財務総合政策研究所 創立40周年記念座談会~行政とアカデミアの協働に向けて~
財務総合政策研究所 総務研究部 総括主任研究官 宮本 弘暁
主任研究官 片野 幹
主任研究官 大西 宏典
2025年5月に、財務総合政策研究所(以下、「財務総研」)の前身となる大蔵省財政金融研究所が創立されてから40周年を迎えました。今回のPRI Open Campusでは、財務総研創立40周年を記念して、政策研究大学院大学・安田洋祐教授と財務総研のスタッフ3名で、「行政とアカデミアの協働に向けて」をテーマに開催した座談会の内容をお届けします。なお、本文の内容は全て発言者個人の意見であり、所属機関等の見解を表すものではありません。
[プロフィール]
安田 洋祐
政策研究大学院大学教授/
株式会社エコノミクスデザイン共同創業者・プリンシパル
東京大学経済学部を卒業後、プリンストン大学で経済学博士号を取得。政策研究大学院大学、大阪大学等を経て、2025年10月から現職。専門はミクロ経済学(ゲーム理論、マーケットデザイン、産業組織論)。2020年には株式会社エコノミクスデザインを創業し、メディア出演や一般向け著作も多数。
1.自己紹介
宮本)財務総研総括主任研究官の宮本です。私はもともとアカデミアの出身で、財務総研に来る直前までは一橋大学に所属していました。ただし、ずっとアカデミアにいたわけではありません。国際通貨基金(IMF)で3年余りエコノミストとして働いた経験もあり、研究と政策の現場を行き来してきた立場です。専門はマクロ経済学と労働経済学、そして日本経済論です。研究活動と並行して、一般の方に向けた書籍や教科書の執筆も行っています。
片野)財務総研主任研究官の片野です。私は2017年(平成29年)に新卒で財務省に入省後、大臣官房や主計局などを経て現職に至ります。財務総研に異動する直前は、米国の経済学博士課程に留学していました。財務総研では、輸出入申告データを活用した共同研究の運営、研究会の報告書のとりまとめを行ってきました。また、併任先の国税庁税務大学校において、税務データを用いた研究も行っています。
大西)財務総研主任研究官の大西です。私は2021年(令和3年)に財務省に入省したのですが、その前は民間のシンクタンクに5年間在籍していたという珍しい経歴です。前職でも、アカデミックな知見で政策をアップグレードしたい、という思いで行政官の方々と協働していたのですが、やはり彼らが抱える課題や彼らの思考様式は、行政の中に入ってみないと分からないと考えていたときに、縁があって財務省に入省しました。
安田)政策研究大学院大学の安田です。専門はゲーム理論やマーケットデザイン、産業組織論です。財務省との関わりでは、2012年から財政経済理論研修で講師を務めた他、いくつかの委員会や懇談会のメンバーも務めました。また、2020年に株式会社エコノミクスデザインという、経済学をビジネスに活用することをテーマに掲げた会社を創業し、経済学の知見を活用したコンサルティングサービスや、宮本さんにもご登壇いただいた「ナイトスクール」というエデュケーションサービスを提供してきました。
2.財務総研の活動紹介
大西)まずは、財務総研の取組を紹介させていただきたいと思います。財務総研の活動は図1 財務総研の活動のとおりで、「新たな情報の探索・整理と発信」、「財務省職員にとっての学習機会の提供」、「次世代にとって有用な『Asset(資産)』の構築」という3つの軸で構成されています。特に最近は、これら3つの軸が重なる領域に位置する「行政データを用いた研究」に力を入れており、輸出入申告データや税務データ(税務大学校)を活用した共同研究などの取組を進めています*1。
安田)行政データの整備・利活用はまさに「公共財」で、非常に重要な取組だと思います。北欧諸国のようなデータ公開度の高い国では、スウェーデン人が自ら分析をせずとも、世界中の優秀な研究者が集まってきて、スウェーデンのデータを使って分析をしてくれる、というような状況が生じています。言わば、エコノミストやコンサルタントを無料で雇っているようなものです。行政コストの節約という観点からも、国内の研究者のキャパシティの観点からも、日本においてもこういった取組は積極的に進めるべきだと思います。
片野)「財務省職員にとっての学習機会の提供」の中にある財政経済理論研修では、かつて安田先生にもミクロ経済学の講義を担当していただきました。当該研修は、財務省職員が従来の職務から離れ、3か月間にわたって集中的に経済学を学ぶ機会を提供するものですが、このような取組は霞ヶ関の中でもかなり珍しいかと思われます*2。
安田)財政経済理論研修には私も携わっていたので、今も続いていることはやはり嬉しいですね。民間企業でも行政機関でも組織内のトレーニングや人的投資がどんどん減ってきている中、国全体の「お手本」となるべき霞ヶ関で、こういった研修にしっかりと時間やコストを割いている点は評価されるべきだとも思います。私が担当したのは「上級ミクロ経済学」という大学院レベルのミクロ経済学の講義でした。経済学は学部と大学院で使われる専門用語や数学のツールがガラッと変わるので、財務省の皆さんが欧米の経済学大学院に留学しても面食らわないように、「橋渡し」をするという狙いがありました。受講生の皆さんは講義中は非常に寡黙なのですが(笑)、講義が終わった後にこっそりと核心を突く質問をしたり、実際に経済学の博士課程に留学する方が何人も出てきたりしたことは、今でも強く印象に残っています。
大西)財政経済理論研修で安田先生が使用された講義資料は、まだ先生のHPに掲載していただいていますが、実は経済学を学ぶ学生の間では「バイブル」になっていて、私も大学院に進学するときに、「安田先生の資料で予習すると良い」と聞き、勉強させていただきました。
安田)それは全く知りませんでした!本来なら掲載前に財務総研の許可を得なければいけなかったのかもしれませんが、「公共財」を供給しているということで大目に見てください(笑)。
3.行政とアカデミアの協働に向けて
大西)本日のテーマは、「行政とアカデミアの協働に向けて」ですが、実際には行政とアカデミアの問題関心・方向性にはズレが生じているのではないかと思います。図2 問題関心の3領域はある社会学者の方が、「個人的関心」(C)、「社会の関心」(S)、「学界の関心」(A)の3領域に問題関心を整理したものです。これに照らして考えると、行政の関心はSである一方、アカデミアの関心はCやAに偏っているのではないかと思います。行政とアカデミアが一緒になって、両者の関心が重なる領域(Z)を目指すのが理想かと思いますが、その実現のためには何が必要でしょうか?
宮本)行政とアカデミアのインタラクションが大事だと思います。私の恩師である島田晴雄先生(慶應義塾大学名誉教授)は、「経済学は世の中を良くするためのツールである」と常におっしゃっていました。そのためには、単に論文を書くだけでなく、政策の現場を理解しなければならない、と。まさにそのとおりだと思います。研究者は政策現場のニーズを知らなければならないし、逆に行政官も、「アカデミアではここまでのことが解明されている」という認識があれば、それを政策に取り込むことができます。私は以前IMFで働いていましたが、そこでは世界的に著名な学者が毎週のように訪れ、セミナーや研修を行っていました。世界のアカデミアのトップランナーたちが、「最先端の研究はこうです」、「この知見は実務にこう応用できます」というような話をしてくれるのです。その一方で、彼らは、国際機関や政府のスタッフから、実務サイドが抱えているニーズや課題を聞き、新たな研究のテーマを見つけるのです。私も財務総研に来て、行政とアカデミアのこうした双方向のやり取りが、お互いに良い刺激を与え合い、視野を広げることを実感しています。米国の場合はそこに経営者も加わって、経営者、行政官、研究者が、「回転ドア」のように行ったり来たりする、という仕組みが上手く機能していましたが、まだ日本では、そういった仕組みが十分に機能していないように思います。
大西)おっしゃるとおり、日本では行政とアカデミアのインタラクション、特に研究者の方が行政の中に入ってくるようなケースは、非常に少ないのではないかと思います。財務省でも、かつては伊藤隆敏先生(元・コロンビア大学教授)や河合正弘先生(東京大学名誉教授)が副財務官を務められたことがありましたが、どうすればこのようなインタラクションを活性化できるのでしょうか?
安田)まずは、ロールモデルを作ることが重要だと思います。欧米では多くの経済学者が、経済学の専門知を政策に役立てたいと考えて、実際に政府や企業などで活躍しています。日本にも、潜在的にそういう意欲や能力を持った研究者はたくさんいるはずです。「鶏が先か、卵が先か」という問題がおそらく生じていて、行政に入って活躍する人が出てくると、それを目指す若い人たちも増える。そうやって母数が増えると、結果的に活躍する人がまた増える、というような好循環が生まれていくのではないでしょうか。
宮本)情報をオープンに出し合うことが必要だと思います。行政の側からも研究者に対して、「こんなテーマに取り組んでほしい」、「こういう分析はできないか?」といったニーズを具体的に出す。一方で研究者も、「これならできる」、「こういうアプローチが可能だ」と応えていく。そうしたやり取りがあってこそ、知が活きてきます。その際に、財務総研のような行政内部の研究機関が「ハブ」として、ニーズとシーズをつなげる役割を果たせると良いのではないかと思います。
片野)安田先生や宮本先生よりも、さらに若い世代の研究者の方々に、行政での業務に興味を持っていただくということも、今後の行政側の課題であると認識しています。そうした観点から、行政データの利活用も含めた、データインフラの整備が重要ではないかと考えています。そのような基盤が整備されていなければ、研究者の方々に行政の中に入ってきていただいても、「何をやってもらうのか?」ということになりかねません。
安田)データは1つの「フック」になりそうですね。一方、そもそも霞ヶ関に来ようとしている時点で、研究や分析だけではなく、政策や行政のアップグレードにも関心があるはずです。霞ヶ関にいる間に、省内だけでなく省外のスタッフも巻き込んで、何らかの知的貢献ができるということになれば、やりがいを感じて優秀な研究者がもっと来たがるのではないでしょうか。ただ、知的貢献をしようにも、1人でできることには限界があるので、彼らと省内・省外の行政官や他の研究者をつなぐようなサポートが必要です。例えば、アカデミアから研究者を招いて、定期的なセミナーを開催してもらい、そこには他省庁の職員や他の研究者も自由に参加できるようにする。そうすると、参加者同士がお互いに交流するようになるので、人的ネットワークが構築されます。そういったプラットフォームを作るのは、財務総研のような行政内部の研究機関が適任ではないかと思います。
宮本)安田さんがおっしゃったセミナーは、大学で言えば「講義」に近いイメージですよね。私はそれに加えて、「ゼミ」のような小規模でインタラクティブな場を設けると効果的だと思います。大人数のセミナー形式だと、議論の時間が限られてしまいますし、参加者もざっくばらんには話しづらい。だからこそ、一方的な説明は最小限にとどめて、ディスカッションを中心とした場を定期的に開催しても面白いのではないかと思います。
片野)ここまでは、外部の研究者をいかに巻き込むか、という話であったかと思います。他方で、それと同じくらい、行政内部の職員の経済学の専門性を培うこと、特に関連する修士号・博士号を取得できるようにサポートするという視点も大事だと思います。そのような観点から、財政経済理論研修のような取組は、改めて意義深いように感じます。
宮本)おっしゃるとおりです。国際機関や外国の政府には、博士号を取得しているスタッフがたくさんいて、彼らと交渉や議論をする際に求められる専門的な知識のレベルも、どんどん高まっているように感じます。
安田)行政官が博士号を取得すると、霞ヶ関を辞めて大学に移ってしまう、というケースがおそらく出てくるのですが、そういった流出を許容する寛容さも必要でしょうね。行政官になるか、研究者になるか、という選択で迷っている学生は大勢いるので、そのような学生に行政官を経験してから研究者になるというキャリアパスを示せれば、霞ヶ関が就職先として魅力的に映るからです。行政サイドにとっても、行政経験を有し行政内部を良く理解している研究者は、まさに「行政とアカデミアの協働」に向けて「橋渡し」役を担う貴重な存在と言えるのではないでしょうか。
写真 座談会の様子
4.「エビデンスよりインプレッション」の時代に
大西)先程の図2で示したCもSもAも、どのようなエビデンスやファクトを探究するか、という話であり、エビデンスやファクトをベースに、ロジックを組み立てて政策を作っていくべき、という認識は、行政もアカデミアも共有していると思います。他方で、そもそも「エビデンス?何それ?」というような、エビデンスよりもインプレッションを重視する人たちもいて、最近はむしろそちらの勢いが増しているという危機感を抱いているのですが、そのような時代に行政とアカデミアはどのように協働できるでしょうか?地道にエビデンスを積み重ねることはもちろん大事だと思いますが、それだけでは不十分です。他に何が必要だと思われますか?
安田)最近の政治や社会の動きを見ていると、「エビデンスよりインプレッション」というのはまさにご指摘のとおりだと痛感します。一方で注意しなければならないのは、「インプレッション系」の人もただ主観的な感想を述べているだけではなく、データや数字を駆使しているという点です。もちろん、きちんと調べればそれが誤った解釈やフェイクだと分かるのですが、データや数字に基づいて語るというスタイル自体は、「エビデンス系」の人とも共通しています。そういった中で、きちんとしたエビデンスが多くの人に「刺さる」ようにするためには、単にデータや数字を示すだけではダメで、トピックに応じた絶妙なデータをタイムリーに示す必要があります。しかし、そうした作法を身に着けるには、相応のトレーニングも必要ですし、そもそもの向き・不向きもあります。研究者は往々にして、じっくり考えて論文を書くのは得意な半面、瞬時に適切なデータを提示して分かりやすく説明するのは不得意です。私も両方の仕事に携わってきましたが、求められるスキルや適性が全く異なるため、今でもなかなか慣れません。アカデミアの中で「分業」をして、情報発信や解説が得意な人たちを快く送り出し、活躍してもらうことが大切です。こうした情報発信をしてくれる人たちに対して、「出る杭を打つ」のではなく、行政とアカデミアがタッグを組んで、エビデンスやファクトを打ち込んでおいて、彼らが適切なタイミングでそれらを使えるようにサポートするという姿勢が大事だと思います。
片野)おっしゃるとおり、研究者からエビデンスやファクトに基づいた情報発信をすることは、ますます重要になっているように感じます。他方で、アカデミアの中では、一般向けの書籍を書いたり、メディアで発信したりすることは、評価されづらいのではないでしょうか?
宮本)私が学生の頃は、とにかく英語で良い論文を書くということが全てで、それ以外の活動が評価されないような雰囲気はありました。けれども、安田さんや私の世代くらいからは、その価値観は大きく変わってきたように感じます。
安田)伝統的にはそういった風潮もありましたが、最近は社会的な活動であったり、一般向けの書籍を出したり、といったことが徐々に評価されるようになってきています。私が学生だった頃は、そういった活動をしていると、「研究者として終わりだ」とか「良い研究をすることができなくなったシグナルだ」というような捉え方をされることが珍しくありませんでした。最近はむしろ、きちんとした業績のある研究者がメディア発信や社会的な活動をした方が、正しい知識や、よりエキサイティングな研究成果を広めることができる、というように好意的に受け止められるようになってきています。私の恩師の神取道宏先生(東京大学特別教授)も、日本語の文章をほとんど書かない方だったのですが、最近はたまに新聞に寄稿されたり、ミクロ経済学の教科書、解説書をノリノリで書かれるようになったりしていて、かつてとはすっかり雰囲気が変わりました(笑)。神取先生のような、アカデミアの中で尊敬されている先生がそういう活動を行うようになったので、若い研究者たちもトライしやすくなっているのだと思います。
大西)安田先生が先程おっしゃったとおり、情報発信には瞬発力が非常に重要で、誤った情報が出てきたときに、「真実はこうです」と即座に反論できないと、その誤情報が流布してしまって、「火消し」ができなくなってしまいます。他方で、瞬発力も発信力もあって、研究者としてもしっかりとした業績のある方は、かなり希少なのではないでしょうか?
安田)特定の個人に頼るのは限界があるので、経済学者が集団としてプレゼンスを発揮する、という発想も大事だと思います。日本経済新聞と日本経済研究センターが昨年末から始めた「エコノミクスパネル」はその好例です。これは、50人弱の経済学者を集めて、タイムリーな政策課題に対するスタンスを5段階で、そのスタンスに対する自信度も5段階で答えてもらって集計するというものです。もともと、欧米で類似の専門家パネルがあり、その日本版を導入しようということで、日本経済新聞の方から相談を受けて、私もメンバー選定などに協力しました。特定の1人の経済学者が様々な時事問題に関して、「経済学的に正しいですか?」と問われると、かなり答えづらいはずです。けれども、自分以外にも50人近くが答えて、自信がない回答に関しては、正直に「自信がない」と言えるというスタイルであれば、さほど負担もなく引き受けてくれるかもしれません。そう期待していたのですが、実際に始めてみると予想以上に上手く機能しており、社会に対しても大きなインパクトを生み出せているように感じます。経済学者はインセンティブを重視するので、「フリーライダー」の塊かと思っていたのですが(笑)、意外にも「正しい経済学知を広めるために頑張りましょう」と賛同し、協力してくださる方がたくさんいました。
大西)世の中の多くの人は、「この研究者は信用できる」、「この研究者は怪しい」という見分けができないために、「悪貨が良貨を駆逐する」状況が生じているように思うのですが、「エコノミクスパネル」は、1人1人の経済学者を前面に出すのではなく、経済学界の集合知を可視化することで、上手くこの状況に対処していると思います。
宮本)「エコノミクスパネル」の内容は、日本経済新聞を日々読んでいるような人には良く理解してもらえると思います。ただ一方で、ショート動画や切り抜き動画といった形でしか情報を得ていない人に、どうやって適切な情報を届けるのかは依然として課題です。財務省をはじめ、行政サイドも、情報発信のあり方を工夫していく必要があるのではないでしょうか。
安田)数か月前にNHKが、財務省の国債発行チームに密着取材した番組を放映しましたが、財務省の職員が国債を買ってもらうために大変苦労している姿は大きな反響を呼びました。あのような内部を見せるタイプの情報発信は、もっと積極的にやる価値があると思います。財務省職員が「売れっ子YouTuber」になるのは難しいので、外からメディアを受け入れて取材してもらって、そこに財務省の伝えたいメッセージを載せることができれば良いのではないでしょうか。
片野)最近は主計局の課長が「PIVOT」の番組に出演するなど、省内全体でメディア発信のあり方を積極的に変えていこうという空気を感じます。
大西)財務省の政策スタンスについては、「結論」の部分しか見えておらず、そこに至る思考のプロセスが伝わっていないために、様々な陰謀論の温床になっているのではないかと思います。その観点では、財務省の職員1人1人が日頃どういった情報やデータに接していて、実務の現場でどういった苦悩や困り事に直面しているのか、そうした背景の中でどういう議論をして、「結論」につながっているのか、ということをオープンに見てもらえるようにすることも重要かもしれません。
写真 座談会の様子
5.EBPMにとどまらない協働のあり方
大西)最近の経済学は実証分析が隆盛で、霞ヶ関の中でも「経済学=データ分析」、「経済学=EBPM(証拠に基づく政策立案)」というような捉え方がなされているように感じます。他方で、経済学はもっと裾野の広い学問だと思います。例えば、最近の霞ヶ関は、データ分析や因果推論を行って、「効果が確認された政策は実施する」、「効果が確認されない政策は止める」というような、短絡的な議論に終始しがちだと思うのですが、そもそも経済学の基礎的な理論に立ち返って考えてみれば、政府の政策的介入を正当化するためには、そこに市場の失敗があるとか、外部性があるとか、公共財だから政府が供給する、というような理屈をきちんと立てるべきだと思います。そういったところにも、行政とアカデミアが協働する余地はあるのではないでしょうか?
安田)私も、経済理論の重要性はいささかも衰えていないと感じます。例えば、余剰分析のような使い古されたシンプルな考え方でも、昨今話題となっている関税政策の何が問題で、どうすれば良いかを明快に指摘することができます。経済学の入門テキストにも載っているような基礎的・基本的な内容を、愚直に分かりやすく伝えるということも、経済学者の重要な仕事だと思います。エコノミクスデザイン社で実務家の方々と話すときも、経済学の基礎理論に基づいて、大きい全体像を見せた上で、「現実的にはアプローチが3つくらい考えられて、実証分析などを参照すると、その中で最も費用対効果が高そうなのはこれです」というように細部の議論に移っていくと、とても「腹落ち」につながりやすい印象がありますね。こうした経済理論は、経済学者からするとわざわざ言うまでもない当たり前の前提に映っても、一般の方はほとんど理解していないということが多いのではないかと思います。
宮本)政策の現場では、今までに対応したことのないような問題にも迅速に対応しなければなりません。もちろん、そこにEBPMを取り入れられれば理想的ですが、現実的には必ずしもそれが可能とは限りません。そうした場合には、厳密なデータ分析ではなくとも、手元にある情報をもとに「経済学のストーリー」に位置づけて政策を打ち出すことが、セカンドベストの対応になると思います。経済理論の知見をもとに、そうしたストーリーやナラティブを組み立てることは、行政とアカデミアが協働すべきポイントだと思います。
大西)個別の政策にとどまらず、政策形成の仕組みそのものを、行政とアカデミアが協働して、より効率化していくことは可能でしょうか?
安田)すでに採用実績がある手法では、「マジョリティ・ジャッジメント(Majority Judgement)」というものがあります。例えば、特定のジャンルに関する政策パッケージを並べて、それぞれがどの程度魅力的かということを、各省の行政官が何段階かで評価し、その中央値を比較するというものです。この仕組みは、全ての政策パッケージに全員が投票する必要はなく、自分の関心や知識がないものは答えなくとも良いというのがポイントで、これによって、各省の行政官から見た「筋の良い」政策が可視化されます。言わば、「エコノミクスパネル行政版」のようなものです。これを使って、政治家や国民に対して「巨大シンクタンク」である霞ヶ関の集合知を提示する、というのは政策形成のあり方を変革し得る試みになるかもしれません。この手法は、実際にパリ市でも補正予算の分配を決定する際に導入されています。いくつかの政策パッケージが選択肢として存在するとき、市民の投票で順位をつけて予算の範囲内でその順位が高い政策から順番に実施する、というような使われ方がされています。他にも、台湾ではオードリー・タン氏が、「クアドラティック・ボーティング(Quadratic Voting)」という別の新たな投票方法を推進しており、投票の理論と実践も日々進歩しています。こうしたスケールの大きな話は、財務省だけでどうにかなるものではないでしょうが、財務総研には、アカデミアや他省庁の研究機関とも協働しながら、最新の学術潮流を捉えた政策形成の仕組みの大胆なアップデートに挑戦してほしいです。大いに期待しています。
写真 座談会終了後の記念撮影
財務総合政策研究所
POLICY RESEARCH INSTITUTE, Ministry Of Finance, JAPAN
過去の「PRI Open Campus」については、
財務総合政策研究所ホームページに掲載しています。
https://www.mof.go.jp/pri/research/special_report/index.html
*1) 行政データを用いた研究の詳細については、『ファイナンス』(2023年3月号・7月号)の「PRI Open Campus」を参照。
*2) 財政経済理論研修の詳細については、『ファイナンス』(2023年1月号)の「PRI Open Campus」を参照。
財務総合政策研究所 総務研究部 総括主任研究官 宮本 弘暁
主任研究官 片野 幹
主任研究官 大西 宏典
2025年5月に、財務総合政策研究所(以下、「財務総研」)の前身となる大蔵省財政金融研究所が創立されてから40周年を迎えました。今回のPRI Open Campusでは、財務総研創立40周年を記念して、政策研究大学院大学・安田洋祐教授と財務総研のスタッフ3名で、「行政とアカデミアの協働に向けて」をテーマに開催した座談会の内容をお届けします。なお、本文の内容は全て発言者個人の意見であり、所属機関等の見解を表すものではありません。
[プロフィール]
安田 洋祐
政策研究大学院大学教授/
株式会社エコノミクスデザイン共同創業者・プリンシパル
東京大学経済学部を卒業後、プリンストン大学で経済学博士号を取得。政策研究大学院大学、大阪大学等を経て、2025年10月から現職。専門はミクロ経済学(ゲーム理論、マーケットデザイン、産業組織論)。2020年には株式会社エコノミクスデザインを創業し、メディア出演や一般向け著作も多数。
1.自己紹介
宮本)財務総研総括主任研究官の宮本です。私はもともとアカデミアの出身で、財務総研に来る直前までは一橋大学に所属していました。ただし、ずっとアカデミアにいたわけではありません。国際通貨基金(IMF)で3年余りエコノミストとして働いた経験もあり、研究と政策の現場を行き来してきた立場です。専門はマクロ経済学と労働経済学、そして日本経済論です。研究活動と並行して、一般の方に向けた書籍や教科書の執筆も行っています。
片野)財務総研主任研究官の片野です。私は2017年(平成29年)に新卒で財務省に入省後、大臣官房や主計局などを経て現職に至ります。財務総研に異動する直前は、米国の経済学博士課程に留学していました。財務総研では、輸出入申告データを活用した共同研究の運営、研究会の報告書のとりまとめを行ってきました。また、併任先の国税庁税務大学校において、税務データを用いた研究も行っています。
大西)財務総研主任研究官の大西です。私は2021年(令和3年)に財務省に入省したのですが、その前は民間のシンクタンクに5年間在籍していたという珍しい経歴です。前職でも、アカデミックな知見で政策をアップグレードしたい、という思いで行政官の方々と協働していたのですが、やはり彼らが抱える課題や彼らの思考様式は、行政の中に入ってみないと分からないと考えていたときに、縁があって財務省に入省しました。
安田)政策研究大学院大学の安田です。専門はゲーム理論やマーケットデザイン、産業組織論です。財務省との関わりでは、2012年から財政経済理論研修で講師を務めた他、いくつかの委員会や懇談会のメンバーも務めました。また、2020年に株式会社エコノミクスデザインという、経済学をビジネスに活用することをテーマに掲げた会社を創業し、経済学の知見を活用したコンサルティングサービスや、宮本さんにもご登壇いただいた「ナイトスクール」というエデュケーションサービスを提供してきました。
2.財務総研の活動紹介
大西)まずは、財務総研の取組を紹介させていただきたいと思います。財務総研の活動は図1 財務総研の活動のとおりで、「新たな情報の探索・整理と発信」、「財務省職員にとっての学習機会の提供」、「次世代にとって有用な『Asset(資産)』の構築」という3つの軸で構成されています。特に最近は、これら3つの軸が重なる領域に位置する「行政データを用いた研究」に力を入れており、輸出入申告データや税務データ(税務大学校)を活用した共同研究などの取組を進めています*1。
安田)行政データの整備・利活用はまさに「公共財」で、非常に重要な取組だと思います。北欧諸国のようなデータ公開度の高い国では、スウェーデン人が自ら分析をせずとも、世界中の優秀な研究者が集まってきて、スウェーデンのデータを使って分析をしてくれる、というような状況が生じています。言わば、エコノミストやコンサルタントを無料で雇っているようなものです。行政コストの節約という観点からも、国内の研究者のキャパシティの観点からも、日本においてもこういった取組は積極的に進めるべきだと思います。
片野)「財務省職員にとっての学習機会の提供」の中にある財政経済理論研修では、かつて安田先生にもミクロ経済学の講義を担当していただきました。当該研修は、財務省職員が従来の職務から離れ、3か月間にわたって集中的に経済学を学ぶ機会を提供するものですが、このような取組は霞ヶ関の中でもかなり珍しいかと思われます*2。
安田)財政経済理論研修には私も携わっていたので、今も続いていることはやはり嬉しいですね。民間企業でも行政機関でも組織内のトレーニングや人的投資がどんどん減ってきている中、国全体の「お手本」となるべき霞ヶ関で、こういった研修にしっかりと時間やコストを割いている点は評価されるべきだとも思います。私が担当したのは「上級ミクロ経済学」という大学院レベルのミクロ経済学の講義でした。経済学は学部と大学院で使われる専門用語や数学のツールがガラッと変わるので、財務省の皆さんが欧米の経済学大学院に留学しても面食らわないように、「橋渡し」をするという狙いがありました。受講生の皆さんは講義中は非常に寡黙なのですが(笑)、講義が終わった後にこっそりと核心を突く質問をしたり、実際に経済学の博士課程に留学する方が何人も出てきたりしたことは、今でも強く印象に残っています。
大西)財政経済理論研修で安田先生が使用された講義資料は、まだ先生のHPに掲載していただいていますが、実は経済学を学ぶ学生の間では「バイブル」になっていて、私も大学院に進学するときに、「安田先生の資料で予習すると良い」と聞き、勉強させていただきました。
安田)それは全く知りませんでした!本来なら掲載前に財務総研の許可を得なければいけなかったのかもしれませんが、「公共財」を供給しているということで大目に見てください(笑)。
3.行政とアカデミアの協働に向けて
大西)本日のテーマは、「行政とアカデミアの協働に向けて」ですが、実際には行政とアカデミアの問題関心・方向性にはズレが生じているのではないかと思います。図2 問題関心の3領域はある社会学者の方が、「個人的関心」(C)、「社会の関心」(S)、「学界の関心」(A)の3領域に問題関心を整理したものです。これに照らして考えると、行政の関心はSである一方、アカデミアの関心はCやAに偏っているのではないかと思います。行政とアカデミアが一緒になって、両者の関心が重なる領域(Z)を目指すのが理想かと思いますが、その実現のためには何が必要でしょうか?
宮本)行政とアカデミアのインタラクションが大事だと思います。私の恩師である島田晴雄先生(慶應義塾大学名誉教授)は、「経済学は世の中を良くするためのツールである」と常におっしゃっていました。そのためには、単に論文を書くだけでなく、政策の現場を理解しなければならない、と。まさにそのとおりだと思います。研究者は政策現場のニーズを知らなければならないし、逆に行政官も、「アカデミアではここまでのことが解明されている」という認識があれば、それを政策に取り込むことができます。私は以前IMFで働いていましたが、そこでは世界的に著名な学者が毎週のように訪れ、セミナーや研修を行っていました。世界のアカデミアのトップランナーたちが、「最先端の研究はこうです」、「この知見は実務にこう応用できます」というような話をしてくれるのです。その一方で、彼らは、国際機関や政府のスタッフから、実務サイドが抱えているニーズや課題を聞き、新たな研究のテーマを見つけるのです。私も財務総研に来て、行政とアカデミアのこうした双方向のやり取りが、お互いに良い刺激を与え合い、視野を広げることを実感しています。米国の場合はそこに経営者も加わって、経営者、行政官、研究者が、「回転ドア」のように行ったり来たりする、という仕組みが上手く機能していましたが、まだ日本では、そういった仕組みが十分に機能していないように思います。
大西)おっしゃるとおり、日本では行政とアカデミアのインタラクション、特に研究者の方が行政の中に入ってくるようなケースは、非常に少ないのではないかと思います。財務省でも、かつては伊藤隆敏先生(元・コロンビア大学教授)や河合正弘先生(東京大学名誉教授)が副財務官を務められたことがありましたが、どうすればこのようなインタラクションを活性化できるのでしょうか?
安田)まずは、ロールモデルを作ることが重要だと思います。欧米では多くの経済学者が、経済学の専門知を政策に役立てたいと考えて、実際に政府や企業などで活躍しています。日本にも、潜在的にそういう意欲や能力を持った研究者はたくさんいるはずです。「鶏が先か、卵が先か」という問題がおそらく生じていて、行政に入って活躍する人が出てくると、それを目指す若い人たちも増える。そうやって母数が増えると、結果的に活躍する人がまた増える、というような好循環が生まれていくのではないでしょうか。
宮本)情報をオープンに出し合うことが必要だと思います。行政の側からも研究者に対して、「こんなテーマに取り組んでほしい」、「こういう分析はできないか?」といったニーズを具体的に出す。一方で研究者も、「これならできる」、「こういうアプローチが可能だ」と応えていく。そうしたやり取りがあってこそ、知が活きてきます。その際に、財務総研のような行政内部の研究機関が「ハブ」として、ニーズとシーズをつなげる役割を果たせると良いのではないかと思います。
片野)安田先生や宮本先生よりも、さらに若い世代の研究者の方々に、行政での業務に興味を持っていただくということも、今後の行政側の課題であると認識しています。そうした観点から、行政データの利活用も含めた、データインフラの整備が重要ではないかと考えています。そのような基盤が整備されていなければ、研究者の方々に行政の中に入ってきていただいても、「何をやってもらうのか?」ということになりかねません。
安田)データは1つの「フック」になりそうですね。一方、そもそも霞ヶ関に来ようとしている時点で、研究や分析だけではなく、政策や行政のアップグレードにも関心があるはずです。霞ヶ関にいる間に、省内だけでなく省外のスタッフも巻き込んで、何らかの知的貢献ができるということになれば、やりがいを感じて優秀な研究者がもっと来たがるのではないでしょうか。ただ、知的貢献をしようにも、1人でできることには限界があるので、彼らと省内・省外の行政官や他の研究者をつなぐようなサポートが必要です。例えば、アカデミアから研究者を招いて、定期的なセミナーを開催してもらい、そこには他省庁の職員や他の研究者も自由に参加できるようにする。そうすると、参加者同士がお互いに交流するようになるので、人的ネットワークが構築されます。そういったプラットフォームを作るのは、財務総研のような行政内部の研究機関が適任ではないかと思います。
宮本)安田さんがおっしゃったセミナーは、大学で言えば「講義」に近いイメージですよね。私はそれに加えて、「ゼミ」のような小規模でインタラクティブな場を設けると効果的だと思います。大人数のセミナー形式だと、議論の時間が限られてしまいますし、参加者もざっくばらんには話しづらい。だからこそ、一方的な説明は最小限にとどめて、ディスカッションを中心とした場を定期的に開催しても面白いのではないかと思います。
片野)ここまでは、外部の研究者をいかに巻き込むか、という話であったかと思います。他方で、それと同じくらい、行政内部の職員の経済学の専門性を培うこと、特に関連する修士号・博士号を取得できるようにサポートするという視点も大事だと思います。そのような観点から、財政経済理論研修のような取組は、改めて意義深いように感じます。
宮本)おっしゃるとおりです。国際機関や外国の政府には、博士号を取得しているスタッフがたくさんいて、彼らと交渉や議論をする際に求められる専門的な知識のレベルも、どんどん高まっているように感じます。
安田)行政官が博士号を取得すると、霞ヶ関を辞めて大学に移ってしまう、というケースがおそらく出てくるのですが、そういった流出を許容する寛容さも必要でしょうね。行政官になるか、研究者になるか、という選択で迷っている学生は大勢いるので、そのような学生に行政官を経験してから研究者になるというキャリアパスを示せれば、霞ヶ関が就職先として魅力的に映るからです。行政サイドにとっても、行政経験を有し行政内部を良く理解している研究者は、まさに「行政とアカデミアの協働」に向けて「橋渡し」役を担う貴重な存在と言えるのではないでしょうか。
写真 座談会の様子
4.「エビデンスよりインプレッション」の時代に
大西)先程の図2で示したCもSもAも、どのようなエビデンスやファクトを探究するか、という話であり、エビデンスやファクトをベースに、ロジックを組み立てて政策を作っていくべき、という認識は、行政もアカデミアも共有していると思います。他方で、そもそも「エビデンス?何それ?」というような、エビデンスよりもインプレッションを重視する人たちもいて、最近はむしろそちらの勢いが増しているという危機感を抱いているのですが、そのような時代に行政とアカデミアはどのように協働できるでしょうか?地道にエビデンスを積み重ねることはもちろん大事だと思いますが、それだけでは不十分です。他に何が必要だと思われますか?
安田)最近の政治や社会の動きを見ていると、「エビデンスよりインプレッション」というのはまさにご指摘のとおりだと痛感します。一方で注意しなければならないのは、「インプレッション系」の人もただ主観的な感想を述べているだけではなく、データや数字を駆使しているという点です。もちろん、きちんと調べればそれが誤った解釈やフェイクだと分かるのですが、データや数字に基づいて語るというスタイル自体は、「エビデンス系」の人とも共通しています。そういった中で、きちんとしたエビデンスが多くの人に「刺さる」ようにするためには、単にデータや数字を示すだけではダメで、トピックに応じた絶妙なデータをタイムリーに示す必要があります。しかし、そうした作法を身に着けるには、相応のトレーニングも必要ですし、そもそもの向き・不向きもあります。研究者は往々にして、じっくり考えて論文を書くのは得意な半面、瞬時に適切なデータを提示して分かりやすく説明するのは不得意です。私も両方の仕事に携わってきましたが、求められるスキルや適性が全く異なるため、今でもなかなか慣れません。アカデミアの中で「分業」をして、情報発信や解説が得意な人たちを快く送り出し、活躍してもらうことが大切です。こうした情報発信をしてくれる人たちに対して、「出る杭を打つ」のではなく、行政とアカデミアがタッグを組んで、エビデンスやファクトを打ち込んでおいて、彼らが適切なタイミングでそれらを使えるようにサポートするという姿勢が大事だと思います。
片野)おっしゃるとおり、研究者からエビデンスやファクトに基づいた情報発信をすることは、ますます重要になっているように感じます。他方で、アカデミアの中では、一般向けの書籍を書いたり、メディアで発信したりすることは、評価されづらいのではないでしょうか?
宮本)私が学生の頃は、とにかく英語で良い論文を書くということが全てで、それ以外の活動が評価されないような雰囲気はありました。けれども、安田さんや私の世代くらいからは、その価値観は大きく変わってきたように感じます。
安田)伝統的にはそういった風潮もありましたが、最近は社会的な活動であったり、一般向けの書籍を出したり、といったことが徐々に評価されるようになってきています。私が学生だった頃は、そういった活動をしていると、「研究者として終わりだ」とか「良い研究をすることができなくなったシグナルだ」というような捉え方をされることが珍しくありませんでした。最近はむしろ、きちんとした業績のある研究者がメディア発信や社会的な活動をした方が、正しい知識や、よりエキサイティングな研究成果を広めることができる、というように好意的に受け止められるようになってきています。私の恩師の神取道宏先生(東京大学特別教授)も、日本語の文章をほとんど書かない方だったのですが、最近はたまに新聞に寄稿されたり、ミクロ経済学の教科書、解説書をノリノリで書かれるようになったりしていて、かつてとはすっかり雰囲気が変わりました(笑)。神取先生のような、アカデミアの中で尊敬されている先生がそういう活動を行うようになったので、若い研究者たちもトライしやすくなっているのだと思います。
大西)安田先生が先程おっしゃったとおり、情報発信には瞬発力が非常に重要で、誤った情報が出てきたときに、「真実はこうです」と即座に反論できないと、その誤情報が流布してしまって、「火消し」ができなくなってしまいます。他方で、瞬発力も発信力もあって、研究者としてもしっかりとした業績のある方は、かなり希少なのではないでしょうか?
安田)特定の個人に頼るのは限界があるので、経済学者が集団としてプレゼンスを発揮する、という発想も大事だと思います。日本経済新聞と日本経済研究センターが昨年末から始めた「エコノミクスパネル」はその好例です。これは、50人弱の経済学者を集めて、タイムリーな政策課題に対するスタンスを5段階で、そのスタンスに対する自信度も5段階で答えてもらって集計するというものです。もともと、欧米で類似の専門家パネルがあり、その日本版を導入しようということで、日本経済新聞の方から相談を受けて、私もメンバー選定などに協力しました。特定の1人の経済学者が様々な時事問題に関して、「経済学的に正しいですか?」と問われると、かなり答えづらいはずです。けれども、自分以外にも50人近くが答えて、自信がない回答に関しては、正直に「自信がない」と言えるというスタイルであれば、さほど負担もなく引き受けてくれるかもしれません。そう期待していたのですが、実際に始めてみると予想以上に上手く機能しており、社会に対しても大きなインパクトを生み出せているように感じます。経済学者はインセンティブを重視するので、「フリーライダー」の塊かと思っていたのですが(笑)、意外にも「正しい経済学知を広めるために頑張りましょう」と賛同し、協力してくださる方がたくさんいました。
大西)世の中の多くの人は、「この研究者は信用できる」、「この研究者は怪しい」という見分けができないために、「悪貨が良貨を駆逐する」状況が生じているように思うのですが、「エコノミクスパネル」は、1人1人の経済学者を前面に出すのではなく、経済学界の集合知を可視化することで、上手くこの状況に対処していると思います。
宮本)「エコノミクスパネル」の内容は、日本経済新聞を日々読んでいるような人には良く理解してもらえると思います。ただ一方で、ショート動画や切り抜き動画といった形でしか情報を得ていない人に、どうやって適切な情報を届けるのかは依然として課題です。財務省をはじめ、行政サイドも、情報発信のあり方を工夫していく必要があるのではないでしょうか。
安田)数か月前にNHKが、財務省の国債発行チームに密着取材した番組を放映しましたが、財務省の職員が国債を買ってもらうために大変苦労している姿は大きな反響を呼びました。あのような内部を見せるタイプの情報発信は、もっと積極的にやる価値があると思います。財務省職員が「売れっ子YouTuber」になるのは難しいので、外からメディアを受け入れて取材してもらって、そこに財務省の伝えたいメッセージを載せることができれば良いのではないでしょうか。
片野)最近は主計局の課長が「PIVOT」の番組に出演するなど、省内全体でメディア発信のあり方を積極的に変えていこうという空気を感じます。
大西)財務省の政策スタンスについては、「結論」の部分しか見えておらず、そこに至る思考のプロセスが伝わっていないために、様々な陰謀論の温床になっているのではないかと思います。その観点では、財務省の職員1人1人が日頃どういった情報やデータに接していて、実務の現場でどういった苦悩や困り事に直面しているのか、そうした背景の中でどういう議論をして、「結論」につながっているのか、ということをオープンに見てもらえるようにすることも重要かもしれません。
写真 座談会の様子
5.EBPMにとどまらない協働のあり方
大西)最近の経済学は実証分析が隆盛で、霞ヶ関の中でも「経済学=データ分析」、「経済学=EBPM(証拠に基づく政策立案)」というような捉え方がなされているように感じます。他方で、経済学はもっと裾野の広い学問だと思います。例えば、最近の霞ヶ関は、データ分析や因果推論を行って、「効果が確認された政策は実施する」、「効果が確認されない政策は止める」というような、短絡的な議論に終始しがちだと思うのですが、そもそも経済学の基礎的な理論に立ち返って考えてみれば、政府の政策的介入を正当化するためには、そこに市場の失敗があるとか、外部性があるとか、公共財だから政府が供給する、というような理屈をきちんと立てるべきだと思います。そういったところにも、行政とアカデミアが協働する余地はあるのではないでしょうか?
安田)私も、経済理論の重要性はいささかも衰えていないと感じます。例えば、余剰分析のような使い古されたシンプルな考え方でも、昨今話題となっている関税政策の何が問題で、どうすれば良いかを明快に指摘することができます。経済学の入門テキストにも載っているような基礎的・基本的な内容を、愚直に分かりやすく伝えるということも、経済学者の重要な仕事だと思います。エコノミクスデザイン社で実務家の方々と話すときも、経済学の基礎理論に基づいて、大きい全体像を見せた上で、「現実的にはアプローチが3つくらい考えられて、実証分析などを参照すると、その中で最も費用対効果が高そうなのはこれです」というように細部の議論に移っていくと、とても「腹落ち」につながりやすい印象がありますね。こうした経済理論は、経済学者からするとわざわざ言うまでもない当たり前の前提に映っても、一般の方はほとんど理解していないということが多いのではないかと思います。
宮本)政策の現場では、今までに対応したことのないような問題にも迅速に対応しなければなりません。もちろん、そこにEBPMを取り入れられれば理想的ですが、現実的には必ずしもそれが可能とは限りません。そうした場合には、厳密なデータ分析ではなくとも、手元にある情報をもとに「経済学のストーリー」に位置づけて政策を打ち出すことが、セカンドベストの対応になると思います。経済理論の知見をもとに、そうしたストーリーやナラティブを組み立てることは、行政とアカデミアが協働すべきポイントだと思います。
大西)個別の政策にとどまらず、政策形成の仕組みそのものを、行政とアカデミアが協働して、より効率化していくことは可能でしょうか?
安田)すでに採用実績がある手法では、「マジョリティ・ジャッジメント(Majority Judgement)」というものがあります。例えば、特定のジャンルに関する政策パッケージを並べて、それぞれがどの程度魅力的かということを、各省の行政官が何段階かで評価し、その中央値を比較するというものです。この仕組みは、全ての政策パッケージに全員が投票する必要はなく、自分の関心や知識がないものは答えなくとも良いというのがポイントで、これによって、各省の行政官から見た「筋の良い」政策が可視化されます。言わば、「エコノミクスパネル行政版」のようなものです。これを使って、政治家や国民に対して「巨大シンクタンク」である霞ヶ関の集合知を提示する、というのは政策形成のあり方を変革し得る試みになるかもしれません。この手法は、実際にパリ市でも補正予算の分配を決定する際に導入されています。いくつかの政策パッケージが選択肢として存在するとき、市民の投票で順位をつけて予算の範囲内でその順位が高い政策から順番に実施する、というような使われ方がされています。他にも、台湾ではオードリー・タン氏が、「クアドラティック・ボーティング(Quadratic Voting)」という別の新たな投票方法を推進しており、投票の理論と実践も日々進歩しています。こうしたスケールの大きな話は、財務省だけでどうにかなるものではないでしょうが、財務総研には、アカデミアや他省庁の研究機関とも協働しながら、最新の学術潮流を捉えた政策形成の仕組みの大胆なアップデートに挑戦してほしいです。大いに期待しています。
写真 座談会終了後の記念撮影
財務総合政策研究所
POLICY RESEARCH INSTITUTE, Ministry Of Finance, JAPAN
過去の「PRI Open Campus」については、
財務総合政策研究所ホームページに掲載しています。
https://www.mof.go.jp/pri/research/special_report/index.html
*1) 行政データを用いた研究の詳細については、『ファイナンス』(2023年3月号・7月号)の「PRI Open Campus」を参照。
*2) 財政経済理論研修の詳細については、『ファイナンス』(2023年1月号)の「PRI Open Campus」を参照。