スリランカのいま―危機から再建へ、日本との関係のなかで―
在スリランカ日本国大使館 一等書記官 中西 孝文*1
1 はじめに:経済危機下での赴任
2022年6月末、私は在スリランカ日本大使館に財務アタッシェとして赴任しました。赴任前からスリランカの社会的混乱は報道等で知っていたものの、実際に現地で目の当たりにした混乱と人々の困窮は、私の想像を超えるものでした。
その2か月前、スリランカ政府は対外債務の返済一時停止、いわゆるデフォルトを表明し、社会経済全体に大きな衝撃をもたらしました。外貨準備はほぼ枯渇し、食料や燃料、医薬品等の輸入すらままならず、深刻な物資不足と急激なインフレで国民生活は危機的な状況に陥っていたのです。
燃料不足により、計画停電が日常的に実施され、1日数時間に及ぶ停電も珍しくありませんでした。ガソリンスタンドには早朝から数キロメートルにわたる車列ができ、トゥクトゥク(3輪タクシー)の運転手が長時間、時には数日間ガソリンを求めて並んでいる光景は、今も脳裏に焼き付いています。大使館の業務もまた、燃料不足により公用車の使用が制限されるなど、少なからぬ影響を受けました。
こうした社会経済の混乱の中、転換点となったのが、国民による抗議デモの高まりとその後の大統領の辞任でした。深刻な生活苦への怒りを募らせた国民が一斉に街頭に繰り出し、大統領の辞任を求めて抗議活動を繰り返し、2022年7月には大統領公邸が一時的に占拠される事態となりました。中でも、抗議デモ参加者が大統領公邸のプールに飛び込み泳いでいる光景は、暴力的衝突こそなかったものの、異様かつ象徴的な場面として、国内外に強烈な印象を与えました。赴任直後に滞在していたホテルの目の前を数千人の抗議デモ参加者が行進している様を見て、暴徒化することはなかったものの、街全体に強い緊張感が漂っていたことを今でも鮮明に記憶しています。その後、ゴタバヤ・ラージャパクサ大統領は国外脱出を図り、辞任を表明。国会での選挙でラニル・ウィクラマシンハ首相(当時)が大統領に選出されました。
ウィクラマシンハ大統領は、経済危機から脱出するため、IMFに支援を求め、日本を含む債権国とは債務再編に向けた交渉を急ピッチで開始します。その後、IMFからの支援を取り付けるとともに財政健全化に向けた改革等を約束し、債務再編に目処をつけ、経済の立て直しに道筋を付けました。財務省からの出向者として、私自身、この経済破綻の発生からIMF支援プログラムの承認、そして国際的な債務再編に至る一連のプロセスを現地で経験できたことは、貴重な体験となりました。
しかし、2024年9月の大統領選挙では、経済回復を実感できないことへの不満と既存の政治家に対する強い反発を背景に、ウィクラマシンハ大統領は敗北し、汚職の根絶を最優先課題に掲げる左派のアヌラ・クマーラ・ディサナヤケ野党党首が新たに大統領に選出されました。これにより、スリランカの政治は既存の枠組みから大きく転換し、新たな方向へと舵を切ることとなりました。
こうしたダイナミックな変化の中でも私が常に感じていたのは、日本とスリランカの関係の奥行きと強さでした。その背景には、戦後から築かれてきた信頼関係があります。1951年に開催されたサンフランシスコ講和会議において、セイロン(現スリランカ)のジャヤワルダナ財務大臣(当時:後の大統領)は、仏陀の言葉「憎しみは憎しみによって止むことなく、愛によって止む」を引用しつつ、日本に対する賠償請求権を放棄する意向を表明し、日本を国際社会の一員として受け入れるよう訴えました。この発言は、当時、日本に対して厳しい処遇を求めていた一部の戦勝国の姿勢に影響を与え、日本の国際社会への復帰を後押しする重要な契機になったとされています。このエピソードは、日本に対して厳しい空気が支配していた当時において、過去の責任を追及するのではなく、建設的に将来の関係を築こうとする姿勢を示した発言として、日スリランカ関係を語る際に今なおしばしば引用されるものです。こうしたスリランカの成熟した対応と友情に対し、日本としても、後に債務危機に直面したスリランカに寄り添い、支援の手を差し伸べるのは、ごく自然な流れだったとも言えます。
私のスリランカでの勤務は、経済危機からの国家の再生と重なる3年間でした。本稿では、その3年間に起こった経済破綻からの再生に向けた歩み、政権交代、そして日本との関わりを中心に紹介したいと思います。
写真 「ガソリンを求めて並ぶ車列」(提供元:ジェトロ・コロンボ事務所)
写真 「大統領公邸を占拠する国民」(提供元:ジェトロ・コロンボ事務所)
写真 「大統領公邸のプールではしゃぐ国民」(提供元:ジェトロ・コロンボ事務所)
2 スリランカという国
正式名称「スリランカ民主社会主義共和国」は、インドの南東に浮かぶインド洋の島国です。面積は北海道の約0.8倍、人口は約2,200万人。赤道に近く熱帯気候で、緑豊かな自然と豊富な水資源に恵まれています。その自然の美しさから、「インド洋の真珠」と形容されることもあります。かつては「セイロン」と呼ばれており、セイロンティーというブランドを通じて日本でも広く知られる存在です。
スリランカの首都は、最大都市コロンボの南東約10キロに位置するスリ・ジャヤワルダナプラ・コッテです。地理の授業で長くて覚えにくい首都名として記憶に残っている方もいらっしゃるかもしれません。もっとも、行政・経済の中枢機能はコロンボに集まっており、主要な政府機関や企業、大使館、国際機関の多くはコロンボに所在しています。
スリランカ社会の一つの特徴は、その民族的・宗教的な多様性にあります。人口の約7割以上を占める多数派のシンハラ人(主に仏教徒)に加え、北部・東部にはタミル人(主にヒンドゥー教徒)が多く居住し、さらにイスラム教徒やキリスト教徒も一定数存在します。公用語はシンハラ語とタミル語で、民族間をつなぐ連結語として英語が広く使われています。各民族がそれぞれ固有の言語や宗教を保持していることから、文化的な多様性がある一方で、政治的・社会的な緊張や摩擦をはらみやすい構造となっています。
1983年から25年以上にわたり、スリランカでは内戦が続いていました。タミル人の一部武装勢力(タミル・イーラム解放の虎(LTTE))は、北部・東部の分離独立を求めて政府軍と激しく戦い、多くの民間人が犠牲になりました。2009年に政府軍がLTTEを制圧して、内戦は終結しましたが、民族間のわだかまりは根強く残っています。和平後も北部・東部の復興、経済発展は遅れており、経済格差や民族和解は、今なおスリランカが直面する重要な課題の一つです。
さらに記憶に新しいのが、2019年4月のイースター・サンデー・テロ事件です。復活祭の日にコロンボとその周辺にある高級ホテルや教会で自爆テロが同時発生し、250人以上が死亡、500人以上が負傷しました。日本人もこの事件で被害を受けました。イスラム過激派組織の関与が疑われ、事件直後には国全体に緊張が走りました。この事件は、宗教間の共存の難しさを改めて浮き彫りにすることになりました。
スリランカは観光資源に恵まれた国でもあります。世界遺産に登録されている、王宮跡が残る巨大な岩山シーギリヤ・ロック、古代王朝の都であるアヌラーダプラやポロンナルワ、仏歯寺を擁するキャンディ、そして南部や東部の海岸部にはビーチリゾートが点在し、欧米などから多くの観光客を集めてきました。外貨収入の柱の一つである観光業は、新型コロナウイルスの影響で大きな打撃を受けましたが、現在は回復基調にあり、スリランカ政府は観光立国としての再興を目指しています。
2025年大阪・関西万博では、スリランカは、マリンツーリズムをテーマに据えたパビリオンを出展しています。セイロンティーをはじめ、スパイスやアーユルヴェーダなどスリランカの特産品や文化についても順次紹介される予定です。この機会を通じて、日本国内でもスリランカへの関心がより高まり、相互理解と交流がさらに深まることを期待しているところです。
写真 「世界遺産のシーギリヤ・ロック」
写真 「大阪・関西万博でのスリランカの出展(1)」
写真 「大阪・関西万博でのスリランカの出展(2)セイロンティーの香り体験コーナー」
3 スリランカと主要国の関係
スリランカは、アジアと中東・アフリカをつなぐインド洋の中央に位置する戦略的要衝であり、東西の海上交易の交差点として地政学的に重要な地位を占めてきました。その地理的優位性は、現代においても変わることなく、インド太平洋地域の海上安全保障や貿易・物流拠点の観点から、各国が注視する存在であり続けています。
スリランカの外交政策の特徴は、一貫して非同盟・中立を掲げている点にあります。大国間の対立構造に巻き込まれることを避けつつ、各国との協調的な関係を保とうとする多国間バランス外交は、現在も同国の基本方針とされています。その背景には、隣国インドとの微妙な距離感や中国との急速な接近があります。2024年9月に就任したアヌラ・クマーラ・ディサナヤケ大統領は、最初の外遊先として12月にインドを、翌2025年1月には中国をそれぞれ訪問しており、対インド、対中関係においてバランスをとり、これまでの中立路線は基本的に維持していくものと見られています。
インドはスリランカにとって最大の隣国であり、宗教・文化・言語の面でも深い歴史的つながりがあります。仏教はインドから伝来したものであり、また南インドにはタミル人が多く居住していることから、スリランカの内戦時には南インドがタミル人支援の拠点になった過去がありました。こうした事情から、スリランカではインドへの親近感や信頼が存在する一方、一定の警戒感も根強く残っています。インドが自国の影響力を強めようとする動きに対し、干渉と受け取られ反発が生じる場面も見受けられます。また、中国の影響力の拡大を懸念するインドに対し、スリランカがインドとその周辺地域の安全保障を脅かすことはしないとの立場を示すなど一定の配慮も見られます。
中国との関係は経済協力を軸に近年急速に拡大してきました。中国はスリランカを「一帯一路」構想における重要な拠点と位置づけており、両国は近年、戦略的協力関係を強化しています。特に内戦終結後の2009年以降、中国はスリランカに対して積極的にインフラ投資を行い、南部のハンバントタ港やマッタラ・ラージャパクサ国際空港、南部高速道路などの建設を支援してきました。さらに、国際金融センターやビジネス拠点、商業・住宅施設などを備えた大規模経済特区「コロンボ・ポートシティ」が、中国からの投資で、海上埋立地に建設中です。これらのプロジェクトの中には、スリランカ政府による高金利の借入れに依存して進められたものもあり、債務返済が困難となったハンバントタ港は、2017年に中国企業との99年間のリース契約により、運営権の大部分が中国側に移る形となりました。この経緯は、いわゆる「債務の罠」外交の典型例として国際的に言及されることもあります。
こうした中、日本は長年にわたる経済協力を通じて、スリランカと安定的で信頼に基づく関係を築き、支援を継続してきました。現在では、日本は中国に次ぐ第2の債権国(第3はインド)で、空港整備や橋梁建設、港湾、保健医療、人材育成など、幅広い分野で有償・無償の資金協力を進めてきました。日本の支援は、透明性と公平性を重視し、現地の事情に寄り添って設計されていることから、誠実な支援国としての評価を受けています。こうした日本の姿勢は、スリランカ政府関係者にとどまらず、一般国民にも広く認知され、好意的に受け止められています。
今次の経済危機下における債務再編では、日本、中国、インドの3か国が、主要債権国として重要な役割を担いました。中でも日本は、インド及びフランスとともに「公的債権国会合(OCC)」を立ち上げ、スリランカ政府との債務再編交渉の枠組みを整え、議論を主導しました。一方、中国はOCCには正式には参加せず、スリランカ政府と個別に交渉を進める立場を取りました。こうした状況の下、現地でスリランカ政府関係者とやり取りを重ねる中で、日本が誠実かつ中立な信頼できるパートナーとみなされていること、そして債務再編の枠組み作りや交渉を主導してくれることへの期待がいかに大きいかを肌で感じました。
写真 「ハンバントタ港:現段階では自動車貿易が主で利用は限定的」
写真 「建設中のコロンボ・ポートシティ」
4 経済破綻とIMF支援・債務再編
2022年4月、スリランカ政府は対外債務の返済を一時停止すると表明し、1948年の独立以降初めてとなるデフォルト状態に陥りました。この決定は一時的な資金繰りの問題ではなく、長年にわたる財政運営の歪みと構造的な脆弱性が限界に達した結果でした。
最大の課題は税収基盤の脆弱さであり、税率の引き下げや免税措置の拡大によって、2022年時点の歳入はGDP比約8%と、世界第190位と低水準にありました。特に、2019年に発足したゴタバヤ・ラージャパクサ政権による大規模減税で、歳入の減少が加速し、危機の引き金となりました。
また、対外債務の三割以上を占めていたのが、国際ソブリン債(ISB)などの高利・短期返済型のドル建て商業債務で、外貨収入が減少すれば返済は困難になる構造でした。観光と海外労働者からの送金という外貨収入の柱が、2019年のイースター・サンデー・テロ事件と新型コロナウイルスの影響により大幅に減少。観光客数は2018年の約230万人から2021年には約19万人にまで落ち込み、外貨準備も2020年末の50億ドルから、2022年には18億ドルにまで激減しました。
こうした中、2022年5月以降、スリランカ政府はIMFとの協議を開始し、2023年3月には48か月間で約30億ドル規模の支援プログラム(EFF)に合意しました。この支援プログラムでは、スリランカ政府は、歳入増加のための税制改革(付加価値税の引上げや個人所得税の累進性強化)、電力・石油公社の経営の効率化やコストに見合った電気料金の設定による国有企業改革、社会的セーフティネットの充実、物価の安定化、金融セクターの安定化、ガバナンスの強化・汚職対策など、多岐にわたる分野で改革への取組を約束しました。もっとも、これらの改革は、特に中間層や貧困層に経済的負担を強いるものも含まれており、国民の間に不満を引き起こすことにもなりました。
IMFからの支援を受けるためには、債務持続可能性の確保が前提とされており、スリランカ政府は、IMF支援プログラムに関する協議と並行して、債務再編に向けた債権者との交渉も開始しました。先に述べたとおり、2023年4月、日本の財務省が、インド及びフランスのカウンターパートと公的債権国会合(OCC)を創設し、多国間協議の土台を整えたところから、交渉が本格化することになりました。債務再編の交渉は、OCCに正式参加していない中国をはじめとする他の二国間債権国や、国際ソブリン債保有者などの民間債権者との並行交渉を含む、極めて複雑なものでした。OCC設立に至るまでの経緯やその背後にあった多国間の調整については、本誌令和5年6月号掲載の「スリランカの債務再編(デフォルトから債権国会合創設までの歩み)」に詳しく紹介されていますので、そちらを参照いただきたいと思います。2023年11月には、スリランカ政府とOCCの間で債務再編案に関する基本合意が成立しました。
このように債務再編の交渉が進展する中、2024年1月には、鈴木俊一財務大臣(当時)がコロンボを訪問し、ウィクラマシンハ大統領兼財務大臣との間で会談を行いました。この訪問は、2023年11月にスリランカ政府とOCCの間で基本合意された債務再編を着実に履行させる上で、タイミングとして極めて重要なものであり、スリランカ側の国際的信認を高める後押しにもなりました。さらに、会談では、これまで日本が進めてきた経済協力の成果を確認し、経済再建後の新たな協力の方向性についても意見交換が行われました。この訪問は、日本が国際社会の中でスリランカ支援を主導しているという強いメッセージを内外に示す場となり、債務再編の着地に向けた国際的な協調の雰囲気を醸成する上でも大きな意義があったと考えています。とりわけ、債務再編の複雑な調整過程における関係国間との信頼関係の維持・強化という点において、日本の政治的関与が果たした役割は小さくありませんでした。
スリランカ政府は2024年6月、OCC及び中国(中国輸出入銀行)との間でそれぞれ債務再編の最終合意を実現しました。国際ソブリン債についても2024年12月に新債券への転換が実施され、スリランカの債務再編が概ね完了しています。
この間、ウィクラマシンハ大統領は、IMF支援プログラムへの合意と改革の遂行、さらには複雑な債務再編交渉の妥結に至るまで、一連の危機対応を主導し、国際社会から高い評価を受けました。国内では、物価高などから、国民生活の改善が十分に感じられず、必ずしも広範な支持を得るには至りませんでしたが、こうした実務的な対応は、スリランカ経済の安定化に向けた重要な転機として位置付けられます。
日本政府は、危機対応の初期段階から積極的な支援を展開しました。2022年以降、1.1億米ドル超の無償資金援助により医療・食料等の人道分野での支援を行っています。OCCとスリランカ政府が債務再編に最終合意をした後の2024年7月には、デフォルトにより一時停止していた11件の円借款事業の貸付実行を他の債権国に先駆けて再開し、さらに、2025年3月には、スリランカ政府との間で債務再編に関する日本とスリランカの二国間の法的文書をOCCメンバーの中では最初に締結し、支援再開を象徴づけました。
このように、IMF支援プログラムと債務再編という2本柱を通じて、スリランカは社会経済改革と財政再建に取り組み、日本は調整役と支援国の双方の立場から、そのプロセスに継続的に関与してきました。
写真 「鈴木財務大臣(当時)のスリランカ訪問(左から、鈴木財務大臣、筆者、ウィクラマシンハ大統領兼財務大臣)」
5 政権交代と政治改革
2022年7月、経済危機に端を発した大規模な抗議活動は、政権交代をもたらしました。ゴタバヤ・ラージャパクサ大統領は、抗議デモが拡大する中、空路国外へ脱出し、任期途中で辞任を表明。その後、国会での選挙により、ラニル・ウィクラマシンハ首相(当時)が大統領に就任しました。
ウィクラマシンハ大統領は、国民からの支持率が一貫して低い政治家でしたが、それでも、大統領として前任が残した任期を全うし、経済と国際社会からの信頼回復に注力しました。2023年3月にはIMF理事会にて支援プログラムの承認を獲得するとともに、2024年6月には、公的債権国会合(OCC)及び中国との間でそれぞれ債務再編の最終合意に至り、公的二国間債務の再編が実質上ほぼ完了します。これら一連の成果は、前政権では実現困難とみられていたものであり、ウィクラマシンハ大統領は、国際社会からは高く評価されています。
しかし、IMFプログラムによる支援を受けるためには、財政健全化等に向けた改革の実施が条件となっていることから、国民の生活が楽になることはありませんでした。特に中間層・低所得層にとっては、増税や電力料金の引き上げ、輸入品の価格の高騰等が重くのしかかりました。貧困率が2021年の約13%から、2023年には25%近くまで倍増したという世界銀行の報告もあります。国家による最低限の生活保障を当然の権利として享受してきた国民にとって、それが損なわれたことへの失望は、政権への不満を一層強める結果となりました。また、ウィクラマシンハ政権が、ラージャパクサ前政権時代の汚職疑惑のある古い政治家等を引き続き要職に起用し続けたことも、旧体制の継承者として批判を招く要因となりました。
こうした空気の中で迎えたのが、2024年9月の大統領選挙です。この選挙では、左派政党であるJVP(人民解放戦線)を中心とした野党連合「国民の力(NPP)」を率い、反汚職・反既得権益を強く訴えてきたアヌラ・クマーラ・ディサナヤケ党首が勝利し、新たな大統領に就任しました。ディサナヤケ大統領は労働者階級出身で、ラージャパクサ大統領(一家)やウィクラマシンハ大統領のようなこれまでの伝統的なエリート政治家とは一線を画する人物であり、既存政党に対する不信感を抱える有権者から支持を集めました。
続いて行われた2024年11月の議会選挙では、NPPが大躍進を遂げ、国会での議席数をそれまでの3議席から一気に159議席(全225議席中)へと伸ばしました。これは単独過半数を大きく上回る勝利で、既成政治からの脱却や汚職の根絶を求める国民の強い願いが反映された結果で、多くの有権者が、ディサナヤケ大統領に変化への期待を託した選挙だったといえます。
ディサナヤケ大統領の就任以降、政権の姿勢や政策運営の方向性は、これまでとは異なるものとなっています。反汚職・反既得権益は最大の公約の一つで、政権発足後、すでに複数の元政治家や公務員が逮捕されるなど、公約は、実際の行動に移されています。これまでスリランカでは、汚職の存在が広く知られていながらも、それについて公の場で語ることは避けられる傾向にありました。しかし今では、汚職が社会に根深く存在していたという現実を前提に、それを是正する制度構築を堂々と進める雰囲気が国全体に広がっており、政治文化の変化を強く感じさせます。さらに、貧困層向けの社会保障の充実やデジタル経済の基盤構築に加え、環境・社会・倫理の三本柱に基づきクリーンな国家を目指す「クリーン・スリランカ」構想など、新たな政策の展開にも意欲を見せています。
選挙期間中、ディサナヤケ陣営は、実施中のIMF支援プログラムについて国民の負担が重すぎるとして再交渉を主張していましたが、政権発足後は国際約束を尊重する現実路線をとり、結果として、前政権からの対外経済政策の基本方針は継承され、国際社会からの信頼を損なう事態には至っていません。
もっとも、今回の選挙で、初当選したNPPの議員の多くは、大学教授や医師、弁護士など、政治や行政の経験を持たない人々です。こうした議員(大臣になった議員を含む)の手腕は未知数であり、政権運営における不確定要素として残ります。現在のところ、ディサナヤケ大統領とNPPに対する国民の期待は依然高いものの、これまでの選挙で見られたように、もし期待が裏切られれば、次回の選挙で再び民意が大きく揺れ動く可能性も否定できません。中には、今回の政権が成果を上げられなければ、既得権益層の政治家にも戻れず、国として次に選ぶべき道が見えなくなるのではないかと懸念する声も聞かれます。
写真 「アヌラ・クマーラ・ディサナヤケ大統領」(提供元:スリランカ大統領府)
6 今後の展望と日本との関係強化
スリランカ経済は、2023年後半から2024年、そして2025年にかけて、ようやく危機対応の段階から再建、そして成長を模索する段階へと移行しつつあります。GDP成長率は2023年第3四半期に6期ぶりにプラスに転じ、2024年は5%を記録。物価も落ち着き、観光収入や海外労働者からの送金の回復により、経常収支の改善が続いています。さらに、IMFや世界銀行、アジア開発銀行(ADB)からの支援資金の着実なディスバースも進み、外貨準備高は大きく増加。為替レートも安定を取り戻しています。2025年には、自動車の輸入制限が5年ぶりに解除されるなど、経済の正常化に向けた動きが徐々に広がりつつあります。
とはいえ、経済の回復はあくまで脆弱な基盤の上に成り立っており、最大の輸出先(主な輸出品はアパレル)である米国の通商政策など、外的要因の影響を受けやすい構造は依然として残されたままです。今後の見通しにはなお不確実性がつきまとっており、持続可能な経済成長には、新産業育成のための明確な戦略を策定し、それを着実に実行していくことが最大の課題です。
成長戦略の面では、スリランカがこれまで依存してきた観光業、アパレルや紅茶の輸出、海外労働者からの送金といった伝統的な分野に加え、今後は製造業の多様化やITサービス、再生可能エネルギーといった分野での更なるビジネス拡大が期待されています。例えば、再生可能エネルギーの分野では、日本の先進的な技術や制度設計のノウハウを活用する余地があります。2022年には、日スリランカ間で温室効果ガス削減を支援する二国間クレジット制度(JCM)が合意され、スリランカ企業から強い関心が寄せられています。この制度を活用することで、日本の技術を取り入れた低炭素プロジェクトの推進が進み、スリランカの持続可能な発展にもつながっていくと考えられます。また、ITの分野では、若年層の人材としての潜在力が高く、日本企業にとってオフショア開発拠点の候補となり得る存在でもあります。日本への留学、技能実習、特定技能制度を通じた就労への関心も高く、人材関連分野でスリランカへ進出する日本企業が増加しており、今後の人的交流の一層の拡大が見込まれます。
スリランカの地政学的な位置付けを踏まえると、日本が掲げる自由で開かれたインド太平洋(FOIP)の理念に照らしても、同国との関係強化は戦略的な意義があります。中国やインドとの関係をバランスよく維持しながら、日本が信頼を軸とした関与を続けることは、インド洋地域全体の安定にもつながります。
日本とスリランカの経済協力関係は、長年にわたり、空港・橋梁・港湾などのインフラ整備をはじめ、保健医療など幅広い分野でODAを通じて行われてきました。こうした協力は単なる資金援助にとどまらず、現地関係機関との対話を重ねながら、運営や維持管理を含めて取り組む姿勢が徐々に浸透してきたように感じられます。こうした関係の積み重ねが、今日の信頼に基づくパートナーシップの土台になっています。
私自身、現地で多くの政府関係者、企業経営者、そして一般市民と接する中で、「日本は信頼できる」「日本人は誠実だ」といった声を度々耳にしました。そこには、過去の支援への感謝に加え、日本製品や企業の姿勢、さらにはスリランカで普及が進むカイゼンや5S(整理・整頓・清掃・清潔・躾)といった日本式経営手法、そして文化や礼儀作法といった価値観全体に対する敬意が込められているように感じます。
ビジネス環境の整備は、依然として重要な課題です。経済危機の際には、撤退を余儀なくされた日本企業もありましたが、現在ではおよそ90社の日本企業がスリランカで事業を展開しています。今後更なる投資の呼び込みと事業継続を促すためには、予見可能性のある税制や通関制度の整備、手続きの簡素化、それらの適切な運用に加え、ライセンス取得の透明性の向上、紛争の円滑な解決を可能とする司法制度の改善、外貨取引に関する安定的な運用のルールの確立など、制度面での信頼性向上が不可欠です。こうした改革を着実に進めていくためには、日スリランカ両国の官民による緊密な連携がこれまで以上に求められています。
スリランカは規模こそ大きな国ではありませんが、日本の技術や経験を活かし得る分野が多く、また日本に対して好意的な姿勢を持つ親日の国でもあります。スリランカが持続的な経済成長を遂げ、政治の安定が保たれた上で、両国の関係が、信頼関係を土台にさらに深まっていくことを期待しているところです。
以上
写真 「JCM1号案件(ケビティゴレワ太陽光発電所(13.5MW))」(提供元:柴田商事株式会社)
*1) 本稿は全て筆者の個人的見解であり、筆者の所属する組織を代表するものではありません。