大阪・関西万博の開催地~区制100周年を迎える大阪市此花区~
大阪税関国際博覧会出張所長 小林 昌弘
1.はじめに
2025年4月13日から10月13日までの間、大阪市此花区の夢洲において2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)が開催されます。
税関では、大阪・関西万博の開催に伴う税関手続に係る行政需要に対応するため、2024年11月、大阪税関国際博覧会出張所を設置し、2025年2月からは大阪・関西万博会場内において業務を行っています。
本稿では、此花区、大阪・関西万博、国際博覧会と税関との関係等について紹介します。
2.此花区の概要
大阪市此花区は、大阪市の中部西端に位置する大阪市24区中2番目の面積を占める区です。北側は淀川を挟み西淀川区に面し、南側は安治川を挟み港区・西区に面し、東側は福島区に接し、西側は大阪湾に面しており、沖合には埋め立てにより造成された舞洲と、大阪・関西万博の開催地であり大阪税関国際博覧会出張所が所在する夢洲があります。
此花区の名称の由来は、1925年、新区(此花区)が設立される際の市会における議論の結果、応神天皇の時代(4世紀)に百済から日本に渡来し、漢字や儒教などの学問を広めた王仁(わに)が詠んだと伝えられる古歌「難波津に咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花」から引用して名づけられたようです。
写真 大阪港全景 提供:大阪港湾局
3.此花区の歴史
此花区一帯は、かつては漁業が盛んに行われていたようですが、明治中期からは、その水利を活かし、工場が相次いで建設され、大正期に入ると財閥系企業を中心に大規模な開発が行われ、大正後期には、当時、東洋一と言われた春日出発電所も建設され、阪神工業地帯の中心的地位を担うようになりました。
昭和初期には、工業用地の造成を目的に埋め立て造成が始まり、更なる開発が進められたようですが、戦争の進行に伴い、軍需工場が増加したことにより、度重なる空襲を受けるとともに、台風などの水害のため一旦は荒廃してしまったようです。
戦後は、「西六社」と呼ばれた企業(住友電工、住友金属、住友化学、日立造船、大阪ガス、汽車製造)の進出などにより、再度、徐々に復興が進み、我が国の高度経済成長を支える重化学工業を中心とした臨海工業地帯として発展してきました。
しかし、1980年代に入ると、産業構造の転換、海外への生産拠点の移転に伴い、重工業の工場事業は縮小傾向へと向かい、此花区に限らず大阪湾ベイエリア一帯を占める工場地帯には広大な遊休地ができました。
折しも、ユニバーサル・スタジオの日本進出が検討されており、1990年、大阪市が此花区西部臨海地域の遊休地に誘致を開始、1994年、この地域へのユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)の進出が決定し、その後、建設が進められ、2001年3月31日にオープンしました。
これにより、此花区は工業地域から集客地域へと大きく変化したと考えられます。
4.舞洲・夢洲について
此花区の西側の大阪湾に所在する舞洲・夢洲は、1970年代から廃棄物・浚渫土砂・建設残土等の処分場として埋め立てが開始され、これにより作られた人工島であり、埋め立て後、土地造成事業が行われてきました。
1980年代には、舞洲・夢洲等の人工島を活用し、国際交易・技術・情報などのサービス拠点や文化・レクリエーションゾーン、住宅などを整備し、居住人口6万人、昼間人口20万人の臨海新都心を作ることを構想とする「テクノポート大阪」計画が打ち出されましたが、バブル崩壊などの理由により実現には至っていないようです。
1990年代には、舞洲をメイン会場、夢洲を選手村の候補地として、2008年の夏季オリンピックの誘致が進められましたが、最終的には中国・北京が開催都市に決定され、大阪での開催は実現しませんでした。
その後、2014年から国際博覧会の大阪への招致活動が開始され、2016年6月、夢洲を会場候補地とすることを決定のうえ、誘致活動が行われ、2018年11月24日、夢洲を会場として2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)が開催されることが決定しました。
なお、舞洲については、オリンピック誘致を機に、島の西側に野外活動施設、野球場、運動広場、多目的ホール等の大規模なスポーツ・レクリエーション施設の整備が進み、大阪エヴェッサ(Bリーグ)、オリックス・バファローズ(NPB)、セレッソ大阪(Jリーグ)などのプロスポーツチームが活動の拠点とするとともに、大規模な音楽フェスが行われる等、新たなスポーツ・レクリエーション拠点として注目を集めています。
また、夢洲については、島の東側に物流拠点の整備が進められ、2009年から大水深(15m)の連続バースを有する高規格コンテナターミナルの供用が開始されており、大阪港の国際物流機能の中心的役割を担っています。
写真 舞洲全景 提供:大阪港湾局
写真 夢洲全景 提供:大阪港湾局
5.大阪・関西万博について
【開催概要】
名称:2025日本国際博覧会(略称「大阪・関西万博」)
テーマ:いのち輝く未来社会のデザイン(Designing Future Society for Our Lives)
サブテーマ:Saving Lives (いのちを救う)、Empowering Lives (いのちに力を与える)、Connecting Lives (いのちをつなぐ)
コンセプト:People’s Living Lab (未来社会の実験場)
開催期間:2025年4月13日(日)~10月13日(月)184日間
開催場所:大阪・夢洲(ゆめしま)
参加表明国等:165(158か国・地域、7国際機関)(2025年2月13日現在)
想定来場者数:2,820万人
大阪・関西万博は、1970年の日本万国博覧会(大阪)、1975年の沖縄国際海洋博覧会(沖縄)、1985年の国際科学技術博覧会(茨城・つくば)、1990年の国際花と緑の博覧会(大阪)、2005年の2005年日本国際博覧会(愛・地球博)(愛知)に次いで6回目となる我が国で開催の国際博覧会であり、愛・地球博以来20年ぶりの開催となります。
なお、大阪・関西万博の参加表明国等の165は、我が国で開催の国際博覧会で最多となります。
写真 大阪・関西万博会場全景(夕景) 提供:2025年日本国際博覧会協会
写真 大屋根リング外観 提供:2025年日本国際博覧会協会
6.国際博覧会と税関との関係について
冒頭で述べましたとおり、税関は、大阪・関西万博の開催に伴う税関手続に係る行政需要に対応するため、大阪・関西万博の会場内に出張所を設置し、業務を行っております。この対応は、これまでに我が国で開催の過去5回の国際博覧会においても同様であり、毎回、会場内に税関出張所を設置してきました。
このように国際博覧会の会場に税関出張所を設置したことを紹介すると、少なからず「なぜ万博会場に税関を?」、「万博と税関とどのような関係が?」とご質問をいただくことがあります。
せっかくの機会ですので、国際博覧会と税関との関係について、簡単に紹介します。
国際博覧会には、多数の国・地域及び国際機関が参加しますが、これらの国等は、国際博覧会のために多くの展示物品や資材等を海外から我が国に持ち込みます。これに伴い多数の通関(税関手続)が行われることとなります。
また、国際博覧会は、関税法上の保税展示場の制度を利用して開催されます。
保税展示場とは、我が国で開催される国際的な博覧会・見本市等を円滑に運営するため、海外から到着した貨物について、輸入に係る関税・消費税等を留保した状態で、かつ、簡易な手続により一時的に展示・使用等ができる場所として、税関長が許可した場所です。他方、輸入に係る関税・消費税等を留保した状態で貨物が展示・使用等されることから、厳格な貨物の管理が必要となります。
なお、この保税展示場の制度は、国際博覧会に関する条約の規定を踏まえ、1970年開催の大阪万国博覧会に備え、関税法上に設けられた制度であり、我が国で開催された過去5回の国際博覧会についても、すべてこの保税展示場の制度を利用し開催されてきました。
このような展示物品等の円滑な通関、保税展示場の適正な運営(保税貨物の管理)に係る行政需要に対応するため、税関は、国際博覧会の会場内に出張所を設置し、業務を行っています。
7.おわりに
本稿途中から、税関の紹介となりましたが、此花区については、大阪・関西万博の終了後、その跡地の有効利用が検討されているとともに、2030年秋頃には、夢洲に統合型リゾート(大阪IR)の開業も控えており、今後も大きく変貌することが予想されることから、その変化について注目していきたいと思います。
図表 保税展示場制度について
太陽の恵み広がる 宮崎県
門司税関細島税関支署 統括監視官(総括及び第1部門担当)審査官 門田 亜弓
細島税関支署について
門司税関細島税関支署は、昭和11年(1936年)4月に長崎税関細島監視署として設置され、昭和18年(1943年)11月に税関官制に伴い廃止となったのち、昭和21年(1946年)6月に税関官制復活とともに門司税関鹿児島税関支署細島出張所として再び設置、昭和24年(1949年)6月に細島港が開港し、昭和26年(1951年)6月に出張所から支署へと変わりました。
当支署の管轄区域は、宮崎県の県北に位置する3市10町3村であり、2つの出張所を有し県の中心部には宮崎空港出張所、県南には油津出張所が置かれています。
細島港は昭和26年(1951年)1月に重要港湾に、昭和39年(1964年)に新産業都市の指定を受けて以来、宮崎県における産業開発の拠点として重要な役割を担い、港湾工業都市として発展を続けています。
韓国、中国、台湾の外貿定期コンテナ船が就航しており、主な輸出貨物は繊維製品であり、輸入貨物は有機化合物、金属鉱及びくずです。
また、近年ではクルーズ船も入港するようになりました。
写真 細島港湾の風景
日向市のプロフィール
日向市は宮崎県の県北にあり、年間平均気温は約17度と温暖で晴天の多い地域です。
豊かな自然環境に囲まれ「馬ケ背」「願いが叶うクルスの海」などの観光地があり、サーフィンの名所として「お倉ヶ浜ビーチ」「金ヶ浜ビーチ」などが知られています。
また、国民的な歌人として知られている若山牧水は、明治18年(1885年)に今の日向市東郷町に生まれました。
自然を愛し、生涯の半分を旅で過ごし43年の生涯で9,000首余りの歌を詠みました。
写真 馬ケ背展望所の風景
写真 若山牧水像
神話と伝承
宮崎県には神話と伝承が残されており、学生時代には歴史や地理の授業のほか、校外学習等で触れる機会がたくさんありました。
今回は日本神話に登場する県北の高千穂町にある天岩戸(あまのいわと)と呼ばれる岩でできた洞窟に係る伝承をご紹介します。
かつて、多くの神々が住んでいたとされる天上の世界である高天原を天照大御神(アマテラスオオミカミ)が治めていたとき、弟神・須佐之男命(スサノオノミコト)は田を壊したり、乱暴なことをしたりして神々を困らせていました。
姉神の天照大御神は、弟神をかばっていましたが、とうとう我慢しきれなくなり、天岩戸の中に隠れてしまい、高天原は夜のように暗くなってしまいました。
そこで八百万(やおよろず)の神々が天安河原(あまのやすかわら)に集まり相談をして、天岩戸の前で色々な事が試され、ついには賑やかに祭りをすることになりました。
この騒ぎを聞き、不思議に思った天照大御神が天岩戸を少し開けて外を見ようとしたその時、神々が岩の戸を押し開き、天照大御神を外に出すことにより、高天原は元のように明るくなったと伝えられています。
そのほか、高千穂には日本の滝百選に指定されている真名井の滝もあります。実際にボートで近づくと、とても迫力ある風景を楽しむことができます。
写真 天岩戸神社の像
写真 真名井の滝
スポーツキャンプ
毎年2月になると、テレビのニュース等で「球春宮崎」と言う言葉をよく耳にします。そう呼ばれるほど、この時期は宮崎県内各地でプロ野球のキャンプが盛んに行われます。
今年は宮崎市で読売巨人軍、福岡ソフトバンクホークス、オリックス・バファローズ、日南市で広島東洋カープと埼玉西武ライオンズが春のキャンプを行うほか、シーズン終了後の秋のキャンプも行われています。
県外からも多くのファンの方がこの機会に宮崎を訪れてくださり、ユニフォームを着ている熱心なファンの方を駅などでよく見かけます。また、駅の装飾もプロ野球チームカラーとなっています。プロ野球以外にも、サッカーJリーグのキャンプも年々増えています。今年は鹿島アントラーズや横浜F・マリノス、ファジアーノ岡山、大分トリニータ、アビスパ福岡がキャンプを行いました。
写真 「カープ油津駅」(JR油津駅)外観
写真 「ライオンズ南郷駅」(JR南郷駅)外観
名物の品
(1)豊富な魚介類
宮崎の北から南まで、黒潮の影響もあり広い海域で様々な種類の魚介類が水揚げされます。県南の日南市ではカツオ漁が盛んに行われ、近海カツオ一本釣り漁が有名です。
カツオと言えばポン酢で食べるタタキが一般的ですが、宮崎には皮目を炙った「焼っ切り」という郷土料理もあります。また、新鮮なカツオを七輪で炙る「炙り重」という食べ方が人気となっています。
写真 カツオ炙り重
(2)宮崎地鶏
宮崎の鶏料理の中で、全国的にも評判が高いのは、炭火焼きです。
地鶏の炭火焼きは、柔らかくジューシーな味わいとなっており、特に、真空パックで販売されているものはお土産としても人気があります。
炭火焼きのほかにも、小麦粉と卵で揚げた鶏肉を甘酢に漬けてタルタルソースと絡めたチキン南蛮もあります。
私の学生時代には、学校の給食でもチキン南蛮が提供されており、余剰が出た際には、本気のじゃんけん大会が行われるほど人気がありました。
写真 地鶏の炭火焼き
(3)焼酎
宮崎県は本格焼酎の出荷量全国1位となっています。芋、麦、米焼酎など様々な種類の焼酎を味わうことができ、手頃な価格と飲みやすさで親しまれています。
おわりに
冒頭でも触れましたが、宮崎県は日照時間が長く「日本のひなた」と称され、南国情緒あふれる場所がたくさんあります。
今回紹介させていただいた観光地や名物以外にも、宮崎県には運玉投げで有名な鵜戸神宮、日本有数のサーフスポットとして知られる木崎浜や、海岸沿いを旅する観光列車もありますので、今回の誌面を通して少しでも興味を持っていただけたら嬉しいです。
コロナ禍の影響で海外からの観光客が減っていましたが、現在では、海外からの定期便やクルーズ船も再開されています。
また、個人間の国際電子商取引が急速に拡大している中で税関を取り巻く環境も日々変化しています。
今後も私たちは、税関の使命である安全・安心な社会の実現、適正かつ公平な関税等の徴収、貿易円滑化の推進に取り組みながら、特に、宮崎にある税関として、地域の安全、安心な暮らしを守る一端を担っていきたいと思います。
【参考文献】
・宮崎県公式観光サイト
・日向市ホームページ
・日向市観光協会オフィシャルサイト
・高千穂町観光協会ホームページ
2025年4月13日から10月13日までの間、大阪市此花区の夢洲において2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)が開催されます。
税関では、大阪・関西万博の開催に伴う税関手続に係る行政需要に対応するため、2024年11月、大阪税関国際博覧会出張所を設置し、2025年2月からは大阪・関西万博会場内において業務を行っています。
本稿では、此花区、大阪・関西万博、国際博覧会と税関との関係等について紹介します。
2.此花区の概要
大阪市此花区は、大阪市の中部西端に位置する大阪市24区中2番目の面積を占める区です。北側は淀川を挟み西淀川区に面し、南側は安治川を挟み港区・西区に面し、東側は福島区に接し、西側は大阪湾に面しており、沖合には埋め立てにより造成された舞洲と、大阪・関西万博の開催地であり大阪税関国際博覧会出張所が所在する夢洲があります。
此花区の名称の由来は、1925年、新区(此花区)が設立される際の市会における議論の結果、応神天皇の時代(4世紀)に百済から日本に渡来し、漢字や儒教などの学問を広めた王仁(わに)が詠んだと伝えられる古歌「難波津に咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花」から引用して名づけられたようです。
写真 大阪港全景 提供:大阪港湾局
3.此花区の歴史
此花区一帯は、かつては漁業が盛んに行われていたようですが、明治中期からは、その水利を活かし、工場が相次いで建設され、大正期に入ると財閥系企業を中心に大規模な開発が行われ、大正後期には、当時、東洋一と言われた春日出発電所も建設され、阪神工業地帯の中心的地位を担うようになりました。
昭和初期には、工業用地の造成を目的に埋め立て造成が始まり、更なる開発が進められたようですが、戦争の進行に伴い、軍需工場が増加したことにより、度重なる空襲を受けるとともに、台風などの水害のため一旦は荒廃してしまったようです。
戦後は、「西六社」と呼ばれた企業(住友電工、住友金属、住友化学、日立造船、大阪ガス、汽車製造)の進出などにより、再度、徐々に復興が進み、我が国の高度経済成長を支える重化学工業を中心とした臨海工業地帯として発展してきました。
しかし、1980年代に入ると、産業構造の転換、海外への生産拠点の移転に伴い、重工業の工場事業は縮小傾向へと向かい、此花区に限らず大阪湾ベイエリア一帯を占める工場地帯には広大な遊休地ができました。
折しも、ユニバーサル・スタジオの日本進出が検討されており、1990年、大阪市が此花区西部臨海地域の遊休地に誘致を開始、1994年、この地域へのユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)の進出が決定し、その後、建設が進められ、2001年3月31日にオープンしました。
これにより、此花区は工業地域から集客地域へと大きく変化したと考えられます。
4.舞洲・夢洲について
此花区の西側の大阪湾に所在する舞洲・夢洲は、1970年代から廃棄物・浚渫土砂・建設残土等の処分場として埋め立てが開始され、これにより作られた人工島であり、埋め立て後、土地造成事業が行われてきました。
1980年代には、舞洲・夢洲等の人工島を活用し、国際交易・技術・情報などのサービス拠点や文化・レクリエーションゾーン、住宅などを整備し、居住人口6万人、昼間人口20万人の臨海新都心を作ることを構想とする「テクノポート大阪」計画が打ち出されましたが、バブル崩壊などの理由により実現には至っていないようです。
1990年代には、舞洲をメイン会場、夢洲を選手村の候補地として、2008年の夏季オリンピックの誘致が進められましたが、最終的には中国・北京が開催都市に決定され、大阪での開催は実現しませんでした。
その後、2014年から国際博覧会の大阪への招致活動が開始され、2016年6月、夢洲を会場候補地とすることを決定のうえ、誘致活動が行われ、2018年11月24日、夢洲を会場として2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)が開催されることが決定しました。
なお、舞洲については、オリンピック誘致を機に、島の西側に野外活動施設、野球場、運動広場、多目的ホール等の大規模なスポーツ・レクリエーション施設の整備が進み、大阪エヴェッサ(Bリーグ)、オリックス・バファローズ(NPB)、セレッソ大阪(Jリーグ)などのプロスポーツチームが活動の拠点とするとともに、大規模な音楽フェスが行われる等、新たなスポーツ・レクリエーション拠点として注目を集めています。
また、夢洲については、島の東側に物流拠点の整備が進められ、2009年から大水深(15m)の連続バースを有する高規格コンテナターミナルの供用が開始されており、大阪港の国際物流機能の中心的役割を担っています。
写真 舞洲全景 提供:大阪港湾局
写真 夢洲全景 提供:大阪港湾局
5.大阪・関西万博について
【開催概要】
名称:2025日本国際博覧会(略称「大阪・関西万博」)
テーマ:いのち輝く未来社会のデザイン(Designing Future Society for Our Lives)
サブテーマ:Saving Lives (いのちを救う)、Empowering Lives (いのちに力を与える)、Connecting Lives (いのちをつなぐ)
コンセプト:People’s Living Lab (未来社会の実験場)
開催期間:2025年4月13日(日)~10月13日(月)184日間
開催場所:大阪・夢洲(ゆめしま)
参加表明国等:165(158か国・地域、7国際機関)(2025年2月13日現在)
想定来場者数:2,820万人
大阪・関西万博は、1970年の日本万国博覧会(大阪)、1975年の沖縄国際海洋博覧会(沖縄)、1985年の国際科学技術博覧会(茨城・つくば)、1990年の国際花と緑の博覧会(大阪)、2005年の2005年日本国際博覧会(愛・地球博)(愛知)に次いで6回目となる我が国で開催の国際博覧会であり、愛・地球博以来20年ぶりの開催となります。
なお、大阪・関西万博の参加表明国等の165は、我が国で開催の国際博覧会で最多となります。
写真 大阪・関西万博会場全景(夕景) 提供:2025年日本国際博覧会協会
写真 大屋根リング外観 提供:2025年日本国際博覧会協会
6.国際博覧会と税関との関係について
冒頭で述べましたとおり、税関は、大阪・関西万博の開催に伴う税関手続に係る行政需要に対応するため、大阪・関西万博の会場内に出張所を設置し、業務を行っております。この対応は、これまでに我が国で開催の過去5回の国際博覧会においても同様であり、毎回、会場内に税関出張所を設置してきました。
このように国際博覧会の会場に税関出張所を設置したことを紹介すると、少なからず「なぜ万博会場に税関を?」、「万博と税関とどのような関係が?」とご質問をいただくことがあります。
せっかくの機会ですので、国際博覧会と税関との関係について、簡単に紹介します。
国際博覧会には、多数の国・地域及び国際機関が参加しますが、これらの国等は、国際博覧会のために多くの展示物品や資材等を海外から我が国に持ち込みます。これに伴い多数の通関(税関手続)が行われることとなります。
また、国際博覧会は、関税法上の保税展示場の制度を利用して開催されます。
保税展示場とは、我が国で開催される国際的な博覧会・見本市等を円滑に運営するため、海外から到着した貨物について、輸入に係る関税・消費税等を留保した状態で、かつ、簡易な手続により一時的に展示・使用等ができる場所として、税関長が許可した場所です。他方、輸入に係る関税・消費税等を留保した状態で貨物が展示・使用等されることから、厳格な貨物の管理が必要となります。
なお、この保税展示場の制度は、国際博覧会に関する条約の規定を踏まえ、1970年開催の大阪万国博覧会に備え、関税法上に設けられた制度であり、我が国で開催された過去5回の国際博覧会についても、すべてこの保税展示場の制度を利用し開催されてきました。
このような展示物品等の円滑な通関、保税展示場の適正な運営(保税貨物の管理)に係る行政需要に対応するため、税関は、国際博覧会の会場内に出張所を設置し、業務を行っています。
7.おわりに
本稿途中から、税関の紹介となりましたが、此花区については、大阪・関西万博の終了後、その跡地の有効利用が検討されているとともに、2030年秋頃には、夢洲に統合型リゾート(大阪IR)の開業も控えており、今後も大きく変貌することが予想されることから、その変化について注目していきたいと思います。
図表 保税展示場制度について
太陽の恵み広がる 宮崎県
門司税関細島税関支署 統括監視官(総括及び第1部門担当)審査官 門田 亜弓
細島税関支署について
門司税関細島税関支署は、昭和11年(1936年)4月に長崎税関細島監視署として設置され、昭和18年(1943年)11月に税関官制に伴い廃止となったのち、昭和21年(1946年)6月に税関官制復活とともに門司税関鹿児島税関支署細島出張所として再び設置、昭和24年(1949年)6月に細島港が開港し、昭和26年(1951年)6月に出張所から支署へと変わりました。
当支署の管轄区域は、宮崎県の県北に位置する3市10町3村であり、2つの出張所を有し県の中心部には宮崎空港出張所、県南には油津出張所が置かれています。
細島港は昭和26年(1951年)1月に重要港湾に、昭和39年(1964年)に新産業都市の指定を受けて以来、宮崎県における産業開発の拠点として重要な役割を担い、港湾工業都市として発展を続けています。
韓国、中国、台湾の外貿定期コンテナ船が就航しており、主な輸出貨物は繊維製品であり、輸入貨物は有機化合物、金属鉱及びくずです。
また、近年ではクルーズ船も入港するようになりました。
写真 細島港湾の風景
日向市のプロフィール
日向市は宮崎県の県北にあり、年間平均気温は約17度と温暖で晴天の多い地域です。
豊かな自然環境に囲まれ「馬ケ背」「願いが叶うクルスの海」などの観光地があり、サーフィンの名所として「お倉ヶ浜ビーチ」「金ヶ浜ビーチ」などが知られています。
また、国民的な歌人として知られている若山牧水は、明治18年(1885年)に今の日向市東郷町に生まれました。
自然を愛し、生涯の半分を旅で過ごし43年の生涯で9,000首余りの歌を詠みました。
写真 馬ケ背展望所の風景
写真 若山牧水像
神話と伝承
宮崎県には神話と伝承が残されており、学生時代には歴史や地理の授業のほか、校外学習等で触れる機会がたくさんありました。
今回は日本神話に登場する県北の高千穂町にある天岩戸(あまのいわと)と呼ばれる岩でできた洞窟に係る伝承をご紹介します。
かつて、多くの神々が住んでいたとされる天上の世界である高天原を天照大御神(アマテラスオオミカミ)が治めていたとき、弟神・須佐之男命(スサノオノミコト)は田を壊したり、乱暴なことをしたりして神々を困らせていました。
姉神の天照大御神は、弟神をかばっていましたが、とうとう我慢しきれなくなり、天岩戸の中に隠れてしまい、高天原は夜のように暗くなってしまいました。
そこで八百万(やおよろず)の神々が天安河原(あまのやすかわら)に集まり相談をして、天岩戸の前で色々な事が試され、ついには賑やかに祭りをすることになりました。
この騒ぎを聞き、不思議に思った天照大御神が天岩戸を少し開けて外を見ようとしたその時、神々が岩の戸を押し開き、天照大御神を外に出すことにより、高天原は元のように明るくなったと伝えられています。
そのほか、高千穂には日本の滝百選に指定されている真名井の滝もあります。実際にボートで近づくと、とても迫力ある風景を楽しむことができます。
写真 天岩戸神社の像
写真 真名井の滝
スポーツキャンプ
毎年2月になると、テレビのニュース等で「球春宮崎」と言う言葉をよく耳にします。そう呼ばれるほど、この時期は宮崎県内各地でプロ野球のキャンプが盛んに行われます。
今年は宮崎市で読売巨人軍、福岡ソフトバンクホークス、オリックス・バファローズ、日南市で広島東洋カープと埼玉西武ライオンズが春のキャンプを行うほか、シーズン終了後の秋のキャンプも行われています。
県外からも多くのファンの方がこの機会に宮崎を訪れてくださり、ユニフォームを着ている熱心なファンの方を駅などでよく見かけます。また、駅の装飾もプロ野球チームカラーとなっています。プロ野球以外にも、サッカーJリーグのキャンプも年々増えています。今年は鹿島アントラーズや横浜F・マリノス、ファジアーノ岡山、大分トリニータ、アビスパ福岡がキャンプを行いました。
写真 「カープ油津駅」(JR油津駅)外観
写真 「ライオンズ南郷駅」(JR南郷駅)外観
名物の品
(1)豊富な魚介類
宮崎の北から南まで、黒潮の影響もあり広い海域で様々な種類の魚介類が水揚げされます。県南の日南市ではカツオ漁が盛んに行われ、近海カツオ一本釣り漁が有名です。
カツオと言えばポン酢で食べるタタキが一般的ですが、宮崎には皮目を炙った「焼っ切り」という郷土料理もあります。また、新鮮なカツオを七輪で炙る「炙り重」という食べ方が人気となっています。
写真 カツオ炙り重
(2)宮崎地鶏
宮崎の鶏料理の中で、全国的にも評判が高いのは、炭火焼きです。
地鶏の炭火焼きは、柔らかくジューシーな味わいとなっており、特に、真空パックで販売されているものはお土産としても人気があります。
炭火焼きのほかにも、小麦粉と卵で揚げた鶏肉を甘酢に漬けてタルタルソースと絡めたチキン南蛮もあります。
私の学生時代には、学校の給食でもチキン南蛮が提供されており、余剰が出た際には、本気のじゃんけん大会が行われるほど人気がありました。
写真 地鶏の炭火焼き
(3)焼酎
宮崎県は本格焼酎の出荷量全国1位となっています。芋、麦、米焼酎など様々な種類の焼酎を味わうことができ、手頃な価格と飲みやすさで親しまれています。
おわりに
冒頭でも触れましたが、宮崎県は日照時間が長く「日本のひなた」と称され、南国情緒あふれる場所がたくさんあります。
今回紹介させていただいた観光地や名物以外にも、宮崎県には運玉投げで有名な鵜戸神宮、日本有数のサーフスポットとして知られる木崎浜や、海岸沿いを旅する観光列車もありますので、今回の誌面を通して少しでも興味を持っていただけたら嬉しいです。
コロナ禍の影響で海外からの観光客が減っていましたが、現在では、海外からの定期便やクルーズ船も再開されています。
また、個人間の国際電子商取引が急速に拡大している中で税関を取り巻く環境も日々変化しています。
今後も私たちは、税関の使命である安全・安心な社会の実現、適正かつ公平な関税等の徴収、貿易円滑化の推進に取り組みながら、特に、宮崎にある税関として、地域の安全、安心な暮らしを守る一端を担っていきたいと思います。
【参考文献】
・宮崎県公式観光サイト
・日向市ホームページ
・日向市観光協会オフィシャルサイト
・高千穂町観光協会ホームページ