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2025年世界から注目される街富山
富山税務署 総務課長 久島 武史

はじめに
 富山税務署が所在する富山市は、富山県の県庁所在地であり、富山県のほぼ中央部に位置しています。南は立山連峰、北は富山湾に面し、東部山地から流れ出る常願寺川、飛騨山地から流れ出る神通川がつくる扇状地の複合平野では、米作を中心とした農業のほか、地域の特色として後発医薬品や配置薬及びその製造設備や容器などの製造業者が集積し「くすりのまち富山」として有名です。
 市内からは、水晶岳、薬師岳など3,000m級の北アルプスの山々を一望することができ、年間約100万人の観光客を集める「立山黒部アルペンルート」の玄関口として、全国的にも知られています。
 富山税務署は、明治29年11月に設置され、明治42年10月に八尾税務署を統合し、現在に至ります。平成17年4月には、旧富山市、上新川郡(大沢野町、大山町)、婦負郡(ねいぐん)(八尾町、婦中町、山田村、細入村)の7市町村が合併し、現在は、富山市1市(管轄面積1,241.7km2、管内人口約403,000人)を管轄しています。
写真 富山市内の景観【写真提供:(公社)とやま観光推進機構】

管内の名所・祭り
[富岩運河環水公園]
 富山駅北地区の新都市拠点整備事業「とやま都市MIRAI計画」のシンボルゾーンとして、富岩運河の船溜まりを整備した面積9.8haの公園です。同公園は平成9年に開園し、日本の歴史公園100選の一つに選ばれています。
 周辺には、B2リーグ「富山グラウジーズ」のホームアリーナでもある富山市総合体育館や、日本や世界の近代・現代アートを収蔵した富山県美術館があり、富山市民のスポーツや文化の重要な拠点でもあります。
 また、公園内には世界的なコーヒーチェーン店の出店もあり、観光客や市民は、水辺の景色を見ながら、リラックスしてコーヒーを楽しむことができます。4月から11月にかけては、遊覧船で運河の景観を楽しむこともでき、その一部は現在も運用されているパナマ運河方式の「中島閘門(なかじまこうもん)」(国指定重要文化財)を通過して、歴史的な港町である岩瀬地区まで運航しています。
写真 富岩運河環水公園【写真提供:(公社)とやま観光推進機構】
写真 中島閘門【写真提供:(公社)とやま観光推進機構】
[岩瀬地区]
 富山市の中でも、レトロな雰囲気が漂う港町で、特に廻船問屋や蔵が並ぶ古い街並みと試飲ができる酒蔵が魅力的です。最近では、クラフトビールの醸造場を併設したパブ、フレンチやイタリアン、和食など実力のある料理人たちが集まっています。
 レトロな港町への移動手段は、富岩運河環水公園発の遊覧船と日本初の本格的なLRT(次世代型路面電車)がおすすめです。
写真 岩瀬地区【写真提供:富山市観光協会】
[富山キラリ]
 現国立競技場の設計でも知られている隈研吾氏が設計した建物で、富山市ガラス美術館と、富山市立図書館本館が入居しています。
 立山の氷の岩肌を表現した美しいガラスアートのようなキラキラと光るファサード(外観)を持った建物で、「ガラスの街とやま」の新しいランドマークです。
 室内には、大きな斜めの光の筒が貫いています。富山産の杉、ガラス、鏡で光が柔らかく反射して、まるで森の中にいるような感覚になります。
写真 富山キラリ(内観)【写真提供:富山市観光協会】
[越中八尾おわら風の盆]
 富山市八尾地域で立春から数えて二百十日の9月1日~3日にかけて毎年行われている富山県を代表する祭りです。
 およそ300年余りの伝統を持ち、全11町が数千のぼんぼり、まん灯及びまん幕で飾られた風景は、非常に幻想的です。
 揃いの法被や浴衣姿の踊り手は、編笠の間から顔を少し覗かせながら、哀愁を帯びた三味線、胡弓、太鼓などの音色と味わいのある唄に合わせて情緒豊かに踊ります。
写真 おわら風の盆【写真提供:(公社)とやま観光推進機構】

富山のグルメ
[寿司といえば、富山]
 富山湾では、3,000m級の立山連峰から注ぎ込む栄養分豊富な水や湧水により、500種類以上の魚介類が育まれており、「天然のいけす」と呼ばれています。水深1,000mを超える深海が海岸すぐの沖合にあり、近くの漁港では、寒ブリや白エビ、紅ズワイガニなどの新鮮な海の幸が、水揚げされています。
 立山連峰の雪解け水が、富山平野の水田を潤すことで良質な米が育ち、新鮮な魚との相性も抜群です。
 駅弁でも有名な「ます寿し」は、市内に数多くのお店があり、その味付けや製法の違いから、市民にはそれぞれお気に入りがあります。富山の寿司を是非とも富山の地酒と一緒に召し上がって下さい。
写真 ます寿司【写真提供:(公社)とやま観光推進機構】
[昆布〆(こぶじめ)]
 国内で採れる「昆布」はそのほとんどが北海道産であるにもかかわらず、「昆布」の採れない富山市は、昆布の年間消費量がトップクラスです。その理由の一つは、海上交通が盛んになった江戸時代に遡ります。当時、富山(越中)は北前船の重要な寄港地の一つであり、運ばれてきた「昆布」が食生活に馴染んでいったのではないかと言われています。
 富山湾で採れた新鮮な魚の刺身を昆布で挟んだ「昆布〆」は、昆布の旨味が魚に染み込み、その身は熟成されるなど美味しさが加味されます。富山市民が「サス」と呼ぶカジキが定番ですが、タイやヒラメなどの白身魚のほか、富山名産の白エビの昆布〆も好評で、スーパーや飲食店、お土産などでその味を堪能することができます。
写真 白エビ昆布〆【写真提供:(公社)とやま観光推進機構】
[ブラックラーメン]
 富山を代表する知名度を誇るご当地ラーメンといえば、「富山ブラック」ではないでしょうか。
 そのルーツは、1950年代に富山市内の復興事業などに従事していた肉体労働者の塩分補給などを目的として、醤油を濃くしたラーメンが作られたことにあると言われています。その当時、白飯を持ち込んでラーメンをおかずとして食べるスタイルが定着し、現在でも、ラーメンとライスをセットで注文するお客が多いです。醤油の濃度が濃く黒っぽい見た目のスープが特徴で、そこから「富山ブラック」と呼ばれるようになりました。麺は太麺で、大量の粗挽き胡椒がかけられていることが一般的です。
写真 富山ブラック【写真提供:富山市観光協会】

おわりに
 富山市は、今年ニューヨーク・タイムズが発表した「2025年に行くべき52か所」の一つに選定されるなど、全世界から大注目の地方都市です。
 美しい自然と伝統文化、美味しい料理を育んできた、レトロで新しいAMAZINGな街でTOYAMAの「本気」を体験してください。


文化、自然、産業など、バランスが取れた街【南加賀】
小松税務署 総務課長 岩本 逸郎

はじめに
 小松税務署は、石川県の南部に位置する小松市、加賀市、能美市、能美郡川北町の3市1町(南加賀と総称されます。)を管轄し、明治29年11月に設置されました。
 東には日本三名山の一つである「霊峰白山」がそびえ、その裾野には緑の丘陵地、そして田園、平野が広がり、西の日本海に面しています。
 税務署が入居する小松日の出合同庁舎の7階ランチルームからは、白山山系が一望でき、冬の晴れた日は、冠雪した白山山系と青い空とのコントラストが最高です。
写真 庁舎から見た白山

安宅の関
 「安宅の関(あたかのせき)」は、歌舞伎十八番の内「勧進帳」の舞台として知られています。日本海を臨む松林の中にひっそりと関址の石標が立ち、弁慶と義経、関守富樫の銅像が潮風を受けて訪れる人に往時のロマンを語っています。
 近くの「安宅住吉神社」には「全国唯一の難関突破の守護神」が祀られ、関所を突破した義経一行にあやかって人生の様々な難関を乗り越えるため、御祈願やお守りを受けようと、全国から毎日多くの人が参拝に訪れます。
写真 弁慶と義経、関守富樫の銅像

那谷寺
 那谷寺は養老元年(717年)に白山を開いた泰澄大師が岩窟に千手観音を安置したのが始まりと伝えられる真言宗の名刹です。当時は「岩屋寺」と呼ばれていたそうですが、平安時代に花山法皇が参詣した際に、「私が求めている観音霊場三十三ヶ所はすべてこの山にある」と言われ、西国三十三所一番の「那智」と三十三番の「谷汲」の山号から一文字ずつ取り、「那谷寺」と改名されたそうです。
 悠久なる時を経て形成された「奇岩遊仙境(きがんゆうせんきょう)」や阿弥陀三尊をあらわす「三尊石(さんぞんせき)」などが境内に広がり、自然の雄大さを感じさせる景色を俳聖・松尾芭蕉が褒め称え、「石山の 石より白し 秋の風」の名句を残しています。
写真 奇岩遊仙境(きがんゆうせんきょう)

加賀温泉郷
 山中、山代、片山津及び粟津の4温泉は全国でも有数の温泉郷を形成しており、さらりとした泉質は、体の芯までしみわたり身も心も潤します。
 清らかな大聖寺川の渓谷沿いに純和風の旅館やホテルが並ぶ「山中温泉」は、開湯1,300年を誇り、「扶桑三名湯」と称して愛した松尾芭蕉をはじめ、古くから多くの文人墨客たちが訪れたそうです。景勝地「鶴仙渓」は四季折々の風情あふれる自然美だけでなく、川床では、山中出身の料理人「道場六三郎」氏レシピのスイーツが堪能できます。
 三本足のヤタガラスが発見された伝説が残ることから、ヤタガラスが温泉のシンボルマークとなっている「山代温泉」は、加賀の中でも昔ながらの温泉文化が色濃く残っており、「総湯」と呼ばれる共同湯場を中心に温泉宿や商店が立ち並ぶ「湯の曲輪(ゆのがわ)」という街並みが今なお残されています。
 時間や天候の移ろいにより、日に七度色を変えると言われる柴山潟湖畔にある「片山津温泉」は、潟の水面に水鳥が群れていたことから湖底の温泉を発見したと伝えられています。使用松材三万本、埋立面積一町歩に及ぶ大規模な埋立工事により、ようやく人々が温泉入浴できるようになったそうです。
 文武天皇の勅使として鎮護国家の法師となった泰澄大師によって開湯した「粟津温泉」は、加賀藩三代藩主・前田利常にも愛され、那谷寺への参拝に訪れた際に、粟津に立ち寄り植えたと伝えられている黄門杉が今も温泉街を見守っています。
写真 山代温泉古総湯

製造業
 北陸新幹線の小松駅を下車すると、超大型ダンプトラック「930E」と超大型油圧ショベル「PC4000」がすぐそばに鎮座しています。
 小松市は、産業機械の世界的トップメーカーである(株)小松製作所(本社:東京)創業の地です。世界最高水準の建設機械メーカーが求める多種多様な部品を供給するために技術力を磨いた協力企業などによって、小松市とその周辺には機械産業を中心とした産業クラスターが形成されました。一方、地域の産業集積と技術力により隣接分野に新たな製造業も発展し、日本一のシェアを誇るパーティションメーカー、世界的な電子部品メーカー、日本有数のバス製造メーカーやそれらの関連企業が立地するなど、日本海側でも有数の産業集積が広範に進んでいます。
写真 超大型油圧ショベル「PC4000」と超大型ダンプトラック「930E」

繊維産業
 日本海側の気候区分に属する南加賀は、多雨多雪地帯であり、白山山系を源とする手取川の豊富な水量や梯川(かけはしかわ)の清流が日本海へと注ぎます。この1年を通して湿潤な気候、豊富な水資源といった繊維織物製造にとって最高の条件に恵まれ、古くから絹織物が育まれ、栄えてきました。
 その後、時代の変化に対応して、ナイロン、ポリエステル繊維等の合成繊維織物やニット等へと製品の多様化を図り、近年では、衣料分野のほか、航空機や産業分野の構造材料などの炭素繊維での市場開拓を進めており、衣料分野特化からの変化を図っています。

九谷焼
 令和7年2月の日米首脳会談にあわせて石破総理大臣からアメリカのトランプ大統領に九谷焼の花瓶が贈られました。
 九谷焼は陶石と言われる石の粉を原料にした磁器ですが、江戸時代初期に、大聖寺藩主前田利治(加賀藩3代藩主前田利常の三男)の命を受けて有田で製陶を学んだ後藤才次郎が、江沼郡九谷村(現加賀市)で窯を築いたのが始まりとされています。
 五彩で描いた美しく、力強い大胆な色絵は「古九谷」と呼ばれ、世界的に高い評価を受けています。
 この「古九谷」は、約50年で姿を消してしまいますが、それから約100年後、加賀藩が京都から陶工青木木米を招き、九谷焼の復興を始め、金沢の春日山窯や小松の若杉窯など、数多くの窯が林立して現在に至ります。
 その伝統は今日にも脈々と受け継がれており、最近では色も九谷五彩にとらわれず、図柄も花鳥山水ばかりでなく、モダンアート風のものまでその画風は多岐にわたり新しい美の可能性を広げようとしています。
写真 九谷焼

小松うどん
 その昔、松尾芭蕉も好んだという記録が残る小松うどんは、細目で程よくコシがある麺と魚の節や昆布を使ったあっさり味のダシが特徴です。
 麺は小松市内で製造されたもの、仕込みは白山水系の水を使うなど、小松うどん定義八か条を満たした七十数店舗が店ごとに工夫を凝らしたうどんを提供しており、中でも肉うどんがおすすめです。
写真 小松うどん

塩焼きそば
 65年前に一軒のお店から始まった塩焼きそばは、その店の店主が、小松にはない美味しい料理を求めて、日本全土を旅して回り、そうして出会った「チャーメン」という中国の炒めそばを基に更なる美味しさを追求して誕生したそうです。
 太麺にたっぷりの野菜とこってりとした絶妙の塩加減がクセとなり、小松市民のソウルフードとして愛されています。
写真 塩焼きそば

■おわりに■
 北陸新幹線が開業した小松駅周辺では、新たな複合施設が建設されるなど、ますますの賑わいを見せていますので、北陸を訪れる機会がありましたら、ぜひ南加賀へきまっし。
(写真提供:一般社団法人こまつ観光物産ネットワーク、加賀温泉郷公式観光サイト)


悠久の歴史と風土が活きるまち~御食国(みけつくに)若狭おばま~
小浜税務署 総務課長 瀧野 修平

はじめに
 小浜税務署は、明治42年に高浜署と雲浜(うんぴん)署の合併により新設され、福井県南西部に位置する小浜市、大飯郡(高浜町及びおおい町)の1市2町(管轄面積517km2、管内人口約45,000人)を管轄しています。
 北は若狭湾に面し、海岸線は日本における典型的なリアス海岸で、南は東西に走る京都北部一帯に連なる山岳がそびえています。
 北陸新幹線の金沢開業から10年、敦賀延伸から1年が経過したところですが、今後、延伸が予定されている未着工区間(敦賀-新大阪)について、小浜・京都ルートの早期開業を実現するため、地元自治体や経済団体などが連携して活動しています。

管内の産業
[地形を活かした主要産業]
 農林漁業等の第一次産業が多く、小浜漁港には水産加工業が集中しているほか、小浜湾・若狭湾周辺には、海水浴客、観光客、釣り客等を相手に、日本海の四季折々の味覚を提供する民宿、旅館が数多く営業しています。
 また、おおい町には、日本最北端の真珠(若狭パール)の養殖場などがあります。

[若狭塗箸をはじめとした伝統工芸品]
 若狭塗は、400年の歴史を誇り、漆を十数回塗り、貝殻・卵殻・金箔で模様を付け、石や炭で研ぎ出し、数か月程を要して作られる優雅な漆器であり、塗箸の全国生産の約8割を占めています。
 その他、小浜を代表する工芸品に「若狭和紙」、「若狭めのう細工」などもあります。
写真 若狭塗箸

[原発]
 若狭湾に突き出た半島が多く水に恵まれ、電力の一大消費地である関西圏に近いという立地条件から、関西電力の「高浜発電所(原子炉4基、総出力339万kw)」、「大飯発電所(原子炉4基、総出力471万kw)」が設置されています。
 また、大飯発電所建設にともなう原電道路の一部として、小浜湾上に作られた海上橋「青戸の大橋(全長743m)」なども地域の名所となっています。
写真 高浜原発

管内の名所
[若狭湾国定公園]
 小浜湾の東に突き出た内外海(うちとみ)半島の先端、久須夜ヶ岳(くすやがだけ)の北の山脚が外海に洗われてできた景勝地は「蘇洞門(そとも)」と呼ばれ、押し寄せる波が作り上げた長さ6kmに及ぶ断崖絶壁と数々の奇岩、洞門が、時折現れる滝と美しい松に映える絶景を織り成し、日本海側有数の景勝地となっています。
 また、平成28年4月に若狭和田ビーチが、国際環境教育基金が行う、優れたビーチやマリーナを認める環境認証「BLUE FLAG」を日本で初めて取得するなど、管内には数多くの海水浴場やSUP体験のできるスポットなどもあり、至る所で美しい海を体感することができます。
写真 蘇洞門

[青葉山(若狭富士)]
 管内の高浜町と京都府舞鶴市にまたがる青葉山(標高744m)は、富士山に似た形状をしていることから、「若狭富士」と呼ばれて親しまれています。
 登山やハイキングに人気のスポットであり、山頂からは小浜湾など周辺の景色が一望できます。
写真 青葉山(通称「若狭富士」)

[海のある奈良]
 古代より日本海の恵みを受け、都との交流も盛んであった若狭では、都の高度な技術で作られた、優れた仏像や寺院建築が数多く見られます。本堂と三重塔が国宝の明通寺や、奈良東大寺で行われる神事「お水取り」に先立ち、名水百選に選ばれている「鵜の瀬」で厳かに繰り広げられる「お水送り」で有名な神宮寺等があります。神事において、お水を送る小浜は、「お水取り」が行われる奈良に例えて、「海のある奈良」と呼ばれています。
写真 明通寺

御食国(みけつくに)の食文化
 小浜市は、古くから朝廷に租・庸・調とは別に「贄(にえ)」と呼ばれる食料を献上する「御食国(みけつくに)」として、若狭湾で水揚げされる海産物をはじめ様々な食材を納めたとされています。
 また、その昔、若狭湾で水揚げした海産物が人の背に担われ、峠を越えて京の都へと多くの物資が運ばれ、運搬品の中で鯖が特に注目されたことから、近年これらの道を称して「鯖街道」と呼ぶようになり、小浜市はその起点とされています。
 これらの歴史も背景に、小浜市は「食のまちづくり」に取り組んでおり、味覚の宝庫とされる若狭湾の鯖をはじめ若狭ぐじ(甘鯛)、若狭カレイ、若狭ふぐ、カニなど恵まれた海の幸を使った料理はどれも絶品で、焼き鯖ずしや鯖缶といったお土産も人気です。
写真 若狭ぐじ
写真 焼き鯖ずし

おわりに
 ざっと、ご紹介してきましたが、豊かな自然をはじめとした様々なスポット、充実したグルメなど「小浜ならではの体験」は、まだまだあります。
 見(味)どころ満載な「若狭おばま」へ、ぜひ足をお運びください。