フィナンシャル・レビュー「21世紀の課税と納税」の見所 責任編集者 増井良啓教授に聞く
財務総合政策研究所 総務研究部 研究員 酒井 花野
財務総合政策研究所(以下、「財務総研」)では、年4回程度、「フィナンシャル・レビュー」(以下、「FR」)という学術論文誌を編集・発行しています。今月のPRI Open Campusでは、6月に刊行された、「21世紀の課税と納税」をテーマとしたFR第156号について、責任編集者を務めていただいた増井良啓東京大学教授にインタビューを行い、どのような問題意識に基づく特集なのか、それぞれの論文の読みどころなどについて、「ファイナンス」の読者の皆様に、わかりやすく紹介していきます。
コラム フィナンシャル・レビューとは
財政・経済の諸問題について、第一線の研究者や専門家の参加の下に、分析・研究した論文を取りまとめたものです。1986年から刊行を続けており、2022年12月には通巻第150号を迎えました。
[プロフィール]
増井 良啓 東京大学大学院法学政治学研究科教授
東京大学法学部卒業後、東京大学法学部助手、助教授を経て、2003年より現職。この間、ウィーン経済大学、ニューヨーク大学、シドニー大学、シンガポール国立大学、税務大学校などで客員教授。専門は租税法。
1.本特集号を企画・編集するにあたっての動機や問題意識
最初に、本特集号を企画・編集するにあたっての動機や問題意識について教えてください。特に、今回は「税務執行」という観点から各論文が書かれておりますが、その観点からは、昨今加速するデジタル化・グローバル化の動きについて、どのようなことに注目すべきであるとお考えだったのでしょうか。
まず問題意識です。「人はなぜ納税するか」は、実はとても不思議なことです。と言うのも、国の公共財提供と人々の納税との間には直接の対価関係がありません。コンビニで牛乳を買うために対価を払うのとは違って、納税は負担として意識されます。にもかかわらず、多くの人は自発的に納税する。なぜでしょうか。
この特集ではとても広い意味で「税務執行」という言葉を使っており、租税制度を現実に動かす作用を広く指しています。ですから、税務行政だけでなく、取引環境や納税環境、納税行動を幅広くカバーしています。
この中で注目すべき動きはいろいろありますが、デジタル化により納税環境が変化し、そしてそれが国境を越えていることが、特に注目すべきことだと思います。例えば令和6年3月の税制改正でも、国外事業者が特定プラットフォーム事業者を介して行う電気通信利用役務の提供につき消費税法を改正しました。
本特集号では、序文にもあったように、税務執行が多面的かつ複雑な対象であるとした上で、各論文において、研究対象とする各制度の抱える問題について、歴史的な背景にも焦点を当てていたところが印象的でした。
特に、増井先生の執筆された「納税協力と非協力」という論文においては、FTA*1の報告書について、過去100本以上の報告書を整理されていましたが、税務執行のあり方について考える上で、このように歴史的な変遷をたどることの重要性について、お考えを伺えますでしょうか。
歴史はとても大事ですよね。
税務執行の歴史は政治共同体の成立にはじまります。スタンフォード大学のマーガレット・レヴィ教授の書物は、古代ローマの徴税請負や、18世紀末英国の所得税創設などを素材にして、「準自発的コンプライアンス(quasi-voluntary compliance)」という概念を当てはめて説明しようとしています。*2
日本でも歴史上いろいろなことが起こりました。明治初年に地租改正が行われた際には農民暴動が起きました。第二次世界大戦直後には税務行政が大混乱しました。このように多くの試練を乗り越えてきています。こういった歴史を踏まえてこそ、どういう条件が揃えば税制が成功するのか、あるいは失敗するのか、ということを検討できる。だからこそ、歴史は大切です。
私自身の論文は、たかだか20年という短い期間における特定領域の文献をさらったに過ぎません。それでも、この間に各国課税当局のアプローチが目に見えて進化してきたことがわかりました。
2.各論文の読みどころ
本特集号においては、テーマである「21世紀の課税と納税」について議論するにあたり、「法の支配」、「貨幣」、「国境」、「法の遵守」の4つの観点が挙げられていますが、これらの観点を挙げるに至った過程について、伺えますでしょうか。
その上で、各論文の読みどころについて、ご紹介いただければと思います。
税務執行という、とても広く定義した大きな傘の下で、見識の高い方々がそれぞれ問題・関心を持ち寄った結果、今回の4つの観点のようなまとまりが自然にできてきました。こういったまとまりは、問題意識の共有にはじまり、研究会の継続的なオンライン開催、論文検討会議における活発な質疑応答、といった機会があって初めて具体化したものです。財務総研のスタッフの皆さまや、執筆者の皆さま、ゲストとしてお越しくださった皆さまのおかげで、多大なインスピレーションが得られました。東京大学の藤谷武史教授には全体を通じて伴走していただきました。お世話になった皆さまに、この機会を借りてあつくお礼申し上げます。
各論文は、こういった過程を経て、それぞれの執筆者の責任で取りまとめています。
巽論文は、法の支配の観点から、憲法原則である合法性原則について、課税庁の調査義務の限界という新しい視点を打ち出しています。
行岡論文は、貨幣の観点から、私的主体が発行する貨幣の価値の安定性確保につき、論点を整理し、ステーブルコインに関する規制のあり方を問い直しています。
大野論文は、貨幣および国境の両観点にまたがるもので、EUの暗号資産取引に関する当局間情報交換を検討しています。日本では令和6年度税制改正で非居住者暗号資産取引情報報告制度が法制化されましたが、これに先行するEUとの比較を可能にしています。
藤原論文は、国境という観点に関するもので、EU付加価値税の課税権配分について欧州司法裁判所の動向を中心に論じています。
中村論文は、国境および法の支配の観点に関わるもので、二つの柱から成る新たな国際合意について、紛争解決の面で多くの課題が残っていることを具体的に示しています。
野田論文は、法遵守の観点から、重要性を増しているマネロン対策と税務の交錯領域の課題を浮き彫りにしています。
それぞれが力作で、読みどころのある論文となっています。
3.政策担当者や一般の読者に伝えたいこと
本特集号でも注目されているデジタル化ですが、今後税務執行を確実に行うために、行政はさらなる社会的基盤(例えばe-Taxのようなインフラや、法人の電子申告の義務化といった法整備)を整えていく必要があるかと思います。
今回の特集号を通じ、政策担当者に対しては、どのようなことを期待されていますか。
税務執行については、新しい議論が続々と登場しています。政策担当者の皆さまには、まずはそのことを共通認識としていただきたいです。
例えば、去年の6月に政府税制調査会が出した答申には、納税環境整備について論じている箇所があります。そこでは、OECDの「税務行政3.0」という報告書が引用され、納税手続きが事業者の日常業務の中にシームレスに組み込まれるという将来像について言及しています。*3
こういった将来像を実現するためには、確定申告の時点だけを見ているのでは足りず、日々の取引情報をリアルタイムで共有するインフラが必要になってきます。そこまで進めていくためには、セキュリティの確保や営業秘密の保護といった、法制面でクリアすべき課題が多いところです。さらにそれらは国境を越えて生ずる課題でもあるため、議論すべきことはたくさんあります。
次に、少し角度が変わりますが、政策担当者に限らず、税務執行に関わる皆さまに対しても、期待したいことがあります。
私の取り上げたFTAの報告書は100本以上ありますので、これらを通覧して何がどう論じられてきたかを全体的にご覧になった方は、あまりいないのではないかと思います。ですが、読んでみるといろいろと良いことが書かれています。
例えば、アウトカムとアウトプットの違いです。このことを税務調査の例で申しますと、アウトプット指標の典型が増差税額で、税務調査を行った結果、いくらいくらの税額が過少申告されていたことが判明した、というものを指します。これに対してアウトカムというのは、納税協力を改善すること自体を意味しています。このようにアウトカムとアウトプットは違うわけですが、FTAの報告書は、当座のアウトプット最大化よりも、むしろ納税協力の改善というアウトカムの方がより重要な目標なのだと明言しています。
100本以上ある報告書の現物を読むことは大変かもしれません。しかし、私の要約をちらっと見るのは簡単です。お忙しいこととは存じますが、ご覧いただく機会があれば幸いです。
税務執行の重要性というものが、本特集号では繰り返し強調されますが、一般の国民の間にはまだあまり浸透していないように感じます。納税者に対して、税務執行の重要性を当事者として意識してもらうには、どのようなアプローチが必要だとお考えでしょうか。
確かに、国民一般ということになりますと、必ずしも十分に税務執行の重要性が浸透していないのではないかという感じがします。もしかしたら違う感じをお持ちの方もいらっしゃるかもしれませんが、大学で租税法を講じてきた私の経験からはそう感じます。
なぜかと言うと、日本の所得税については、精密に源泉徴収制度が作られていて、言わば世界に冠たる申告不要制度が整備されている。そのため、多くの国民は、税務署と直接的に関わることなく、給与や預金利子から源泉徴収されるだけで納税が完了します。他方で消費税は事業者が納税しますし、法人税は個人が納税するわけではありません。
この状況はとても効率的で、良いことがたくさんあります。その一方で、人々の間で税務執行が「我が事」であると感じられる局面が限られるということでもあります。そういった状況ですので、この特集号のような専門的な議論が、すぐさま国民の間で一般的に広く読まれるというところまでは行きにくいかもしれません。
ではどのようなアプローチが必要か。
まずは、それぞれの専門的関心を有する皆さまに届けば良いなと思います。例えば、暗号資産に携わっている方であれば、行岡論文や大野論文をご覧いただきたいです。国際税務に携わっている方であれば、藤原論文や中村論文をご覧いただきたいです。あるいは、税理士の先生方には、巽論文や野田論文を読んでいただきたいです。
そうする中で、読者層が徐々に広がっていって、私たちの社会一般にとって税務執行が大事な「我が事」であると感じる人が増えていけば良いと思います。
納税協力の改善というアウトカムを重要視すべきとのことですが、そもそも、納税協力に対する姿勢や意欲といったものには、国や地域ごとに差があるように感じます。
納税協力に対する人々の意識の差は、何によって生じるものだとお考えでしょうか。
これは本当に面白い問いですね。
ある国では納税協力の意識が高くて、別の国では低い。こういう現象がなぜ生ずるか。まさに重要なパズルです。
また、同じ国の中であっても、歴史的に状況が変化する。内乱の時代には政府不信が強まり、租税抵抗が激化します。何が時代による変化を説明するか。これも極めて興味深い問いです。
納税協力については、極めてざっくり言うと、二つの流れの考え方があるように思います。まず一つは、合理的経済人の仮定から、納税協力しない場合のサンクションを考慮して、合理的な損得計算をしたらこうだ、という形で説明する流れです。もう一つは、おっしゃったような、意欲とかモラル、社会規範などで説明する流れです。これは、政府に対する信頼とか、「周りの人がやっているから自分もちゃんとやるけれどそうでなければやらない」といった互酬性論理などの流れです。
後者を考慮に入れなければならないところが一筋縄では行かないところです。伝統的な合理的効用計算モデルだけで説明が難しいという点にはかなり広い合意があります。私の見るところ、おそらく行動経済学でも完全な説明は困難です。「人はなぜ納税するか」というのは、それだけ深い問いなのでしょう。
私は法律家なので、人がどうして法を遵守するのかということ自体、本当に不思議なことだと感じます。税務執行や納税行動に関する検討を突き詰めていくと、なぜ法が守られるかとか、なぜ私たちの社会秩序がこうなっているかといった、根源的なところへ行き着きます。
正直申しまして、「税務執行」という言葉で普通に了解される範囲だけからは、なかなかこの面白さが伝わらない。まだまだ理解されにくい段階にあると思います。本当は税務執行の世界にはこういった根源的なところがありますので、そのことがもっと広く知られるようになると良いなと思います。
4.本特集号に関する今後の課題
増井先生は平成14年にも「税務執行の理論」という論文をFRに寄稿してくださっています。その論文の中では、今後重要になると予想される制度的な課題について、今回も言及のあったITの普及やグローバル化といったものの他に、高齢化や地方分権の進展についても触れられていました。
これらは現在も社会にとって大きな課題であり続けていますが、この20年間に、税務執行に対して、どのような影響を及ぼしたとお考えでしょうか。
20年前に論文を寄稿した時の私はずいぶん若く、少子高齢化のインパクトを現在ほどは実感できていませんでした。しかし、自分自身が高齢化してくると、技術進歩にキャッチアップするのが大変です。
去年の6月の政府税制調査会の答申には、こういうくだりがあります。
税務手続のデジタル化の推進に当たっては、デジタルに不慣れな納税者も含めあらゆる納税者に対して効率的で使い勝手の良いサービスや必要なサポートを提供するなど包摂的な税務行政の運営が重要である*4
包摂的な、つまりあらゆる納税者を包み込む納税サービスというのがポイントで、ここには当然高齢者も含まれます。
また、地方分権についても、今回の特集号で論じていない課題がいくつもあります。その一つが地方税の執行です。固定資産税は訴訟がとても多く、市町村の評価事務について多くの課題が指摘されています。今後、適切な機会に検討していく必要があるかもしれません。
増井先生は「税務執行の理論」において、エリック・ポズナー氏のシグナル理論に基づく、社会規範の税務執行への作用について、今後の理論的な展開が期待されるとしていましたが、現在では、税務執行におけるシグナリング*5について、どのようにお考えでしょうか。
先にもお話しした通り、人々の納税行動は、サンクションと利得を天秤にかけるモデルだけで説明することは難しいです。この点についてシグナル行動モデルを用いて説明しようと試みたのが、2000年のエリック・ポズナー論文でした。*6
彼の論文が出てすぐ、同業者から多くの反論があり、弱点が明らかになりました。善人のシグナルとして納税行為が機能するには、どれだけコストをかけて納税しているかが万人に対して明らかにならなければいけません。しかし、納税情報は多くの場合は機密です。観察可能でないものが、シグナルとして機能するかどうか。これが彼の論文のアキレス腱で、弱点を鋭く突かれて、議論が立ち消えたように見えていました。
ですがより最近の文献は、ピンポイントで見れば、納税行動がシグナルとして機能する局面があることを示しています。
例えば、消費税法の事業者です。課税事業者になるというのは見える形でできます。事業者が、本当は課税事業者にならなくても構わない状況であるにもかかわらず、わざわざ課税事業者になることを選択するといったケースです。信用や評判のためですね。こういったケースでは、課税事業者になることがシグナリングであると言えそうです。
というわけで、納税協力との関係では弱点を突かれてしまったシグナル行動モデルも、ピンポイントで適用可能な素材を探していけば、まだまだ深まっていく余地もあるのではないか。こういう手探りの状態が続いている、というのが私の見立てです。
本特集号の成果を踏まえた上で、今後の税務執行に関する研究について、注目すべきトピックは何であるとお考えでしょうか。
また、今後の研究の発展に期待したいことについても、伺わせてください。
継続して注目していきたいトピックはいろいろあります。
先ほどご紹介した合法性原則との関連では、「協力的コンプライアンス」という枠組みの国際比較です。あるいは、貨幣との関連では、キャッシュレス化の税務執行上の意味です。また、国際課税との関連では、どのように実効的な紛争処理の仕組みを作っていくかです。このように、注目すべきことはたくさんあります。
税務執行については、外国でも多くの研究者が取り組んでいます。歴史的、理論的研究だけではなく、経験的証拠に基づく実証研究も量産されています。
多彩な学問領域からのアプローチがなされている中で、私自身は日本の法律家であり、専門的に貢献できることは限られています。しかし、法律家としてアプローチしていく際に、税務執行という研究テーマが社会科学に広く開かれたものであることを願っています。
そのことによって、伝統的に租税手続法と呼ばれてきた租税法のサブ領域に対して、社会実態を見据えて、新しい光を当てようと考える人が一人でも増えてほしいと願うところです。
フィナンシャル・レビュー掲載の全論文は、財務総研ホームページから閲覧・ダウンロードしていただけます。
https://www.mof.go.jp/pri/publication/financial_review/index.htm
[聞き手]
財務総合政策研究所総務研究部研究員
酒井 花野
2021年に株式会社NTTデータに入社。国税庁担当の営業業務に従事した後、2024年7月より現職。
財務総合政策研究所
POLICY RESEARCH INSTITUTE, Ministry Of Finance, JAPAN
過去の「PRI Open Campus」については、
財務総合政策研究所ホームページに掲載しています。
https://www.mof.go.jp/pri/research/special_report/index.html
*1) Forum on Tax Administration、OECD税務長官会議
*2) Margaret Levi(1988), Of Rule and Revenue, University of California Press
*3) 政府税制調査会(2023)「わが国税制の現状と課題―令和時代の構造変化と税制のあり方―」,P.245
*4) 政府税制調査会(2023)「わが国税制の現状と課題―令和時代の構造変化と税制のあり方―」,P.251
*5) シグナリングとは、外部から観察することが困難な情報を持っている者が、他者に対して、何らかのシグナルを発することで、その情報を伝えようとすることを言う。ここでは、自身が「善人(Good types)」であることを他者に信じさせるために、納税行動をシグナルとして用いるケースが想定されている。
*6) Eric A. Posner(2000), Law and Social Norms:The Case of Tax Compliance, Virginia Law Review, Vol.86, P.1781-P.1820
財務総合政策研究所 総務研究部 研究員 酒井 花野
財務総合政策研究所(以下、「財務総研」)では、年4回程度、「フィナンシャル・レビュー」(以下、「FR」)という学術論文誌を編集・発行しています。今月のPRI Open Campusでは、6月に刊行された、「21世紀の課税と納税」をテーマとしたFR第156号について、責任編集者を務めていただいた増井良啓東京大学教授にインタビューを行い、どのような問題意識に基づく特集なのか、それぞれの論文の読みどころなどについて、「ファイナンス」の読者の皆様に、わかりやすく紹介していきます。
コラム フィナンシャル・レビューとは
財政・経済の諸問題について、第一線の研究者や専門家の参加の下に、分析・研究した論文を取りまとめたものです。1986年から刊行を続けており、2022年12月には通巻第150号を迎えました。
[プロフィール]
増井 良啓 東京大学大学院法学政治学研究科教授
東京大学法学部卒業後、東京大学法学部助手、助教授を経て、2003年より現職。この間、ウィーン経済大学、ニューヨーク大学、シドニー大学、シンガポール国立大学、税務大学校などで客員教授。専門は租税法。
1.本特集号を企画・編集するにあたっての動機や問題意識
最初に、本特集号を企画・編集するにあたっての動機や問題意識について教えてください。特に、今回は「税務執行」という観点から各論文が書かれておりますが、その観点からは、昨今加速するデジタル化・グローバル化の動きについて、どのようなことに注目すべきであるとお考えだったのでしょうか。
まず問題意識です。「人はなぜ納税するか」は、実はとても不思議なことです。と言うのも、国の公共財提供と人々の納税との間には直接の対価関係がありません。コンビニで牛乳を買うために対価を払うのとは違って、納税は負担として意識されます。にもかかわらず、多くの人は自発的に納税する。なぜでしょうか。
この特集ではとても広い意味で「税務執行」という言葉を使っており、租税制度を現実に動かす作用を広く指しています。ですから、税務行政だけでなく、取引環境や納税環境、納税行動を幅広くカバーしています。
この中で注目すべき動きはいろいろありますが、デジタル化により納税環境が変化し、そしてそれが国境を越えていることが、特に注目すべきことだと思います。例えば令和6年3月の税制改正でも、国外事業者が特定プラットフォーム事業者を介して行う電気通信利用役務の提供につき消費税法を改正しました。
本特集号では、序文にもあったように、税務執行が多面的かつ複雑な対象であるとした上で、各論文において、研究対象とする各制度の抱える問題について、歴史的な背景にも焦点を当てていたところが印象的でした。
特に、増井先生の執筆された「納税協力と非協力」という論文においては、FTA*1の報告書について、過去100本以上の報告書を整理されていましたが、税務執行のあり方について考える上で、このように歴史的な変遷をたどることの重要性について、お考えを伺えますでしょうか。
歴史はとても大事ですよね。
税務執行の歴史は政治共同体の成立にはじまります。スタンフォード大学のマーガレット・レヴィ教授の書物は、古代ローマの徴税請負や、18世紀末英国の所得税創設などを素材にして、「準自発的コンプライアンス(quasi-voluntary compliance)」という概念を当てはめて説明しようとしています。*2
日本でも歴史上いろいろなことが起こりました。明治初年に地租改正が行われた際には農民暴動が起きました。第二次世界大戦直後には税務行政が大混乱しました。このように多くの試練を乗り越えてきています。こういった歴史を踏まえてこそ、どういう条件が揃えば税制が成功するのか、あるいは失敗するのか、ということを検討できる。だからこそ、歴史は大切です。
私自身の論文は、たかだか20年という短い期間における特定領域の文献をさらったに過ぎません。それでも、この間に各国課税当局のアプローチが目に見えて進化してきたことがわかりました。
2.各論文の読みどころ
本特集号においては、テーマである「21世紀の課税と納税」について議論するにあたり、「法の支配」、「貨幣」、「国境」、「法の遵守」の4つの観点が挙げられていますが、これらの観点を挙げるに至った過程について、伺えますでしょうか。
その上で、各論文の読みどころについて、ご紹介いただければと思います。
税務執行という、とても広く定義した大きな傘の下で、見識の高い方々がそれぞれ問題・関心を持ち寄った結果、今回の4つの観点のようなまとまりが自然にできてきました。こういったまとまりは、問題意識の共有にはじまり、研究会の継続的なオンライン開催、論文検討会議における活発な質疑応答、といった機会があって初めて具体化したものです。財務総研のスタッフの皆さまや、執筆者の皆さま、ゲストとしてお越しくださった皆さまのおかげで、多大なインスピレーションが得られました。東京大学の藤谷武史教授には全体を通じて伴走していただきました。お世話になった皆さまに、この機会を借りてあつくお礼申し上げます。
各論文は、こういった過程を経て、それぞれの執筆者の責任で取りまとめています。
巽論文は、法の支配の観点から、憲法原則である合法性原則について、課税庁の調査義務の限界という新しい視点を打ち出しています。
行岡論文は、貨幣の観点から、私的主体が発行する貨幣の価値の安定性確保につき、論点を整理し、ステーブルコインに関する規制のあり方を問い直しています。
大野論文は、貨幣および国境の両観点にまたがるもので、EUの暗号資産取引に関する当局間情報交換を検討しています。日本では令和6年度税制改正で非居住者暗号資産取引情報報告制度が法制化されましたが、これに先行するEUとの比較を可能にしています。
藤原論文は、国境という観点に関するもので、EU付加価値税の課税権配分について欧州司法裁判所の動向を中心に論じています。
中村論文は、国境および法の支配の観点に関わるもので、二つの柱から成る新たな国際合意について、紛争解決の面で多くの課題が残っていることを具体的に示しています。
野田論文は、法遵守の観点から、重要性を増しているマネロン対策と税務の交錯領域の課題を浮き彫りにしています。
それぞれが力作で、読みどころのある論文となっています。
3.政策担当者や一般の読者に伝えたいこと
本特集号でも注目されているデジタル化ですが、今後税務執行を確実に行うために、行政はさらなる社会的基盤(例えばe-Taxのようなインフラや、法人の電子申告の義務化といった法整備)を整えていく必要があるかと思います。
今回の特集号を通じ、政策担当者に対しては、どのようなことを期待されていますか。
税務執行については、新しい議論が続々と登場しています。政策担当者の皆さまには、まずはそのことを共通認識としていただきたいです。
例えば、去年の6月に政府税制調査会が出した答申には、納税環境整備について論じている箇所があります。そこでは、OECDの「税務行政3.0」という報告書が引用され、納税手続きが事業者の日常業務の中にシームレスに組み込まれるという将来像について言及しています。*3
こういった将来像を実現するためには、確定申告の時点だけを見ているのでは足りず、日々の取引情報をリアルタイムで共有するインフラが必要になってきます。そこまで進めていくためには、セキュリティの確保や営業秘密の保護といった、法制面でクリアすべき課題が多いところです。さらにそれらは国境を越えて生ずる課題でもあるため、議論すべきことはたくさんあります。
次に、少し角度が変わりますが、政策担当者に限らず、税務執行に関わる皆さまに対しても、期待したいことがあります。
私の取り上げたFTAの報告書は100本以上ありますので、これらを通覧して何がどう論じられてきたかを全体的にご覧になった方は、あまりいないのではないかと思います。ですが、読んでみるといろいろと良いことが書かれています。
例えば、アウトカムとアウトプットの違いです。このことを税務調査の例で申しますと、アウトプット指標の典型が増差税額で、税務調査を行った結果、いくらいくらの税額が過少申告されていたことが判明した、というものを指します。これに対してアウトカムというのは、納税協力を改善すること自体を意味しています。このようにアウトカムとアウトプットは違うわけですが、FTAの報告書は、当座のアウトプット最大化よりも、むしろ納税協力の改善というアウトカムの方がより重要な目標なのだと明言しています。
100本以上ある報告書の現物を読むことは大変かもしれません。しかし、私の要約をちらっと見るのは簡単です。お忙しいこととは存じますが、ご覧いただく機会があれば幸いです。
税務執行の重要性というものが、本特集号では繰り返し強調されますが、一般の国民の間にはまだあまり浸透していないように感じます。納税者に対して、税務執行の重要性を当事者として意識してもらうには、どのようなアプローチが必要だとお考えでしょうか。
確かに、国民一般ということになりますと、必ずしも十分に税務執行の重要性が浸透していないのではないかという感じがします。もしかしたら違う感じをお持ちの方もいらっしゃるかもしれませんが、大学で租税法を講じてきた私の経験からはそう感じます。
なぜかと言うと、日本の所得税については、精密に源泉徴収制度が作られていて、言わば世界に冠たる申告不要制度が整備されている。そのため、多くの国民は、税務署と直接的に関わることなく、給与や預金利子から源泉徴収されるだけで納税が完了します。他方で消費税は事業者が納税しますし、法人税は個人が納税するわけではありません。
この状況はとても効率的で、良いことがたくさんあります。その一方で、人々の間で税務執行が「我が事」であると感じられる局面が限られるということでもあります。そういった状況ですので、この特集号のような専門的な議論が、すぐさま国民の間で一般的に広く読まれるというところまでは行きにくいかもしれません。
ではどのようなアプローチが必要か。
まずは、それぞれの専門的関心を有する皆さまに届けば良いなと思います。例えば、暗号資産に携わっている方であれば、行岡論文や大野論文をご覧いただきたいです。国際税務に携わっている方であれば、藤原論文や中村論文をご覧いただきたいです。あるいは、税理士の先生方には、巽論文や野田論文を読んでいただきたいです。
そうする中で、読者層が徐々に広がっていって、私たちの社会一般にとって税務執行が大事な「我が事」であると感じる人が増えていけば良いと思います。
納税協力の改善というアウトカムを重要視すべきとのことですが、そもそも、納税協力に対する姿勢や意欲といったものには、国や地域ごとに差があるように感じます。
納税協力に対する人々の意識の差は、何によって生じるものだとお考えでしょうか。
これは本当に面白い問いですね。
ある国では納税協力の意識が高くて、別の国では低い。こういう現象がなぜ生ずるか。まさに重要なパズルです。
また、同じ国の中であっても、歴史的に状況が変化する。内乱の時代には政府不信が強まり、租税抵抗が激化します。何が時代による変化を説明するか。これも極めて興味深い問いです。
納税協力については、極めてざっくり言うと、二つの流れの考え方があるように思います。まず一つは、合理的経済人の仮定から、納税協力しない場合のサンクションを考慮して、合理的な損得計算をしたらこうだ、という形で説明する流れです。もう一つは、おっしゃったような、意欲とかモラル、社会規範などで説明する流れです。これは、政府に対する信頼とか、「周りの人がやっているから自分もちゃんとやるけれどそうでなければやらない」といった互酬性論理などの流れです。
後者を考慮に入れなければならないところが一筋縄では行かないところです。伝統的な合理的効用計算モデルだけで説明が難しいという点にはかなり広い合意があります。私の見るところ、おそらく行動経済学でも完全な説明は困難です。「人はなぜ納税するか」というのは、それだけ深い問いなのでしょう。
私は法律家なので、人がどうして法を遵守するのかということ自体、本当に不思議なことだと感じます。税務執行や納税行動に関する検討を突き詰めていくと、なぜ法が守られるかとか、なぜ私たちの社会秩序がこうなっているかといった、根源的なところへ行き着きます。
正直申しまして、「税務執行」という言葉で普通に了解される範囲だけからは、なかなかこの面白さが伝わらない。まだまだ理解されにくい段階にあると思います。本当は税務執行の世界にはこういった根源的なところがありますので、そのことがもっと広く知られるようになると良いなと思います。
4.本特集号に関する今後の課題
増井先生は平成14年にも「税務執行の理論」という論文をFRに寄稿してくださっています。その論文の中では、今後重要になると予想される制度的な課題について、今回も言及のあったITの普及やグローバル化といったものの他に、高齢化や地方分権の進展についても触れられていました。
これらは現在も社会にとって大きな課題であり続けていますが、この20年間に、税務執行に対して、どのような影響を及ぼしたとお考えでしょうか。
20年前に論文を寄稿した時の私はずいぶん若く、少子高齢化のインパクトを現在ほどは実感できていませんでした。しかし、自分自身が高齢化してくると、技術進歩にキャッチアップするのが大変です。
去年の6月の政府税制調査会の答申には、こういうくだりがあります。
税務手続のデジタル化の推進に当たっては、デジタルに不慣れな納税者も含めあらゆる納税者に対して効率的で使い勝手の良いサービスや必要なサポートを提供するなど包摂的な税務行政の運営が重要である*4
包摂的な、つまりあらゆる納税者を包み込む納税サービスというのがポイントで、ここには当然高齢者も含まれます。
また、地方分権についても、今回の特集号で論じていない課題がいくつもあります。その一つが地方税の執行です。固定資産税は訴訟がとても多く、市町村の評価事務について多くの課題が指摘されています。今後、適切な機会に検討していく必要があるかもしれません。
増井先生は「税務執行の理論」において、エリック・ポズナー氏のシグナル理論に基づく、社会規範の税務執行への作用について、今後の理論的な展開が期待されるとしていましたが、現在では、税務執行におけるシグナリング*5について、どのようにお考えでしょうか。
先にもお話しした通り、人々の納税行動は、サンクションと利得を天秤にかけるモデルだけで説明することは難しいです。この点についてシグナル行動モデルを用いて説明しようと試みたのが、2000年のエリック・ポズナー論文でした。*6
彼の論文が出てすぐ、同業者から多くの反論があり、弱点が明らかになりました。善人のシグナルとして納税行為が機能するには、どれだけコストをかけて納税しているかが万人に対して明らかにならなければいけません。しかし、納税情報は多くの場合は機密です。観察可能でないものが、シグナルとして機能するかどうか。これが彼の論文のアキレス腱で、弱点を鋭く突かれて、議論が立ち消えたように見えていました。
ですがより最近の文献は、ピンポイントで見れば、納税行動がシグナルとして機能する局面があることを示しています。
例えば、消費税法の事業者です。課税事業者になるというのは見える形でできます。事業者が、本当は課税事業者にならなくても構わない状況であるにもかかわらず、わざわざ課税事業者になることを選択するといったケースです。信用や評判のためですね。こういったケースでは、課税事業者になることがシグナリングであると言えそうです。
というわけで、納税協力との関係では弱点を突かれてしまったシグナル行動モデルも、ピンポイントで適用可能な素材を探していけば、まだまだ深まっていく余地もあるのではないか。こういう手探りの状態が続いている、というのが私の見立てです。
本特集号の成果を踏まえた上で、今後の税務執行に関する研究について、注目すべきトピックは何であるとお考えでしょうか。
また、今後の研究の発展に期待したいことについても、伺わせてください。
継続して注目していきたいトピックはいろいろあります。
先ほどご紹介した合法性原則との関連では、「協力的コンプライアンス」という枠組みの国際比較です。あるいは、貨幣との関連では、キャッシュレス化の税務執行上の意味です。また、国際課税との関連では、どのように実効的な紛争処理の仕組みを作っていくかです。このように、注目すべきことはたくさんあります。
税務執行については、外国でも多くの研究者が取り組んでいます。歴史的、理論的研究だけではなく、経験的証拠に基づく実証研究も量産されています。
多彩な学問領域からのアプローチがなされている中で、私自身は日本の法律家であり、専門的に貢献できることは限られています。しかし、法律家としてアプローチしていく際に、税務執行という研究テーマが社会科学に広く開かれたものであることを願っています。
そのことによって、伝統的に租税手続法と呼ばれてきた租税法のサブ領域に対して、社会実態を見据えて、新しい光を当てようと考える人が一人でも増えてほしいと願うところです。
フィナンシャル・レビュー掲載の全論文は、財務総研ホームページから閲覧・ダウンロードしていただけます。
https://www.mof.go.jp/pri/publication/financial_review/index.htm
[聞き手]
財務総合政策研究所総務研究部研究員
酒井 花野
2021年に株式会社NTTデータに入社。国税庁担当の営業業務に従事した後、2024年7月より現職。
財務総合政策研究所
POLICY RESEARCH INSTITUTE, Ministry Of Finance, JAPAN
過去の「PRI Open Campus」については、
財務総合政策研究所ホームページに掲載しています。
https://www.mof.go.jp/pri/research/special_report/index.html
*1) Forum on Tax Administration、OECD税務長官会議
*2) Margaret Levi(1988), Of Rule and Revenue, University of California Press
*3) 政府税制調査会(2023)「わが国税制の現状と課題―令和時代の構造変化と税制のあり方―」,P.245
*4) 政府税制調査会(2023)「わが国税制の現状と課題―令和時代の構造変化と税制のあり方―」,P.251
*5) シグナリングとは、外部から観察することが困難な情報を持っている者が、他者に対して、何らかのシグナルを発することで、その情報を伝えようとすることを言う。ここでは、自身が「善人(Good types)」であることを他者に信じさせるために、納税行動をシグナルとして用いるケースが想定されている。
*6) Eric A. Posner(2000), Law and Social Norms:The Case of Tax Compliance, Virginia Law Review, Vol.86, P.1781-P.1820