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ドイツの冬景色降りしきる困難。焦がれる燈火。
在ドイツ日本国大使館 二等書記官 堀内  雅史*1

1 謹賀新年
―寒宵のドイツの只中より
 ベルリンよりGuten Tag! 皆さま、新年はいかがお過ごしでしたか。2025年最初の海外ウォッチャーでは、2023年6月の着任から1年半余りを経た筆者の目線にて、政治経済を軸としつつ様々な角度からドイツの冬景色をお伝えいたします。
 ドイツでは日本の元旦に相当する位置づけの祝祭日がクリスマスに訪れます。人々はクリスマスイブに例えば友達とパーティーをし、25日は家族と静かに過ごし、26日は身体を休めたり掃除をしたりといった過ごし方をします。そして12月31日のジルベスターと1月1日の元日はともに休日ではあるものの「正月三が日」はなく、暦が切替わる節目でも日本の正月ほどの特別な感慨はありません。
 ただ、新年を迎える夜には危険を感じるほど無数のロケット花火が飛び交うのがドイツの特徴です。その風習の起源はキリスト教が浸透するよりも前に、ゲルマン民族が大きな音を立てることで悪霊を追い払う魔除けにありました。その風習が定着しているがゆえ、市民は1年の最後の3日間に限って一般の小売店で販売が許されている花火を大量に購入し、大晦日の夜に盛大に打ち放つのです。
 ドイツの1月は、12月に出費が嵩んだゆえの財布の寂しさも相俟って、実は1年でもっとも陰鬱な時期に当たります。ただでさえドイツの冬は鈍色の曇り空に覆われ続けます。そのうえ16時過ぎには真っ暗になり、気持ちが落ち込みやすく、ビタミンDが不足するため体調も崩しやすくなります。
 しかし今日のドイツの暗さは、残念ながら季節に起因するものばかりではないようです。政治的にも経済的にも苦境に陥っており、その姿は例えばコロナ禍が明けて実質賃金がプラスへと回復する一方(図1 実質賃金水準の推移(2015年~,四半期毎))、消費者マインドがネガティブのまま推移している様子(図2 消費者信頼感指数の推移(2015年~,月毎))からも見て取れます。市民の消費意欲が高まらない要因は政治情勢への漠然とした不安感も含めて様々な説が唱えられております。一例としてここ数年で急上昇した消費者物価指数(HICP)を見てみましょう(図3 消費者物価指数の推移(2015年~,月毎))。市民が日常的に目にするエネルギーや飲食品の価格が跳ね上がっている様子が明らかです。
コラム1 ドイツのクリスマスマーケット
 ドイツの暗く凍てつく冬を照らす風物詩は他ならぬクリスマスマーケット(Weihnachtsmarkt)です。ドイツ全土のほぼすべての自治体で、11月下旬から12月下旬の約1か月間開催されます。マルクト(市場)の趣は町々によって様々で、屋台のデザイン、販売品、催し物からそれぞれの町のこだわりが見て取れます。
 もし日本からクリスマスマーケットを一目見ようとドイツを訪れるならば、筆者のお勧めはドイツ東部の都市、ドレスデンです。その理由はいくつも挙げられますが、何よりも美しいのです。10近くあるマルクトの中でも街中心部のシュトリーツェルマルクト(Striezelmarkt)は15世紀前半から続くドイツの中でも1、2位を争う歴史あるマルクトで、2024年には590回目の開催となりました。またドレスデンから電車で東に数十分の距離にあるバウツェンという町のバウツェナー・ヴェンツェルマルクト(Bautzener Wenzelsmarkt)は14世紀後半には始まっていたと言われています。
 一歩マルクトに足を踏み入れれば、人々が屋台で買ったホットワイン(Glühwein/Mulled Wine)やソーセージから漂う芳醇な薫りが会場を和ませ、ステージから響く音楽や屋台から漏れる温かな灯りが往来に活気をもたらします。目線を少し上げれば屋台の屋根は表情豊かな人形やモミの木で飾られ、中世に迷い込んだかのような楽しい錯覚を覚えます。シュトリーツェルマルクトの名前はドイツのクリスマスの伝統的なお菓子である「シュトレン」(たっぷりのバターが入った生地にドライフルーツやナッツなどが練り込まれたパン菓子)に由来します。定められた製法で作られたシュトレンのみに金色のラベルを貼り、ドレスデンの「オリジナル」を称することが許されます。お土産としてもうってつけです。
 クリスマスマーケットの起源を求めて中世に遡れば、マルクトとは市民が来たる冬や聖夜に備えて食料品や日用品を仕入れるための純粋な市場でした。商人だけでなく、生産者である籠編み職人、靴職人、そして次第に玩具職人といった職人たちも、マルクトに商品を提供する権利を与えられていきました。17世紀から18世紀になると、クリスマスは純粋な宗教的祭典から中流家庭の祝祭へと変化しました。中流階級や上流階級では、社交や子供たちへのプレゼントがより重要視され、マルクトでは食べ物や飲み物、玩具が売られるようになりました。キリスト降誕のシーンを飾る習慣もこの頃から始まったようです。
写真1,2 ドレスデンのクリスマスマーケット。[撮影:筆者]

2 「時代の転換」―逆境の信号連立政権
(1)一体感なき3党連立政権
 2005年から16年にわたりドイツを率いたアンゲル・メルケル前首相(キリスト教民主/社会同盟:CDU/CSU*2)が政界引退を表明して迎えた2021年9月26日の連邦議会選挙では、メルケル政権で副首相兼財務相を務めたオラフ・ショルツを首相候補として擁立した社会民主党(SPD)が第一党となりました。二カ月余りに及ぶ連立協定交渉を経て、12月8日に緑の党、自由民主党(FDP)を連立パートナーとする3党連立政権が樹立しました。この政権は各党の政党カラーである赤(SPD)、緑(緑の党)、黄(FDP)の組み合わせから「信号連立(Ampelkoalition)」と呼ばれました。「ました」と過去形であるのは、ほんのつい2か月余り前の11月6日、ショルツ首相がリントナー財務相(FDP)を解任したことでFDP閣僚が政権を去り、信号連立政権が崩壊したためです(後述)。
 信号連立政権は内生的にも外生的にも困難を抱えていました。内生とは3党連立という事象そのものです。1949年に樹立したアデナウアー政権以来の事態で、メルケル政権までは2党連立のみが続いておりました。第4次メルケル政権(2018年3月~2021年9月)では連邦議会においてCDU/CSUが246議席、連立パートナーのSPDが153議席、計399議席と、全709議席の過半数355議席をこれら2政党でカバーできました。対して2021年選挙実施直後の信号連立の議席数は、福祉国家志向のSPDが206議席、環境・人権保護を志向する緑の党が118議席、経済的自由主義を志向するFDPが91議席の計415議席で、全735議席の過半数368議席をなんとか上回りました。このとき非政権党となったCDU/CSUは197議席でしたが、第1党となったSPDにとって前政権と同じパートナーで連立を組む意思はなく、3党間の妥協的な連立協定に基づく信号連立政権が樹立したのでした。連立協定が合意に至ったタイミングでの大衆誌「シュピーゲル」の社説*3は、協定の中で「連立与党は177ページの連立協定の中で987回も何かを『するつもり(werden)』であり、494回も何かを『したい(wollen)』」と述べられている点を皮肉り、諸政策の方針が明確ではなく、改革案の中には以前から存在していた社会的現実を追認したに留まる内容も含まれていると協定を批判しました。政策志向の異なる3党が連立を組み、足並みを揃えることの難しさが伺えます。
(2)安全保障政策の転換と新たな歳出圧力
 このような盤石とは評し難い政権体制のうえに、外生的困難も降り掛かります。新型コロナウィルスの第一波がメルケル政権下の2020年3月に襲来し、ショルツ政権下の2022年4月にドイツ全土で感染予防措置が終了しました。ショルツ新政権の樹立は2021年12月8日でしたので、コロナ禍で混乱した社会経済をいかにして平時へと回帰させていくかが同政権の課題となりました。連邦政府はコロナ禍への対応のため2020年以降累次にわたる財政措置を実施しました。このうち2021年第二次補正予算(2022年2月公布)で積み上げられたコロナ対策費600億ユーロは、結局コロナ対応に使われないまま気候変動対策の基金に移されたところ、2023年11月15日に連邦憲法裁判所から同補正予算が違憲であるという判決を下されました。この違憲判決によって信号連立政権の財政運営は厳しい状況に置かれ、同時に後述する財政規律を巡る議論が世間に惹起されることとなります。この違憲判決事案は、本稿で扱うには重過ぎるため割愛するものの、信号連立の政権運営に暗い影を落とすことになりました。
 信号連立政権発足間もない2022年2月24日、ロシア軍がウクライナへの侵攻を開始しました。その3日後にショルツ首相が連邦議会演説で示した姿勢は明確でした。「2022年2月24日は、我々の大陸の歴史の転機(Zeitenwende)*4である。」「我々は、絶望的な状況にあるウクライナを支えなければならない。」。そして自由と民主主義を守り、同志国と結束してプーチンの戦争を思い止まらせ、NATOの一員としての義務を堅守し、外交交渉を通じて平和的解決を試みることを訴えました。この決意は同時に国防予算の純増を意味しました。従前、ドイツの国防支出対GDP比はおおむね1%台前半で推移しており、NATO加盟国の目標である国防支出対GDP比2%には及びませんでした。しかしながらNATOの一員として、また中東欧地域における主導的国家として、その責務を果たすために財政制約(後述)を克服し、1,000億ユーロの「連邦軍特別資金(Sondervermögen Bundeswehr)」を設置することを同声明にて表明しました。2022年の通常予算(日本でいう一般会計予算)総額が4,958億ユーロで、そのうち国防省予算が504億ユーロでしたから、この特別資金のインパクトは相当に大きなものでした。
 同資金の性質は、1,000億ユーロを上限として、複数年にわたりドイツ連邦軍の軍事能力とNATO戦力目標へのドイツの貢献を確保する目的で、連邦政府に対し起債による財源調達の権限を付与するものです。ドイツ基本法(=憲法)第115条には一般政府による各年予算の新規債務上限を定めた通称「債務ブレーキ(Schuldenbremse/Debt Brake)」という厳格なルールがあります。本来であればその上限を超えて起債権限が政府に付与されることはあってはならないのですが、当時の連邦政府は迅速な軍資金確保のために基本法を改正することで時世の要請に対処しました。すなわちこの声明の約4か月後、2022年7月1日には連邦軍特別資金の設置とそのための国債発行が債務ブレーキ規定の対象外となることを定めた基本法第87a条が新設・施行されました。かなりのスピードでの改正でした。同特別資金は2023年に84億ユーロが、2024年には198億ユーロが計上され、同年の国防省予算約520億ユーロと合わせることで、ドイツはついに国防支出対GDP比が2%目標を達成する2.1%となりました。しかし債務償還財源の確保に関する議論は深まっておりません。
(3)浮揚しない景況感
 2023年のドイツのGDPが日本を抜いて世界第3位になったことは記憶に新しいと思います。それではドイツ経済は、コロナ禍を克服し勢いに乗っているのかというと、そうではありません。
 ドイツの政府当局、中央銀行、主要経済研究所のエコノミストは現在のドイツ経済が“stagnation(景気停滞)”の状態にあると述べます。コロナ禍後の実質GDP成長率を見るとゼロ近傍で横ばいが続いています(図4 実質GDP成長率の推移(2015年~,四半期毎))。2025年以降の経済見通しも芳しくはありません。
 景気停滞の姿を少し噛み砕いてみましょう。先に見た通り、昨今のドイツではコロナ禍が明けて実質賃金がポジティブに推移しているにもかかわらず、消費者信頼感指数は他のユーロ圏諸国と同様にネガティブです(図1・図2)。そしてドイツのGDP構成の50%余りを家計消費が占めています(図5 ドイツの名目国内総生産の内訳(2023年))。この図では2023年の実績のみを紹介しておりますが、過去10年ほど遡っても家計消費は常に50%強を保っています。したがって政府が大幅な財政出動をしたり、貿易黒字が急拡大したりしない限り、ドイツ経済の勢いは人々の購買意欲の高低によって左右されると言えるでしょう。
 貿易と言うと、ご存知のとおりドイツは自動車大国で、大雑把に言えば自動車関連製品の輸出によって稼いできました。しかしドイツの代表的な自動車メーカーであるフォルクスワーゲン社が1937年の創業以来初めてとなる国内工場の閉鎖方針を2024年秋に打ち出し*5、また電気自動車の台頭により内燃機関車の需要が落ち込むなど、ドイツの自動車業界は近年急速に苦境に陥りつつあります。
 ドイツの世相を表す興味深い世論調査結果が、11月24日付の当地主要紙フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング(F.A.Z)紙に掲載されました。同記事はアレンスバッハ世論調査研究所への委託調査結果によるものです。曰く、近いうちに経済が回復すると見込んでいる回答者は34%しかおりません。また回答者のうち44%は「ドイツは全盛期を過ぎた」と感じており、年齢別にみるとその傾向は年輩の世代ほど顕著であり、30歳未満の若年層であっても35%が悲観的です(図6 世論調査結果)。
 ドイツ経済を活性化しようにも、ドイツの政治情勢は心もとない状況にあります。それについて話を進める前に、ドイツ旅行を検討中の皆さまにご案内です。現在のドイツの鉄道は欧州で最も遅延が深刻な鉄道です。悪天候でもないのに突如運行中止となることや、車両故障により途中駅で放り出されることもあります。産業革命の19世紀以降、平地が広がる国土に縦横無尽に線路を張り巡らせた鉄道大国ドイツにおいて、筆者のせっかくの鉄道旅が“stagnate”するたびに戦後の「奇跡の経済復興」とは何だったのかと虚しくなり、昨今のドイツの政治経済情勢の姿とも重なります。ドイツへご旅行の際は時間にゆとりをもった計画をお立てください。

コラム2定時運行をしなくなったドイツ鉄道
 ドイツ全土で運行しているドイツ鉄道(Deutsche Bahn:DB)は、20年以上前までは時間に正確な鉄道として知られていました。ところが近年は大幅な遅延や突然の運休が目立つようになっています。大幅な遅延とは、30分どころではなく、1時間や数時間といった幅での遅延です。
 2024年のDBの中間報告によれば、旅客輸送全体の定時運行率は90%ですが、長距離列車、すなわちICEのそれはわずか60%余りです。そして留意すべきは、DBの「定時運行」の定義は、旅客輸送であれば遅延幅が定刻よりも6分未満、貨物輸送であれば16分未満である場合を指します。5分の遅れは「遅延」ではないということです。また突然の運休は算入対象外です。
 旅客輸送の定時性は2021年度から低下傾向が継続しているようです。同中間報告によるとその主な原因として、(1)設備状態が劣悪で、レール・枕木・分岐器など路盤上の設備で多数の障害が発生し、これに起因する速度制限も多数発生、(2)事業年度中に予定外の新規工事が発生し、運行管理が混乱しがち、(3)大規模ハブ駅周辺での列車本数の増加、(4)労働市場の逼迫に伴い、資格が求められる指令員や運転士などの人材が不足、(5)1か所の問題が他の路線に波及しやすく、運行全体に大きな悪影響が発生、といったものが挙げられています。
 施設管理状態の劣悪さが真っ先に挙げられる点は、インダストリー国家というドイツのイメージらしからぬものがあります。しかしDBはドイツ連邦政府が株式を100%保有する国有鉄道会社であり、軽微な施設維持は自己財源で賄うものの、大規模修繕は国費投入を要する財務構造になっています。メルケル政権下では公共事業にあまり予算が回らず施設の老朽化が放置されたことと、そもそも高速鉄道と在来線が線路を共用している等のため運行管理が複雑であることが相俟って信号連立政権になると遅延が耐え難い水準まで悪化していたために、ようやく政府が大規模修繕に乗り出したのです。
 最近になってベルリン~ハンブルクなど、主要都市間を結ぶ線路の改修工事が始まりました。その影響で迂回ルートが用いられるために運行管理が複雑化し、今後も何年かは深刻な遅延が続くと見込まれています。
写真3 ライプチヒ駅のプラットホームに控えるICE。[撮影:筆者]

3 Ampel(アンペル)-Aus(アウス)*6:信号連立の消灯
(1)「その日」は突然やってきた
 信号連立の消灯は、予兆こそあれど、しかし突然にやってきました。11月6日の20時半過ぎに筆者は職場を離れ帰路歩いていると、まだ職場に残っている同僚から「ショルツ首相がリントナー財務相解任」と速報メールが入りました。財務相の解任ともなれば筆者の業務に及ぶ影響が甚大であるため、諦めにも悟りにも近い気持ちで人気の少ない夜道を高笑いしつつ歩みを速めたことを覚えています。
 連立崩壊の予兆があったことは確かです。2025年予算の歳出規模に対して十分な根拠を伴う歳入見積りがなされておらず、その所謂「予算ギャップ(Haushaltslücke)」を埋め合わせる方策について、議会プロセスが始まった9月以降、木の葉が緑から紅や黄に色づき、枝から落ち始めてもなお進展が見られないままでした。10月末にはショルツ首相が単独でドイツ経済界の主要企業を集めた意見交換会を催し、同時にリントナー財務相もショルツ首相に招待されなかった企業を招いて独自の懇談会を催しました。次いで11月初旬にはリントナー財務相がFDP党首の立場で独自の政策集を公表し、その内容は連邦労働社会大臣(SPD)が提示した団体交渉法の改正案の否定や、連邦経済・気候保護省(ハーベック大臣:緑の党)の重要財源である気候・変革基金(KTF)の廃止など、連立パートナーであるSPDや緑の党にとって受入れ難い内容が含まれていました*7。
 信号連立政権内の主にリントナー財務相に端を発する不仲は以前から明らかではありました。しかし世論調査では非政権党であるCDU/CSUの支持率が30%を超え圧倒的で、極右政党である「ドイツのための選択肢(AfD)*8」が20%近くと2位につける一方、連立政権各党の支持率は低迷していました。このもとでFDPを追放し、連立解消のうえ翌年(2025年)9月28日に予定されていた連邦議会選挙を前倒し実施しても、連立各党の敗北は必至でした。それゆえ敢えてFDP追放により連邦議会における少数連立与党となり、連邦政府予算や重要法案の成立が困難となる道を突き進む合理性は見出せず、畢竟惰性的に翌年9月の選挙まで現体制が続くのではないかと思われていたのです。
 ところがショルツ首相にとってのより合理的な判断は、FDPと袂を分かつことでした。リントナー財務相から予算審議や法審議における争点について譲歩も妥協も得られないのであれば、それよりはメルツ党首率いるCDU/CSUから部分的にでも協力を取り付けられればよいという判断であったのでしょう。予兆とは、事案が発生した後に遡及的にしか認識できないものであることを実感しました。
(2)新体制と今後の政治日程
 11月6日夜のショルツ首相声明におけるリントナー前財務相の解任と連邦議会選挙の前倒し実施が発表された翌日、連邦政府から4名いたFDP閣僚の姿が正式に消えました。財務相の他、司法相、教育・研究相の3名が去り、残りのデジタル・交通相はFDPを離党して無所属のまま政権に留まりました。そのデジタル・交通相が司法相を兼任し、食料・農業相(緑の党)が教育・研究相を兼任することになりました。財務相の後任にはショルツ首相の側近として首相府の次官を務めたクキース氏(SPD)が就任しました。クキース新財務相はメルケル政権下のショルツ財務相(当時)の下で連邦財務省の次官を務めた人物です。
 連邦議会の議席数も与野党構成が変わりました。信号連立3党の議席数は過半数367議席を上回る415議席でしたが、FDPが与党から野党に転じたことで、与党側は90議席を失い325議席と過半数を下回りました。
 少数与党の議会・政権運営が困難を極めるのは何処も同様です。何よりも本来であれば2024年11月中に成立の目処がついていたはずの2024年第1次補正予算と2025年予算の審議が停止となり、本来の1月1日からの執行開始に間に合わず、結果として2025年中はしばらく暫定予算が続くこととなりました。
 連邦議会選挙の前倒し実施日は2025年2月23日に決まりました。任期満了に因らない前倒し選挙ですので、解散総選挙の形となります。ドイツの解散プロセスは少々興味深く、首相が自らへの信任について問う動議を連邦議会で発議し、過半数が「信任しない」、すなわち不信任の場合に首相は(特殊な状況を除き政治的実権を有さない)連邦大統領に議会の解散を提案でき、首相の提案を受けて大統領は連邦議会を解散します。
 ショルツ首相は2024年12月11日、連邦議会議長宛に信任投票の動議を提出し、これを受けた連邦議会での信任投票は12月16日に実施されました*9。その結果ショルツ首相は不信任となり、首相の提案に基づいてシュタインマイヤー大統領(SPD)は12月27日に連邦議会を解散しました。爾後2月の投票日までの間、選挙運動が展開されます。
 投票結果の判明から新たな政権が樹立するまでには数か月を要します。ドイツの選挙は比例代表を軸としつつ小選挙区も並立するシステムであり、単独政党が議席の過半数を有する状況は少なくとも第二次世界大戦後の西ドイツと統一ドイツでは生じていません。最大得票政党は連立パートナーを定め、連立協定を結んで政策の方向性について擦り合わせ、合意に至ります。その連立協定が各党の党大会で承認されるまでに更なる日数を要するのです。すべての手続きが完了して新政権が樹立する時期は2025年4月下旬以降ではないかと見られています。
 新政権樹立までの行政運営は現行政権が継続します。とはいえ2025年中の当面の予算執行は暫定予算によって賄われることになります。暫定予算では義務的支出の執行が認められており、2025年予算総額に比しておおよそ8割程度が執行可能です。それゆえアメリカで見られるような行政機関の機能停止といった事態はドイツでは生じないものの、ウクライナ支援や景気刺激策には新たな一手が打てない状態が続きます。
(3)次期政権の財政運営の課題
 政権を追われたFDPという政党の性格は報道等でいわれるところの「特定の顧客のための政党」であり、幅広い国民から支持を得ることを必ずしも政策形成方針の原理とはしておりません。リントナーFDP党首は信号連立における財務相としてビジネス拠点としてのドイツの地位を高め、自由競争を促し、市場経済を活性化させ、政府として財政規律を遵守することを掲げてきました。国民のすべての層には支持を求めないがゆえに、財政規律遵守という必ずしも万人受けはし得ない(が、一定の支持者は存在する)大義名分を掲げて原理主義的主張を貫くことができ、それがFDPの強さでした。
 しかし信号連立政権下では実態経済は伸び悩む一方、社会保障、国防、公共事業、債務償還といった分野を中心に財政支出圧力が年々高まりつつあります。この状況下において、リントナー財務相の財政規律遵守姿勢は政権内外から批判に晒されやすくなりました。例えば連邦議会におけるSPD院内総務のミュッツェニヒ議員は2024年7月に、「政府の全てのレベル、またほぼ全ての政党において、基本法を改正し、債務ブレーキを改革する必要性への認識が高まっている」と述べました。7月とは、翌年度予算の政府草案を閣議決定するタイミングです。
 その数日後、リントナー財務相(当時)は同議員の発言を批判しつつ、「債務残高対GDP比が(EUのマーストリヒト基準である)60%を下回れば、債務償還計画を再編成でき、新たな(財政的)対応の余地が生まれるだろう。それまでは、財政規律を守るよう勧める。」とコメントしています。ここでポイントであるのは、リントナー前財務相は現行の債務ブレーキを盲目的に信奉して変更の余地を認めていなかったわけではなく、ドイツの債務残高対GDP比が60%を少し上回っている現行水準から、EUの安定成長協定(Stability and Growth Pact:SGP)に基づく水準である60%を下回れば、柔軟な対応を検討し得る姿勢を示していたことです(図8 債務残高対GDP比の推移)。EUとドイツの財政規律の両方に意を配している点で、リントナー前財務相はショルツ元財務相よりも財政規律に関する包括的な視座を有しています。
 次期政権では債務ブレーキの在り方が主要な論点の一つになります。連邦議会議員や研究機関からは既に「基本法を改正して制約を緩和すべき」、「変更すべきではない」、「国防費など一部の歳出分野の財源については債務ブレーキの制約対象外とすべき」といった様々な見解が提示されています。
 ここで債務ブレーキの内容についてもう少し掘り下げておきましょう。債務ブレーキとは先述のとおり、基本法115条第2項に規定された政府の起債に基づく資金調達手法の上限を定めたルールです。2009年に基本法を改正し、2011年から段階的に運用を本格化し、2016年から完全実施された新しいルールです。「債務ブレーキ(Schuldenbremse)」という単語は条文中に存在しないものの、通称名として人口に膾炙しています。この起債上限額は「対GDP比0.35%」に「景気循環調整」を加味、すなわち不況期には起債上限額を引き上げ、好況期には引き下げる調整がなされて決定されます。加えて融資といった返済が確実視される形の支出の財源を起債によって賄うこと(財政中立的な金融取引)は、特段の上限額が定められることなく可能です。例として未だ成立していない2025年当初予算(2024年議会提出時点)を見てみましょう。土台となる対GDP比0.35%は144億ユーロです。ここに景気の低迷を踏まえて98億ユーロが、さらに財政中立的な金融取引として271億ユーロが加わります。その結果、起債上限は513億ユーロとなります。予算総額は4,886億ユーロですので、その約10.5%を公債金収入によって賄う計算です*10。
 さて、現在の支持率に基づけば来る選挙で第一党となるであろうCDU/CSUのスタンスはどうでしょうか。メルケル政権(CDU/CSU)の下では債務ブレーキを着実に履行し、債務残高対GDP比を縮減してきました。メルツ党首をはじめ同党の有力議員も債務ブレーキ改革に基本的に反対の立場であり、現行規定を維持する意向です。同党の連邦議会予算委員会における主要議員は「予算問題は、ますます手に負えなくなる債務政策によらず、経済成長力を強化することで解決すべき」と述べました*11。財政措置に依らずとも制度変更や執行の質を改善することで施策効果が高まる可能性はあるでしょう。ただ、安全保障環境の目まぐるしい変化を受けた国防体制強化の需要には現行制度で対応し切れるか疑問があります。国防体制整備は防衛装備品の調達や新規技術開発に依拠する部分が大きく、加えて米トランプ政権がNATO加盟国に対し国防負担増を要求した場合、連邦政府予算には並々ならぬ国防費の増額圧力が掛かります。ここにおいてCDU/CSUは、メルケル時代に重心を置かなかった国防政策へのスタンスが否応なく問われることになります。
写真4 上空から俯瞰した連邦財務省庁舎。ナチス政権下の1935年に帝国空軍司令部として建設。1999年より連邦財務省庁舎。日本の財務省庁舎より広大なるも、人員はその半分程度の約1,000名が勤務。多くの職員が個室を有する。[撮影:筆者]

4 分断と連帯
(1)東西ドイツ
 ここまでドイツ連邦政府・議会の動向に焦点を当ててきました。しかし首都ベルリンばかりを注視してもドイツを理解するには不十分です。ドイツは16州からなる連邦国家であり、かつては神聖ローマ帝国という多数の領邦国家の集合体でした。北ドイツのプロイセン王国と南ドイツのバイエルン王国は別の国でした。また冷戦期には東西で異なる国家でした。「ドイツ人」と一口に言っても深く共有されたアイデンティティがあるわけではなく、地域によって異なるドイツ観があります。
 現在のドイツ連邦共和国は1990年10月3日に東西再統一してからの体制で、昨年10月には34回目の統一記念日を迎えました。この統一は、西ドイツが東ドイツを編入する形をとりました。すなわち二つの同等なパートナー同士の統一ではなく、挫折した東ドイツを成功した西ドイツ(連邦共和国)に編入し、西ドイツの秩序を編入領域に移植するという再統一が目指されたのです*12。
 16年間に渡り首相として統一ドイツを導いたアンゲラ・メルケルの生い立ちは東ドイツにあります。1954年にハンブルクで生まれるも、まもなく牧師の父の都合で東ドイツに移り、ベルリンの壁が崩壊するまで東ドイツ市民として過ごしました。
 学業優秀にして理論物理学者としてのキャリアを歩んでいたメルケルは、東西統一後に政界へ転身し、2000年4月にはCDU党首に就任し、2005年連邦議会選挙で首相の座につきます。政界引退を表明し不出馬であった2021年9月26日の連邦議会選挙直後、首相として最後の10月3日統一記念日における演説では「私の国とはつまり何なのか(Was also ist mein Land?)」と題し次のように語りました*13。

「このドイツ統一が、西ドイツの多くの人々にとっては今までと何も変わらない生活がそのまま続いていくということを本質的に意味しており、一方、私たち東ドイツの人々にとっては、政治、仕事や労働環境、社会、ほとんどすべての物事が変わったということを意味していることが今日まであまりにもきちんと認識されていないと私は思います。
(中略)東ドイツが終焉を迎え、自分の考えや人生を決定できる自由をやっと手に入れたことで、多くの新しいチャンスが生まれました。
(中略)しかし同時に、まったく新しい生活環境の中で自分の道を進んでいこうと試み、袋小路に迷い込んでしまった人も少なくありません。以前は求められていた仕事のスキルが突然もうそれほど、あるいはまったく意味を持たなくなってしまいました。(中略)このような悲しく暗い経験も私たちの歴史の一部です。私たちはそれを決して無視したり、忘れたりしてはいけません。それは、一人一人の経歴への敬意からであることはもちろんのことですが、それに加え、私たちの国はまだ本当に一つの国になるプロセスの途中にあり、意識的であろうとなかろうと、突然出自を理由として否定的な評価を下される人がないように気を付けなければならないからです。」

 ベルリンの壁は崩れても、東西ドイツ人の心理的な壁はまだ完全に崩れ去ったわけではありません。連邦政府のシュナイダー東独問題担当代表(SPD)は、昨年も例年通り統一記念日(10月3日)に先立って統一後の状況に関する報告書*14を提出したうえで、2024年9月に旧東独3州(テューリンゲン州、ザクセン州及びブランデンブルク州)で行われた州議会選挙におけるAfDの成功*15について「驚異的で幻滅するものであるとともに憂慮すべきこと」であり、「連帯感の欠如」の表れであると述べました。報告書内の世論調査結果では社会全体の「連帯感」は、平均的に旧東独地域で旧西独地域より低く感じられており、中学歴及び低学歴の人々及びAfD又はBSW*16の支持者の間で平均より低く感じられる傾向にあるといいます。
 同報告書に関する連邦政府のプレスリリース(2024年9月25日)によると、東ドイツ人口はドイツ総人口の20%近くを占めていますが、主要メディア関係者のうち8%、企業管理職に至っては4%しか東ドイツ出身がおりません。連邦政府高官については15%とのことです。また東ドイツの労働者賃金は西ドイツより30%近く低く、東ドイツの世帯の平均資産は、西ドイツの50%にも満たないそうです*17。
 こうした背景から、東ドイツ市民は自らを「二級市民」のように感じているとシュナイダー代表は認めます*18。東ドイツ市民は不満を抱えやすく、既存政党への不満から有権者の一定割合がかつてのナチスに近い思想を掲げるAfDに、特に国内外の情勢が混沌を深めていった2022年以降、流れていったと見られています。しかし最近ではAfDの支持層が単に既存政党への反発から流れてきた人々ばかりでなく、純粋にAfDの思想を支持している人々も一定割合いることが明らかになっています。例えばメルケル政権が2015年以降、シリアからの難民を大量に受け入れた後の社会情勢を見てみましょう。中東からの大量の難民受け入れによりドイツ国内の治安は悪化し、生活の安全が脅かされていると感じている市民が増えています。2022年からはウクライナからの避難民を多数受け入れました。これにより、まさにベルリンもそうでしたが、ドイツ国内の住宅供給が逼迫しました。ただでさえ物価が上昇している状況に加えて都市部を中心に家賃が跳ね上がり(図3)、ドイツ人自身が不利益を被っていることに不満が募りやすく、排他的思想のAfDに支持が向かいやすくなりました。難民・避難民の受入れという国際社会への連帯の表明の結果が、国内の市民の分断に繋がっているようにも見えます。
写真5 上弦の月が浮かぶ2024年11月9日のブランデンブルク門前。ベルリンの壁崩壊から35周年を迎えたこの日、大型スクリーンには「自由を高く揚げよ!」とあり、ライトアップされたステージ上の多数のスクリーンには市民が描いた「自由」のモチーフが展示されている。[撮影:筆者]
(2)国際関係の再編
 信号連立政権の時代はメルケル時代で築かれた国際関係の見直しを強いられる時代となりました。しばしば「エネルギーはロシア、貿易(輸出)は中国*19、安全保障はアメリカ」といった言葉で従来のドイツの国際関係が評されてきましたが、特にロシアと中国との関係が崩れました。
 ロシアのウクライナ侵攻を受けて従前ロシアに大きく依存していたエネルギー輸入の見直しは最重要課題となりました。ロシアからの安価なエネルギー輸入を控えたことでドイツのエネルギー価格は相当に高騰しましたが、輸入先の再構築は途半ばです。
 対中経済関係も見直されつつあります。ドイツの自動車業界にとって中国は魅力的な市場であり続けていますが、中国は安価な電気自動車(EV)を大量に輸出したこともあり、ドイツ自動車に対する世界的な需要が減衰し、ドイツ自動車業界は今まさに苦境に立たされています。かといって中国市場への依存状況は抜け出せません。
 中国産の希少資源が政治的動機に基づく経済的威圧に利用される可能性や、重要技術情報の漏洩リスク、インフラ設備管理保全などの観点から、経済安全保障に係る対中懸念がドイツにおいて高まりつつあります。この経済安全保障の観点からは、メルケル時代には残念ながらあまり見向きもされなかった日本が、最近ではドイツにとってのアジアにおける重要なパートナーとして再浮上しています。2024年7月には当時の岸田総理がベルリンを訪れました。ショルツ首相との会談を受けて同年11月にはベルリンにて第1回日独経済安全保障協議が事務方レベルで開催され、筆者も日本財務省を代表する立場で参加しました。2025年以降も、連邦議会選挙を挟みつつ、同協議や首脳及び閣僚レベルでの政府間協議を継続的に開催していく方向です。こうした背景から日独間の連帯はかつてないほどに強まりつつあります。
 安全保障の観点から、アメリカは引き続きドイツの重要なパートナーです。ウクライナでの戦争を背景に、EUの中でもドイツはアメリカに次ぐ対ウクライナ軍事支援国ではありますが、トランプ政権の対ウクライナ方針が未だ明らかとなっていない状況では、EUの中でドイツが今後、従前に増して強力な軍事支援が求められる可能性があります。アメリカを頼り切れないとすれば、ドイツはNATOにおけるEUの主要国としての立ち位置をより強固な支柱として改める必要がありそうです。

5 終わりに
 本稿ではドイツの冬景色をお伝えしました。明るい話題も盛り込めたらと思っていた筆者自身にとっても、存外に薄暗い話ばかりになってしまいました。しかし筆者が着任以来追い続けてきたドイツの政治経済情勢の現実はこのようなものでした。本稿校正を繰り返している1月上旬をしてベルリンではまだ雪が積もりません。真っ白な雪で全てが美しく包み込まれるときが、そろそろ来てくれればと思います。
 1月、そして2月は依然として厳冬が続きます。他方で世の中では新しい変化が生じます。米国ではトランプ政権が始動し、ドイツでは連邦議会選挙が行われます。これらのイベントは必ずしも新たな希望となるとは限りません。しかし停滞した秩序が変化するときとは、同時に何らかの前向きな変化を呼ぶ転機になり得ます。この大きな情勢変化がドイツにとって前向きなものであればと願いつつ、読者の皆さまにおかれましても今年新たに転機が生じたならば、その機会を強かに生かさんとする情熱の燈火がますます盛んであることを祈ります。
図7 ドイツにおけるドイツ鉄道(DB)の定時運行率,%


*1) 本稿は全て筆者の個人的な見解であり、筆者の所属する組織を代表するものではありません。
*2) CDUとCSUは政治方針を共有する異なる2政党の同盟である。CSUはバイエルン州にのみ所在する政党であり、CDUはその他15州に所在する。
*3) DER SPIEGEL, Mr. Stefan Kuzmany, “Sie wollen. Aber jetzt müssen sie auch können” 26 Nov. 2021
*4) 「Zeitenwende(ツァイテンヴェンデ)」はショルツ首相の造語であり、この単語が単独で用いられるときの日本語定訳は「時代の転換」。また独連邦政府は同声明文における同単語を「watershed」と英訳している。
*5) 2025年1月時点では、工場閉鎖はしないものの、大幅な人員削減と生産能力の減で労使間合意に至っている。
*6) 11月6日に生じたばかりの事案である「信号連立の終焉」を意味するこの言葉は、ドイツ語協会によって2024年12月6日に2024年の「今年の言葉(Wort des Jahres)」に選ばれた。
*7) このリントナー党首の政策集は1982年の事例に照らして「離縁状(Scheidungspapier)」と評された。当時、小連立与党であったFDPの党首・ラムスドルフ連邦経済大臣が緊縮財政、減税及び福祉国家の削減を主張する論文を発表したが、大連立与党であったSPDにとって受入れ難い内容であった。当時のFDPはSPDが論文中の要求内容を拒否することを想定していたため、この「ラムスドルフ論文」は意図的な「離縁状」と称された。
*8) AfD(Alternative für Deutschland)は2013年創設。EUや共通通貨ユーロに懐疑的。反移民・亡命政策の立場をとり、家族政策や社会政策についても保守的な立場を強く打ち出す。外交・防衛政策では、プーチンのウクライナ攻撃後もロシア寄りの路線を堅持。複数州の憲法擁護庁から「極右」認定を受け、連邦議会でも州議会でも主要政党はAfDを連立パートナーとはしない方針を示している。
*9) 投票は記名投票方式。投票の結果、総議席数733(過半数367)のうち票を投じた議員は717名。信任が207票(うちSPDは201票/207名)。不信任が394票。棄権が116票。信任を投じなかったSPD議員6名はいずれも投票に不参加。
*10) 我が国の2024年度当初予算における公債依存度は31.5%。
*11) Handelsblatt, 12 Nov, 2024, ‚Union lehnt Pläne für neues Sondervermögen von SPD und Grünen ab‘
*12) アンドレアス・レダー 著、板橋拓己 訳『ドイツ統一』岩波新書、2020年
*13) 藤田香織 訳『アンゲラ・メルケル演説集 私の国とはつまり何なのか』創元社、2022年
*14) 「東と西-自由、統一、そして不完全(Ost und West. Frei, vereint und unvollkommen)」
*15) 2024年9月1日に旧東独であるザクセン州・テューリンゲン州、同年9月22日にブランデンブルク州の3州で州議会選挙が実施されたところ、いずれの州でもAfDが躍進し、ザクセン州ではCDU(41/120議席)に次ぐ40議席、テューリンゲン州では第一党(32/88議席)、ブランデンブルク州ではSPD(32/88議席)に次ぐ30議席を獲得。いずれの州でもAfDと連立を望む政党はないため、AfD以外の政党で連立を組み、政権党を構成している。
*16) BSW:Bündnis Sahra Wagenknecht(ザーラ・ヴァーゲンクネヒト同盟)。旧「左派党」からヴァーゲンクネヒト議員らが離党して2024年1月に結成した新党。ポピュリズム極左政党と見なされる。
*17) この資産の差異の背景には、そもそも西ドイツに投資家が多く東ドイツの生産性が高い企業がそれら投資家に買収されていき、結果的に東ドイツには小売業、接客業、飲食業など資金力や必要な資格の点で参入障壁が低い小規模企業が残りやすかったことがある。
*18) 「二級市民(Bürger zweiter Klasse)」意識については異なる見解もある。2024年8月22日付の当地高級紙フランクフルター・アルゲマイネ紙は、アレンスバッハ世論研究所への委託調査結果を基に、59%の東ドイツ市民が「東ドイツのほとんどの人が自らを二級市民であると感じている」と認識する一方で、「自分自身は二級市民であると感じている」と答えた東ドイツ市民は32%に過ぎず(2002年は57%)、同51%は自らを二級市民であるとは感じていないと回答。東ドイツ市民の自己認識が必ずしも二級市民であるわけではないことを示した。
*19) 対中貿易の内容を統計で確認すると、輸出額のうち車両関連品が最大である一方、輸出総額よりも輸入総額が上回る貿易赤字が続いており、ドイツ経済全体として中国相手に稼いでいるとは評し得ない。