このページの本文へ移動
発展を続ける街、千葉市

横浜税関千葉税関支署総務課長 藤田 健二

1 はじめに
 千葉税関支署は、昭和26年(1951年)、川崎製鉄(株)(現在のJFEスチール(株))が千葉製鉄所を開設し、昭和28年(1953年)には、同製鉄所第1高炉に火入れされ、石炭や鉄鉱石を運搬する外国貿易船が入港することとなったことに伴い、同製鉄所構内に同年6月4日に横浜税関千葉分室を設置したことに端を発します。同年9月1日には、千葉分室から千葉出張所に昇格、更に昭和29年(1954年)7月1日に千葉港が開港に指定され、翌昭和30年(1955年)8月1日に出張所から支署に昇格しています。昭和56年(1981年)3月には、現在の千葉港湾合同庁舎が竣工となり、以来、千葉税関支署は、同庁舎に入居し、現在に至っています。
 千葉税関支署について少々紹介させていただきますと、千葉市中央区、JR京葉線の千葉みなと駅の南東側に位置し、千葉みなと駅から千葉税関支署までは徒歩約10分と交通の便が良い、いわゆる「千葉みなとエリア」にあります。また、JR千葉駅からも乗り継ぎで千葉都市モノレールに乗車して最寄り駅である市役所前駅で下車すれば、徒歩約9分で千葉税関支署に到着し、千葉駅近隣に建ち並ぶビルの間を疾走する夢のモノレール通勤を現実のものとすることができます。私自身、千葉税関支署の勤務は、平成8年(1996年)7月から6年間、平成24年(2012年)7月から1年9か月と今回(本年7月異動)で3回目で、庁舎内の様子は殆ど変わっていませんが、庁舎周辺を見渡すと、従来から存在していた千葉ポートタワー・ポートパーク、県立美術館などの観光スポットに加え、10年前までは存在しなかった高層マンション、ホテルなどが周辺に建ち並び、また、千葉みなとエリアは、近年、旅客船桟橋や港湾緑地の整備が進んでおり、見違えるほど様変わりしています。
 千葉税関支署では、現在53名の職員が勤務しており、管轄する船橋市川出張所、木更津出張所、姉崎出張所及び銚子監視署を含めると80名にのぼり、外国船舶・乗組員に対しては監視当直班が24時間体制で取締を行っており、商業貨物に対する取締においても、各種検査機器を活用しながら、いずれも社会悪物品の摘発を目指し、一致団結して業務を遂行しています。
 次からは、千葉税関支署の所在地である千葉市を中心に、千葉(県)についてご紹介いたします。
写真 千葉ポートタワーから望む千葉市街

2 発展を続ける街、千葉市
 千葉税関支署が所在する千葉市は、平成4年(1992年)4月1日に全国で12番目の政令指定都市に指定され、当時の千葉市の人口は、約83万人でした。千葉市中央区の人口を調べてみると、私が最初に千葉税関支署に勤務することとなった平成8年(1996年)は、166,000人から167,000人で推移していましたが、令和5年(2023年)12月には、215,465人に増加していました。千葉市全体の人口も、政令指定都市となって30年が経過した令和6年(2024年)8月1日現在、984,524人となっており、100万人に近づいています。
 千葉市が誇れるものとして、冒頭少し触れさせていただきましたが、「千葉都市モノレール」が挙げられます。千葉都市モノレールは、千葉みなと駅と県庁前駅を結ぶ1号線と、千葉駅と千城台駅を結ぶ2号線から成り、日本国内では2か所しかない希少な「懸垂式モノレール」です。千葉駅周辺の都市エリアや住宅街を含め、道路の上を飛ぶように走っていることから、スリリングな乗車体験ができる人気路線としても有名で、千葉都市モノレールを利用して出勤している職員は、朝から、同じ千葉県内に所在する「ディズニーアトラクション」を体験しているも同然であり、羨ましく思っています。
 なお、総営業距離15.2kmは懸垂式モノレールとして世界最長で、平成13年(2001年)にはギネス記録に認定されているとのことです。
写真 千葉みなとエリアを走る千葉都市モノレール

3 海と川に囲まれた千葉県
 千葉税関支署は、千葉県の浦安市から館山市にかけての東京湾内及び館山市から銚子市にかけての外房地域に渡る約534kmにも及ぶ長い海岸線を管轄しています。
 余談ですが、千葉県の北側にあたる茨城県との県境には利根川が流れ、また、千葉県北西部側の東京都及び埼玉県との県境は、江戸川が流れており、いずれも河川が県境となっています。そのため、千葉県は、海と川に囲まれた「島国」と言い換えても大きな嘘にはならないでしょう。
 更に余談を展開させますと、千葉県は、別名「クマなし県」と言われており、実は『本州で唯一熊が生息していない県』なのです。ご存じのとおり日本には二種類の熊が生息しており、ヒグマは北海道、本州以南にはツキノワグマが生息していますが、何故千葉県には熊が生息していないのか、はっきりした理由は分かっていませんが、房総半島に所在する山々が隣県に所在する山から孤立しているため、森林を伝って熊が来ることが出来ないのではないかと考えられているようです。周囲の東京都、埼玉県、茨城県の山中に生息する熊が街中を通って千葉県にやってくる可能性は極めて低く、また、仮に千葉県境までツキノワグマがやってきたとしても、江戸川或いは利根川を越えなくてはならず、川を泳いで渡る(ツキノワグマは、泳ぎは達者で、しかも時速40キロで走ることが出来るらしい)、或いは、橋を渡って越境することは困難と考えられます。ツキノワグマの千葉県侵入は、利根川と江戸川のダブル関所に任せておけば問題なさそうです。
 しかしながら、こと不正薬物などの禁制品の密輸入阻止については、そういう訳にはいかず、我々税関職員が文字通り「関所」となって食い止めるしかありません。記憶に新しいところでは、横浜税関は、千葉県館山沖でコカイン約178キロを密輸しようとしたとして、関係機関と共同で密輸に関与した関係者らを検挙、本年7月には関係者らを告発したということは報道のとおりです。
 千葉税関支署においては、社会悪物品の摘発に向け、日々取締・検査を行っているところであり、こうした職員の努力或いは当支署の取り組みが近く実を結ぶことを願ってやみません。

4 千葉市の観光名所
(1)千葉ポートタワー
 まず、千葉市の観光名所として紹介したいのは、「千葉ポートタワー」です。千葉ポートタワーは、千葉県の人口が500万人を突破したことを記念して建設され、昭和61年(1986年)にオープンした展望タワーで、その高さは125.15メートルにもおよびます。地上113メートルの展望フロアからは、千葉市街は勿論、東京湾に沈む夕日や京葉工業地域の夜景など、360度の大パノラマを楽しむことができます。また、ポートタワーは、ハーフミラーという熱線反射ガラスで覆われており、タワーには、青空に浮かぶ雲や太陽の光を反射するなど、外観からも魅了されます。更に毎年11月中旬から12月下旬まで、千葉ポートタワーの壁面には約3500球の電球で飾られた高さ100メートル、幅30メートルのクリスマスツリーが出現し、その景観は圧巻としか言いようがありません。是非クリスマスシーズンに展望台からの夜景とタワー全体が華やかに彩られる巨大なクリスマスツリーを見ていただきたいと思います。
写真 直下から見上げた千葉ポートタワー
写真 みなとオアシス千葉みなとから千葉ポートタワーを望む
(2)幕張メッセ
 次に紹介するのは、「幕張メッセ」です。幕張メッセは、平成元年(1989年)に千葉市美浜区にオープンした日本最大級のコンベンション施設であり、約17万平方メートルの敷地に展示場、イベントホール、国際会議場があり、様々なジャンルのビッグイベントが連日のように開催されています。過去には、自動車業界のビッグイベントであった東京モーターショーも同会場で開催されていたことは良く知られているところでありますが、本年9月20日から22日の3日間は、『X Games Chiba』が幕張メッセで開催され、スケートボード、BMX、Moto X(フリースタイルモトクロス競技)の人気競技で熱戦が繰り広げられ、大きな注目を集めました。

5 千葉の特産物
 千葉県は全国でも有数の農林水産物王国で、落花生、ホウレンソウ、大根、日本ナシなどが全国1位を誇っています。中でも千葉県の名産といえば、やはり「落花生」であり、千葉県の中でも屈指の生産地として挙げられるのが、千葉市の隣、八街(やちまた)市です。八街市八街は、住所を「八街市八街い〇〇番地」「八街市八街ろ〇〇番地」など、「い・ろ・は・に・ほ」を使用する変わった住所で有名な場所です。千葉県内には、八街のほかにも匝瑳(そうさ)市八日市場などで「イ・ロ・ハ・ニ・ホ」が住所に使用されています。なぜ千葉県内に「いろは地名」が多く存在しているのかについては諸説ありますが、明治22年(1889年)の町村大合併により、名称決定で紛糾した際に、それを大胆に「イ・ロ・ハ」というように解消したという説が濃厚のようです。
 話を戻しますが、令和5年(2023年)の落花生の生産量は全国で15,700トン、そのうち千葉県産は13,400トンで85%を占め、横綱クラスの全国1位となっています。
 日本では沖縄県で古くから栽培されていましたが、栽培が盛んになったのは、明治7年(1874年)に政府がアメリカから種子を導入して各地に配布し、栽培を推奨した頃からになります。千葉県での落花生の栽培は明治9年(1876年)に千葉県山武郡(現山武市)の農家牧野氏が、神奈川県三浦郡(現三浦市)から種子を導入して試作したのが始まりとされています。千葉県で栽培している主な落花生の品種は、有名どころの「千葉半立(はんだち)」の他、「ナカテユタカ」、「郷の香(さとのか)」、「おおまさり」などがあります。
 この中で「おおまさり」は平成22年(2010年)に品種登録されたもので、子実の重さが一般品種の約2倍と極めて大きい落花生です。生の落花生を茹でて食べますが、甘みが強く、食べごたえもあり、麦酒のお供に抜群です。
 16世紀以降、その高い栄養価から大航海時代の船上での食料として重宝され、そこから世界各地に広がったとされています。
 落花生はピーナッツとも呼ばれていますが、むしろピーナッツという名称が多く使われているのでないでしょうか。落花生とピーナッツの違いは形状で、殻付きは「落花生」、殻も薄皮もむいた「ピーナッツ」、薄皮つきは「南京豆」と呼ばれることが多いようです。
 高年層は「ピーナッツ」、「落花生」、「南京豆」の全てを使い、中年層から若年層は「ピーナッツ」、「落花生」を使いますが、「南京豆」は使わない傾向にあるようです。ちなみに筆者は「南京豆」は使わない中年層です。
11月11日はピーナッツの日です。11月は美味しい新豆が出回る時期。ピーナッツは一つの莢(さや)に二つの豆が入っていて、かわいい双子のようです。そこで11が二つ重なるこの日をピーナッツの日として昭和60年(1985年)に制定されたものです。
税関には麻薬探知犬をモデルとした「カスタム君」というイメージキャラクターがいます。当関では管轄する県ごとにご当地カスタム君がいて、千葉県はピーナッツをモチーフにした、耳が落花生、足がピーナッツになっているかわいらしいカスタム君です。
写真 ※千葉県のご当地カスタム君

6 おわりに
 今回、執筆するにあたり、私の勤務地である千葉市を含む千葉県の魅力を少しでもお伝えできればと思い、自分なりに勉強してみたのですが、正直、知らないことが多く、千葉市、千葉県の事を深く知る良い機会となりました。千葉市は都心に近く、レジャーに出掛けるにも環境が良いうえに、衣食住も充実しているからこそ、こうした魅力に人々が引き寄せられて発展を続けているのだと感じています。千葉市に着任して3か月、まだそれほど余裕はない状況でありますが、これからも十分に魅力ある千葉市を満喫していきたいと思っています。


万葉集と鋳物の里、高岡

大阪税関伏木税関支署 総務課長 田中 政義

1.はじめに
 伏木税関支署がある高岡市は、富山県の北西部に位置し、県庁所在地の富山市に次ぐ県内第2位の都市で、県西部の中心地になっています。
 高岡市の歴史については、遠い昔の古代(700年代)、現在の高岡市郊外は古墳時代以後、明治初期まで日本の地理区分の基本であった律令制に基づいた、当時の越中国の国府で、当時の国守として、万葉集の編纂に関わった歌人として有名な大伴家持(おおとものやかもち)が赴任し、在任した5年に多くの秀歌を残したとされています。
 「高岡」の由来は、近世(1600年代)、において中国最古の詩集「詩経」の一節「鳳凰鳴けり彼の高き岡に」に由来し、加賀前田家2代当主前田利長が築城と開町に際して名付けた縁起の良い意味の言葉から創作された地名とされています。
 その後、前田利長が築いた高岡城の城下町として発展したのですが、1615年の「一国一城令」により高岡城は廃城となり、当時「城の無い城下町は衰退していく」と言われていましたが、3代当主前田利常の「高岡の人々の転出を規制し、商業都市への転換を図る」という政策が功を奏し、高岡は商工業都市として発展を遂げ、今の高岡銅器や高岡漆器に代表される伝統工芸もこのころから始まりました。
 近代(1900年代)以降は、青森県の弘前市などの全国30都市と共に市制が施行され、当時全国の中でも最小規模ではありましたが、日本初の市の一つとして「高岡市」が誕生し、豊富な水を利用した水力発電による安価な電力を背景に、アルミ、化学、薬品、製紙、銅製品といった産業が盛んとなり、現代もその工業は引き継がれ、特に銅製品は国内シェア9割以上を誇っています。
写真 当支署の管轄区域図。

2.伏木税関支署について
 歴史ある高岡市に所在する伏木税関支署は、管轄する伏木富山港の発展と共に共存してきました。
 現在の伏木富山港は、1889年(明治22年)7月30日に、四日市・下関・博多・門司・口ノ津・唐津・三角・小樽・釧路の諸港とともに特別輸出港に指定され、米・麦・麦粉・石炭・硫黄の五品に限って海外へ直接輸出できることになり、これに伴い、同年10月、伏木新潟税関出張所の庁舎が開設され、11月15日、正式に税関業務を開始し、ここに伏木税関支署の歴史の第一歩が踏み出されました。
 その後、1894年(明治27年)5月、伏木富山港は特別貿易港に指定され、貿易相手地域は限定されるものの、日本船を利用する貿易なら前記五品目に限定されることなく自由に行えるようになるなど順調に推移し、貿易額においても十分開港場となるべき資格を備えていきました。
 ちなみに当時の伏木港から輸出された物品の中で最大の量を占めたのは米であり、輸入物品の大部分は海産物で、米1俵(約60kg)の価格が3円から5円程度だった当時の輸出額は10,739円、輸入額は20,154円であったそうです。
 1899年(明治32年)4月、伏木新潟税関出張所は、伏木税関支署と改称されるとともに、同年7月13日、伏木港が開港場に指定されるに伴い、同年8月4日、伏木税関支署は、正式に開港場としての事務を開始することになりました。すなわち、伏木港は、この日から世界に対して門戸を開き、直接外国人を相手にして自由に貿易を始めることができるようになったのです。
 このことは伏木町民だけでなく、富山県全体にとっても輝かしい記念すべき出来事であったことから、8月4日、この日、町端には縁門が設けられ、花火を打ち上げ、各戸には軒灯が下げられ、大名行列まで繰り出されました。さらに、港を一望できる伏木小学校を会場にして大祝賀会が催され、県知事をはじめ来客250名が参加したといわれています。
 8月4日は現在においても引き継がれ、この日に「伏木港まつり」が毎年盛大に催されています。
 近代(1900年代)においては、富山県における開港は伏木港だけでしたが、1939年(昭和14年)、伏木港に東岩瀬港を包含し、伏木東岩瀬港と改称され、さらに1951年(昭和26年)には重要港湾に指定され伏木富山港に改称されて以降、北陸経済圏の産業経済活動を支える一大物流拠点として、その役割はますます重要なものとなりました。
 伏木港区、富山港区の貨物取扱量の急増に伴い、新産業都市の一環として富山新港が建設され、1968年(昭和43年)に伏木富山港の一港区として開港指定されました。
 このころ、富山新港背後地の臨海工業地帯は、1965年(昭和40年)代に入っての工業構造の多様化とともに、地場産業である製材、水産加工業等の既存産業に加え、軽金属や火力発電などの新設工業と相まって工業の活性化を促進し、北陸有数の港湾工業都市として発展をとげるとともに、当伏木税関支署については、1964年(昭和39年)、現在の場所に伏木港湾合同庁舎が完成、国の出先6官庁が入居し運用が開始され、今年で合同庁舎も60歳の還暦を迎え、現在に至っています。

3.ふたつの国宝
 高岡市には全国的にもめずらしい市内複数国宝が所在しています。
 高岡市には他にも日本三大仏の「高岡大仏」や日本の渚百選の「雨晴海岸」などなど、数ある有名な見どころがありますが、今回は国宝にスポットを当ててご紹介させていただきます。

4.国宝「瑞龍寺(ずいりゅうじ)」
 まず一つ目の国宝「高岡山・瑞龍寺」。前記の加賀前田家2代当主前田利長の菩提を弔うために、加賀前田家3代目当主前田利常が、利長建立の法円寺を利長の法名「瑞龍院」に因んで改められ、のちに瑞龍寺に改称されました。
 造営に約20年かかった瑞龍寺は「江戸初期の禅宗寺院建築の傑作」と評され、その後は1985年(昭和60年)から約10年をかけて大規模な修理「昭和・平成の大修理」を経て、山門、仏殿、法堂(はっとう)が1997年(平成9年)12月3日に富山県下では初の国宝に指定されました。
 これは当時、新規の国宝建造物指定として、1967年(昭和42年)の法隆寺が指定されて以後、30年ぶりだったそうです。また、次にお話しするもうひとつの国宝「勝興寺」が指定されるまでは、富山県唯一の国宝でした。
写真 瑞龍寺

5.国宝「勝興寺(しょうこうじ)」
 ふたつ目は国宝「雲竜山・勝興寺」。佐渡にあった順徳天皇の御願寺が再興され、寺号を相続して「勝興寺」と称されました。越中における浄土真宗の本山および一般寺院の上申下達の仲介など一定の統制に当たった寺院で、本山に準じる江戸時代後期に建てられた本堂は、各地に多く建てられた大規模本堂の模範となった本願寺阿弥陀堂を規範とし、本願寺の宮大工によって図面が引かれたとして有名です。
 約23年かけて実施された「平成の大修理」により、江戸時代の姿を甦らせるべく大規模な復元修理が行われ、国の補助を受け、1998年(平成10年)からはじまり、本堂の修理が第1期に当たる2004年(平成16年)に完了し、翌、2005年から第2期に着手し、2020年に修理を完了し、江戸後期の当時の姿が蘇りました。本堂や大広間、書院および奥書院をはじめとする12の建造物のうち、本堂、大広間および式台が2022年(令和4年)12月12日に国宝に指定されました。この大広間および式台は現存する建築物では最も古い物となるそうです。
写真 勝興寺

6.おわりに
 今年の1月に発生した能登半島地震において、多くの方が被災し今もその傷跡は残ったままの状態が続いています。震度5強を観測した高岡市、当支署がある伏木地区でも、道路のいたるところで液状化が発生したほか、建物が倒壊するなどの被害を受け、先に紹介した瑞龍寺も国宝指定された法堂の木壁がずれたり、重要文化財の壁が剥がれたり、灯篭が倒壊するなどの被害を受けました。
 また、当支署が入る合同庁舎も、震災により現在も一部のトイレしか使えなかったり、受水槽や付属建屋が傾いたままなどの影響が残っています。しかし、地域の方々と共に「がんばろう伏木」をスローガンに復旧に向けて今も前進しています。
 高岡市には本当に沢山の歴史的な建造物が多数あり、今回は国宝2か所のみのご紹介になりましたが、他にも全国的に有名な観光スポットや、おいしいグルメがたくさんあり、それらは高岡市の市街地に多いことから、鉄道や車でのアクセスが非常に良い場所に多数存在しています。
 高岡大仏:高岡市の大佛寺にある青銅製阿弥陀如来坐像で高さ16m。地元の銅器製造技術の粋を集め1907年から26年の歳月をかけて完成し、奈良、鎌倉大仏と共に日本三大仏です。また、小杉大仏、庄川大仏と共に越中三大仏の一つでもあります。およそ800年前、承久の乱をさけて越中に入道した源義勝が木造大仏を造営したことがはじまりだといわれ、何度も荒廃や焼失といった危機にあいましたが、人々の願いにより再建を繰り返し今の形となっています。ちなみに、高岡大仏は出来栄えの素晴らしさから「日本一の美男」と呼ばれるほどなんですよ。
 雨晴海岸:万葉ゆかりの景勝地で、万葉の歌人、大伴家持は、この雨晴の風景をこよなく愛し、多くの歌を詠んだとされています。その美しい景色は今も昔も変わらず、浜から眺める岩礁、富山湾越しに見る三千メートル級の立山連峰の雄大な眺めは格別。息を呑む美しさです。源義経が奥州へ落ちのびる途中、にわか雨の晴れるのを待ったという「義経岩」は、地名「雨晴」の由来ともなっています。「日本の渚百選」、「白砂青松百選」、「日本の海水浴場88選」にも選ばれるなど、素晴らしい風景とともに夏場は遠浅で絶好の海水浴場にもなる人気の海岸。岩礁と白い砂浜、青松がつづく景勝地です。
 このように、いろいろな名勝があり、歴史情緒あふれる高岡市に、ぜひ、お越しください。

写真 がんばろう伏木!!