東京大学 服部 孝洋
2024年7月10日に、東京大学公共政策大学院において黒田東彦前日銀総裁(第31代総裁)が「財政金融政策に関する私の経験」をテーマにご講演されました。当日は、400名を超える学生や教職員にご参加いただきました。公共政策を学ぶ学生にとって大変刺激となる貴重な機会となりました。ご多忙な中対応くださいました黒田前総裁とスタッフの方々に感謝申し上げます。
本稿は当日の講義内容を活字化したものです。東京大学の学生向けに、黒田前総裁が大蔵省(現財務省)に入省されて以降のご経験をご講演いただいた貴重な内容です。また質疑応答では、海外での留学でのご経験や、現在公務員になることについてのメッセージなどもあり、学生だけでなく、多くの人に読んでもらいたいと思っています。なお、本稿は「黒田東彦前日銀総裁、東京大学講演『財政金融政策に関する私の経験』(前編)」(『ファイナンス』2024年10月号)の続編になるため、前編についてもご一読いただければ幸いです。
アジア開発銀行総裁としてアジア経済の安定と成長を支援する
一橋大学の教授を2年やった後に、アジア開発銀行の総裁になりまして、これは8年間務めましたが大変興味深かったです。アジアの経済が非常に発展していたというのもありますが、アジア開発銀行という国際機関のヘッドをしていると、相手国の首脳に会えるのですね。
私は例えば、中国の温家宝総理には5回くらいお会いしましたし、胡錦濤主席にも1回お会いしました。インドネシアのユドヨノ大統領には7、8回お会いしました。インドのマンモハン・シン首相には多分10回くらい、毎年2回くらいインドに行って会っていました。そういう意味で単に開発金融機関としての各国に対しての支援をするだけではなくて、そういった国々の首脳と会って、いったいどのように経済を運営しているのか、あるいは運営しようとしているのか、あるいは政治的意味合い、そういう部分を話題にして話を聞くことができました。
例えば、中国の温家宝総理と会った時に、人民元の切り上げ論の話が出ました。また、戸籍は都市戸籍と農村戸籍の2つがあるのですが、やめた方がいいのではないか、といった相当微妙な話もありました。マンモハン・シン首相には、インド経済は規制緩和とインフラ整備が進めば、毎年7%の成長が20~30年続くのではないか、規制緩和は十分ではないしインフラがまだ十分でない、ということを主張しました。ただ、特に21世紀になってからは、インフラ整備は大分進んだというのと、規制緩和も随分進んだので、インド経済は本当に7%成長を、あと20~30年は続けられるんじゃないかなというふうに思います。
物価の安定に努める(2013~2023年)
私は、2005年2月に千野総裁が任期を2年残して退任した後を継いでアジア開発銀行総裁に就任したので、2年後の2007年2月に5年の任期で再選され、さらに5年後の2012年2月に5年の任期で3選されました。ところが、2013年3月になって、突然、日本銀行総裁の大命が下り、3選後わずか1年で退任するのは心苦しかったのですが、8年にわたるマニラ滞在を終えて東京に戻りました。日本の金融政策が直面してきた様々の困難な状況を見てきただけに、身の引き締まる思いでした*1。
私が日銀総裁として初めて出席した2013年4月の金融政策決定会合で、政策委員全員が一致して量的・質的金融緩和政策(QQE)を導入することを決定しました。実は、私が総裁になる前の2013年1月の決定会合で、すでに、2%の物価安定の目標をできるだけ早期に実現することが決まっており、政府との共同声明にも盛り込まれていました。したがって、4月の決定会合では、1月の決定を実現するためにどのような金融緩和が必要かを検討し、マネタリーベースを年間60~70兆円増加させ、長期国債を平均残存期間7年程度でバランスよく年間約50兆円買い入れてイールドカーブ全体を引き下げることなどを決めました。このように、名目金利を引き下げるとともに、2年程度を念頭に置いてできるだけ早期に物価安定目標を実現するという強いコミットメントによって、予想物価上昇率を引き上げ、実質金利を大幅に引き下げることを狙いとしていました。
この「異次元の金融緩和」に経済は敏感に反応し、行き過ぎた円高も是正されて経済実態も大きく改善したことにより、消費者物価上昇率も2014年央には(消費税を除いたベースでも)1.5%に達しました。しかし、2014年4月の消費税増税の影響などから消費の低迷が続いたところへ、1バレル=110ドル程度だった原油価格が年末にかけて50ドル台まで下落し、これによって消費者物価上昇率も低下していきました。そこで、2014年10月にQQEを拡大し、マネタリーベース年間約80兆円増、国債買い入れ額年間約80兆円、国債の平均残存期間7~10年などとしました。
その結果、経済は持ち直し始めましたが、2015年夏ごろから原油価格がさらに下落し、消費者物価上昇率がさらに低下するとともに、予想物価上昇率も低下し始めました。2016年に入ると原油価格は一時30ドルを割るまでになり、人民元の大幅下落を背景に国際金融市場も揺れ動きました。そこで、日銀は2016年1月にマイナス金利の導入を決定しました。これは、銀行の日銀当座預金のごく一部(10~20兆円程度)に―0.1%のマイナス金利を付すものでしたが、イールドカーブ全体を大きく引き下げ、社債発行を増加させ、住宅ローンなどの銀行貸出も増加させました。ただ、一方で、超長期債金利の下落が保険会社や年金の運用益を引き下げ、これが消費者のマインドを冷やすおそれも指摘されました。
そこで、2016年9月に、2013年以降のQQEやマイナス金利などの効果について総括的検証を行い、(1)金融緩和は予想物価上昇率の押上げと名目金利の押し下げによって実質金利を低下させ、経済・物価の好転をもたらしたが、(2)2%の物価安定目標は実現できておらず、その背景には、原油価格下落、需要の弱さ、新興国経済の減速と国際金融市場の動揺などから、実際の物価上昇率が低下し、適合的期待形成の要素が強い予想物価上昇率も弱含みに転じたことがあり、(3)適合的期待による予想物価上昇率の引き上げには時間がかかるだけに、フォワードルッキングな期待形成が重要であり、マネタリーベースの長期的な拡大にコミットするとともに、(4)マイナス金利と国債買い入れの組み合わせでイールドカーブ全体に影響を与えられることが明らかになったので、(5)経済への影響は短中期ゾーン金利が大きく、イールドカーブの過度のフラット化はマインド面を通じて経済活動に悪影響を及ぼす可能性があることにかんがみ、適切なイールドカーブの形成を促す必要があるとされました。
このような総括的検証を踏まえ、2016年9月の金融政策決定会合において、長短金利操作付き量的・質的金融緩和への移行を決定しました。具体的には、日銀当座預金の一部に―0.1%のマイナス金利を適用するとともに、10年物国債金利がゼロ%程度で推移するよう、長期国債の買い入れを行うこととしました(「イールドカーブ・コントロール」)。また、2%の物価安定目標の実現をめざし、これを安定的に持続するために必要な時点まで、長短金利操作付き量的・質的金融緩和を継続するとともに、消費者物価指数(除く生鮮食品)の前年比上昇率の実績値が2%を超えるまで、マネタリーベースの拡大方針を継続することとしました(「オーバーシュート型コミットメント」)。こうした金融緩和策の下で、経済は潜在成長率を上回る1%台の成長を続けており、企業収益は過去最高のレベルで、失業率も3%以下とほぼ完全雇用状態になっているため、物価上昇率は2%の目標に向けて着実に上昇していくと考えられました(もちろん、経済物価情勢次第で、2%の物価安定目標を達成するために必要になれば、追加措置を採る用意はありました)。
ところが、2020年に入ると、コロナ感染症が急速に拡大し、政府による緊急事態宣言も出されるなかで、消費が激減し、成長率も、2020年には-4.1%に落ち込み、再びデフレになる恐れが出てきました。そこで、政府が雇用調整助成金やゼロゼロ融資で企業を支援しているのに合わせて、日銀も、コロナ感染症対応金融支援特別オペを2020年春に導入し、2023年春に廃止されるまでに、90兆円を超える利用がありました。いずれにせよ、この間、マイナス成長や物価下落がありましたが、失業率は一時的に3%に達したことがあったものの、基本的に3%以下を続けたのです。
さらに、2022年2月に、ロシアがウクライナに侵攻し、原油価格がバレル80ドル程度から120ドルまで急上昇し、日本の貿易収支が大幅な赤字になるとともに、1ドル=115円だった為替レートが円安に向かい、10%前後のインフレになった欧米の中央銀行が政策金利を0%程度から5%程度に引き上げたところ、金利格差が拡大し、150円程度まで円安が進みました。2022年秋に、政府は大幅な為替介入を行い、一時的に130~140円程度まで円高になったものの、その後、次第に円安に戻っていきました。
こうしたなかで、輸入物価が約40%上昇し、消費者物価も2022~23年には3%程度上昇し、2023年の春闘では、史上空前の企業収益と極めてタイトな労働市場の下で、30年ぶりに、賃上げが3.6%程度に達したのです。2021年まで続いた「賃金も物価も上昇しないというノルム」(長期インフレ期待が0%程度にアンカーされた状態)が、崩れ始めたと言えます。その後、2024年の春闘では、大企業は5.1%の賃上げ(定昇除きで3%前後の賃金上昇)、中小企業でも4.5%の賃上げと33年ぶりの賃金上昇になっており、賃金と物価の好循環が始まりつつあると見られ、日銀は、2024年3月に、マイナス金利の解除やイールドカーブ・コントロールの廃止などを決め、金融政策の正常化を始めたのです*2。
おわりに
これまで述べてきた財政金融政策に関する56年間の経験から、私はいくつかの教訓を得ました。
まず、第一に、財政金融政策を考える場合、経済学(あるいは「法と経済学」)の理論を理解することは不可欠であり、経済学者からのアドバイスもきわめて有益であるということです。ただ、具体的な状況において、何を目標にしてどのような政策を考えるかに応じて適切な理論(モデル)を選択する必要があり、かつて期待されていたように、唯一無二のマクロ経済モデルがあって、政策目標値を代入すると政策手段値が示されるようなことは期待できないと思います。
第二に、財政金融政策を考えるにあたっては、政策の余地(「ポリシースペース」)を規定する経済的・社会的・政治的な制約を考慮し、現実に可能な政策オプションの中から最適なもの(コスト・パフォーマンスが最善のもの)を選択する必要があります。経済学が教える通り、コストはすべて機会費用であって、代替可能な政策との比較においてのみ政策のコストも議論できるのです。
第三に、経済には予期せざるショックが及ぶことがあります。日本経済は、過去56年間にも、ニクソンショック、2度の石油ショック、バブル崩壊、阪神淡路大震災、アジア通貨危機、リーマンショック、東日本大震災、コロナ感染症、ウクライナ戦争など数多くのショックに見舞われました。このような場合、ルーティン的な財政金融政策を越えた決断が求められますが、そこでは内外の過去の事例に学び、素早く決断することが重要だと思われます。
第四に、財政金融政策、ことに金融政策において、期待や予想の果たす役割は重要です。金利の期間構造に与える期待の影響はよく知られており、物価上昇に関する予想形成が実際の物価上昇率へ与える影響もよく知られるようになりました。したがって、期待や予想に影響を与える政策当局のコミットメント(物価安定目標や財政健全化目標など)も極めて重要だと考えられます。
本学の教授や学生の方々が、経済学などの理論を通じて、あるいは実務を通じて、今後、財政金融政策がより一層適切に運営されるよう様々な貢献をされることを期待し、私の講演を終わりたいと思います。
何かご質問がありましたらお受けします。皆様方か色んな質問があればいただきたいと思います。
学生:ありがとうございました。オックスフォード大学に留学されて、働きながら多くの論文を書かれたと思うのですが、留学経験はどのように役立ちましたか。
黒田前総裁:非常に面白かったのは、私はウースターカレッジというカレッジに所属していましたが、基本的にundergraduate(学部生)が多いカレッジでしたので、graduate student(大学院生)が10数人しかいなかったのです。そこで経済学をやっている人は、もう一人アメリカ人の留学生がいただけでしたが、カレッジでの生活はなかなか面白かったです。
大学院としても講座やゼミがあり、一番面白かったのは、ヒックス名誉教授がゼミをしておられました。アメリカの大学の先生とか、元中央銀行総裁とか、色んな人を毎回ゲストスピーカーとして呼んで話させたうえで、大学院生に色々議論させて、最後にサミングアップといって、一つの結論をヒックス名誉教授がされるのですけど、それが実に巧みなんですね。
今でも覚えているのですが、イングランド銀行の理事に英国の金融政策の話をさせ、散々皆で議論した後に、ヒックス名誉教授が、イングランド銀行がわずか0.25%とか0.5%ほど公定歩合を引き上げただけで景気の過熱が止まったり、物価上昇率が下がったりするのはなぜかという議論をしたわけです。というのは、0.25%とか0.5%というその金利の引き上げ効果ではなくて、そういうことをすることによって、今後必要があればいくらでも公定歩合を引き上げるぞという決意、姿勢を示していると。つまり、今の言葉でいうとコミットメント、期待ですね。そういうことを実に今から50年位前にヒックス先生が言われたのですね。それをずっと覚えていまして、私が日銀の総裁になってから、なぜ期待とかコミットメントと言うかというと、1つはゼミの2年間が非常に印象的で面白かったということも背景にあります。
もう一つは全く別のことで、当時はもうリタイアしていましたが、ハロッド先生が『ロンドン・エコノミスト』の中で面白い議論をしていました。経済がものすごく加熱して、総需要が総供給を大きく上回っている時には、財政金融を締めたらインフレがおさまる、逆に今度は供給過剰で需要不足の不況という時に緩和すれば、物価は上がっていくのですが、その中間では、財政金融を締めると、規模の経済とか寡占経済とかの英国ではむしろコストプッシュになって、金融を締めたらむしろ物価があがってしまうということがありえる、ということを彼は主張したのですね。
多くのエコノミストは批判して、そういう「ハロッドの二分法」は間違っていると言ったのですが、当時の英国は金融を締めても全然インフレが落ち着かないという状況でした。私はハロッドの言うことは正しいんじゃないかと思いまして、データを見たんですね。確かに、需要と価格が捻じれているんです。完全雇用の少し下の所ところではむしろ、財政金融を締めて需要が減ると物価が上がってしまう局面があるので、これは「ハロッドツイスト」、「ハロッドのねじれ」というものがあるんじゃないかということを、『ロンドン・エコノミスト』に2回に渡り投稿したのです。
すると、ハロッド先生が私の大学院の寮に来てくれました。どうも彼は、私に手紙を書いていたらしいのです。カレッジの門のところにあるピジョンボックスに行って毎日見ていれば良かったんですけど、手紙なんてほとんど来ませんから私は全然見ていませんでした。大学院の寮にいたら、突然コンコンとノックされて、開けたら、痩せた背の高い帽子をかぶったハロッド先生がそこにいたんですね。
そうしたら、私の『ロンドン・エコノミスト』への投稿の内容は正しいと、ただ、一部のところでタイポ、ミスプリがあって、それは直させた方がいいぞと彼は言うんですね。私はそんなことをわざわざ『ロンドン・エコノミスト』に言って修正させる必要はないんじゃないかと言ったんですが、彼は厳しくて、そういうミスプリントしている部分はちゃんと是正させなくちゃいけないとか言ってくれました。
1時間くらい話しました。論文でしか見たことがない人だったんですけど、面白い人でした。ヒックス先生もハロッド先生もIMFの理事補をやっている時にまたお会いしました。二人ともその後すぐに亡くなってしまったため、基本的には大学でのやりとりでした。
私は法学部卒なのに、オックスフォードの経済学の大学院に行きました。オックスフォードの受け入れのチェックを担当するオックスフォードの先生から、法学部を出ているのに経済学の大学院に行って大丈夫か、どういう英語の本を読んだかと聞かれたので、サミュエルソンのEconomicsを読んだと言ったら、あれは高校の参考書だよと言われました。
その時、ドン・パティンキンの、一般均衡論とマネタリーセオリーの統合が図られるかということを論じた本がありまして、その本をたまたま読んでいたので、その本を読んでいますというと、そうか、と入学を許可してもらったのです。そういう意味で色々な経験もできて非常に面白かったです。
学生:ご講演ありがとうございます。金融政策は経済に合わせて機動的に行うべきであるという観点から、例えば中央銀行の独立性等が謳われているということだと思います。一方で、アベノミクスであるように、安倍さんの経済政策となると選挙のスローガンにされたりして、なかなか政策変更を中央銀行からしにくくなってしまうのではないかと考えられます。もう一点は、日本経済の停滞の要因は物価の低迷であり、マネタリーベースを増やせば解決する、というリフレ派と呼ばれる人たちがいらっしゃったと思います。そういった人たちが日銀総裁人事に対して、サポートをするということについてはどう思われますか。
黒田前総裁:いわゆるアベノミクスというのは、金融の大幅な緩和、機動的な財政政策、そして成長戦略ということだと思うんですけど、そういうことを安倍総理が思っておられたことは事実だと思います。
一方、そのもとで2%の物価安定目標を出来るだけ早期に実現するために金融緩和を行うという決定は、2013年の1月に日本銀行が行ったわけですね。その時の日本銀行は既に1998年の新日銀法以来、政府から独立して政策委員会で決められるということで、2%の物価安定目標を出来るだけ早期に実現するために金融緩和を行うということは、実は私が総裁になる前に1月の段階で日本銀行の金融政策決定会合で決まっていたということです。
そのもとで私が始めたのは、2%の物価安定目標をできるだけ早期に実現するために必要な金融緩和がどのようなものかということをスタッフと色々話し、実際に金融緩和を打ち出し、それからマイナス金利を導入し、イールドカーブ・コントロールを決めました。そういうことで、2%の物価安定目標をできるだけ早期に実現するという日本銀行の決定に沿って行ってきたという訳であります。
総裁の時に、年に2回ほど官邸で安倍総理と会いましたけれど、大体金融状況とか経済状況とかをお話しして、議論しましたけれど、なにか金融政策について注文めいたこととか、批判的なことは、どちらにしても総理は何もおっしゃらなかったです。安倍総理とはアジア開発銀行の総裁の時に年に2回くらい会っていましたけれど、安倍総理はインド経済がすごく好きで関心があって、インド経済のことはよくしゃべりました。ただ、あまり金融政策について、安倍総理本人とは話さなかったです。
かつての1997年までの法律では、総裁は大蔵大臣が任命し、その人をまた繰り替えることもできました。さらには金融政策について特定の政策を命じることができるということになっていました。しかし、1998年の日本銀行法で、そういうことが全部なくなりました。金融政策決定会合に財務省と内閣府の経済財政担当の人がそれぞれ出てきて、発言はできますけど、投票権はないわけです。今の日本銀行は政府から何か政策とかを注文されるということは全くないし、法律上できないわけですね。私は総裁を10年やりましたけど、圧力を感じたことは全くなかったですね。
それから、デフレが非常に大きな問題であったことは誰もが認めていることで、1998年から2012年のデフレの期間に、経済が低迷するだけでなく、いわゆる就職氷河期と言われる状態になって、その時に大学を卒業した人たちが思うような会社に就職できなかった。大企業は組合と話して、正規雇用を維持しつつ賃金をどんどん下げていったんです。
デフレの15年間、毎年平均1%くらい賃金が下がっていった。しかし、正規雇用の職員をクビにしないということで、ある意味で過剰雇用を抱えていたわけなので、大卒(新卒)の人はほとんど採用しないということになって、この15年の就職氷河期の影響は今でも残っているわけです。そういうことで、就職できなかった人たちは、そのままずっと元々のところで働いているわけで、その15年間の大きなマイナスというのはなかなか補償することができない、非常に大きな影響となりました。
デフレ、インフレというものは色々な要因でなりますけども、日本銀行法に書いてある通り、あるいは世界の中央銀行もですが、物価の安定、すなわち、デフレとインフレを治すという責務、責任が中央銀行にはあります。この15年のデフレを是正するのができなかったというのは、日本銀行としてその責務を果たしてなかったということですから、そういう意味で、金融政策を総動員して金融緩和を行って、デフレを脱却するということが日本銀行としての最大の責務でした。そのために、さっき言ったように1月に2%の物価安定目標を出来るだけ早期に実践するために金融緩和をする、ということを日本銀行としてコミットしていくわけですね。
それに合わせて、いろんな金融緩和をし、そして現在に至り、まさに物価も2%程度上がっている。しかも雇用も非常に良くて、人手不足なくらいです。因みに日本銀行法では単に物価を安定させろというだけではなくて、物価の安定を通じて国民経済の健全な発展に資するということですので、まさにそういう意味で、2013年以来の金融緩和によって、物価の安定、そしてそれを受けて、国民経済の健全な発展に資するということに繋がっているというふうに思っています。
学生:生で総裁を見られてとても感動しますが、総裁が務めた10年間はどのようなモチベーションで取り組まれたのか教えて頂きたいです。例えば、日銀の金融政策決定会合の後の定例会見とかは、マーケットからの注目度もかなり高いですし、国民全員が一挙一動を見ていたと思います。一言一言がすごく重いというかプレッシャーがあったと思うのですが、どのようなモチベーションで取り組んでおられたのか教えて頂きたいです。
黒田前総裁:確かに今おっしゃった通り、マーケットについては、皆関心を持っており、マーケットへの影響について個人的には本当に慎重に議論をするようにはしていました。ただ、金融政策自体は金融政策決定会合で2日間かけて議論して、しかもそれが公表されます。さらに、その議事要旨を次の金融政策決定会合で承認して、その後出すわけです。決定会合は透明な形でやっていますので、ある意味では、記者会見で何か言うことよりも公表に向けた会ともいえます。
それから、金融政策決定会合の議論の中身が議事要旨に全部書かれています。十分に透明性を持って、金融政策の決定のプロセスや内容を、マーケットにも国民にも伝わるようにしていました。決定会合直後の記者会見では、特別なことを伝えないといけない、ということにはあまりなりませんでした。
植田健一教授:最後に一言、もし東大の学生に是非今後の人生の指針や、日本をどうすべきかなどについて、もし何かありましたら宜しくお願いします。
黒田前総裁:これは大変難しい質問です。今年の1月から5月まで、コロンビア大学の客員教授をして、大学の学生や教授、また、ニューヨークのウォールストリートのヘッジファンドなど、いろんな人と会って話をしたのですが、ある意味で言うとアメリカ社会の方がよっぽど大変なことになっていると思います。非常に分断化が進み、単に金持ちと貧乏人や、白人と有色人種などという話ではなくて、もっと複雑に分断化が進んで、非常に社会としての統一とかが難しいことになっています。こういう中で誰が大統領になるか分かりませんが、誰がなっても大変ですし、また、そのもとでの官庁のスタッフも本当にどこを見て仕事をすれば良いか分からないので非常に大変だと思います。
私が教えたコロンビア大学では、例のイスラエル対ハマス戦争で、イスラエル支持派とパレスチナ支持派でデモをやっており、大学当局が2回に渡って警察隊を動員するという騒ぎになりました。これもまた分断化の一つであり、非常に難しい問題であると思います。そういう意味では日本は非常に恵まれていますね。
最近の霞が関は士気が低下しているという問題があるのですが、政府の役割が減少するわけではないし、そのもとにおいて、総理や大臣、国会などの役割が小さくなるわけではありません。政府の職員がやらなくてはならないこと、さっきから申し上げているようなことを含めて、自分の経験も踏まえて、最適な政策は何か、そしてそれを実行していくという意味で、その官庁の職員の役割は大きい訳です。そういうところで是非仕事をやってみようと思っていただくのはいいと思います。
公務員をしていると私が申しあげたようないろんな事件もありますし、大変なこともあるのですけども、それだけ面白さや興味深さがあります。公務員になって官庁にいくうえで、公的なことに貢献しないといけないとか、そういうことをあまり考えるよりも、そういう社会、そういう世界で自分も面白い仕事、面白い経験ができるということを考えて、アプライしていただくといいんじゃないかなと思います。もちろん、面白い経験も辛い経験もあるけども、ある程度ダイナミックでチャレンジングな生涯を送れると思うので是非お勧めします。
また、現在の職員の方々は、いろいろな苦労もあるかもしれませんが、将来、重要で効果的な政策を担当されるかもしれません。また、留学、他省庁への出向、地方や外国での仕事など、異なる環境の下で、ブラッシュアップする機会もあるでしょう。
さらに、現在の職場を離れて、民間企業やコンサルタントとして働く人も出てくるかも知れません。これも一つの生き方であると思います。ただ、その場合も、元の職場の人たちとの連絡は維持し、再び元の職場に戻ることもあって良いと思います。
要するに、現在の仕事が思うように進んでいなかったとしても、将来は明るいことを期待して、前向きに仕事に取組んでいただきたいのです。
私自身の経験でも、困難なことは多々ありましたが、あきらめずに、その時々の仕事に取組んできました。職員の方々にも、そうした積極的な対応を期待します。
以上
*1) 『知遊』2017年1月の拙稿「私がたどった金融政策への道」参照
*2) Getting Monetary Policy Back on Track, 2024, Hoover Institution Press の拙稿“Inflation Targeting in Japan,2013-2023”参照
2024年7月10日に、東京大学公共政策大学院において黒田東彦前日銀総裁(第31代総裁)が「財政金融政策に関する私の経験」をテーマにご講演されました。当日は、400名を超える学生や教職員にご参加いただきました。公共政策を学ぶ学生にとって大変刺激となる貴重な機会となりました。ご多忙な中対応くださいました黒田前総裁とスタッフの方々に感謝申し上げます。
本稿は当日の講義内容を活字化したものです。東京大学の学生向けに、黒田前総裁が大蔵省(現財務省)に入省されて以降のご経験をご講演いただいた貴重な内容です。また質疑応答では、海外での留学でのご経験や、現在公務員になることについてのメッセージなどもあり、学生だけでなく、多くの人に読んでもらいたいと思っています。なお、本稿は「黒田東彦前日銀総裁、東京大学講演『財政金融政策に関する私の経験』(前編)」(『ファイナンス』2024年10月号)の続編になるため、前編についてもご一読いただければ幸いです。
アジア開発銀行総裁としてアジア経済の安定と成長を支援する
一橋大学の教授を2年やった後に、アジア開発銀行の総裁になりまして、これは8年間務めましたが大変興味深かったです。アジアの経済が非常に発展していたというのもありますが、アジア開発銀行という国際機関のヘッドをしていると、相手国の首脳に会えるのですね。
私は例えば、中国の温家宝総理には5回くらいお会いしましたし、胡錦濤主席にも1回お会いしました。インドネシアのユドヨノ大統領には7、8回お会いしました。インドのマンモハン・シン首相には多分10回くらい、毎年2回くらいインドに行って会っていました。そういう意味で単に開発金融機関としての各国に対しての支援をするだけではなくて、そういった国々の首脳と会って、いったいどのように経済を運営しているのか、あるいは運営しようとしているのか、あるいは政治的意味合い、そういう部分を話題にして話を聞くことができました。
例えば、中国の温家宝総理と会った時に、人民元の切り上げ論の話が出ました。また、戸籍は都市戸籍と農村戸籍の2つがあるのですが、やめた方がいいのではないか、といった相当微妙な話もありました。マンモハン・シン首相には、インド経済は規制緩和とインフラ整備が進めば、毎年7%の成長が20~30年続くのではないか、規制緩和は十分ではないしインフラがまだ十分でない、ということを主張しました。ただ、特に21世紀になってからは、インフラ整備は大分進んだというのと、規制緩和も随分進んだので、インド経済は本当に7%成長を、あと20~30年は続けられるんじゃないかなというふうに思います。
物価の安定に努める(2013~2023年)
私は、2005年2月に千野総裁が任期を2年残して退任した後を継いでアジア開発銀行総裁に就任したので、2年後の2007年2月に5年の任期で再選され、さらに5年後の2012年2月に5年の任期で3選されました。ところが、2013年3月になって、突然、日本銀行総裁の大命が下り、3選後わずか1年で退任するのは心苦しかったのですが、8年にわたるマニラ滞在を終えて東京に戻りました。日本の金融政策が直面してきた様々の困難な状況を見てきただけに、身の引き締まる思いでした*1。
私が日銀総裁として初めて出席した2013年4月の金融政策決定会合で、政策委員全員が一致して量的・質的金融緩和政策(QQE)を導入することを決定しました。実は、私が総裁になる前の2013年1月の決定会合で、すでに、2%の物価安定の目標をできるだけ早期に実現することが決まっており、政府との共同声明にも盛り込まれていました。したがって、4月の決定会合では、1月の決定を実現するためにどのような金融緩和が必要かを検討し、マネタリーベースを年間60~70兆円増加させ、長期国債を平均残存期間7年程度でバランスよく年間約50兆円買い入れてイールドカーブ全体を引き下げることなどを決めました。このように、名目金利を引き下げるとともに、2年程度を念頭に置いてできるだけ早期に物価安定目標を実現するという強いコミットメントによって、予想物価上昇率を引き上げ、実質金利を大幅に引き下げることを狙いとしていました。
この「異次元の金融緩和」に経済は敏感に反応し、行き過ぎた円高も是正されて経済実態も大きく改善したことにより、消費者物価上昇率も2014年央には(消費税を除いたベースでも)1.5%に達しました。しかし、2014年4月の消費税増税の影響などから消費の低迷が続いたところへ、1バレル=110ドル程度だった原油価格が年末にかけて50ドル台まで下落し、これによって消費者物価上昇率も低下していきました。そこで、2014年10月にQQEを拡大し、マネタリーベース年間約80兆円増、国債買い入れ額年間約80兆円、国債の平均残存期間7~10年などとしました。
その結果、経済は持ち直し始めましたが、2015年夏ごろから原油価格がさらに下落し、消費者物価上昇率がさらに低下するとともに、予想物価上昇率も低下し始めました。2016年に入ると原油価格は一時30ドルを割るまでになり、人民元の大幅下落を背景に国際金融市場も揺れ動きました。そこで、日銀は2016年1月にマイナス金利の導入を決定しました。これは、銀行の日銀当座預金のごく一部(10~20兆円程度)に―0.1%のマイナス金利を付すものでしたが、イールドカーブ全体を大きく引き下げ、社債発行を増加させ、住宅ローンなどの銀行貸出も増加させました。ただ、一方で、超長期債金利の下落が保険会社や年金の運用益を引き下げ、これが消費者のマインドを冷やすおそれも指摘されました。
そこで、2016年9月に、2013年以降のQQEやマイナス金利などの効果について総括的検証を行い、(1)金融緩和は予想物価上昇率の押上げと名目金利の押し下げによって実質金利を低下させ、経済・物価の好転をもたらしたが、(2)2%の物価安定目標は実現できておらず、その背景には、原油価格下落、需要の弱さ、新興国経済の減速と国際金融市場の動揺などから、実際の物価上昇率が低下し、適合的期待形成の要素が強い予想物価上昇率も弱含みに転じたことがあり、(3)適合的期待による予想物価上昇率の引き上げには時間がかかるだけに、フォワードルッキングな期待形成が重要であり、マネタリーベースの長期的な拡大にコミットするとともに、(4)マイナス金利と国債買い入れの組み合わせでイールドカーブ全体に影響を与えられることが明らかになったので、(5)経済への影響は短中期ゾーン金利が大きく、イールドカーブの過度のフラット化はマインド面を通じて経済活動に悪影響を及ぼす可能性があることにかんがみ、適切なイールドカーブの形成を促す必要があるとされました。
このような総括的検証を踏まえ、2016年9月の金融政策決定会合において、長短金利操作付き量的・質的金融緩和への移行を決定しました。具体的には、日銀当座預金の一部に―0.1%のマイナス金利を適用するとともに、10年物国債金利がゼロ%程度で推移するよう、長期国債の買い入れを行うこととしました(「イールドカーブ・コントロール」)。また、2%の物価安定目標の実現をめざし、これを安定的に持続するために必要な時点まで、長短金利操作付き量的・質的金融緩和を継続するとともに、消費者物価指数(除く生鮮食品)の前年比上昇率の実績値が2%を超えるまで、マネタリーベースの拡大方針を継続することとしました(「オーバーシュート型コミットメント」)。こうした金融緩和策の下で、経済は潜在成長率を上回る1%台の成長を続けており、企業収益は過去最高のレベルで、失業率も3%以下とほぼ完全雇用状態になっているため、物価上昇率は2%の目標に向けて着実に上昇していくと考えられました(もちろん、経済物価情勢次第で、2%の物価安定目標を達成するために必要になれば、追加措置を採る用意はありました)。
ところが、2020年に入ると、コロナ感染症が急速に拡大し、政府による緊急事態宣言も出されるなかで、消費が激減し、成長率も、2020年には-4.1%に落ち込み、再びデフレになる恐れが出てきました。そこで、政府が雇用調整助成金やゼロゼロ融資で企業を支援しているのに合わせて、日銀も、コロナ感染症対応金融支援特別オペを2020年春に導入し、2023年春に廃止されるまでに、90兆円を超える利用がありました。いずれにせよ、この間、マイナス成長や物価下落がありましたが、失業率は一時的に3%に達したことがあったものの、基本的に3%以下を続けたのです。
さらに、2022年2月に、ロシアがウクライナに侵攻し、原油価格がバレル80ドル程度から120ドルまで急上昇し、日本の貿易収支が大幅な赤字になるとともに、1ドル=115円だった為替レートが円安に向かい、10%前後のインフレになった欧米の中央銀行が政策金利を0%程度から5%程度に引き上げたところ、金利格差が拡大し、150円程度まで円安が進みました。2022年秋に、政府は大幅な為替介入を行い、一時的に130~140円程度まで円高になったものの、その後、次第に円安に戻っていきました。
こうしたなかで、輸入物価が約40%上昇し、消費者物価も2022~23年には3%程度上昇し、2023年の春闘では、史上空前の企業収益と極めてタイトな労働市場の下で、30年ぶりに、賃上げが3.6%程度に達したのです。2021年まで続いた「賃金も物価も上昇しないというノルム」(長期インフレ期待が0%程度にアンカーされた状態)が、崩れ始めたと言えます。その後、2024年の春闘では、大企業は5.1%の賃上げ(定昇除きで3%前後の賃金上昇)、中小企業でも4.5%の賃上げと33年ぶりの賃金上昇になっており、賃金と物価の好循環が始まりつつあると見られ、日銀は、2024年3月に、マイナス金利の解除やイールドカーブ・コントロールの廃止などを決め、金融政策の正常化を始めたのです*2。
おわりに
これまで述べてきた財政金融政策に関する56年間の経験から、私はいくつかの教訓を得ました。
まず、第一に、財政金融政策を考える場合、経済学(あるいは「法と経済学」)の理論を理解することは不可欠であり、経済学者からのアドバイスもきわめて有益であるということです。ただ、具体的な状況において、何を目標にしてどのような政策を考えるかに応じて適切な理論(モデル)を選択する必要があり、かつて期待されていたように、唯一無二のマクロ経済モデルがあって、政策目標値を代入すると政策手段値が示されるようなことは期待できないと思います。
第二に、財政金融政策を考えるにあたっては、政策の余地(「ポリシースペース」)を規定する経済的・社会的・政治的な制約を考慮し、現実に可能な政策オプションの中から最適なもの(コスト・パフォーマンスが最善のもの)を選択する必要があります。経済学が教える通り、コストはすべて機会費用であって、代替可能な政策との比較においてのみ政策のコストも議論できるのです。
第三に、経済には予期せざるショックが及ぶことがあります。日本経済は、過去56年間にも、ニクソンショック、2度の石油ショック、バブル崩壊、阪神淡路大震災、アジア通貨危機、リーマンショック、東日本大震災、コロナ感染症、ウクライナ戦争など数多くのショックに見舞われました。このような場合、ルーティン的な財政金融政策を越えた決断が求められますが、そこでは内外の過去の事例に学び、素早く決断することが重要だと思われます。
第四に、財政金融政策、ことに金融政策において、期待や予想の果たす役割は重要です。金利の期間構造に与える期待の影響はよく知られており、物価上昇に関する予想形成が実際の物価上昇率へ与える影響もよく知られるようになりました。したがって、期待や予想に影響を与える政策当局のコミットメント(物価安定目標や財政健全化目標など)も極めて重要だと考えられます。
本学の教授や学生の方々が、経済学などの理論を通じて、あるいは実務を通じて、今後、財政金融政策がより一層適切に運営されるよう様々な貢献をされることを期待し、私の講演を終わりたいと思います。
何かご質問がありましたらお受けします。皆様方か色んな質問があればいただきたいと思います。
学生:ありがとうございました。オックスフォード大学に留学されて、働きながら多くの論文を書かれたと思うのですが、留学経験はどのように役立ちましたか。
黒田前総裁:非常に面白かったのは、私はウースターカレッジというカレッジに所属していましたが、基本的にundergraduate(学部生)が多いカレッジでしたので、graduate student(大学院生)が10数人しかいなかったのです。そこで経済学をやっている人は、もう一人アメリカ人の留学生がいただけでしたが、カレッジでの生活はなかなか面白かったです。
大学院としても講座やゼミがあり、一番面白かったのは、ヒックス名誉教授がゼミをしておられました。アメリカの大学の先生とか、元中央銀行総裁とか、色んな人を毎回ゲストスピーカーとして呼んで話させたうえで、大学院生に色々議論させて、最後にサミングアップといって、一つの結論をヒックス名誉教授がされるのですけど、それが実に巧みなんですね。
今でも覚えているのですが、イングランド銀行の理事に英国の金融政策の話をさせ、散々皆で議論した後に、ヒックス名誉教授が、イングランド銀行がわずか0.25%とか0.5%ほど公定歩合を引き上げただけで景気の過熱が止まったり、物価上昇率が下がったりするのはなぜかという議論をしたわけです。というのは、0.25%とか0.5%というその金利の引き上げ効果ではなくて、そういうことをすることによって、今後必要があればいくらでも公定歩合を引き上げるぞという決意、姿勢を示していると。つまり、今の言葉でいうとコミットメント、期待ですね。そういうことを実に今から50年位前にヒックス先生が言われたのですね。それをずっと覚えていまして、私が日銀の総裁になってから、なぜ期待とかコミットメントと言うかというと、1つはゼミの2年間が非常に印象的で面白かったということも背景にあります。
もう一つは全く別のことで、当時はもうリタイアしていましたが、ハロッド先生が『ロンドン・エコノミスト』の中で面白い議論をしていました。経済がものすごく加熱して、総需要が総供給を大きく上回っている時には、財政金融を締めたらインフレがおさまる、逆に今度は供給過剰で需要不足の不況という時に緩和すれば、物価は上がっていくのですが、その中間では、財政金融を締めると、規模の経済とか寡占経済とかの英国ではむしろコストプッシュになって、金融を締めたらむしろ物価があがってしまうということがありえる、ということを彼は主張したのですね。
多くのエコノミストは批判して、そういう「ハロッドの二分法」は間違っていると言ったのですが、当時の英国は金融を締めても全然インフレが落ち着かないという状況でした。私はハロッドの言うことは正しいんじゃないかと思いまして、データを見たんですね。確かに、需要と価格が捻じれているんです。完全雇用の少し下の所ところではむしろ、財政金融を締めて需要が減ると物価が上がってしまう局面があるので、これは「ハロッドツイスト」、「ハロッドのねじれ」というものがあるんじゃないかということを、『ロンドン・エコノミスト』に2回に渡り投稿したのです。
すると、ハロッド先生が私の大学院の寮に来てくれました。どうも彼は、私に手紙を書いていたらしいのです。カレッジの門のところにあるピジョンボックスに行って毎日見ていれば良かったんですけど、手紙なんてほとんど来ませんから私は全然見ていませんでした。大学院の寮にいたら、突然コンコンとノックされて、開けたら、痩せた背の高い帽子をかぶったハロッド先生がそこにいたんですね。
そうしたら、私の『ロンドン・エコノミスト』への投稿の内容は正しいと、ただ、一部のところでタイポ、ミスプリがあって、それは直させた方がいいぞと彼は言うんですね。私はそんなことをわざわざ『ロンドン・エコノミスト』に言って修正させる必要はないんじゃないかと言ったんですが、彼は厳しくて、そういうミスプリントしている部分はちゃんと是正させなくちゃいけないとか言ってくれました。
1時間くらい話しました。論文でしか見たことがない人だったんですけど、面白い人でした。ヒックス先生もハロッド先生もIMFの理事補をやっている時にまたお会いしました。二人ともその後すぐに亡くなってしまったため、基本的には大学でのやりとりでした。
私は法学部卒なのに、オックスフォードの経済学の大学院に行きました。オックスフォードの受け入れのチェックを担当するオックスフォードの先生から、法学部を出ているのに経済学の大学院に行って大丈夫か、どういう英語の本を読んだかと聞かれたので、サミュエルソンのEconomicsを読んだと言ったら、あれは高校の参考書だよと言われました。
その時、ドン・パティンキンの、一般均衡論とマネタリーセオリーの統合が図られるかということを論じた本がありまして、その本をたまたま読んでいたので、その本を読んでいますというと、そうか、と入学を許可してもらったのです。そういう意味で色々な経験もできて非常に面白かったです。
学生:ご講演ありがとうございます。金融政策は経済に合わせて機動的に行うべきであるという観点から、例えば中央銀行の独立性等が謳われているということだと思います。一方で、アベノミクスであるように、安倍さんの経済政策となると選挙のスローガンにされたりして、なかなか政策変更を中央銀行からしにくくなってしまうのではないかと考えられます。もう一点は、日本経済の停滞の要因は物価の低迷であり、マネタリーベースを増やせば解決する、というリフレ派と呼ばれる人たちがいらっしゃったと思います。そういった人たちが日銀総裁人事に対して、サポートをするということについてはどう思われますか。
黒田前総裁:いわゆるアベノミクスというのは、金融の大幅な緩和、機動的な財政政策、そして成長戦略ということだと思うんですけど、そういうことを安倍総理が思っておられたことは事実だと思います。
一方、そのもとで2%の物価安定目標を出来るだけ早期に実現するために金融緩和を行うという決定は、2013年の1月に日本銀行が行ったわけですね。その時の日本銀行は既に1998年の新日銀法以来、政府から独立して政策委員会で決められるということで、2%の物価安定目標を出来るだけ早期に実現するために金融緩和を行うということは、実は私が総裁になる前に1月の段階で日本銀行の金融政策決定会合で決まっていたということです。
そのもとで私が始めたのは、2%の物価安定目標をできるだけ早期に実現するために必要な金融緩和がどのようなものかということをスタッフと色々話し、実際に金融緩和を打ち出し、それからマイナス金利を導入し、イールドカーブ・コントロールを決めました。そういうことで、2%の物価安定目標をできるだけ早期に実現するという日本銀行の決定に沿って行ってきたという訳であります。
総裁の時に、年に2回ほど官邸で安倍総理と会いましたけれど、大体金融状況とか経済状況とかをお話しして、議論しましたけれど、なにか金融政策について注文めいたこととか、批判的なことは、どちらにしても総理は何もおっしゃらなかったです。安倍総理とはアジア開発銀行の総裁の時に年に2回くらい会っていましたけれど、安倍総理はインド経済がすごく好きで関心があって、インド経済のことはよくしゃべりました。ただ、あまり金融政策について、安倍総理本人とは話さなかったです。
かつての1997年までの法律では、総裁は大蔵大臣が任命し、その人をまた繰り替えることもできました。さらには金融政策について特定の政策を命じることができるということになっていました。しかし、1998年の日本銀行法で、そういうことが全部なくなりました。金融政策決定会合に財務省と内閣府の経済財政担当の人がそれぞれ出てきて、発言はできますけど、投票権はないわけです。今の日本銀行は政府から何か政策とかを注文されるということは全くないし、法律上できないわけですね。私は総裁を10年やりましたけど、圧力を感じたことは全くなかったですね。
それから、デフレが非常に大きな問題であったことは誰もが認めていることで、1998年から2012年のデフレの期間に、経済が低迷するだけでなく、いわゆる就職氷河期と言われる状態になって、その時に大学を卒業した人たちが思うような会社に就職できなかった。大企業は組合と話して、正規雇用を維持しつつ賃金をどんどん下げていったんです。
デフレの15年間、毎年平均1%くらい賃金が下がっていった。しかし、正規雇用の職員をクビにしないということで、ある意味で過剰雇用を抱えていたわけなので、大卒(新卒)の人はほとんど採用しないということになって、この15年の就職氷河期の影響は今でも残っているわけです。そういうことで、就職できなかった人たちは、そのままずっと元々のところで働いているわけで、その15年間の大きなマイナスというのはなかなか補償することができない、非常に大きな影響となりました。
デフレ、インフレというものは色々な要因でなりますけども、日本銀行法に書いてある通り、あるいは世界の中央銀行もですが、物価の安定、すなわち、デフレとインフレを治すという責務、責任が中央銀行にはあります。この15年のデフレを是正するのができなかったというのは、日本銀行としてその責務を果たしてなかったということですから、そういう意味で、金融政策を総動員して金融緩和を行って、デフレを脱却するということが日本銀行としての最大の責務でした。そのために、さっき言ったように1月に2%の物価安定目標を出来るだけ早期に実践するために金融緩和をする、ということを日本銀行としてコミットしていくわけですね。
それに合わせて、いろんな金融緩和をし、そして現在に至り、まさに物価も2%程度上がっている。しかも雇用も非常に良くて、人手不足なくらいです。因みに日本銀行法では単に物価を安定させろというだけではなくて、物価の安定を通じて国民経済の健全な発展に資するということですので、まさにそういう意味で、2013年以来の金融緩和によって、物価の安定、そしてそれを受けて、国民経済の健全な発展に資するということに繋がっているというふうに思っています。
学生:生で総裁を見られてとても感動しますが、総裁が務めた10年間はどのようなモチベーションで取り組まれたのか教えて頂きたいです。例えば、日銀の金融政策決定会合の後の定例会見とかは、マーケットからの注目度もかなり高いですし、国民全員が一挙一動を見ていたと思います。一言一言がすごく重いというかプレッシャーがあったと思うのですが、どのようなモチベーションで取り組んでおられたのか教えて頂きたいです。
黒田前総裁:確かに今おっしゃった通り、マーケットについては、皆関心を持っており、マーケットへの影響について個人的には本当に慎重に議論をするようにはしていました。ただ、金融政策自体は金融政策決定会合で2日間かけて議論して、しかもそれが公表されます。さらに、その議事要旨を次の金融政策決定会合で承認して、その後出すわけです。決定会合は透明な形でやっていますので、ある意味では、記者会見で何か言うことよりも公表に向けた会ともいえます。
それから、金融政策決定会合の議論の中身が議事要旨に全部書かれています。十分に透明性を持って、金融政策の決定のプロセスや内容を、マーケットにも国民にも伝わるようにしていました。決定会合直後の記者会見では、特別なことを伝えないといけない、ということにはあまりなりませんでした。
植田健一教授:最後に一言、もし東大の学生に是非今後の人生の指針や、日本をどうすべきかなどについて、もし何かありましたら宜しくお願いします。
黒田前総裁:これは大変難しい質問です。今年の1月から5月まで、コロンビア大学の客員教授をして、大学の学生や教授、また、ニューヨークのウォールストリートのヘッジファンドなど、いろんな人と会って話をしたのですが、ある意味で言うとアメリカ社会の方がよっぽど大変なことになっていると思います。非常に分断化が進み、単に金持ちと貧乏人や、白人と有色人種などという話ではなくて、もっと複雑に分断化が進んで、非常に社会としての統一とかが難しいことになっています。こういう中で誰が大統領になるか分かりませんが、誰がなっても大変ですし、また、そのもとでの官庁のスタッフも本当にどこを見て仕事をすれば良いか分からないので非常に大変だと思います。
私が教えたコロンビア大学では、例のイスラエル対ハマス戦争で、イスラエル支持派とパレスチナ支持派でデモをやっており、大学当局が2回に渡って警察隊を動員するという騒ぎになりました。これもまた分断化の一つであり、非常に難しい問題であると思います。そういう意味では日本は非常に恵まれていますね。
最近の霞が関は士気が低下しているという問題があるのですが、政府の役割が減少するわけではないし、そのもとにおいて、総理や大臣、国会などの役割が小さくなるわけではありません。政府の職員がやらなくてはならないこと、さっきから申し上げているようなことを含めて、自分の経験も踏まえて、最適な政策は何か、そしてそれを実行していくという意味で、その官庁の職員の役割は大きい訳です。そういうところで是非仕事をやってみようと思っていただくのはいいと思います。
公務員をしていると私が申しあげたようないろんな事件もありますし、大変なこともあるのですけども、それだけ面白さや興味深さがあります。公務員になって官庁にいくうえで、公的なことに貢献しないといけないとか、そういうことをあまり考えるよりも、そういう社会、そういう世界で自分も面白い仕事、面白い経験ができるということを考えて、アプライしていただくといいんじゃないかなと思います。もちろん、面白い経験も辛い経験もあるけども、ある程度ダイナミックでチャレンジングな生涯を送れると思うので是非お勧めします。
また、現在の職員の方々は、いろいろな苦労もあるかもしれませんが、将来、重要で効果的な政策を担当されるかもしれません。また、留学、他省庁への出向、地方や外国での仕事など、異なる環境の下で、ブラッシュアップする機会もあるでしょう。
さらに、現在の職場を離れて、民間企業やコンサルタントとして働く人も出てくるかも知れません。これも一つの生き方であると思います。ただ、その場合も、元の職場の人たちとの連絡は維持し、再び元の職場に戻ることもあって良いと思います。
要するに、現在の仕事が思うように進んでいなかったとしても、将来は明るいことを期待して、前向きに仕事に取組んでいただきたいのです。
私自身の経験でも、困難なことは多々ありましたが、あきらめずに、その時々の仕事に取組んできました。職員の方々にも、そうした積極的な対応を期待します。
以上
*1) 『知遊』2017年1月の拙稿「私がたどった金融政策への道」参照
*2) Getting Monetary Policy Back on Track, 2024, Hoover Institution Press の拙稿“Inflation Targeting in Japan,2013-2023”参照