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アメリカにみる社会科学の実践(第三回)― 地経学、経済安全保障(1)

財務総合政策研究所客員研究員 廣光 俊昭

Ⅱ.地経学、経済安全保障
1.はじめに
 今回から次回にかけて、アメリカと世界との関わりを検討する。中国などとの競争がアメリカの世界経済との関係を変えている。大国間の競争関係として世界経済のあり方を考える地経学と呼ばれるアプローチが注目を集めている。産業政策とセットになった貿易・資金・技術の管理を通じて達成しようとする目標は、経済的豊かさにとどまらない。経済的手段を通じ、安全を確保する施策として経済安全保障という政策体系が姿をあらわしている。輸出管理、経済・金融制裁は、イランや北朝鮮などに対応するためのニッチなツールであったが、第一次トランプ政権で中国のファーウェイ、香港問題への対応などを通じ次第に役割を高めていった。そして、バイデン政権下で、ロシアによるウクライナ侵攻(2022年2月)を契機に大規模な制裁が実施され、中国に対してもより系統立てて活用されるようになった。
 経済・財政と同様、地経学等においても、本稿は社会科学者たちの間に競合関係を意識的に見出す。ここでは、経済学者に限らず、国際政治学者や法律家を含む、広範な社会科学者を視野に入れる。各論者のアプローチの持つロジックを把握することで、読者は地経学等の問題の見取り図を得ることができるだろう。地経学等における競合関係は三つ巴の様相を呈する。民主党バイデン政権の安全保障政策を指揮したジェイク・サリバン(Jacob Sullivan、国家安全保障問題担当大統領補佐官)に対置する存在として、共和党系のロバート・ライトハイザー(Robert Lighthizer、元通商代表)の名を挙げる。レトリックをみる限り、民主党よりも共和党の方が中国に強硬であるが、バイデンはトランプの政策を継承・発展させた面が強いことを指摘する。より深い競合関係は、むしろサリバンやライトハイザーと、地経学的競争に慎重的な社会科学者との間にある。これらの慎重論者には、ハーバード大学のサマーズなど市場機能を重視する正統的な経済学者のほか、アメリカの相対的国力を慎重に見積もる国際政治学者が含まれる。
 以下、今回(第三回)では最近の動きを概観し、アメリカと世界経済との関わりがどのように変わってきたか跡付ける。続いて、三つのアプローチの詳細に立ち入り、論点の所在を明らかにしつつ、筆者なりの見解を示す。最後に、主たる競争相手である中国についてのアメリカの社会科学者の議論を検討する。次回(第四回)では輸出・投資管理、有事の経済・金融制裁などよりハードな施策を取り上げるほか、大国間の競争のかげで進む安全保障上の危機ともいうべき、気候変動問題など人類の存続に関わる問題について触れる。

2.概観
(1)チャイナ・シンドローム
 大国間の競争への関心が高まるに至るには二つの経路があった。ひとつは、中国からの輸出攻勢がアメリカの製造業を壊滅させるという経路による。もうひとつは、アジア太平洋地域におけるアメリカの軍事的優位の揺らぎによるものである。
 第一の経路を端的に示すのがMITのオーターらの論文『チャイナ・シンドローム(The China Syndrome)』である(Auter et al., 2013)。彼らは、1990年から2007年にかけての中国からの輸入増加が地域の労働市場に与えた影響を分析した。中国との貿易の得失はアメリカ全体ではネットでプラスであったとしつつも、輸入と競合する製造業の位置する地域で、失業率の増加、労働力率の低下、賃金の低下を引き起こしたことを明らかにした。図2.1 中国からの輸入が与えた地域毎の影響は地域毎の影響の度合いを五段階で色分けした地図である。オーターらは、中国からの輸入による競争が同時期のアメリカの製造業での雇用の減少の四分の一を説明するとした。失業、障害、退職、医療などの移転給付の支払いも、輸出攻勢にさらされた地域で急増していたと明かにした。オーターらは、2021年の論文で当時の最新データを用いて、影響を受けた地域の悪い状況が続いていることを報告している(Autor et al., 2021)。
 オーターらは、シンドロームが政治にも影響を及ぼしていることも実証した(Autor et al. 2020)。彼らは2000年から2016年にかけての議会や大統領選挙等の結果を複数の尺度で分析し、輸出攻勢にさらされた地域でのイデオロギーの変化が、2016年の大統領選挙の前に始まっていることを示す証拠を見出した。影響を受けた地域のうち、もともと白人の多い地域では、排外主義的な候補者が選出される傾向が高まり、マイノリティが多かった地域では、プログレッシブな候補が選出される傾向が強まったと指摘する。
 オーターらの論文は、学術論文としては異例なことであるが、現実の政治に影響を及ぼした。第一次トランプ政権で、国家通商会議(National Trade Council)のトップを務めたピーター・ナバロ(Peter Navarro、UCアーバイン)は、オーターらの研究を参照しつつ、第一次トランプ政権での対中通商政策を推進した(The New York Times, 2020)。オーターらの論文が大きな影響を持ったのは、正統派のMITの教授がついに自由貿易の弊害を正面から認めたというサプライズに由来する。人々が自分の目でみていることと、学者の言うことは食い違うことが少なくないが、オーターらの論文によってようやく一致した。自由貿易という薬には害はないと言われていたのが、そうではなかったことを告知された。フランチェスコ・トレビ(Francesco Trebbi、UCバークレイ)らは、中国の最恵国待遇を認めるか否かを巡る連邦議会議員の投票行動(1990―2001年)を分析し、選挙区での損害への認知を高めつつあった議員であっても、自由貿易は望ましいというイデオロギー的信念に引っ張られて賛成の投票行動をとった者が多かったことを明らかにしている(Bombardin et al., 2023)。オーターらの論文は、自由貿易イデオロギーから人々を解き放った。
 第一次トランプ政権のもとで*2、通商代表部は2017年7月より通商法301条に基づく措置を中国に取りうるか検討を開始した。2018年3月に報告書を公表し、同年7月を皮切りに四段階にわたる対中関税措置を講じ、米中貿易戦争と呼ばれる応酬となった。2018年初頭時点で、それぞれ3.1%、8.0%であったアメリカの対中関税、中国の対米関税(加重平均)が、19.3%、21.1%まで上がった(Bown, 2023)。関税措置は中国相手だけとは限らない。2018年3月には1962年通商拡大法232条に基づき、欧州や日本に対し、鉄鋼25%、アルミ10%の関税措置を課している。日本の目線から大きなことは、就任早々にトランプが、オバマ政権下でアメリカ自身が中心になってまとめた、環太平洋パートナーシップ(TPP)協定からの離脱を決めたことである(2017年1月)。
 バイデン政権は、第一次トランプ政権に比べ、同盟国・パートナーへの関税措置には慎重で、中国への関税措置も的を絞ったものとするよう努めたことは認められる。ただ、保護主義への傾斜は引き継がれた。対中関税は、アメリカ国内のインフレが昂進した時期に引き下げを検討との報道は出たものの、そのまま維持された。2024年9月には、不公正な補助等を受けて過剰に生産されているとの認識のもと、中国製電気自動車(EV)などに対する通商法301条に基づく関税措置を導入している。過剰生産の問題は、マクロの過小消費、過剰投資という中国の経済モデルへ異議申し立てという性格を持ち、かつての日米摩擦を思わせる制度間の相克の様相を呈する。同盟国・パートナーにとっては、CPTPPへのアメリカの復帰がなかったことは失望であった。2022年から始められたインド太平洋経済枠組み(IPEF)からは貿易アクセスの議論が欠落している。2022年に成立したインフレ抑制法は、アメリカでのEV製造を優遇し、一台当たり最大1万1千ドルの優遇措置をつけている。
(2)安全保障環境の変化
 大国間の競争関係への経路のうち二番目は、アジア太平洋地域でのアメリカの軍事的優位の揺らぎによる。中国は2012年から「中華民族の偉大な復興」を掲げ、世界的な野心を隠さなくなった。そのなかで、アメリカの危機感を端的に表明したのが、2021年の3月のインド太平洋軍のフィリップ・デービッドソン(Philip Davidson)司令官による、上院軍事委員会公聴会での「2027年までに、中国が台湾を侵攻する可能性がある」との発言である。
 軍事的な抑止力を高めることと併せ、安全を確保するために経済的手段を動員することが増えている。その目的は、情報システムの安全性を高めることや、軍事転用可能な先端技術を保護することで中国への技術的アドバンテージを維持することである。第一次トランプ政権のもとでは、中国通信機器大手のファーウェイに対し、サプライチェーンを分断する措置が講じられた(2020年5月,8月)。ファーフェイの半導体設計を手掛ける傘下企業と受託製造を担う台湾のTSMCの間の取引を遮断し、さらに、オランダやアメリカ企業の生産する半導体製造装置の中国系ファンドリーへの供給を停止した。ファーウェイへの措置で興味深いことは、外国直接製品ルール(FDPR:Foreign Direct Product Rules)と呼ばれる、輸出規制の域外適用を活用していることである。アメリカ国外で製造された製品であっても、アメリカの技術等が用いられている限り、輸出に商務省産業安全保障局(BIS:Bureau of Industry and Security)の許可を得る必要があるというものである。FDPRにより、台湾やオランダ企業と中国企業との間の取引を遮断することが可能となる。さらに、安全保障上重要な半導体の国内製造を進めるため、2020年5月にはTSMCの工場をアリゾナに誘致することに成功した。資金面でも重要な進展があった。2018年8月、外国投資リスク審査近代化法(FIRRMA:Foreign Investment Risk Review Modernization Act)が成立し、対米外国投資委員会(CFIUS:The Committee on Foreign Investment in the United States)の権限強化が図られた。従前のCFIUSは、外国投資家がアメリカ企業を支配することになる取引の審査を行うものあったが、FIRRMAによりアメリカ企業を支配する取引以外へと対象を広げ、具体的には、一定の不動産取引、重要インフラ及び技術等に対するマイノリティ投資も規制の対象となった。
 バイデン政権は第一次トランプ政権の施策を継承し、対中軍事バランスに直結する技術的優位を維持するための施策を組織化していった。2022年10月、中国が先端半導体を使って軍事技術を高度化しないよう、半導体関連の輸出規制を導入した。半導体製造装置等に関する対中輸出を許可制とし、日本やオランダといったパートナーとの連携を深めている。国内製造基盤の強化にも、一層包括的に取り組んでいる。本稿の経済・財政の議論でみた通り、半導体についてはCHIPSおよび科学法が国内製造に補助をつけている。自動車にも安全保障の観点から規制の網を広げている。2024年9月、BISはネットに接続するコネクティッドカーの輸入・販売を順次禁止することを発表した。資金面でもさらなる規制強化が図られている。CFIUSとは逆に、アメリカから中国等への投資を規制する枠組みが2025年1月にはじまり、AI、半導体、量子技術に係る投資が対象となる。アメリカ国内でも資金の潤沢な中国への投資規制の意義を問う声はあったものの、資金提供を期に技術が流出することへの懸念に基づく措置と説明がなされている。これら中国をターゲットとする規制強化の傍らで、2022年2月のロシアのウクライナ侵攻を契機に、ロシアに対する前例のない大規模な経済・金融制裁が措置されている。ロシア侵攻への態度の相違を通じ、世界はアメリカを中心とする陣営、中国やロシアを中心とする陣営、グローバルサウスへと色分けが進んでいる。
(3)世界経済の変容
 アメリカの政策転換は世界経済のあり方を変容させている。データの示すところによると、世界経済は分断の初期段階にある。ただし、二極の間を連結する国(connectors)の存在により、現在のところ両極間の取引が維持されている。
 アナ・アギラール(Ana Aguilar、国際決済銀行)らによると、貿易戦争以降、アメリカの輸入元に大きな変化がみられる(Aguilar et al,, 2024)。図2.2 (a)アメリカの輸入元の国・地域毎のシェアの推移、(b)2017年末から2024年半ばまでの期間における輸入元シェアの変化率(%)の(a)は、アメリカの輸入元の国・地域毎のシェアを示したもので、2018年以降、中国(CN)のシェアが急速に低下し、近年ではメキシコ(MX)に抜かれている。(b)によると、2017年末から2024年半ばまでの期間におけるアメリカの中国からの輸入シェアは21%減少している。市場シェアを最も伸ばしたのはアジア諸国で、ベトナム(66%)、シンガポール(38%)と続き、アメリカ大陸では、コスタリカ(31%)、ドミニカ共和国(9%)となっている*3。ギータ・ゴピナート(Gita Gopinath、IMF)らは、国連での投票行動に基づき、世界を西(アメリカ等)、東(中国、ロシア等)、非同盟に区分し、その間をまたぐことで貿易がどの程度増減へと傾くか(半弾力性)の推移(四半期毎)を検証している(Gopinath et al., 2024)。図2.3 陣営間貿易の増減は、ロシアのウクライナ侵攻後と、冷戦開始(1947年)後の推移を比べている。現代は冷静開始期よりも経済統合の水準が高いことに注意を要するものの*4、(a)は東西ブロック間の貿易が現在までに冷戦開始期よりも急に縮小していることを示す。(b)は非同盟との貿易を示し、冷戦期に比べて非同盟との貿易が堅調であることを示唆する。この発見は、メキシコやベトナムなどの連結国を介して、米中がつながるというアギラールらの分析と一致する。
 資金面での動きはどうか。図2.4 アメリカと各国・地域間の直接投資(2014-2023年、10億ドル、対数表示)は、(a)対米直接投資の投資元(inbound)と、(b)アメリカ発の直接投資先(outbound)の推移をみたものである(2014-2023年、対数表示)。(a)の示す通り、期間の当初、中国・香港からの対米投資が急伸した後、2017年から足踏みに転じ、2020年代に入って減少に転じている。当初の急伸がFIRRMAの制定を誘発し、その後、投資が減少に転じたとのストーリーに合致する。他方、中国・香港以外の国・地域からの投資は着実に伸びている。(b)では、アメリカ発の対中国・香港向け投資が、2020年まで着実に増加し、その後、横ばいとなり、2023年に大きく減少したことが示されている。他の国・地域への投資は、増加ないし横ばいで推移している。総じていうと、アメリカの同盟国・パートナーとの投資が活発化する一方、中国との投資は増加から横ばい、減少へと転じている。ラテンアメリカ・西半球、シンガポールといった非同盟の国・地域との投資が活況を維持していることは、貿易と同じ傾向である。世界的にも同様の動きが確認できる。シェカール・アイヤル(Shekhar Aiyar、ジョンズ・ホプキンス大学)らは、地政学的距離と直接投資の関係を分析したところ、地政学的に近い国の間での投資が、2003年には4割程度であったのが次第に上昇し、2020年以降では5割を超えていることを見出した(図2.5 近接国間での直接投資の割合(縦軸:線,地政学的距離;点線,地理的距離), Aiyar et al. 2024)。地理的に近い国の間よりも、地政学的に近い国での投資の方が多く、その差は次第に拡大している。彼らは、半導体等の戦略的セクターへの投資では、地政学的距離の近い国での投資への偏りがより大きいことも指摘している。地政学的分断は、銀行を通じた資本移動にもあらわれている。ゲッツ・ファン・ペーター(Goetz von Peter、国際決済銀行)らは、国際間の銀行債権の伸びを被説明変数とし、地政学的距離で回帰すると、地政学的距離が拡大しつつある国の間で資本移動が減っていることを見出している(Goetz von Peter, 2024)。
 貿易や資金の分断化にも関わらず、分断が米ドルの地位にマイナスの影響を与えている証左はこれまでのところない。ロシア制裁の一環で、アメリカと同志国はそれぞれの法域でロシア中央銀行が持つ外貨準備を凍結している。この措置は準備通貨としての米ドルの地位を損なう方向で作用しうる。しかしながら、外貨準備に占める米ドルのシェアは、ウクライナ侵攻勃発時(2022年第一四半期)が59%であったのに対し、直近(2024年第一四半期)でも同水準となっている。ロバート・マコーリー(Robert Mccauley、ボストン大学)らは、侵攻前のサンプルに基づいて米ドルのシェアを予測するモデルを作成しているが、その予測値と実績にも乖離がみられないという(Mccauley et al., 2024)。パトリック・マグワイア(Patrick McGuire、国際決済銀行)らは、貿易のインボイス、外貨準備、対外債務、国際銀行債権、国際債券、外貨取引高など通貨の多面的な活用状況を検討したところ。米ドルとユーロがGDPや貿易の世界シェアを越えて引き続き用いられているのに対し、人民元の利用が中国のウエイトに比べて僅かであることを確認している(McGuire et al., 2024)。米ドルは国際通貨として強固な地位を維持している。ただし、留意すべき動きとして、ロシア制裁を横目に、中国が(将来的にありうる)対中金融制裁を回避しうる国際的な送金手段の開発に取り組んでいることである。この点について、第四回で対中制裁に関するアメリカでの議論を取り上げる際に検討する。

3.競合するアプローチ
(1)民主党系
 地経学等を巡るアメリカの社会科学者たちのアプローチは三つ巴の状況にある。サリバンが代表する民主党バイデン政権によるもの、共和党系の論者によるもの、そして、地政学的措置に慎重な論者がいる。
 サリバンは政権入りする前から、カート・キャンベル(Kurt Campbell、のちに国務副長官)とともに、Competition Without Catastropheと題した論文を発表し、アメリカはアジア地域での対中軍事的優位の回復が困難であることを受け入れ、中国の抑止に集中すべきであると提言していた(Campbell and Sullivan, 2019)。サリバンらは、多くの相違点にも関わらず、米中は共存する必要があると指摘し、共存とは、競争を解消すべき問題としてより、むしろ管理すべき条件として受け入れることを意味すると指摘した。サリバンがその考えを具体的に展開したのが、大統領補佐官としての任期の中途(2023年4月)にブルッキングスで行った演説である(Sullivan, 2023)。演説でサリバンは、新たなワシントンコンセンサスが必要だと打ち上げた。従前のコンセンサスのもとで、アメリカの産業基盤は空洞化し、経済統合を進めれば、中国がより責任ある国になるとの想定は裏切られ、地政学的競争にアメリカをさらしてしまったと指摘した。(オーターらの研究を意識しつつ)チャイナショックへのアメリカの備えは不十分なものであったし、現在も十分な対応がなされていないとする。サリバンは、中産階級のための外交が必要であると説き、産業政策によって産業基盤を築き、サプライチェーンの強靭化を図り、高い柵で囲われた小さな庭(スモールヤード・ハイフェンス:small yard, high fence)によって基盤技術を保護する必要があると訴えた。
 サリバンの考えはバイデン政権のなかで広く共有されていた。彼の演説の前の週、イエレン財務長官が類似の演説をジョンズ・ホプキンス大学で行っている(Yellen, 2023)。イエレンは中国に対するアプローチの目的として、1)国家安全保障上の利益及び人権擁護、2)健全な経済競争、3)気候変動などの喫緊のグローバル課題における協力の三点を挙げ、中国経済からのデカップリング(切り離し)を求めていないと述べた。伝統的に米・財務省は、市場を重視し、中国と友好的な官庁として知られる。その伝統的立ち位置は、グローバル課題での協力という三点目に残っているが、バイデン政権の期間中の同課題での進展は乏しかった。サリバンの演説を経済学の言葉で定義したのが、(第一回で取り上げた)イエレンの打ち出した「現代供給サイド経済学」であると解することができる。
 民主党系のアプローチには共和党系論者との比較で特徴的ことが二つある。ひとつはパートナーとの協働の重要性をより認識していることである。もうひとつは、デカップリングを求めず、デリスキング(リスク軽減)を求めるとすることである。守るべき基盤技術を手厚く守りつつ(ハイフェンス)、守る範囲を真に安全保障上必要なものに限る(スモールヤード)のである。
 第一のパートナーの重視は、大きな市場と多くの技術的知見を集めるために不可欠なものである。伝統的な西側はもちろん、グローバルサウスとの連携を深めることが重要である。日本が議長国を務めたG7広島サミット(2023年5月)は、(中露を除く)グローバルサウスの主だった首脳を呼び、連携の貴重な機会を提供した。同サミットでは、経済的威圧(economic cohesion)に関する文書が出ている(G7 Summit, 2023)。経済的威圧とは、恣意的な貿易の制限等により地政学的目的を達することを狙った措置である。威圧に対処するため、同文書では、G7外を含むパートナーとの協力を推進することの必要性を強調している(経済的威圧への対策については、コラム2.1を参照)。第二のデカップリングとデリスキングとでは、理屈上の違いがある。デカップリングという言葉には全を無にするという響きがあるのに対し、デリスキングには許容範囲のリスクのうちでの関係は維持するニュアンスがある。グローバルなサプライチェーンを介してつながる世界経済の現実に適合的な概念といえそうである。

コラム2.1:経済的威圧に対する「集団的レジリエンス」とその課題
 ビクター・チャ(Victor Cha、ジョージタウン大学)は、中国による経済的威圧を予防する方策として、NATO第5条(集団防衛:NATO加盟国の1つに対する攻撃はNATO全体の攻撃とする)に倣った「集団的レジリエンス(collective resilience)」を提唱している(Cha, 2023)。複数国からなるグループを形成し、中国がメンバーに対して経済的威圧を行った場合に、グループ全体として中国に対して貿易上の対抗措置を取ることにコミットすることで、中国を牽制するというアイデアである。2021年、リトアニアが台湾に代表部を設置し、中国がリトアニアからの輸入に制限をかけた際、リトアニアはEUやアメリカの支援を受けて影響の緩和に努めた。チャはあくまでもリトアニアの事例は防御的な対応とし、自身の提案は、より踏み込んで集団的に報復措置を取ることを旨とするという。
 チャの分析によれば、中国がこれまで経済的威圧の対象とした国からの輸入に、中国が70%以上を依存する品目は412品目にのぼる(2022年)。品目数を一番多く持つのは日本(124品目、49.6億ドル)で、金額では米国が最大である(品目数では87品目で二位、115.5億ドル)という。以下、品目数で、ドイツ(64品目)、韓国(28品目)と続く。この412品目のなかから、チャは19品目を特に戦略的に重要な品目として例示し、この19品目には日本の銀粉末、アメリカのトウモロコシ、韓国の無機塩などが含まれる。
 集団的レジリエンスが機能するためには、報復措置のWTOの国際ルールとの関係の整理や根拠となる各国の国内法等の整備もさることながら、パートナー間での強固な連携・信頼関係が存在することがカギとなる。パートナーのために輸出を制限すれば、自国の事業者の収益機会を奪うことになる。第二次トランプ政権が、そのような連携・信頼関係を醸成することができるかという点は、自然にわいてくる疑問である。貿易依存度が固定的なものではないことにも注意が必要である。アメリカとそのパートナーの側だけでなく、中国の側でも、相手への依存を減らす努力が続けられている。そして、製造業における中国の中心的地位を考慮すると、現状、より脆弱なのは中国よりもアメリカとそのパートナーなのかもしれない。図2.6 中国、アメリカ、欧州におけるハイスキル/ハイテク製品の輸入元の集中度の推移(ハーフィンダール・ハーシュマン指数)によると、中国の対米依存や対欧依存よりも、アメリカや欧州の対中依存の方が大きい。サプライチェーンを通じた間接的な依存を含めると、米欧の脆弱性はもっと大きなものとなると思われる。猪俣(2023)は、国際産業連関表を用いた分析を通じ、2018年時点でのサプライチェーンを介する相手への依存は、中国よりもアメリカの方が大きいと分析する。貿易戦争後も、連結国の存在を考えると、状況は変わっていない可能性が高い。

 しかしながら、サリバンらのアプローチは現実からの試練に晒されている。2024年4月、イエレンが訪中し、一部製品での中国の過剰生産の問題を指摘した。通商代表部は、同年5月、多額の補助金を通じた過剰生産などの中国の不公正な貿易政策・慣行から自国の労働者を守るため、通商法301条に基づいて、これら一部製品の関税引き上げる案を明らかにし、同年9月から実際に適用を開始した。EVへの関税を100%に引き上げるほか、リチウムイオン電池、半導体、太陽電池、鉄鋼・アルミ、フェイスマスク、医療用手袋などに関税措置を講じた。自動車については、コネクティッドカーに安全保障上の懸念があると指摘し、中国製EVを国内に入れまいとする動きを強めている。これらの措置は不公正な補助金、安全保障という根拠を示しており、通商法301条による措置は的を絞ったものとの評価もあるが、太陽電池、鉄鋼・アルミなどの措置は戦略性が乏しいとの指摘もある。安全保障上のリスクの外延を定めることは一筋縄ではいかない。パートナーたるべき欧州(EU)との足並みが必ずしも揃っていないことは、今後の火種になりうる。欧州も中国製EVに関して、2024年10月、追加の関税措置を決めている。ただ、今後5年にわたり、従来の10%に7.8-35.3%上乗せし、最大45.3%の関税を課す程度にとどまる。欧州は中国市場への依存度が高く、中国に厳しい措置を取りにくい。むしろ中国からの直接投資を受け入れ、欧州でのEVの現地生産を促す志向を強めている。メアリー・ラブリー(Mary Lovely、PIIE)らは、マクロでみても、アメリカと欧州は中国との貿易で相反する動きしていると指摘する(Lovely and Yan, 2024)。集中度を計測するハーフィンダール・ハーシュマン指数を用いて、中国、アメリカ、欧州の全輸入における集中度の推移をみると、2018年の米中貿易戦争以降、中国とアメリカが全体的に輸入集中度を下げ、特にアメリカは中国からの輸入集中度を急激に落としている。他方、欧州は全体としての輸入集中度を上げ、そのなかでも特に中国からの輸入への依存を高めている。図2.6はハイスキル/ハイテク製品についてみたもので、ここでもアメリカは中国への集中度を下げている(855→289、2018→2023年)が、欧州はあげている(682→758)。この違いは、中国への安全保障上の措置を検討する際、米欧で機会費用の計算が異なることを意味する。米欧間の離断は、地政学上の競争における中国の基本戦略である。
(2)共和党系
 共和党は第一次トランプ政権で米中貿易戦争の幕を開け、第二次政権でふたたび政策の主導権を握る。トランプはジェイミーソン・グリア(Jamieson Greer、King & Spalding)を第二次政権の通商代表に指名している。グリアは、2024年5月の公聴会で、有害なものであった以前の対中貿易政策が一次政権のもとで変わりはじめたと述べている(Grerr, 2024)。グリアは、一次政権でライトハーザー通商代表の首席補佐官を務めた、ライトハーザーの右腕であり*5、以下、より詳細に展開されているライトハーザーの考えを参照する。ライトハイザーはNo Trade is Freeを著し、自身の考えを基礎づけるとともに、今後の中長期的な通商政策を提示している(Lighthizer, 2023a; the Realignment, 2023)。ライトハイザーは、自身の政策を「労働者中心(worker-oriented)な通商政策」と呼ぶ。自由貿易は間違ったコンセプトであるとし、通商政策は労働者階級の家族を支援することを中心に展開されるべきであるとする。経済的最適化はそれ自体悪いことではないとしても、人間は経済的価値のみで生きるものではなく、国家安全保障はもちろん、安全な環境、社会契約、家族やコミュニティの価値の方がずっと大切であると指摘する。オハイオ州の小さな工業都市で育った自身の生い立ちと重ね合わせ、製造業で働く家庭では子どもは親の仕事を誇りに思っていたとし、まともな仕事を平均的なアメリカ人に与えてきた製造業の復活を図る。
 ライトハイザーは中国との戦略的デカップリングを掲げる。具体的には、1)恒久的通常貿易関係(最恵国待遇)の撤回、中国からの全輸入品に対する追加関税措置を通じた貿易均衡の達成、2)戦略的依存の削減、3)二国間投資の削減、4)強力な輸出管理政策、5)国家安全保障分野、デュアルユース品目等における技術的相互依存の停止などを求めている。産業政策については、一般論として産業補助金は良いものではないとしつつも、AI、ロボット工学等でアメリカが負けるわけにはいかないとし、他国が補助している以上、アメリカも補助を出す必要があると主張する*6。トランプは選挙戦中、中国に60%の関税を課すと明らかにしている*7。
 矛先の向かうのは中国だけではない。アジアやアメリカ大陸諸国が連結国となり、米中貿易を間接的に媒介していることを先にみた。ライトハイザーはこの関係の是正を求める意向を示している(Lighthizer, 2023b)。米国・メキシコ・カナダ協定(USMCA)では、発効から6年後(2026年7月)に共同でレビューを行うことにしている。そのレビューのなかで、連結国としてのメキシコのあり方が問題になる*8。また、ライトハイザーは、日本や欧州などの同盟国との貿易不均衡も問題視している。日本は中国と異なり、真の実存的脅威であったことはないとしつつも、著書では第一次政権での同盟国との交渉経緯に紙面を割いている。トランプの選挙公約では、全世界からの輸入に一律10~20%の関税を課すベースライン関税を導入するとしている*9。
 対中政策は、貿易のロジックだけで決まるわけではない。関税がアメリカ経済に悪影響を与え、株式・債券市場に響くことは、トランプの本意ではないだろう。財務長官に指名された、ウオール街出身のスコット・ベッセント(Scott Bessent)が、どう立ち回るのか注意を要する。古典的な安全保障のロジックの重要さは言うまでもない。第二次政権の国務長官に指名された、マルコ・ルビオ(Marco Rubio, 2023)は米中関係を対立関係として雄弁に語る(Rubio, 2023)。中国は、過去200年を除いて、人類が何千年も生きてきた場所に人々を連れ戻したいと考えており、その場所とは、個人が権利を持っているという概念が存在しない世界だとする。マシュー・ポティンジャー(Matthew Pottinger、一次政権の安全保障担当大統領副補佐官)は必ずしもトランプの忠臣ではないが、共和党の関係者から高い評価を得ている論者であり、彼のマイク・ギャラハー(Mike Gallagher、元下院中国特別委員会委員長、共和党)との共著論文No Substitute for Victoryは、サリバンらのCompetition Without Catastropheと好対照をなしている(Pottinger and Gallagher, 2024)。彼らは、アメリカに必要なのは、米中競争を管理することではなく、競争に勝利することであると主張する。中国の指導部はすでに冷戦を開始しており、冷戦が存在しないふりをすることは却って熱い戦争をもたらすと警告する。中国が台湾での戦争の準備を進めるなか、直ちにインフレ調整後の国防費の減を反転させる必要があるとする。中国がサプライチェーンに対する支配力を武器にしようとしているなか、中国の恒久的通常貿易関係の地位を廃止すべきことなどを唱える。中国企業への資金と技術の流れを止める必要があり、バイデン政権による限定的な対外投資規制を拡充する必要があるとする。
(3)慎重論者
 民主党系、共和党系ともその主流派が、地経学上の措置に積極的であるのに対し、慎重な社会科学者たちがいる。これらの慎重論者には、市場機能を重視する経済学者のほか、アメリカの相対的国力を慎重に見積もる国際政治学者が含まれる。
 経済学者は保護主義、産業政策に疑いの目を向けるものである。そのような経済学者の代表として、サマーズを挙げることができる。サマーズは、What should the 2023 Washington Consensus be?と題した2023年9月の講演で、新しいワシントンコンセンサスを提示した同年4月のサリバンの講演を批判した(PIIE, 2023a)。サマーズは、サリバンらのバイデン政権の政策には六つの誤解(misconception)があるという。1)雇用を最大化するという考えが効率性を損なっていること、2)過去10年間がアメリカ経済にとって悪かったという認識が間違いであること、3)同期間の世界経済の達成も悪くなかったこと、4)自由貿易が問題であるとの認識は誤りで、中国との貿易はアメリカに利益をもたらたしたこと、5)アメリカの再産業化は現実的ではないこと、6)財政赤字が脅威であることの六つである。サマーズは中国が敵対国であることを認めつつも、中国を抑え込む努力が(対日包囲網と真珠湾攻撃を例示し)非生産的な結果を生むことを憂慮する。ロバート・ゼーリック(Robert Zoellick)のような、共和党ブッシュ(子)政権で通商代表を務め、世界銀行総裁に転じた論者も、新しいコンセンサスを批判的に扱っている(PIIE, 2023b)。ゼーリックは、1)従前のワシントンコンセンサスが財政金融の規律を重視したのに対し、サリバンらが規律の軽視へと転じたこと、2)価格の機能への認識を欠くこと、3)民間部門から国へと経済を主導する部門を移したこと、4)国際主義からフリードリッヒ・リストの関税同盟のような国内重視に転じたことの四点を新しいコンセンサスの特徴として挙げる(PIIE, 2023b)。
 アメリカの再産業化の非現実性というサマーズの主張については、すでに本稿の第一回で格差対策を論じた際に取り上げた。ロバート・ローレンス(Robert Lawrence、ハーバード大学)は、同様の主張をより具体的に根拠づけている(Lawrence, 2024a, b)。ローレンスによると、製造業の雇用やGDPに占める割合の低下は、アメリカに限ったことではなく、ドイツ、日本、韓国、そして中国といった国々でもみられる。この低落傾向は、すべての国に共通する力、すなわち技術革新に伴う財価格の低下、所得増に伴う財需要の減などによるものであり、産業政策はこの傾向を覆すことはできないとする。製造業での雇用は2000年から2010年で580万人減ったが、中国からの輸出攻勢によるものは100万人程度に過ぎないという。ローレンスは、産業政策が特定の目標(脱炭素、サプライチェーンの強靱化等)に資することはあり得るものの、包括的成長の原動力として製造業を復活させることは不可能だという。図1.11(第一回)でみた、民間製造業建設支出の足許の急増は目覚ましいものにみえるが、製造業の規模が小さすぎるため、マクロでの影響は限定的であるとする。表2.1 Swing Statesにおける雇用へのマクロ的インパクトは、2024年7月時点で公表済の投資計画によって追加となる雇用数の規模感を製造業雇用や雇用全体との比(2022年比での増加率)として、Swing Staes毎に計算したものである。雇用全体との比でみると、(TSMCの投資先の)アリゾナ州でこそ全雇用で8.2%と大きな増加となっているものの、他の州では1%台から、激戦州の最たるものとされたペンシルベニア州ではわずか0.1%にとどまる。産業政策が成功したと言うためには、このような直接的な雇用増だけでは足りない。真に競争力のある生産力を立ち上げる必要があり、そのためには、第一回でみたSKハイニックスのインディアナ州での人材育成のような苦闘が実を結ぶ必要がある。
 経済学者はトランプの関税措置の案に対しては、サリバンらの政策以上に批判的である。ワーウィック・マッキビン(Warwick McKibbin、オーストラリア国立大学)らは、関税は中国経済を傷つけるだけでなく、アメリカにも害を及ぼすと指摘する(McKibbin et al., 2024)。図2.7 関税政策の効果(実質GDPのベースラインからの乖離)(a)は、中国に60%の追加関税を課し、かつ中国が報復しない場合の実質GDPのベースラインからの乖離をみたものである。短期的には需要が動き、中長期的には生産が中国から離れ、アメリカだけでなく関税変更に直面しない他の国々へと移動する。GDPが最も大きく減少するのは中国である(ベースライン比▲0.9%)であるが、アメリカのGDPも減少する(▲0.2%)。なお、人民元の下落(実質実効ベースで10%)によって、当初は中国製品が他の市場で安くなるため、アメリカの中国への需要減を部分的に相殺することも勘案している。メキシコのような連結国と目される国が、利益を得ることは、図2.2でみた第一次政権の貿易戦争の結果と同様である。中国が報復する場合、中国とアメリカのGDPの減は一層拡大する(▲1.2%, ▲0.4%)。トランプは全世界に10~20%の関税を課すとも公約しており、この関税には、連結国が利益を得るのを妨げる効果がある。図2.7(b)は、全世界に追加で10%の関税を課す時のGDPへの影響をみたものであるが、メキシコが▲0.6%超の負の影響を被る。
 慎重論者のもうひとつのグループは、アメリカの相対的な力を慎重に見積もる国際政治学者たちである。ロバート・ロス(Robert Ross、ボストンカレッジ)は、バイデン政権は中国への包囲網を作りあげたが、韓国、フィリピン、台湾、ベトナムへの中国の経済的影響力を考えると、包囲網の持続可能性は疑わしいという(Ross, 2018)。アメリカは弱体化しつつあるパワーであり、中国経済に成長余力があることを踏まえると、中国を封じ込めるという困難な政策に固執するより、軍事力の再建に努めつつ、地域のデリケートなバランスを考慮した現実的な対応が必要だとする。欧州・ロシアの専門家として、オバマ政権でホワイトハウス入りした、チャールズ・カプチャン(Charles A. Kupchan、ジョージタウン大学)のほか、(次節で取り上げる)中国を専門とする国際政治学者の間には慎重な意見を持つ者が少なくない(e.g., Hass, 2024)。
(4)小括
 民主党系と共和党系の論者を比較して注意を引くのは、相違点よりもむしろ共通点である。ともに自由貿易が労働者に損害をもたらしたという、オーターらの研究以降正統なものとなった理解から、労働者のための通商政策を志向する。パートナーとの連携を重視するか、デリスキング/デカップリングという言葉遣いに相違はあるものの、目立つのはアメリカの労働者の利害への関心という共通項である。党派間の違いがあらわれるのは、サリバンらを共和党系の古典的安全保障の論者と比較する時である。競争の管理と競争での勝利では目指すものが異なる。勝利を目標とする以上、より広範で深度のある戦略を持つ必要が生ずる。古典的な安全保障からものをみる論者の方が、ライトハイザーらよりもパートナーとの連携を重視する傾向がある。第二次トランプ政権の政策は、通商、安全保障、さらには財務省が目配りする市場といった複数の動因によって動かされることになり、その力関係と組み合わせによって、様子の異なるものとなるだろう。
 民主党系、共和党系ともその主流派は地経学上の措置に積極的であるが、慎重な社会科学者たちも存在する。慎重派の経済学者も、安全保障や気候変動対策の観点から的を絞った介入を行うことを完全に否定するわけではない。ただ、バイデン政権が「新しいワシントンコンセンサス」「新供給サイド経済学」と銘打ち、製造業の広範な復活を掲げて産業政策に乗り出したことには批判があった。経済学者たちが貿易を巡る議論の現状で不満を感じていることは、中国との貿易が雇用を破壊したというナラティブが過度に強調されていることである。サマーズやローレンスの指摘を待つまでもなく、オーターらの論文自体が、製造業雇用の減少のうち中国からの輸入で説明できるのは四分の一(に過ぎない)としていたことを想起したい。イ・ワン(Zhi Wang、ジョージメイソン大学)らは、2000年から2007年の間、中国からの輸入は直接輸入にさらされた企業等の雇用を年1.98%(7年間の換算で13.1%)減らしたが、投入財の価格低下によって、経済全体の雇用はネットで年1.27%増えたと指摘する(Wang et al. 2018)。図2.8 中国との貿易が賃金に与えた影響(階層別、2000-2007年)は、階層別の賃金への影響をみたもので、貧しい層ではトータルで賃金を押し下げる力の方が優勢であるが、中間層以上ではプラスとなっている。貧しい層の状況は、チャイナ・シンドロームの厳しさの証左であるが、同時に国内での再分配を通じ、打撃を緩和する余地が実は存在していたことも示唆する*10。
 図2.8は過去を分析した結果であるが、裏返せば、トランプの今後の政策がもたらす経済的損失を示唆するものである。一次政権の貿易戦争に対し、世界経済が連結国を通じて適応してきたことを踏まえると、連結国を狙い撃つことは世界貿易全体に大きなダメージを与える恐れある。たしかに、安全保障の観点からすれば、サプライチェーンの重要な部分に中国が介在しているままでは意味がないのは事実である。サプライチェーンの強靱化が喫緊の課題である所以である。しかしながら、貿易不均衡の是正を目指して、連結国を叩きにいくのは悪手であろう。
 経済学者が市場原理から地経学上の施策をスクリーニングし、鍛えているとすれば、慎重派の国際政治学者が見極めようとするのは米中の相対的国力である。次節でみる通り、中国の台頭をどう位置付けるか、アメリカの社会科学者はひとつの観方を共有するところにまでに至っていない。これらの国際政治学者の活動を通じ、施策がより用心深く計算されたものになることを期待したい。
 これら経済学、国際政治学からの慎重論があることは、社会のあり方として健全なことである。ただ、彼らの議論に難点があるとすれば、中国の台頭に対していかに対処するのか、ポジティブなプランの提示を欠くことにある。サリバンは、バイデン政権末期(2024年10月)に再びブルキングスで講演し、前年の講演に寄せられた批判に応えようとしている(Sullivan, 2024)。彼は次のように述べている。
「私たちは、政策には選択とトレードオフが伴うことを明確に認識しています。それが政策の本質です。しかし、サルトルの言葉を借りれば、選ばないことも選択である。そして、そのトレードオフは、課題を放置する時間が長くなるほど悪化するだけです。適切なバランスを取ることが難しいと指摘して、現状に満足すれば良いとは考えられませ
ん。 …… 彼ら(論敵)もまた、これ(サリバンの政策)でないのなら、Xという答えを用意する必要があります。そして、私のみるところでは、『現状に戻ろう』という『X』では、上手くいかないのだと思うのです。私の高校のサッカーコーチの言い方を借りると、プランがあることは、プランを持たないことに勝るのです」

 サリバンによる投企(projet)が、世界史の変転を経て、良い実を結ぶことを願わずにいられない。

4.アメリカの中国観
(1)Peak China?
 アメリカの中国観の変転は著しい。サリバンによると、古いコンセンサスでは、経済統合を進めれば、中国はより責任ある国になるものと想定していた。その想定は裏切られ、いまや中国は「国際秩序を変える意図とそれを実現する経済力、軍事力、技術力を備えた唯一の競争相手」(2022年10月「国家安全保障戦略」)としてあらわれている。
 ハル・ブランズ(Hal Brands、ジョンズ・ホプキンス大学)とマイケル・ベックリー(Michael Beckley、タフツ大学)は、2020年代が米中関係の最も危険な時期(デンジャー・ゾーン)であり、アメリカは台湾侵攻の最悪の事態に備える必要があると説く(Brands and Beckley, 2022, 邦訳2023)。経済減速と戦略的包囲網に直面する中国にとって、時間が味方だった環境は急速に変わりつつある。台湾統一の「機会の窓」が閉じる前に行動しないと間に合わないという焦りが生じ、このことが侵攻を誘発する恐れがあるという。彼らは、このようにして起こる戦争をピーキングパワーの罠と呼ぶ。覇権国が新興国の台頭を恐れて戦争となるトゥキュディデスの罠(Allison, 2017)よりも実際の米中関係に妥当するとし、歴史的な事例として、第一次大戦のドイツ、第二次大戦の日本を例に挙げる。ブランズとベックリーは危機の2020年代を熱い戦争なしでしのぐことを当面の課題としつつ、その後も米中緊張は数十年ほどつづくと展望する。
 ブランズとベックリーの議論には、中国を専門とする国際政治学者たちから批判が出ている。ライアン・ハス(Ryan Hass、ブルキングス)、テイラー・ファーベル(Taylor Fravel、MIT)、ジェシカ・ワイス(Jessica Weiss, コーネル大学)らである(Hass, 2024; Fravel, 2023; Weiss, 2023)*11。彼らは、中国の首脳自身が「東洋が台頭し、西洋が衰退する」と述べ、中国がピークを迎えつつあるパワーであるとは認識していないと指摘する。また、中国の首脳は自らの権力の維持を最優先としており、リスクテイカーであるとは思わないという。そして、米中関係がデンジャー・ゾーンにあるという議論そのものが中国を挑発し、戦争が自己実現的に起きてしまうことを懸念する。このような指摘に対しては、ブランズとベックリーも首脳のステートメントを引用することで反論できる。習近平は、中国は包囲されており、「迫りくるリスクと試練」のなかにあるとの認識を示し、人民に対して自己犠牲を求め、闘争に備えるよう求めている*12。ステートメントは、困難の後にユートピアが到来するというマルクス主義的発想を思わせ、長期的な目標への確信と現在の苦難が組み合わされ、このことが攻撃的行動を生むことを懸念するという。
 中国がピークを迎えつつあるパワーであるという評価についてはどうか。ブランズとベックリーは、中国の台頭を支えた幸運が反転し、1)人口大災害、2)枯渇する資源、3)制度機関の衰退、4)厳しさを増す地政学的環境、5)中国経済の泥沼化という困難に中国が直面していると指摘する。折しもコロナ禍明けの中国経済の回復が期待ほどではなく、不動産部門の困難が顕在化した2023年夏頃から、にわかに中国経済への悲観論がアメリカの経済学者の間で強まった。ポール・クルーグマン(Paul Krugman、ニューヨーク市立大学)は、中国政府の恣意的な介入の傾向が、民間の主導権を阻害しているという(Krugman, 2024)。クルーグマンは、過小消費・過剰投資という中国の経済モデルが行き詰り、バブル崩壊後の日本よりも深刻な困難に陥ると警鐘を鳴らす。恣意的介入が民間の活動を阻害すると指摘するのは、アダム・ポーゼン(Adam Posen、PIIE)も同様で、彼は中国の経済的奇跡は終わったと断じた(Posen, 2023)。デレク・シザーズ(Derek Scissors、AEI:American Enterprise Institute)は、中国経済の問題は最近に始まった問題ではなく、競争促進と財産権保護のための改革の欠如という、長年の政策選択の誤りに由来すると指摘する(Scissors, 2023)。これらの経済学者に通底する認識は、専制と高度に発展した経済は両立しないという理解である。そのような考えを早くから打ち出していたのが、MITのアセモグルらである(Acemoglu & Robinson, 2012)。アセモグルらは、国が繫栄するには、市民の政治参加と財産権の保護を担保する包括的政治・経済制度を備える必要があると指摘した。収奪的制度を備える国は衰退するとし、中国の成長はしばらく続くかもしれないが、持続的成長には繋がらないと予言した。その後、彼らの予言は当たらなかったと批判されてきたが、近年の中国政府による民間企業叩きなどをみて、アセモグルは意を強くしている(Acemoglu, 2022)(中国の官民関係については、コラム2.2を参照)。
 他方、これらの中国がピークを迎えつつあるという見方に反対する経済学者もいる。中国専門の経済学者ニコラス・ラーディ(Nicholas Lardy、PIIE)は、中国経済は成長を続けており、中国を過少評価してはならないと指摘する(Lardy, 2024)。ラーディは、最近の消費の落ち込み、デフレ傾向の定着、民間投資の低迷などの指摘にも関わらず、統計を適切に解釈すれば、実体経済が底堅いことが分かるという。例えば、不動産部門を除けば、2023年の民間投資は10%近く増加したとし、ドル建ての名目GDPは10年以内にアメリカを超える可能性が高いと主張する。マーティン・ウルフ(Martin Wolf、FT)は、「We shouldn’t call ’peak China’ just yet(「Peak China」と呼ぶべきではない」)と題した記事で、2022年にポーランドの半分の水準にとどまる中国の一人当たりGDP(購買力平価ベース)がポーランド並みとなるだけで、中国のGDPはアメリカの倍以上になると指摘する(Wolf, 2023)。上述した国連の見通しでは、2050年の中国の人口が12兆6,000万人であるのに対し、アメリカの人口は増加するとはいっても、同年で3兆8,100万人に過ぎない。規模の影響は大きいのである。

コラム2.2:中国の官と民
 社会主義国である中国の目覚ましい発展をみると、中国の官と民の線引き、力関係はどうなのだろうと思い悩む。この疑問を考える材料となる研究として、1)企業の資本関係を再精査した研究と、2)優秀な人材の行先から官民関係を示唆する研究を取り上げる。
 フランクリン・アレン(Franklin Allen、インペリアル・カレッジ)らは、中国企業の登録、所有に関するデーターベース(State Administration for Industry and Commerce等による)から、所有権に基づいて企業の樹形図を作成し、実質的な所有者を分類し直している(Allen et al., 2022)。表2.2 中国の国有企業(SOEs、全4,000万社中)の示す通り、(曖昧さや報告の誤謬という欠点のある)従来の尺度では、中国には39万1,000社の国有企業(SOE:State owing Enterprises)があるとされてきたが、中国の登録企業4,000万社すべてに関する新たな分析によると、36万3,000社が100%国有企業であり、62万9,000社が30%国有企業であり、86万7,000社近くに少なくとも何らかの国の持ち分が入っていることが分かった。国有企業の総資本は、2017年には全企業(4,000万社)の総資本の約68%にまでのぼったという。従前の理解よりも、国有企業の存在感が大きいことが読み取れる。ただ、このうち、中央政府が所有する割合は減少し、地方政府が所有する割合は増加している。また、政府との資本関係がより緊密な企業はより成長が速いが、資本関係がより遠い企業よりも収益性や効率性で劣る傾向があることも明らかになったという。
 優秀な人材の就職先は、その国の社会経済的な力の在り処を示唆する。バイ・チョンエン(Bai Chong-En、清華大学)らは、何百万人という大学入試の成績と就職先や企業レベルのデータをマッチングさせることで、中国で最も優秀な人材は起業する傾向が低いことを見出している(Bai et al., 2024, Economic Journal)。入試のスコアが1標準偏差分高いと、STEM(科学・技術・高額・数学)分野の学生で起業する者は13%減っていた。高い能力を持つ者はサラリーを得る部門、特に国に引き寄せられていた。ただし、能力の高い者が起業した企業はより早く成長し、上場する傾向があることも分かった。彼らの研究は、国がダイナミックで革新的な部門から人材を引き離していることを示唆する。
 これら二つの研究は、アメリカ人の目線からみると、中国がアメリカとは異なる官の存在感の大きな社会であるとの印象を与えるだろう。

(2)中長期的な中国の姿
 アメリカの社会科学者は中国の中長期的な姿をどうみているのか。人口減少、高齢化にとどまらず、人口の質の面でも中国は他国にない問題を抱えていると指摘する論者がいる。
 中国の人口は2022年からすでに減少に転じている。今後の動きを国連の予測でみると、2023年に14兆2,300万人の人口が、2050年には中位推計で12兆6,000万人まで減少する(UN, 2024)。合計特殊出生率は1970年代おわりには3.0を切り、2023年には1.0まで下がっている。人口の高齢化も進む。2020年で12%の高齢化率(65歳以上の人口比率)が2050年までには30%を超える。中国は1970年代から産児制限を設ける努力をはじめ、1980年から35年間にわたって一人っ子政策を強制的に実施した。マーティン・ホワイト(Martin Whyte、ハーバード大学)によると、一人っ子政策を主導したロケット学者の宋建はマルサス主義に影響されていた(Whyte, 2023)。バート・ホフマン(Bert Hofman、シンガポール国立大学)は、中国の人口問題は運命ではないという(Hofman, 2023)。ホフマンは出生率を反転させる試みは困難であることを受け入れつつも、早期退職の見直し、教育投資の水準の引き上げを提案する。進展がみられないわけではない。退職年齢については、長らく待たれていた引き上げがようや動き出す。2024年9月、全国人民代表大会常務委員会が、法定退職年齢を15年かけて段階的に引き上げることを決めたところである(男性:満60歳から満63歳、女性:満50歳および満55歳からそれぞれ満55歳および満58歳に引き上げ)。
 他方、人的資本の改善の取り組みは遅々としている。スコット・ロジール(Scott Rozelle、スタンフォード大学)は、表2.3 各国の高校レベルの教育修了率(全労働力人口に占める割合, %)(2015年)が示す通り、中国の労働ストックのうち高卒の教育水準に達した者の割合は30%に過ぎないと指摘する(Rozelle, 2020)。OECD加盟国の平均の78%に遠く及ばず、比較的最近の年齢コホートでも、高卒率は5割台にとどまる(2015年センサス)。人的資本の欠如はマクロ的な成長力の制約となり、経済のサービス化に必要なホワイトカラー層の創出を阻害する。他方、中国には高度な教育を受けた人々も存在する。中国の格差は、ジニ係数でみて1980年以前の0.3からすでに0.5を超える水準に上昇している。ホンビリ・リー(Hongbin Li、スタンフォード大学)らは、1988年から2018年の間で、トップ0.1%の所得は年12%増えたが、底辺の5%では年4.9%の上昇にとどまったことを明らかにしている(Li et al., 2023)。中国政府は共同富裕のスローガンを掲げているが、実体を伴わないとの指摘が多い。さらなる格差の拡大や、特に下位層の待遇の改善が滞ることになると、社会に緊張をもたらす恐れがある。青年期を過ぎると、人的資本はほぼ固定してしまうが、ロジールによると、目先の利益の乏しい長期的投資という性格から中央・地方政府は教育の改善を先送りしている。デズワン・フー(Dezhuang Hu、武漢大学)らは、中国の家計の代表的サンプルを用い、中国の家計の教育支出が年間支出の7.9%にも上ると指摘している(Hu et al., 2023)。この数値は、韓国5.3%、日本2.2%、アメリカの1.8%に比べて突出して高い。中国の家計は教育費にあえぎ、さらなる負担の余地は限られる。フーコー(戸籍制度)が教育の普及の障害となっていると指摘するのが、ホワイトである(Whyte, 2019)。農村部の者が都市にやってきても、都市の社会的保護の対象にならず、その子女は都市の学校に入ることができない。親元を離れて農村に送り返されているが、農村での教育の機会は限られている。18歳までの子どもの70%以上が農村フーコーの保持者であるという。フーコーは無秩序な都市化を制御する機能を果たしてきたものの、いまや経済的にもマイナスの方がずっと大きいという。
 過少消費・過大投資という足許での経済モデルの行き詰まりにとどまらず、人口動態に由来する問題が今後険しさを増すなか、中国社会のなかで生まれつつある緊張を示唆するのが、ロジールとホワイトらの調査である(Alisky et al., 2024)。2004年、2009年、2014年とホワイトが実施した中国の人口の代表的サンプルに基づく社会意識調査を、彼らは2023年に再度実施している(n=32,625, 29省)。表2.4 ある人々の貧しい理由は何か(大きな影響、非常に大きな影響があると答えた者の合計、ランキング)は、貧しい人たちはなぜ貧しいのか、その理由を訊いたところ、理由として挙がった項目のランキングを取ったものである。2023年の調査は2014年までとは明らかに回答傾向が変わっている。以前は能力や努力の欠如に求められてきた貧困の理由が、最近ではコネクションや家族的背景に求められるように変わった。表にはないが、富裕な人たちが富裕である理由についても、同様の変化がみられる。表2.5 過去、将来との比較(回答者の割合(%))は、5年前と現在、現在と5年後の家族の経済状況が改善した(する)か、悪化した(する)かを訊く質問への回答状況である。2014年までの調査に比べ、良くなった(良くなる)という者が減り、悪くなった(悪くなる)という者が増加に転じている。ロジールとホワイトらは、不公平に対する民衆レベルでの怒りが爆発する水準にまで高まっているとはみていないものの、生活水準を持続的に引き上げるという共産党の指導の正統性が掘り崩されつつあるとみる。
(3)「我慢すること」...ができるか
 社会科学者の間で交わされている中国がピークを迎えつつあるかという論議をどうみればよいのだろう。国際政治学者の間の議論は、中国の首脳の自国の発展/停滞に関する主観的認識に関わるものである。双方の論者が都合のよいステートメントを持ち出すことが可能で、外部からその適否を判別することは至難である。首脳のリスク選好の判定についても同様の困難がある。トゥキュディデスの罠か、ピーキングパワーの罠かという議論は、国際関係論の論争としては興味深い。米中関係の解釈の幅を広げたという功績は認められてもよい。ただ、実践的な意味を過大に求めるものではない。米中関係の帰趨の決した50年後の歴史家は、いずれが正しい理論であったのか論文を書くことができるが、歴史の渦中にいる当事者のなすべきことは、ピーキングパワーの論にシンパシーを感じていてもいなくても相違はない。すなわち、費用対効果に基づき、抑止力の構築に力を注ぎつつ、その努力に相手がどう反応するのか冷静に考え抜くことであろう。その際、中国の首脳が自国をピークを迎えつつあるパワーと認識しているかどうかは、与件ではなく、ベイズ更新的に都度推測するほかない。そして、その認識が中国の行動の動因となるという理論上の想定はひとつの仮説として括弧に入れておくのが相当である。
 経済学者の間の論争は、かみ合っていない感がある。ワシントンでポーゼンとラーディの間の討論が企画されたことがある(PIIE, 2023)。ポーゼンが中国の経済モデルの行き詰まりを指摘するのに対し、ラーディは足許の経済指標の解釈に注意を集中している。ポーゼンやクルーグマンらの述べる通り、たしかに中国経済の奇跡の時代は終わったし、経済学の訓練を受けた筆者も、専制が高度な経済発展と両立しないというアセモグルの説に親近感をおぼえる。その仮説を検証することは、経済学者にとって興味をそそるプロジェクトである。
 しかしながら、中国の人口規模を考えると、ラーディのいう通り、依然として中国がアメリカを抜いて世界一の経済大国となることはありうる。ただし、先にみた中国のGDPがアメリカの倍以上になるとのウルフの計算は、購買力平価ベースに基づくという仕掛けがあることには注意を要する。購買力平価ベースでは、中国は現時点でもすでに世界一の経済大国なのである*13。日本経済研究センター(2023)は、中国の実質成長率は2029年以降2%台にとどまり、米中逆転はほぼ不可能と予測している。名目ベースで、ウルフ流に直ちに中国の一人当たりGDPがポーランド並みになるとした場合、中国のGDPはアメリカをかろうじて(一割程度)上回る計算になる*14。米中ともに今後の政策による変動の余地があり、米中の相対的経済規模について、その都度予測することはできても、予言することまではできない。ただ、少なくとも、民主主義を世界に広めるアメリカの使命(destiny)を信ずるとしても、アメリカが長い困難を堪えなければならないのは間違いない。
 脅威は規模だけではない。「製造2025」などの政策努力の甲斐があってか、すでに多くの産業や技術で中国は高い競争力を持っている。競争力の背後には人材がいる。スコット・ケネディ(Scott Kennedy、CSIS)は、アメリカによる技術的遮断は半導体など一部の分野での中国の技術進歩に拍車をかけるという逆効果になっているという(Kennedy, 2024)。人材は再生産のエコシステムを備えており、歴史の見通しの効く範囲で、産業や技術の先端を巡る熾烈な競争の中心に中国が位置し続けるのは間違いない(中国の産業政策については、コラム2.3を参照)。
 ブランズとベックリーでさえも、危機の20年代の後も数十年間、米中は対峙しつづけると指摘していたことを思い出したい。一部が先進化した、巨大な中所得国という中国の将来像を一層複雑化するのが、人口の質を含む人口動態の歪みである。コロナ禍を経て、中国国内での社会満足度が低下に転ずる兆しがある。硬直的な政治制度のもとで、社会を安定的に運営することができるか、火山(volcano, Martin Whyte)の爆発をみることになるのか、社会科学者たちは目を凝らしている。「我慢すること」。ブランズとベックリーは、アメリカが長期戦に備えて保持すべき原則のひとつをこう表現している。問題は、アメリカが我慢を持続することができるかということでもある。

(次号につづく)

コラム2.3:中国の産業政策
 中国の産業政策が成功しているとのナラティブが流布している。このことが、産業政策を真似したり、不正なものとして批判したりすることが流行する源にある。本当に中国の産業政策は上手くいっているのか。
 リー・ブランズテッター(Lee Branstetter、カーネギーメロン大学)らは、2007年以降、中国政府が上場企業に対し、政府からの直接補助金を公に報告することを義務付けていることを利用して分析したところ、産業政策に否定的な結果を得ている(Branstetter et al., 2023)。図2.9 政府による直接補助の推移(企業タイプ別)の示す通り、2008年から2018年の間に、補助金は40億ドルから290億ドルに増加していたが、補助金支給の最も重要な決定要因は、生産性ではなく企業規模の大きさであった。補助金を受給することは、企業の生産性の伸びを低下させ、その後の研究開発費の伸びはわずかであったという。補助金受給は雇用水準の上昇と関連していたが、これは補助金獲得のために雇用者数を操作している可能性があると指摘する。ブランズテッターらは、中国における補助金の配分においては、政治的・社会的配慮が効率性よりも優先されていた可能性があると結論づけている。この研究に基づき、ブランズテッターは、産業政策を重用してアメリカを中国のようにすることは、アメリカにとって自滅的であると警告する(CSIS, 2024)。
 ブランズテッターらの研究は、中国の産業政策が資源配分の最適化という意味では成功していないことを示唆するが、一定の戦略目標を達成しうることまで否定するものではない。マーティン・ベラジャ(Martin Beraja、MIT)らは、AI-Tocracyと題した論文で、政府の関与が中国でのAIの発展に寄与したと指摘している(Beraja et al. 2023)。従来の考えは,恣意的専制のもとで技術革新は道を誤るという考えであった。彼らは、1)技術革新の成果が専制を維持する蓋然性を高めること、2)専制による技術革新への投資が、単なる政治的用途を超えた広範な技術革新を生むこと、という二つの条件を満たす時、専制のもとでも技術革新の先端を維持することが可能だと論ずる。ベラジャらは、このようなメカニズムが実際に働いていることを、中国のAI(監視技術)を例に実証した。
 ベラジャらは、AI企業との政府調達契約に関する包括的なデータ、および2010年代初頭以降の中国全土の社会的騒擾に関するデータを収集・分析した。その結果、1)専制的政府がAIから利益を得ていることを示した。すなわち、地域の騒擾は、当該地方政府による顔認証AIの政府調達の拡大につながり、AI調達の拡大は騒擾の発生を抑制していた。また、2)専制による騒擾の抑止が、AIのイノベーションを促していた。すなわち、政府契約したAI企業は、政府向けのみならず、商業向けでもイノベーションを起こし、その製品が輸出される蓋然性が高まっていた。これらを総合すると、AIのイノベーションは体制を安定化し、AIへの投資が一層の先端の技術革新を刺激するという補完的関係がみられる。専制とイノベーションが強め合う関係を背景として、ベラジャらは、中国はアメリカよりも多くの国にAIを輸出し、輸出先には専制国の割合が高いと指摘する。専制とイノベーションのこの関係は、かつてのソ連の航空宇宙技術、帝政ドイツの化学産業でもみられた関係であると、彼らは指摘する。
 ベラジャらのより直近の論文Government as Venture Capitalists in AIでは、過去10年間、国・地方政府のVCがAIに年9,120億ドルを投じ、この規模はアメリカ政府の全ての年間の産業向け支出に等しいとする(Beraja et al., 2024)。政府VCは民間VCよりも地方に厚い。また、政府VCが投資し、民間VCが後を追う展開がみられ、政府VCが一定の情報生産機能を発揮していることを示唆する。

*1) 前在アメリカ合衆国日本国大使館公使(2021年5月~2024年7月)。博士(経済学、一橋大学)。なお、本稿のうち、意見にわたる部分は個人の見解であり、組織を代表するものではないことをお断りしておく。
*2) 以下、「(2)安全保障環境の変化」までの執筆に際し、北村(2022)、玉井・兼原(2023)を参照した。
*3) 貿易戦争後、メキシコやベトナムへの対中輸出が増えていることも報告されている(Alfare and Chor, 2023)。
*4) 世界の財貿易のGDP比は、1947-1952年では14%に過ぎなかったのに対し、2019-2023年には44%にもなる(Gopinath et al., 2024)。
*5) 筆者と懇談した際、グリアは、ライトハーザーの下で働いた時期のことを教育的で素晴らしいものであったと述べ、ライトハイザーの著書を、今後の通商政策を考える際の必読の書であるとした。
*6) この点、グリアもCHIPS・科学法を支持するとしている。
*7) 2024年11月25日、トランプは、2025年1月の就任後に中国からのほぼすべての輸入品に10%の追加関税をかけると表明した。トランプの発表では、10%の関税を麻薬密輸と関連付けており、貿易政策との関連は不明である。
*8) トランプは、2024年11月25日、メキシコとカナダに対して、就任初日に25%の追加関税を課す命令を出すと表明した。ただ、この発表も関税を移民や麻薬問題と関連付けており、貿易政策との関連は不明である。
*9) 全世界に一律で関税を課す際には相対的に法的ハードルが高い。CRS(2024a)が国際緊急経済権限法(IEEPA)の活用を示唆するのに対し、川瀬(2024)は1974年通商法122条を示唆する。
*10) オーター自身、格差問題を論ずる際、貿易もさることながら、オートメーションに力点をおいた説明をしている(Autor, 2019)。また、再配分について、人材の円滑な移動に資する職業訓練がアメリカで手薄であることを問題視する(MIT News, 2021)。
*11) 彼らは、前節の議論でいうと、慎重論者の一翼を担う論者でもある。
*12) Brands and Beckley, 邦訳2023, p59.
*13) 購買力平価でのアメリカの一人当たりGDPは73,64千ドル(2023年, Trading Economics)で、これに足許の人口をかけた、GDPは246.68兆ドル。他方、中国の購買力平価での一人当たりGDPは22,37千ドルで、これに足許の人口をかけた、GDPは318.28兆ドルとなり、すでにアメリカを上回る。なお、ポーランドの購買力平価での一人当たりGDPが41,710千ドルであるから、ポーランドの数字を用ると、中国のGDPは593,53兆ドルとアメリカの2.4倍となる。
*14) 名目の一人当たりGDPは、中国で12.97千ドル、ポーランドで23.56千ドル、アメリカで86.60千ドル(2024年、IMF)であり、中国がポーランド並みになると、そのGDPは335.26兆ドルとなり、アメリカの290.11兆ドルを1割程度上回る。