講師 小林 武彦 氏(東京大学 定量生命科学研究所 教授)
演題 なぜヒトは老い、そして死ぬのか?
令和6年8月30日(金)開催
自己紹介
本日はよろしくお願いいたします。
私は九州大学大学院を卒業してから9回引っ越ししております。学者の世界では転勤しないと役職があがらないという風習があって、私もいろいろなところを転々としております。
米国の製薬会社の研究所で働いたことがありましたが、当時クリントン大統領が掲げた「ヒトゲノム計画」の影響で、直接ゲノム解読に関係のない研究者は全て解雇されるという経験をしました。生物学の分野では珍しく一大イベントとなったゲノム解析に人材や資金が一気に集中し、世界の潮流というのはそういう風に動くんだなと体感できました。
その後日本に帰ってきてから、国立基礎生物学研究所、国立遺伝学研究所に勤め、現在は東京大学の定量生命科学研究所におります。
その他にも、生物科学学会連合の代表や、日本遺伝学会の会長を経て、今現在は日本学術会議の会員として社会活動をいろいろさせていただいております。
学術会議で今一生懸命やっているのが「我が国の学術の発展・研究力強化」です。
ご存知のことと思いますけれども、日本の科学ランキングがどんどん下がってきております。政府から学術会議に対して審議要請があり、こうした問題にも取り組んでおります。また、大学院の博士課程に進む人材が日本ではすごく少なくなっていて、これは将来厳しくなるぞというようなことに警鐘をならしつつ、活動をさせていただいております。
はじめに
私は「生物はなぜ死ぬのか」という本を3年前に書きました。こんな暗い題名の本は普通売れません。文系では哲学とか宗教という分野がありますが、理系では死ぬことなんか研究している研究者はいませんから。死ぬことは結果であって、生物学では生理現象の解明、医学ではなるべく死なないようにすることが仕事の本質であって、死ぬことの意味なんかどうでもいいわけです。
私は老化の研究をしておりますが、この遺伝子がない方が長生きになる、そういう面白い遺伝子があるんです。要するに、その遺伝子の機能は早く死なさせることなのです。死ぬことにも意味があるのだ、ということを色々考えているうちにこんな本を書いたということでございます。
今日お話しするのは3つのテーマで、1つ目は「生物はなぜ死ぬのか?」という内容です。先ほどの本のお話でございます。
2つ目は「ヒトの老いの意味とはなにか?」という内容です。
3つ目は「老年的超越を目指して」という内容です。「老年的超越」とは何のことかよくご存じない方もいらっしゃるかもしれませんが、割とためになる話です。
では1つ目の「生物はなぜ死ぬのか」という内容に入ってまいります。
生物はなぜ死ぬのか?
1.生物はすべて死ぬ~死に方は様々~
(1)プログラム的に死ぬ:昆虫
生物は必ず死にます。ただ死に方とか寿命にはいろいろありまして、代表的な3つのパターンをあげますと、例えば昆虫はプログラム的に死にます。時期が来たら死ぬのです。
カゲロウはトンボの仲間ですけれども、束の間の命でして、羽化して成虫になってから数時間で死んでしまいます。
カブトムシなんかはご存知のように1年です。お盆ぐらいまではすごく元気ですけれども、怪我したわけでも病気したわけでもないのにバタバタと死ぬのです。まさにプログラム的な死に方です。
当時小学生だった私の子供から「カブトムシは何で死んじゃうの?」と聞かれたことがあります。私はそれに答えられませんでした。
死ぬ理由はわかります。秋になるとカブトムシの体液が固まってくるのです。でも、死の意味については答えられませんでした。
それもあって、何でそういうことが起こるのか、といったことを考えていくことが「生物はなぜ死ぬのか」という本を書く動機の1つになったのです。
(2)食べられて死ぬ:小動物
他の生き物、例えば小さな動物、昆虫よりちょっと大きい生き物は、ネズミに食べられたり、カラスに食べられたり、怪我したりして死んでしまいます。寿命を全うすることはほぼございません。
魚類はもっとすごくて、マグロなどは5,000万個も卵を産みますが、そのうち寿司屋に並ぶぐらい大きくなるのは数十匹です。食べられるために生まれてきたような感じですね。
(3)食べられなくなって死ぬ:大型の動物
最後は我々も含めた大型の動物です。どういうふうに死ぬかというと、飢え死にです。年を取ってくると老化して獲物が取れなくなって死にます。あるいは他の生き物に食べられて死にます。体が大きいので、他の生き物から食べられることは少ないいため、基本的には飢え死にです。
まとめますと、プログラム、アクシデント、老化型、この3つのパターンがあります。野生の動物というのは、怪我はあるけど、病死はほとんどありません。病気になる前に、食べられたりして死んじゃいます。死因は寿命ばかりではございません。
2.死の起源を尋ねて
(1)38億年前の地球にタイムトラベル
皆さんご自分の手や周りの人の顔をご覧になってみてください。すごくよくできていますよね。
こんな緻密に精巧にできているのに、何で壊すのか、死ななきゃいけないのか。「生物はなぜ死ななければならないのか?」これは生物学の大疑問です。
私たち生物学者は、何かわからないことがあると、その進化について考えます。私たちですが、元をたどれば、すごく単純な一個の細胞から始まっているのです。それが長い時間をかけてだんだん進化して植物になったり、動物になったり、いろんな生き物になったわけです。ですから今複雑で分からないものでも、その大元を辿ればわかるだろうと考えます。化石を見るわけではなく、今いる生き物で、昔からいて、その形を維持しているようなものを探すのです。
すべての生物は死ぬ、ということは「最初の生物が死んだ、だからその子孫である私たちは死ぬ」と生物学的には考えます。
では最初の生物はなぜ死んだのか、この生物が死んだ理由で、その子孫である私たちはみんな死ななければいけないのです。
ではその理由を尋ねましょう。38億年前の地球にタイムトラベルしてみます。
(2)生命の誕生:38億年前
生命の誕生は今から38億年前と言われております。熱水噴出孔、下から熱いお湯が湧き出るようなところから生命ができたのだろうと考えられています。いろいろな物質が地下から湧き出る、それに加えて、温度が高いので、化学反応が起こりやすかっただろうというわけです。
最初にできた物質はRNAとかアミノ酸などの有機物だと考えられています。有機物は生物の材料です。RNAもアミノ酸もすべての生物が持っています。しかもこの2つは、実験室で合成できるんですよ。ですから、自然にできることも可能だったでしょうというわけです。
(3)生命のタネ「RNA」の誕生
ここからはミラクルで、進化のプログラムというのが開始しました。進化とは「変化」と「選択」を繰り返して姿や性質が変わることを言います。
「変化」というのは、親とは違う多様な個体ができることで、「変異」と言います。
「選択」というのは、多様な個体のうち、たまたまその環境で生き残ることができることで、「適用」と言います。
最初にできた物質はRNAだろうと言われております。RNAの構造は、A、G、C、Uという4つのブロックが長くつながったひも状の分子で、いろいろな配列があります。
RNAには2つのすごくユニークな性質があります。1つ目は自分で配列とか、長さとか構造を変えること、2つ目は自分のコピーを作ることです。Aに対してはU、Gに対してはCというブロックがくっつきます。ですから、ひも状の分子を鋳型にして、新しい裏表の関係の鎖ができるわけです。それがパッと離れて、またそれぞれが鋳型となって、Aに対してはU、Gに対してはCというブロックがくっついていく。自分のコピーを作ることができるのです。
(4)進化のプログラムが開始
RNAはAとU、GとCがくっつきますから、長いひも状なのですけども、一本の鎖の中でもいろんなところがくっつくので、いろいろな形を作ります。
ここにA、B、C、Dの偶然できたいろいろなRNAがあるとします。それぞれ配列が違います。AもBもCもDもEもコピーしては壊れ、コピーしては壊れを繰り返します。そしてたまたまAというRNAが他よりも壊れにくかった、あるいは自分のコピーを作りやすかったとしますね。そうすると、全部Aに材料を取られてしまいます。そこで長い時間をかけるとAばかりになります。これが「選択」です。B、C、D、Eは分解したまま死んでしまった。これがおそらく最初の死の起源であろうと考えております。これと同じことがずっと起こるのです。
Aの中でまた変化が起こります。進化は「変化」と「選択」です。A’というのができたとしましょう。このA’は、他のオリジナルのAに比べると、壊れにくかった、あるいはコピーが作りやすかったと仮定すると、長い時間そのままにしておくと、A’ばかりになってしまいます。A’に全部材料を取られて普通のAは分解されて死んでしまった。これが死ということなのです。ずっとこれを繰り返した結果、今いる地球上の全ての生き物ができたのだろうと考えられるのです。
RNAの並び順つまり遺伝情報のことをゲノムといいます。ですから、このAというゲノムが生き残ったわけですね。これが私たちの祖先のゲノムとなります。
ここで少しまとめますと、多くの研究者は、私も含めて、生き物の起源はRNAだったと思っています。もっと正確に言うと、そこに書かれているデジタル情報が重要だったのです。その情報によって、壊れにくい、コピーを作りやすいものが選択されて残ってきた。ゲノムは壊され、選択され、作り変えられ、また選択され、を繰り返して進化した。
ゲノムが壊れる、RNAが壊れることが死ぬということだったのだろう、これが死の起源だろうと私は考えています。
3.現在のゲノムはDNA
現在でもこの関係は実は続いておりまして、今はRNAからDNAという物質に変わりました。RNAとDNAはほとんど同じ物質ですが、DNAはRNAよりも壊れにくい。途中から進化の選択によってDNAがRNAにとって代わったわけです。しかもDNAは二本鎖で安定的です。
DNAはRNAから遺伝情報の座を奪いましたが、RNAが消えたわけではなく、RNAは依然として健在で、mRNAとして、タンパク質を作るという非常に重要な働きをしています。
DNAもRNAと同じく複製します。細胞が増える前に複製して、先ほどと同じように一本のひも状の分子が鋳型となって、Gに対してはC、Tに対してはAがくっつく、こういった関係で複製して同じものができるのです。
4.DNAも壊れる
DNAもRNAと同じく壊れます。壊れにくいのですけども、切れたり間違えたり、Gに対してはCがくっつかないといけないのですが、Aが間違ってくっついたりします。こんなことはすごくよく起こります。
幸いにしてそれを直す酵素というのを私たちはたくさん持っていて、ほとんど直されています。でも100%ではないので、細胞分裂が重なるに従って、要するに年を取るに従って、ちょっとずつ「直し損ない」が溜まってくるのです。そして癌になったり、細胞の機能が低下したりする。それを老化と言います。癌は老化現象の1つです。
5.ゲノムが壊れると死ぬ
先ほどの仮説ではRNAが壊れて、それで死が始まったのではないかと考えました。
DNAとなった今でもその関係はずっと続いていて、やっぱり壊れる、そしてDNAが壊れるとやはり死にますよ、というお話を、エビデンスを2つ交えてお話しさせていただきます。
(1)ゲノムが壊れやすい病気
1つ目です。DNAが壊れやすい病気があります。ヒト早期老化症という病気です。
ヒト早期老化症は思春期を過ぎてから急速に老化症状が現れる遺伝病で、平均死亡年齢が50歳くらいです。この原因遺伝子はゲノムの修復に関わる遺伝子で、ゲノムの修復機能が普通の人よりもちょっと弱い。それでこの病気の患者さんのゲノムは壊れやすく、そのために寿命が短いのです。
この早期老化症というのは、7種類知られておりまして、この7種類のうち、ウェルナー、コケイン、ブルーム、色素性乾皮症、ロスモンド・トムソンの5種類は、DNAの修復機能が普通の人よりちょっとだけ低いのが原因なんです。そうすると、寿命が縮んじゃうんですね。つまり、ゲノムが壊れやすくなると、寿命が縮む。遺伝情報が壊れると死んでしまいますよ、今でもRNAの時代と何ら変わっていませんよ、ということです。
(2)DNAが壊れやすい生き物は寿命が短い
2つ目です。これは生物学的なエビデンスです。生き物の寿命とゲノムの壊れやすさを調べると、きれいに反比例、逆相関するのです。
ヒトが哺乳動物では1番寿命が長くて80歳ちょっと。一方、ゲノムの壊れやすさは哺乳動物の中でヒトが1番低い。1年間に細胞あたりで60カ所ぐらいしか壊れません。
これに対して寿命が1番短い哺乳動物はハツカネズミです。寿命は2年です。壊れやすさは細胞当たり1年間に800カ所で、人に比べると20倍ぐらいゲノムが壊れやすいのです。他の動物も横軸を寿命、縦軸をゲノムの壊れやすさにプロットすると、寿命が長い生き物ほどDNAは壊れにくいことがきれいに示されます。
6.まとめ~生物はなぜ死ぬのか?~
ここで、「生物はなぜ死ぬのか?」についてまとめてみます。そのメカニズムははっきりしておりまして、ゲノムが壊れることが原因です。これを壊れないようにしてやると、多分長生きになります。
マウスは寿命が2年でDNAは壊れやすい。ヒトは80年生きてDNAは壊れにくい。ではヒトのDNAを修復する遺伝子をマウスに入れてやって、マウスのゲノムを壊れにくくしたら、寿命は延びるのか、という実験をしています。どういう遺伝子がマウスの寿命を延ばすことができるかということが分かれば、その遺伝子を人で増強していればいいわけですから、かなり有効です。
もう1ついいことは、ゲノムが壊れないようにして寿命を延ばすので、がんとか認知症にもならないんですよ。私は定年まであと5年あるのですけれども、5年で間に合うかどうかわかりませんが、1個でもそういった遺伝子を決めたいと思っております。
でも、子供が「父さん、何でカブトムシは死ぬの?」と聞いたとき、子供が求めていたのは「ゲノムが壊れるからだよ」という答えではないのです。なぜ死ぬということがこの世に存在するのか、ということなのです。
それに対する答えは「進化の結果できた生物はRNAの時代から最初から死ぬようにできている、なぜかというと、壊れないと進化できなかったから」というものです。死があるものだけが進化できて存在する。進化のためには「変化」と「選択」が必要です。選択がないとダメなのです。だから、生物は死ぬのです。
ですから、「生物がなぜ死ぬのか」という問いそのものが間違っていて、生物が死ぬのではなくて、死ぬ生き物だけが進化できて、今こんなに存在しているのです。死なざるを得ないのです。死は進化のために必要な究極な利他的な行為なのです。
以上が1つ目のテーマについてのお話です。
ヒトの老いの意味とはなにか?
1.平均寿命の推移
日本は世界一の長寿国です。現在、ご存命のトップ10名中3名は日本人です。日本だけでも100歳以上が約9万人いらっしゃいます。9割は女性です。
OECD38か国の平均寿命の変遷を見ると、1番上の右肩上がりが日本です。日本は最長国を20年以上続けております。シニア人材は世界一豊富です。
日本人の生存曲線の年次推移を横軸が年齢、縦軸が生存数とします。男性と女性で比較しますと、基本的に形は一緒です。ただ、女性は5年ほど長生きなので、グラフが右に5年ずれています。
2.平均寿命は延びても最大寿命は変わらない
ここから2つ興味深いことが分かります。1つは、今に至るまでの70年間でだんだんと平均寿命が延びてきたということです。要するに、あるところまでは全然亡くならなくて、突然急激に亡くなるというのが1つ目です。
もう1つ、こちらが重要なのですけども、どんどん平均寿命は伸びていますが、最大寿命は変わらないのです。男性の場合だと、85歳から95歳で大体40%が亡くなっています。ここは生物学でいう生理的な死です。何をやっても死ぬのです。女性の場合はそれが5年ずれていて、90歳から100歳の間に60%の人が亡くなっています。こうしたホットスポットがあって、その後の10年後ぐらいにほぼすべて亡くなるのです。それが寿命の限界です。
人には限界寿命があるという研究がありまして、死の壁、そこは超えることができないのです。
人の限界寿命年齢は115歳から125歳だろうといわれております。この時にはゲノムがすごく壊れやすくなっているということなのです。ですから、もし先ほど私が申しあげたような研究でゲノムが壊れにくくなったら、この壁が突破できるのかもしれません。
3.老いはヒト特有の生理現象
実は老いというのはヒト特有の生理現象だというのをご存知でしょうか。普通、野生の生き物で老いたものはいません。51種類だったと思いますが、野生の哺乳動物を調べた生物学者がいました。2017年の論文です。哺乳動物なので、メスの生理があるかどうかで老いているか、老いていないかを判定しました。ヒトの場合には女性の閉経は大体50歳前後です。ですから、そこから先が老後ということになります。
4.野生の哺乳動物にはほぼ老化はない
老後があるのは陸上の哺乳動物ではヒトだけです。ヒトと遺伝子がすごく似ているチンパンジー(ゲノムは99%同じ)でも、老いたメスチンパンジーはおりません。死ぬまで子供が産めます。寿命はだいたい40歳から50歳くらいです。閉経までの年齢はヒトもチンパンジーもほぼ同じです。老後の長さでチンパンジーとヒトの寿命の長さに差が生じます。
海の生き物では老後があるのが2種類あって、シャチとゴンドウクジラです。
というわけで、可能な限り調べた哺乳動物の中で老後があるのは3種類だけです。陸上ではヒトだけでした。
5.なぜヒトだけ長い老後があるのだろう?
野生の哺乳動物は一般的に生涯子供が産めます。つまり老後はありません。では、なぜヒトだけが長い老後があるのでしょうか。
先ほどお話したように、生物学者は何かわからないことがあると、その進化を考えます。進化の結果、そういった性質が選択されたのだから、その理由が分かれば、今の現在の性質が説明できるだろう、と考えるのです。
そこでヒトの進化から考えてみましょう。ヒトというのは700万年前にチンパンジーと共通のご先祖様から別れました。それから猿人、原人、旧人、新人と進化していきます。ここで注目していただきたいのは、ヒトの700万年の歴史の中で、実は699万年は移動生活であったことです。狩猟と採集の生活です。農耕牧畜を始めたのは最近1万年です
私たちとすごくゲノムが似ているチンパンジーに老後はありませんでした。ヒトとチンパンジーが別れてから老後ができたのだろうということになります。
では、ヒトとチンパンジーの違いというのは一体何でしょうか。
これを小学生に尋ねると、「違いは体毛です。猿は毛むくじゃらですが、ヒトには毛が生えていません」と答えます。
確かに猿人から原人になったあたりで毛がパーっと抜けました。だいたい200万年前です。ちょうどこの頃、毛が抜けて寒くなったのかもしれませんが、火の使用を開始しております。野生の生き物は基本的に毛が生えているのですけれど、火をすごく怖がります。それは毛に火がつくからです。そこで、毛が抜けてから火を使うようなり、服も作るようになりました。
6.長寿化のおばあちゃん仮説
普通、進化というのは有利な形質が残るんですけれども、毛に関してはあまりよく分かっていないですね。毛が抜けてそんなにいいことはなかったんじゃないかなと思います。例えば寒い、怪我をする、虫に刺される、こんなのは序の口で、1番困ったことは、実は子育てなんですよ。チンパンジーもゴリラも、子供が生まれると、数日後には子供は自分でお母さんの体毛にしがみつきます。ですので、お母さんは両手が使えます。木にも上るし、ご飯も食べられる。
これがヒトの赤ちゃんだと、3歳ぐらいまでは転がっているだけです。何もしません。自分で母親にしがみつくこともできません。非常に手がかかる。手がかかるということは子育てができないということで、そこで終わっちゃった人類も多分いるんだと思います。毛が抜けて滅びた人類も。
でも今、我々は現に生き残っているわけで、ここの難局を乗り越えたのです。どうやって乗り越えたかというと、1番強い説は「おばあちゃん仮説」というものです。シニアが助けたのです。
おばあちゃんが元気な家庭は、子供の育児を手伝って、それで子供を育てることができたのです。これが有名な「長寿化のおばあちゃん仮説」というものです。多分おじいちゃんも手伝ったと思いますけど、主におばあちゃんが子育てを手伝って、元気なおばあちゃんがいる家庭は栄えた、それで長生きになったという説がございます。これは割と信じられています。
7.年配者(シニア)がいる集団が栄えた
では、おじいちゃんは何もしなかったのかというと、恐らくそうではないでしょう。
ここからは私の説になるのですが、裸の猿であるヒトの祖先は集団で暮らしていました。集団で暮らすということは、結束力が強い集団が生き残るわけです。集団の中で結束力を発揮するには恐らく年長者が非常に重要だったのです。経験・知識が豊富ですから、シニアには集団をまとめる力があります。この時にはまだ文字も書物もありません。しかも狩猟採集の生活です。この山ではいつ何が取れるのか、釣りはどうやるのか、マンモスはどうやって倒すのか、というノウハウはすべて年長者の頭の中に入っています。ですから、世話好きでリーダーシップがあって、良いシニアがいる集団ほど栄えたわけです。
なおかつ、集団で暮らしている人類にとって1番危機的な状況は、仲間割れです。必ず喧嘩が起きます。そういったことに対しては、誰かが仲裁しないといけないわけで、それができるのも恐らくシニアでしょう。
シニアにはなぜそういうことができるかというと、例外はありますが、私欲が少ないからです。老い先短いので、「俺が俺が」とあまり言わないのです。私欲が少ないから信頼され、仲裁ができて、それで揉め事も丸く収めただろうと。ですので、良いシニア、徳のあるシニアがいる集団が団結力が強くなって栄えて、そのような集団が今まで生き残ってきたのだろうと考えられるのです。
8.寿命延長の正のスパイラル
文明が高度になると、ますます知識の継承や教育に年配者が活躍します。年配者が活躍して集団が栄えると、ますますそのキャパシティが増えて、その集団がより多くのシニアを抱えこむことができるようになります。これが寿命延長の正のスパイラルとして機能したのだと考えております。
老いとは、利己から利他への意識の変化、社会貢献のために獲得されたヒトだけの特徴であり、老いた人が集団に必要だったのです。
老年的超越を目指して
1.老年的超越とは
ここから最後のテーマである「老年的超越を目指して」について話をさせていただきます。
役割があったので、年長者は長生きになってしまったのです。長生きの人がいた方が集団としてまとまったわけです。ではご本人にとっては何か良いことがあったのか? ということについての話になります。
「老年的超越」という言葉がございます。これは学術用語でありまして、85歳以上の人が持つ心理特性のことであり、1989年にスウェーデンの社会学者ラルス・トルンスタムが提唱した概念です。彼は85歳以上の超高齢者の心理特性をアンケート調査しました。
死が近い人というのはあまり元気がないのではないか、という彼の予想に反して、皆さんすごく自己肯定的でポジティブだったのです。「宇宙的、超越的、非合理的な世界観への意識の変化」が見られました。アンケートに回答した人は全員健常者で、認知症の人はいらっしゃいません。
ちなみに、超越する前は「物質主義的(合理的)、自己中心的、競争的、現実的」でございます。これは我々も含めて、若い人はみんなそうです。これと180度逆のことが年を取っている人に起こっているのだそうです。
2.85歳以上の人が持つ心理的特性
85歳以上の人が持つ心理的特性は3つありまして、1つ目が「感謝の認識」です。他人に支えられている認識と他者への感謝の念が強い。
2番目が「利他性」です。これは先ほどちょっと話しましたけども、自分中心から他人を大切にする姿勢です。
3番目が「肯定感」です。肯定的な自己評価やポジティブな感情を持つのです。
具体的な例で言いますと、「ドラえもん」ののび太のおばあちゃんのような心境です。いつも縁側にニコニコしながら猫を撫でながら座っていて、庭の盆栽とか見ているわけです。そして宅配便の配送の方が来ても、まあ上がっていきなさい、と言ってお茶やお菓子を出して話を聞いてあげる、そんな優しいお年寄りというのが老年的超越の心理特性です。ですのでオレオレ詐欺にはひっかりやすいです。これは認知能力の問題ではなく、超高齢者の心理特性のためです。周りの人が注意していないといけませんね。
何でこんなことが起こるのかというと、十分に生きたという満足感と幸福感、いつ死んでも悔いはない、というふうになると、いろんなことに対して寛大になる、利他的になるわけです。
何よりも素晴らしいのは、死に対する恐怖も消失するのです。いつ死んでも構わないというメンタリティになるというところは素晴らしいです。
利己から利他へ、さらに公共へ、どんどん意識が変化して、最後は自然との一体感を感じながら生きる。そして朗らかな気持ちで亡くなる、というところが、ある意味、1つの人生のゴールであると思っております。
最後に
本日の話をまとめてみます。
1番目の「ヒトはなぜ死ぬのか」については、これはDNAが壊れるからです。これはメカニズムとしてははっきりしております。ただその意味は、進化のためであり、死ぬものだけが進化できて今存在しているわけです。ですから、死というのは究極の利他的な行為なのです。
2番目の「ヒトの老いの意味とは何か」ということに関しては、老いても何も良いこともないと思っている方も多いと思いますけども、実はそうではなくて、社会にとっては老いた人は非常に重要で、利他的な人が必要なのです。
3番目の「老年的超越を目指して」ということに関しては、最後は幸福感に満ちた心境まで頑張るということです。寿命を全うするまで生きられたらいいかなというところでございます。
ご清聴ありがとうございました。
講師略歴
小林 武彦(こばやし たけひこ)
東京大学 定量生命科学研究所 教授
神奈川県横浜生まれ、三島市在住。
1987年九州大学理学部生物学科卒、1992年九州大学大学院医学系研究科博士課程修了(理学博士)。基礎生物学研究所、米国ロシュ分子生物学研究所(製薬企業)、米国国立衛生研究所、国立遺伝学研究所、東京工業大学等を経て、現職に至る。
日本学術会議会員。生物科学学会連合代表、日本遺伝学会会長などを歴任。伊豆の海、箱根の山そして富士山をこよなく愛する。
著書にベストセラー「生物はなぜ死ぬのか」(講談社現代新書)、「DNAの98%は謎」(講談社ブルーバックス)、「寿命はなぜ決まっているのか」(岩波ジュニア新書)。近著に「なぜヒトだけが老いるのか」(講談社現代新書)など。
演題 なぜヒトは老い、そして死ぬのか?
令和6年8月30日(金)開催
自己紹介
本日はよろしくお願いいたします。
私は九州大学大学院を卒業してから9回引っ越ししております。学者の世界では転勤しないと役職があがらないという風習があって、私もいろいろなところを転々としております。
米国の製薬会社の研究所で働いたことがありましたが、当時クリントン大統領が掲げた「ヒトゲノム計画」の影響で、直接ゲノム解読に関係のない研究者は全て解雇されるという経験をしました。生物学の分野では珍しく一大イベントとなったゲノム解析に人材や資金が一気に集中し、世界の潮流というのはそういう風に動くんだなと体感できました。
その後日本に帰ってきてから、国立基礎生物学研究所、国立遺伝学研究所に勤め、現在は東京大学の定量生命科学研究所におります。
その他にも、生物科学学会連合の代表や、日本遺伝学会の会長を経て、今現在は日本学術会議の会員として社会活動をいろいろさせていただいております。
学術会議で今一生懸命やっているのが「我が国の学術の発展・研究力強化」です。
ご存知のことと思いますけれども、日本の科学ランキングがどんどん下がってきております。政府から学術会議に対して審議要請があり、こうした問題にも取り組んでおります。また、大学院の博士課程に進む人材が日本ではすごく少なくなっていて、これは将来厳しくなるぞというようなことに警鐘をならしつつ、活動をさせていただいております。
はじめに
私は「生物はなぜ死ぬのか」という本を3年前に書きました。こんな暗い題名の本は普通売れません。文系では哲学とか宗教という分野がありますが、理系では死ぬことなんか研究している研究者はいませんから。死ぬことは結果であって、生物学では生理現象の解明、医学ではなるべく死なないようにすることが仕事の本質であって、死ぬことの意味なんかどうでもいいわけです。
私は老化の研究をしておりますが、この遺伝子がない方が長生きになる、そういう面白い遺伝子があるんです。要するに、その遺伝子の機能は早く死なさせることなのです。死ぬことにも意味があるのだ、ということを色々考えているうちにこんな本を書いたということでございます。
今日お話しするのは3つのテーマで、1つ目は「生物はなぜ死ぬのか?」という内容です。先ほどの本のお話でございます。
2つ目は「ヒトの老いの意味とはなにか?」という内容です。
3つ目は「老年的超越を目指して」という内容です。「老年的超越」とは何のことかよくご存じない方もいらっしゃるかもしれませんが、割とためになる話です。
では1つ目の「生物はなぜ死ぬのか」という内容に入ってまいります。
生物はなぜ死ぬのか?
1.生物はすべて死ぬ~死に方は様々~
(1)プログラム的に死ぬ:昆虫
生物は必ず死にます。ただ死に方とか寿命にはいろいろありまして、代表的な3つのパターンをあげますと、例えば昆虫はプログラム的に死にます。時期が来たら死ぬのです。
カゲロウはトンボの仲間ですけれども、束の間の命でして、羽化して成虫になってから数時間で死んでしまいます。
カブトムシなんかはご存知のように1年です。お盆ぐらいまではすごく元気ですけれども、怪我したわけでも病気したわけでもないのにバタバタと死ぬのです。まさにプログラム的な死に方です。
当時小学生だった私の子供から「カブトムシは何で死んじゃうの?」と聞かれたことがあります。私はそれに答えられませんでした。
死ぬ理由はわかります。秋になるとカブトムシの体液が固まってくるのです。でも、死の意味については答えられませんでした。
それもあって、何でそういうことが起こるのか、といったことを考えていくことが「生物はなぜ死ぬのか」という本を書く動機の1つになったのです。
(2)食べられて死ぬ:小動物
他の生き物、例えば小さな動物、昆虫よりちょっと大きい生き物は、ネズミに食べられたり、カラスに食べられたり、怪我したりして死んでしまいます。寿命を全うすることはほぼございません。
魚類はもっとすごくて、マグロなどは5,000万個も卵を産みますが、そのうち寿司屋に並ぶぐらい大きくなるのは数十匹です。食べられるために生まれてきたような感じですね。
(3)食べられなくなって死ぬ:大型の動物
最後は我々も含めた大型の動物です。どういうふうに死ぬかというと、飢え死にです。年を取ってくると老化して獲物が取れなくなって死にます。あるいは他の生き物に食べられて死にます。体が大きいので、他の生き物から食べられることは少ないいため、基本的には飢え死にです。
まとめますと、プログラム、アクシデント、老化型、この3つのパターンがあります。野生の動物というのは、怪我はあるけど、病死はほとんどありません。病気になる前に、食べられたりして死んじゃいます。死因は寿命ばかりではございません。
2.死の起源を尋ねて
(1)38億年前の地球にタイムトラベル
皆さんご自分の手や周りの人の顔をご覧になってみてください。すごくよくできていますよね。
こんな緻密に精巧にできているのに、何で壊すのか、死ななきゃいけないのか。「生物はなぜ死ななければならないのか?」これは生物学の大疑問です。
私たち生物学者は、何かわからないことがあると、その進化について考えます。私たちですが、元をたどれば、すごく単純な一個の細胞から始まっているのです。それが長い時間をかけてだんだん進化して植物になったり、動物になったり、いろんな生き物になったわけです。ですから今複雑で分からないものでも、その大元を辿ればわかるだろうと考えます。化石を見るわけではなく、今いる生き物で、昔からいて、その形を維持しているようなものを探すのです。
すべての生物は死ぬ、ということは「最初の生物が死んだ、だからその子孫である私たちは死ぬ」と生物学的には考えます。
では最初の生物はなぜ死んだのか、この生物が死んだ理由で、その子孫である私たちはみんな死ななければいけないのです。
ではその理由を尋ねましょう。38億年前の地球にタイムトラベルしてみます。
(2)生命の誕生:38億年前
生命の誕生は今から38億年前と言われております。熱水噴出孔、下から熱いお湯が湧き出るようなところから生命ができたのだろうと考えられています。いろいろな物質が地下から湧き出る、それに加えて、温度が高いので、化学反応が起こりやすかっただろうというわけです。
最初にできた物質はRNAとかアミノ酸などの有機物だと考えられています。有機物は生物の材料です。RNAもアミノ酸もすべての生物が持っています。しかもこの2つは、実験室で合成できるんですよ。ですから、自然にできることも可能だったでしょうというわけです。
(3)生命のタネ「RNA」の誕生
ここからはミラクルで、進化のプログラムというのが開始しました。進化とは「変化」と「選択」を繰り返して姿や性質が変わることを言います。
「変化」というのは、親とは違う多様な個体ができることで、「変異」と言います。
「選択」というのは、多様な個体のうち、たまたまその環境で生き残ることができることで、「適用」と言います。
最初にできた物質はRNAだろうと言われております。RNAの構造は、A、G、C、Uという4つのブロックが長くつながったひも状の分子で、いろいろな配列があります。
RNAには2つのすごくユニークな性質があります。1つ目は自分で配列とか、長さとか構造を変えること、2つ目は自分のコピーを作ることです。Aに対してはU、Gに対してはCというブロックがくっつきます。ですから、ひも状の分子を鋳型にして、新しい裏表の関係の鎖ができるわけです。それがパッと離れて、またそれぞれが鋳型となって、Aに対してはU、Gに対してはCというブロックがくっついていく。自分のコピーを作ることができるのです。
(4)進化のプログラムが開始
RNAはAとU、GとCがくっつきますから、長いひも状なのですけども、一本の鎖の中でもいろんなところがくっつくので、いろいろな形を作ります。
ここにA、B、C、Dの偶然できたいろいろなRNAがあるとします。それぞれ配列が違います。AもBもCもDもEもコピーしては壊れ、コピーしては壊れを繰り返します。そしてたまたまAというRNAが他よりも壊れにくかった、あるいは自分のコピーを作りやすかったとしますね。そうすると、全部Aに材料を取られてしまいます。そこで長い時間をかけるとAばかりになります。これが「選択」です。B、C、D、Eは分解したまま死んでしまった。これがおそらく最初の死の起源であろうと考えております。これと同じことがずっと起こるのです。
Aの中でまた変化が起こります。進化は「変化」と「選択」です。A’というのができたとしましょう。このA’は、他のオリジナルのAに比べると、壊れにくかった、あるいはコピーが作りやすかったと仮定すると、長い時間そのままにしておくと、A’ばかりになってしまいます。A’に全部材料を取られて普通のAは分解されて死んでしまった。これが死ということなのです。ずっとこれを繰り返した結果、今いる地球上の全ての生き物ができたのだろうと考えられるのです。
RNAの並び順つまり遺伝情報のことをゲノムといいます。ですから、このAというゲノムが生き残ったわけですね。これが私たちの祖先のゲノムとなります。
ここで少しまとめますと、多くの研究者は、私も含めて、生き物の起源はRNAだったと思っています。もっと正確に言うと、そこに書かれているデジタル情報が重要だったのです。その情報によって、壊れにくい、コピーを作りやすいものが選択されて残ってきた。ゲノムは壊され、選択され、作り変えられ、また選択され、を繰り返して進化した。
ゲノムが壊れる、RNAが壊れることが死ぬということだったのだろう、これが死の起源だろうと私は考えています。
3.現在のゲノムはDNA
現在でもこの関係は実は続いておりまして、今はRNAからDNAという物質に変わりました。RNAとDNAはほとんど同じ物質ですが、DNAはRNAよりも壊れにくい。途中から進化の選択によってDNAがRNAにとって代わったわけです。しかもDNAは二本鎖で安定的です。
DNAはRNAから遺伝情報の座を奪いましたが、RNAが消えたわけではなく、RNAは依然として健在で、mRNAとして、タンパク質を作るという非常に重要な働きをしています。
DNAもRNAと同じく複製します。細胞が増える前に複製して、先ほどと同じように一本のひも状の分子が鋳型となって、Gに対してはC、Tに対してはAがくっつく、こういった関係で複製して同じものができるのです。
4.DNAも壊れる
DNAもRNAと同じく壊れます。壊れにくいのですけども、切れたり間違えたり、Gに対してはCがくっつかないといけないのですが、Aが間違ってくっついたりします。こんなことはすごくよく起こります。
幸いにしてそれを直す酵素というのを私たちはたくさん持っていて、ほとんど直されています。でも100%ではないので、細胞分裂が重なるに従って、要するに年を取るに従って、ちょっとずつ「直し損ない」が溜まってくるのです。そして癌になったり、細胞の機能が低下したりする。それを老化と言います。癌は老化現象の1つです。
5.ゲノムが壊れると死ぬ
先ほどの仮説ではRNAが壊れて、それで死が始まったのではないかと考えました。
DNAとなった今でもその関係はずっと続いていて、やっぱり壊れる、そしてDNAが壊れるとやはり死にますよ、というお話を、エビデンスを2つ交えてお話しさせていただきます。
(1)ゲノムが壊れやすい病気
1つ目です。DNAが壊れやすい病気があります。ヒト早期老化症という病気です。
ヒト早期老化症は思春期を過ぎてから急速に老化症状が現れる遺伝病で、平均死亡年齢が50歳くらいです。この原因遺伝子はゲノムの修復に関わる遺伝子で、ゲノムの修復機能が普通の人よりもちょっと弱い。それでこの病気の患者さんのゲノムは壊れやすく、そのために寿命が短いのです。
この早期老化症というのは、7種類知られておりまして、この7種類のうち、ウェルナー、コケイン、ブルーム、色素性乾皮症、ロスモンド・トムソンの5種類は、DNAの修復機能が普通の人よりちょっとだけ低いのが原因なんです。そうすると、寿命が縮んじゃうんですね。つまり、ゲノムが壊れやすくなると、寿命が縮む。遺伝情報が壊れると死んでしまいますよ、今でもRNAの時代と何ら変わっていませんよ、ということです。
(2)DNAが壊れやすい生き物は寿命が短い
2つ目です。これは生物学的なエビデンスです。生き物の寿命とゲノムの壊れやすさを調べると、きれいに反比例、逆相関するのです。
ヒトが哺乳動物では1番寿命が長くて80歳ちょっと。一方、ゲノムの壊れやすさは哺乳動物の中でヒトが1番低い。1年間に細胞あたりで60カ所ぐらいしか壊れません。
これに対して寿命が1番短い哺乳動物はハツカネズミです。寿命は2年です。壊れやすさは細胞当たり1年間に800カ所で、人に比べると20倍ぐらいゲノムが壊れやすいのです。他の動物も横軸を寿命、縦軸をゲノムの壊れやすさにプロットすると、寿命が長い生き物ほどDNAは壊れにくいことがきれいに示されます。
6.まとめ~生物はなぜ死ぬのか?~
ここで、「生物はなぜ死ぬのか?」についてまとめてみます。そのメカニズムははっきりしておりまして、ゲノムが壊れることが原因です。これを壊れないようにしてやると、多分長生きになります。
マウスは寿命が2年でDNAは壊れやすい。ヒトは80年生きてDNAは壊れにくい。ではヒトのDNAを修復する遺伝子をマウスに入れてやって、マウスのゲノムを壊れにくくしたら、寿命は延びるのか、という実験をしています。どういう遺伝子がマウスの寿命を延ばすことができるかということが分かれば、その遺伝子を人で増強していればいいわけですから、かなり有効です。
もう1ついいことは、ゲノムが壊れないようにして寿命を延ばすので、がんとか認知症にもならないんですよ。私は定年まであと5年あるのですけれども、5年で間に合うかどうかわかりませんが、1個でもそういった遺伝子を決めたいと思っております。
でも、子供が「父さん、何でカブトムシは死ぬの?」と聞いたとき、子供が求めていたのは「ゲノムが壊れるからだよ」という答えではないのです。なぜ死ぬということがこの世に存在するのか、ということなのです。
それに対する答えは「進化の結果できた生物はRNAの時代から最初から死ぬようにできている、なぜかというと、壊れないと進化できなかったから」というものです。死があるものだけが進化できて存在する。進化のためには「変化」と「選択」が必要です。選択がないとダメなのです。だから、生物は死ぬのです。
ですから、「生物がなぜ死ぬのか」という問いそのものが間違っていて、生物が死ぬのではなくて、死ぬ生き物だけが進化できて、今こんなに存在しているのです。死なざるを得ないのです。死は進化のために必要な究極な利他的な行為なのです。
以上が1つ目のテーマについてのお話です。
ヒトの老いの意味とはなにか?
1.平均寿命の推移
日本は世界一の長寿国です。現在、ご存命のトップ10名中3名は日本人です。日本だけでも100歳以上が約9万人いらっしゃいます。9割は女性です。
OECD38か国の平均寿命の変遷を見ると、1番上の右肩上がりが日本です。日本は最長国を20年以上続けております。シニア人材は世界一豊富です。
日本人の生存曲線の年次推移を横軸が年齢、縦軸が生存数とします。男性と女性で比較しますと、基本的に形は一緒です。ただ、女性は5年ほど長生きなので、グラフが右に5年ずれています。
2.平均寿命は延びても最大寿命は変わらない
ここから2つ興味深いことが分かります。1つは、今に至るまでの70年間でだんだんと平均寿命が延びてきたということです。要するに、あるところまでは全然亡くならなくて、突然急激に亡くなるというのが1つ目です。
もう1つ、こちらが重要なのですけども、どんどん平均寿命は伸びていますが、最大寿命は変わらないのです。男性の場合だと、85歳から95歳で大体40%が亡くなっています。ここは生物学でいう生理的な死です。何をやっても死ぬのです。女性の場合はそれが5年ずれていて、90歳から100歳の間に60%の人が亡くなっています。こうしたホットスポットがあって、その後の10年後ぐらいにほぼすべて亡くなるのです。それが寿命の限界です。
人には限界寿命があるという研究がありまして、死の壁、そこは超えることができないのです。
人の限界寿命年齢は115歳から125歳だろうといわれております。この時にはゲノムがすごく壊れやすくなっているということなのです。ですから、もし先ほど私が申しあげたような研究でゲノムが壊れにくくなったら、この壁が突破できるのかもしれません。
3.老いはヒト特有の生理現象
実は老いというのはヒト特有の生理現象だというのをご存知でしょうか。普通、野生の生き物で老いたものはいません。51種類だったと思いますが、野生の哺乳動物を調べた生物学者がいました。2017年の論文です。哺乳動物なので、メスの生理があるかどうかで老いているか、老いていないかを判定しました。ヒトの場合には女性の閉経は大体50歳前後です。ですから、そこから先が老後ということになります。
4.野生の哺乳動物にはほぼ老化はない
老後があるのは陸上の哺乳動物ではヒトだけです。ヒトと遺伝子がすごく似ているチンパンジー(ゲノムは99%同じ)でも、老いたメスチンパンジーはおりません。死ぬまで子供が産めます。寿命はだいたい40歳から50歳くらいです。閉経までの年齢はヒトもチンパンジーもほぼ同じです。老後の長さでチンパンジーとヒトの寿命の長さに差が生じます。
海の生き物では老後があるのが2種類あって、シャチとゴンドウクジラです。
というわけで、可能な限り調べた哺乳動物の中で老後があるのは3種類だけです。陸上ではヒトだけでした。
5.なぜヒトだけ長い老後があるのだろう?
野生の哺乳動物は一般的に生涯子供が産めます。つまり老後はありません。では、なぜヒトだけが長い老後があるのでしょうか。
先ほどお話したように、生物学者は何かわからないことがあると、その進化を考えます。進化の結果、そういった性質が選択されたのだから、その理由が分かれば、今の現在の性質が説明できるだろう、と考えるのです。
そこでヒトの進化から考えてみましょう。ヒトというのは700万年前にチンパンジーと共通のご先祖様から別れました。それから猿人、原人、旧人、新人と進化していきます。ここで注目していただきたいのは、ヒトの700万年の歴史の中で、実は699万年は移動生活であったことです。狩猟と採集の生活です。農耕牧畜を始めたのは最近1万年です
私たちとすごくゲノムが似ているチンパンジーに老後はありませんでした。ヒトとチンパンジーが別れてから老後ができたのだろうということになります。
では、ヒトとチンパンジーの違いというのは一体何でしょうか。
これを小学生に尋ねると、「違いは体毛です。猿は毛むくじゃらですが、ヒトには毛が生えていません」と答えます。
確かに猿人から原人になったあたりで毛がパーっと抜けました。だいたい200万年前です。ちょうどこの頃、毛が抜けて寒くなったのかもしれませんが、火の使用を開始しております。野生の生き物は基本的に毛が生えているのですけれど、火をすごく怖がります。それは毛に火がつくからです。そこで、毛が抜けてから火を使うようなり、服も作るようになりました。
6.長寿化のおばあちゃん仮説
普通、進化というのは有利な形質が残るんですけれども、毛に関してはあまりよく分かっていないですね。毛が抜けてそんなにいいことはなかったんじゃないかなと思います。例えば寒い、怪我をする、虫に刺される、こんなのは序の口で、1番困ったことは、実は子育てなんですよ。チンパンジーもゴリラも、子供が生まれると、数日後には子供は自分でお母さんの体毛にしがみつきます。ですので、お母さんは両手が使えます。木にも上るし、ご飯も食べられる。
これがヒトの赤ちゃんだと、3歳ぐらいまでは転がっているだけです。何もしません。自分で母親にしがみつくこともできません。非常に手がかかる。手がかかるということは子育てができないということで、そこで終わっちゃった人類も多分いるんだと思います。毛が抜けて滅びた人類も。
でも今、我々は現に生き残っているわけで、ここの難局を乗り越えたのです。どうやって乗り越えたかというと、1番強い説は「おばあちゃん仮説」というものです。シニアが助けたのです。
おばあちゃんが元気な家庭は、子供の育児を手伝って、それで子供を育てることができたのです。これが有名な「長寿化のおばあちゃん仮説」というものです。多分おじいちゃんも手伝ったと思いますけど、主におばあちゃんが子育てを手伝って、元気なおばあちゃんがいる家庭は栄えた、それで長生きになったという説がございます。これは割と信じられています。
7.年配者(シニア)がいる集団が栄えた
では、おじいちゃんは何もしなかったのかというと、恐らくそうではないでしょう。
ここからは私の説になるのですが、裸の猿であるヒトの祖先は集団で暮らしていました。集団で暮らすということは、結束力が強い集団が生き残るわけです。集団の中で結束力を発揮するには恐らく年長者が非常に重要だったのです。経験・知識が豊富ですから、シニアには集団をまとめる力があります。この時にはまだ文字も書物もありません。しかも狩猟採集の生活です。この山ではいつ何が取れるのか、釣りはどうやるのか、マンモスはどうやって倒すのか、というノウハウはすべて年長者の頭の中に入っています。ですから、世話好きでリーダーシップがあって、良いシニアがいる集団ほど栄えたわけです。
なおかつ、集団で暮らしている人類にとって1番危機的な状況は、仲間割れです。必ず喧嘩が起きます。そういったことに対しては、誰かが仲裁しないといけないわけで、それができるのも恐らくシニアでしょう。
シニアにはなぜそういうことができるかというと、例外はありますが、私欲が少ないからです。老い先短いので、「俺が俺が」とあまり言わないのです。私欲が少ないから信頼され、仲裁ができて、それで揉め事も丸く収めただろうと。ですので、良いシニア、徳のあるシニアがいる集団が団結力が強くなって栄えて、そのような集団が今まで生き残ってきたのだろうと考えられるのです。
8.寿命延長の正のスパイラル
文明が高度になると、ますます知識の継承や教育に年配者が活躍します。年配者が活躍して集団が栄えると、ますますそのキャパシティが増えて、その集団がより多くのシニアを抱えこむことができるようになります。これが寿命延長の正のスパイラルとして機能したのだと考えております。
老いとは、利己から利他への意識の変化、社会貢献のために獲得されたヒトだけの特徴であり、老いた人が集団に必要だったのです。
老年的超越を目指して
1.老年的超越とは
ここから最後のテーマである「老年的超越を目指して」について話をさせていただきます。
役割があったので、年長者は長生きになってしまったのです。長生きの人がいた方が集団としてまとまったわけです。ではご本人にとっては何か良いことがあったのか? ということについての話になります。
「老年的超越」という言葉がございます。これは学術用語でありまして、85歳以上の人が持つ心理特性のことであり、1989年にスウェーデンの社会学者ラルス・トルンスタムが提唱した概念です。彼は85歳以上の超高齢者の心理特性をアンケート調査しました。
死が近い人というのはあまり元気がないのではないか、という彼の予想に反して、皆さんすごく自己肯定的でポジティブだったのです。「宇宙的、超越的、非合理的な世界観への意識の変化」が見られました。アンケートに回答した人は全員健常者で、認知症の人はいらっしゃいません。
ちなみに、超越する前は「物質主義的(合理的)、自己中心的、競争的、現実的」でございます。これは我々も含めて、若い人はみんなそうです。これと180度逆のことが年を取っている人に起こっているのだそうです。
2.85歳以上の人が持つ心理的特性
85歳以上の人が持つ心理的特性は3つありまして、1つ目が「感謝の認識」です。他人に支えられている認識と他者への感謝の念が強い。
2番目が「利他性」です。これは先ほどちょっと話しましたけども、自分中心から他人を大切にする姿勢です。
3番目が「肯定感」です。肯定的な自己評価やポジティブな感情を持つのです。
具体的な例で言いますと、「ドラえもん」ののび太のおばあちゃんのような心境です。いつも縁側にニコニコしながら猫を撫でながら座っていて、庭の盆栽とか見ているわけです。そして宅配便の配送の方が来ても、まあ上がっていきなさい、と言ってお茶やお菓子を出して話を聞いてあげる、そんな優しいお年寄りというのが老年的超越の心理特性です。ですのでオレオレ詐欺にはひっかりやすいです。これは認知能力の問題ではなく、超高齢者の心理特性のためです。周りの人が注意していないといけませんね。
何でこんなことが起こるのかというと、十分に生きたという満足感と幸福感、いつ死んでも悔いはない、というふうになると、いろんなことに対して寛大になる、利他的になるわけです。
何よりも素晴らしいのは、死に対する恐怖も消失するのです。いつ死んでも構わないというメンタリティになるというところは素晴らしいです。
利己から利他へ、さらに公共へ、どんどん意識が変化して、最後は自然との一体感を感じながら生きる。そして朗らかな気持ちで亡くなる、というところが、ある意味、1つの人生のゴールであると思っております。
最後に
本日の話をまとめてみます。
1番目の「ヒトはなぜ死ぬのか」については、これはDNAが壊れるからです。これはメカニズムとしてははっきりしております。ただその意味は、進化のためであり、死ぬものだけが進化できて今存在しているわけです。ですから、死というのは究極の利他的な行為なのです。
2番目の「ヒトの老いの意味とは何か」ということに関しては、老いても何も良いこともないと思っている方も多いと思いますけども、実はそうではなくて、社会にとっては老いた人は非常に重要で、利他的な人が必要なのです。
3番目の「老年的超越を目指して」ということに関しては、最後は幸福感に満ちた心境まで頑張るということです。寿命を全うするまで生きられたらいいかなというところでございます。
ご清聴ありがとうございました。
講師略歴
小林 武彦(こばやし たけひこ)
東京大学 定量生命科学研究所 教授
神奈川県横浜生まれ、三島市在住。
1987年九州大学理学部生物学科卒、1992年九州大学大学院医学系研究科博士課程修了(理学博士)。基礎生物学研究所、米国ロシュ分子生物学研究所(製薬企業)、米国国立衛生研究所、国立遺伝学研究所、東京工業大学等を経て、現職に至る。
日本学術会議会員。生物科学学会連合代表、日本遺伝学会会長などを歴任。伊豆の海、箱根の山そして富士山をこよなく愛する。
著書にベストセラー「生物はなぜ死ぬのか」(講談社現代新書)、「DNAの98%は謎」(講談社ブルーバックス)、「寿命はなぜ決まっているのか」(岩波ジュニア新書)。近著に「なぜヒトだけが老いるのか」(講談社現代新書)など。