評者:渡部 晶
吉村 慎一 著
コミュニティの自律経営 広太郎さんとジェットコースター人生
梓書院 2024年7月 定価 本体2,000円+税
本書は、元福岡市職員で、故・山崎広太郎元福岡市長(在任期間1998年12月7日 - 2006年12月6日)を政策秘書などの立場で支えてきた吉村慎一氏が、2024年7月に上梓した自伝である。1952年生まれで、2013年3月に福岡市を定年退職、現在は、福岡市東区の香住ヶ丘6丁目3区町内会長をつとめる。
本書の帯には「福岡市発展の鍵は『コミュニティの自律経営』だった。自治都市博多の歴史と伝統に受け継がれる『民の力』を目覚めさせた、山崎広太郎市政。山崎広太郎市長が目指した『コミュニティの自律経営』とは何だったのか。激動の2000年代初頭の福岡市政をふりかえり、未来へつなぐドキュメンタリー」とある。
背景説明として、副題にもある政治家山崎広太郎氏について少し詳細に記述する。山崎氏は、1971年、福岡市議会議員選挙に立候補し、初当選。以後5期19年にわたり福岡市議を務めている。市議時代は自民党に所属した。1985年、福岡市議会議長に就任し、1990年まで務めた。1989年、第48代全国市議会議長会会長に就任。1990年に福岡市議を辞職し、翌1991年に福岡県知事選挙に無所属で立候補したが、現職の奥田八二知事に敗れ、落選した。1993年、前年に結党された日本新党公認で第40回衆議院議員総選挙に旧福岡県第1区(定数6)から立候補。自民党の山崎拓や太田誠一、日本社会党の松本龍、公明党の神崎武法、社会民主連合の楢崎弥之助ら、同区選出の有力議員らを抑えてトップ当選を果たした。衆院議員在職中は地方分権特別委員会の理事を務め、地方分権推進法の制定に取り組む。1996年、第41回衆議院議員総選挙に新進党公認で福岡県第2区から立候補したが、自民党の山崎拓に敗れた。1998年、福岡市長選挙に無所属で立候補。現職の桑原敬一市長を破り、当選した。2002年の福岡市長選では、自民・民主・公明・自由・保守の与野党5党から推薦を受け、再選。2006年11月の福岡市長選では、3選を目指し自民党推薦で立候補したが、民主・社民2党の推薦を受けた新人の吉田宏に約2万票差で敗れ、政界からの引退を表明。2012年、旭日重光章を受章。2021年3月11日脳内出血のため、79歳で死去。吉村氏は1989年4月に議長秘書となり、1994年に福岡市役所を退職し、山崎氏の衆議院議員秘書(政策担当)をつとめた。その後、山崎氏の福岡市長就任とともに、一般職で福岡市に復帰したのだった。
構成は、『コミュニティの自律経営/広太郎さんとジェットコースター人生』に寄せて (井坂康志・ものつくり大学教養教育センター教授/ドラッカー学会共同代表による寄稿文)、はじめに、第一章 僕のジェットコースター人生、第二章 山崎広太郎市政の挑戦、第三章 福岡市のDNA改革、第四章 コミュニティの自律経営、第五章 もやい九州とともに、第六章 人生の補助線、第七章 妻の市役所人生大公開(吉村氏の伴侶も福岡市職員で、こども未来局長、城南区長などを歴任した)、あとがき、謝辞、吉村慎一年表、附録「体験的NPM論~福岡市DNA改革の検証」(吉村氏が2003年に九州大学大学院法学研究科に提出した修士論文の大要)などとなっている。
第1章は、福岡市役所入庁から定年退職後の社会福祉法人事務長までの人生を1975年4月から2018年4月までを8フェーズに分けて概観している。選挙の内実や、国政での有力政治家に関する回想なども目を引く。山崎市政は、三重県に続きNPMに由来する行政経営改革に先進的に真剣に取り組んだことで知られるが、それについて興味を持つものには第2章・第3章は必読だろう。福岡市のDNA改革の理論的な叙述としては『自治体DNA革命:日本型組織を超えて』(石井幸孝・上山信一編著 2001年)もあるが、吉村氏の実践を踏まえた叙述は読みごたえ十分だ。先日、この改革に由来する「全国都市改善改革実践事例発表会」の第17回目が埼玉県所沢市で開催された。来年は鹿児島県出水市で開催されることが決まっている。この根強い持続力には、「NPMは死んだ」というアカデミアの理屈を超える熱さがある。また、福岡市はコミュニティ政策でも知る人ぞ知る先進自治体であるが、これについては第4章が貴重な記述となっている。また、行政経営フォーラムの九州部会として発足した“大人の部活動”「もやい九州」の活動その他の吉村氏の幅広い「課外活動」については第5章・第6章に生き生きとしるされている。いろいろな関心から読める魅力的な力作である。文章も率直で読みやすい。ぜひ、広く一読をお勧めしたい。
吉村 慎一 著
コミュニティの自律経営 広太郎さんとジェットコースター人生
梓書院 2024年7月 定価 本体2,000円+税
本書は、元福岡市職員で、故・山崎広太郎元福岡市長(在任期間1998年12月7日 - 2006年12月6日)を政策秘書などの立場で支えてきた吉村慎一氏が、2024年7月に上梓した自伝である。1952年生まれで、2013年3月に福岡市を定年退職、現在は、福岡市東区の香住ヶ丘6丁目3区町内会長をつとめる。
本書の帯には「福岡市発展の鍵は『コミュニティの自律経営』だった。自治都市博多の歴史と伝統に受け継がれる『民の力』を目覚めさせた、山崎広太郎市政。山崎広太郎市長が目指した『コミュニティの自律経営』とは何だったのか。激動の2000年代初頭の福岡市政をふりかえり、未来へつなぐドキュメンタリー」とある。
背景説明として、副題にもある政治家山崎広太郎氏について少し詳細に記述する。山崎氏は、1971年、福岡市議会議員選挙に立候補し、初当選。以後5期19年にわたり福岡市議を務めている。市議時代は自民党に所属した。1985年、福岡市議会議長に就任し、1990年まで務めた。1989年、第48代全国市議会議長会会長に就任。1990年に福岡市議を辞職し、翌1991年に福岡県知事選挙に無所属で立候補したが、現職の奥田八二知事に敗れ、落選した。1993年、前年に結党された日本新党公認で第40回衆議院議員総選挙に旧福岡県第1区(定数6)から立候補。自民党の山崎拓や太田誠一、日本社会党の松本龍、公明党の神崎武法、社会民主連合の楢崎弥之助ら、同区選出の有力議員らを抑えてトップ当選を果たした。衆院議員在職中は地方分権特別委員会の理事を務め、地方分権推進法の制定に取り組む。1996年、第41回衆議院議員総選挙に新進党公認で福岡県第2区から立候補したが、自民党の山崎拓に敗れた。1998年、福岡市長選挙に無所属で立候補。現職の桑原敬一市長を破り、当選した。2002年の福岡市長選では、自民・民主・公明・自由・保守の与野党5党から推薦を受け、再選。2006年11月の福岡市長選では、3選を目指し自民党推薦で立候補したが、民主・社民2党の推薦を受けた新人の吉田宏に約2万票差で敗れ、政界からの引退を表明。2012年、旭日重光章を受章。2021年3月11日脳内出血のため、79歳で死去。吉村氏は1989年4月に議長秘書となり、1994年に福岡市役所を退職し、山崎氏の衆議院議員秘書(政策担当)をつとめた。その後、山崎氏の福岡市長就任とともに、一般職で福岡市に復帰したのだった。
構成は、『コミュニティの自律経営/広太郎さんとジェットコースター人生』に寄せて (井坂康志・ものつくり大学教養教育センター教授/ドラッカー学会共同代表による寄稿文)、はじめに、第一章 僕のジェットコースター人生、第二章 山崎広太郎市政の挑戦、第三章 福岡市のDNA改革、第四章 コミュニティの自律経営、第五章 もやい九州とともに、第六章 人生の補助線、第七章 妻の市役所人生大公開(吉村氏の伴侶も福岡市職員で、こども未来局長、城南区長などを歴任した)、あとがき、謝辞、吉村慎一年表、附録「体験的NPM論~福岡市DNA改革の検証」(吉村氏が2003年に九州大学大学院法学研究科に提出した修士論文の大要)などとなっている。
第1章は、福岡市役所入庁から定年退職後の社会福祉法人事務長までの人生を1975年4月から2018年4月までを8フェーズに分けて概観している。選挙の内実や、国政での有力政治家に関する回想なども目を引く。山崎市政は、三重県に続きNPMに由来する行政経営改革に先進的に真剣に取り組んだことで知られるが、それについて興味を持つものには第2章・第3章は必読だろう。福岡市のDNA改革の理論的な叙述としては『自治体DNA革命:日本型組織を超えて』(石井幸孝・上山信一編著 2001年)もあるが、吉村氏の実践を踏まえた叙述は読みごたえ十分だ。先日、この改革に由来する「全国都市改善改革実践事例発表会」の第17回目が埼玉県所沢市で開催された。来年は鹿児島県出水市で開催されることが決まっている。この根強い持続力には、「NPMは死んだ」というアカデミアの理屈を超える熱さがある。また、福岡市はコミュニティ政策でも知る人ぞ知る先進自治体であるが、これについては第4章が貴重な記述となっている。また、行政経営フォーラムの九州部会として発足した“大人の部活動”「もやい九州」の活動その他の吉村氏の幅広い「課外活動」については第5章・第6章に生き生きとしるされている。いろいろな関心から読める魅力的な力作である。文章も率直で読みやすい。ぜひ、広く一読をお勧めしたい。