財務総合政策研究所 副所長 鈴木 孝介
財務総合政策研究所調査統計部 統計企画係長 櫻井 智章
1 はじめに
今般、地政学的な動向や各国通商政策の展開により、世界経済の先行きに対する不透明感・不確実性の高まりが注目されている*2。従前より、先行きに関する不確実性の変化は経済主体の行動に様々な影響を与えると考えられてきたが(Knight(1965))、近年、未知の感染症が未曾有の規模に拡大したコロナ禍下において家計や企業の期待形成が極めて困難となったことを受け、後述するように不確実性に関する実証研究に高い関心が寄せられている。
一般に先行きに対して家計や企業が有する不確実性を直接捉えることは難しく、これまでの研究の多くは、株価のボラティリティや各種経済指標の見通しに対する予測誤差等の代理変数を通じて、不確実性を間接的に捉えようとしてきた。一方、企業における主観的な不確実性が直接把握可能なものとして法人企業景気予測調査(内閣府・財務省、以下「予測調査」)がある。同調査では、回答企業における自社や国内の景況感を調査しており、当期、翌期及び翌々期に関する景況判断を「上昇」、「下降」、「不変」、「不明」の中から一つ選択する形で尋ねている*3。我が国の企業や家計の景況感については様々な機関がDiffusion Indexなどの指標を公表しているが、「不明」を含むものは著者らが調べた範囲では見当たらず、予測調査のデータは極めてユニークである*4。また、Morikawa(2018)及び森川(2022)は、予測調査における不明の回答は、企業が直面する主観的不確実性を把握する上で有用であると結論付けている。
不確実性が企業活動に影響を与えることは、これまでの多くの研究において明らかにされている。例えば、見通しに対する不確実性が高い状況においては、企業は設備投資への資金配分を減らし、安全資産である現金・預金の保有比率を高める傾向にある、といったことが挙げられる(増田(2020)、藤谷他(2022)、森川(2022)、山口(2024)など)。予測調査によると、2008年の世界金融危機や2020年の初頭に始まった新型コロナウイルス感染症の流行を機に、自社の景況感に対する不明の割合が大幅に増加した(図1 貴社の景況「不明」の推移(全産業×大企業)(予測調査結果より、後方4期平均を算出))。特に、コロナ禍初期の増加幅は大きく、その後、落ち着いたものの依然としてコロナ期前よりも高い水準で推移している。また、同推移は、現金・預金や設備投資の推移との関連が見られる。特に、設備投資との関連は顕著であり、2008年以降、両者は概ね逆の動きをしていることがわかる(図2)。これに対し、現金・預金は、関連は弱いものの、世界金融危機以降、増加に転じたことや、コロナ禍初期における大幅な増加など、自社の景況感不明の変化点で大きく変化しており、両者の関連がうかがえる(図2 貴社の景況「不明(翌々期)」(予測調査)、設備投資比率※(法企調査)及び現金・預金比率※(法企調査)の推移(全産業×大企業)、後方4期移動平均 ※定義は、付録を参照されたい。)。もっとも、コロナ期における現金・預金の増加は、給付金など政府による支援策の影響を受けている可能性がある(内閣府(2023))。このようなことから、主観的不確実性が企業活動に与える影響を把握することは重要なテーマであると言える。本稿では、先行研究を基に、予測調査及び法人企業統計調査(財務省、以下「法企調査」)の公表結果を用いて、景況感の見通しに対する不確実性が国内企業の設備投資に与える影響を簡便な方法で分析した結果について紹介する。
本稿の構成は以下のとおりである。第2節で関連の先行研究を概観し本研究の意義を明確にする。第3節で分析の枠組み、第4節で分析結果を述べ、第5節でまとめと展望を示す。
2 先行研究
不確実性に関する研究は多岐に亘るが、ここでは、日本における最近の研究を概観する。同分野の包括的な解説は、藤谷他(2022)、山口(2024)、森川(2025)などを参照されたい。
経済主体が直面する不確実性を把握するには、経済主体が持つ将来の予測に対する主観的確率を直接尋ねることが有効とされている(Manski(2018))。しかし、これを行うことは一般に困難なため、不確実性を間接的に把握するための様々な代理指標が開発されてきた。山口(2024)、森川(2025)は、不確実性に対する代理指標を以下の4つに分類している:(1)株価等のボラティリティを指標としたもの、(2)新聞報道におけるキーワードを元にしたもの、(3)エコノミスト等による経済予測の予測誤差を指標としたもの、(4)ビジネスサーベイデータに基づく企業の事後的予測誤差を指標としたもの。(1)~(3)は、主にマクロレベルの不確実性指標からなる。(1)の代表例としては、VIXなどの株価指数のボラティリティが挙げられる。また、(2)の例としては、新聞・雑誌における経済に関する「不確実性」などの用語を含む記事の割合から作成される指数がある(例えば藤谷他(2022))。当該指数は、財政や金融などカテゴリーごとの指標作成なども可能であり、国際比較も容易といった特長がある。一方、(4)はミクロレベルの指標であり、業況に対する企業の予測と実績の差(事後的予測誤差と呼ばれる。)のばらつきにより定式化される。具体例として、山口(2024)による、日本政策金融公庫総合研究所が実施する全国中小企業動向調査及び中小企業景況調査の個票データを利用した研究が挙げられる。同調査では、業況判断や売上などの今期の実績とともに、来期以降の予測を尋ねているが、山口(2024)は、連続して調査対象となった企業の個票データを利用し、業況判断の来期に対する今期の予測と、来期の実績との乖離の標準偏差を不確実性指標としている。
これに対し、不確実性の直接的な把握についてもいくつかの試みが行われている。ここで、不確実性は、将来の見通しに対する主観的確率が事前に分かっている「リスク」(例えば、自社売上に対する予測分布が事前に想定できる場合)と、主観的確率が不明なナイト流不確実性に分類される。一つ目のリスクを直接計測する方法としては、例えば、経済成長率見通しに関する企業の主観的確率を、アンケート調査により直接把握するものがある(Morikawa(2021))。一方、二つ目のナイト流不確実性を把握した事例は少ないが、例えば、来期の売上が上昇する確率が、一つの数値ではなく区間で報告された場合をナイト流不確実性として扱ったものがある(Bachmann et al.(2020))。また、本稿の冒頭で述べた予測調査の判断調査項目に対する回答のうち、「不明」は先行きの方向性がわからない状態を表しており、森川(2022)は、これは企業がナイト流不確実性に直面しているものと解釈できるとしている。また、Morikawa(2021)は、「不明」の回答割合は、企業が直面する主観的不確実性を把握する上で有用性が高いと述べている。なお、森川(2022)が指摘しているように、ナイト流不確実性は、「上昇」、「不変」あるいは「下降」とまでは判断できてもその主観的確率が不明な状態も含むため、先行きの方向性がわからないだけの状態は、ナイト流不確実性を狭義に捉えている可能性がある。
以上、不確実性の計測に関する研究を概観したが、本稿の冒頭でも述べたとおり、不確実性が企業活動に与える影響については、近年、多くの関心を集めている。特に、不確実性の増大が設備投資に与える影響に対する関心は高く、多くの研究者が、不確実性の増大は個々の企業の設備投資と負の関係があることを報告している(Morikawa(2018)、藤谷他(2022)、森川(2022)、山口(2024))。
本稿では、企業が直面する主観的不確実性に対する代理指標としての、予測調査における判断項目の回答「不明」の割合が、設備投資に与える影響を分析した。この点において、本研究は、Morikawa(2018)及び森川(2022)の流れを汲むものであるが、先行研究が個々の企業が直面する不確実性とその影響に着目しているのに対し、本稿では集計データを用いることで、不確実性の程度がマクロとしての投資活動にどのような影響を及ぼしているか分析をした。また、設備投資の決定要因は企業規模や財務状況により大きく異なることが、多くの研究により明らかにされており(花崎・羽田(2017)*5、福田(2017)*6、土屋(2021)*7など)、本研究では、各種財務指標の影響を考慮した分析を行った。具体的には、花崎・羽田(2017)及び土屋(2021)が設定したトービンのq理論をベースとした設備投資関数を集計データに適用し、予測調査における判断項目の回答「不明」の割合を新たな変数として加えたモデルによる分析を行った。以上の点が、本研究の主な貢献である。また、先行研究はいずれも、個票データを用いたミクロ分析であるが、集計値レベルのデータを用いても、ある程度の意義のある結論が導けるという点において、本研究の貢献は少なくないといえる。
3 分析の枠組み
既述のとおり、本研究では、トービンのq理論に基づく設備投資関数に、不確実性指標を変数として組み入れている。ここで、トービンのqは、株式市場で評価された企業価値の、企業の有する資本ストックの再取得価格に対する比として定義される。しかしながら、多くの企業、特に中小企業については分子に当たるデータは一般に得られない。これに関して、花崎・羽田(2017)及び土屋(2021)では、財務情報を用いたトービンのqの代理変数を提示している。本研究では、法企調査の公表データを用いて上記研究と同様の代理変数を構築した。一方、不確実性指標には、森川(2022)に倣い、予測調査の判断調査項目「貴社の景況」及び「国内の景況」に対する、翌期及び翌々期における回答「不明」の割合を使用している(以下、それぞれ「自社不明」、「国内不明」)。本研究では、これに加え、不確実性指標として、予測調査における他の判断項目、「生産・販売などのための設備」に対する、翌期末及び翌々期末における回答「不明」の割合も使用した(以下、「設備不明」)。企業が設備投資を行うかは、設備の過不足感に対する見通しに左右されると考えるのは自然である。実際、設備の過不足感を尋ねる判断項目「生産・販売などのための設備」の回答「不明」の割合と、設備投資との間には強い関係が確認できる(図3 設備投資比率と投資不明(翌々期末)の推移(全産業、大企業)、後方4期移動平均)。
本稿の分析では、法企調査及び予測調査の公表結果から、業態×資本金規模別の疑似パネルデータを作成し、固定効果モデルによるパネルデータ分析を実施した。なお、第2節で述べたとおり、本研究では、個票データではなく、上記2つの調査の公表結果を利用している。分析に利用したデータ及びその取扱いは、以下のとおりである。分析モデルについては、「付録 設備投資関数」を参照されたい。
〈分析に利用したデータ〉
法企調査及び予測調査の公表結果から、「製造業、非製造業」×資本金規模別の擬似的パネルデータを作成した。ここで、資本金規模は、大企業(資本金10億円以上)、中堅企業(資本金1億円以上10億円未満)、中小企業(資本金1億円未満)の3区分とした。利用したデータは、以下のとおりである。なお、予測調査は金融業、保険業を含む結果であるのに対し、法企調査は金融業、保険業を除く結果を利用した*8。参考として、表1 法企調査における業種・規模別母集団数に、業態×規模別の法企調査母集団数を掲載する。
◆法人企業統計調査四半期別結果(2004年4-6月期結果~2024年1-3月期結果)
◆法人企業景気予測調査(2004年4-6月期結果~2024年4-6月期結果)
4 分析結果
最初に基本モデル(モデル式1)の推定結果について述べる。表2 自社不明の効果~4 設備不明の効果に、モデル式1の推定結果を掲載する。各表は、それぞれ、自社不明、国内不明、設備不明を不確実性指標としたモデルの推定結果である。なお、表2~5 自社、設備不明の効果:交差項モデルに掲載したwithin R2は、時間ダミーを含む参考値であることに注意する。また、本稿では不確実性指標の推定結果を中心に記述する。全般的に、いずれもモデルの当てはまりは比較的良好であり、資本コスト(ただし翌期では符号が理論と異なり正となった)と現金・預金比率の説明力が弱いことを除けば他の財務指標については概ね有意である。また、自社不明、国内不明及び設備不明いずれの結果も、翌々期の不確実性指標の符号は負で有意となっている。
以上のとおり、翌期を不確実性指標とした分析では、期待した結果は得られなかったものの、翌々期を不確実性指標とした分析では、先行きの不確実性が企業の設備投資を抑制する傾向があるという、Morikawa(2018)及び森川(2022)の結果を支持する結果が得られた。
一方、不確実性指標が設備投資に及ぼす影響は、業種や企業規模によって異なる可能性が考えられる。例えば長期的な観点からの投資が多い企業は短期の不確実性の増減には影響されにくいかもしれない。そこで次に、業種・規模による不確実性の影響の違いを考慮したモデル(モデル式2)による推定を行った(表5)。ここでは、自社不明及び設備不明の翌々期のみを不確実性指標として用いた結果を示すが、国内不明でも同様の結果が得られている。なお、「自社_2」は自社不明を、「設備_2」は設備不明を不確実性指標とした結果である。モデル式1と同様に、いずれも説明力は高い。不確実性指標の推定結果をみると、ベースラインである非製造業・中小企業の不確実性指標の係数は符号が正となったが有意ではなく、他の部門に関しては符号が負で、非製造業・中堅企業を除くとベースラインより大きい値となった。また、大企業を除くと非製造業に比して製造業の係数が大きくなっている。これは、製造業は海外との貿易の規模が大きく、各国の経済社会情勢や為替の変動などを通じた不確実性の影響を受けやすいことと関係しているものと考えられる。一方、上記の推定結果は、非製造業の中堅・中小企業における設備投資の判断は、他の企業部門とは異なり、先行きに対する不確実性の変化の影響を受けにくいことを示唆している。しかしながら、このことは非製造業の中堅・中小企業が不確実性に対して耐性があることを意味するものではない。非製造業の中堅・中小企業は他の部門に比べて設備投資の水準が低く、また変動も少ない。これは、一度新しい機器を導入したら長期間更新しないなど、投資の頻度が小さく、不確実性の変化に応じて投資判断を行う局面が少ないことを反映している可能性がある。また非製造業では製造業に比して投資額が小さく、不確実性に応じた投資の動きが、推定される係数に現れにくいことも考えられる。
さて、不確実性指標はコロナ期に大きく変化しており、これが結果に影響を与えている可能性がある。そこで、コロナ期前までのデータを利用した頑健性の確認をする。表2~5に、2019年10-12月期までの結果を利用した結果を掲載する。不確実性変数の有意性については、全期間のデータによる結果と同様である。係数の推定結果を見ると、全期間による結果よりもやや大きい傾向にある。これは、コロナ期においては、国内の全ての企業で共通して業績が悪化したことが時間ダミーに取り込まれたことが影響したものと考えられる。
最後に、不確実性指標以外の変数の結果を見ると、既述のとおり資本コスト及び現金・預金比率の有意性が低いことが確認できる。これは、今回の分析で使用したデータが集計値であったため、個別企業の状況を十分に反映できていない可能性が考えられる。また、金利水準などの影響を受ける資本コストについては、部門による違いが小さいため、同変動が時間ダミーとして捉えられ、有意性が低下し、特に翌期を不確実性指標とした結果では、理論と不整合となった可能性がある。参考として、自社不明の翌期について時間ダミーを含まないモデルによる推定を行ったところ、統計的有意性はないものの、資本コストの符号は負となった(付表(左))。ただし、within R2は、表2に掲載した結果よりも小さめである。なお、推定期間が2019年10-12月期までの結果を見ると、自社不明の翌々期ではモデル1、2ともに資本コストの説明力が高くなっており、現金・預金比率とともに有意となっている。また、参考として、資本収益率(ROA)と資本コスト(R)を分解せずに、比(ROA/R)のまま利用したモデルの推定も行った。付表(右)に掲載した結果を見ると、トービンのqの代理変数は有意となり、符号も正で、理論と整合的である。他の変数の結果を見ると、現金・預金比率(CASH)の説明力が弱いものの総じて有意となった。
図4~9に、設備投資の公表値と推定値の比較図を掲載する。同図には、業態・規模別の、自社不明及び設備不明の翌々期を不確実性指標とした結果を掲載している。業態及び規模により異なるが、全体的な傾向は、公表値と整合的ある。一方で、世界金融危機や、コロナ期の結果を見ると、公表値との乖離が他の期間と比べてやや目立つ結果となった。これは時間ダミーが部門共通となっていることも影響している可能性がある。
5 まとめと展望
本研究では、統計の公表値を利用した分析を行ったが、集計値レベルであっても、自社の景況感における先行きの不確実性は、設備投資を抑制しうる可能性が示唆された。この結果は、個別企業レベルでも自社の景況感の先行き不確実性は当該企業の設備投資を抑制する傾向があるという、Morikawa(2018)及び森川(2022)の結果と整合的である。このことは、設備投資を促進する観点からは、企業の間の先行き不透明感を少しでも抑制することが重要ということを意味している。また、生産・販売などのための設備に対する「不明」の割合は、貴社の景況に対する「不明」の割合よりも低いものの、両者はほぼ同様の動きを示しており、前者の拡大も設備投資を抑制する効果を有することが示唆された。一方、不確実性の影響の部門毎の違いについては、非製造業の中堅・中小企業では上記2つの効果は認められなかった。これは、非製造業の中堅・中小企業の投資額や頻度が他の部門に比べて少ないことにより、不確実性の変化の影響を受けにくいことを反映している可能性がある。
最後に今後の課題について述べる。今回の分析は簡便なものであり、結果の解釈にあたっては留意が必要であるが、それらは今後の検討課題にもつながるものである。まず、今回は6部門に分割しているが集計値による分析であり、業種による違いなどは分析できていない。個票データによる詳細な分析が有用であろう。また、不確実性指標以外の変数については有意でないものもあり、特に不確実性が現金・預金比率など他の企業行動に与える影響についての検討は分析の精緻化に資すると考えられる。国内と自社の景況感の不確実性の間にはマクロレベルで強い相関があるが、今回の分析では違いが見られなかったものの、個別企業レベルでは設備投資への影響は異なっているとの指摘もあり(森川(2022))、この点を更に分析することは昨今の不確実性の高まりの影響を把握する上でも有益であろう。
参考文献
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藤谷 涼祐, 服部 正純, 安田 行宏 (2022), 経済政策の不確実性と企業行動-先行研究のレビューと日本企業の投資行動の検証-, 一橋大学経済研究所「経済研究」, Vol.73, No.4, pp.289-305.
福田 慎一(2017), 企業の資金余剰と現預金の保有行動, 財務省財務総合政策研究所「フィナンシャル・レビュー」, 通巻第132号, pp.3-26.
増田 公一(2020), 日本企業における現預金の保有に関する一考察―近年の実証研究のサーベイ―, 「千葉経済論叢」, 第63号, pp.63-79.
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森川 正之(2025), 不確実性と日本経済 計測・影響・対応, 日本経済新聞社.
山口 洋平(2024), 中小企業を取り巻く不確実性, 「日本政策金融公庫論集」, 第64号, pp.1-25.
R. Bachmann, K. Carstensen, S. Lautenbacher, M. Schneider (2020), Uncertainty is more than risk – Survey evidence on Knightian and Bayesian firms, unpublished manuscript.
F. Knight (1965), Risk, uncertainty and profit, Harper Torchbooks, New York.
C. F. Manski (2018), Survey measurement of probabilistic macroeconomic expectations:Progress and promise, NBER Macroeconomics Annual 2017, pp.411-471.
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M. Morikawa (2021), Uncertainty of firms’ economic outlook during the COVID-19 crisis, RIETI Discussion Paper Series, 21-E-042.
付録 設備投資関数
本研究で使用した設備投資関数は、花崎・羽田(2017)及び土屋(2021)によって提案されたトービンのqモデルに基づくものである(モデル式1)。推定にあたっては、時間効果及び個別効果の有無に対するF検定を行い、いずれも統計的に有意であることを確認した上で、時間効果については、有意性の低い変数を除外して時間ダミー(推定モデルごとに異なるが20程度)とし、最小二乗ダミー変数推定法を適用した。また、不確実性指標の影響は、業種・規模によって異なる可能性があることを考慮し、業種・規模ダミーによる交差項モデルによる分析も行った(モデル式2)。
トービンのqに対する代理変数は、資本収益率ROAi,t(=営業利益/総資産)及び資本コストRi,t(=支払利息等/(短期借入金+長期借入金+社債))である。また、トービンのq以外の変数として、キャッシュフロー比率(キャッシュフローCFi,t=当期純利益+減価償却費)、現金・預金比率、負債比率といった財務指標を用いている。これらは、花崎・羽田(2017)及び土屋(2021)に倣ったものである。不確実性指標は、貴社の景況「不明」、国内の景況「不明」及び、生産・販売などのための設備「不明」を使用した。以下に、各変数の定義を掲載する。
〈各変数の定義〉
Ki,t:資本ストック、CFi,t:キャッシュフロー、CASHi,t:現金・預金、Ii,t:設備投資、Ai,t:総資産、DEBTi,t:負債、ui:個別効果、yt:時間ダミー、εi,t:誤差項、i:「製造業、非製造業」×資本金規模(計6区分)、t:時点、UCi,kt-k(k=0,1,2):不確実性指標(自社不明、国内不明又は設備不明)、Dj(j=1,…,5):交差項ダミー(jは、中小企業の非製造業をベースラインとして、1:大規模製造業、2:中堅製造業、3:中小製造業、4:大規模非製造業、5:中堅非製造業に対応)、c:定数項。
ここで、資本ストックには、有形固定資産(建設仮勘定含む)を利用した。また、当期純利益は、法企調査の四半期別調査結果からは得られないため、経常利益の2分の1(当期純利益=経常利益÷2)を代用した。原系列には季節性があるため、統計分析ソフト(EViews14のSTL分解)により季節調整を施した上で、各変数を作成している。
なお、上記定式化には、流動性制約を捉える上でのキャッシュフロー比率変数の適切性など、実証分析上の問題点が含まれる可能性が、土屋(2021)において指摘されており、本分析についても、同様の問題を含んでいることに注意されたい。
図5 設備投資比率の実績と推定値の比較(製造業、中堅)
図6 設備投資比率の実績と推定値の比較(製造業、中小)
図7 設備投資比率の実績と推定値の比較(非製造業、大規模)
図8 設備投資比率の実績と推定値の比較(非製造業、中堅)
表3 国内不明の効果
付表 自社不明(翌期及び翌々期)の効果(参考値)
*1) 本稿の執筆にあたっては、財務省財務総合政策研究所の小宮義之所長、宮本弘曉統括主任研究官、山川潤一調査統計部長をはじめとする
調査統計部の方々及び中央大学商学部福田公正教授に有益なコメント等をいただいた。この場を借りて感謝申し上げる。なお、本稿の内容
は著者らの個人的見解であり、所属する組織のものではない。
*2) 例えば、「植田総裁記者会見(2月27日)――G20終了後の斎藤財務副大臣、植田総裁 共同記者会見における総裁発言(2025年3月3日:
日本銀行)」など。
*3) 判断調査項目には、「貴社の景況」及び「国内の景況」の他に、「生産・販売などのための設備」及び「従業員数」がある。前2者につい
ては、当期、翌期、翌々期の景況判断を「上昇」、「不変」、「下降」、「不明」から選択する形式である一方、「生産・販売などのための設
備」については「不足」、「適正」、「過大」、「不明」から、「従業員数」に ついては「不足気味」、「適正」、「過剰気味」、「不明」から各
期末における判断を選択する形式の調査項目である。
*4) 消費動向調査(内閣府)には家計の物価見通しについて「分からない」という回答の選択肢がある。
*5) 花崎・羽田(2017)は、製造業の企業データを用いて、日本企業の過度な安全性志向が投資に影響を与えうるか検証している。近年、
企業はM&A及びR&Dへの投資を重視する傾向にあることに加え、資金余剰企業は資金不足企業と同様に内部資金の水準を投資水準の重
要な根拠としている一方で、相対的に投資に積極的な資金不足企業は、実物要因に加えてキャッシュフローなど資金要因を投資判断におい
て重視していることなどを明らかにしている。
*6) 福田(2017)は、近年、日本企業の現金・預金保有額が拡大している背景について、中堅・中小企業では、借入制約に備えて現金・預
金を保有するという予備的動機の影響がある一方で、大企業では、国内市場の中長期的な成長に対する不確実性が高いため、国内投資を実
現する機会がなかったことが要因であると考察している。
*7) 土屋(2021)は、財務状況及び、資金調達環境が中小企業の設備投資行動に及ぼす影響を分析している。財務状況は設備投資に有意に
影響を与えることに加えて、企業規模が小さくなるほど、キャッシュフローよりもストックである現金・預金残高の重要性が高まること
や、信用保証制度の利用は、設備投資を押し上げる効果を有していることを明らかにしている。また、負債比率の上昇が設備投資を下押し
する圧力は、現金・預金比率が与える影響よりも小さく、時系列的にもその影響が小さくなっていることも明らかにしている。
*8) 予測調査は、金融業、保険業を除く結果を公表していない。一方、法企調査において、金融業、保険業の調査が開始されたのは、2008
年度(平成20年度)からである。このため、法企調査については、業種範囲が変わることによる結果への影響に配慮し、金融業、保険業
を除く結果を利用した。法企調査と予測調査で、業種範囲を揃えた分析を行うことは、今後の検討課題である。
*9) 表2~5及び付表には、通常の標準誤差を掲載している。なお、残差の分散不均一性や系列相関を考慮し、一般化最小二乗法を用いてモデ
ル1(自社不明翌々期)を推定したところ、キャッシュフローの説明力は落ちるが、不確実性指標については符号が負で有意となった。
財務総合政策研究所調査統計部 統計企画係長 櫻井 智章
1 はじめに
今般、地政学的な動向や各国通商政策の展開により、世界経済の先行きに対する不透明感・不確実性の高まりが注目されている*2。従前より、先行きに関する不確実性の変化は経済主体の行動に様々な影響を与えると考えられてきたが(Knight(1965))、近年、未知の感染症が未曾有の規模に拡大したコロナ禍下において家計や企業の期待形成が極めて困難となったことを受け、後述するように不確実性に関する実証研究に高い関心が寄せられている。
一般に先行きに対して家計や企業が有する不確実性を直接捉えることは難しく、これまでの研究の多くは、株価のボラティリティや各種経済指標の見通しに対する予測誤差等の代理変数を通じて、不確実性を間接的に捉えようとしてきた。一方、企業における主観的な不確実性が直接把握可能なものとして法人企業景気予測調査(内閣府・財務省、以下「予測調査」)がある。同調査では、回答企業における自社や国内の景況感を調査しており、当期、翌期及び翌々期に関する景況判断を「上昇」、「下降」、「不変」、「不明」の中から一つ選択する形で尋ねている*3。我が国の企業や家計の景況感については様々な機関がDiffusion Indexなどの指標を公表しているが、「不明」を含むものは著者らが調べた範囲では見当たらず、予測調査のデータは極めてユニークである*4。また、Morikawa(2018)及び森川(2022)は、予測調査における不明の回答は、企業が直面する主観的不確実性を把握する上で有用であると結論付けている。
不確実性が企業活動に影響を与えることは、これまでの多くの研究において明らかにされている。例えば、見通しに対する不確実性が高い状況においては、企業は設備投資への資金配分を減らし、安全資産である現金・預金の保有比率を高める傾向にある、といったことが挙げられる(増田(2020)、藤谷他(2022)、森川(2022)、山口(2024)など)。予測調査によると、2008年の世界金融危機や2020年の初頭に始まった新型コロナウイルス感染症の流行を機に、自社の景況感に対する不明の割合が大幅に増加した(図1 貴社の景況「不明」の推移(全産業×大企業)(予測調査結果より、後方4期平均を算出))。特に、コロナ禍初期の増加幅は大きく、その後、落ち着いたものの依然としてコロナ期前よりも高い水準で推移している。また、同推移は、現金・預金や設備投資の推移との関連が見られる。特に、設備投資との関連は顕著であり、2008年以降、両者は概ね逆の動きをしていることがわかる(図2)。これに対し、現金・預金は、関連は弱いものの、世界金融危機以降、増加に転じたことや、コロナ禍初期における大幅な増加など、自社の景況感不明の変化点で大きく変化しており、両者の関連がうかがえる(図2 貴社の景況「不明(翌々期)」(予測調査)、設備投資比率※(法企調査)及び現金・預金比率※(法企調査)の推移(全産業×大企業)、後方4期移動平均 ※定義は、付録を参照されたい。)。もっとも、コロナ期における現金・預金の増加は、給付金など政府による支援策の影響を受けている可能性がある(内閣府(2023))。このようなことから、主観的不確実性が企業活動に与える影響を把握することは重要なテーマであると言える。本稿では、先行研究を基に、予測調査及び法人企業統計調査(財務省、以下「法企調査」)の公表結果を用いて、景況感の見通しに対する不確実性が国内企業の設備投資に与える影響を簡便な方法で分析した結果について紹介する。
本稿の構成は以下のとおりである。第2節で関連の先行研究を概観し本研究の意義を明確にする。第3節で分析の枠組み、第4節で分析結果を述べ、第5節でまとめと展望を示す。
2 先行研究
不確実性に関する研究は多岐に亘るが、ここでは、日本における最近の研究を概観する。同分野の包括的な解説は、藤谷他(2022)、山口(2024)、森川(2025)などを参照されたい。
経済主体が直面する不確実性を把握するには、経済主体が持つ将来の予測に対する主観的確率を直接尋ねることが有効とされている(Manski(2018))。しかし、これを行うことは一般に困難なため、不確実性を間接的に把握するための様々な代理指標が開発されてきた。山口(2024)、森川(2025)は、不確実性に対する代理指標を以下の4つに分類している:(1)株価等のボラティリティを指標としたもの、(2)新聞報道におけるキーワードを元にしたもの、(3)エコノミスト等による経済予測の予測誤差を指標としたもの、(4)ビジネスサーベイデータに基づく企業の事後的予測誤差を指標としたもの。(1)~(3)は、主にマクロレベルの不確実性指標からなる。(1)の代表例としては、VIXなどの株価指数のボラティリティが挙げられる。また、(2)の例としては、新聞・雑誌における経済に関する「不確実性」などの用語を含む記事の割合から作成される指数がある(例えば藤谷他(2022))。当該指数は、財政や金融などカテゴリーごとの指標作成なども可能であり、国際比較も容易といった特長がある。一方、(4)はミクロレベルの指標であり、業況に対する企業の予測と実績の差(事後的予測誤差と呼ばれる。)のばらつきにより定式化される。具体例として、山口(2024)による、日本政策金融公庫総合研究所が実施する全国中小企業動向調査及び中小企業景況調査の個票データを利用した研究が挙げられる。同調査では、業況判断や売上などの今期の実績とともに、来期以降の予測を尋ねているが、山口(2024)は、連続して調査対象となった企業の個票データを利用し、業況判断の来期に対する今期の予測と、来期の実績との乖離の標準偏差を不確実性指標としている。
これに対し、不確実性の直接的な把握についてもいくつかの試みが行われている。ここで、不確実性は、将来の見通しに対する主観的確率が事前に分かっている「リスク」(例えば、自社売上に対する予測分布が事前に想定できる場合)と、主観的確率が不明なナイト流不確実性に分類される。一つ目のリスクを直接計測する方法としては、例えば、経済成長率見通しに関する企業の主観的確率を、アンケート調査により直接把握するものがある(Morikawa(2021))。一方、二つ目のナイト流不確実性を把握した事例は少ないが、例えば、来期の売上が上昇する確率が、一つの数値ではなく区間で報告された場合をナイト流不確実性として扱ったものがある(Bachmann et al.(2020))。また、本稿の冒頭で述べた予測調査の判断調査項目に対する回答のうち、「不明」は先行きの方向性がわからない状態を表しており、森川(2022)は、これは企業がナイト流不確実性に直面しているものと解釈できるとしている。また、Morikawa(2021)は、「不明」の回答割合は、企業が直面する主観的不確実性を把握する上で有用性が高いと述べている。なお、森川(2022)が指摘しているように、ナイト流不確実性は、「上昇」、「不変」あるいは「下降」とまでは判断できてもその主観的確率が不明な状態も含むため、先行きの方向性がわからないだけの状態は、ナイト流不確実性を狭義に捉えている可能性がある。
以上、不確実性の計測に関する研究を概観したが、本稿の冒頭でも述べたとおり、不確実性が企業活動に与える影響については、近年、多くの関心を集めている。特に、不確実性の増大が設備投資に与える影響に対する関心は高く、多くの研究者が、不確実性の増大は個々の企業の設備投資と負の関係があることを報告している(Morikawa(2018)、藤谷他(2022)、森川(2022)、山口(2024))。
本稿では、企業が直面する主観的不確実性に対する代理指標としての、予測調査における判断項目の回答「不明」の割合が、設備投資に与える影響を分析した。この点において、本研究は、Morikawa(2018)及び森川(2022)の流れを汲むものであるが、先行研究が個々の企業が直面する不確実性とその影響に着目しているのに対し、本稿では集計データを用いることで、不確実性の程度がマクロとしての投資活動にどのような影響を及ぼしているか分析をした。また、設備投資の決定要因は企業規模や財務状況により大きく異なることが、多くの研究により明らかにされており(花崎・羽田(2017)*5、福田(2017)*6、土屋(2021)*7など)、本研究では、各種財務指標の影響を考慮した分析を行った。具体的には、花崎・羽田(2017)及び土屋(2021)が設定したトービンのq理論をベースとした設備投資関数を集計データに適用し、予測調査における判断項目の回答「不明」の割合を新たな変数として加えたモデルによる分析を行った。以上の点が、本研究の主な貢献である。また、先行研究はいずれも、個票データを用いたミクロ分析であるが、集計値レベルのデータを用いても、ある程度の意義のある結論が導けるという点において、本研究の貢献は少なくないといえる。
3 分析の枠組み
既述のとおり、本研究では、トービンのq理論に基づく設備投資関数に、不確実性指標を変数として組み入れている。ここで、トービンのqは、株式市場で評価された企業価値の、企業の有する資本ストックの再取得価格に対する比として定義される。しかしながら、多くの企業、特に中小企業については分子に当たるデータは一般に得られない。これに関して、花崎・羽田(2017)及び土屋(2021)では、財務情報を用いたトービンのqの代理変数を提示している。本研究では、法企調査の公表データを用いて上記研究と同様の代理変数を構築した。一方、不確実性指標には、森川(2022)に倣い、予測調査の判断調査項目「貴社の景況」及び「国内の景況」に対する、翌期及び翌々期における回答「不明」の割合を使用している(以下、それぞれ「自社不明」、「国内不明」)。本研究では、これに加え、不確実性指標として、予測調査における他の判断項目、「生産・販売などのための設備」に対する、翌期末及び翌々期末における回答「不明」の割合も使用した(以下、「設備不明」)。企業が設備投資を行うかは、設備の過不足感に対する見通しに左右されると考えるのは自然である。実際、設備の過不足感を尋ねる判断項目「生産・販売などのための設備」の回答「不明」の割合と、設備投資との間には強い関係が確認できる(図3 設備投資比率と投資不明(翌々期末)の推移(全産業、大企業)、後方4期移動平均)。
本稿の分析では、法企調査及び予測調査の公表結果から、業態×資本金規模別の疑似パネルデータを作成し、固定効果モデルによるパネルデータ分析を実施した。なお、第2節で述べたとおり、本研究では、個票データではなく、上記2つの調査の公表結果を利用している。分析に利用したデータ及びその取扱いは、以下のとおりである。分析モデルについては、「付録 設備投資関数」を参照されたい。
〈分析に利用したデータ〉
法企調査及び予測調査の公表結果から、「製造業、非製造業」×資本金規模別の擬似的パネルデータを作成した。ここで、資本金規模は、大企業(資本金10億円以上)、中堅企業(資本金1億円以上10億円未満)、中小企業(資本金1億円未満)の3区分とした。利用したデータは、以下のとおりである。なお、予測調査は金融業、保険業を含む結果であるのに対し、法企調査は金融業、保険業を除く結果を利用した*8。参考として、表1 法企調査における業種・規模別母集団数に、業態×規模別の法企調査母集団数を掲載する。
◆法人企業統計調査四半期別結果(2004年4-6月期結果~2024年1-3月期結果)
◆法人企業景気予測調査(2004年4-6月期結果~2024年4-6月期結果)
4 分析結果
最初に基本モデル(モデル式1)の推定結果について述べる。表2 自社不明の効果~4 設備不明の効果に、モデル式1の推定結果を掲載する。各表は、それぞれ、自社不明、国内不明、設備不明を不確実性指標としたモデルの推定結果である。なお、表2~5 自社、設備不明の効果:交差項モデルに掲載したwithin R2は、時間ダミーを含む参考値であることに注意する。また、本稿では不確実性指標の推定結果を中心に記述する。全般的に、いずれもモデルの当てはまりは比較的良好であり、資本コスト(ただし翌期では符号が理論と異なり正となった)と現金・預金比率の説明力が弱いことを除けば他の財務指標については概ね有意である。また、自社不明、国内不明及び設備不明いずれの結果も、翌々期の不確実性指標の符号は負で有意となっている。
以上のとおり、翌期を不確実性指標とした分析では、期待した結果は得られなかったものの、翌々期を不確実性指標とした分析では、先行きの不確実性が企業の設備投資を抑制する傾向があるという、Morikawa(2018)及び森川(2022)の結果を支持する結果が得られた。
一方、不確実性指標が設備投資に及ぼす影響は、業種や企業規模によって異なる可能性が考えられる。例えば長期的な観点からの投資が多い企業は短期の不確実性の増減には影響されにくいかもしれない。そこで次に、業種・規模による不確実性の影響の違いを考慮したモデル(モデル式2)による推定を行った(表5)。ここでは、自社不明及び設備不明の翌々期のみを不確実性指標として用いた結果を示すが、国内不明でも同様の結果が得られている。なお、「自社_2」は自社不明を、「設備_2」は設備不明を不確実性指標とした結果である。モデル式1と同様に、いずれも説明力は高い。不確実性指標の推定結果をみると、ベースラインである非製造業・中小企業の不確実性指標の係数は符号が正となったが有意ではなく、他の部門に関しては符号が負で、非製造業・中堅企業を除くとベースラインより大きい値となった。また、大企業を除くと非製造業に比して製造業の係数が大きくなっている。これは、製造業は海外との貿易の規模が大きく、各国の経済社会情勢や為替の変動などを通じた不確実性の影響を受けやすいことと関係しているものと考えられる。一方、上記の推定結果は、非製造業の中堅・中小企業における設備投資の判断は、他の企業部門とは異なり、先行きに対する不確実性の変化の影響を受けにくいことを示唆している。しかしながら、このことは非製造業の中堅・中小企業が不確実性に対して耐性があることを意味するものではない。非製造業の中堅・中小企業は他の部門に比べて設備投資の水準が低く、また変動も少ない。これは、一度新しい機器を導入したら長期間更新しないなど、投資の頻度が小さく、不確実性の変化に応じて投資判断を行う局面が少ないことを反映している可能性がある。また非製造業では製造業に比して投資額が小さく、不確実性に応じた投資の動きが、推定される係数に現れにくいことも考えられる。
さて、不確実性指標はコロナ期に大きく変化しており、これが結果に影響を与えている可能性がある。そこで、コロナ期前までのデータを利用した頑健性の確認をする。表2~5に、2019年10-12月期までの結果を利用した結果を掲載する。不確実性変数の有意性については、全期間のデータによる結果と同様である。係数の推定結果を見ると、全期間による結果よりもやや大きい傾向にある。これは、コロナ期においては、国内の全ての企業で共通して業績が悪化したことが時間ダミーに取り込まれたことが影響したものと考えられる。
最後に、不確実性指標以外の変数の結果を見ると、既述のとおり資本コスト及び現金・預金比率の有意性が低いことが確認できる。これは、今回の分析で使用したデータが集計値であったため、個別企業の状況を十分に反映できていない可能性が考えられる。また、金利水準などの影響を受ける資本コストについては、部門による違いが小さいため、同変動が時間ダミーとして捉えられ、有意性が低下し、特に翌期を不確実性指標とした結果では、理論と不整合となった可能性がある。参考として、自社不明の翌期について時間ダミーを含まないモデルによる推定を行ったところ、統計的有意性はないものの、資本コストの符号は負となった(付表(左))。ただし、within R2は、表2に掲載した結果よりも小さめである。なお、推定期間が2019年10-12月期までの結果を見ると、自社不明の翌々期ではモデル1、2ともに資本コストの説明力が高くなっており、現金・預金比率とともに有意となっている。また、参考として、資本収益率(ROA)と資本コスト(R)を分解せずに、比(ROA/R)のまま利用したモデルの推定も行った。付表(右)に掲載した結果を見ると、トービンのqの代理変数は有意となり、符号も正で、理論と整合的である。他の変数の結果を見ると、現金・預金比率(CASH)の説明力が弱いものの総じて有意となった。
図4~9に、設備投資の公表値と推定値の比較図を掲載する。同図には、業態・規模別の、自社不明及び設備不明の翌々期を不確実性指標とした結果を掲載している。業態及び規模により異なるが、全体的な傾向は、公表値と整合的ある。一方で、世界金融危機や、コロナ期の結果を見ると、公表値との乖離が他の期間と比べてやや目立つ結果となった。これは時間ダミーが部門共通となっていることも影響している可能性がある。
5 まとめと展望
本研究では、統計の公表値を利用した分析を行ったが、集計値レベルであっても、自社の景況感における先行きの不確実性は、設備投資を抑制しうる可能性が示唆された。この結果は、個別企業レベルでも自社の景況感の先行き不確実性は当該企業の設備投資を抑制する傾向があるという、Morikawa(2018)及び森川(2022)の結果と整合的である。このことは、設備投資を促進する観点からは、企業の間の先行き不透明感を少しでも抑制することが重要ということを意味している。また、生産・販売などのための設備に対する「不明」の割合は、貴社の景況に対する「不明」の割合よりも低いものの、両者はほぼ同様の動きを示しており、前者の拡大も設備投資を抑制する効果を有することが示唆された。一方、不確実性の影響の部門毎の違いについては、非製造業の中堅・中小企業では上記2つの効果は認められなかった。これは、非製造業の中堅・中小企業の投資額や頻度が他の部門に比べて少ないことにより、不確実性の変化の影響を受けにくいことを反映している可能性がある。
最後に今後の課題について述べる。今回の分析は簡便なものであり、結果の解釈にあたっては留意が必要であるが、それらは今後の検討課題にもつながるものである。まず、今回は6部門に分割しているが集計値による分析であり、業種による違いなどは分析できていない。個票データによる詳細な分析が有用であろう。また、不確実性指標以外の変数については有意でないものもあり、特に不確実性が現金・預金比率など他の企業行動に与える影響についての検討は分析の精緻化に資すると考えられる。国内と自社の景況感の不確実性の間にはマクロレベルで強い相関があるが、今回の分析では違いが見られなかったものの、個別企業レベルでは設備投資への影響は異なっているとの指摘もあり(森川(2022))、この点を更に分析することは昨今の不確実性の高まりの影響を把握する上でも有益であろう。
参考文献
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付録 設備投資関数
本研究で使用した設備投資関数は、花崎・羽田(2017)及び土屋(2021)によって提案されたトービンのqモデルに基づくものである(モデル式1)。推定にあたっては、時間効果及び個別効果の有無に対するF検定を行い、いずれも統計的に有意であることを確認した上で、時間効果については、有意性の低い変数を除外して時間ダミー(推定モデルごとに異なるが20程度)とし、最小二乗ダミー変数推定法を適用した。また、不確実性指標の影響は、業種・規模によって異なる可能性があることを考慮し、業種・規模ダミーによる交差項モデルによる分析も行った(モデル式2)。
トービンのqに対する代理変数は、資本収益率ROAi,t(=営業利益/総資産)及び資本コストRi,t(=支払利息等/(短期借入金+長期借入金+社債))である。また、トービンのq以外の変数として、キャッシュフロー比率(キャッシュフローCFi,t=当期純利益+減価償却費)、現金・預金比率、負債比率といった財務指標を用いている。これらは、花崎・羽田(2017)及び土屋(2021)に倣ったものである。不確実性指標は、貴社の景況「不明」、国内の景況「不明」及び、生産・販売などのための設備「不明」を使用した。以下に、各変数の定義を掲載する。
〈各変数の定義〉
Ki,t:資本ストック、CFi,t:キャッシュフロー、CASHi,t:現金・預金、Ii,t:設備投資、Ai,t:総資産、DEBTi,t:負債、ui:個別効果、yt:時間ダミー、εi,t:誤差項、i:「製造業、非製造業」×資本金規模(計6区分)、t:時点、UCi,kt-k(k=0,1,2):不確実性指標(自社不明、国内不明又は設備不明)、Dj(j=1,…,5):交差項ダミー(jは、中小企業の非製造業をベースラインとして、1:大規模製造業、2:中堅製造業、3:中小製造業、4:大規模非製造業、5:中堅非製造業に対応)、c:定数項。
ここで、資本ストックには、有形固定資産(建設仮勘定含む)を利用した。また、当期純利益は、法企調査の四半期別調査結果からは得られないため、経常利益の2分の1(当期純利益=経常利益÷2)を代用した。原系列には季節性があるため、統計分析ソフト(EViews14のSTL分解)により季節調整を施した上で、各変数を作成している。
なお、上記定式化には、流動性制約を捉える上でのキャッシュフロー比率変数の適切性など、実証分析上の問題点が含まれる可能性が、土屋(2021)において指摘されており、本分析についても、同様の問題を含んでいることに注意されたい。
図5 設備投資比率の実績と推定値の比較(製造業、中堅)
図6 設備投資比率の実績と推定値の比較(製造業、中小)
図7 設備投資比率の実績と推定値の比較(非製造業、大規模)
図8 設備投資比率の実績と推定値の比較(非製造業、中堅)
表3 国内不明の効果
付表 自社不明(翌期及び翌々期)の効果(参考値)
*1) 本稿の執筆にあたっては、財務省財務総合政策研究所の小宮義之所長、宮本弘曉統括主任研究官、山川潤一調査統計部長をはじめとする
調査統計部の方々及び中央大学商学部福田公正教授に有益なコメント等をいただいた。この場を借りて感謝申し上げる。なお、本稿の内容
は著者らの個人的見解であり、所属する組織のものではない。
*2) 例えば、「植田総裁記者会見(2月27日)――G20終了後の斎藤財務副大臣、植田総裁 共同記者会見における総裁発言(2025年3月3日:
日本銀行)」など。
*3) 判断調査項目には、「貴社の景況」及び「国内の景況」の他に、「生産・販売などのための設備」及び「従業員数」がある。前2者につい
ては、当期、翌期、翌々期の景況判断を「上昇」、「不変」、「下降」、「不明」から選択する形式である一方、「生産・販売などのための設
備」については「不足」、「適正」、「過大」、「不明」から、「従業員数」に ついては「不足気味」、「適正」、「過剰気味」、「不明」から各
期末における判断を選択する形式の調査項目である。
*4) 消費動向調査(内閣府)には家計の物価見通しについて「分からない」という回答の選択肢がある。
*5) 花崎・羽田(2017)は、製造業の企業データを用いて、日本企業の過度な安全性志向が投資に影響を与えうるか検証している。近年、
企業はM&A及びR&Dへの投資を重視する傾向にあることに加え、資金余剰企業は資金不足企業と同様に内部資金の水準を投資水準の重
要な根拠としている一方で、相対的に投資に積極的な資金不足企業は、実物要因に加えてキャッシュフローなど資金要因を投資判断におい
て重視していることなどを明らかにしている。
*6) 福田(2017)は、近年、日本企業の現金・預金保有額が拡大している背景について、中堅・中小企業では、借入制約に備えて現金・預
金を保有するという予備的動機の影響がある一方で、大企業では、国内市場の中長期的な成長に対する不確実性が高いため、国内投資を実
現する機会がなかったことが要因であると考察している。
*7) 土屋(2021)は、財務状況及び、資金調達環境が中小企業の設備投資行動に及ぼす影響を分析している。財務状況は設備投資に有意に
影響を与えることに加えて、企業規模が小さくなるほど、キャッシュフローよりもストックである現金・預金残高の重要性が高まること
や、信用保証制度の利用は、設備投資を押し上げる効果を有していることを明らかにしている。また、負債比率の上昇が設備投資を下押し
する圧力は、現金・預金比率が与える影響よりも小さく、時系列的にもその影響が小さくなっていることも明らかにしている。
*8) 予測調査は、金融業、保険業を除く結果を公表していない。一方、法企調査において、金融業、保険業の調査が開始されたのは、2008
年度(平成20年度)からである。このため、法企調査については、業種範囲が変わることによる結果への影響に配慮し、金融業、保険業
を除く結果を利用した。法企調査と予測調査で、業種範囲を揃えた分析を行うことは、今後の検討課題である。
*9) 表2~5及び付表には、通常の標準誤差を掲載している。なお、残差の分散不均一性や系列相関を考慮し、一般化最小二乗法を用いてモデ
ル1(自社不明翌々期)を推定したところ、キャッシュフローの説明力は落ちるが、不確実性指標については符号が負で有意となった。