・人事データから解明する子育てペナルティ:昇進システムと男女間賃金格差
財務総合政策研究所 総務研究部研究員 松隈 拓人
総務研究部主任研究官 森 友理
財務総合政策研究所では、財務省内外から様々な知見を有する実務家や研究者等を講師に招き、業務を遂行する上で参考になる幅広い知識や情報を得る場として「ランチミーティング」を開催しています。今月のPRI Open Campus では、2025年6月5日(木)に東京大学大学院経済学研究科教授の山口慎太郎教授にご講演いただいた内容を、「ファイナンス」の読者の方々にご紹介します。
「人事データから解明する子育てペナルティ:昇進システムと男女間賃金格差」
山口 慎太郎 東京大学大学院経済学研究科 教授
専門分野は労働市場を分析する「労働経済学」と結婚・出産・子育てなどを経済学的手法で研究する「家族の経済学」。
平成13年3月慶應義塾大学商学研究科修士、平成18年5月米国ウィスコンシン大学経済学PhD、カナダ・マクマスター大学助教授・准教授、東京大学大学院経済学研究科准教授を経て現職。
内閣府・男女共同参画会議をはじめ、中央省庁や自治体の各種会議で委員を務める。また、民間企業とも共同研究を実施し、女性活躍や男性育休取得推進などの分野でアドバイスを行う。
日本経済新聞、NHKなどの主要メディアで、経済や社会問題、政策について多数のコメントを提供。
『「家族の幸せ」の経済学』(光文社新書)で第41回サントリー学芸賞を受賞。『子育て支援の経済学』(日本評論社)は第64回 日経・経済図書文化賞を受賞。2021年に日本経済学会石川賞受賞。
1.子育てペナルティとは
本稿において「子育てペナルティ」とは、第一子の誕生を契機として女性に大幅な収入の落ち込みが生じ、男女間賃金格差が広がる現象を指します。この格差、ないしは女性の収入の減少は時間とともにある程度は回復しますが、10年、15年と長期間が経っても完全には回復しないというパターンが、世界中で観測されています。
この子育てペナルティ(チャイルドペナルティ)という表現は、一般の方から、「子供を産むことがペナルティなのか」とのご批判を受けることもあります。おっしゃる通りだと思いますし、経済学・社会科学的にも表現として望ましくないという議論はあります。ただし、この表現を用いることで問題の存在が認識され、解決に向けた議論や合意形成が進むと考えるため、学術用語として使用しています。ここで「ペナルティ」とは、ペナルティを受けるかのように収入が減る、労働市場で何らかのマイナスの影響を受ける、という意味です。子供を持つこと自体は素晴らしいことですが、労働市場の側面から見ると、特に女性には負の側面を伴うという点が、これまで様々な社会科学で指摘されてきたところです。
2.研究の概要・背景
今回の研究では、ある日本の大手製造業企業を対象に、企業の人事データを用いて子育てペナルティの大きさとその要因を分析しました。主要な発見は大きく3点です。
1点目、当該企業における子育てペナルティは、10年平均で55%、つまり子供が生まれてから10年間を平均すると、子供が生まれなかった場合よりも男女間賃金格差が55%拡大するということが明らかになりました。この数字が国内の他企業にも当てはまるのかというと、もちろん企業によってばらつきはありますが、日本全体を対象とした研究でも、子育てペナルティはおよそ40~50%程度とされており、大きくは違わないということは言えると思います。
2点目、子育てペナルティ自体は長期間継続するものの、その背後にある要因は時間とともに変化することが分かりました。具体的には、出産直後は、育休取得や時短勤務により労働時間が減少し、これが子育てペナルティのほとんどの要因となっています。しかし、子供の成長に伴い育児にかかる時間が減少すると、職場に復帰してフルタイム勤務や残業をする方も少なくないです。労働時間の意味では、現場に復帰できているにもかかわらず、大きな賃金格差は残るのです。その主因は昇進機会の欠如であり、役職が低いランクにとどまることが子育てペナルティにつながっているのです。つまり、出産直後は長時間働けないことがダイレクトに給与に影響するのですが、この労働時間の一時期の減少は、実は短期間で終わる話ではなく、評価や昇進の遅れを通じて、長期にわたり影響を及ぼす構造が明らかになったといえます。
3点目、この企業では「長時間労働が高く評価され、その結果昇進しやすくなる」というメカニズムが、いわゆる一般社員レベルにおいて非常によく観察されました。もちろん、この企業の明文化された人事制度において、労働時間を評価基準に含めるとは一切規定されていません。むしろ人事部門としては「労働時間ではなく生産性や成果で評価すべき」ということを、現場に対して指導しているのですが、そうはいっても長時間労働が評価されるという昇進慣行からなかなか抜け出せていないのです。
私たちは、この企業の現行の昇進制度あるいは慣行は、生産性・公平性の両面で非効率的であると考えています。なぜなら、労働時間を重視する仕組みでは、長時間働ける人ほど昇進しやすい一方で、家庭の事情等で長時間働けない人は昇進の機会を得にくくなるからです。これは個人の立場としては不公平と感じるでしょう。長時間働くことはできなくても優秀な人材は数多く存在します。実際、そのことを示唆するデータも確認されています。それにもかかわらず、この企業では長時間労働が前提となっており、時間に制約があるものの優秀な人材が活用されない状況に陥っています。結果として、会社としては生産性向上の機会を失い、個人としても優秀なのに登用されないという、両者にとってマイナスの状態が生じているのです。
このような昇進制度あるいは慣行を見直し、優秀な女性がより多く登用されるようになれば、この企業における男女間の賃金格差は解消され、同時に優秀な人材が正しく登用されるようになります。会社と個人の双方にとってプラスとなり、Win-Winの関係を実現できるのです。そのためには、長時間労働に依存しない評価を徹底することが重要になると思います。会社としては「生産性・成果で評価する」という方針を公に掲げているものの、現場に十分浸透していないのが実情です。人事部門としては評価体系に関する指導を行うとともに、人事制度そのものを長時間労働に依存しない仕組みへと改革していく必要があると考えています。
そもそも、なぜ私たちがこのような研究を行っているのかについて説明します。もともと、男女間の賃金格差というのは、世界的に見ても依然として大きく、日本は特にその差が顕著です。日本を除く先進国においては高学歴女性が増加しているにもかかわらず、男女間の賃金格差は持続しています。実際、四年制大学の卒業者(学士号以上)は女性の方が男性よりも多く、学歴ベースでは女性の方が高学歴であるにもかかわらず賃金水準は男性が上回っています。
なぜこのようなことが起こるのでしょうか。この疑問に対して、これまで差別や労働時間の問題など、さまざまな角度から分析が行われてきましたが、近年では労働経済学の中で注目すべき点について、ある程度のコンセンサスが形成されつつあります。現在の研究の動向としては、男女間の賃金格差に関する分析は、出産の影響、つまり子育てペナルティに注目して進めることが、問題解決への近道であるとの認識が広がっています。従来の子育てペナルティに関する論文は、データの制約もあり、出産を機にパートで働けるような仕事に自らの意思で切り替えるまたは家庭内で夫が家事・育児に十分参加しないといった、労働者側の原因を深掘りする研究が多く、家計単位のデータを用いて労働供給側の原因を分析するアプローチが中心でした。これに対して、私たちの研究は労働市場の反対側、すなわち労働需要側、企業の内部で何が起きているのかに着目しています。こうした観点の研究は、私たちの把握する限りでは、まだ他に例がないのではないかと思っています。今回の研究の独自性はまさにそこにあります。
3.研究対象企業の特徴
企業に提供いただいた詳細な人事データには給与明細のデータも含まれているので、給与計算に用いられる情報はすべて把握できます。また、所属部署や職階も分かるので、企業内でヒエラルキーをどのように登っていくのかを追跡することが可能です。
当該データを提供いただいた企業は、とある日本の大手製造業(消費財メーカー)で、従業員数は4,000人にのぼります。規模としては大企業に分類される企業です。
この企業は、いわゆる働きやすい良い会社とイメージしていただいていいと思います。離職率は全年齢平均で年4%程度と低く、男女差もほとんどありません。しかも離職のほとんどは20代に集中しており、30歳時点で在籍していた社員の大半はそのまま残っています。実際、30歳以降の年離職率は1%程度にとどまっています。このため、従業員が長期間データに留まるので、出産後の動向を継続的に追跡できる点が大きな特徴です。こうした特徴は日本ならではといえるでしょう。
この企業は、いわば日本の古き良き家庭的な企業であり、優れた点も多くあります。一方で、男女間の格差については日本の製造業に典型的な傾向を示しています。例えば、男女間の賃金格差は約30%と、製造業平均よりやや上回る水準です。女性管理職比率は8%で、全業種平均(19%)より低く、男性中心の社会である製造業平均(7%)とほぼ同程度であり、むしろ典型的といえます。したがって、本研究はたった一企業に基づいたものですが、決して特殊な事例ではなく、日本の数多くの企業に当てはまるのではないかと考えています。
また、この企業がなぜ働きやすいのかというと両立支援に積極的に取り組んでいるからです。例えば、育休(法定通り最大52週)や短時間勤務(子供が12歳になるまで利用可能)は比較的早い段階から導入されています。さらに、一部工場では企業内託児所も用意されており、在宅勤務制度も導入されています。イメージとしては「母親に優しい」とか、「男性はフルタイム勤務を前提としつつ、女性は短時間勤務等を活用して子供が生まれても働き続けられるような会社」を目指し、努力を重ねてきた企業だといえます。実際、日本の大手製造業の約65%が同様の制度を導入しています。
しかし、こうした両立支援制度の充実だけでは男女間の格差という問題は解決できません。制度の存在によって一定の改善はみられるものの、男女間の賃金格差は依然として縮まらず、女性管理職比率の向上にも限界があります。つまり、両立支援制度の充実だけでは不十分であり、最後の詰めの部分に大きな課題が残されていることを理解するうえで、本研究は重要なケーススタディであると考えます。
4.分析データの詳細
ここで、本研究の最大の特徴であるデータについて少し詳しく説明します。研究対象である企業は歴史ある会社ですが、システム変更時に一部データが利用不可となったことから、残っている2013年9月から2024年の1月までのデータを分析対象としています。
メインとなるのは給与明細データ(月次)です。給与は「○○手当」といった形で細かく分かれており、全部で27項目に分類されています。これらは分析のため、いくつかのカテゴリーに分類して使用しました。さらに職階や昇進、労働時間に関する記録も月単位で残されています。辞令が出た日付も特定できるため、昇進や異動の正確なタイミングも把握することができます。人事評価は年1回、直属の上司による評価を一段上の上司が承認するという仕組みになっており、5段階評価で記録されています。さらに、従業員アンケートのデータも存在し、個人IDで当該データと紐づいています。当該アンケートでは「昇進意欲」や「仕事家庭葛藤(仕事と家庭の両立のための会社への配慮の要望)」を把握できるようになっています。
このような企業内人事データの詳細な給与分解は、国際的にも珍しいものです。企業内人事データを用いた研究は各国で少数しか存在しません。日本国内では早稲田大学の大湾秀雄先生のグループが複数の企業内人事データをお持ちだったと思います。
さらに、最近特に重要だと気づいたこの企業のデータの強みは、離職率が低いため長期的に個人の追跡ができる点に加えて、家族情報が含まれている点です。子供の生年月日まで把握できるため、出産や育児の影響、いわゆる「子育てペナルティ」の分析が可能になっています。多くの企業では給与計算に直接反映されない家族情報は欠落していることが多いのですが、この企業では詳細に記録されており、研究にとって大きな強みとなっています。なお、海外の研究グループと話した際に、プライバシーに対する感覚の違いもあり、本人以外の家族情報を取得できないことから、こうした研究は難しいと聞きました。
次に、今回の分析で用いた27種類の給与項目について説明します。これらは以下のとおり、大きく4つのカテゴリーに整理しました。
5.分析対象企業における職階構造・昇進制度
次に、役職の階層構造についてです。役職は一般社員、主任・班長、係長、管理職(課長以上)の4つに分類されています。この企業では飛び級はなく、必ず段階を踏んで昇進します。昇進は上司の推薦をもとに人事部門が決定しますが、基本的にその判断を人事部門で覆すことはありません。また、昇進は総合的な評価によって決まりますが、その中でも人事評価の得点が大きく影響しています。図表1 男女別役職分布のとおり、役職分布を性別で見ると、男女間に顕著な格差があることが分かります。つまり、女性は、管理職はおろか、主任や係長といった役職にもほとんど登用されていないというのがこの企業の特徴です。
6.分析対象企業における出産後の就業状況
続いて、分析対象企業における出産後の就業状況についてご説明します。出産時点で在籍している従業員は、原則として一旦復職する前提ですので、出産直後に離職する方はほとんどいません。その後徐々に離職者が出てきますが、10年経過しても離職率が1割程度にとどまっています。10年間の平均離職率は1.1%で、出産後に離職する方が非常に少ないという点が大きな特徴です。では、出産後に在籍している従業員はどのような働き方を選択しているのでしょうか。出産前後には、ほとんどの従業員が産休・育休を取得し、おおむね2年以内に復帰しています。第二子の出産等で再度取得するケースも見られます。また、出産後に時短勤務を選択する従業員が圧倒的に多く、フルタイム勤務は当初こそ約50%を占めるものの、復職後に徐々に減少していきます。実際に働いてみて「フルタイム勤務は厳しい」と判断するケースもあるのだと考えられます。ポイントは、出産後の離職者は少なく、多くの女性が時短勤務を選択しているという点です。
7.分析手法およびその結果
ここから少しテクニカルなお話をします。分析の枠組みとしては「イベントスタディ」という考え方を用います。子供が生まれるという出来事を「イベント」と定義し、その後のキャリアの変化を追跡します。このとき、子供が生まれた従業員を「処置群(Treatment Group)」とし、比較対象として「対照群(Control Group)」を設定します。問題は「子供が生まれなかった場合、その人のキャリアはどうなっていたか」を推測する必要があるということです。そのため、結婚しているが子供を持たない従業員を対照群として用います。具体的には、ある年に第一子を出産した人について、その1年前の時点で「同じ性別・学歴・生年・婚姻状況」を持つ非常に近いプロファイルの従業員をペアの対象として見つけてきます。結果的に子供を持った人が処置群、持たなかった人が対照群として、この二者のキャリアパスを比較します。
分析では、出産60か月前から出産後180か月まで、広い期間を追跡しています。さらに、個人固定効果、性別年次固定効果、学歴や年齢といったプロファイルを調整することで、処置群と対照群の比較が公平となるようにしています。その結果、出産前における両群の労働時間・人事評価・月収にはほとんど差がないことが確認できました。
実際に、図表2 第一子誕生前後の給与推移「第一子誕生前後の給与推移」を見てみます。横軸は第一子誕生からの経過月数で、ゼロ地点で子供が誕生しており、その左側は誕生前、右側が誕生後です。女性の結果をみると、処置群のラインが出産直後に大きく下がり、第二子の誕生でも再度下がります。その後、少しずつ回復するものの、完全に差が埋まるわけではありません。これに対し、対照群は、同じタイミングでも給与が緩やかに上昇していきます。また、出産の有無による違いを検証するため、過去5年間さかのぼって処置群と対照群を比較してみましたが、出産前の給与に大きな差は見られませんでした。したがって、「キャリアが順調だから子供を持つ(あるいは持たない)」という選択があったとしても、その違いは出産前の給与や労働時間には反映されていないということがわかります。
一方、男性の給与推移は女性とは異なり、処置群の給与はマイナスどころかむしろプラスになっています。つまり、男性にとっては「子育てペナルティ」ではなく「子育てプレミアム」が生じているのです。これは主に扶養手当によるものです。子供が生まれると、1人あたり月額1万5千円程度の手当が支給されるためです。
図表3 子育てペナルティ(給与総額(月額))~図表6 子育てペナルティ(諸⼿当)は、給与項目ごとの変化を分析した「子育てペナルティの詳細」です。横軸は第一子出産からの経過月数で、縦軸は賃金の基準からの乖離を示しています。
男性の場合、子供誕生までは変化がないものの、誕生と同時に給与が上がり、第二子・第三子と続けばさらに加算されます。女性の場合は、出産まではほぼ横ばいですが、出産のたびに大きく下がり、回復しても完全には元に戻りません。これは月額給与総額全体を見た結果です。さらに、残業手当・時短控除に注目すると、男性は給与にほとんど変化がない一方で、女性は大きく減少しています。役職・職階手当については、男性は10年以上経つと給与が増加するケースがあるのに対し、女性は逆に低下しています。興味深いのは各種手当で、男性の場合は子供誕生の瞬間に給与が自動的に上がるのに対し、女性はほとんど変化がなく、フラットだという点です。
次に、子育てペナルティがどのように生じているのかを、図表7 子育てペナルティの要因分解「子育てペナルティの要因分解」で給与項目ごとに見ていきます。ここでは、子育てペナルティ全体を100とした場合に、子育てペナルティの何パーセントが諸手当、役職、または労働時間に関連する給与から生じているかがわかります。ご覧いただくと、全体を通じて諸手当が無視できない規模で効いていることが確認できます。また、出産から最初の5年程度は、ほとんどの違いが労働時間によって説明できるのですが、出産から15年ほど経つと、役職に基づく違いが最大の要因に変化していきます。つまり、昇進の違いが大きな要因であることが分かります。
8.研究対象企業における男女間の昇進格差の実態
次に、男女間で昇進率がどの程度異なるのかを見てみます。一般社員から最初の役職である主任・班長への昇進率は男性が年率4.5%に対し、女性は1.8%です。主任・班長から係長への昇進率は男性8%、女性9%、さらに係長から課長への昇進率は男性7%、女性5%です。つまり、一度昇進すればその先の男女差はあまり大きくないのですが、そもそも最初の役職に上がれないことが非常に大きな違いになっています。
この違いがどこから生じるのかを確認するため、回帰分析を行いました。左辺の被説明変数には「翌年に昇進したがどうか」を0-1のダミーをとって、右辺には人事評価、労働時間、性別、学歴、年齢、固定効果等を入れました。その結果を示したのが図表8 人事評価と昇進率の関係です。縦軸は昇進率、横軸は人事評価の得点です。どの役職でも、圧倒的に多い人事評価は3と4です。一般社員から最初の役職である主任・班長への昇進率を見ると、人事評価の得点が高いほど昇進率が高いことがはっきり見えます。これは主任・班長から係長への昇進率についても同様です。つまり、高い人事評価を得ることが重要であることが分かります。
では評価はどのように決まるのか。次に、「人事評価得点」を被説明変数として分析を行いました。その結果を、散布図を用いて総労働時間のグループごとに整理したものが図表9 労働時間と人事評価の関係です。縦軸は人事評価の得点、横軸は年間総労働時間です。およそ2,000時間がフルタイム勤務なのですが、一般社員の中には労働時間の短い方(年間1,000時間)も一定存在します。図表9を確認すると、一般社員については、人事評価の得点と総労働時間が関係している、つまり労働時間が長いほど評価が高く、残業が評価に直結していることが分かります。ところが主任・班長以上になると、労働時間の長さと評価との間には関係がほとんどなくなります。むしろ残業が多いほど評価が下がる傾向すら見られます。つまり、この会社では一般社員の間は長時間労働が評価に直結するが、主任・班長以上になると労働時間での評価はなされないのです。役職者に求められるスキルは一般社員とは異なるため、このような評価体系になっているのかと思います。
9.子育てペナルティが生じるメカニズム
以上を整理すると、なぜ子育てペナルティが生じるのかが見えてきます。一般社員については長時間労働が高評価につながり、その結果として昇進しやすくなる。しかし、子育てにより時間制約が生じると、長時間労働ができず評価が下がり、昇進できない。この構造が子育てペナルティを生んでいると考えられます。
では、なぜ長時間労働が評価されるのでしょうか。この点を企業の人事担当者に伺うと、現場としては緊急対応や時間外の顧客対応、設備トラブルへの対応、つまり現場への即応性が一般社員においては重視され、評価につながるとのことです。さらに、長時間労働に対して、残業手当は法定通りで支給しているが、現場ではそれでは不十分と感じているようで、不利な労働条件(長時間・不規則労働)に対する報酬として将来の昇進や高収入という形で報酬を与えている面もあるようです。
経済学の枠組みでは、長時間労働が評価される理由について、いくつかの理論が示されています。1つは「人的資本蓄積仮説」です。今頑張って働けば、その分だけ仕事を学び翌年以降の生産性が高まるというものです。会社では個人レベルの生産性は測定できませんが、チームや部署単位の生産性は観察可能です。そこで分析してみたところ、過去の労働時間と現在の生産性には相関が見られず、この仮説はあまり当てはまらないのではないかと考えています。
もう一つ有力なのが「シグナリング仮説」です。長時間働けるということは、仕事への強いコミットメントを示し、リーダーにふさわしい人物であることのシグナルになるというものです。つまり、長く働ける人は、それだけやる気や能力があると見なされる可能性があるわけです。ところが私たちの分析では、役職に就いた後は労働時間の長さによって評価が高まることはなく、リーダーとしての能力と労働時間の長さにはほとんど関係が見られませんでした。したがって、シグナリング仮説は一見もっともらしく思えますが、データによっては支持されない、というのが私たちの見解です。
最後に「トーナメント仮説」です。これは同僚との競争の中で相対的な努力が重視されるというものです。絶対的に長時間働くことよりも、他人よりも長く働くことが評価され、結果的に従業員同士が過当競争のように労働時間を競ってしまう可能性があります。分析の結果、この仮説はある程度当てはまりました。つまり、部署で最も労働時間が長い人は、絶対的な労働時間が同じでも「相対的に1位」であることで、さらに評価が上乗せされる傾向が見られたのです。
子育てペナルティが生じるその他の要因についても検証しました。1つ目は、母親に対する直接的差別(出産後の女性は仕事に対するやる気が低下しているといった偏見等)の有無を確認しました。結果としては、人事評価において女性は不利になることは安定的に確認されるのですが、出産前後で特別な変化は見られませんでした。
2つ目は、出産後の昇進意欲の変化です。出産前から男性の方が女性よりも昇進意欲が高いものの、出産前後で特に変化は見られませんでした。一方、仕事をするうえで家庭の事情を配慮してほしいといったリクエストは女性の方が男性よりも大きく増加するということが確認されました。
総合すると、差別や昇進意欲の低下というよりも、家庭に対する責任の増加により、特に女性の方で時間制約により機会費用が増大することが、子育てペナルティの背景にあると考えられます。
10.本研究の意義と今後の課題
私たちの研究は、あくまで日本の一企業におけるケーススタディに過ぎません。したがってどの程度一般化可能かという疑問は残ります。そこで参考になるのが、自治体の税務データを用いて子育てペナルティについて分析したFukai and Kondo (2025)です。この研究も必ずしも代表性のあるサンプルではありませんが、データ規模が大きく、私たちの一企業の事例よりはるかに汎用性の高い結果といえます。その結果によれば、出産後4年で女性の所得が50%低下するとされています。本研究では63%でしたが、育児給付の扱い等計測方法の違いを考慮すると大きな解離はなく、概ね一致していると考えます。
海外の研究によると、5~10年の平均的な子育てペナルティは約43.5%です。国や計測方法によってばらつきはありますが、北欧諸国では家族政策や男女平等が進んでいるため相対的に小さい水準となっています。日本の子育てペナルティはアメリカよりも大きく、イギリスと同水準で、またドイツやオーストラリア、オーストリアよりは小さい水準となっています。つまり、日本は国際的に高い部類に入るものの、さらに大きな国も存在しているという状況です。
まとめると、私たちの分析では子育てペナルティは55%程度で、その主因は短時間労働です。そして短時間労働が理由となって高い評価がつかず、結果として昇進機会を失うという仕組みが確認されました。その背景には、長時間労働を重視する昇進慣行があると考えています。これは優秀な労働者本人にとっても企業にとっても大きな損失です。実際に、残業はたくさんできないが、フルタイムで十分に働ける優秀な女性が多数存在するように見受けられましたが、結果として優秀な女性は一般社員に滞留しています。
本研究の成果にどの程度普遍性があるか、非効率な昇進制度がなぜ存続するのかといった点については、十分に解明できていません。制度改革に対する抵抗感が強く、見直しが進まないのかもしれません。
本研究の結果は、データ提供いただいた企業にもご説明しました。それを受けて企業側からは「長く働いてくれる人に報いる必要がある」との声があり、それ自体は正当な考えだと思います。しかし、報いる方法として昇進を用いるのではなく、例えば残業手当の割増等金銭的インセンティブの形で行う方が望ましいのではないかともお話しました。というのも、長時間労働を理由に昇進させると、本来昇進にふさわしい人材が昇進できず、逆にリーダーシップに欠ける人が昇進してしまうなどの弊害が大きいためです。したがって、長時間労働者への報酬は昇進よりも金銭的補償で行う方が合理的であると考えられます。
財務総合政策研究所
POLICY RESEARCH INSTITUTE, Ministry Of Finance, JAPAN
過去の「PRI Open Campus」については、
財務総合政策研究所ホームページに掲載しています。
https://www.mof.go.jp/pri/research/special_report/index.html
図表4 子育てペナルティ(残業⼿当・時短控除)
図表5 子育てペナルティ(役職・職階)
財務総合政策研究所 総務研究部研究員 松隈 拓人
総務研究部主任研究官 森 友理
財務総合政策研究所では、財務省内外から様々な知見を有する実務家や研究者等を講師に招き、業務を遂行する上で参考になる幅広い知識や情報を得る場として「ランチミーティング」を開催しています。今月のPRI Open Campus では、2025年6月5日(木)に東京大学大学院経済学研究科教授の山口慎太郎教授にご講演いただいた内容を、「ファイナンス」の読者の方々にご紹介します。
「人事データから解明する子育てペナルティ:昇進システムと男女間賃金格差」
山口 慎太郎 東京大学大学院経済学研究科 教授
専門分野は労働市場を分析する「労働経済学」と結婚・出産・子育てなどを経済学的手法で研究する「家族の経済学」。
平成13年3月慶應義塾大学商学研究科修士、平成18年5月米国ウィスコンシン大学経済学PhD、カナダ・マクマスター大学助教授・准教授、東京大学大学院経済学研究科准教授を経て現職。
内閣府・男女共同参画会議をはじめ、中央省庁や自治体の各種会議で委員を務める。また、民間企業とも共同研究を実施し、女性活躍や男性育休取得推進などの分野でアドバイスを行う。
日本経済新聞、NHKなどの主要メディアで、経済や社会問題、政策について多数のコメントを提供。
『「家族の幸せ」の経済学』(光文社新書)で第41回サントリー学芸賞を受賞。『子育て支援の経済学』(日本評論社)は第64回 日経・経済図書文化賞を受賞。2021年に日本経済学会石川賞受賞。
1.子育てペナルティとは
本稿において「子育てペナルティ」とは、第一子の誕生を契機として女性に大幅な収入の落ち込みが生じ、男女間賃金格差が広がる現象を指します。この格差、ないしは女性の収入の減少は時間とともにある程度は回復しますが、10年、15年と長期間が経っても完全には回復しないというパターンが、世界中で観測されています。
この子育てペナルティ(チャイルドペナルティ)という表現は、一般の方から、「子供を産むことがペナルティなのか」とのご批判を受けることもあります。おっしゃる通りだと思いますし、経済学・社会科学的にも表現として望ましくないという議論はあります。ただし、この表現を用いることで問題の存在が認識され、解決に向けた議論や合意形成が進むと考えるため、学術用語として使用しています。ここで「ペナルティ」とは、ペナルティを受けるかのように収入が減る、労働市場で何らかのマイナスの影響を受ける、という意味です。子供を持つこと自体は素晴らしいことですが、労働市場の側面から見ると、特に女性には負の側面を伴うという点が、これまで様々な社会科学で指摘されてきたところです。
2.研究の概要・背景
今回の研究では、ある日本の大手製造業企業を対象に、企業の人事データを用いて子育てペナルティの大きさとその要因を分析しました。主要な発見は大きく3点です。
1点目、当該企業における子育てペナルティは、10年平均で55%、つまり子供が生まれてから10年間を平均すると、子供が生まれなかった場合よりも男女間賃金格差が55%拡大するということが明らかになりました。この数字が国内の他企業にも当てはまるのかというと、もちろん企業によってばらつきはありますが、日本全体を対象とした研究でも、子育てペナルティはおよそ40~50%程度とされており、大きくは違わないということは言えると思います。
2点目、子育てペナルティ自体は長期間継続するものの、その背後にある要因は時間とともに変化することが分かりました。具体的には、出産直後は、育休取得や時短勤務により労働時間が減少し、これが子育てペナルティのほとんどの要因となっています。しかし、子供の成長に伴い育児にかかる時間が減少すると、職場に復帰してフルタイム勤務や残業をする方も少なくないです。労働時間の意味では、現場に復帰できているにもかかわらず、大きな賃金格差は残るのです。その主因は昇進機会の欠如であり、役職が低いランクにとどまることが子育てペナルティにつながっているのです。つまり、出産直後は長時間働けないことがダイレクトに給与に影響するのですが、この労働時間の一時期の減少は、実は短期間で終わる話ではなく、評価や昇進の遅れを通じて、長期にわたり影響を及ぼす構造が明らかになったといえます。
3点目、この企業では「長時間労働が高く評価され、その結果昇進しやすくなる」というメカニズムが、いわゆる一般社員レベルにおいて非常によく観察されました。もちろん、この企業の明文化された人事制度において、労働時間を評価基準に含めるとは一切規定されていません。むしろ人事部門としては「労働時間ではなく生産性や成果で評価すべき」ということを、現場に対して指導しているのですが、そうはいっても長時間労働が評価されるという昇進慣行からなかなか抜け出せていないのです。
私たちは、この企業の現行の昇進制度あるいは慣行は、生産性・公平性の両面で非効率的であると考えています。なぜなら、労働時間を重視する仕組みでは、長時間働ける人ほど昇進しやすい一方で、家庭の事情等で長時間働けない人は昇進の機会を得にくくなるからです。これは個人の立場としては不公平と感じるでしょう。長時間働くことはできなくても優秀な人材は数多く存在します。実際、そのことを示唆するデータも確認されています。それにもかかわらず、この企業では長時間労働が前提となっており、時間に制約があるものの優秀な人材が活用されない状況に陥っています。結果として、会社としては生産性向上の機会を失い、個人としても優秀なのに登用されないという、両者にとってマイナスの状態が生じているのです。
このような昇進制度あるいは慣行を見直し、優秀な女性がより多く登用されるようになれば、この企業における男女間の賃金格差は解消され、同時に優秀な人材が正しく登用されるようになります。会社と個人の双方にとってプラスとなり、Win-Winの関係を実現できるのです。そのためには、長時間労働に依存しない評価を徹底することが重要になると思います。会社としては「生産性・成果で評価する」という方針を公に掲げているものの、現場に十分浸透していないのが実情です。人事部門としては評価体系に関する指導を行うとともに、人事制度そのものを長時間労働に依存しない仕組みへと改革していく必要があると考えています。
そもそも、なぜ私たちがこのような研究を行っているのかについて説明します。もともと、男女間の賃金格差というのは、世界的に見ても依然として大きく、日本は特にその差が顕著です。日本を除く先進国においては高学歴女性が増加しているにもかかわらず、男女間の賃金格差は持続しています。実際、四年制大学の卒業者(学士号以上)は女性の方が男性よりも多く、学歴ベースでは女性の方が高学歴であるにもかかわらず賃金水準は男性が上回っています。
なぜこのようなことが起こるのでしょうか。この疑問に対して、これまで差別や労働時間の問題など、さまざまな角度から分析が行われてきましたが、近年では労働経済学の中で注目すべき点について、ある程度のコンセンサスが形成されつつあります。現在の研究の動向としては、男女間の賃金格差に関する分析は、出産の影響、つまり子育てペナルティに注目して進めることが、問題解決への近道であるとの認識が広がっています。従来の子育てペナルティに関する論文は、データの制約もあり、出産を機にパートで働けるような仕事に自らの意思で切り替えるまたは家庭内で夫が家事・育児に十分参加しないといった、労働者側の原因を深掘りする研究が多く、家計単位のデータを用いて労働供給側の原因を分析するアプローチが中心でした。これに対して、私たちの研究は労働市場の反対側、すなわち労働需要側、企業の内部で何が起きているのかに着目しています。こうした観点の研究は、私たちの把握する限りでは、まだ他に例がないのではないかと思っています。今回の研究の独自性はまさにそこにあります。
3.研究対象企業の特徴
企業に提供いただいた詳細な人事データには給与明細のデータも含まれているので、給与計算に用いられる情報はすべて把握できます。また、所属部署や職階も分かるので、企業内でヒエラルキーをどのように登っていくのかを追跡することが可能です。
当該データを提供いただいた企業は、とある日本の大手製造業(消費財メーカー)で、従業員数は4,000人にのぼります。規模としては大企業に分類される企業です。
この企業は、いわゆる働きやすい良い会社とイメージしていただいていいと思います。離職率は全年齢平均で年4%程度と低く、男女差もほとんどありません。しかも離職のほとんどは20代に集中しており、30歳時点で在籍していた社員の大半はそのまま残っています。実際、30歳以降の年離職率は1%程度にとどまっています。このため、従業員が長期間データに留まるので、出産後の動向を継続的に追跡できる点が大きな特徴です。こうした特徴は日本ならではといえるでしょう。
この企業は、いわば日本の古き良き家庭的な企業であり、優れた点も多くあります。一方で、男女間の格差については日本の製造業に典型的な傾向を示しています。例えば、男女間の賃金格差は約30%と、製造業平均よりやや上回る水準です。女性管理職比率は8%で、全業種平均(19%)より低く、男性中心の社会である製造業平均(7%)とほぼ同程度であり、むしろ典型的といえます。したがって、本研究はたった一企業に基づいたものですが、決して特殊な事例ではなく、日本の数多くの企業に当てはまるのではないかと考えています。
また、この企業がなぜ働きやすいのかというと両立支援に積極的に取り組んでいるからです。例えば、育休(法定通り最大52週)や短時間勤務(子供が12歳になるまで利用可能)は比較的早い段階から導入されています。さらに、一部工場では企業内託児所も用意されており、在宅勤務制度も導入されています。イメージとしては「母親に優しい」とか、「男性はフルタイム勤務を前提としつつ、女性は短時間勤務等を活用して子供が生まれても働き続けられるような会社」を目指し、努力を重ねてきた企業だといえます。実際、日本の大手製造業の約65%が同様の制度を導入しています。
しかし、こうした両立支援制度の充実だけでは男女間の格差という問題は解決できません。制度の存在によって一定の改善はみられるものの、男女間の賃金格差は依然として縮まらず、女性管理職比率の向上にも限界があります。つまり、両立支援制度の充実だけでは不十分であり、最後の詰めの部分に大きな課題が残されていることを理解するうえで、本研究は重要なケーススタディであると考えます。
4.分析データの詳細
ここで、本研究の最大の特徴であるデータについて少し詳しく説明します。研究対象である企業は歴史ある会社ですが、システム変更時に一部データが利用不可となったことから、残っている2013年9月から2024年の1月までのデータを分析対象としています。
メインとなるのは給与明細データ(月次)です。給与は「○○手当」といった形で細かく分かれており、全部で27項目に分類されています。これらは分析のため、いくつかのカテゴリーに分類して使用しました。さらに職階や昇進、労働時間に関する記録も月単位で残されています。辞令が出た日付も特定できるため、昇進や異動の正確なタイミングも把握することができます。人事評価は年1回、直属の上司による評価を一段上の上司が承認するという仕組みになっており、5段階評価で記録されています。さらに、従業員アンケートのデータも存在し、個人IDで当該データと紐づいています。当該アンケートでは「昇進意欲」や「仕事家庭葛藤(仕事と家庭の両立のための会社への配慮の要望)」を把握できるようになっています。
このような企業内人事データの詳細な給与分解は、国際的にも珍しいものです。企業内人事データを用いた研究は各国で少数しか存在しません。日本国内では早稲田大学の大湾秀雄先生のグループが複数の企業内人事データをお持ちだったと思います。
さらに、最近特に重要だと気づいたこの企業のデータの強みは、離職率が低いため長期的に個人の追跡ができる点に加えて、家族情報が含まれている点です。子供の生年月日まで把握できるため、出産や育児の影響、いわゆる「子育てペナルティ」の分析が可能になっています。多くの企業では給与計算に直接反映されない家族情報は欠落していることが多いのですが、この企業では詳細に記録されており、研究にとって大きな強みとなっています。なお、海外の研究グループと話した際に、プライバシーに対する感覚の違いもあり、本人以外の家族情報を取得できないことから、こうした研究は難しいと聞きました。
次に、今回の分析で用いた27種類の給与項目について説明します。これらは以下のとおり、大きく4つのカテゴリーに整理しました。
5.分析対象企業における職階構造・昇進制度
次に、役職の階層構造についてです。役職は一般社員、主任・班長、係長、管理職(課長以上)の4つに分類されています。この企業では飛び級はなく、必ず段階を踏んで昇進します。昇進は上司の推薦をもとに人事部門が決定しますが、基本的にその判断を人事部門で覆すことはありません。また、昇進は総合的な評価によって決まりますが、その中でも人事評価の得点が大きく影響しています。図表1 男女別役職分布のとおり、役職分布を性別で見ると、男女間に顕著な格差があることが分かります。つまり、女性は、管理職はおろか、主任や係長といった役職にもほとんど登用されていないというのがこの企業の特徴です。
6.分析対象企業における出産後の就業状況
続いて、分析対象企業における出産後の就業状況についてご説明します。出産時点で在籍している従業員は、原則として一旦復職する前提ですので、出産直後に離職する方はほとんどいません。その後徐々に離職者が出てきますが、10年経過しても離職率が1割程度にとどまっています。10年間の平均離職率は1.1%で、出産後に離職する方が非常に少ないという点が大きな特徴です。では、出産後に在籍している従業員はどのような働き方を選択しているのでしょうか。出産前後には、ほとんどの従業員が産休・育休を取得し、おおむね2年以内に復帰しています。第二子の出産等で再度取得するケースも見られます。また、出産後に時短勤務を選択する従業員が圧倒的に多く、フルタイム勤務は当初こそ約50%を占めるものの、復職後に徐々に減少していきます。実際に働いてみて「フルタイム勤務は厳しい」と判断するケースもあるのだと考えられます。ポイントは、出産後の離職者は少なく、多くの女性が時短勤務を選択しているという点です。
7.分析手法およびその結果
ここから少しテクニカルなお話をします。分析の枠組みとしては「イベントスタディ」という考え方を用います。子供が生まれるという出来事を「イベント」と定義し、その後のキャリアの変化を追跡します。このとき、子供が生まれた従業員を「処置群(Treatment Group)」とし、比較対象として「対照群(Control Group)」を設定します。問題は「子供が生まれなかった場合、その人のキャリアはどうなっていたか」を推測する必要があるということです。そのため、結婚しているが子供を持たない従業員を対照群として用います。具体的には、ある年に第一子を出産した人について、その1年前の時点で「同じ性別・学歴・生年・婚姻状況」を持つ非常に近いプロファイルの従業員をペアの対象として見つけてきます。結果的に子供を持った人が処置群、持たなかった人が対照群として、この二者のキャリアパスを比較します。
分析では、出産60か月前から出産後180か月まで、広い期間を追跡しています。さらに、個人固定効果、性別年次固定効果、学歴や年齢といったプロファイルを調整することで、処置群と対照群の比較が公平となるようにしています。その結果、出産前における両群の労働時間・人事評価・月収にはほとんど差がないことが確認できました。
実際に、図表2 第一子誕生前後の給与推移「第一子誕生前後の給与推移」を見てみます。横軸は第一子誕生からの経過月数で、ゼロ地点で子供が誕生しており、その左側は誕生前、右側が誕生後です。女性の結果をみると、処置群のラインが出産直後に大きく下がり、第二子の誕生でも再度下がります。その後、少しずつ回復するものの、完全に差が埋まるわけではありません。これに対し、対照群は、同じタイミングでも給与が緩やかに上昇していきます。また、出産の有無による違いを検証するため、過去5年間さかのぼって処置群と対照群を比較してみましたが、出産前の給与に大きな差は見られませんでした。したがって、「キャリアが順調だから子供を持つ(あるいは持たない)」という選択があったとしても、その違いは出産前の給与や労働時間には反映されていないということがわかります。
一方、男性の給与推移は女性とは異なり、処置群の給与はマイナスどころかむしろプラスになっています。つまり、男性にとっては「子育てペナルティ」ではなく「子育てプレミアム」が生じているのです。これは主に扶養手当によるものです。子供が生まれると、1人あたり月額1万5千円程度の手当が支給されるためです。
図表3 子育てペナルティ(給与総額(月額))~図表6 子育てペナルティ(諸⼿当)は、給与項目ごとの変化を分析した「子育てペナルティの詳細」です。横軸は第一子出産からの経過月数で、縦軸は賃金の基準からの乖離を示しています。
男性の場合、子供誕生までは変化がないものの、誕生と同時に給与が上がり、第二子・第三子と続けばさらに加算されます。女性の場合は、出産まではほぼ横ばいですが、出産のたびに大きく下がり、回復しても完全には元に戻りません。これは月額給与総額全体を見た結果です。さらに、残業手当・時短控除に注目すると、男性は給与にほとんど変化がない一方で、女性は大きく減少しています。役職・職階手当については、男性は10年以上経つと給与が増加するケースがあるのに対し、女性は逆に低下しています。興味深いのは各種手当で、男性の場合は子供誕生の瞬間に給与が自動的に上がるのに対し、女性はほとんど変化がなく、フラットだという点です。
次に、子育てペナルティがどのように生じているのかを、図表7 子育てペナルティの要因分解「子育てペナルティの要因分解」で給与項目ごとに見ていきます。ここでは、子育てペナルティ全体を100とした場合に、子育てペナルティの何パーセントが諸手当、役職、または労働時間に関連する給与から生じているかがわかります。ご覧いただくと、全体を通じて諸手当が無視できない規模で効いていることが確認できます。また、出産から最初の5年程度は、ほとんどの違いが労働時間によって説明できるのですが、出産から15年ほど経つと、役職に基づく違いが最大の要因に変化していきます。つまり、昇進の違いが大きな要因であることが分かります。
8.研究対象企業における男女間の昇進格差の実態
次に、男女間で昇進率がどの程度異なるのかを見てみます。一般社員から最初の役職である主任・班長への昇進率は男性が年率4.5%に対し、女性は1.8%です。主任・班長から係長への昇進率は男性8%、女性9%、さらに係長から課長への昇進率は男性7%、女性5%です。つまり、一度昇進すればその先の男女差はあまり大きくないのですが、そもそも最初の役職に上がれないことが非常に大きな違いになっています。
この違いがどこから生じるのかを確認するため、回帰分析を行いました。左辺の被説明変数には「翌年に昇進したがどうか」を0-1のダミーをとって、右辺には人事評価、労働時間、性別、学歴、年齢、固定効果等を入れました。その結果を示したのが図表8 人事評価と昇進率の関係です。縦軸は昇進率、横軸は人事評価の得点です。どの役職でも、圧倒的に多い人事評価は3と4です。一般社員から最初の役職である主任・班長への昇進率を見ると、人事評価の得点が高いほど昇進率が高いことがはっきり見えます。これは主任・班長から係長への昇進率についても同様です。つまり、高い人事評価を得ることが重要であることが分かります。
では評価はどのように決まるのか。次に、「人事評価得点」を被説明変数として分析を行いました。その結果を、散布図を用いて総労働時間のグループごとに整理したものが図表9 労働時間と人事評価の関係です。縦軸は人事評価の得点、横軸は年間総労働時間です。およそ2,000時間がフルタイム勤務なのですが、一般社員の中には労働時間の短い方(年間1,000時間)も一定存在します。図表9を確認すると、一般社員については、人事評価の得点と総労働時間が関係している、つまり労働時間が長いほど評価が高く、残業が評価に直結していることが分かります。ところが主任・班長以上になると、労働時間の長さと評価との間には関係がほとんどなくなります。むしろ残業が多いほど評価が下がる傾向すら見られます。つまり、この会社では一般社員の間は長時間労働が評価に直結するが、主任・班長以上になると労働時間での評価はなされないのです。役職者に求められるスキルは一般社員とは異なるため、このような評価体系になっているのかと思います。
9.子育てペナルティが生じるメカニズム
以上を整理すると、なぜ子育てペナルティが生じるのかが見えてきます。一般社員については長時間労働が高評価につながり、その結果として昇進しやすくなる。しかし、子育てにより時間制約が生じると、長時間労働ができず評価が下がり、昇進できない。この構造が子育てペナルティを生んでいると考えられます。
では、なぜ長時間労働が評価されるのでしょうか。この点を企業の人事担当者に伺うと、現場としては緊急対応や時間外の顧客対応、設備トラブルへの対応、つまり現場への即応性が一般社員においては重視され、評価につながるとのことです。さらに、長時間労働に対して、残業手当は法定通りで支給しているが、現場ではそれでは不十分と感じているようで、不利な労働条件(長時間・不規則労働)に対する報酬として将来の昇進や高収入という形で報酬を与えている面もあるようです。
経済学の枠組みでは、長時間労働が評価される理由について、いくつかの理論が示されています。1つは「人的資本蓄積仮説」です。今頑張って働けば、その分だけ仕事を学び翌年以降の生産性が高まるというものです。会社では個人レベルの生産性は測定できませんが、チームや部署単位の生産性は観察可能です。そこで分析してみたところ、過去の労働時間と現在の生産性には相関が見られず、この仮説はあまり当てはまらないのではないかと考えています。
もう一つ有力なのが「シグナリング仮説」です。長時間働けるということは、仕事への強いコミットメントを示し、リーダーにふさわしい人物であることのシグナルになるというものです。つまり、長く働ける人は、それだけやる気や能力があると見なされる可能性があるわけです。ところが私たちの分析では、役職に就いた後は労働時間の長さによって評価が高まることはなく、リーダーとしての能力と労働時間の長さにはほとんど関係が見られませんでした。したがって、シグナリング仮説は一見もっともらしく思えますが、データによっては支持されない、というのが私たちの見解です。
最後に「トーナメント仮説」です。これは同僚との競争の中で相対的な努力が重視されるというものです。絶対的に長時間働くことよりも、他人よりも長く働くことが評価され、結果的に従業員同士が過当競争のように労働時間を競ってしまう可能性があります。分析の結果、この仮説はある程度当てはまりました。つまり、部署で最も労働時間が長い人は、絶対的な労働時間が同じでも「相対的に1位」であることで、さらに評価が上乗せされる傾向が見られたのです。
子育てペナルティが生じるその他の要因についても検証しました。1つ目は、母親に対する直接的差別(出産後の女性は仕事に対するやる気が低下しているといった偏見等)の有無を確認しました。結果としては、人事評価において女性は不利になることは安定的に確認されるのですが、出産前後で特別な変化は見られませんでした。
2つ目は、出産後の昇進意欲の変化です。出産前から男性の方が女性よりも昇進意欲が高いものの、出産前後で特に変化は見られませんでした。一方、仕事をするうえで家庭の事情を配慮してほしいといったリクエストは女性の方が男性よりも大きく増加するということが確認されました。
総合すると、差別や昇進意欲の低下というよりも、家庭に対する責任の増加により、特に女性の方で時間制約により機会費用が増大することが、子育てペナルティの背景にあると考えられます。
10.本研究の意義と今後の課題
私たちの研究は、あくまで日本の一企業におけるケーススタディに過ぎません。したがってどの程度一般化可能かという疑問は残ります。そこで参考になるのが、自治体の税務データを用いて子育てペナルティについて分析したFukai and Kondo (2025)です。この研究も必ずしも代表性のあるサンプルではありませんが、データ規模が大きく、私たちの一企業の事例よりはるかに汎用性の高い結果といえます。その結果によれば、出産後4年で女性の所得が50%低下するとされています。本研究では63%でしたが、育児給付の扱い等計測方法の違いを考慮すると大きな解離はなく、概ね一致していると考えます。
海外の研究によると、5~10年の平均的な子育てペナルティは約43.5%です。国や計測方法によってばらつきはありますが、北欧諸国では家族政策や男女平等が進んでいるため相対的に小さい水準となっています。日本の子育てペナルティはアメリカよりも大きく、イギリスと同水準で、またドイツやオーストラリア、オーストリアよりは小さい水準となっています。つまり、日本は国際的に高い部類に入るものの、さらに大きな国も存在しているという状況です。
まとめると、私たちの分析では子育てペナルティは55%程度で、その主因は短時間労働です。そして短時間労働が理由となって高い評価がつかず、結果として昇進機会を失うという仕組みが確認されました。その背景には、長時間労働を重視する昇進慣行があると考えています。これは優秀な労働者本人にとっても企業にとっても大きな損失です。実際に、残業はたくさんできないが、フルタイムで十分に働ける優秀な女性が多数存在するように見受けられましたが、結果として優秀な女性は一般社員に滞留しています。
本研究の成果にどの程度普遍性があるか、非効率な昇進制度がなぜ存続するのかといった点については、十分に解明できていません。制度改革に対する抵抗感が強く、見直しが進まないのかもしれません。
本研究の結果は、データ提供いただいた企業にもご説明しました。それを受けて企業側からは「長く働いてくれる人に報いる必要がある」との声があり、それ自体は正当な考えだと思います。しかし、報いる方法として昇進を用いるのではなく、例えば残業手当の割増等金銭的インセンティブの形で行う方が望ましいのではないかともお話しました。というのも、長時間労働を理由に昇進させると、本来昇進にふさわしい人材が昇進できず、逆にリーダーシップに欠ける人が昇進してしまうなどの弊害が大きいためです。したがって、長時間労働者への報酬は昇進よりも金銭的補償で行う方が合理的であると考えられます。
財務総合政策研究所
POLICY RESEARCH INSTITUTE, Ministry Of Finance, JAPAN
過去の「PRI Open Campus」については、
財務総合政策研究所ホームページに掲載しています。
https://www.mof.go.jp/pri/research/special_report/index.html
図表4 子育てペナルティ(残業⼿当・時短控除)
図表5 子育てペナルティ(役職・職階)

