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ファイナンスライブラリー

評者:国税庁査察課 木村 元気

丸山 眞男 著
忠誠と反逆―転形期日本の精神史的位相
ちくま学芸文庫 1998年2月 定価 本体1,500円+税

 我が社でよく、「課長にお仕えする」などという。
 転職が当然の世の中で、忠誠があるから反逆もある、そんな「ウェットな」上下関係は珍しくなった。それでも、ふとしたところに香る、「忠誠」という封建道徳の残り香。その最後に残った「忠誠」のDNAの淵源を、振り返ってみる時間もあってよい。
 丸山眞男は、戦後リベラリズムを代表する知識人であり、我々世代には、高校教科書の『「である」ことと「する」こと』で馴染み深い。その丸山が、封建道徳の代表選手の「忠誠」を肯定的に論じているというと、意外だろうか。戦中に「一億玉砕」を叫んでいた人々は、戦後すぐに「一億総懺悔」へと転向した。丸山は、西欧市民社会における「自立した個人」の倫理が日本社会に無いことを指摘する一方、本作では、日本社会のこの道徳的不安定さを、日本社会に内在した価値観――封建道徳の「忠誠」――の中から克服する可能性を求めている。
 丸山は、武士の「忠誠」には、元来、生死を共にする「主人と従者との間の、どこまでも具体的=感覚的な人格関係」が根源にあったと指摘する。それは独立不羈の鎌倉武士が、棟梁の「御恩」に感じて身命を擲つという、一種の能動的な倫理であった。江戸時代には、武士は官僚化して独立性を失うが、それでもその根底には、この能動性があったと丸山はいう。例えば、江戸の武士にとっては、主君の人格への忠義と、より抽象的な原理(e.g.「御家」のため)への忠義が食い違った場合、その二つの「忠誠」は自我の内部で厳しい緊張関係に立つことになるが、この際に生まれるのが「諫奏」(いさめる)という能動的な行動であった。

 (主君への絶対的な忠誠は、)スタティックに受け取るならば、どんな暴君に対しても唯々諾々としてその命に服するという、…卑屈な態度しか出てこない。けれども、…(主君を替えることができないという)一定の社会的文脈の下では、無限の忠誠行動によって、君を真の君にしてゆく不断のプロセスとしても発現する可能性を包蔵する。ここには(中国の科挙知識人的な)「君、君たらざれば去る」といういわば淡白な――その限りで無責任な――行動原則を断念するところから生まれる人格内部の緊張が、かえってまさに主君へ向かっての執拗で激しい働きかけの動因となるのである。いわゆる絶対服従ではなくて諫奏が、こうしてその必然的なコロラリーをなす(p.26)。

 どこまでも主君と運命共同体であればこそ、執拗に「諫奏」し、あるいは主君の命に対し「反逆」するという、個人の能動性・自発性が出てくる(「本来、忠節を存ぜざるものは、ついに逆意これなく候」(『葉隠』)「我家二百年来毛利家に食する…、たとひ当君の御意に反するとは雖、豈黙するに忍ぶや」(桂小五郎))。絶対の忠誠ゆえの反逆という、価値の顛倒を描き出すところに、丸山の天才がある。
 一方で、丸山は、時代を追ってこの「忠誠」のダイナミクスが徐々に官僚制に取り込まれ、組織への従順さに同化していく様をも描いている。「われわれの国の「近代化」は、「封建的忠誠」とその基盤を解体させることによって、同時にそこに含まれたかぎりの「反逆」のダイナミズムをも減衰させ」(p.46)、「「逆焔」のエートスが消失して、スタティックな分限意識や恭順精神の契機だけが新たな「臣民の道」のなかに継受されていった」(p.105)。明治国家は、こうして抽象的な原理に形骸化した「忠誠」を天皇の下に集中させていき、「諫奏」や「反逆」の精神は、社会主義者等の例外を除き薄れていったとされる。
 丸山の議論には賛否がある。武士の「忠誠」は一種の理念型に過ぎないし、また、近代に換骨奪胎された「忠誠」の欺瞞を問うことは必要だろう。それでもなお、「忠誠」という倫理のDNAが、現代の公務員に問いかけるものは重い。
 公務員の「忠誠」は、政府の政策(ひいては「国民の声」)や上司の意向と、自らの信念が異なるとき、最も緊張をはらむ。組織の名分に従うのか、伯夷・叔斉よろしく「君、君たらざれば去る」と潔く官を去るか。はたまた、この「主君」と自分は一蓮托生と思いさだめて、「諫奏」に全てを賭けるか。いずれにせよ、お題目の「志」や「べき論」を超えたところで、この「忠誠」の緊張を自分ごととして引き受け、数百年前の武士と同じく葛藤する中に、我々の倫理もありうるのかもしれない。