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アジア太平洋における財政枠組みの強化― 最近のIMFペーパーより

国際通貨基金(IMF)アジア太平洋局審議役 矢原 雅文

1.はじめに
 筆者は2022年7月より、国際通貨基金(IMF)アジア太平洋局で勤務している。2024年9月、筆者が著者の一人を務めるペーパー「アジア太平洋における財政枠組みの強化」*1(以下「本ペーパー」)がIMFより公表されたことから、本稿では、その主な内容を紹介したい。なお、本稿で示す見解は筆者の個人的な見解であり、IMFやその理事会、マネジメントの見解を代表するものではない。

2.財政をめぐる動向
 アジア太平洋の各国・経済は、世界金融危機やパンデミック、その後の高インフレといった危機に際して、経済を安定させ、家計や企業を守るため、前例のない財政対応をとってきた。しかしながらその代償として、公的債務は上昇の一途をたどっている。中国の公的債務残高(対GDP比)は2007年から2023年の間に倍以上に増大し、日本では公的債務がGDPの250パーセントを超える状況となっている(図表1 アジア太平洋における公的債務残高の動向(各グループ平均、対GDP比))。各国の債務の動向を危機の前後で分けてみると、世界金融危機を乗り越えた後(2010-2019年)も財政赤字が継続し、債務が累増し続けたことが見て取れる(図表2 公的債務残高の変化(各グループ平均、対GDP比))。アジア太平洋の先進国では、他の先進国と異なり、パンデミック後(2021-2023年)も債務が減少していない。更に今後、多くの国が経済成長の低下と金利の高止まりを見込んでおり、財政をめぐる状況は厳しさを増している。こうした中、今後も起こり得るパンデミックのような大規模なショックに備えるとともに、高齢化や気候変動といった長期的な課題に対応するため、財政をめぐる枠組みはどうあるべきか、様々な場所で議論が行われている。本ペーパーはこうした背景の下、アジア太平洋において各国の財政政策がどのような役割を果たしてきたかを分析するとともに、地域が直面する課題を踏まえ、財政枠組みをどのように強化すべきかを議論するものである。

3.アジア太平洋における財政政策の役割
 本ペーパーでは、財政が経済の安定的な成長にどの程度寄与してきたのかを見るため、財政の反景気循環性(countercyclicality)、すなわち、経済成長が鈍化した時に財政赤字がどの程度拡大したか、また、経済成長が加速した時に財政赤字がどの程度縮小したかを分析している。図表3 財政の反景気循環性(世界金融危機後)(対GDP比)のとおり、財政が経済に果たしてきた役割は、各国の所得水準によって大きく異なる。日本を含む先進国においては、世界金融危機の後、経済成長率が1%ポイント低下すると、財政収支は対GDP比で約0.6%悪化することが示されており、景気動向に対する財政の感応度が危機の前よりも高まっている。この財政対応には、いわゆる自動安定化装置によるもの(景気の変化に連動した所得税や失業給付等の変化)と、裁量的な措置によるもの(景気対策等)の両方が含まれている。新興市場国の財政対応は先進国よりも限定的であり、自動安定化装置による対応に限られている。これは、新興市場国は、先進国よりも財政対応のための資金調達の手段が限られていること等によると考えられる。低所得国においては、財政対応は更に限られており、各国間のばらつきも大きい。太平洋島嶼国については、統計的に有意な財政対応は検出されなかった。他地域と比較してみると、日本を含むアジア太平洋の先進国は、他地域の先進国よりも大きな財政対応を行っていることが見て取れる。
 図表4 財政の反景気循環性:世界金融危機時及びパンデミック時(対GDP比)では、世界金融危機及びパンデミックの期間における財政対応の大きさを示している。アジア太平洋諸国、特に先進国では、財政の景気に対する感応度が、これらの危機時により強くなったことが示されている。この傾向は特にパンデミック時に顕著である。個別国で見ても、オーストラリア及び日本の2020年の財政赤字は、その前3年間の平均に比して対GDP比で6%以上拡大しており、中国やインドがこれに続いている(図表5 危機時における財政収支及び経済成長率の変化(対GDP比、%ポイント))。これらの財政対応の多くは裁量的措置により行われており、各国の自動安定化装置が危機の規模に比して不十分であった可能性が示唆される。パンデミック時、各国政府は支援策の拙速な解除によるリスクと、支援策の解除が遅れることによるコスト(財政悪化、インフレ圧力)とのトレードオフに直面した。こうしたトレードオフは、自動安定化装置を整備したり、大規模なショックに対応するための事前戦略・ツールを備えておくことで緩和できる可能性がある。
 アジア太平洋におけるパンデミック対応の特徴の1つは、公的金融機関や国有企業等、財政に直接表れない予算外の措置の積極的な活用である。図表6 予算外措置(2020-21年)(対GDP比)にあるとおり、日本は政府関係金融機関等の活用により、地域の中で最大規模の予算外支援を行った。その他、韓国やインド、シンガポール等が企業等に対して予算外での支援を行った。

4.アジア太平洋諸国・経済の財政枠組み
 本ペーパーでは、IMFでアジア太平洋諸国・経済を担当するチームへのサーベイに基づいて、各国の財政枠組みを、(1)財政ルール、(2)中期財政枠組み、(3)独立財政機関の3つの要素に分けて分析している。*2財政ルールとは、債務や財政収支等の財政指標に対して数値制限を課すもの、中期財政枠組みとは、中期的な財政目標を設定し、その実現のための政策を策定すること、独立財政機関とは、政府による財政政策の監視・分析を行う独立した機関と定義される。サーベイによると、アジア太平洋の37の国・経済のうち、日本を含む12の国が財政ルールと中期財政枠組みの両方を備えている(図表7 アジア太平洋の財政枠組み)。独立財政機関を有するのは3国(オーストラリア、韓国、モンゴル)であり、3つの要素すべてを備えているのはモンゴルのみである。
 財政ルールの中では、財政収支ルールと債務ルールが最も一般的であり、この傾向は世界全体の傾向と一致している(図表8 各国・経済で採用されている財政ルール)。これらの財政収支ルール・債務ルールの多くは法律に基づいている一方で、財政ルールの実施を確保するための手続きや、外部によるモニタリングの仕組みを備えている国は限られている。また、多くの国では、大規模なショックに直面した際に財政ルールを停止することができる旨の免責条項も定められていない。日本については、公共事業等以外のための公債発行を禁じた財政法第4条第1項*3が、財政収支ルールと位置付けられている(いわゆるゴールデン・ルール)。しかし、このルールには実施確保のための手続きは設けられておらず、実際にも1975年以降、1990年代初頭の数年間を除き、このルールは守られていない。
 債務ルール及び財政収支ルールについて各国の順守状況を見ると、パンデミック以前は、アジア太平洋諸国は、他の地域よりもルールからの乖離が少なかったことが見て取れる(図表9 パンデミック前後での財政ルールからの乖離)。しかし、パンデミックによる経済の収縮に対応するため、アジア太平洋の多くの国も、他地域の国々と同様、財政ルールから離脱、又はルールを停止した。パンデミックの後では、債務ルール、財政収支ルールとも、アジア太平洋諸国の乖離は他地域の乖離よりも大きくなっている。
 中期財政枠組みについて見ると、アジア太平洋では22か国がこの枠組みを採用している(2023年)。これらの枠組みの多くは債務や財政収支に関する中期的な目標を設けているものの、その大半は拘束力を持たない目安に留まり、毎年の予算との結びつきは弱い(図表10 毎年の予算編成における中期財政枠組みの役割(アジア太平洋)(国数))。また、中期財政枠組みのパフォーマンスについて、事後的な分析を行う国は6か国のみである。中期財政枠組みの効果の定量的な測定は困難であるが、同枠組みの下でも楽観的な中期見通しを継続的に行う国があるなど、同枠組みの採用が、財政の予測可能性の向上に直ちに寄与するとは言い難い。他方で、中期財政枠組みの採用を含む財政改革が国債格付けの引上げにつながった国(インド)や、財政運営改革を通じて予算の信頼性を高めた国(モルディブ)の存在は、中期財政枠組みの重要性を示唆している。
 日本は、「経済財政運営と改革の基本方針2018」以降、2025年度の国・地方を合わせた基礎的財政収支黒字化を目指すとの財政健全化目標*4を掲げており、合わせて、年2回公表される「中長期の経済財政に関する試算」の中で、10年間程度の経済財政の見通しを示している。本ペーパーでは、このことをもって、日本は中期財政枠組みを有していると解している。ただし多くの国と同様、この財政健全化目標は、毎年度の予算編成を直接縛っているわけではないし、見通しについて、事後的な検証が行われているわけでもない。

5.財政枠組みの強化に向けて
 これまで見てきたとおり、財政政策はアジア太平洋において、大規模なショックの影響を緩和するのに重要な役割を果たしてきた。一方で、パンデミックに際して多くの国が財政ルールから離脱し、あるいはルールを停止したことは、これらの財政枠組みは不十分であったことを示している。アジア太平洋の各国・経済は、財政をめぐる状況が悪化する中で、リスク管理を強化して将来の危機に備えつつ、開発目標を達成し、人口動態や気候変動からもたらされる歳出ニーズに対応していかなくてはならない。
 このためには、中長期の視点に立った財政枠組みの強化が不可欠である。具体的には、各国が直面するリスク及び中長期的な課題を財政計画に織り込み、その程度に応じてより野心的な中期計画、財政ルールを策定することで、経済が好調な時期における財政バッファーの構築を促す必要がある。あわせて、免責条項を適切に設計し、大規模な危機時には財政ルールを停止しつつ、危機が収束した後に財政ルールに復帰するための道筋を整えておく必要がある。こうした取組は、将来の目標を達成するために、現在どのような措置が必要であるかの議論を深めることに役立つと期待される。また、債務リスクが高まっている国にとっては、信頼性ある財政計画の策定を通じて、債務危機を避けることに資する。他の地域では、独立財政機関が独立したマクロ経済予測や財政措置の見積もりを行うことで、中期財政計画の信頼性・透明性向上に努めている国もあり、こうした取組も参考にすべきである。
 世界中で多くの国が、経済成長の鈍化、自然災害をはじめとするリスクの増大、財政状況の悪化、政治状況の流動化といった課題に直面している。そしてその中で、持続的な成長を実現し、将来世代に希望ある社会を残していくため、財政枠組みをどう強化するか、試行錯誤を繰り返している。日本においても、同様の視点に立って、毎年度の予算編成にとどまらず、財政をめぐる枠組みそのものに関する建設的・客観的な議論が深まっていくことを期待したい。

*1) Enrique Flores, Pranav Gupta, Yinqiu Lu, Paulo A Medas, Dinar Prihardini, Hoda Selim, Weining Xin, and Masafumi Yabara. “Upgrading Fiscal Frameworks in Asia-Pacific”, Departmental Papers 2024, 008(2024).
*2) 財政ルール及び独立財政機関については、IMFによる既存の調査(Davoodi H. and others. 2022. “Fiscal Rules and Fiscal Councils:Recent Trends and Performance during the Pandemic.” IMF Working Paper No.22/11)と同様のサーベイを行っている。
*3) 「国の歳出は、公債又は借入金以外の歳入を以て、その財源としなければならない。但し、公共事業費、出資金及び貸付金の財源については、国会の議決を経た金額の範囲内で、公債を発行し又は借入金をなすことができる。」
*4) 同計画では、「同時に債務残高対GDP比の安定的な引下げを目指す」ことも掲げられている。