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世の中は便利になっているはずなのに


経済評論家
加谷 珪一

 このところ、社会のあちこちで、いろいろなことがうまく回らなくなっていると感じてはいないだろうか。現代社会は便利でスピーディーになっているはずなのに、逆に振り回されているとの印象を持つ人は少なくない。一部の識者からは、現代資本主義が限界に達しつつあり、時代の転換点を迎えつつあると指摘する声も出ている。
 いつの時代も人は「今」を嘆くものだが、1990年代以降、全世界的に拡大してきたグローバリゼーションやデジタル化の波が一段落しつつある可能性は高く、パラダイム転換の予兆は統計にも表れ始めている。
 通常、経済が活発になると、人やモノの行き来も増える。当たり前のことかもしれないが、経済が拡大すれば、より多くの人が出張やレジャーに出かけるので、人の移動は活発になっていくものだ。ところが近年はそうした傾向に異変が生じており、経済成長のスピードよりも人やモノの移動が過剰に増え、両者のトレンドに乖離が生じている。例えば、飛行機の旅客数の推移を見ると、1980年代から2000年代前半にかけては、経済(実質GDP)の伸びと旅客数は比例して増えていた。ところが2000年代の半ば以降、飛行機で移動する人の数が急激に増え、経済成長をはるかに上回るペースでの伸びが続く。世界の貿易量も同じような傾向を示している。2000年代から貿易量が経済成長を上回っており、その傾向は今も変わらない。
 LCC(格安航空会社)の発達で海外旅行はとても便利になった。だが、最近の空の旅はせわしなく、乗り継ぎ時間や手荷物制限もますますタイトになっており、無事に目的地に到達できるのか、多くの人がビクビクしながら旅している。ネット空間ではワンクリックで世界中から商品を取り寄せられるのだが、ポイントや再配達など、精神的な意味での手間はむしろ増えた感覚すらある。
 こうした大きなテーマについて予断をもって述べることには慎重であるべきだが、一連の変化はやはり気になるものであり、その兆候らしきものが観察されている以上、考えずにはいられない。大胆に言わせてもらえば、私たちは世界中からモノを買ったり、激しく移動するようになったものの、思ったほど豊かになれなかったのではないだろうか。
 実は、似たような現象がちょうど100年前にも発生している。当時も今と同様、急激にテクノロジーが発達し、交通網が拡大することで経済のグローバル化が進んだ。当時のハイテクは飛行機とネットではなく鉄道と電信だが、起こったことはほぼ同じである。当時の経済の伸びと鉄道旅客数の推移を比較すると、今と同様、経済の伸びをはるかに超えて鉄道輸送が伸びている。しかも不気味なことに、現代と同じく全世界的なパンデミック(スペイン風邪)が発生。多くの死者を出したことで、一連のグローバリゼーションには終止符が打たれた。
 資本主義というのは、多くの人の欲望を満たすことができる素晴らしいシステムだが、行き過ぎてしまうと便利さが逆に私たちの生活を圧迫していく。近年、世界各国では従来型の政治や社会の仕組みに対する反発の声が高まっており、体制を変えようという政治的な動きが活発になっている。歴史は繰り返すとよく言われるが、時代の転換点に差し掛かっているという仮説は本当かもしれない。もしそうだとするならば、税や社会保障、企業の振る舞いなど、現代社会を形作る諸制度について、もう一度、ゼロベースで見直すという謙虚な態度が必要だろう。