果として、銀行には余計なことをやらせないという意識が2000年代当初の当局になかったかと言われれば、否定できないかもしれません。
それは治療に専念することで、集中治療室から早く出て、健康体になってもらって海外の金融機関とサービスを競い合うようになってもらいたいという気持ちの裏返しであったことも事実です。ただ、実際には、主要行の不良債権比率が半減して、マクロの金融危機の問題が一応の収束を見た頃、金融庁は、保険の不払いのような利用者保護にもとる問題に取り組んでいくことになるわけです。この頃私は保険課で課長補佐をしていましたが、8ヶ月の在任期間の間に30件近い行政処分を行いました。こうした当局の姿勢が一部から「金融処分庁」と揶揄されたのも事実です。
金融をスポーツに例えるなら、金融機関というプレイヤーが活躍してなんぼの世界だと思います。皆が見たいのは、本来は、エースストライカーがシュートを打った、ゴールキーパーがスーパーセーブをしたということのはずです。レフェリーに焦点があたり、何枚レッドカードを出したかが一面の記事になるような状況に違和感を覚え、プレイヤーの活躍が観客を沸かせるような世界に早く戻らないといけないと思っていました。
服部:銀行業界の変化を受けて、金融庁の役割も変わってきたということですね。
新発田:金融庁の使命の一つは、当時も今も変わらず、金融システムの安定を守ることですが、金融危機から四半世紀以上が経ち、金融システムの安定を守るということの意味を問い直していく必要があると思います。つまり、経済が大きくなっていく局面では、拡大するニーズに金融が応えていく中で、金融の拡大が暴走することのないよう、リスク管理の高度化を求めたり、マクロでのリスクの分散という観点から、銀行セクターにリスクが集中する金融システムを改め、証券市場等の役割を大きくしたりすることなどに取り組んできたわけです。しかし、現在のように日本経済、とりわけ地方経済が縮小傾向にある時、これまで通りの対応で十分と言えるのでしょうか。
例えば地方で人口や事業者が減っていくなかで、地域金融機関の将来はジリ貧だという悲観的な議論があります。金融機関の健全性が重要であることはもちろんですが、自らの財務諸表の健全性を気にするあまり、地域経済・企業へのリスクマネーの供給をためらって、事業の基盤である地域経済が縮小することを座視していれば、結局のところ「国破れて地銀在り」となって自らの持続可能性にも影響しかねないという点をどう考えるのかということだと思います。地域金融機関が実体経済の成長に胡坐をかくような時代はとっくの昔に終わっており、今後は、自らの能力を最大限発揮して、地域に主体的・能動的に働きかけ、そのポテンシャルをひき出すことが求められているともいえます。金融の役割を考える上で、新しいビジネスの種になるようなことに、もう少し金融機関が関わっても良いのではないか、ということです。
たとえば、銀行からお金を借りる必要性を感じていない企業は規模の大小にかかわらず全体の1/3程度あると言われていますが、そういった企業も、事業承継などに課題を抱えています。そのような企業が後継者不足で黒字廃業するのは地域にとってもマイナスです。このような問題に対し、金融機関ができることがあるならば、たとえば自らのネットワークや資金力を背景に、後継者探しを行ったり、支援のために一時的に出資したりすることもやっていいのではないか、ということです。
服部:役所の場合、時代に合わせて方向転換を成し遂げることは容易ではなかったと思います。
新発田:自分の印象に残っているのは2004年10月です。UFJ銀行の検査忌避問題、そして同行の大口融資先であるダイエーが産業再生機構による支援を要請という出来事が起こり、不良債権問題がまさにクライマックスを迎えました。14日の日経の朝刊1面に、ダイエーが産業再生機構に支援を要請する、という記事と並んで、西武鉄道が上場廃止基準に抵触することをおそれ、有価証券報告書における株主名義について虚偽の記載を行っていたことが発覚し、堤義明氏がグループの全役職を辞任することが報じられました。
自分はたまたまこの時、副大臣の秘書官として仕事をしていましたが、副大臣が当時の市場課長を呼び、金融行政の流れが変わるんじゃないかということをおっしゃったことを覚えています。不良債権問題の解決が峠を越えた局面で、市場まわりに関する問題がでてきたということです。実際、その後は、ライブドアによるニッポン放送買収事件、カネボウの粉飾決算、中央青山監査法人の解散等、世の中を騒がす事件が続発し、金融行政の主戦場も銀行セクターから資本市場に移ったような感覚を持ちました。
こうした動きの一方で、市場まわりの制度整備も進みました。これまでの縦割り的な発想を改め、同じ活動には同じルールを、という考え方のもとで、機能や行為に着目した横断的な法制が求められるようになりました。つまり、銀行と証券会社と保険会社でやっていることが同じならば、同じルールが適用されるべきだということです。最終的には証券取引法を全面改正して、金融商品取引法(金商法)が2007年に作られました。
市場機能の重要性
服部:金商法は、金融ビジネスをするうえで非常に重要な法律ですが、金商法と金融庁の役割はどのように整理されていますか。
新発田:金融商品取引法は金融ビジネスだけでなく、上場企業が上場企業としての責任を果たしていくためにも極めて重要です。法律には様々な内容が規定されていますが、大きく分けて三つあると思っています。一つは証券会社やアセットマネジメント会社などが、金融ビジネスを営む事業者として何をしていいのか、してはいけないのかを示すことにあります。二つ目は、上場企業には、上場することで誰からでも自由に資金調達できる特権が与えられていますが、その裏返しの責務として、企業の内容について情報開示を行い、透明性を高め、投資家に対して説明責任を果たす必要があります。こうしたルールも金商法に規定されています。三つ目は株式市場における取引の公正性が確保されるようにするための規律です。会社の関係者がインサイダー情報を利用して取引をしてはいけないとか、それ以外にも様々な不公正な取引が規制されています。
国による金融システムへの関わり方にはいろいろあると思います。これから成長する産業、そして企業を国が具体的に選別して、国がお金を流すというやり方もあるかもしれませんが、市場メカニズムが発揮されることを通じてこれから伸びる企業に成長資金が投じられるようにするというやり方もあると思います。アメリカにダウという株の指数があります。30社の構成銘柄は、時代の流れに合わせて入れ替わり、その時代の米国を牽引する企業が選ばれています。歴史のある指数ですが、大恐慌の直前に初めて選定された時の30社のうち、リーマンショックの後にGM(ゼネラルモーターズ)が除外され、唯一残っていたGE(ゼネラル・エレクトリック)も2018年に除外されました。最近でもインテルと入れ替わりにエヌビディアが採用されたことがニュースになっていますよね。一方、日本の時価総額上位を見てみると、1989年と現在で大きく顔ぶれは変わっておらず、かつての公営企業も多く含まれています。
この違いは何なのかと考えた時に、市場メカニズムが発揮されることを通じて、成長する企業が選ばれる仕組みが果たす役割の重要性は強調しても強調しすぎることはありません。この仕組みを私は「マクロの産業政策」と勝手に呼んでいるのですが、政策的な要請による個別産業への後押しとは別に、市場をきちんと機能させて、お金がもっと自然に、回るべきところに回るようにしていく仕組みに変えていく必要があると思っています。マクロの産業政策も含めた市場行政は、銀行監督行政にとどまらない金融庁の政策の柱の一つですし、金商法は市場行政の重要インフラとしての役割を果たしています。
服部:金融庁はかつては検査や監督の機能が強かったものの、不良債権問題が2000年代後半になくなって、マーケット、資本市場の重要性が上がっていったことで企画市場局のようなところがでてきたという整理でしょうか。
新発田:企画市場局に「市場」という言葉が入っていることにはやはり意義があって、銀行や証券のような業者行政とは性質の異なる市場行政の重要性を表しているとも言えると思います。その源流は先ほどお話ししたような行政のプライオリティの分水嶺のような局面を経験し、今後は市場行政が一つの大きな柱になるという意識があると思いますが、さらにその源流をたどると、金融ビッグバンが成し遂げようとしていた我が国金融システムの改革という「北極星」のような目標があると思います。
服部:企画市場局の話が出ましたが、暗号資産も企画市場局で担当されているんですね。
新発田:はい、企画市場局にある信用制度参事官室が、銀行関係の法制度を所管する一方で、フィンテックや暗号資産関係の法制度も担当しています。ただしこのあたりは変化の激しい領域ですので、制度の枠組みも内外の動向を注視しながら常にアップデートすることが求められています。
服部:企画市場局については、コーポレートガバナンスなども担っていますよね。
新発田:コーポレートガバナンスに関する政策は、私が分担している企業開示課が担当しています。金商法は、市場課と企業開示課が分担しています。企画市場局というとルールメイクの印象が強いですが、監督もしており、市場課では取引所を監督する一方、企業開示課では監査法人や公認会計士を監督しています。
財務省の有する市場機能との違い
服部:市場機能というと、例えば、財務省では国債企画課や国債業務課が国債発行計画や国債発行の実務を担っており、財務省もその機能を担っているともいえますよね。
新発田:そうですね。やはり「お金の流れ」という視点がすごく大事だと思っています。大蔵省も財務省も英語ではTreasuryではなくてMinistry of Financeという名前ですが、そこには単なる国の金庫番ということではなく、「お金の流れ」に責任を持つという思いが込められているように思います。そこからすると、まさにパブリックセクターのファイナンスを見ているのが今の財務省の仕事で、プライベートセクターのファイナンスは金融庁の仕事になっています。
だからと言って、例えば、国債管理政策をやっている人たちが、本当にメガバンクや生命保険会社の動向などを気にしなくていいのかと言うとそんなことはないし、一方、金融庁にいる人たちが、財政なんか知らないという姿勢でいいかと言うと、そんなことでは監督者として失格です。やはり金融庁にいてもパブリック・ファイナンスがどうなるのかっていうことに、無関心ではダメだと思います。
日本経済が右肩上がりの時は、銀行中心の金融システムを構築し、経済成長のために重厚長大産業に傾斜的に資金を配分するという政策でしたが、その仕組みが昭和の終わりの頃に崩壊して、それを変えられなかったから不良債権問題やバブルが起きてしまったわけです。そうした経緯の中で金融庁が生まれたわけですから、我々は市場の持つ力を信じなければいけないと思います。金融商品取引法の第一条の目的規定に、「資本市場の機能の十全な発揮による金融商品等の公正な価格形成等を図り、もって国民経済の健全な発展及び投資者の保護に資する」云々とあるのはそういうことの表れだと考えています。
一方で、例えば、地方でなりわいとして事業をやっているような小さな企業が上場する必要もないので、日本の金融システムが100%マーケットベースになるわけではありません。やはり間接金融と呼ばれてきた銀行等を介在させる資金供給手段も重要であり、複線的、ある意味では二刀流の金融システムなのだと思います。
市場の機能をどう発揮させるかという議論をすると、資金調達サイドからは、どんどん規制緩和をして資金調達しやすくしてほしいという要望をいただきます。その気持ちも大変よく分かりますが、その一方で、資金を供給する投資家サイドのことも考える必要があります。機関投資家は、他人からお金を託されている以上、投資によって一定のリターンを得たいけど、情報開示がされずになんだかよく分からないものに投資するわけにはいきません。そのため一定のルールは必要ですが、どこかに全てのステークホルダーが納得できる均衡点があるはずなんですよね。
市場の透明性ばかり強調して膨大な情報開示を求め、本来の事業の遂行に支障を来すくらい企業の負担が多くなってしまえば誰も上場しなくなって本末転倒です。一方で、投資家の資金が結果的に詐取されるようなぼったくりマーケットだったら誰も二度とお金を出さなくなって市場が死んでしまいます。その両極端の間のどこかにある均衡点をどう突き止めていくのかというのが、結果として一番よくお金が流れる道筋を見つけることともいえ、金融庁の市場行政の中では大事な点だと思います。
日銀との役割の違い
服部:金融機関サイドからみると、日本の金融機関は金融庁以外に、日銀からもモニタリングされています。金融庁と日銀の役割の違いはどう整理されていますか。
新発田:まず、日銀によるモニタリングは「考査」と呼ばれており、日銀の金融機構局が担当しています。金融庁の検査監督と、日銀の考査の違いは、形式的には、法律によるものか、契約によるものか、ということになります。信用秩序を維持する責務を有している金融庁は、法律によって、金融機関の業務の健全かつ適切な運営を確保する観点から検査を行う権限を与えられており、いわば金融サービスの利用者の代理人として、必要であればあらゆる金融機関に対して検査を行うことができます。一方で、日銀は、「最後の貸し手」機能をはじめ、信用秩序の維持に資するための業務を適切に実施するために、日銀の当座預金に口座を保有している金融機関との間で結んでいる契約をもとに考査を行っています。したがって、たとえば日銀の決済システムとはつながっていない保険会社や信用組合は考査の対象にはなりません。そのような制度的な違いはありますが、大きな目的は共有していますので、両者は連携して対応しています。
あと、国際業務でみると、例えば、日銀はBIS(国際決済銀行, Bank for International Settlements)やFSB(金融安定理事会, Financial Stability Board)といった国際機関との関わり合いが深いですが、金融庁はそれに加えて、IOSCO(証券監督者国際機構, International Organization of Securities Commissions)、IAIS(保険監督者国際機構, International Association of Insurance Supervisors)といった証券、保険の国際機関とも深く関わっています。銀行・保険・証券という典型的な金融セクターを一つの監督当局がカバーしているのは、世界的にみても少なく、日本の金融庁はその代表例といえます。
アメリカでは、銀行監督は、FRBと、OCC(米国通貨監督庁, Office of the Comptroller of the Currency)等の複数の監督機関に分かれており、証券はSEC(証券取引委員会)で見ていますが、保険は州ごとの監督になっています。イギリスでは、金融サービスに関する政策を担当する財務省に加え、昔はFSA(金融サービス機構, Financial Services Authority)とFCA(金融行為規制機構, Financial Conduct Authority)という2つの監督当局があったのですが、現在ではBank of Englandの中の一部門となったPRA(健全性監督機構, Prudential Regulation Authority)と別個独立したFCAという建付けになっています。
服部:国ごとにかなり違いますね。
新発田:そういう意味で、日本の金融庁の特徴の一つとして、監督する対象の範囲の広さであり、integrated regulator(一元監督当局)と呼ばれることもあります。加えて、一元的に監督しているということだけでなく、制度の企画立案、政策といった点も含め一貫して担当しているというのはどの国の当局にもないユニークさだと思います。
金融庁の国際部門を支えてこられた河野正道さん(元金融国際審議官)のオーラルヒストリー*3を読むと、銀行監督当局同士で、金融セクター全体としてどう見えるのだという話をするときに、日本の金融庁のように金融システム全体をカバーする広い視点を持っている点は、日本の国際的なプレゼンスという点で極めて大きな強みになっているのだと気づかされます。金融庁は、過去の経緯からグローバルな比較では変わった組織ともいえるものの、一つの組織が色々なところに網を張っているという意味で、対外的に見ると、ものすごいアドバンテージがあるとも言えます。
監督や検査の体制
服部:先ほど監督や検査の話を伺いましたが、監督と検査は現在、どういう体制で対応されているのでしょうか。
新発田:銀行の監督については銀行第一課・銀行第二課で対応しています。銀行第一課は大手銀行、すなわち、三メガやりそな銀行、三井住友信託銀行、SBI新生、あおぞら銀行等を担当しています。銀行第二課は、地方銀行や第二地方銀行を担当しています。
監督の仕事は、カウンターパートの銀行との面談から始まります。例えば、新規事業を始めるにあたって、事業内容そのものについて説明を聴取したり、その内容によっては法令上の問題点はないかという照会を受けたりすることがあります。金融庁としては、銀行による新しいチャレンジが世の中のためになるのであれば、やらせないというよりは、できる限り後押しをする方向に舵を切っています。
もちろん、事業を行う上でのリスクや利益相反については議論を行います。逆に、これらの点をきちんと整理できれば、根掘り葉掘りあらゆることを聞く必要はないともいえます。銀行業高度化等会社の設立認可については、最初の相談から1年近くかかっていたものが、認可プロセスの簡素化、効率化によって、2~3ヶ月くらいで処理できるようになりました。
しかしながら、金融機関の方とお話ししていると、金融庁に相談を持っていく前に内部で潰されてしまうプロジェクトも存在しているということに気づきました。若い人が斬新なアイディアを出しても、「うまくいかなかったら誰が責任を取るのか?」「本当に金融庁がOKすると思っているのか?」などと延々と議論しているうちに頓挫してしまうようなのです。それを考えると、実証実験などの段階で認可を求めるというのは過剰規制なのかもしれないという考えに至りました。およそ今の事業会社で、実証実験をやってみようという時に当局の認可が必要なところは金融機関以外にはないと思います。
法律を学んでいる方はご存じかと思いますが、「業務」として行っていると言えるためには、反復継続性を勘案するという考え方があります。こうした考え方を参考に、銀行の業務範囲規制との関連においては、実証実験で色々試している段階はまだ業務とはいえないのだから、その時点であらかじめ当局に認可をもらう必要はないと整理しました。ただ、実証実験なので、ダラダラとなし崩し的にやるのではなく、期限を決めて目鼻がついたところで改めて認可申請をすればそれで問題ないということですし、あちこちで実証実験をやって把握できなくなってしまうのも困るので、誰かはしっかり管理していてください、ということにしました。
服部:今は検査局がなく、総合政策局に移したとおっしゃいました。もっとも、その後、地銀については監督局へ移すという報道がありました。
新発田:総合政策局のリスク分析総括課には、メガバンク等の大手銀行グループのモニタリングをやっている部屋があります(図表5 リスク分析総括課*4の大手銀行モニタリング室)。監督局と同様に、銀行ごとに担当を設けて、通年・専担検査という形で銀行グループの様々な課題を特にリスクという切り口から年間を通してモニタリングしています。実際には、監督局にいる同じ銀行を担当するカウンターパートとは頻繁に連絡をとり、担当役員から合同でヒアリングしたり、モニタリング結果のフィードバックには監督局も同席するなど、監督局とやっていることが重複したり、ズレたりしないようやり方は工夫しています。
一方、地銀の場合は、監督局の中に地銀の検査チームが存在しています。具体的には、銀行第二課の隣にいる地域金融監理官配下の地域銀行モニタリング室が担当しています。地銀の場合には、日常的な監督事務は財務局や財務事務所が担当しているので、銀行第二課がモニタリングも含めて全体の司令塔になっています。これは、指揮命令系統が一本化されていないと混乱するからという当たり前の話です。ある地銀にとって最も大事な課題はマネロンへの対応かもしれないし、地域経済の活性化なのかもしれない。問題点を指摘するのは簡単ですが、メガバンクと同様の十分なリソースが必ずしもあるわけではなく、一遍にあれもこれも対応できるわけではありません。したがって、その金融機関をしっかり見ている人が、どこをまず直すべきなのか、何が優先的に取り掛かるべき課題なのかというのを判断しなければならないと思います。
金融庁内のリサーチ機能
服部:金融庁のリサーチ機能についてもお聞きしたいです。財務省など霞が関全体に言えると思いますが、担当している政策が多い一方で、日銀に比べて、霞が関はリサーチという観点でいうと若干弱いという印象ももっています。日銀は「金融システムレポート」など人員も時間もかけたリサーチ・ペーパーが多いという印象ですが、いかがでしょうか。
新発田:金融庁は発足当初から足元の政策課題への対応にリソースを割かざるを得なかったこともあり、純粋なリサーチ機能という点では必ずしも十分でなかったというご指摘についてはなかなか否定しがたいところがあります。もちろんその中で担当者は頑張ってきたと思いますが、個々人の頑張りに依存せざるを得ないという点も含めて課題があったということだと思います。
経済や金融市場の動向については、今はリスク分析総括課を中心にデータ分析をやっています。かつてと比べると出向者も増えて陣容が強化されていると思います。政府部内では、金融庁は株式市場の動向を見ていることになっていますけど、やはり、債券市場や為替市場における財務省や日銀と違って、金融庁自身がマーケットにおけるプレイヤーではないということによる違いは大きいと思います。つまり、積極的に情報を取りに行く必要があるということです。
服部:確かに、日銀の場合、公開市場操作の中で、実際に国債等を売買することになるため、マーケットについてはより深い知識が必要ともいえます。財務省についても国債発行だけでなく、為替なども所管しています。財務省の場合だと、主計局調査課や主税局調査課など、各局に調査課があって、官房に総合政策課があります。金融庁のリサーチの機能という観点では、リスク分析総括課の中の一部でやっているということでしょうか。
新発田:そうですね。ここでまさにデータを活用した分析をやっていて、庁内でも職員の勉強成果についての発表会が頻繁に開催されるようになっていますが、リサーチについては、リソースの問題もあり、何でも自前主義で揃えようとするよりは、日銀等の関係機関と連携してどう対応するかという視点も大切だと思います。純粋なリサーチとはちょっと違うかもしれませんが、自分が銀行第一課長のときには、海外クレジット投融資の動向について日銀と合同調査を行ったこともあります。海外の先進国と比べれば、リサーチに充てられているリソースの彼我の差は歴然としているので、国内で子供のサッカーみたいに皆で一つのボールを追いかけるよりも、役割分担と連携の総合力で勝負したほうが良い領域かもしれません。
あと、財務省との比較で金融庁にないのは調査課です。主計局や主税局の調査課でやっている制度調査的な機能も、課題があると個人的には思います。それは自分が昔銀行局調査課の係長や、主税局調査課の課長補佐をしたことによる単なるノスタルジーなのかもしれません。昔と違ってインターネット等で他国の制度に関する情報に容易にアクセスすることができるのも事実ですし、世の中の移り変わりが激しいこともあり、毎年のように法令改正を行っているため、各国制度について相当の蓄積があるのも事実ですが、海外制度調査の肝は、見直しの対象となっている制度以外の関連制度や改正の背景等も含め、総合的に理解することにあると思っており、その点で足腰がやや弱いように感じています。
服部:私は今、金融庁の金融研究センターにも所属していますが、財務省の財務総合政策研究所(財務総研)や、日銀の金融研究所(金研)に比べると、規模は相対的に小さいという印象を持っています。
新発田:金融研究センターには、専門研究員や特別研究員という形でアカデミアの方に研究プロジェクトに参画していただいていますし、自分の担当分野でも、コーポレートガバナンス改革やサステナビリティ開示の充実が企業業績にどう影響するのか等、アカデミアの知見をお借りしたいテーマが山ほどありますが、ここは今後の課題ということかもしれませんね。
(後編に続く)
(なお、本インタビューは令和7年3月に実施された。)
図表1 金融行政の移り変わり
図表2 金融庁再編のイメージ
図表3 業態別不良債権比率の推移*2
図表4 監督局の組織図
*1) 下記を参照。
https://www.fsa.go.jp/teach/kurashi.pdf
*2) https://www.fsa.go.jp/access/21/200902a.html
*3) https://www.fsa.go.jp/common/about/kaikaku/openpolicylab/kono_oral.pdf
*4) https://www.fsa.go.jp/access/r3/219.html