「ランチミーティング」における財政に関する講演内容をご紹介します
財務総合政策研究所 総務研究部 前総括主任研究官 鶴岡 将司\総務研究部 前研究企画係長 升井 翼
財務総合政策研究所では、財務省内外から様々な知見を有する実務家や研究者等を講師に招き、業務を遂行する上で参考になる幅広い知識や情報を得る場として「ランチミーティング」を開催しています。今月のPRI Open Campusでは、「財政」に関連して4名の方々にご講演いただいた内容を、「ファイナンス」の読者の方々にご紹介します。
「日本の財政」 吉川洋 東京大学名誉教授 2024年5月10日(金)
1978年エール大学大学院経済学部博士課程修了(Ph. D.)。ニューヨーク州立大学経済学部助教授、大阪大学社会経済研究所助教授、東京大学大学院経済学研究科教授などを経て、2016年から現職。財務省財政制度等審議会会長(2010年~2017年)、財務省財務総合政策研究所名誉所長(2017年~)などを歴任。2010年紫綬褒章受章、2023年文化功労者選出。
1.時代とともに変わる財政の役割
国がある以上財政があります。紀元前の時代から、国ができてまず生じるのが治水、それから国の形を守る軍事で、いずれも財政が関係します。さらに、古代から今に至るまでの財政の大きな役割に格差の是正があります。
戦後日本の財政が私たちの生活に果たした貢献の重要な例として平均寿命の伸びがあります。現在、日本の平均寿命は約84歳と非常に長いことはご存知の通りです。日本人は昔から「魚を食べているから寿命が長い」などと言われることもありますが、これは間違いです。ほとんどの先進国では20世紀前半に平均寿命が伸びていたのに対し、日本は例外的にほとんど伸びずに終戦を迎え、平均寿命は先進国の中で一番短かったのです。アメリカ人の人口学者の論文によると、戦前の政府支出は軍事費に偏っていて公衆衛生等の支出が十分になされてこなかったことが理由です。戦後日本では加速的な平均寿命の伸びを達成しましたが、経済成長による1人当たり所得の伸びや医療技術・医薬品の進歩のほか、社会保障制度の整備も大きな貢献をしたと思っています。このことを示すデータとして年齢階層別の受療率(人口当たりでどれぐらいお医者さんに罹るか)を見ると、国民皆保険導入前の1955年、まだ平均寿命が短かった時代には、経済的な理由で高齢者の受診が抑制されていたこともあって、受療率は年齢とともに下がっていました。ところが、1961年に国民皆保険が導入されるとともに受療率の世代間の差が反転しました。社会保障制度は日本人の健康や平均寿命の伸びに貢献してきたと思います。
現在、財政の新たな役割として注目されるのが少子高齢化への対応です。将来人口推計で人口が減少していくのは間違いないと言われているのはご存知の通りですが、若い世代の人たちが結婚や子育ての将来展望を描けないのが問題として指摘されています。この背景にも、ここ30年、日本で格差が拡大していることが大きな問題としてあります。
現代の日本では、正規雇用・非正規雇用の問題にあるように格差が拡大する中で、財政の再分配効果、特に税の再分配効果がかなり弱くなってきているとの指摘があります。日本の社会保障制度は、給付が年金、医療、福祉その他(介護、子育て等)から成り、負担は保険料が全体の6割程度、残り4割は公費となっています。公費は本来であれば税金ということになるのでしょうが、税収が十分ではなく国の財政赤字が増加しています。社会保障は「格差の防波堤」ですが、多くの人が社会保障の将来が不安だと感じているのが現状です。
2.大きくなる財政赤字のリスク
財政赤字の問題を船に例えて説明したいと思います。船底に水が溜まってしまうと最後に船は沈んでしまいます。そもそも水が溜まっているのは船底に穴が開いていて、穴から水が流入してきているわけです。この流入(フロー)が財政赤字で、これが年々増えているわけです。その結果として溜まった水がストックとしての債務残高です。船に何トンの水が溜まったら沈没してしまうのかというのは一義的には言えません。大きな船の場合には多少の水では沈みません。一国経済で見て船の大きさに対応する国の経済の大きさ、すなわち国内総生産(GDP)との対比で見ることが必要になるわけです。そこで債務残高の対GDP比を国際比較で見ると、日本はG7のみならず、その他の諸外国と比べても突出した水準となっています。この比率がどんどん上がっていて、日本はGDP(船の大きさ)の250%を超え、極めて危険です。どれぐらいの比率だったら大丈夫なのか。決まった数値があるわけではありませんが、EUはストックで60%以下に抑制するというルールを決めています。日本は国際比較上も歴史的に見ても異常な高さにあるこの比率が下がっていく傾向が全く見えない状態です。船底にある水を一瞬にしてなくすことはできません。債務残高を調整していくためにはフローで調整していかなければなりません。債務残高対GDP比の増減は2つの項目に依存します。1つが現在の債務残高対GDP比×(名目金利(r)-名目成長率(g))。もう1つが基礎的財政収支(PB,プライマリーバランス)の対GDP比です。PBは、債務残高対GDP比をコントロールしていくためのオペレーティング・ターゲットとして極めて重要です。次に問題になるのが、名目金利と名目成長率の大小関係です。長期的には名目金利が名目成長率を上回るというのが、私はノーマルな姿だと思います。同じような関係を例えば株価で考えると、株価は企業の将来の収益の割引現在価値として決まります。金利は将来の収益を現在価値に割り引くディスカウント・レートということになります。成長率がディスカウント・レートを上回れば価格(株価)は収束しないで無限大に拡散してしまう。これは話がうますぎるということだと思います。
経済成長というのは、財政再建のために大切ですが、それだけで財政再建できるというのは間違いでしょう。一方で、経済成長を疎かにして良いわけではなく、今の日本は経済成長にも問題があると思っています。人口が減るから経済成長は望めないと仰る方もいるのですが、人口と経済成長というのは先進国では一対一で対応していません。先進国では、1人当たりの所得が増えて成長している部分が定量的には大きいからです。こういうことをお話しすると、「人口は減っても良いと思っているのか」と指摘されることもあるのですが、そんなことは言っていません。日本の人口減少は大きな問題だと思っていますし、然るべき対策を講じるべきだと思います。それはそれとして、経済成長も目指していかなければなりません。そのためにはやはりイノベーションが必要です。これに対しても「日本は人口が減るからイノベーションでも駄目なのでは」と仰る方がいらっしゃいます。私はそれも間違っていると思います。統計を見ると、イノベーションが活発な国では人口が増えているかというと、そういうことはありません。1つの例ですが、ここ20~30年で代表的なイノベーション企業であるGAFAの時価総額が何倍に成長したのか、思い出して下さい。対してこの間のアメリカの人口が累積で何%増えたのか。桁が全く違うでしょう。イノベーションというのは、人口の増加をあてにして起こるというようなことはないわけです。
成長は是非してもらわないと困るのです。国全体として成長する必要はあると思います。ただし、成長に頼れば財政が何とかなるというのは間違いだと私は考えています。成長政策とは別に着実な財政健全化への努力を続けなければなりません。「今は低金利だから財政は問題ない」と主張する経済学者もいます。とりわけアメリカ発でいろいろな数学的モデルが出てきますが、やや乱暴な表現をすると、こうしたモデルはいくらでも作れる。例えばバブルの理論モデルもたくさんありますが、モデル上から導かれるスタンダードな結論は、バブルがないときよりもあるときの方が代表的な消費者のウェルフェアが上がるというものでした。皆さんもお分かりになると思うのですが、1990年代初頭のバブル崩壊以来、どれだけ日本経済がマイナスの影響を受けてきたかという経験からして、こうした理論モデルはどこか違うのではないか、理論モデルの前提がどこかおかしいのではないかと考えるのが普通だと私は思います。財政に関してもいろいろなモデルがいくらでも作れる。その中には、金利が低いときにはどんどん財政を出動したら良いというものもあると思うのですが、それをいちいち気にかける必要はないだろうと思っています。
3.歳出の効率化が重要
最後に歳出の効率化が重要だということを述べたいと思います。ワイズスペンディングという言葉が随所に見られるようになりましたが、ワイズスペンディングの成功例はインバウンド消費の拡大ではないでしょうか。もっとも、国は関連事業にそんなにお金を使っていないのです。お金を使うのではなく、然るべき規制緩和に努めた。現在、5兆円くらいのインバウンド消費支出があって、統計上は貿易収支に計上されます。昔からあるモノの輸出では自動車が一番多くて年間10兆円ぐらい、車の部品や鉄が5兆円くらいだと思いますが、インバウンドはほぼそれに匹敵するような付加価値を毎年生み出しているわけです。これに対してこの20年ほどで国が使った予算はピーナッツのように小さいと思います。わずかな投資で毎年5兆円がフローで入ってくるわけですから、投資効率で言えばものすごい高さになると思います。要はスペンディングの前にワイズアクションがなければいけない。そういう意味では国もまだまだやるべきことはあると思っています。
「財政政策と金融政策の一体運用によるマネー供給コントロールの可否」 森田長太郎 オールニッポン・アセットマネジメント株式会社執行役員・チーフストラテジスト 2024年5月16日(木)
1988年日興證券/日興リサーチセンター、2000年ドイツ証券、2007年バークレイズ・キャピタル証券、2013年SMBC日興証券等を経て、2023年より現職。財務省理財局「国の債務管理に関する研究会」メンバー。
1.コロナ・パンデミックが惹起したもの
昨今ホットなテーマである財政政策と金融政策の関係性についてお話をしたいと思います。金融政策が動き始めていますが、もう少し長いスパンで見ると、コロナ・パンデミックによって未曾有の財政拡張が日本だけではなく各国で行われたことをきっかけに、財政政策と金融政策の境界線を巡る議論が非常に活発になってきていると思います。
コロナ・パンデミックが惹起した議論にマネーの供給量とインフレの関係があります。この関係は久しく中心的な議論ではなかったのですが、再びクローズアップされています。米国のマネーサプライとインフレの関係を見ると、1970年代はどちらかと言うとインフレの変動がマネーサプライの増減を促したように観察されますが、今回は逆で、コロナ・パンデミック後にマネーサプライの急増が起きて、それを追いかけるようにインフレの高騰が起きています。ただ、日米欧を比較すると、マネーの伸びのタイミングはほぼ同時だったにもかかわらず、インフレの発生時期は米→欧→日の順となりズレが生じました。マネーとインフレの関係は必ずしも固定的なものではないと言えるでしょう。
財政とマネーの関係について考えてみると、今回マネーが急拡大した背景として財政拡張、つまり金融政策の領域を大きく凌駕する形で財政がマネーの世界に影響を及ぼしているということがあります。改めて振り返ると、日本では1990年代後半から2000年代前半は政府部門の信用創造がマネーの増加に最も寄与していました。この間、不良債権問題による民間部門の信用収縮があったので、財政赤字の拡大はむしろ民間の信用収縮を相殺したような経済効果が認められる期間です。その後、民間の信用収縮はある程度止まって、2010年代半ば以降は民間の信用創造機能が少しずつ回復しました。インフレの問題は金融政策の領域という前提があるものの、インフレにはマネー供給が影響を及ぼす場合があり、マネー供給の要素として、家計や企業といった民間のほか、政府による信用創造プロセスも重要であるということが、ある種当たり前ではありますが、分かります。
2.財政政策と金融政策の関係についての考察
財政政策そのものがマネー供給量の増減に大きく関与している以上、金融政策と財政政策を完全に分離した形で考えるのは無理がある構造になっています。金融政策として中央銀行が国債を大量に保有するという形で、結果的に財政政策と金融政策の領域が非常に複雑に交錯する構造を作ったわけです。中央銀行が国債を保有すると何が起きるかと言うと、金融緩和政策の効果発現が財政政策の与件となり、長期金利が低下します。それによって、r(長期金利)とg(GDP成長率)の関係が変化するということが起こります。その結果、金融緩和によって「r-g<0」の関係が固定化され、政府債務の持続性が増すという構造も存在しています。
そもそも非伝統的な金融政策により中央銀行が国債を保有すると、なぜ長期金利が低下するのでしょうか。これは政府と日銀のバランスシートを組み合わせた統合政府という考え方でお話できると思います。政府の負債側に国債がありますが、償還年限の平均年数が大体9年です。これに対して日銀の負債には当座預金と日銀券があります。統合政府として合算すると、負債側の半分程度は当座預金あるいは日銀券に振り替わってしまっていますから、短期のファイナンスということになります。つまり、中央銀行の国債保有というのは、統合政府的な考え方を用いれば政府債務の短期化になるわけですが、短期化をするとなぜ長期金利が下がるのでしょう。中央銀行の国債保有が作用しているのは実質金利の部分になりますので、インフレ期待が関係ないところで実質金利が下がっているということになるわけです。それでは、なぜ中央銀行の国債保有が実質金利を押し下げるのか。ここは多岐に渡る議論があって簡単ではないのですが、例えば10年物国債の金利は本来長期間に渡る短期金利の期待によって形成されるので、その期待が変わらないのであれば、市場における価格も変わらないという考え方もできるわけです。ただ実際には中央銀行が長期国債を買えば金利が下がる、実質金利が低下するわけで、そこには需給が影響しています。なぜ需給が引き締まると実質金利が下がるのかと言えば、長期の債券を保有するマンデートを持った投資家、実質金利が低下しても保有せざるを得ない投資家がいるから、ということになります。このようなメカニズムを通じて、現実には中央銀行が実質金利の押し下げを行うことができることになります。もう1つ実質金利を左右しているものとして、対外純資産の存在があると思います。各国の対外純資産の対GDP比と実質金利を見ると、対外純資産が増えるほど実質金利が低下する緩やかな関係が存在していて、日本は有数の対外純資産国で実質長期金利も低い。もともと低い実質金利を日銀がさらに押し下げているということになるわけです。
ここまで中央銀行の政策が実質金利を通じて財政政策に影響を及ぼすという話をしましたが、一方で財政政策が金融政策にどう影響するかという議論も非常に重要になっています。政府債務の増大が続けば、一般的には「自然利子率+インフレ期待」から成る中立金利が上昇します。そうすると、中央銀行が国債を大量に購入する緩和的な政策を行っている中で、さらに金融緩和の度合いが強まっていくという経路もあると思います。
3.財政危機の本質
財政の問題で最終的に議論すべき点として、政府債務の持続性が担保されているかどうかが重要です。一般的な議論としてあるのは格付けの問題です。日本の場合、1998年以降、国債の格下げが行われましたが、だからと言って大きなソブリンプレミアムが日本国債の市場に発生しているとは言いがたいわけです。先進国で経済がかなり安定的な国においては、ソブリン格付けによってマーケットでのプライシングが変わることはあまりありません。格付けの問題が財政危機のトリガーを引くこと自体は、ギリシャのようなケースもありますが、日銀が大量に国債を購入している状況が政府債務の安定につながっているのならば、格付けが影響することもちょっとないように思います。
そもそも政府債務の水準を対GDP比で見たときに、日本が今200%程度ですが、かつてイギリスが300%の水準を2回経験しているわけです。しかし19世紀に300%へ達したとき、イギリスの財政が危機的な状況に見舞われたのかというと、そうではないわけです。特に19世紀後半はビクトリア女王の治世で大英帝国の最盛期でもありましたし、大きな問題が発生したということはありません。しかし、19世紀のイギリスはアクティブな財政再建を実行しました。当時のイギリスの為政者は、問題意識として安全保障リスクを考えていたとも言われています。つまり財政余力を十分担保しておかなければ、万が一、大きな安全保障上の危機に直面したときに、政府機能を十分に発揮できないという認識があったようです。将来に向けた長期的なリスクマネージメントとして財政の問題を考えておくということです。
中央銀行が国債を大量に保有することで「r-g<0」の関係が固定化され、政府の債務安定に寄与していることをもって、政府債務削減の必要性が低下していると言うのは短絡的な考え方だろうと思います。イギリスで第二次世界大戦後、2回目に300%近くへ達した後は、明示的な形で財政再建が成功したとは言いがたく、インフレ率がかなり高い状況が続いたことで、過去のストックとしての政府債務がインフレにより減価されたということも事実だろうと思います。これは当然のことながら、ある程度国民の犠牲を強いる形での債務削減になりますので、正しいやり方なのかどうかということが問われているところだと思います。
「世論は財政再建に支持を与え得るか」 松本朋子 東京理科大学教養教育研究院准教授 2024年5月24日(金)
2016年東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。2017年ニューヨーク大学客員研究教授、同年日本学術振興会海外特別研究員等を経て、2023年より現職。
1.世論の支持を得ることが重要
なぜ財政政策には人々の合意が不可欠なのでしょうか。理由の1つは、我が国が民主主義国家であり、国家が財政を動かす際には議会の議決が必要であるという財政民主主義が重んじられているからです。議会の議決を得る重要性は20世紀後半以降、以前にも増して高まっています。公共財の供給にとどまっていた財政の役割は拡充し、今や税と給付を通じた富の再分配機能をも担うようになっているからです。格差を示すジニ係数を見ますと、当初所得ジニ係数からは、この半世紀近く所得格差が拡大し続けている現状が確認できます。一方、再分配所得ジニ係数を見ると、所得格差の拡大は政府の介入により緩められており、財政がより大きな役割を担うようになっていることが確認できます。先行研究によりますと、平均所得よりも高い所得を得ている有権者にとっては再分配機能の拡大が損害になり、平均所得よりも低い所得を得ている有権者にとっては再分配機能の拡大が利益となる、とされます。従って、財政では予算配分を巡る対立だけではなく、財政の規模を巡って有権者の間で意見対立が生じ得ることになるため、議会での丁寧な議論に基づく意思決定や、より多くの幅広い支持を得ることが、財政政策の決定には不可欠だと言えるのです。
2.世論は財政再建に反対なのか
財政再建を巡る世論研究によりますと、1990年代を境目に1つの変化が見られます。1990年代以前は有権者は財政再建に賛成しないという議論が主流で、1975年にノードハウスが発表した政治的ビジネスサイクル(PBC)という仮説を立証する形で進められてきました。この仮説は、選挙のある年には政府は財政赤字を拡大させる傾向があるというものです。しかし、1990年代以降、PBC仮説に反する実証研究が発表され、有権者が財政再建に賛成する場合もあるという議論が新たに出てきます。なお、PBCに関する実証研究の結果は、現在に至るまで仮説を支持するものと仮説を支持しないものの両方があり、コンセンサスは得られていません。
その上で、日本における財政政策と世論にはどのような関係があるのでしょうか。2000年代前半の市町村レベルの財政と選挙の関係を分析した先行研究によると、議会選挙と財政赤字の拡大の間には関係性がないものの、市町村長選挙と財政赤字の拡大には関係性があるということが統計的に確認されています。そして市町村長選挙のある年に生じる財政赤字の拡大は、資本的支出の拡大によって生じる傾向も明らかにされています。
ではこの結果から、日本の有権者が財政赤字を支持していると直ちに推測することができるでしょうか。実はそうとも言えません。財政再建に日本人の多くが反対しているという理解には、誤解があると思われます。1983年の時事世論調査特報によりますと、「財政再建のメドがつく」という意見に、「そうなる」を選んだ人の割合は11.2%、「そうならない」は52.6%、「わからない」は36.2%でした。この世論調査の結果は財政赤字が深刻であるという認識が、1980年代にはすでに半数あまりの日本人に共有されていたということを示唆しています。さらに、現在では財政赤字の深刻度が認知されているだけでなく、改善を求める声も多くなっています。私たちが2022年に行ったインターネット調査では、日本政府の財政は良くない状況であり改善すべきである、という意見に対して、「どちらかといえば賛成」ないし「賛成」を選んだ回答者の割合は89.8%でした。これらの結果を見ますと、日本の有権者の多くは他の先進民主主義国の有権者と同様に、このまま財政赤字を拡大し続ければ良いと考えているわけではないと理解できます。
3.なぜ具体的な財政再建行動につながらないのか
財政再建への世論の支持を得る上で第1の障壁となるのは、有権者が財政に関する情報を十分に得られておらず、判断ができない状況にあるという問題です。不足している情報には2つあり、1つはどこまでの財政赤字ならば大丈夫なのかが分からないという問題です。これは政府が提供する予測情報が現実のものよりやや楽観的なものになっているということによって拍車がかかっています。もう1つは、財政赤字の回避にはどの程度の財政見直しが必要なのかが分からないということです。障壁となる第2の要素は有権者が抱く不信です。欧米先進諸国での実証研究では、有権者は政府への不信を抱くと財政改革を支持しなくなることが示されています。財政に関する不信は3つに大別できます。1つ目は、他の納税者に対する不信です。日本ではクロヨンとかトウゴウサンピンといった議論が古くから語られてきましたが、給与所得者の課税所得捕捉率は比較的正確であるのに対して、それ以外の人々の課税所得の補捉率は低いのではないかという懸念が巷で議論されています。2つ目は、政府の財政政策に対する不信で、例えば政府の無駄遣いに対する不信です。3つ目として、後続世代への不信があります。一般に社会保険料を支払ってから政府のサポートを得られるまでにはタイムラグがあり、老後の社会保障が得られるのかという懸念は、少子高齢化が進む日本において多くの有権者が感じています。
さらに日本では、いくつか追加的な課題も見受けられます。その1つが財政赤字の深刻度に対する認識が共有されているからこそ広がっている「認知バイアス」で、2つの仮説が提唱されています。1つは、私たちは最初に得られる利得や損失よりも後に生じる利得や損失の方を小さく感じるというものです。日本では人々の間で財政赤字の認知が広がっているからこそ、追加的に増える財政赤字に対する反応は、財政赤字が発生した当初の衝撃に比べて弱くなっているわけです。もう1つは、利益に関してはリスクを避けるけれども、損失を被っている場合はリスクを取ってでもその損失をなくすような手段を人々は選びがちだというものです。地道で堅実な財政再建プランを立てるよりも、景気が突然大幅に良くなって、財政再建の道筋が立てられないかという淡い望みにすがりつきたくなる。このような認知バイアスは日本で少なからず広がっていると考えられます。
さらに、日本では世代によって「普通の景気」と受け止められる水準が異なる点も問題を複雑にしています。人々は「普通の景気」の基準点を若い頃に形成しますが、日本の場合、50代以上の世代において「普通の景気」の水準が高くなる傾向が見られます。従って、上の世代になるほど今の景気を悪いと感じ、財政出動が必要だという考えから、財政再建すべきという議論が支持されにくくなる要因になっています。このことは、世代を超えて財政再建すべきタイミングの合意を得ることを難しくしていると考えられます。
4.有権者が財政再建の支持に踏み出すためには
このような事態に対して既存研究から出される対応策は、政府の透明性を高めるというものです。具体的に3つ考えてみたいと思います。1つ目が昨年よりも脱税や政府の無駄遣いが減ったという報告です。例えば、デジタル化やAIの活用と人的資源の配分を見直すことで会計検査院や国税庁の調査能力を高め、調査結果と予算編成の連結を図ることで対応ができる可能性があります。2つ目は有権者に寄り添った具体的な財政再建案の報告です。これには精緻な世論調査により有権者の選好を把握することが求められます。近年では、歳出削減や増税など、様々な政策を組み合わせた政策パッケージにおいて、パッケージを構成する各政策に対する世論の選好とその政策を重視する度合いの分析を可能とする「コンジョイント分析」という手法が注目を集めています。3つ目は、有権者に示した財政再建案が予定通りに達成されたという報告です。財政再建の要は、政府が提供する財政再建案が達成可能な実効性のあるものだと世論に信頼してもらえることです。今や有権者の半数が若い頃に経験した経済成長率が1.5%未満になっていることから、以前のように高い経済成長率を期待する有権者は減ってきているので、目標値を高く設定する必要性も低くなっているのです。堅実で達成できる財政再建案の策定は今こそ可能だと思います。そして、その堅実な目標の達成は、有権者の信頼獲得につながり、さらなる前進をもたらすのではないかと思います。
「戦時期の経済思想からみる21世紀の財政理論」 牧野邦昭 慶應義塾大学経済学部教授 2024年6月21日(金)
2008年京都大学大学院経済学研究科博士後期課程修了。2014年摂南大学経済学部准教授、2020年同教授を経て、2021年より現職。
1.財政の考え方と戦時期日本の財政
財政の考え方には古くから様々なものがあり、現在では「現代的」あるいは「21世紀の」といった形で新しさを謳う考え方も見受けられます。それらは一見すると新しそうな考え方であっても、経済学史や経済思想史を振り返ると、過去に同じような思想があったことが多いことに気づかされます。現代の日本と同じように、多額の支出が必要とされる一方で、どのように資金を調達するかが問題となった戦時期の日本では、財政についてどのような経済思想が登場し、そこからどのような教訓が読み取れるのでしょうか。
積極財政で知られる高橋財政前期では、多額の支出が行われたため歳出が歳入を大きく上回る状態でした。足りない分は新規公債を発行し、その大部分を日銀が引き受けていました。日銀券が大量に発行され卸売物価指数が上昇したことで、高橋財政後期では、インフレを抑える観点から健全財政が目指されます。しかし、高橋是清大蔵大臣は1936年の2.26事件で暗殺され、その後を受けた馬場財政以降、財政拡張に歯止めがかからなくなっていき、特に1937年以降、日中戦争の勃発で軍事費がさらに膨張していくことになります。
2.財政拡張を支持する戦時期日本の経済思想
財政拡張の前段階として、緊縮財政があったということも良く知られています。少し遡り1929年から1931年の浜口雄幸内閣は、円高水準である旧平価での金本位制への復帰(いわゆる金解禁)のため、緊縮財政を実施します。しかし、世界恐慌とタイミングが重なってしまい、結果として昭和恐慌を引き起こすことになります。また、軍事面では英米との協調路線からロンドン海軍軍縮条約に調印します。しかし、これが天皇の統帥権を干犯したとして批判されてしまいます。このように浜口内閣に対する経済・政治両面からの攻撃が強まった中、浜口首相は東京駅で狙撃され、翌年に死去します。その後、満州事変後に高橋是清蔵相は、金本位制からの離脱と日銀引き受けによる国債発行で財政支出を拡大し、景気を回復させます。大まかに言えば、浜口内閣において緊縮財政を行い、軍縮による英米協調路線を進みましたが、結果として非常にネガティブなイメージとなりました。そして、浜口内閣とは逆の政策が正当である、つまり、積極財政をした方が良いし、国際協調よりも日本一国の利害を前面に出すべきであり、軍拡をすべきである、という認識が一般には強くなっていきます。
昭和恐慌後には、財政拡張を正当化する経済思想が多く登場しました。その1つとして、元陸軍軍人の小林順一郎により、国内経済と国際経済を切り離し、国内通貨を金と切り離していくらでも発行できる状態にして、大量に発行した通貨を使って国内経済を強化し、軍備の拡張を進めるという考え方が示されます。国内通貨を金と切り離して管理通貨制度に移行すること自体は、ケインズが主張していたことですが、小林の主張は独特なものです。すなわち、国内で流通する通貨と対外貿易に使われる通貨を分け、貿易では国際的信用の点から金準備に基づいて発行される通貨を利用することを主張しました。一方で、国内通貨は国家そのものへの信用に基づくものであり、「万世一系の皇室を奉戴」する日本では、いくら国内通貨を発行しても問題はなく、軍備拡張ができると主張します。国家的信用が維持されている限り通貨を大量に発行しても問題はなく、各種の問題を解決するための費用を賄うべきであるとの考え方は、MMT(現代貨幣理論)に近いとも言えます。小林の考えは一部の国家主義者には影響を与えたものの、経済学者や実務家からは顧みられませんでした。一方で社会に大きな影響を与えたのは、雑誌や新聞で活躍していた経済評論家です。円安水準である新平価での金解禁を主張した高橋亀吉の主張をご紹介します。高橋亀吉は財政支出が経済の拡大につながれば問題ないとして軍事費を含む財政拡張を積極的に支持し、高橋是清による健全財政への回帰方針を強く批判しました。健全財政は「古い」資本主義の象徴であり、国防及び農村救済のために財政赤字を容認し公債を増発することが、資本主義を修正する「維新」「革新」であると考えられるようになりました。
3.戦時期における財政拡張の帰結
その後、日中戦争勃発による多額の軍事費支出が当然視され、経済学者も軍事費支出の限度を語ることは少なくなっていきます。有沢広巳東京帝国大学経済学部助教授は総合雑誌の座談会で「膨張する国防費もこれ以上はダメだという限界を経済的に確定するのが経済学者の任務だ」と問われましたが、それに対して「経済はある程度弾力性をもっているのだから、例えば国民生活を10パーセントも切りつめれば、15億円ぐらいの軍事費はすぐひねりだせるので、そんな限界は引けない。国民が引き下げられた生活程度に耐えうるかどうかが問題だから、やはり政治の問題だ」と答えます。
軍事費支出の拡大を正面から批判できないとすればどうするかということで、浜口内閣の緊縮財政を批判していたジャーナリストの石橋湛山は、日中戦争後は一転してインフレ抑制の必要性を訴えます。石橋は、貿易が不可欠な状況で日本だけ物価が騰貴すれば円の為替相場が暴落して輸入が困難になるとして、増税によるインフレ抑制を強く主張します。石橋はまた、インフレを抑えるためには生産力拡張を遅らせたり休止したりすることもやむを得ないとしましたが、これは日中戦争のために生産力拡張を強引に進めようとする軍部への間接的な批判でもありました。しかしながら、こうした石橋の主張も戦争へと向かう流れを止めることはできませんでした。
一方で高橋亀吉は、満州事変と同様に日中戦争についても、勝利すれば中国市場を獲得できるので公債の返済も大きな問題はないと主張します。しかし、現実には日中戦争により財政膨張に歯止めがかからなくなり、日本が経済力を超えた軍事費支出を行って軍需物資や機械類の輸入が急増しましたので、外貨を節約するための貿易為替管理や、インフレ抑制のための物価統制・配給制などが必要になりました。特に外貨制約が厳しくなると、外貨に頼らない資源獲得が目指され、「大東亜共栄圏」を作ろうとする動きが強まり、それが太平洋戦争につながっていくことになります。こうした状況の中、実際の資金調達を担った大蔵省では、迫水久常理財局金融課長兼企画院書記官の主導で国民所得を推計し、それを基に公債消化に必要な貯蓄額が閣議決定されました。そしてこれを達成するために、国家資金動員計画により貯蓄奨励が行われることになるのです。しかし実際には、終戦後の激しいインフレにより国債と国民の貯蓄の価値は激減し、財政は「再建」されることになります。意図せざるシムズ理論(FTPL:物価水準の財政理論)の実践と言えるのかもしれません。
今回ご紹介した戦時期の様々な「新しい財政理論」は、その多くが特定の政策を行う後付けの理由として使われたことが見て取れます。「新しい財政理論」に振り回されることなく、現代のEBPMと歴史上の事例の研究を合わせ、「どのような財政政策なら社会を安定させられるか」を考えなければならないでしょう。一方で現在、政府に対する不信感は強いものがあると思います。また、「財政再建」という言葉には緊縮・増税というイメージも根強いようです。財務省が行う施策が国民に信頼されるためには、お金を賢く使うワイズスペンディングを積極的に進めていくことも必要ではないでしょうか。
「ランチミーティング」講演資料は、財務総研のウェブサイトからご覧いただけます。
https://www.mof.go.jp/pri/research/seminar/lmeeting.htm
財務総合政策研究所
POLICY RESEARCH INSTITUTE, Ministry Of Finance, JAPAN
過去の「PRI Open Campus」については、
財務総合政策研究所ホームページに掲載しています。
https://www.mof.go.jp/pri/research/special_report/index.html
財務総合政策研究所 総務研究部 前総括主任研究官 鶴岡 将司\総務研究部 前研究企画係長 升井 翼
財務総合政策研究所では、財務省内外から様々な知見を有する実務家や研究者等を講師に招き、業務を遂行する上で参考になる幅広い知識や情報を得る場として「ランチミーティング」を開催しています。今月のPRI Open Campusでは、「財政」に関連して4名の方々にご講演いただいた内容を、「ファイナンス」の読者の方々にご紹介します。
「日本の財政」 吉川洋 東京大学名誉教授 2024年5月10日(金)
1978年エール大学大学院経済学部博士課程修了(Ph. D.)。ニューヨーク州立大学経済学部助教授、大阪大学社会経済研究所助教授、東京大学大学院経済学研究科教授などを経て、2016年から現職。財務省財政制度等審議会会長(2010年~2017年)、財務省財務総合政策研究所名誉所長(2017年~)などを歴任。2010年紫綬褒章受章、2023年文化功労者選出。
1.時代とともに変わる財政の役割
国がある以上財政があります。紀元前の時代から、国ができてまず生じるのが治水、それから国の形を守る軍事で、いずれも財政が関係します。さらに、古代から今に至るまでの財政の大きな役割に格差の是正があります。
戦後日本の財政が私たちの生活に果たした貢献の重要な例として平均寿命の伸びがあります。現在、日本の平均寿命は約84歳と非常に長いことはご存知の通りです。日本人は昔から「魚を食べているから寿命が長い」などと言われることもありますが、これは間違いです。ほとんどの先進国では20世紀前半に平均寿命が伸びていたのに対し、日本は例外的にほとんど伸びずに終戦を迎え、平均寿命は先進国の中で一番短かったのです。アメリカ人の人口学者の論文によると、戦前の政府支出は軍事費に偏っていて公衆衛生等の支出が十分になされてこなかったことが理由です。戦後日本では加速的な平均寿命の伸びを達成しましたが、経済成長による1人当たり所得の伸びや医療技術・医薬品の進歩のほか、社会保障制度の整備も大きな貢献をしたと思っています。このことを示すデータとして年齢階層別の受療率(人口当たりでどれぐらいお医者さんに罹るか)を見ると、国民皆保険導入前の1955年、まだ平均寿命が短かった時代には、経済的な理由で高齢者の受診が抑制されていたこともあって、受療率は年齢とともに下がっていました。ところが、1961年に国民皆保険が導入されるとともに受療率の世代間の差が反転しました。社会保障制度は日本人の健康や平均寿命の伸びに貢献してきたと思います。
現在、財政の新たな役割として注目されるのが少子高齢化への対応です。将来人口推計で人口が減少していくのは間違いないと言われているのはご存知の通りですが、若い世代の人たちが結婚や子育ての将来展望を描けないのが問題として指摘されています。この背景にも、ここ30年、日本で格差が拡大していることが大きな問題としてあります。
現代の日本では、正規雇用・非正規雇用の問題にあるように格差が拡大する中で、財政の再分配効果、特に税の再分配効果がかなり弱くなってきているとの指摘があります。日本の社会保障制度は、給付が年金、医療、福祉その他(介護、子育て等)から成り、負担は保険料が全体の6割程度、残り4割は公費となっています。公費は本来であれば税金ということになるのでしょうが、税収が十分ではなく国の財政赤字が増加しています。社会保障は「格差の防波堤」ですが、多くの人が社会保障の将来が不安だと感じているのが現状です。
2.大きくなる財政赤字のリスク
財政赤字の問題を船に例えて説明したいと思います。船底に水が溜まってしまうと最後に船は沈んでしまいます。そもそも水が溜まっているのは船底に穴が開いていて、穴から水が流入してきているわけです。この流入(フロー)が財政赤字で、これが年々増えているわけです。その結果として溜まった水がストックとしての債務残高です。船に何トンの水が溜まったら沈没してしまうのかというのは一義的には言えません。大きな船の場合には多少の水では沈みません。一国経済で見て船の大きさに対応する国の経済の大きさ、すなわち国内総生産(GDP)との対比で見ることが必要になるわけです。そこで債務残高の対GDP比を国際比較で見ると、日本はG7のみならず、その他の諸外国と比べても突出した水準となっています。この比率がどんどん上がっていて、日本はGDP(船の大きさ)の250%を超え、極めて危険です。どれぐらいの比率だったら大丈夫なのか。決まった数値があるわけではありませんが、EUはストックで60%以下に抑制するというルールを決めています。日本は国際比較上も歴史的に見ても異常な高さにあるこの比率が下がっていく傾向が全く見えない状態です。船底にある水を一瞬にしてなくすことはできません。債務残高を調整していくためにはフローで調整していかなければなりません。債務残高対GDP比の増減は2つの項目に依存します。1つが現在の債務残高対GDP比×(名目金利(r)-名目成長率(g))。もう1つが基礎的財政収支(PB,プライマリーバランス)の対GDP比です。PBは、債務残高対GDP比をコントロールしていくためのオペレーティング・ターゲットとして極めて重要です。次に問題になるのが、名目金利と名目成長率の大小関係です。長期的には名目金利が名目成長率を上回るというのが、私はノーマルな姿だと思います。同じような関係を例えば株価で考えると、株価は企業の将来の収益の割引現在価値として決まります。金利は将来の収益を現在価値に割り引くディスカウント・レートということになります。成長率がディスカウント・レートを上回れば価格(株価)は収束しないで無限大に拡散してしまう。これは話がうますぎるということだと思います。
経済成長というのは、財政再建のために大切ですが、それだけで財政再建できるというのは間違いでしょう。一方で、経済成長を疎かにして良いわけではなく、今の日本は経済成長にも問題があると思っています。人口が減るから経済成長は望めないと仰る方もいるのですが、人口と経済成長というのは先進国では一対一で対応していません。先進国では、1人当たりの所得が増えて成長している部分が定量的には大きいからです。こういうことをお話しすると、「人口は減っても良いと思っているのか」と指摘されることもあるのですが、そんなことは言っていません。日本の人口減少は大きな問題だと思っていますし、然るべき対策を講じるべきだと思います。それはそれとして、経済成長も目指していかなければなりません。そのためにはやはりイノベーションが必要です。これに対しても「日本は人口が減るからイノベーションでも駄目なのでは」と仰る方がいらっしゃいます。私はそれも間違っていると思います。統計を見ると、イノベーションが活発な国では人口が増えているかというと、そういうことはありません。1つの例ですが、ここ20~30年で代表的なイノベーション企業であるGAFAの時価総額が何倍に成長したのか、思い出して下さい。対してこの間のアメリカの人口が累積で何%増えたのか。桁が全く違うでしょう。イノベーションというのは、人口の増加をあてにして起こるというようなことはないわけです。
成長は是非してもらわないと困るのです。国全体として成長する必要はあると思います。ただし、成長に頼れば財政が何とかなるというのは間違いだと私は考えています。成長政策とは別に着実な財政健全化への努力を続けなければなりません。「今は低金利だから財政は問題ない」と主張する経済学者もいます。とりわけアメリカ発でいろいろな数学的モデルが出てきますが、やや乱暴な表現をすると、こうしたモデルはいくらでも作れる。例えばバブルの理論モデルもたくさんありますが、モデル上から導かれるスタンダードな結論は、バブルがないときよりもあるときの方が代表的な消費者のウェルフェアが上がるというものでした。皆さんもお分かりになると思うのですが、1990年代初頭のバブル崩壊以来、どれだけ日本経済がマイナスの影響を受けてきたかという経験からして、こうした理論モデルはどこか違うのではないか、理論モデルの前提がどこかおかしいのではないかと考えるのが普通だと私は思います。財政に関してもいろいろなモデルがいくらでも作れる。その中には、金利が低いときにはどんどん財政を出動したら良いというものもあると思うのですが、それをいちいち気にかける必要はないだろうと思っています。
3.歳出の効率化が重要
最後に歳出の効率化が重要だということを述べたいと思います。ワイズスペンディングという言葉が随所に見られるようになりましたが、ワイズスペンディングの成功例はインバウンド消費の拡大ではないでしょうか。もっとも、国は関連事業にそんなにお金を使っていないのです。お金を使うのではなく、然るべき規制緩和に努めた。現在、5兆円くらいのインバウンド消費支出があって、統計上は貿易収支に計上されます。昔からあるモノの輸出では自動車が一番多くて年間10兆円ぐらい、車の部品や鉄が5兆円くらいだと思いますが、インバウンドはほぼそれに匹敵するような付加価値を毎年生み出しているわけです。これに対してこの20年ほどで国が使った予算はピーナッツのように小さいと思います。わずかな投資で毎年5兆円がフローで入ってくるわけですから、投資効率で言えばものすごい高さになると思います。要はスペンディングの前にワイズアクションがなければいけない。そういう意味では国もまだまだやるべきことはあると思っています。
「財政政策と金融政策の一体運用によるマネー供給コントロールの可否」 森田長太郎 オールニッポン・アセットマネジメント株式会社執行役員・チーフストラテジスト 2024年5月16日(木)
1988年日興證券/日興リサーチセンター、2000年ドイツ証券、2007年バークレイズ・キャピタル証券、2013年SMBC日興証券等を経て、2023年より現職。財務省理財局「国の債務管理に関する研究会」メンバー。
1.コロナ・パンデミックが惹起したもの
昨今ホットなテーマである財政政策と金融政策の関係性についてお話をしたいと思います。金融政策が動き始めていますが、もう少し長いスパンで見ると、コロナ・パンデミックによって未曾有の財政拡張が日本だけではなく各国で行われたことをきっかけに、財政政策と金融政策の境界線を巡る議論が非常に活発になってきていると思います。
コロナ・パンデミックが惹起した議論にマネーの供給量とインフレの関係があります。この関係は久しく中心的な議論ではなかったのですが、再びクローズアップされています。米国のマネーサプライとインフレの関係を見ると、1970年代はどちらかと言うとインフレの変動がマネーサプライの増減を促したように観察されますが、今回は逆で、コロナ・パンデミック後にマネーサプライの急増が起きて、それを追いかけるようにインフレの高騰が起きています。ただ、日米欧を比較すると、マネーの伸びのタイミングはほぼ同時だったにもかかわらず、インフレの発生時期は米→欧→日の順となりズレが生じました。マネーとインフレの関係は必ずしも固定的なものではないと言えるでしょう。
財政とマネーの関係について考えてみると、今回マネーが急拡大した背景として財政拡張、つまり金融政策の領域を大きく凌駕する形で財政がマネーの世界に影響を及ぼしているということがあります。改めて振り返ると、日本では1990年代後半から2000年代前半は政府部門の信用創造がマネーの増加に最も寄与していました。この間、不良債権問題による民間部門の信用収縮があったので、財政赤字の拡大はむしろ民間の信用収縮を相殺したような経済効果が認められる期間です。その後、民間の信用収縮はある程度止まって、2010年代半ば以降は民間の信用創造機能が少しずつ回復しました。インフレの問題は金融政策の領域という前提があるものの、インフレにはマネー供給が影響を及ぼす場合があり、マネー供給の要素として、家計や企業といった民間のほか、政府による信用創造プロセスも重要であるということが、ある種当たり前ではありますが、分かります。
2.財政政策と金融政策の関係についての考察
財政政策そのものがマネー供給量の増減に大きく関与している以上、金融政策と財政政策を完全に分離した形で考えるのは無理がある構造になっています。金融政策として中央銀行が国債を大量に保有するという形で、結果的に財政政策と金融政策の領域が非常に複雑に交錯する構造を作ったわけです。中央銀行が国債を保有すると何が起きるかと言うと、金融緩和政策の効果発現が財政政策の与件となり、長期金利が低下します。それによって、r(長期金利)とg(GDP成長率)の関係が変化するということが起こります。その結果、金融緩和によって「r-g<0」の関係が固定化され、政府債務の持続性が増すという構造も存在しています。
そもそも非伝統的な金融政策により中央銀行が国債を保有すると、なぜ長期金利が低下するのでしょうか。これは政府と日銀のバランスシートを組み合わせた統合政府という考え方でお話できると思います。政府の負債側に国債がありますが、償還年限の平均年数が大体9年です。これに対して日銀の負債には当座預金と日銀券があります。統合政府として合算すると、負債側の半分程度は当座預金あるいは日銀券に振り替わってしまっていますから、短期のファイナンスということになります。つまり、中央銀行の国債保有というのは、統合政府的な考え方を用いれば政府債務の短期化になるわけですが、短期化をするとなぜ長期金利が下がるのでしょう。中央銀行の国債保有が作用しているのは実質金利の部分になりますので、インフレ期待が関係ないところで実質金利が下がっているということになるわけです。それでは、なぜ中央銀行の国債保有が実質金利を押し下げるのか。ここは多岐に渡る議論があって簡単ではないのですが、例えば10年物国債の金利は本来長期間に渡る短期金利の期待によって形成されるので、その期待が変わらないのであれば、市場における価格も変わらないという考え方もできるわけです。ただ実際には中央銀行が長期国債を買えば金利が下がる、実質金利が低下するわけで、そこには需給が影響しています。なぜ需給が引き締まると実質金利が下がるのかと言えば、長期の債券を保有するマンデートを持った投資家、実質金利が低下しても保有せざるを得ない投資家がいるから、ということになります。このようなメカニズムを通じて、現実には中央銀行が実質金利の押し下げを行うことができることになります。もう1つ実質金利を左右しているものとして、対外純資産の存在があると思います。各国の対外純資産の対GDP比と実質金利を見ると、対外純資産が増えるほど実質金利が低下する緩やかな関係が存在していて、日本は有数の対外純資産国で実質長期金利も低い。もともと低い実質金利を日銀がさらに押し下げているということになるわけです。
ここまで中央銀行の政策が実質金利を通じて財政政策に影響を及ぼすという話をしましたが、一方で財政政策が金融政策にどう影響するかという議論も非常に重要になっています。政府債務の増大が続けば、一般的には「自然利子率+インフレ期待」から成る中立金利が上昇します。そうすると、中央銀行が国債を大量に購入する緩和的な政策を行っている中で、さらに金融緩和の度合いが強まっていくという経路もあると思います。
3.財政危機の本質
財政の問題で最終的に議論すべき点として、政府債務の持続性が担保されているかどうかが重要です。一般的な議論としてあるのは格付けの問題です。日本の場合、1998年以降、国債の格下げが行われましたが、だからと言って大きなソブリンプレミアムが日本国債の市場に発生しているとは言いがたいわけです。先進国で経済がかなり安定的な国においては、ソブリン格付けによってマーケットでのプライシングが変わることはあまりありません。格付けの問題が財政危機のトリガーを引くこと自体は、ギリシャのようなケースもありますが、日銀が大量に国債を購入している状況が政府債務の安定につながっているのならば、格付けが影響することもちょっとないように思います。
そもそも政府債務の水準を対GDP比で見たときに、日本が今200%程度ですが、かつてイギリスが300%の水準を2回経験しているわけです。しかし19世紀に300%へ達したとき、イギリスの財政が危機的な状況に見舞われたのかというと、そうではないわけです。特に19世紀後半はビクトリア女王の治世で大英帝国の最盛期でもありましたし、大きな問題が発生したということはありません。しかし、19世紀のイギリスはアクティブな財政再建を実行しました。当時のイギリスの為政者は、問題意識として安全保障リスクを考えていたとも言われています。つまり財政余力を十分担保しておかなければ、万が一、大きな安全保障上の危機に直面したときに、政府機能を十分に発揮できないという認識があったようです。将来に向けた長期的なリスクマネージメントとして財政の問題を考えておくということです。
中央銀行が国債を大量に保有することで「r-g<0」の関係が固定化され、政府の債務安定に寄与していることをもって、政府債務削減の必要性が低下していると言うのは短絡的な考え方だろうと思います。イギリスで第二次世界大戦後、2回目に300%近くへ達した後は、明示的な形で財政再建が成功したとは言いがたく、インフレ率がかなり高い状況が続いたことで、過去のストックとしての政府債務がインフレにより減価されたということも事実だろうと思います。これは当然のことながら、ある程度国民の犠牲を強いる形での債務削減になりますので、正しいやり方なのかどうかということが問われているところだと思います。
「世論は財政再建に支持を与え得るか」 松本朋子 東京理科大学教養教育研究院准教授 2024年5月24日(金)
2016年東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。2017年ニューヨーク大学客員研究教授、同年日本学術振興会海外特別研究員等を経て、2023年より現職。
1.世論の支持を得ることが重要
なぜ財政政策には人々の合意が不可欠なのでしょうか。理由の1つは、我が国が民主主義国家であり、国家が財政を動かす際には議会の議決が必要であるという財政民主主義が重んじられているからです。議会の議決を得る重要性は20世紀後半以降、以前にも増して高まっています。公共財の供給にとどまっていた財政の役割は拡充し、今や税と給付を通じた富の再分配機能をも担うようになっているからです。格差を示すジニ係数を見ますと、当初所得ジニ係数からは、この半世紀近く所得格差が拡大し続けている現状が確認できます。一方、再分配所得ジニ係数を見ると、所得格差の拡大は政府の介入により緩められており、財政がより大きな役割を担うようになっていることが確認できます。先行研究によりますと、平均所得よりも高い所得を得ている有権者にとっては再分配機能の拡大が損害になり、平均所得よりも低い所得を得ている有権者にとっては再分配機能の拡大が利益となる、とされます。従って、財政では予算配分を巡る対立だけではなく、財政の規模を巡って有権者の間で意見対立が生じ得ることになるため、議会での丁寧な議論に基づく意思決定や、より多くの幅広い支持を得ることが、財政政策の決定には不可欠だと言えるのです。
2.世論は財政再建に反対なのか
財政再建を巡る世論研究によりますと、1990年代を境目に1つの変化が見られます。1990年代以前は有権者は財政再建に賛成しないという議論が主流で、1975年にノードハウスが発表した政治的ビジネスサイクル(PBC)という仮説を立証する形で進められてきました。この仮説は、選挙のある年には政府は財政赤字を拡大させる傾向があるというものです。しかし、1990年代以降、PBC仮説に反する実証研究が発表され、有権者が財政再建に賛成する場合もあるという議論が新たに出てきます。なお、PBCに関する実証研究の結果は、現在に至るまで仮説を支持するものと仮説を支持しないものの両方があり、コンセンサスは得られていません。
その上で、日本における財政政策と世論にはどのような関係があるのでしょうか。2000年代前半の市町村レベルの財政と選挙の関係を分析した先行研究によると、議会選挙と財政赤字の拡大の間には関係性がないものの、市町村長選挙と財政赤字の拡大には関係性があるということが統計的に確認されています。そして市町村長選挙のある年に生じる財政赤字の拡大は、資本的支出の拡大によって生じる傾向も明らかにされています。
ではこの結果から、日本の有権者が財政赤字を支持していると直ちに推測することができるでしょうか。実はそうとも言えません。財政再建に日本人の多くが反対しているという理解には、誤解があると思われます。1983年の時事世論調査特報によりますと、「財政再建のメドがつく」という意見に、「そうなる」を選んだ人の割合は11.2%、「そうならない」は52.6%、「わからない」は36.2%でした。この世論調査の結果は財政赤字が深刻であるという認識が、1980年代にはすでに半数あまりの日本人に共有されていたということを示唆しています。さらに、現在では財政赤字の深刻度が認知されているだけでなく、改善を求める声も多くなっています。私たちが2022年に行ったインターネット調査では、日本政府の財政は良くない状況であり改善すべきである、という意見に対して、「どちらかといえば賛成」ないし「賛成」を選んだ回答者の割合は89.8%でした。これらの結果を見ますと、日本の有権者の多くは他の先進民主主義国の有権者と同様に、このまま財政赤字を拡大し続ければ良いと考えているわけではないと理解できます。
3.なぜ具体的な財政再建行動につながらないのか
財政再建への世論の支持を得る上で第1の障壁となるのは、有権者が財政に関する情報を十分に得られておらず、判断ができない状況にあるという問題です。不足している情報には2つあり、1つはどこまでの財政赤字ならば大丈夫なのかが分からないという問題です。これは政府が提供する予測情報が現実のものよりやや楽観的なものになっているということによって拍車がかかっています。もう1つは、財政赤字の回避にはどの程度の財政見直しが必要なのかが分からないということです。障壁となる第2の要素は有権者が抱く不信です。欧米先進諸国での実証研究では、有権者は政府への不信を抱くと財政改革を支持しなくなることが示されています。財政に関する不信は3つに大別できます。1つ目は、他の納税者に対する不信です。日本ではクロヨンとかトウゴウサンピンといった議論が古くから語られてきましたが、給与所得者の課税所得捕捉率は比較的正確であるのに対して、それ以外の人々の課税所得の補捉率は低いのではないかという懸念が巷で議論されています。2つ目は、政府の財政政策に対する不信で、例えば政府の無駄遣いに対する不信です。3つ目として、後続世代への不信があります。一般に社会保険料を支払ってから政府のサポートを得られるまでにはタイムラグがあり、老後の社会保障が得られるのかという懸念は、少子高齢化が進む日本において多くの有権者が感じています。
さらに日本では、いくつか追加的な課題も見受けられます。その1つが財政赤字の深刻度に対する認識が共有されているからこそ広がっている「認知バイアス」で、2つの仮説が提唱されています。1つは、私たちは最初に得られる利得や損失よりも後に生じる利得や損失の方を小さく感じるというものです。日本では人々の間で財政赤字の認知が広がっているからこそ、追加的に増える財政赤字に対する反応は、財政赤字が発生した当初の衝撃に比べて弱くなっているわけです。もう1つは、利益に関してはリスクを避けるけれども、損失を被っている場合はリスクを取ってでもその損失をなくすような手段を人々は選びがちだというものです。地道で堅実な財政再建プランを立てるよりも、景気が突然大幅に良くなって、財政再建の道筋が立てられないかという淡い望みにすがりつきたくなる。このような認知バイアスは日本で少なからず広がっていると考えられます。
さらに、日本では世代によって「普通の景気」と受け止められる水準が異なる点も問題を複雑にしています。人々は「普通の景気」の基準点を若い頃に形成しますが、日本の場合、50代以上の世代において「普通の景気」の水準が高くなる傾向が見られます。従って、上の世代になるほど今の景気を悪いと感じ、財政出動が必要だという考えから、財政再建すべきという議論が支持されにくくなる要因になっています。このことは、世代を超えて財政再建すべきタイミングの合意を得ることを難しくしていると考えられます。
4.有権者が財政再建の支持に踏み出すためには
このような事態に対して既存研究から出される対応策は、政府の透明性を高めるというものです。具体的に3つ考えてみたいと思います。1つ目が昨年よりも脱税や政府の無駄遣いが減ったという報告です。例えば、デジタル化やAIの活用と人的資源の配分を見直すことで会計検査院や国税庁の調査能力を高め、調査結果と予算編成の連結を図ることで対応ができる可能性があります。2つ目は有権者に寄り添った具体的な財政再建案の報告です。これには精緻な世論調査により有権者の選好を把握することが求められます。近年では、歳出削減や増税など、様々な政策を組み合わせた政策パッケージにおいて、パッケージを構成する各政策に対する世論の選好とその政策を重視する度合いの分析を可能とする「コンジョイント分析」という手法が注目を集めています。3つ目は、有権者に示した財政再建案が予定通りに達成されたという報告です。財政再建の要は、政府が提供する財政再建案が達成可能な実効性のあるものだと世論に信頼してもらえることです。今や有権者の半数が若い頃に経験した経済成長率が1.5%未満になっていることから、以前のように高い経済成長率を期待する有権者は減ってきているので、目標値を高く設定する必要性も低くなっているのです。堅実で達成できる財政再建案の策定は今こそ可能だと思います。そして、その堅実な目標の達成は、有権者の信頼獲得につながり、さらなる前進をもたらすのではないかと思います。
「戦時期の経済思想からみる21世紀の財政理論」 牧野邦昭 慶應義塾大学経済学部教授 2024年6月21日(金)
2008年京都大学大学院経済学研究科博士後期課程修了。2014年摂南大学経済学部准教授、2020年同教授を経て、2021年より現職。
1.財政の考え方と戦時期日本の財政
財政の考え方には古くから様々なものがあり、現在では「現代的」あるいは「21世紀の」といった形で新しさを謳う考え方も見受けられます。それらは一見すると新しそうな考え方であっても、経済学史や経済思想史を振り返ると、過去に同じような思想があったことが多いことに気づかされます。現代の日本と同じように、多額の支出が必要とされる一方で、どのように資金を調達するかが問題となった戦時期の日本では、財政についてどのような経済思想が登場し、そこからどのような教訓が読み取れるのでしょうか。
積極財政で知られる高橋財政前期では、多額の支出が行われたため歳出が歳入を大きく上回る状態でした。足りない分は新規公債を発行し、その大部分を日銀が引き受けていました。日銀券が大量に発行され卸売物価指数が上昇したことで、高橋財政後期では、インフレを抑える観点から健全財政が目指されます。しかし、高橋是清大蔵大臣は1936年の2.26事件で暗殺され、その後を受けた馬場財政以降、財政拡張に歯止めがかからなくなっていき、特に1937年以降、日中戦争の勃発で軍事費がさらに膨張していくことになります。
2.財政拡張を支持する戦時期日本の経済思想
財政拡張の前段階として、緊縮財政があったということも良く知られています。少し遡り1929年から1931年の浜口雄幸内閣は、円高水準である旧平価での金本位制への復帰(いわゆる金解禁)のため、緊縮財政を実施します。しかし、世界恐慌とタイミングが重なってしまい、結果として昭和恐慌を引き起こすことになります。また、軍事面では英米との協調路線からロンドン海軍軍縮条約に調印します。しかし、これが天皇の統帥権を干犯したとして批判されてしまいます。このように浜口内閣に対する経済・政治両面からの攻撃が強まった中、浜口首相は東京駅で狙撃され、翌年に死去します。その後、満州事変後に高橋是清蔵相は、金本位制からの離脱と日銀引き受けによる国債発行で財政支出を拡大し、景気を回復させます。大まかに言えば、浜口内閣において緊縮財政を行い、軍縮による英米協調路線を進みましたが、結果として非常にネガティブなイメージとなりました。そして、浜口内閣とは逆の政策が正当である、つまり、積極財政をした方が良いし、国際協調よりも日本一国の利害を前面に出すべきであり、軍拡をすべきである、という認識が一般には強くなっていきます。
昭和恐慌後には、財政拡張を正当化する経済思想が多く登場しました。その1つとして、元陸軍軍人の小林順一郎により、国内経済と国際経済を切り離し、国内通貨を金と切り離していくらでも発行できる状態にして、大量に発行した通貨を使って国内経済を強化し、軍備の拡張を進めるという考え方が示されます。国内通貨を金と切り離して管理通貨制度に移行すること自体は、ケインズが主張していたことですが、小林の主張は独特なものです。すなわち、国内で流通する通貨と対外貿易に使われる通貨を分け、貿易では国際的信用の点から金準備に基づいて発行される通貨を利用することを主張しました。一方で、国内通貨は国家そのものへの信用に基づくものであり、「万世一系の皇室を奉戴」する日本では、いくら国内通貨を発行しても問題はなく、軍備拡張ができると主張します。国家的信用が維持されている限り通貨を大量に発行しても問題はなく、各種の問題を解決するための費用を賄うべきであるとの考え方は、MMT(現代貨幣理論)に近いとも言えます。小林の考えは一部の国家主義者には影響を与えたものの、経済学者や実務家からは顧みられませんでした。一方で社会に大きな影響を与えたのは、雑誌や新聞で活躍していた経済評論家です。円安水準である新平価での金解禁を主張した高橋亀吉の主張をご紹介します。高橋亀吉は財政支出が経済の拡大につながれば問題ないとして軍事費を含む財政拡張を積極的に支持し、高橋是清による健全財政への回帰方針を強く批判しました。健全財政は「古い」資本主義の象徴であり、国防及び農村救済のために財政赤字を容認し公債を増発することが、資本主義を修正する「維新」「革新」であると考えられるようになりました。
3.戦時期における財政拡張の帰結
その後、日中戦争勃発による多額の軍事費支出が当然視され、経済学者も軍事費支出の限度を語ることは少なくなっていきます。有沢広巳東京帝国大学経済学部助教授は総合雑誌の座談会で「膨張する国防費もこれ以上はダメだという限界を経済的に確定するのが経済学者の任務だ」と問われましたが、それに対して「経済はある程度弾力性をもっているのだから、例えば国民生活を10パーセントも切りつめれば、15億円ぐらいの軍事費はすぐひねりだせるので、そんな限界は引けない。国民が引き下げられた生活程度に耐えうるかどうかが問題だから、やはり政治の問題だ」と答えます。
軍事費支出の拡大を正面から批判できないとすればどうするかということで、浜口内閣の緊縮財政を批判していたジャーナリストの石橋湛山は、日中戦争後は一転してインフレ抑制の必要性を訴えます。石橋は、貿易が不可欠な状況で日本だけ物価が騰貴すれば円の為替相場が暴落して輸入が困難になるとして、増税によるインフレ抑制を強く主張します。石橋はまた、インフレを抑えるためには生産力拡張を遅らせたり休止したりすることもやむを得ないとしましたが、これは日中戦争のために生産力拡張を強引に進めようとする軍部への間接的な批判でもありました。しかしながら、こうした石橋の主張も戦争へと向かう流れを止めることはできませんでした。
一方で高橋亀吉は、満州事変と同様に日中戦争についても、勝利すれば中国市場を獲得できるので公債の返済も大きな問題はないと主張します。しかし、現実には日中戦争により財政膨張に歯止めがかからなくなり、日本が経済力を超えた軍事費支出を行って軍需物資や機械類の輸入が急増しましたので、外貨を節約するための貿易為替管理や、インフレ抑制のための物価統制・配給制などが必要になりました。特に外貨制約が厳しくなると、外貨に頼らない資源獲得が目指され、「大東亜共栄圏」を作ろうとする動きが強まり、それが太平洋戦争につながっていくことになります。こうした状況の中、実際の資金調達を担った大蔵省では、迫水久常理財局金融課長兼企画院書記官の主導で国民所得を推計し、それを基に公債消化に必要な貯蓄額が閣議決定されました。そしてこれを達成するために、国家資金動員計画により貯蓄奨励が行われることになるのです。しかし実際には、終戦後の激しいインフレにより国債と国民の貯蓄の価値は激減し、財政は「再建」されることになります。意図せざるシムズ理論(FTPL:物価水準の財政理論)の実践と言えるのかもしれません。
今回ご紹介した戦時期の様々な「新しい財政理論」は、その多くが特定の政策を行う後付けの理由として使われたことが見て取れます。「新しい財政理論」に振り回されることなく、現代のEBPMと歴史上の事例の研究を合わせ、「どのような財政政策なら社会を安定させられるか」を考えなければならないでしょう。一方で現在、政府に対する不信感は強いものがあると思います。また、「財政再建」という言葉には緊縮・増税というイメージも根強いようです。財務省が行う施策が国民に信頼されるためには、お金を賢く使うワイズスペンディングを積極的に進めていくことも必要ではないでしょうか。
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財務総合政策研究所
POLICY RESEARCH INSTITUTE, Ministry Of Finance, JAPAN
過去の「PRI Open Campus」については、
財務総合政策研究所ホームページに掲載しています。
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