国家公務員共済組合連合会 理事長 松元 崇
韓国語は日本語と同じ謬着語だがかなり主語*1を使う言語だ。かつては中国の漢字をそのまま用いる「文字言語」と見られていたが、今日では漢字を捨て去って全面ハングル化し、欧米語と同じ「音声言語」になっている。言語進化論華やかなりし時代なら、一つの言語で言語の進化を体現したものだとされそうな言語である。そして、国際的に強い発信力を発揮している。その状況は、未来に向かって開かれているのは韓国語だともいえそうなものである。
小中華の国
今日の韓国語について見ていく前に、まずは韓国の歴史を振り返っておくこととしたい。古代の日本は朝鮮半島から満州にかけて勢力を伸ばしていた時期があり、清朝の時代に発見された広開土王碑(西暦414年建立)には、倭国が海を渡って百済、新羅を破り臣民としたことが記されている。663年、日本が唐と新羅の連合軍に敗れて(白村江の闘い)朝鮮半島での影響力を失っていった後に、朝鮮半島に覇を唱えたのが高麗(918年建国)で、高麗の国王は「王」ではなく中国大陸の皇帝と同格の「宗」を号していた。日本の天皇が「王」ではなく「天皇」を称しているのと同様である*2。それが、1259年、モンゴルに服従するようになって以降「王」とされ、高麗王の母親はすべてモンゴル人になった。1274年からの元寇の主体となったのは、この高麗王国の兵士たちだった。そのような13世紀に登場したのが檀君神話だった。それは、13世紀末に編纂された私選の史書「三国遺事」に初めて登場したもので、天神桓因(かんいん、帝釈天)の子桓雄(かんゆう)が太白山*3の神檀樹の下に天下りし、熊女との間に生まれた檀君(だんくん)が紀元前2333年に即位したとするものであった。
朝鮮半島では、神々の集う場所は檀君神話に登場する太白山の神檀樹の下とされ、日本のように地域ごとに神様がいるわけではない。そこで、地域ごとに神を祀る社(やしろ)がなく村祭りがない*4。日本のような氏神信仰がないのだ。この点について、吉村外嘉雄氏は、朝鮮半島では支配階級の両班に反抗してたびたび“民乱”が起こったため、両班が「民衆が集う」のを恐れて「宗教行事」を禁じたためだとしている*5。そのような韓国民衆の宗教意識として特徴的なのがシャーマニズムである。韓国のシャーマニズムでは、死んでから霊はだんだんと浄化を遂げて鬼神の状況を経て最終的に先祖霊になるとされている*6。と聞くと日本と同様のように思われるが、韓国におけるその後のキリスト教の受容の仕方を見るとかなり違いそうだ。日本では、16世紀に宣教師が渡来した際、教えを聞いた人々が自分が洗礼を受けて天国に行けるのはいいとして父祖は行けるのかと問うたのに対して、宣教師が無理と答えたために多くの人が入信しなかったという。それに対して、今日の韓国ではキリスト教が最大の宗教になっているのである*7。
1393年に高麗軍の副司令官だった李成桂が李氏朝鮮を建国した。李成桂は、明の洪武帝に朝鮮の国号をつけてもらい、中国の華夷秩序の中に自国を位置付けた。その華夷秩序(中華文明)の中心だった明が満州族の清(1636年)に滅ぼされると、李氏朝鮮は、当初、清への朝貢を拒絶していたが、たちまち攻略されて三跪九叩頭の礼をもって臣従を誓わされ、それを石碑にとどめられた。ただ、表面上は臣従しながらも、公文書に満州文字を使う清朝よりも全ての文書に漢字を使う自国のほうが中華文明の本流だとして小中華を称した。そのような李氏朝鮮を日本人は大いに尊敬した。利休の始めた侘茶では、朝鮮の井戸茶碗を薄茶器として愛でていた。江戸時代、朝鮮通信使が訪れると、儒教の教えを請おうと面会を求める者が殺到したという。
李氏朝鮮が小中華を自称した朝鮮半島では、中国の革命思想に従って王朝が変わるたびに古いものを捨てて新たな歴史や文化が創り出されてきた*8。分かりやすいのは、日本の古墳時代に行われたと思われる中国風の名前への改名である。今日の韓国人の名前には、金さんや李さんといったおめでたい中国風の名前がほとんどだ。しかしながら、日本の古文書にあるのは随分と長い名前だったのだ*9。文化で言えば、例えば焼き物は、高麗王朝が李氏朝鮮になると、それまでの青磁が白磁にすっかり変わってしまった。宗教の扱いも王朝が変わると大きく変えられた。仏教は、かつて百済の聖王が日本に伝えたもので、朝鮮半島で広く信仰されていたが、李氏朝鮮が儒教を国教とした後には支配層からはほとんど顧みられなくなり、都市部の仏教寺院は一掃された。全国に1万以上もあった寺院は242に限定され、それ以外の寺院の所有地と奴卑は没収され、多くの僧侶が賎民階級に身分を落とされたという*10。
李氏朝鮮の時代に、特筆すべきことは経済の停滞だった。李氏朝鮮の国史である「李朝実録」*11によると、耕地面積は李朝開国からの215年間に4割弱減少し、人口も李朝英祖29年からの151年間に2割弱減少したという。戦前、京城大学の教授で、戦後、東京大学名誉教授、昭和財政史の監修者も務めた鈴木武雄氏が「朝鮮統治の性格と実績-反省と反批判」という報告書の中で指摘していることである*12。同様のことは、韓国の経済学者も指摘しており*13、小渕元総理の肝いりで2002年から始められた日韓歴史共同研究では日本側の学者から指摘されている。
李氏朝鮮で経済の停滞をもたらしたのは、支配層の理不尽な統治だったようだ。イザベラ・バードの「朝鮮紀行」によれば、「朝鮮中のだれもが貧しさは自分の最良の防衛手段であり、自分とその家族の衣食を賄う以上のものを持てば、貪欲で腐敗した官僚に奪われてしまうことを知っている」「小金を貯めていると告げ口されようものなら、官僚がそれを貸せと迫ってくる。貸せばたいがい現金も利子も返済されず、貸すのを断れば罪をでっちあげられて投獄され、(中略)要求金額を用意しない限り笞で打たれる」という状態だったのだ。ちなみに、イザベラ・バードは、ロシアの支配下にあった満州での朝鮮人の活躍ぶりを見て、朝鮮人は本来優秀なのでロシアの支配下に入れば大きく発展するに違いないと述べていた*14。そのような理不尽な支配層の支配について、宮脇淳子氏は、大陸に向かって開いている朝鮮半島には、次から次へと異民族が押し寄せて支配階層が変わったので、新たな支配階層は異民族を差別し、肉体労働は異民族である奴隷にさせればいいと考えたからだとしている*15。奴隷制は、李氏朝鮮が採用した儒教の一君万民の思想からは認められないものだったがなかなか改められず、明治維新期にもその数は相当少なくなっていたとはいえ存続していた*16。それを同一民族としておかしいとしたのが、福沢諭吉に学んで朝鮮の近代化を図ろうとした金玉均だった。ところが、そのような金玉均は李王朝から危険人物として上海で暗殺され、その死体は朝鮮に運ばれて、首、胴体、腕、脚などをバラバラにして晒す凌遅刑にされてしまったのだった*17。
韓国語の特徴
ここから韓国語の変遷を見ていくこととしたい。まずは韓国語の特徴である。韓国語は、日本語と同じ謬着語で日本人にとって学びやすい言語だ。しかしながら、英語や中国語と同様に主語を使う言語であり、日本語のような敬語はない。韓国語にあるのは絶対敬語といわれるもので、「世間」の中での相対的な関係に従って使われる日本語の相対敬語とは全く異なっている。日本語なら「弊社の社長がこう申しておりました」というところを、「わが社の社長様がこうおっしゃっておられました」というように使う。それは日本語と異なり、自分と社長との絶対的な関係に従って使われるもので、主語がないとだれの話なのかがわかりにくい言語だ。
主語を使う韓国人は、西欧人と同様に自分を中心に世界を認識する。それは、相手の身になっての表現がないということに現れている。例えば、「させていただきます」という相手から見ての表現(使役受け身)がない。自分を中心に「して差し上げます」としか言わない。これは、自然を相手にした場合も同様で「雨に降られた」というような表現がない。「雨が降った」という。かつて大蔵省(当時)でも講演をされた呉善花氏によると、日本語の「雨に降られた」というのは「先生に叱られた」という表現に通じるものだという。「先生に叱られた」というのは、自分が悪かったので仕方がないということを言外に含んでおり、「雨に降られた」という自然現象が仕方がないというのと同じで、ある種の諦めを含んだ表現だ。それは、「世間」の中でいたずらに他者の責任追及になることを避ける言い方だという*18。なお、鈴木孝夫氏によると、韓国語には日本語のような自分に対しての悔しいという言葉がないという。韓国語で「悔しい」というのは、相手の行動によって自分が不利益を被った時の相手に対する感情で、自分のおろかな行動を自省する意味での「悔しい」という感情を表す言葉はないのだという*19。
ちなみに日本語の「させていただきます」という相手から見ての表現は、韓国人にはとうてい理解できないものだと言う。日本人の感覚では、それはへりくだって自分を相手よりも下に置いた謙虚さをあらわす美しい言葉なのだが、韓国人の感覚では自分を下に置くというのはとても卑屈なことなのだという。韓国人における謙虚さは、あくまでも上の立場にいる人から下の立場にいる人々に恵みを施すものだからだという。呉善花氏によると戦前の歴史を反省する気持ちから日本人が「支援させていただきます」などというと、そんな卑屈な表現を使う「みっともない日本人がかつて韓国を踏みにじった」ということで、韓国人は耐えられなくなるのだという*20。
韓国語の変遷(漢字の受容と廃止)
朝鮮半島における韓国語の変遷は、日本と同じく漢字の受容から始まった。ただし、日本のように漢字を自国語化することはなかった。7世紀末の新羅の時代に「吏読(りとう)」という表記法が考案されたが、語彙も語順も基本的に漢文で、合間に助詞や語尾を表す漢字を送り仮名のように書き添えただけのもので、日本でいえば、お経を読みやすくしたようなものだった*21。高麗の時代には、「吏読」をなるべく口語に近づけて日本の漢字かな交じり文に近いものにした郷歌(ひゃんが)というものも生まれたが、郷歌は高麗時代の文献(11―13世紀)に25首残っているだけで、その後途絶えてしまった*22。そのような朝鮮半島における漢字の位置づけは、日本において初期の万葉仮名が漢文の一変種というべきものだったのが、やがて倭語の単語を意訳した漢字を倭語の語順に従って並べ、語彙も語順も漢文とは異なる日本語にしていったのとは大きく異なっていた。漢字は、一般の人々が話す言語として工夫されることはなく、漢文のまま支配層が公用文や文学に用いる唯一の文字として受容された。唯一の文字としての受容の仕方は、漢字文化圏の他の民族とも異なっていた。例えば、満州族の清朝は公用文に漢字と並んで満州文字を用いていたのである。
そんなことを言っても、15世紀には朝鮮半島独自の文字であるハングルが創られたではないかと言われそうだ。しかしながら、ハングルは人々の話す言葉を表記する文字として創り出されたものではなかった。ハングルは、1443年に李朝第4代の世宗がモンゴルのパクパ文字を基礎として創り出したもので訓民正音と言われた。訓民正音とは、民に正しい音を訓(おし)えるという意味である。当時、李朝では、人間の発する音声は単なる音ではなく万物の真理が込められていると考えられていたことから、儒教を国教とした李朝が、漢字が読めない庶民にも朱子学の漢籍を正しく発音できるようにしようとしたのだった*23。それは、文字を全く知らない庶民にも漢籍を正しく発音できるようにということから、単音文字の字形を組み合わせて音節文字に仕立て上げた極めて合理的な表音文字だった*24。ただ、庶民がそれを使って日常のコミュニケーションができるようにというものではなかったので、日本のように漢字に訓読みにあたるものを創り出そうといったことは全く行われず、支配層からは卑俗な文字(諺文:おんもん)として忌避された*25。漢字以外の文字を使うことは蛮夷の仕業だとの華夷意識があったのである*26。ただ、そのような状況下でも訓民正音で日記をつけたり手紙を出したりする女性があらわれ、1000種以上の訓民正音文学が生まれた*27。李朝末期には、大きな動きにはならなかったが、合理的な文字である訓民正音を「偉大なる(ハン)・文字(グル)」とするハングル振興運動もおこった。
訓民正音が朝鮮半島で本格的に用いられるようになったのは、明治19年に、福沢諭吉の発案で、日本で鋳造したハングル活字を用いた『漠城周報』*28が発行されるようになってからだったという*29。それ以降、漢字ハングル交じりの文章が普通に用いられるようになり、日韓併合後には政府による奨励策を受けて漢字ハングル交じりの韓国文学が発展していった。同時に起こったのが、日本語にならっての韓国語の近代語化だった。韓国語は、日本語の語彙や構文を大胆に取り入れて近代語化していったのである*30。
そのようにして漢字ハングル交じりになった韓国語は、戦後の全面ハングル化で一変することになった*31。北朝鮮は1948年の建国の際に漢字を廃止して全面ハングル化し、韓国も1970年に漢字廃止を宣言して漢字教育を全廃した。以後、しだいに新聞、雑誌、書物から漢字が消え去り、漢字に支えられていた文化が失われていくことになった。画家で文人でもあった呉之湖氏は、大学を出ても「自分の国の言葉で書かれた(かつての)新聞すらまともに読めない者など、人類の歴史上どこにも探すことができない。(中略)我が民族文化は、漢字と漢字語を基盤につくられて発展してきた。漢字を廃止することによって、数千年間続いてきた固有文化は、その伝統が断絶する」とした。さすがに、その弊害を憂慮した韓国政府が、1999年に漢字再導入政策にかじを切ったが、一度失われた漢字文化の復活は起こらなかった。漢字を排斥していた間に人口の80パーセントほどが漢字を使わないハングル世代になってしまっていたからだという*32。韓国の国語学者朴光敏氏がソウルのある高校の3年生50名を調査したところ、両親の名前を漢字で書ける生徒は20名にすぎなかった。また、ある名門大学出の新入社員は「民族」「地球」「先祖」「過去」「使用」「生活」「社会」「歴史」などの漢字のうち、書けたのは一つだけだったという。
全面ハングル化の背景
それにしても、なぜ韓国で全面ハングル化が可能だったのだろうか。漢字をなくしてしまったのでは読みにくくて仕方がないというのが日本人の感覚だろう。我が国でも明治維新期に、カタカナだけにすべきだという提言がなされたことがあったが、実現しなかった。それは、日本語が目で見てわかる漢字を自国語化した結果、日本語が大変ビジュアルな言語になって、漢字を見なければ音で聴いただけではなかなか正しくは理解できない言語になっているからだ。しかも、漢字には、日本語特有の訓読みがあるだけでなく歴史的な漢音、呉音、宋音といった様々な読み方がある。漢字学者である白川静氏は「漢字は国字」だとしていたのだ。ところが、漢字を自国語化しなかった韓国では、漢字の読み方は、それぞれの時代の中国と同じ一種類しかなかった。その状態で、漢字を廃止しても何の問題もないと考えられたのである。
そもそも、ハングルは漢字の読み方を正確に発音するためだけにつくられた「表音文字」で、「表意文字」である漢字の意味とは全く関係のない文字だった。それは、日本語をローマ字表記にしたと考えればイメージ出来よう。そのような朝鮮半島における文字の歴史について、呉善花氏は、韓国は漢字を国字化しなかったために韓語(固有語)と漢語が互いに独立して常に対立し排除しあう力関係から離れることができなかったとしている。韓語と漢語は互いに結びつく手段をもたず、並列してそれぞれ別個に使われてきたため、漢字文化が広まれば同じ意味をもつ韓語が消え去ったり、ハングル文化となれば音だけではわかりにくい漢語が消え去ったりという事態が起きてきたのだという。それに対して日本では、音訓の二重性をもって漢語と和語がしっかりと結びついて使われ、相互に排除しあうことがなかった。例えば「傍若無人」という漢文に返り点・送り仮名をつけて「傍(かたわら)に人無きがごと若く(ごとく)」と訓読みにすると、日本語そのものとして一般の庶民にも明確に理解できる。そのようなことがない韓国では、少数の天才的な人たちだけが、元の漢文のままで正確な漢文の理解をしてきた。結果として、李氏朝鮮の儒学のレベルは極めて高く、江戸時代に朝鮮通信使がやってくると、多くの日本人が競ってそれに習おうとしたという。ただ、そのレベルの高さは、漢文を読めない大多数の朝鮮半島の人々にとっては無縁のもので、儒学の古典は近づき難いものだったという*33。
筆者は、朝鮮半島における近世の漢字廃止の背景には、そのような漢字をめぐる事情に加えて、中国の革命思想の影響があると考えている。明治維新期、西欧列強の圧迫の下に清朝が滅びたことは、朝鮮半島の人々にとっては王朝の交代に等しいものだった。そして誕生した新たな王朝である西欧列強が用いているのは、漢字のような表意文字ではなく表音文字だった。そして足元を見れば、朝鮮半島には表音文字という観点からすると西欧語よりもよほど合理的に作られたハングル文字があった。となると、韓国語を合理的なハングル文字にするのに、何の躊躇もないことになる。そんなわけで、中国の革命思想をそのまま受け継いでいる北朝鮮の金「王朝」が、真っ先に漢字を廃止して全面ハングル化したというわけである。
全面ハングル化による語彙の喪失
ここから、全面ハングル化による韓国の漢字文化からの断絶という問題について見ていくこととしたい。それは、漢字の同音異義語が区別できなくなってしまったことに象徴されている。韓国では漢字の読み方は一種類だったので、読み方という観点からは漢字の全面ハングル化に特別な問題は生じなかったが、表意文字である漢字を捨て去ったことによって、同音異義語の区別が出来なくなってしまい多くの語彙が失われていったのである。例えば、ハングルで「にちろせんそうのせんきは」と書いた場合、その「せんき」は戦記なのか戦機なのかが分からない。そこで、戦機なら「戦いのチャンスを得て」などと書くようになった。「せんき」という発音で「疝気」といった難しい言葉は、そもそも使わなくなってしまった。法律書で「せんきでは……」とあるのを「先規」の意味で理解できる人は、かなりのインテリしかいなくなってしまった。それは、韓国人の理解する語彙が急速に少なくなったことを意味していた。
韓国語には日本語以上に漢字語の影響が強く、一般の文書で使われていた語彙の約70パーセントが漢字語で、公文書となると90パーセント以上が漢字語だったことから、その影響には多大なものがあった。韓国東方研究会会長の金庸要顕氏は、全面ハングル化によって、韓国は80パーセント以上の語彙を失った。その大部分は、日常的にはあまり使われないものだったが、しかし高度な思考を展開するにはなくてはならない概念語、抽象語、専門語など「漢語高級語彙」の一群だった。そのような語彙を失ったことは、韓国語で様々な概念を用いての抽象度の高い思考を展開することが難しくなってしまったことを意味していた。例えば日本でなら、「素粒子」などの難しい専門用語も、漢字の意味の含みから「モト(素)になるツブ(粒子)」ということで、それなりにイメージが湧く。「利潤」という言葉も「利で潤う」とすぐに覚えられる。ところが、漢字をなくして音だけのハングルにしてしまった韓国ではそうはいかない。金庸要顕氏は、その結果、韓国では「一朝のうちに国民全体が文盲のどん底に陥った」としている。例えば、雑誌を読んでいて「しこうのそんざい」という言葉にぶつかったとすると、大部分の者には何のことかわからない。「そんざい」はわかるけれども「しこう」がわからない。するとハングル世代はしかたなくそこを読み飛ばす。そうなると、ジャーナリズムのほうも読者に合わせて語彙を選択して使うようになり、その悪循環から、概念語や専門語にきわめて乏しい通俗的な文章ばかりが社会に蔓延しているという。韓国の老人のなかには、「韓国語では難しいことは考えられない。考えようとすればどうしても日本語になる」という人もいるという。そのような韓国では、一般に知的な関心が低くなり、今や世界最低の読書率(国民一人あたり年間平均読書量、0.9冊)を記録するに至っているという*34。
全面ハングル化による意味の喪失
韓国語を全面ハングル化したことは、多くの漢字の語彙を失っただけでなく、「表意文字」の漢字が含んでいた意味を失うという問題ももたらした。例えば、ハングル世代の者が漢字を含んだ文章を読んでいて「水防(スイボウ)」という表現にぶつかったとする。それが、水害を防ぐ意味だというのが分からないのだという。韓国でも、今日では漢字教育が復活しているので、「水防」の意味ぐらい分かりそうなものだが、ハングル世代への漢字教育は、外国語としての漢字、すなわち日本人が英単語を覚えるのと同じ感覚での教育にならざるをえないからだという。
ちょっと分かりにくいが、「水防」について、訓読みになじんでいる日本人なら「水」と「防」のそれぞれの漢字の意味が「みず」と「ふせぐ」ことだということで水害を防ぐということがすぐに分かる。しかしながら、漢字に「訓読み」のない韓国語の場合、「水」と「防」の漢字を習っても、それは「スイ」や「ボウ」という音を覚えるだけなのだ。そこで、韓国の漢字教育では「水」は「みずのスイ」で、「防」は「ふせぐのボウ」というように教える。それは、英語で「water」は「みずのwater」で、「defense」は「ふせぐのdefense」だと教えるのと同じだ。今日の韓国人が漢字を覚えるのは、日本人が、受験生の時代、英語の単語帳と首っ引きで必要な単語の発音を覚え、同時に意味を覚えていったのと同じことなのだ。日本語では、「防」には音読みの「ボウ」と訓読みの「ふせぐ」の二通りの読み方があり、意識の中で自然に音と意味が結びついて一体化しているが、韓国の場合、ハングルの「ボウ」はその音でしか登場せず、「ふせぐ」という意味は、漢字の「防衛」や「水防」などの熟語としてしか登場しない。どこまでいっても、漢字の「防」は音としてのハングルの「ボウ」で「ふせぐ」という意味とは一体化しない。そこで、「水防」などの漢字は、英語の「flood prevention(水防)」と同じように、その言葉に接するたびに意味を頭に浮かべて身につけていくしかないことになる。したがって、漢字の単語を覚えても「意味を忘れる」「意味がすぐに出てこない」ということになる。漢字を習っても、なかなか身につかないことになる。両親の名前を漢字で書ける高校3年生が、50名中20名しかいないというのもそのためなのだ。
この辺りは、漢字を日本語化して訓読みになじんでいる日本人にはなかなか想像しにくい状況だが、日本語におけるコンプライアンスといったカタカナ語やDX(デジタルトランスフォーメーション)といった英語の略語と同じだと考えればわかりやすい。呉善花氏は、日本も必要以上に西欧語から入ったカタカナ語を多用していると韓国と同じ状況になるとしている。カタカナ語や英語の略語には訓読みがなく意味と結びついていない。となると、そればかり使っていると数多くの専門用語が広く国民一般にすぐに理解される言葉だった日本語の良さが失われてしまうことになる*35。それは、明治時代、西欧語を漢字に翻訳することによって日本語に取り込み、日本語での高等教育を可能にして急速な発展を実現してきた先人たちの知恵を失ってしまうということである*36。
徴用工問題についての筆者の経験
筆者は、退官後、外務省OBの故岡本行夫さんに誘われて、しばらく三菱マテリアルの社外取締役をしていた。そのとき岡本さんと一緒に対応したのが徴用工問題であった。徴用工問題は、韓国のみならず中国、米国との間での問題でもあったが、韓国との対応が最も難しかった*37。先の戦争時、日本の男性が根こそぎ徴兵されて労働力不足に陥った日本政府が行ったのが、未婚の女性や学徒そして外国人を働かせることだった。国民徴用令は、昭和14年(1939年)に制定されていたが、朝鮮半島に適用されたのは、インパール作戦が失敗に終わり、米軍がサイパン島を制圧して本土爆撃の体制を整えた昭和19年(1944年)の9月からだった。それまで朝鮮半島からは、働き盛りの日本人男子が徴兵されて労働力不足になり高賃金になっていた日本国内に、自らの意思でやってくるものがほとんどだった。日本人男子で徴兵された兵隊の数は、昭和18年に300万人台だったのが、昭和19年に500万人台に、昭和20年には800万人台になっていっていた(うち、210万人余りが戦没者となった)。その間、昭和19年と20年に国民徴用令で徴用された人数(日本人も含む)が、27万人余りに上ったのだった。
戦争末期の物資不足の下、朝鮮半島から徴用された人々の労働条件には厳しいものがあり、暴動が起こったところもあったという。しかしながら、こと三菱の端島炭鉱(軍艦島)に関しては、非人道的なことがあったとは思われない。というのは、筆者も出席していた三菱マテリアルの株主総会において株主から「自分の父親は端島炭鉱で朝鮮半島から来た人々と一緒に働いていた。戦後も毎年同窓会が行われ、そこには韓国からも多くの参加者があり、みな口々に『自分たちは端島炭鉱で働いていたことを誇りに思う』と語っていたと聞いている。それが、最近封切られた韓国の映画*38はひどい。会社として何か対応しないのか」という質問があったのである。そんなこともあって、財政史を研究していた筆者は、2021年に新潮新書から共著で出した「決定版 大東亜戦争(上)」の「財政・金融規律の崩壊と国民生活」において徴用工問題も取り上げた*39。
小中華の歴史を持つ国との付き合い方
韓国では、戦後、今日に至るまで新たな歴史が創り出され、それを基に日本に対して理不尽ともいえる批判が行われてきた。韓国では、そのような批判に対して日本を擁護するような発言があれば、それが学術研究であっても売国奴といった非難が浴びせられる。それは、異論を許さない中国流の天命思想の下における言論空間になっていると言えよう*40。中華文明の天命思想の下においては、前の王朝は徳が無かったので滅んだとされ、徳のある新たな王朝の歴史が創り出される。それによって、現王朝に反抗するものがことごとく悪として批判されて切捨てられるのである。韓国において政権交代があるたびに、前政権の指導者が罪に問われる背景にあるのがその伝統と言えよう。とすれば、こと日本に関しては、戦後日本の支配から独立した韓国が、前「王朝」である日本の支配下での徴用工などの出来事をことさら悪として断罪するのも、むべなるかなと言えよう。
そして、そのような韓国の発信が国際社会で強い力を持つに至っているのが、今日の状況である。韓国は小中華を自称していた国だ。韓国語は、論理で論争する中華文明を受け継いで、元々強い発信力を持っていた。それが、全面ハングル化によって、今日世界を牛耳っている英語と同じ構造の言語になってさらに発信力を強めているといえよう。前回、利害関係の錯綜する今日のグローバル社会において日本語には、それを取りまとめていく優れた力があると述べたが、そのような強い発信力を持つに至っているお隣の韓国との関係をうまくマネジメントできないようでは、その力を発揮することは難しいと言えよう。と言っても、韓国に対してだけ、ことさら特別な対応が考えられるわけではない。前回、英語の議論に負けないようにするためにとして述べた「ズームアウト」の議論と「ズームイン」の議論を使いこなしながら根気強く対応していくしかないだろう。日本としては、国際ルールを踏まえて、韓国の無理難題の主張に対しては日本でなら当たり前の思いやりなどは控えて正面から冷静に反論するといったことを繰り返して負けないようにするのである。その際、大切なのは速やかに反論することである*41。そうしないと、国際社会が韓国の天命思想に基づいた日本をことさら悪とする言い分を日本が受け入れたと受け取ってしまうからである。
夫婦喧嘩が路上に出て行われるのが韓国だという。内輪の話を「世間」には持ち出さないという日本人の感覚では考えられないことだ。日本人の感覚から、日韓関係を夫婦関係と同様に大切なものだと考えれば、徴用工問題などを国連といった場に持ち出さないのが当然の対応ということになるのだが、そのような感覚は韓国では理解されない。「世間」に持ち出さないのは、日本の主張に根拠がないからだと受け止められてしまう。さらに、日本人の感覚で考えられないことは、葬儀において泣き女の伝統*42をもつ韓国では、日本からの「謝罪」は、日本の首相が何度も繰り返して土下座をして涙を流すというような外形的なアクションがないと本当の謝罪とは受け取られないということである*43。ただ、それは国際的なスタンダードではない。ということで、米国などとも意思疎通を図りつつ国際的なスタンダードでの日本の「謝罪」を確認することにより、戦後の日韓関係に区切りを付けようとしたのが、故安倍総理による「戦後70年首相談話」だったといえよう*44。韓国は伝統も文化も大きく変えてきた歴史を持つ国である。日本が国際的なスタンダードに従った対応を繰り返していけば、安定した前向きの日韓関係を築き上げていくことができるはずだ。
なお、韓国と論争になると、理屈抜きに韓国を擁護する日本人がいることには留意が必要である。漫画家の山野車輪氏によると、韓国人が相撲や空手、歌舞伎、うどんなどの日本起源としか考えられないものを朝鮮半島起源だと理不尽な主張をすると、日本人に同調する人が出てくるのだという*45。筆者も、かつて言論NPOというNPO法人が行った日韓対話において、日本のTVで韓流ドラマが放映されているのに、韓国で日本のドラマがTV放映されていない状況を改善すべきではないかという質問を行ったことがあるが、それに反論したのは韓国からの参加者ではなく日本の学者だった。今やネットでいくらでも日本のドラマを見られるのだから、そんなことを問題にすべきではないというのであった。筆者は、退官後、韓国でアベノミクスについての講演を頼まれて訪韓したことがあるが、その際に出会った韓国人はみな素晴らしい人たちだった。それらの人たちが言っていたのは、徴用工問題にしても慰安婦問題にしても、最初は全て日本人が韓国に言ってきたことだったとのことだった。
呉善花氏によると、日本人と韓国人のカソリックの尼さんに座禅をさせて脳波を測定したところ、日本人はリラックスした波を示したが、韓国人は興奮気味になったという。韓国人の場合は、日本人のように「心静かに神仏に祈る」というよりも、熱烈に神を求めていく気持ちを高めて祈っていく人が多いからだという*46。主語を使わない日本語と、主語を使う韓国語の基本的な違いがその背景にあると言えよう。主語を使わない日本語では、座禅をすると私が無くなって「心静かに神仏に祈る」ことになるのに対して、主語を使う韓国語では神と相対する私が意識されて「熱烈に神を求めていく」ようになるのであろう。それは、どちらがいいという話ではない。本稿第1回の最初に「敵を知り、己を知れば、百戦して殆うからず」と述べた。そのことを最後に述べて、筆者の日本語と日本人の話を終わらせていただく。
(完)
*1) ウリ(私たち)
*2) 日本の天皇は、かつて「大王(おおきみ)」とされていた。天皇と称するようになったのは、7世紀の推古朝または天武朝からとされている。
*3) 韓国慶尚北道にある1567mの山
*4) 「世界失墜神話」篠田知和基、八坂書房、2023、p155
*5) 吉村外喜雄のなんだかんだ(https://www.noevir-hk.co.jp/magazine/2013/09/post_479.html)。
*6) 「謙虚で美しい日本語のヒミツ」呉善花、ビジネス社、2202、p196
*7) 安倍元総理の暗殺で注目された世界平和統一家庭連合も、韓国におけるキリスト教の一派である
*8) 韓国が、新たな文化を受け入れるのに前向きなことについてエマニュエル・トッド氏は、韓国の文化は外向き(ドイツ文化と等価)だからだとしている。内向きの日本文化とは正反対だという(「我々はどこから来て、今どこにいるのか?(下)」エマニュエル・トッド、文芸春秋、2022、p196)
*9) 例えば日本書紀には、都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)といった名前が記載されている(「渡来人と帰化人」田中史生、角川選書、2019p44)
*10) 2012年に起こった韓国人による対馬の寺院からの仏像盗難事件の仏像も、その際に対馬に流れてきた可能性が高いと考えられる。寺院は遊楽の場として、また儒教規範に縛られた女性たちの避難所(アジール)として存続した(「朝鮮民衆の社会史」趙景達、2024、岩波新書、p132-33)。
*11) 李氏朝鮮の初代太祖の時から純宗に至るまで27代519年間の歴史を編年体で編纂した1967巻948冊の実録。
*12) 「朝鮮統治の性格と実績-反省と反批判」鈴木武雄、外務省調査局第三課1946.3、p41-42
*13) 「植民地期朝鮮の国民経済計算」金洛年(編集)、東京大学出版会、2008
*14) 日露戦争でロシアが勝利すれば、あり得たシナリオである。
*15) 「中国・韓国の正体」宮脇淳子、ワック、2019
*16) 「朝鮮民衆の社会史 現代韓国の源流を探る」趙景達、岩波新書、2024、p66,68-71
*17) 宮脇淳子、2019,p50-57。その事件は、福沢諭吉が脱亜入欧を唱えるようになった契機だともいわれている。
*18) 呉善花、2022、p28
*19) 「日本の感性が世界を変える」鈴木孝夫、新潮選書、2014、p64
*20) 呉善花、2022、p31、34。
*21) それは、今日の広東語に似たものだったという。広東語は、漢字を充てられない語彙が多く、そこに漢字と混ぜて俗字を使っている。吏読が日本の漢字文化に与えた影響について、森博達「日本書紀成立の真実」(中央公論新社、2011,p121-168)参照。
*22) 「漢字とは何か」岡田英弘、藤原書店、2021、p308-309
*23) 「朝鮮半島の歴史」新城道彦、新潮選書、2023,p43-44
*24) 「日本語が消滅する」山口仲美、幻冬舎、2023、p253-59
*25) かつては西欧でも、真理はラテン語でなければ絶対に表現できないとされていた(「〈世界史〉の哲学 東洋編」大澤真幸、講談社、2014、p54)
*26) 新城道彦、2023,p43-44
*27) 趙景達、2024、p128.なお、朝鮮半島では、日本の古代のように女性が高級官僚になるといったことはなかった(「謎の平安前期」榎村寛之、中公新書、2023,p77-97、221-22)。
*28) 「漠城周報」は、李朝の「官報」の役割をも果たしていた
*29) 「漢字廃止で韓国に何が起きたか」呉善花、PHP、2008、p19
*30) 「隣国の発見」鄭大均、筑摩書房、2023、p10
*31) 実は、中国も漢字の廃止を検討していた。中華人民共和国は「拼音(ぴんいん)羅馬字」というアルファベット方式を導入し、その途中過程として簡体字を導入した。その簡体字の状態が固定化しているのが現状である。中華民国も「注音字母」という日本のカタカナのような文字を作ったが、台湾に移ってからは、旧来の漢字使用を続けている(「漢字と日本人」高島俊男、文春新書、2001、p175-76)。
*32) 呉善花、2008、p32、38、44
*33) 呉善花、2008、p20、p83、89
*34) 呉善花、2008、p25、28、30、41、58、71
*35) 呉善花、2008、p65―66
*36) 今日、国際的な大学ランキングにこだわって、いたずらに英語での授業を増やし、日本語での高等教育の知恵を見失ってしまっている大学が見られる。
*37) 中国との間では民間業者の募集による労働が、米国との間では戦時捕虜による労働が問題とされた。
*38) 端島炭鉱で、非人道的で地獄そのものの「強制労働」の下にあった朝鮮人労働者400人余りの決死の脱出行を描いた韓国映画(2017年)
*39) 「決定版 大東亜戦争(上)」新潮新書、2021,p248-50
*40) 本稿第4回参照
*41) 日本人には無理と言われそうだが、大阪弁の掛け合い漫才の間合いを考えれば十分に可能と考えられる(本稿第2回参照)。
*42) 泣き女の伝統は中国も同じである(「中国農村の現在」田原史起、2024、p30)。それが日本の伝統と異なることについて、芥川龍之介「手巾(ハンケチ)」(本稿第8回)参照
*43) 呉善花、2022、p79
*44) 「宿命の子、上」船橋洋一、文芸春秋、2024、p341-395
*45) “「韓流」は日本文化の盗用だ-『マンガ嫌韓流』こそ真の日韓相互理解に貢献できる”山野車輪・呉善花、Voice、2005.5、(PHP研究所)、p164‐173
*46) 呉善花、2022、p121
韓国語は日本語と同じ謬着語だがかなり主語*1を使う言語だ。かつては中国の漢字をそのまま用いる「文字言語」と見られていたが、今日では漢字を捨て去って全面ハングル化し、欧米語と同じ「音声言語」になっている。言語進化論華やかなりし時代なら、一つの言語で言語の進化を体現したものだとされそうな言語である。そして、国際的に強い発信力を発揮している。その状況は、未来に向かって開かれているのは韓国語だともいえそうなものである。
小中華の国
今日の韓国語について見ていく前に、まずは韓国の歴史を振り返っておくこととしたい。古代の日本は朝鮮半島から満州にかけて勢力を伸ばしていた時期があり、清朝の時代に発見された広開土王碑(西暦414年建立)には、倭国が海を渡って百済、新羅を破り臣民としたことが記されている。663年、日本が唐と新羅の連合軍に敗れて(白村江の闘い)朝鮮半島での影響力を失っていった後に、朝鮮半島に覇を唱えたのが高麗(918年建国)で、高麗の国王は「王」ではなく中国大陸の皇帝と同格の「宗」を号していた。日本の天皇が「王」ではなく「天皇」を称しているのと同様である*2。それが、1259年、モンゴルに服従するようになって以降「王」とされ、高麗王の母親はすべてモンゴル人になった。1274年からの元寇の主体となったのは、この高麗王国の兵士たちだった。そのような13世紀に登場したのが檀君神話だった。それは、13世紀末に編纂された私選の史書「三国遺事」に初めて登場したもので、天神桓因(かんいん、帝釈天)の子桓雄(かんゆう)が太白山*3の神檀樹の下に天下りし、熊女との間に生まれた檀君(だんくん)が紀元前2333年に即位したとするものであった。
朝鮮半島では、神々の集う場所は檀君神話に登場する太白山の神檀樹の下とされ、日本のように地域ごとに神様がいるわけではない。そこで、地域ごとに神を祀る社(やしろ)がなく村祭りがない*4。日本のような氏神信仰がないのだ。この点について、吉村外嘉雄氏は、朝鮮半島では支配階級の両班に反抗してたびたび“民乱”が起こったため、両班が「民衆が集う」のを恐れて「宗教行事」を禁じたためだとしている*5。そのような韓国民衆の宗教意識として特徴的なのがシャーマニズムである。韓国のシャーマニズムでは、死んでから霊はだんだんと浄化を遂げて鬼神の状況を経て最終的に先祖霊になるとされている*6。と聞くと日本と同様のように思われるが、韓国におけるその後のキリスト教の受容の仕方を見るとかなり違いそうだ。日本では、16世紀に宣教師が渡来した際、教えを聞いた人々が自分が洗礼を受けて天国に行けるのはいいとして父祖は行けるのかと問うたのに対して、宣教師が無理と答えたために多くの人が入信しなかったという。それに対して、今日の韓国ではキリスト教が最大の宗教になっているのである*7。
1393年に高麗軍の副司令官だった李成桂が李氏朝鮮を建国した。李成桂は、明の洪武帝に朝鮮の国号をつけてもらい、中国の華夷秩序の中に自国を位置付けた。その華夷秩序(中華文明)の中心だった明が満州族の清(1636年)に滅ぼされると、李氏朝鮮は、当初、清への朝貢を拒絶していたが、たちまち攻略されて三跪九叩頭の礼をもって臣従を誓わされ、それを石碑にとどめられた。ただ、表面上は臣従しながらも、公文書に満州文字を使う清朝よりも全ての文書に漢字を使う自国のほうが中華文明の本流だとして小中華を称した。そのような李氏朝鮮を日本人は大いに尊敬した。利休の始めた侘茶では、朝鮮の井戸茶碗を薄茶器として愛でていた。江戸時代、朝鮮通信使が訪れると、儒教の教えを請おうと面会を求める者が殺到したという。
李氏朝鮮が小中華を自称した朝鮮半島では、中国の革命思想に従って王朝が変わるたびに古いものを捨てて新たな歴史や文化が創り出されてきた*8。分かりやすいのは、日本の古墳時代に行われたと思われる中国風の名前への改名である。今日の韓国人の名前には、金さんや李さんといったおめでたい中国風の名前がほとんどだ。しかしながら、日本の古文書にあるのは随分と長い名前だったのだ*9。文化で言えば、例えば焼き物は、高麗王朝が李氏朝鮮になると、それまでの青磁が白磁にすっかり変わってしまった。宗教の扱いも王朝が変わると大きく変えられた。仏教は、かつて百済の聖王が日本に伝えたもので、朝鮮半島で広く信仰されていたが、李氏朝鮮が儒教を国教とした後には支配層からはほとんど顧みられなくなり、都市部の仏教寺院は一掃された。全国に1万以上もあった寺院は242に限定され、それ以外の寺院の所有地と奴卑は没収され、多くの僧侶が賎民階級に身分を落とされたという*10。
李氏朝鮮の時代に、特筆すべきことは経済の停滞だった。李氏朝鮮の国史である「李朝実録」*11によると、耕地面積は李朝開国からの215年間に4割弱減少し、人口も李朝英祖29年からの151年間に2割弱減少したという。戦前、京城大学の教授で、戦後、東京大学名誉教授、昭和財政史の監修者も務めた鈴木武雄氏が「朝鮮統治の性格と実績-反省と反批判」という報告書の中で指摘していることである*12。同様のことは、韓国の経済学者も指摘しており*13、小渕元総理の肝いりで2002年から始められた日韓歴史共同研究では日本側の学者から指摘されている。
李氏朝鮮で経済の停滞をもたらしたのは、支配層の理不尽な統治だったようだ。イザベラ・バードの「朝鮮紀行」によれば、「朝鮮中のだれもが貧しさは自分の最良の防衛手段であり、自分とその家族の衣食を賄う以上のものを持てば、貪欲で腐敗した官僚に奪われてしまうことを知っている」「小金を貯めていると告げ口されようものなら、官僚がそれを貸せと迫ってくる。貸せばたいがい現金も利子も返済されず、貸すのを断れば罪をでっちあげられて投獄され、(中略)要求金額を用意しない限り笞で打たれる」という状態だったのだ。ちなみに、イザベラ・バードは、ロシアの支配下にあった満州での朝鮮人の活躍ぶりを見て、朝鮮人は本来優秀なのでロシアの支配下に入れば大きく発展するに違いないと述べていた*14。そのような理不尽な支配層の支配について、宮脇淳子氏は、大陸に向かって開いている朝鮮半島には、次から次へと異民族が押し寄せて支配階層が変わったので、新たな支配階層は異民族を差別し、肉体労働は異民族である奴隷にさせればいいと考えたからだとしている*15。奴隷制は、李氏朝鮮が採用した儒教の一君万民の思想からは認められないものだったがなかなか改められず、明治維新期にもその数は相当少なくなっていたとはいえ存続していた*16。それを同一民族としておかしいとしたのが、福沢諭吉に学んで朝鮮の近代化を図ろうとした金玉均だった。ところが、そのような金玉均は李王朝から危険人物として上海で暗殺され、その死体は朝鮮に運ばれて、首、胴体、腕、脚などをバラバラにして晒す凌遅刑にされてしまったのだった*17。
韓国語の特徴
ここから韓国語の変遷を見ていくこととしたい。まずは韓国語の特徴である。韓国語は、日本語と同じ謬着語で日本人にとって学びやすい言語だ。しかしながら、英語や中国語と同様に主語を使う言語であり、日本語のような敬語はない。韓国語にあるのは絶対敬語といわれるもので、「世間」の中での相対的な関係に従って使われる日本語の相対敬語とは全く異なっている。日本語なら「弊社の社長がこう申しておりました」というところを、「わが社の社長様がこうおっしゃっておられました」というように使う。それは日本語と異なり、自分と社長との絶対的な関係に従って使われるもので、主語がないとだれの話なのかがわかりにくい言語だ。
主語を使う韓国人は、西欧人と同様に自分を中心に世界を認識する。それは、相手の身になっての表現がないということに現れている。例えば、「させていただきます」という相手から見ての表現(使役受け身)がない。自分を中心に「して差し上げます」としか言わない。これは、自然を相手にした場合も同様で「雨に降られた」というような表現がない。「雨が降った」という。かつて大蔵省(当時)でも講演をされた呉善花氏によると、日本語の「雨に降られた」というのは「先生に叱られた」という表現に通じるものだという。「先生に叱られた」というのは、自分が悪かったので仕方がないということを言外に含んでおり、「雨に降られた」という自然現象が仕方がないというのと同じで、ある種の諦めを含んだ表現だ。それは、「世間」の中でいたずらに他者の責任追及になることを避ける言い方だという*18。なお、鈴木孝夫氏によると、韓国語には日本語のような自分に対しての悔しいという言葉がないという。韓国語で「悔しい」というのは、相手の行動によって自分が不利益を被った時の相手に対する感情で、自分のおろかな行動を自省する意味での「悔しい」という感情を表す言葉はないのだという*19。
ちなみに日本語の「させていただきます」という相手から見ての表現は、韓国人にはとうてい理解できないものだと言う。日本人の感覚では、それはへりくだって自分を相手よりも下に置いた謙虚さをあらわす美しい言葉なのだが、韓国人の感覚では自分を下に置くというのはとても卑屈なことなのだという。韓国人における謙虚さは、あくまでも上の立場にいる人から下の立場にいる人々に恵みを施すものだからだという。呉善花氏によると戦前の歴史を反省する気持ちから日本人が「支援させていただきます」などというと、そんな卑屈な表現を使う「みっともない日本人がかつて韓国を踏みにじった」ということで、韓国人は耐えられなくなるのだという*20。
韓国語の変遷(漢字の受容と廃止)
朝鮮半島における韓国語の変遷は、日本と同じく漢字の受容から始まった。ただし、日本のように漢字を自国語化することはなかった。7世紀末の新羅の時代に「吏読(りとう)」という表記法が考案されたが、語彙も語順も基本的に漢文で、合間に助詞や語尾を表す漢字を送り仮名のように書き添えただけのもので、日本でいえば、お経を読みやすくしたようなものだった*21。高麗の時代には、「吏読」をなるべく口語に近づけて日本の漢字かな交じり文に近いものにした郷歌(ひゃんが)というものも生まれたが、郷歌は高麗時代の文献(11―13世紀)に25首残っているだけで、その後途絶えてしまった*22。そのような朝鮮半島における漢字の位置づけは、日本において初期の万葉仮名が漢文の一変種というべきものだったのが、やがて倭語の単語を意訳した漢字を倭語の語順に従って並べ、語彙も語順も漢文とは異なる日本語にしていったのとは大きく異なっていた。漢字は、一般の人々が話す言語として工夫されることはなく、漢文のまま支配層が公用文や文学に用いる唯一の文字として受容された。唯一の文字としての受容の仕方は、漢字文化圏の他の民族とも異なっていた。例えば、満州族の清朝は公用文に漢字と並んで満州文字を用いていたのである。
そんなことを言っても、15世紀には朝鮮半島独自の文字であるハングルが創られたではないかと言われそうだ。しかしながら、ハングルは人々の話す言葉を表記する文字として創り出されたものではなかった。ハングルは、1443年に李朝第4代の世宗がモンゴルのパクパ文字を基礎として創り出したもので訓民正音と言われた。訓民正音とは、民に正しい音を訓(おし)えるという意味である。当時、李朝では、人間の発する音声は単なる音ではなく万物の真理が込められていると考えられていたことから、儒教を国教とした李朝が、漢字が読めない庶民にも朱子学の漢籍を正しく発音できるようにしようとしたのだった*23。それは、文字を全く知らない庶民にも漢籍を正しく発音できるようにということから、単音文字の字形を組み合わせて音節文字に仕立て上げた極めて合理的な表音文字だった*24。ただ、庶民がそれを使って日常のコミュニケーションができるようにというものではなかったので、日本のように漢字に訓読みにあたるものを創り出そうといったことは全く行われず、支配層からは卑俗な文字(諺文:おんもん)として忌避された*25。漢字以外の文字を使うことは蛮夷の仕業だとの華夷意識があったのである*26。ただ、そのような状況下でも訓民正音で日記をつけたり手紙を出したりする女性があらわれ、1000種以上の訓民正音文学が生まれた*27。李朝末期には、大きな動きにはならなかったが、合理的な文字である訓民正音を「偉大なる(ハン)・文字(グル)」とするハングル振興運動もおこった。
訓民正音が朝鮮半島で本格的に用いられるようになったのは、明治19年に、福沢諭吉の発案で、日本で鋳造したハングル活字を用いた『漠城周報』*28が発行されるようになってからだったという*29。それ以降、漢字ハングル交じりの文章が普通に用いられるようになり、日韓併合後には政府による奨励策を受けて漢字ハングル交じりの韓国文学が発展していった。同時に起こったのが、日本語にならっての韓国語の近代語化だった。韓国語は、日本語の語彙や構文を大胆に取り入れて近代語化していったのである*30。
そのようにして漢字ハングル交じりになった韓国語は、戦後の全面ハングル化で一変することになった*31。北朝鮮は1948年の建国の際に漢字を廃止して全面ハングル化し、韓国も1970年に漢字廃止を宣言して漢字教育を全廃した。以後、しだいに新聞、雑誌、書物から漢字が消え去り、漢字に支えられていた文化が失われていくことになった。画家で文人でもあった呉之湖氏は、大学を出ても「自分の国の言葉で書かれた(かつての)新聞すらまともに読めない者など、人類の歴史上どこにも探すことができない。(中略)我が民族文化は、漢字と漢字語を基盤につくられて発展してきた。漢字を廃止することによって、数千年間続いてきた固有文化は、その伝統が断絶する」とした。さすがに、その弊害を憂慮した韓国政府が、1999年に漢字再導入政策にかじを切ったが、一度失われた漢字文化の復活は起こらなかった。漢字を排斥していた間に人口の80パーセントほどが漢字を使わないハングル世代になってしまっていたからだという*32。韓国の国語学者朴光敏氏がソウルのある高校の3年生50名を調査したところ、両親の名前を漢字で書ける生徒は20名にすぎなかった。また、ある名門大学出の新入社員は「民族」「地球」「先祖」「過去」「使用」「生活」「社会」「歴史」などの漢字のうち、書けたのは一つだけだったという。
全面ハングル化の背景
それにしても、なぜ韓国で全面ハングル化が可能だったのだろうか。漢字をなくしてしまったのでは読みにくくて仕方がないというのが日本人の感覚だろう。我が国でも明治維新期に、カタカナだけにすべきだという提言がなされたことがあったが、実現しなかった。それは、日本語が目で見てわかる漢字を自国語化した結果、日本語が大変ビジュアルな言語になって、漢字を見なければ音で聴いただけではなかなか正しくは理解できない言語になっているからだ。しかも、漢字には、日本語特有の訓読みがあるだけでなく歴史的な漢音、呉音、宋音といった様々な読み方がある。漢字学者である白川静氏は「漢字は国字」だとしていたのだ。ところが、漢字を自国語化しなかった韓国では、漢字の読み方は、それぞれの時代の中国と同じ一種類しかなかった。その状態で、漢字を廃止しても何の問題もないと考えられたのである。
そもそも、ハングルは漢字の読み方を正確に発音するためだけにつくられた「表音文字」で、「表意文字」である漢字の意味とは全く関係のない文字だった。それは、日本語をローマ字表記にしたと考えればイメージ出来よう。そのような朝鮮半島における文字の歴史について、呉善花氏は、韓国は漢字を国字化しなかったために韓語(固有語)と漢語が互いに独立して常に対立し排除しあう力関係から離れることができなかったとしている。韓語と漢語は互いに結びつく手段をもたず、並列してそれぞれ別個に使われてきたため、漢字文化が広まれば同じ意味をもつ韓語が消え去ったり、ハングル文化となれば音だけではわかりにくい漢語が消え去ったりという事態が起きてきたのだという。それに対して日本では、音訓の二重性をもって漢語と和語がしっかりと結びついて使われ、相互に排除しあうことがなかった。例えば「傍若無人」という漢文に返り点・送り仮名をつけて「傍(かたわら)に人無きがごと若く(ごとく)」と訓読みにすると、日本語そのものとして一般の庶民にも明確に理解できる。そのようなことがない韓国では、少数の天才的な人たちだけが、元の漢文のままで正確な漢文の理解をしてきた。結果として、李氏朝鮮の儒学のレベルは極めて高く、江戸時代に朝鮮通信使がやってくると、多くの日本人が競ってそれに習おうとしたという。ただ、そのレベルの高さは、漢文を読めない大多数の朝鮮半島の人々にとっては無縁のもので、儒学の古典は近づき難いものだったという*33。
筆者は、朝鮮半島における近世の漢字廃止の背景には、そのような漢字をめぐる事情に加えて、中国の革命思想の影響があると考えている。明治維新期、西欧列強の圧迫の下に清朝が滅びたことは、朝鮮半島の人々にとっては王朝の交代に等しいものだった。そして誕生した新たな王朝である西欧列強が用いているのは、漢字のような表意文字ではなく表音文字だった。そして足元を見れば、朝鮮半島には表音文字という観点からすると西欧語よりもよほど合理的に作られたハングル文字があった。となると、韓国語を合理的なハングル文字にするのに、何の躊躇もないことになる。そんなわけで、中国の革命思想をそのまま受け継いでいる北朝鮮の金「王朝」が、真っ先に漢字を廃止して全面ハングル化したというわけである。
全面ハングル化による語彙の喪失
ここから、全面ハングル化による韓国の漢字文化からの断絶という問題について見ていくこととしたい。それは、漢字の同音異義語が区別できなくなってしまったことに象徴されている。韓国では漢字の読み方は一種類だったので、読み方という観点からは漢字の全面ハングル化に特別な問題は生じなかったが、表意文字である漢字を捨て去ったことによって、同音異義語の区別が出来なくなってしまい多くの語彙が失われていったのである。例えば、ハングルで「にちろせんそうのせんきは」と書いた場合、その「せんき」は戦記なのか戦機なのかが分からない。そこで、戦機なら「戦いのチャンスを得て」などと書くようになった。「せんき」という発音で「疝気」といった難しい言葉は、そもそも使わなくなってしまった。法律書で「せんきでは……」とあるのを「先規」の意味で理解できる人は、かなりのインテリしかいなくなってしまった。それは、韓国人の理解する語彙が急速に少なくなったことを意味していた。
韓国語には日本語以上に漢字語の影響が強く、一般の文書で使われていた語彙の約70パーセントが漢字語で、公文書となると90パーセント以上が漢字語だったことから、その影響には多大なものがあった。韓国東方研究会会長の金庸要顕氏は、全面ハングル化によって、韓国は80パーセント以上の語彙を失った。その大部分は、日常的にはあまり使われないものだったが、しかし高度な思考を展開するにはなくてはならない概念語、抽象語、専門語など「漢語高級語彙」の一群だった。そのような語彙を失ったことは、韓国語で様々な概念を用いての抽象度の高い思考を展開することが難しくなってしまったことを意味していた。例えば日本でなら、「素粒子」などの難しい専門用語も、漢字の意味の含みから「モト(素)になるツブ(粒子)」ということで、それなりにイメージが湧く。「利潤」という言葉も「利で潤う」とすぐに覚えられる。ところが、漢字をなくして音だけのハングルにしてしまった韓国ではそうはいかない。金庸要顕氏は、その結果、韓国では「一朝のうちに国民全体が文盲のどん底に陥った」としている。例えば、雑誌を読んでいて「しこうのそんざい」という言葉にぶつかったとすると、大部分の者には何のことかわからない。「そんざい」はわかるけれども「しこう」がわからない。するとハングル世代はしかたなくそこを読み飛ばす。そうなると、ジャーナリズムのほうも読者に合わせて語彙を選択して使うようになり、その悪循環から、概念語や専門語にきわめて乏しい通俗的な文章ばかりが社会に蔓延しているという。韓国の老人のなかには、「韓国語では難しいことは考えられない。考えようとすればどうしても日本語になる」という人もいるという。そのような韓国では、一般に知的な関心が低くなり、今や世界最低の読書率(国民一人あたり年間平均読書量、0.9冊)を記録するに至っているという*34。
全面ハングル化による意味の喪失
韓国語を全面ハングル化したことは、多くの漢字の語彙を失っただけでなく、「表意文字」の漢字が含んでいた意味を失うという問題ももたらした。例えば、ハングル世代の者が漢字を含んだ文章を読んでいて「水防(スイボウ)」という表現にぶつかったとする。それが、水害を防ぐ意味だというのが分からないのだという。韓国でも、今日では漢字教育が復活しているので、「水防」の意味ぐらい分かりそうなものだが、ハングル世代への漢字教育は、外国語としての漢字、すなわち日本人が英単語を覚えるのと同じ感覚での教育にならざるをえないからだという。
ちょっと分かりにくいが、「水防」について、訓読みになじんでいる日本人なら「水」と「防」のそれぞれの漢字の意味が「みず」と「ふせぐ」ことだということで水害を防ぐということがすぐに分かる。しかしながら、漢字に「訓読み」のない韓国語の場合、「水」と「防」の漢字を習っても、それは「スイ」や「ボウ」という音を覚えるだけなのだ。そこで、韓国の漢字教育では「水」は「みずのスイ」で、「防」は「ふせぐのボウ」というように教える。それは、英語で「water」は「みずのwater」で、「defense」は「ふせぐのdefense」だと教えるのと同じだ。今日の韓国人が漢字を覚えるのは、日本人が、受験生の時代、英語の単語帳と首っ引きで必要な単語の発音を覚え、同時に意味を覚えていったのと同じことなのだ。日本語では、「防」には音読みの「ボウ」と訓読みの「ふせぐ」の二通りの読み方があり、意識の中で自然に音と意味が結びついて一体化しているが、韓国の場合、ハングルの「ボウ」はその音でしか登場せず、「ふせぐ」という意味は、漢字の「防衛」や「水防」などの熟語としてしか登場しない。どこまでいっても、漢字の「防」は音としてのハングルの「ボウ」で「ふせぐ」という意味とは一体化しない。そこで、「水防」などの漢字は、英語の「flood prevention(水防)」と同じように、その言葉に接するたびに意味を頭に浮かべて身につけていくしかないことになる。したがって、漢字の単語を覚えても「意味を忘れる」「意味がすぐに出てこない」ということになる。漢字を習っても、なかなか身につかないことになる。両親の名前を漢字で書ける高校3年生が、50名中20名しかいないというのもそのためなのだ。
この辺りは、漢字を日本語化して訓読みになじんでいる日本人にはなかなか想像しにくい状況だが、日本語におけるコンプライアンスといったカタカナ語やDX(デジタルトランスフォーメーション)といった英語の略語と同じだと考えればわかりやすい。呉善花氏は、日本も必要以上に西欧語から入ったカタカナ語を多用していると韓国と同じ状況になるとしている。カタカナ語や英語の略語には訓読みがなく意味と結びついていない。となると、そればかり使っていると数多くの専門用語が広く国民一般にすぐに理解される言葉だった日本語の良さが失われてしまうことになる*35。それは、明治時代、西欧語を漢字に翻訳することによって日本語に取り込み、日本語での高等教育を可能にして急速な発展を実現してきた先人たちの知恵を失ってしまうということである*36。
徴用工問題についての筆者の経験
筆者は、退官後、外務省OBの故岡本行夫さんに誘われて、しばらく三菱マテリアルの社外取締役をしていた。そのとき岡本さんと一緒に対応したのが徴用工問題であった。徴用工問題は、韓国のみならず中国、米国との間での問題でもあったが、韓国との対応が最も難しかった*37。先の戦争時、日本の男性が根こそぎ徴兵されて労働力不足に陥った日本政府が行ったのが、未婚の女性や学徒そして外国人を働かせることだった。国民徴用令は、昭和14年(1939年)に制定されていたが、朝鮮半島に適用されたのは、インパール作戦が失敗に終わり、米軍がサイパン島を制圧して本土爆撃の体制を整えた昭和19年(1944年)の9月からだった。それまで朝鮮半島からは、働き盛りの日本人男子が徴兵されて労働力不足になり高賃金になっていた日本国内に、自らの意思でやってくるものがほとんどだった。日本人男子で徴兵された兵隊の数は、昭和18年に300万人台だったのが、昭和19年に500万人台に、昭和20年には800万人台になっていっていた(うち、210万人余りが戦没者となった)。その間、昭和19年と20年に国民徴用令で徴用された人数(日本人も含む)が、27万人余りに上ったのだった。
戦争末期の物資不足の下、朝鮮半島から徴用された人々の労働条件には厳しいものがあり、暴動が起こったところもあったという。しかしながら、こと三菱の端島炭鉱(軍艦島)に関しては、非人道的なことがあったとは思われない。というのは、筆者も出席していた三菱マテリアルの株主総会において株主から「自分の父親は端島炭鉱で朝鮮半島から来た人々と一緒に働いていた。戦後も毎年同窓会が行われ、そこには韓国からも多くの参加者があり、みな口々に『自分たちは端島炭鉱で働いていたことを誇りに思う』と語っていたと聞いている。それが、最近封切られた韓国の映画*38はひどい。会社として何か対応しないのか」という質問があったのである。そんなこともあって、財政史を研究していた筆者は、2021年に新潮新書から共著で出した「決定版 大東亜戦争(上)」の「財政・金融規律の崩壊と国民生活」において徴用工問題も取り上げた*39。
小中華の歴史を持つ国との付き合い方
韓国では、戦後、今日に至るまで新たな歴史が創り出され、それを基に日本に対して理不尽ともいえる批判が行われてきた。韓国では、そのような批判に対して日本を擁護するような発言があれば、それが学術研究であっても売国奴といった非難が浴びせられる。それは、異論を許さない中国流の天命思想の下における言論空間になっていると言えよう*40。中華文明の天命思想の下においては、前の王朝は徳が無かったので滅んだとされ、徳のある新たな王朝の歴史が創り出される。それによって、現王朝に反抗するものがことごとく悪として批判されて切捨てられるのである。韓国において政権交代があるたびに、前政権の指導者が罪に問われる背景にあるのがその伝統と言えよう。とすれば、こと日本に関しては、戦後日本の支配から独立した韓国が、前「王朝」である日本の支配下での徴用工などの出来事をことさら悪として断罪するのも、むべなるかなと言えよう。
そして、そのような韓国の発信が国際社会で強い力を持つに至っているのが、今日の状況である。韓国は小中華を自称していた国だ。韓国語は、論理で論争する中華文明を受け継いで、元々強い発信力を持っていた。それが、全面ハングル化によって、今日世界を牛耳っている英語と同じ構造の言語になってさらに発信力を強めているといえよう。前回、利害関係の錯綜する今日のグローバル社会において日本語には、それを取りまとめていく優れた力があると述べたが、そのような強い発信力を持つに至っているお隣の韓国との関係をうまくマネジメントできないようでは、その力を発揮することは難しいと言えよう。と言っても、韓国に対してだけ、ことさら特別な対応が考えられるわけではない。前回、英語の議論に負けないようにするためにとして述べた「ズームアウト」の議論と「ズームイン」の議論を使いこなしながら根気強く対応していくしかないだろう。日本としては、国際ルールを踏まえて、韓国の無理難題の主張に対しては日本でなら当たり前の思いやりなどは控えて正面から冷静に反論するといったことを繰り返して負けないようにするのである。その際、大切なのは速やかに反論することである*41。そうしないと、国際社会が韓国の天命思想に基づいた日本をことさら悪とする言い分を日本が受け入れたと受け取ってしまうからである。
夫婦喧嘩が路上に出て行われるのが韓国だという。内輪の話を「世間」には持ち出さないという日本人の感覚では考えられないことだ。日本人の感覚から、日韓関係を夫婦関係と同様に大切なものだと考えれば、徴用工問題などを国連といった場に持ち出さないのが当然の対応ということになるのだが、そのような感覚は韓国では理解されない。「世間」に持ち出さないのは、日本の主張に根拠がないからだと受け止められてしまう。さらに、日本人の感覚で考えられないことは、葬儀において泣き女の伝統*42をもつ韓国では、日本からの「謝罪」は、日本の首相が何度も繰り返して土下座をして涙を流すというような外形的なアクションがないと本当の謝罪とは受け取られないということである*43。ただ、それは国際的なスタンダードではない。ということで、米国などとも意思疎通を図りつつ国際的なスタンダードでの日本の「謝罪」を確認することにより、戦後の日韓関係に区切りを付けようとしたのが、故安倍総理による「戦後70年首相談話」だったといえよう*44。韓国は伝統も文化も大きく変えてきた歴史を持つ国である。日本が国際的なスタンダードに従った対応を繰り返していけば、安定した前向きの日韓関係を築き上げていくことができるはずだ。
なお、韓国と論争になると、理屈抜きに韓国を擁護する日本人がいることには留意が必要である。漫画家の山野車輪氏によると、韓国人が相撲や空手、歌舞伎、うどんなどの日本起源としか考えられないものを朝鮮半島起源だと理不尽な主張をすると、日本人に同調する人が出てくるのだという*45。筆者も、かつて言論NPOというNPO法人が行った日韓対話において、日本のTVで韓流ドラマが放映されているのに、韓国で日本のドラマがTV放映されていない状況を改善すべきではないかという質問を行ったことがあるが、それに反論したのは韓国からの参加者ではなく日本の学者だった。今やネットでいくらでも日本のドラマを見られるのだから、そんなことを問題にすべきではないというのであった。筆者は、退官後、韓国でアベノミクスについての講演を頼まれて訪韓したことがあるが、その際に出会った韓国人はみな素晴らしい人たちだった。それらの人たちが言っていたのは、徴用工問題にしても慰安婦問題にしても、最初は全て日本人が韓国に言ってきたことだったとのことだった。
呉善花氏によると、日本人と韓国人のカソリックの尼さんに座禅をさせて脳波を測定したところ、日本人はリラックスした波を示したが、韓国人は興奮気味になったという。韓国人の場合は、日本人のように「心静かに神仏に祈る」というよりも、熱烈に神を求めていく気持ちを高めて祈っていく人が多いからだという*46。主語を使わない日本語と、主語を使う韓国語の基本的な違いがその背景にあると言えよう。主語を使わない日本語では、座禅をすると私が無くなって「心静かに神仏に祈る」ことになるのに対して、主語を使う韓国語では神と相対する私が意識されて「熱烈に神を求めていく」ようになるのであろう。それは、どちらがいいという話ではない。本稿第1回の最初に「敵を知り、己を知れば、百戦して殆うからず」と述べた。そのことを最後に述べて、筆者の日本語と日本人の話を終わらせていただく。
(完)
*1) ウリ(私たち)
*2) 日本の天皇は、かつて「大王(おおきみ)」とされていた。天皇と称するようになったのは、7世紀の推古朝または天武朝からとされている。
*3) 韓国慶尚北道にある1567mの山
*4) 「世界失墜神話」篠田知和基、八坂書房、2023、p155
*5) 吉村外喜雄のなんだかんだ(https://www.noevir-hk.co.jp/magazine/2013/09/post_479.html)。
*6) 「謙虚で美しい日本語のヒミツ」呉善花、ビジネス社、2202、p196
*7) 安倍元総理の暗殺で注目された世界平和統一家庭連合も、韓国におけるキリスト教の一派である
*8) 韓国が、新たな文化を受け入れるのに前向きなことについてエマニュエル・トッド氏は、韓国の文化は外向き(ドイツ文化と等価)だからだとしている。内向きの日本文化とは正反対だという(「我々はどこから来て、今どこにいるのか?(下)」エマニュエル・トッド、文芸春秋、2022、p196)
*9) 例えば日本書紀には、都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)といった名前が記載されている(「渡来人と帰化人」田中史生、角川選書、2019p44)
*10) 2012年に起こった韓国人による対馬の寺院からの仏像盗難事件の仏像も、その際に対馬に流れてきた可能性が高いと考えられる。寺院は遊楽の場として、また儒教規範に縛られた女性たちの避難所(アジール)として存続した(「朝鮮民衆の社会史」趙景達、2024、岩波新書、p132-33)。
*11) 李氏朝鮮の初代太祖の時から純宗に至るまで27代519年間の歴史を編年体で編纂した1967巻948冊の実録。
*12) 「朝鮮統治の性格と実績-反省と反批判」鈴木武雄、外務省調査局第三課1946.3、p41-42
*13) 「植民地期朝鮮の国民経済計算」金洛年(編集)、東京大学出版会、2008
*14) 日露戦争でロシアが勝利すれば、あり得たシナリオである。
*15) 「中国・韓国の正体」宮脇淳子、ワック、2019
*16) 「朝鮮民衆の社会史 現代韓国の源流を探る」趙景達、岩波新書、2024、p66,68-71
*17) 宮脇淳子、2019,p50-57。その事件は、福沢諭吉が脱亜入欧を唱えるようになった契機だともいわれている。
*18) 呉善花、2022、p28
*19) 「日本の感性が世界を変える」鈴木孝夫、新潮選書、2014、p64
*20) 呉善花、2022、p31、34。
*21) それは、今日の広東語に似たものだったという。広東語は、漢字を充てられない語彙が多く、そこに漢字と混ぜて俗字を使っている。吏読が日本の漢字文化に与えた影響について、森博達「日本書紀成立の真実」(中央公論新社、2011,p121-168)参照。
*22) 「漢字とは何か」岡田英弘、藤原書店、2021、p308-309
*23) 「朝鮮半島の歴史」新城道彦、新潮選書、2023,p43-44
*24) 「日本語が消滅する」山口仲美、幻冬舎、2023、p253-59
*25) かつては西欧でも、真理はラテン語でなければ絶対に表現できないとされていた(「〈世界史〉の哲学 東洋編」大澤真幸、講談社、2014、p54)
*26) 新城道彦、2023,p43-44
*27) 趙景達、2024、p128.なお、朝鮮半島では、日本の古代のように女性が高級官僚になるといったことはなかった(「謎の平安前期」榎村寛之、中公新書、2023,p77-97、221-22)。
*28) 「漠城周報」は、李朝の「官報」の役割をも果たしていた
*29) 「漢字廃止で韓国に何が起きたか」呉善花、PHP、2008、p19
*30) 「隣国の発見」鄭大均、筑摩書房、2023、p10
*31) 実は、中国も漢字の廃止を検討していた。中華人民共和国は「拼音(ぴんいん)羅馬字」というアルファベット方式を導入し、その途中過程として簡体字を導入した。その簡体字の状態が固定化しているのが現状である。中華民国も「注音字母」という日本のカタカナのような文字を作ったが、台湾に移ってからは、旧来の漢字使用を続けている(「漢字と日本人」高島俊男、文春新書、2001、p175-76)。
*32) 呉善花、2008、p32、38、44
*33) 呉善花、2008、p20、p83、89
*34) 呉善花、2008、p25、28、30、41、58、71
*35) 呉善花、2008、p65―66
*36) 今日、国際的な大学ランキングにこだわって、いたずらに英語での授業を増やし、日本語での高等教育の知恵を見失ってしまっている大学が見られる。
*37) 中国との間では民間業者の募集による労働が、米国との間では戦時捕虜による労働が問題とされた。
*38) 端島炭鉱で、非人道的で地獄そのものの「強制労働」の下にあった朝鮮人労働者400人余りの決死の脱出行を描いた韓国映画(2017年)
*39) 「決定版 大東亜戦争(上)」新潮新書、2021,p248-50
*40) 本稿第4回参照
*41) 日本人には無理と言われそうだが、大阪弁の掛け合い漫才の間合いを考えれば十分に可能と考えられる(本稿第2回参照)。
*42) 泣き女の伝統は中国も同じである(「中国農村の現在」田原史起、2024、p30)。それが日本の伝統と異なることについて、芥川龍之介「手巾(ハンケチ)」(本稿第8回)参照
*43) 呉善花、2022、p79
*44) 「宿命の子、上」船橋洋一、文芸春秋、2024、p341-395
*45) “「韓流」は日本文化の盗用だ-『マンガ嫌韓流』こそ真の日韓相互理解に貢献できる”山野車輪・呉善花、Voice、2005.5、(PHP研究所)、p164‐173
*46) 呉善花、2022、p121