北陸新幹線敦賀開業を見据えたまちづくり-これまでとこれから-
敦賀市まちづくり観光部まちづくり推進課・係長 佐藤 雅善
1.交流の歴史と交通の要衝「敦賀」
敦賀の街が「天国(ヘブン)に見えた」。これは、1940年から1941年、ユダヤ難民が「命のビザ」を携え、苦難の旅路を経て敦賀に降り立った記憶を、後に振り返った際に語られた言葉である。
敦賀という街は、古来より天然の良港として知られ、日本海沿岸各地との交流をはじめ、大陸文化の玄関口として栄えてきた。アジア大陸を結ぶ交易結節点として機能し、平安時代には、松原客館と呼ばれる渤海国の使節団をもてなす迎賓館が設けられたといわれ、令和6年のNHK大河ドラマ「光る君へ」の中でも登場したのは記憶に新しい。また、江戸時代には北前船の寄港地でもあり、戦前には「東洋の波止場」として、日本と世界を繋ぐ交通結節点としても機能した。天然の良港であるという地形的利点を生かし、航路から陸路へ、すなわち線路が敷かれ、東京-新橋から敦賀へ鉄道が通る。そして、1912年、敦賀からウラジオストクへ繋がる航路を経て、シベリア鉄道を経由して欧州各国(パリ、ベルリン等)に直結する「欧亜国際連絡列車」が整備された。1枚の切符で東京から敦賀を経由し、国境を越えてヨーロッパへ繋がっていたのである。当時の欧州へ繋がる最短ルートを形成し、画期的なゲートウェイとしての役割を担った。
このように航路と陸路で世界と繋がっていた敦賀は、ローカルとグローバルが交差する場所に置かれた交流の特異点のようなものであったと窺える。ユーラシア大陸の東端で、欧州やアジアから様々な文化が流れ込む受け皿となって、ヒト、モノ、情報を受け止め、国際交流を促してきた場所である。それが冒頭に記した、ユダヤ難民が辿った希望の旅路となり、敦賀が「人道の港」と言われる所以である。
こうした交通の要衝ともいわれる敦賀に令和6年3月16日、新たな1ページが加わった。それは、北陸新幹線敦賀開業である。当面の終着駅となる敦賀駅は、新たに新幹線と在来線を結び、東京、大阪、名古屋と1本で繋がることになり、交通ポテンシャルを飛躍的に高め、新たにヒト、モノ、情報が行き交う交流の受け皿となった。
写真 敦賀港・敦賀湾(金ヶ崎エリア)
2.官民連携を実装-敦賀駅西地区土地活用事業-
北陸新幹線敦賀開業を契機に敦賀駅前エリア(西口)の賑わいを見据えた再開発事業が、敦賀駅西地区土地活用事業(以下、本事業)である。
本事業は、官民が連携して令和4年9月1日にオープンし、当エリア内には、本事業の中核施設でもあり、全国初の公設民営書店となる知育・啓発施設「TSURUGA BOOKS &COMMONSちえなみき(以下、ちえなみき)」も含まれている。
本事業の目指すところは、来訪者にとっては氣比神宮や港(金ヶ崎)エリアといった「観光拠点に誘う玄関口」として、市民にとっては「普段使いの拠点」として、敦賀駅前に交流と日常的な賑わいを生み出すことである。
本事業の整備スキームとしては、対象事業用地(市有地)に事業用定期借地権を設定し、民間開発事業者(以下、特別目的会社:SPC)に市有地を有償で貸し付けた上で、SPCが施設を整備・所有する。そして民間によって整備した施設の一部を市が公共施設(ちえなみき)として有償で賃借する。その「ちえなみき」の管理・企画・運営については、指定管理者として丸善雄松堂・編集工学研究所共同企業体を指定し、市は指定管理料を支払う内容となっている。これらの公的負担となるテナント賃料、指定管理料等は、エリアで生まれる資金(定期借地料、立体駐車場の納付金)やSPCの開発投資によって増額となる当該開発エリアの固定資産税増収分を財源として位置付け、収支のバランスをはかるものとなっている。エリア収入にあわせて支出を考え、身の丈にあった開発規模とすることで、財政負担を軽減するための持続可能な資金スキームを構築し、「ちえなみき」の事業継続を支える重要な土台になっている。
また、土地区画整理事業で生じる公園を全体計画の中央に配置し、芝生広場として本市で整備した。その周囲へコの字型に施設(ホテル、飲食・物販施設、子育て支援施設等)を配置し、尚且つ、全体に回遊性のある通路とキャノピーを設けている。駅周辺全体として、景観的にも空間的にも連続性のある街並みを創出している。
本事業を振り返れば、結果として、全体事業費の8割以上が民間資本となっており、市の財政負担としては、1割以下に留めるに至った。逆にSPCにおいては、市がテナントとして入居することで、収支が安定し、持続可能な経営に寄与するメリットが生まれている。その入居する「ちえなみき」の管理・運営費は、エリア収入が財源となっているため、賑わいによって生まれる資金が上手く循環しているといえる。
写真 敦賀駅西地区
3.知育・啓発施設「ちえなみき」
「ちえなみき」は、年間10万人という来場目標を3ヶ月で達成し、開館から約2年が経過した令和6年9月末時点では、70万人を超えたところである。「ちえなみき」は、図書館でもなければ本屋でもないという設定(知育・啓発施設)だからこそ、可能性の幅が拡がると考えている。社会情勢における書店数の減少という中で、売れ筋の本ではなく、良質な知にアクセスするための環境整備に投資する意味合いが強い。貸し出すサービスを提供する市立図書館とは異なり、書籍購入という選択肢を増やすと同時に、知的情報インフラを整えることを前提とし、本との出合いの中で、自己対話を通じて新たな気づきを得る(啓発)、なにかを学び創造する(知育)、それが本施設のコンセプトである。その先にある、本を通じて「人」と「地域」と「世界」が繋がる、新しい知の拠点を目指している。また、失われていく書店文化を守る意図も孕んでいる。図書館ではなく書店形式となった背景には、図書館法に縛られない自由度の獲得のほか、売れた冊数分を補充するなどして、書籍在庫が増え続けることなく、一定量をキープしたまま新陳代謝を図り変化に対応できる点がある。また、近隣の市立図書館との棲み分け(ターゲット層の違いや静謐環境に囚われない振る舞い、コミュニケーションを伴う多様な学習環境等)や駅前の都市機能改善も大きな要因としてある。これらに通底するのは、「本には集客力があり、賑わいを生み出せる」という考えであり、多くの先進地視察を経て実感を伴い見出してきた結論である。
写真 知育・啓発施設(ちえなみき内観)
4.ちえなみきの特徴・リアル書店の価値
「ちえなみき」を「ちえなみき」たらしめる根幹は、「選書」と「空間構成」の独自性にある。入館してひときわ目を引くのは、世界樹をモチーフとした空間であり、吹き抜け空間に本棚が無数に枝を伸ばしている。その主となる1階部分には、「世界知」と呼ばれる、人類の叡智を辿る文脈棚(3つのステージに42のテーマが紐づき、直感的な文脈のつながりを持って構成された棚)が凝縮され、古典、ロングセラー、絶版本、絵本などが、古書・新書を問わず、テーマ毎に沿って並ぶ。世界知に足を踏み入れると、世界樹の有機的な本の並びに相まって、枝のような書棚の間を分け入っていく空間体験を堪能しながら、知の深淵に触れることができる。世界知に隣接して、地元の老舗日本茶店が経営するカフェも併設され、利用者は、香ばしい茶の香りが漂う書籍空間に包まれながら、館内の全ての本を読むことが可能となっている。
2階には、「日常知」として気軽に読めるテーマで並ぶエリアなどがあり、隣接して勉強やイベントに利用可能なスペース「セミナー&スタディ」が展開する。また、親子連れが一緒に絵本を読んだり、知育玩具で遊べる「絵本ワンダーランド」など、親和性の高いエリアが有機的にゾーニングされ、子どもの微笑ましい会話が聞こえるなど、適度なざわつきを見せる。本を手にとって家族や友人が会話を弾ませる光景や、週末になると三世代家族のような大人数で本についての会話をしながら店内を歩く姿をよく見かける。時折、若いカップルが椅子に座りながら一冊の本を挟んで笑顔を交わす姿も微笑ましい。
こうした「ちえなみき」の特徴は、リアル書店以外に体験することは難しい。そこには、生き生きとした日常の振る舞いがあり、本を介することで生まれる代替不可ともいえる価値がある。緩やかな賑わいが空間を包み込み、読書の振る舞いや寛ぐ佇まいが風景として溶け込んでいる。そして、自身の好奇心に身を委ね、その先に潜む本との偶発的な出合い(セレンディピティ)を、五感を通して楽しむことができる。お目当ての本を探す行為ではなく、うねる本棚の密林を進み、変容する景色の中で、棚面を流れる相互連鎖的な本が奏でる文脈に誘われて、奥へ奥へ導かれていく。そんなリアル書店でしか味わえない体験価値が「ちえなみき」には潜んでいると思うのである。
まるで、「本のまち」を歩いているような空間体験に、僅かでも知のわくわくを感じとってもらえたら望外の喜びである。是非、本を介した知の諸相に耽溺していただきたい。
写真 ちえなみき(世界知・文脈棚)
5.新幹線開業効果と今後の波及的展開
北陸新幹線開業から半年が経過したが駅前西口周辺は変わらず活況を呈している。「ちえなみき」の新幹線開業前後の来館者数を前年同期6か月分(3月16日~9月15日)で比較すると、開業前は月平均2.3万人に対し、開業以降は月平均4.1万人となり、約1.7倍となっている。市内の観光施設(計7か所)を同期間の前年同期で比較すると、全体として約1.5倍の数値を記録している。この開業効果による賑わいを一過性として終わらせず、最大化し、持続させることが今後の課題である。その課題に対して取り組んでいる事案として、氣比神宮周辺、そこに繋がる商店街エリア、そして、港周辺の金ヶ崎エリアなどが挙げられる。そのうち、敦賀の代名詞ともいえる「鉄道と港のまち」の舞台となった金ヶ崎エリアについて紹介したい。
冒頭でも述べたとおり、港(金ヶ崎エリア)は、古くから国際交流の舞台でもあった。ユダヤ難民やポーランド孤児を受け入れた人道の港のエピソードや歴史的な鉄道遺産が集積する場所である。敦賀らしさともいえる歴史や文化が眠る金ヶ崎エリアは、長い間、議論の遡上にあがっていた。そして、北陸新幹線開業を契機にさらなる魅力あるまちづくりへとして動き出し、商工会議所、市、県が連携し、令和5年11月に「金ヶ崎周辺魅力向上デザイン計画」を策定したところである。そこで示すデザインイメージを手掛けたのは、世界的な設計事務所OMAニューヨーク事務所代表の重松象平氏である。検討中の計画案としては、市内に不足するラグジュアリー層を取り込むためのホテルに加えて、スイーツ、ベーカリー、レストラン、マルシェなど、民間活力を導入した賑わい拠点の整備となっている。それだけではなく、敦賀の歴史・文化遺産を包摂したランドスケープデザインとし、既存の点在する観光施設も含めて、一体感のある回遊空間となる予定である。細かな点は、これからの検討次第で変更もあるが、過去、国際的な交流の受け皿として賑わい隆盛した港エリアを、「世界と未来に開く鉄道と港のまち」として、再び創生するまちづくりを目指している。ローカルとグローバルが交差する場所に置かれた交流の特異点として、市民も来訪者もくつろげる豊かな場所になることを願っている。
写真 ©OMA無断複製転載を禁止します。金ヶ崎エリア(イメージパース)
北陸新幹線敦賀開業を契機とした官民連携によるまちづくりへの期待!
地方創生コンシェルジュ
北陸財務局福井財務事務所長 青木 雅信
敦賀市では、北陸新幹線敦賀開業に向け、敦賀駅前に市民の普段使いの場にもなり、観光客の受け皿にもなる多様な機能を備えた新たな交流拠点を官民連携により整備しており、開業から半年経過した今も駅前周辺は変わらず活況を呈しています。
開業効果による賑わいを持続させ、また市内全体に効果を波及させるべく官民による各種取組を継続しているところであり、福井財務事務所としても今後の敦賀市のまちづくりに大いに期待しています。
便利でええやん!京田辺~京田辺市のまちづくり紹介~
近畿財務局京都財務事務所財務課調査官 一丸 堅司
1.はじめに
京田辺市は、京都府の南西部に位置し、公共交通が充実しているため、京都・大阪・奈良の各都市へ約30分でアクセスできるネットワークが魅力です。また、京田辺市のシンボルでもある甘南備山や木津川、四季の移ろいを感じられる田園風景など、豊かな自然にも恵まれています。
新名神高速道路・第二京阪道路・京奈和自動車道が交わり、高速道路網のハブとして全国各地と繋がっているため、工業系土地利用の需要が一層高まることから、工業用地を拡大し、流通業や新しい産業の企業誘致を高めています。世界的物流企業が進出するなど、産業の活性化が図られています。
新名神高速道路の全線開通や北陸新幹線の新駅設置など、未来に向けた大きなポテンシャルを秘めたまちとしても発展し続けています。
写真 京田辺市の位置(地図提供:京田辺市)
2.人口増加が続くまち
京田辺市では昭和40年代から大規模な宅地開発や交通網の整備、学研都市の建設などにともない、子どもを生み育てやすい環境が整備されました。その後、若い世代を中心に人口増加が進み、令和2年の国勢調査では、人口増加率が京都府下トップクラスとなっており、特に15~64歳の生産年齢人口の割合は、61.6%と京都府内でトップとなっています。
全国的に少子高齢化が進展する中、現在も人口増加が続き、活気に満ちたまちづくりが着々と進行中です。
写真 京田辺市の人口推移(国勢調査)
3.子育てしやすいまちづくり
『みんなで子育て子どもきらきら京田辺』を基本理念に、京田辺市では、妊娠から出産、子育て期まで切れ目のない、様々なサポートが受けられる各種制度・サービスや施設が豊富に備えられています。各種制度・サービスについては、産前から妊婦の悩みに寄り添い、産後も助産師が自宅を訪問して相談に応じるサービスが人気です。また、京田辺市では、高校3年生までの子どもの医療費(通院、入院)を助成しており、1医療機関につき1か月200円の負担で診察や治療を受けることができます。
近年整備された施設を2つご紹介します。
○大住こども園
「こどもが輝く京田辺の実現に向けた基本方針」に基づき、市立大住幼稚園を改築し、北部地域の拠点となる市立幼保連携型認定こども園として令和5年4月に開園しました。太陽光発電システムやLED照明などを導入しているほか、府内産木材をふんだんに使った地球環境にやさしい、木の温もりを感じられる園舎です。
写真 大住こども園(写真提供:京田辺市)
○学校給食センター(愛称:「はぐくみ」)
成長期にある中学生に栄養バランスのとれた給食を提供することで、子どもたちの健康維持と体力向上を図るとともに、学校給食を通した食育の推進に取り組むため、京田辺市中学校給食基本計画に基づき、中部住民センター西側市有地に学校給食センターを整備しました。鉄骨造り2階建て、延べ床面積2,118m2の規模を有する同センターの整備により、令和6年4月からセンター方式による中学校給食が開始し、徹底した衛生管理と最新調理機器により最大3,000食を各中学校へ配食しています。施設内には、中学校に提供する給食調理はもとより、食育の取組みを推進するため、給食調理の作業風景が見学できるスペースや会議室も設置されています。
写真 学校給食センター(写真提供:京田辺市)
4.誰もがいきいき暮らせるまちづくり
京田辺市では誰もがいつまでも健やかで幸せに暮らせるまちを目指し、「健幸」をキーワードとした取組も行っています。市民の文化・スポーツの振興、健康や福祉の増進を願い、コミュニティ活動の拠点として市内には北部、中部、南部に多目的複合施設(北部住民センター、中部住民センター、南部まちづくりセンター)が設置されています。
写真 中部住民センター(写真提供:京田辺市)
5.おわりに
今回ご紹介した大住こども園や学校給食センターの建設工事費の資金に財政融資資金が活用されています。また、北部住民センター、中部住民センターの設備改修工事費にも財政融資資金が活用されています。
財務局では、こうした地域の実情や地方公共団体のニーズを把握しつつ、財政融資資金の活用により、地域活性化の取り組みが一層進展するよう、引き続き力添えしていきたいと思っています。
エンゲージメントで未来をつなげ。
壱岐市 総務部SDGs未来課 課長 篠崎 道裕
1.歴史と交流の島 壱岐
壱岐市は、福岡県と長崎県対馬市との中間地点に位置し、玄界灘に浮かぶ、自然豊かな離島です。
壱岐本島と4つの有人島を含む23の属島からなり、約24,000人の住民が暮らしています。
産業としては、周辺の海域に日本屈指の好漁場を有し、磯根資源にも恵まれて活況を呈していた漁業と共に、離島でありながら長崎県内で2番目の広さを誇る深江田原を中心に稲作を主体とした農業も盛んであり、一次産業が島の経済の基盤を支えてきました。
また、壱岐市は「魏志倭人伝」や「古事記」、「日本書紀」にも登場し、弥生時代から長年にわたって海上交通の要衝であり、東アジアとの交易の拠点として栄え、島内には貴重な遺跡や歴史的遺産が数多く点在する「歴史と交流の島」でもあります。日本神道とも所縁が深く、小さな社も含めると、1,000以上の神社があるこの島は、八百万の神々が息づく島であり、歴史文化の浪漫と自然の神秘性を活かした観光業も島の主要な産業です。
そしてなにより、古くから神と人と文化が行き交うこの島は、交流から生まれる変革の中で、時に新たな文化を生み出しながら2000年にも亘る歴史を紡いできたのです。
写真 壱岐のシンボル「猿岩」
2.島を未来へつなぐ「SDGs」と「気候非常事態宣言」
かつては美しい自然環境と歴史文化性という強みを活かした観光業や、自然の恵みを活かした一次産業で潤っていた壱岐市も、現在はご多分に漏れず、少子高齢化の波にさらされ、むしろ日本の先進地的な勢いで人口が減少しています。
島を未来の世代につなぐことができないことに健全な危機感を抱いた壱岐市は、当時、既に取組んでいた壱岐の未来を考える対話会をベースとしてSDGs未来都市計画を策定し、平成30年6月に第1回SDGs未来都市として選定されました。
また、近年の気候変動は、壱岐市においても、度重なる気象災害の発生に加えて、重要な産業である一次産業、特に漁業に深刻な影響を与えています。海水温の上昇等海洋環境の変化により、魚の住家となる藻場が消失し、漁獲量が著しく減少しているのです。
気候変動が、最早、危機的な状況であることを認識した壱岐市は、共にSDGsに取組むパートナーからの助言を受けて、令和元年9月に国内の自治体に先駆けて「気候非常事態」を宣言しました。
SDGs未来都市計画も気候非常事態宣言も持続不能な未来への危機感から生まれ、島を未来へつなぐ決意を示すものでした。
写真 「壱岐なみらい創り対話会」
3.小さな島の挑戦【再エネ×水素】
壱岐市の気候非常事態宣言では、2050年までに島内の再生可能エネルギー導入率100%達成を目指しています。
壱岐市は、九州本土との電気の接続が無く、島内の火力発電所で発電した電気を使っています。再生可能エネルギーとしては、現在、太陽光と風力を発電に活用していますが、不安定な再生可能エネルギーを現状以上に導入することは、非常に難しい状況です。
そこで壱岐市では、再生可能エネルギーを水素貯蔵と組合せて安定化させ、導入拡大を図る実証試験にチャレンジしています。
日中は太陽光発電の電力を対象施設に供給しつつ、余剰電力で水を電気分解して水素を製造貯蔵し、夜間や天候不良時は、蓄えた水素を使って燃料電池で発電し、対象施設に電力を供給するというシステムを使った実証試験です。
実証試験の対象施設は、民間のトラフグ陸上養殖場ですが、こちらの養殖場自体、低塩分地下水での陸上養殖という、世界でも先駆的な養殖方法を採用していることに加え、飼育水の再利用などサスティナブルな取組を実践されています。
この実証試験の特徴は、ズバリ「もったいない」です。実証試験では、対象施設への太陽光発電と水素発電での電力供給に加え、システムの副産物である「酸素」や「排熱」も無駄なく利用します。
水の電気分解時、水素と共に発生する酸素は、養殖魚の飼育水槽への給気や、飼育水の再利用時の生物ろ過に活用します。また、水の電気分解装置や燃料電池から発生する排熱は、飼育水槽の温度調節に利用し、養殖魚の成長促進に役立てます。
地場産業との連携で、地域振興にも資することを目論んでいるこの取組は、「もったいない」精神と脱炭素に関するチャレンジングな姿勢が評価され、環境省などが後援する「脱炭素チャレンジカップ2024」にて最高位の環境大臣賞グランプリを受賞しました。
写真 「脱炭素チャレンジカップ2024授賞式」
4.エンゲージメントパートナーとともに未来をつなぐ
「再エネ×水素」の取組には、東京大学先端科学技術研究センターにも関わっていただいていますが、壱岐市のSDGs推進の様々な取組では、外部からの多様な知恵を積極的に活用してきました。
そして、今、壱岐市では「エンゲージメント」という「つながり」に着目したまちづくりを進めています。
壱岐市への共感や愛着を持ち、地域に対しての主体的な貢献を通じて、お互いのあるべき姿を実現していける企業、大学、自治体などと、エンゲージメントパートナーとしての信頼関係を深めながら、持続可能な未来の共創に取組んでいます。
島の中からでは分からなかった島の価値を外部からの目で教えていただくことが多々あります。
そして、島の価値に気づいた市民は、改めて島を誇らしく思い、更にその価値を高めていこうとします。そこにまた外部の人が惹きつけられ、新たな島の価値を見出していく、そのようなエンゲージメントの循環の先に、持続可能な未来がつながっていくと考えています。
壱岐市はこれからも、エンゲージメントパートナーとともに、市民の思いに寄り添い、その思いを一緒に未来につないでいくための先端的な取組に積極的にチャレンジしていきます。
壱岐の新時代をみんなで一緒に前へ進めます。
写真 「エンゲージメントパートナー締結(福島県楢葉町)」
市民の思いと共に、持続可能な未来への「共創」
地方創生コンシェルジュ
福岡財務支局長崎財務事務所長 田原 秀司
玄界灘に浮かぶ自然豊かで、歴史と交流の島「壱岐」。
壱岐市は、持続不能な未来への危機感を直視し、島を未来へつなぐ施策に積極的に取り組んでいる。再生可能エネルギー導入の推進に限らず、太陽光発電の余剰電力を有効利用するなどサスティナブルな取組も実践。
また、市内企業や大学などのエンゲージメントパートナーとともにチャレンジしており、産官学の「つながり」に着目したまちづくりは、同様の課題を抱える自治体にとって、課題解決の一翼を担うことになると期待している。
敦賀市まちづくり観光部まちづくり推進課・係長 佐藤 雅善
1.交流の歴史と交通の要衝「敦賀」
敦賀の街が「天国(ヘブン)に見えた」。これは、1940年から1941年、ユダヤ難民が「命のビザ」を携え、苦難の旅路を経て敦賀に降り立った記憶を、後に振り返った際に語られた言葉である。
敦賀という街は、古来より天然の良港として知られ、日本海沿岸各地との交流をはじめ、大陸文化の玄関口として栄えてきた。アジア大陸を結ぶ交易結節点として機能し、平安時代には、松原客館と呼ばれる渤海国の使節団をもてなす迎賓館が設けられたといわれ、令和6年のNHK大河ドラマ「光る君へ」の中でも登場したのは記憶に新しい。また、江戸時代には北前船の寄港地でもあり、戦前には「東洋の波止場」として、日本と世界を繋ぐ交通結節点としても機能した。天然の良港であるという地形的利点を生かし、航路から陸路へ、すなわち線路が敷かれ、東京-新橋から敦賀へ鉄道が通る。そして、1912年、敦賀からウラジオストクへ繋がる航路を経て、シベリア鉄道を経由して欧州各国(パリ、ベルリン等)に直結する「欧亜国際連絡列車」が整備された。1枚の切符で東京から敦賀を経由し、国境を越えてヨーロッパへ繋がっていたのである。当時の欧州へ繋がる最短ルートを形成し、画期的なゲートウェイとしての役割を担った。
このように航路と陸路で世界と繋がっていた敦賀は、ローカルとグローバルが交差する場所に置かれた交流の特異点のようなものであったと窺える。ユーラシア大陸の東端で、欧州やアジアから様々な文化が流れ込む受け皿となって、ヒト、モノ、情報を受け止め、国際交流を促してきた場所である。それが冒頭に記した、ユダヤ難民が辿った希望の旅路となり、敦賀が「人道の港」と言われる所以である。
こうした交通の要衝ともいわれる敦賀に令和6年3月16日、新たな1ページが加わった。それは、北陸新幹線敦賀開業である。当面の終着駅となる敦賀駅は、新たに新幹線と在来線を結び、東京、大阪、名古屋と1本で繋がることになり、交通ポテンシャルを飛躍的に高め、新たにヒト、モノ、情報が行き交う交流の受け皿となった。
写真 敦賀港・敦賀湾(金ヶ崎エリア)
2.官民連携を実装-敦賀駅西地区土地活用事業-
北陸新幹線敦賀開業を契機に敦賀駅前エリア(西口)の賑わいを見据えた再開発事業が、敦賀駅西地区土地活用事業(以下、本事業)である。
本事業は、官民が連携して令和4年9月1日にオープンし、当エリア内には、本事業の中核施設でもあり、全国初の公設民営書店となる知育・啓発施設「TSURUGA BOOKS &COMMONSちえなみき(以下、ちえなみき)」も含まれている。
本事業の目指すところは、来訪者にとっては氣比神宮や港(金ヶ崎)エリアといった「観光拠点に誘う玄関口」として、市民にとっては「普段使いの拠点」として、敦賀駅前に交流と日常的な賑わいを生み出すことである。
本事業の整備スキームとしては、対象事業用地(市有地)に事業用定期借地権を設定し、民間開発事業者(以下、特別目的会社:SPC)に市有地を有償で貸し付けた上で、SPCが施設を整備・所有する。そして民間によって整備した施設の一部を市が公共施設(ちえなみき)として有償で賃借する。その「ちえなみき」の管理・企画・運営については、指定管理者として丸善雄松堂・編集工学研究所共同企業体を指定し、市は指定管理料を支払う内容となっている。これらの公的負担となるテナント賃料、指定管理料等は、エリアで生まれる資金(定期借地料、立体駐車場の納付金)やSPCの開発投資によって増額となる当該開発エリアの固定資産税増収分を財源として位置付け、収支のバランスをはかるものとなっている。エリア収入にあわせて支出を考え、身の丈にあった開発規模とすることで、財政負担を軽減するための持続可能な資金スキームを構築し、「ちえなみき」の事業継続を支える重要な土台になっている。
また、土地区画整理事業で生じる公園を全体計画の中央に配置し、芝生広場として本市で整備した。その周囲へコの字型に施設(ホテル、飲食・物販施設、子育て支援施設等)を配置し、尚且つ、全体に回遊性のある通路とキャノピーを設けている。駅周辺全体として、景観的にも空間的にも連続性のある街並みを創出している。
本事業を振り返れば、結果として、全体事業費の8割以上が民間資本となっており、市の財政負担としては、1割以下に留めるに至った。逆にSPCにおいては、市がテナントとして入居することで、収支が安定し、持続可能な経営に寄与するメリットが生まれている。その入居する「ちえなみき」の管理・運営費は、エリア収入が財源となっているため、賑わいによって生まれる資金が上手く循環しているといえる。
写真 敦賀駅西地区
3.知育・啓発施設「ちえなみき」
「ちえなみき」は、年間10万人という来場目標を3ヶ月で達成し、開館から約2年が経過した令和6年9月末時点では、70万人を超えたところである。「ちえなみき」は、図書館でもなければ本屋でもないという設定(知育・啓発施設)だからこそ、可能性の幅が拡がると考えている。社会情勢における書店数の減少という中で、売れ筋の本ではなく、良質な知にアクセスするための環境整備に投資する意味合いが強い。貸し出すサービスを提供する市立図書館とは異なり、書籍購入という選択肢を増やすと同時に、知的情報インフラを整えることを前提とし、本との出合いの中で、自己対話を通じて新たな気づきを得る(啓発)、なにかを学び創造する(知育)、それが本施設のコンセプトである。その先にある、本を通じて「人」と「地域」と「世界」が繋がる、新しい知の拠点を目指している。また、失われていく書店文化を守る意図も孕んでいる。図書館ではなく書店形式となった背景には、図書館法に縛られない自由度の獲得のほか、売れた冊数分を補充するなどして、書籍在庫が増え続けることなく、一定量をキープしたまま新陳代謝を図り変化に対応できる点がある。また、近隣の市立図書館との棲み分け(ターゲット層の違いや静謐環境に囚われない振る舞い、コミュニケーションを伴う多様な学習環境等)や駅前の都市機能改善も大きな要因としてある。これらに通底するのは、「本には集客力があり、賑わいを生み出せる」という考えであり、多くの先進地視察を経て実感を伴い見出してきた結論である。
写真 知育・啓発施設(ちえなみき内観)
4.ちえなみきの特徴・リアル書店の価値
「ちえなみき」を「ちえなみき」たらしめる根幹は、「選書」と「空間構成」の独自性にある。入館してひときわ目を引くのは、世界樹をモチーフとした空間であり、吹き抜け空間に本棚が無数に枝を伸ばしている。その主となる1階部分には、「世界知」と呼ばれる、人類の叡智を辿る文脈棚(3つのステージに42のテーマが紐づき、直感的な文脈のつながりを持って構成された棚)が凝縮され、古典、ロングセラー、絶版本、絵本などが、古書・新書を問わず、テーマ毎に沿って並ぶ。世界知に足を踏み入れると、世界樹の有機的な本の並びに相まって、枝のような書棚の間を分け入っていく空間体験を堪能しながら、知の深淵に触れることができる。世界知に隣接して、地元の老舗日本茶店が経営するカフェも併設され、利用者は、香ばしい茶の香りが漂う書籍空間に包まれながら、館内の全ての本を読むことが可能となっている。
2階には、「日常知」として気軽に読めるテーマで並ぶエリアなどがあり、隣接して勉強やイベントに利用可能なスペース「セミナー&スタディ」が展開する。また、親子連れが一緒に絵本を読んだり、知育玩具で遊べる「絵本ワンダーランド」など、親和性の高いエリアが有機的にゾーニングされ、子どもの微笑ましい会話が聞こえるなど、適度なざわつきを見せる。本を手にとって家族や友人が会話を弾ませる光景や、週末になると三世代家族のような大人数で本についての会話をしながら店内を歩く姿をよく見かける。時折、若いカップルが椅子に座りながら一冊の本を挟んで笑顔を交わす姿も微笑ましい。
こうした「ちえなみき」の特徴は、リアル書店以外に体験することは難しい。そこには、生き生きとした日常の振る舞いがあり、本を介することで生まれる代替不可ともいえる価値がある。緩やかな賑わいが空間を包み込み、読書の振る舞いや寛ぐ佇まいが風景として溶け込んでいる。そして、自身の好奇心に身を委ね、その先に潜む本との偶発的な出合い(セレンディピティ)を、五感を通して楽しむことができる。お目当ての本を探す行為ではなく、うねる本棚の密林を進み、変容する景色の中で、棚面を流れる相互連鎖的な本が奏でる文脈に誘われて、奥へ奥へ導かれていく。そんなリアル書店でしか味わえない体験価値が「ちえなみき」には潜んでいると思うのである。
まるで、「本のまち」を歩いているような空間体験に、僅かでも知のわくわくを感じとってもらえたら望外の喜びである。是非、本を介した知の諸相に耽溺していただきたい。
写真 ちえなみき(世界知・文脈棚)
5.新幹線開業効果と今後の波及的展開
北陸新幹線開業から半年が経過したが駅前西口周辺は変わらず活況を呈している。「ちえなみき」の新幹線開業前後の来館者数を前年同期6か月分(3月16日~9月15日)で比較すると、開業前は月平均2.3万人に対し、開業以降は月平均4.1万人となり、約1.7倍となっている。市内の観光施設(計7か所)を同期間の前年同期で比較すると、全体として約1.5倍の数値を記録している。この開業効果による賑わいを一過性として終わらせず、最大化し、持続させることが今後の課題である。その課題に対して取り組んでいる事案として、氣比神宮周辺、そこに繋がる商店街エリア、そして、港周辺の金ヶ崎エリアなどが挙げられる。そのうち、敦賀の代名詞ともいえる「鉄道と港のまち」の舞台となった金ヶ崎エリアについて紹介したい。
冒頭でも述べたとおり、港(金ヶ崎エリア)は、古くから国際交流の舞台でもあった。ユダヤ難民やポーランド孤児を受け入れた人道の港のエピソードや歴史的な鉄道遺産が集積する場所である。敦賀らしさともいえる歴史や文化が眠る金ヶ崎エリアは、長い間、議論の遡上にあがっていた。そして、北陸新幹線開業を契機にさらなる魅力あるまちづくりへとして動き出し、商工会議所、市、県が連携し、令和5年11月に「金ヶ崎周辺魅力向上デザイン計画」を策定したところである。そこで示すデザインイメージを手掛けたのは、世界的な設計事務所OMAニューヨーク事務所代表の重松象平氏である。検討中の計画案としては、市内に不足するラグジュアリー層を取り込むためのホテルに加えて、スイーツ、ベーカリー、レストラン、マルシェなど、民間活力を導入した賑わい拠点の整備となっている。それだけではなく、敦賀の歴史・文化遺産を包摂したランドスケープデザインとし、既存の点在する観光施設も含めて、一体感のある回遊空間となる予定である。細かな点は、これからの検討次第で変更もあるが、過去、国際的な交流の受け皿として賑わい隆盛した港エリアを、「世界と未来に開く鉄道と港のまち」として、再び創生するまちづくりを目指している。ローカルとグローバルが交差する場所に置かれた交流の特異点として、市民も来訪者もくつろげる豊かな場所になることを願っている。
写真 ©OMA無断複製転載を禁止します。金ヶ崎エリア(イメージパース)
北陸新幹線敦賀開業を契機とした官民連携によるまちづくりへの期待!
地方創生コンシェルジュ
北陸財務局福井財務事務所長 青木 雅信
敦賀市では、北陸新幹線敦賀開業に向け、敦賀駅前に市民の普段使いの場にもなり、観光客の受け皿にもなる多様な機能を備えた新たな交流拠点を官民連携により整備しており、開業から半年経過した今も駅前周辺は変わらず活況を呈しています。
開業効果による賑わいを持続させ、また市内全体に効果を波及させるべく官民による各種取組を継続しているところであり、福井財務事務所としても今後の敦賀市のまちづくりに大いに期待しています。
便利でええやん!京田辺~京田辺市のまちづくり紹介~
近畿財務局京都財務事務所財務課調査官 一丸 堅司
1.はじめに
京田辺市は、京都府の南西部に位置し、公共交通が充実しているため、京都・大阪・奈良の各都市へ約30分でアクセスできるネットワークが魅力です。また、京田辺市のシンボルでもある甘南備山や木津川、四季の移ろいを感じられる田園風景など、豊かな自然にも恵まれています。
新名神高速道路・第二京阪道路・京奈和自動車道が交わり、高速道路網のハブとして全国各地と繋がっているため、工業系土地利用の需要が一層高まることから、工業用地を拡大し、流通業や新しい産業の企業誘致を高めています。世界的物流企業が進出するなど、産業の活性化が図られています。
新名神高速道路の全線開通や北陸新幹線の新駅設置など、未来に向けた大きなポテンシャルを秘めたまちとしても発展し続けています。
写真 京田辺市の位置(地図提供:京田辺市)
2.人口増加が続くまち
京田辺市では昭和40年代から大規模な宅地開発や交通網の整備、学研都市の建設などにともない、子どもを生み育てやすい環境が整備されました。その後、若い世代を中心に人口増加が進み、令和2年の国勢調査では、人口増加率が京都府下トップクラスとなっており、特に15~64歳の生産年齢人口の割合は、61.6%と京都府内でトップとなっています。
全国的に少子高齢化が進展する中、現在も人口増加が続き、活気に満ちたまちづくりが着々と進行中です。
写真 京田辺市の人口推移(国勢調査)
3.子育てしやすいまちづくり
『みんなで子育て子どもきらきら京田辺』を基本理念に、京田辺市では、妊娠から出産、子育て期まで切れ目のない、様々なサポートが受けられる各種制度・サービスや施設が豊富に備えられています。各種制度・サービスについては、産前から妊婦の悩みに寄り添い、産後も助産師が自宅を訪問して相談に応じるサービスが人気です。また、京田辺市では、高校3年生までの子どもの医療費(通院、入院)を助成しており、1医療機関につき1か月200円の負担で診察や治療を受けることができます。
近年整備された施設を2つご紹介します。
○大住こども園
「こどもが輝く京田辺の実現に向けた基本方針」に基づき、市立大住幼稚園を改築し、北部地域の拠点となる市立幼保連携型認定こども園として令和5年4月に開園しました。太陽光発電システムやLED照明などを導入しているほか、府内産木材をふんだんに使った地球環境にやさしい、木の温もりを感じられる園舎です。
写真 大住こども園(写真提供:京田辺市)
○学校給食センター(愛称:「はぐくみ」)
成長期にある中学生に栄養バランスのとれた給食を提供することで、子どもたちの健康維持と体力向上を図るとともに、学校給食を通した食育の推進に取り組むため、京田辺市中学校給食基本計画に基づき、中部住民センター西側市有地に学校給食センターを整備しました。鉄骨造り2階建て、延べ床面積2,118m2の規模を有する同センターの整備により、令和6年4月からセンター方式による中学校給食が開始し、徹底した衛生管理と最新調理機器により最大3,000食を各中学校へ配食しています。施設内には、中学校に提供する給食調理はもとより、食育の取組みを推進するため、給食調理の作業風景が見学できるスペースや会議室も設置されています。
写真 学校給食センター(写真提供:京田辺市)
4.誰もがいきいき暮らせるまちづくり
京田辺市では誰もがいつまでも健やかで幸せに暮らせるまちを目指し、「健幸」をキーワードとした取組も行っています。市民の文化・スポーツの振興、健康や福祉の増進を願い、コミュニティ活動の拠点として市内には北部、中部、南部に多目的複合施設(北部住民センター、中部住民センター、南部まちづくりセンター)が設置されています。
写真 中部住民センター(写真提供:京田辺市)
5.おわりに
今回ご紹介した大住こども園や学校給食センターの建設工事費の資金に財政融資資金が活用されています。また、北部住民センター、中部住民センターの設備改修工事費にも財政融資資金が活用されています。
財務局では、こうした地域の実情や地方公共団体のニーズを把握しつつ、財政融資資金の活用により、地域活性化の取り組みが一層進展するよう、引き続き力添えしていきたいと思っています。
エンゲージメントで未来をつなげ。
壱岐市 総務部SDGs未来課 課長 篠崎 道裕
1.歴史と交流の島 壱岐
壱岐市は、福岡県と長崎県対馬市との中間地点に位置し、玄界灘に浮かぶ、自然豊かな離島です。
壱岐本島と4つの有人島を含む23の属島からなり、約24,000人の住民が暮らしています。
産業としては、周辺の海域に日本屈指の好漁場を有し、磯根資源にも恵まれて活況を呈していた漁業と共に、離島でありながら長崎県内で2番目の広さを誇る深江田原を中心に稲作を主体とした農業も盛んであり、一次産業が島の経済の基盤を支えてきました。
また、壱岐市は「魏志倭人伝」や「古事記」、「日本書紀」にも登場し、弥生時代から長年にわたって海上交通の要衝であり、東アジアとの交易の拠点として栄え、島内には貴重な遺跡や歴史的遺産が数多く点在する「歴史と交流の島」でもあります。日本神道とも所縁が深く、小さな社も含めると、1,000以上の神社があるこの島は、八百万の神々が息づく島であり、歴史文化の浪漫と自然の神秘性を活かした観光業も島の主要な産業です。
そしてなにより、古くから神と人と文化が行き交うこの島は、交流から生まれる変革の中で、時に新たな文化を生み出しながら2000年にも亘る歴史を紡いできたのです。
写真 壱岐のシンボル「猿岩」
2.島を未来へつなぐ「SDGs」と「気候非常事態宣言」
かつては美しい自然環境と歴史文化性という強みを活かした観光業や、自然の恵みを活かした一次産業で潤っていた壱岐市も、現在はご多分に漏れず、少子高齢化の波にさらされ、むしろ日本の先進地的な勢いで人口が減少しています。
島を未来の世代につなぐことができないことに健全な危機感を抱いた壱岐市は、当時、既に取組んでいた壱岐の未来を考える対話会をベースとしてSDGs未来都市計画を策定し、平成30年6月に第1回SDGs未来都市として選定されました。
また、近年の気候変動は、壱岐市においても、度重なる気象災害の発生に加えて、重要な産業である一次産業、特に漁業に深刻な影響を与えています。海水温の上昇等海洋環境の変化により、魚の住家となる藻場が消失し、漁獲量が著しく減少しているのです。
気候変動が、最早、危機的な状況であることを認識した壱岐市は、共にSDGsに取組むパートナーからの助言を受けて、令和元年9月に国内の自治体に先駆けて「気候非常事態」を宣言しました。
SDGs未来都市計画も気候非常事態宣言も持続不能な未来への危機感から生まれ、島を未来へつなぐ決意を示すものでした。
写真 「壱岐なみらい創り対話会」
3.小さな島の挑戦【再エネ×水素】
壱岐市の気候非常事態宣言では、2050年までに島内の再生可能エネルギー導入率100%達成を目指しています。
壱岐市は、九州本土との電気の接続が無く、島内の火力発電所で発電した電気を使っています。再生可能エネルギーとしては、現在、太陽光と風力を発電に活用していますが、不安定な再生可能エネルギーを現状以上に導入することは、非常に難しい状況です。
そこで壱岐市では、再生可能エネルギーを水素貯蔵と組合せて安定化させ、導入拡大を図る実証試験にチャレンジしています。
日中は太陽光発電の電力を対象施設に供給しつつ、余剰電力で水を電気分解して水素を製造貯蔵し、夜間や天候不良時は、蓄えた水素を使って燃料電池で発電し、対象施設に電力を供給するというシステムを使った実証試験です。
実証試験の対象施設は、民間のトラフグ陸上養殖場ですが、こちらの養殖場自体、低塩分地下水での陸上養殖という、世界でも先駆的な養殖方法を採用していることに加え、飼育水の再利用などサスティナブルな取組を実践されています。
この実証試験の特徴は、ズバリ「もったいない」です。実証試験では、対象施設への太陽光発電と水素発電での電力供給に加え、システムの副産物である「酸素」や「排熱」も無駄なく利用します。
水の電気分解時、水素と共に発生する酸素は、養殖魚の飼育水槽への給気や、飼育水の再利用時の生物ろ過に活用します。また、水の電気分解装置や燃料電池から発生する排熱は、飼育水槽の温度調節に利用し、養殖魚の成長促進に役立てます。
地場産業との連携で、地域振興にも資することを目論んでいるこの取組は、「もったいない」精神と脱炭素に関するチャレンジングな姿勢が評価され、環境省などが後援する「脱炭素チャレンジカップ2024」にて最高位の環境大臣賞グランプリを受賞しました。
写真 「脱炭素チャレンジカップ2024授賞式」
4.エンゲージメントパートナーとともに未来をつなぐ
「再エネ×水素」の取組には、東京大学先端科学技術研究センターにも関わっていただいていますが、壱岐市のSDGs推進の様々な取組では、外部からの多様な知恵を積極的に活用してきました。
そして、今、壱岐市では「エンゲージメント」という「つながり」に着目したまちづくりを進めています。
壱岐市への共感や愛着を持ち、地域に対しての主体的な貢献を通じて、お互いのあるべき姿を実現していける企業、大学、自治体などと、エンゲージメントパートナーとしての信頼関係を深めながら、持続可能な未来の共創に取組んでいます。
島の中からでは分からなかった島の価値を外部からの目で教えていただくことが多々あります。
そして、島の価値に気づいた市民は、改めて島を誇らしく思い、更にその価値を高めていこうとします。そこにまた外部の人が惹きつけられ、新たな島の価値を見出していく、そのようなエンゲージメントの循環の先に、持続可能な未来がつながっていくと考えています。
壱岐市はこれからも、エンゲージメントパートナーとともに、市民の思いに寄り添い、その思いを一緒に未来につないでいくための先端的な取組に積極的にチャレンジしていきます。
壱岐の新時代をみんなで一緒に前へ進めます。
写真 「エンゲージメントパートナー締結(福島県楢葉町)」
市民の思いと共に、持続可能な未来への「共創」
地方創生コンシェルジュ
福岡財務支局長崎財務事務所長 田原 秀司
玄界灘に浮かぶ自然豊かで、歴史と交流の島「壱岐」。
壱岐市は、持続不能な未来への危機感を直視し、島を未来へつなぐ施策に積極的に取り組んでいる。再生可能エネルギー導入の推進に限らず、太陽光発電の余剰電力を有効利用するなどサスティナブルな取組も実践。
また、市内企業や大学などのエンゲージメントパートナーとともにチャレンジしており、産官学の「つながり」に着目したまちづくりは、同様の課題を抱える自治体にとって、課題解決の一翼を担うことになると期待している。