評者:財務省大臣官房財政経済特別研究官名古屋大学客員教授 佐藤 宣之
野田 恒平 著
還流する地下資金 犯罪・テロ・核開発マネーとの闘い
中央経済社 2023年12月 定価 本体3,500円+税
(パリとマネロンと私)
平松愛理のヒット曲「部屋とYシャツと私」発表の3年前の1989年7月、アルシュ・サミットの経済宣言に麻薬問題への対応として、サミット参加国及びその他の関心を有する諸国からなる「financial action task force(FATF)を招集すること。その権能は、銀行制度と金融機関を資金の洗浄のために利用することを防止するために既にとられた協力の成果を評価すること、及び多数国間の司法面での協力を強化するための法令制度の適合等のこの分野における追加的予防努力を検討すること」との文言が盛り込まれた。
1988年4月に大蔵省に入省した評者は最初の配属先でアルシュ・サミットの大蔵省窓口を担当したので、FATF誕生の過程を見ている。ただその後は、マネロン(マネー・ロンダリング)を担当する機会が無く、FATFがマネロン以外にテロ資金、核開発資金もカバーしていく中でも、更にパリのOECDに出向しFATFが身近になっても、ややこしそうなので見て見ぬふりをしてきた・・・本年春に都立中央図書館で本書と遭遇するまでは。
(「全体」に迫ろうとする本書の魅力)
著者曰く、マネロンの議論が技術的細論に迷い込み、「制度的沿革」や「俯瞰的な政策検討」が置き去りにされかねないとの危惧から本書を執筆したという。「全体」をキーワードに、本書を3点に要約してみた。
1 全体に注目する まず、マネロン、テロ資金、核開発資金の三者は本来別物だが、組織犯罪や汚職との繋がりを介して密接に関連するので、三者を「地下資金」として括り全体に注目すべき。次に、FATFは麻薬資金対策として発足した沿革から金融当局と警察当局を中心としたフォーラムであり議論は両当局の所掌事務に偏りがち。今後のFATFは視野を広げ、(1)資金の流れに付きまとう税務の議論も尽くし、(2)入・出両面で国境管理の重要性が一層増す中で税関当局、出入国管理当局及び関連機関を従来以上に関与させることが必要。
2 全体を決着する 暗号資産等のデジタル資産を可能にするブロックチェーン技術の下では、地下資金対策にとって決定的に重要な個人情報の追跡可能性はほぼ皆無と言われる。デジタル資産の安全性(地下資金対策)、利便性(金融包摂)、プライバシー(人権保障)の三者の同時かつ完全な実現は困難であることを認識し、国民的議論を経て三者全体の均衡点を決着すべき。暗号資産よりも価値が安定し安全に隠匿できるステーブルコインや、業者に記録が残らない個人間取引の台頭は、今でさえ困難な地下資金対策を一層困難にしよう。
3 全体で取り組む 地下資金対策の実施体制は、官民全体での壮大な共働の体系。「民」にあっては、金融機関をはじめとする民間事業者の負担は非常に重く、本人確認、「疑わしい取引の届出」等の日々のコンプライアンス業務の負担に留まらず、業務に不備があった場合の制裁リスクも抱える。「官」にあっては、名義上の顧客の背後のBeneficial Ownerの把握・検証作業は緒に就いたばかりであり、世界全体でBeneficial Ownerの把握・検証の実効的な仕組みを構築していくことが必要。
著者はアツ~い文言で絨毯爆撃するタイプではないが、感情溢れる文言が要所で登場するので力点が自然と伝わる。本書を手に取って「これまで断片的に見知っていたことがはじめてつながったような気持ち」(本書巻頭の増井良啓教授の推薦文より)を味わって欲しい。
(税とマネロン)
評者の見立てでは、「税とマネロン」に関する著者の問題提起が一番重要だ。問題提起の力強さとニュアンスを正確に伝えるため原文を引く。「ペーパー・カンパニーの実態を暴くという、地下資金対策上の頭の痛い課題は、そのまま税務執行上の課題であり、それを継続的調査により把握し得る立場にある機関の一つが税務当局であることは間違いない。当局間の協力というと、ともすれば既存の情報を共有するだけといったような、矮小化した捉え方をされることも多いが、法執行に際しての大きな共働関係を構築するような、大胆な発想の転換が必要とされているのかも知れない。」
本問題提起に続き、著者は最新の論文「マネー・ロンダリング対策と税務の交錯」で、税務当局が受け手・送り手となる情報提供の現状と法的論点を整理した。
(1)税務当局が受け手となる情報提供として、警察当局から税務当局への「課税通報」が恒常的に行われ、犯罪捜査で発見した収益への課税を促している。
(2)他方、税務当局の質問検査でつかんだ金融犯罪の端緒はマネロン捜査を担う警察にも極めて有益な情報となり得るものの、国税職員の重い守秘義務が公務員の犯罪告発義務に優先するので税務当局が送り手となる情報提供は困難というのが伝統的な通説・実務。
(3)税務当局が送り手となる情報提供についての2004年の最高裁決定や最近の研究は、事案毎の守秘義務と告発義務との利益衡量の問題と考え、守秘義務が告発義務に一般的に優先するとは考えない。
(税と通商)
「税とマネロン」は、2000年代初に評者が従事した経済連携協定交渉でも論点となった「税と通商」を連想させる。伝統的な税の専門家は、税については租税条約があるとの理由で、通商協定から税をcarve out(彫り除く=適用除外する)することを主張してきた。
経済連携協定交渉と並行して、最近の税の専門家による「俯瞰的な政策検討」が行われ、(1)租税条約の一つの眼目は貿易・投資の促進で、これは通商協定の眼目と同じ、(2)租税条約に固有の眼目は、各国が税収を一定量確保することを前提に税収を関係国間でどう配分するかにあり、この点しか通商協定から税をcarve outする論拠たり得ない、との整理が提唱されている。
(俯瞰的にもほどがある?)
「税とマネロン」について、「税と通商」について行われたような「俯瞰的な政策検討」は行われていないと見られる。著者が夢見る「法執行に際しての大きな共働関係を構築するような、大胆な発想の転換」の糸口はないかと、評者も駄目元で「俯瞰的な政策検討」を試みた。
今更だが、FATFのFAつまりfinancial actionとは何か。FAの和訳は「金融活動」が定着し、またFATFでは金融機関関連の話題が多いので、financial action=「民の金融取引」が当然視されている節がある。しかし、FATFの行動主体は官だからfinancial actionの行動主体も官ではないかと考えてみると、financial action=「財務当局(financial ministry)の行動を中心とした官の財務分野の行動」が素直な解釈ではないか。この考え方に従えば、財務当局の構成員たる税関当局や税務当局はFATFの協力者ではなく当事者となるので、政策的な位置づけ、優先順位も変わって来よう。
なおG7サミットの「制度的沿革」を見ても、サミット創設当初からその運営に外交当局と共に深く関与してきた財務当局が自分事としてfinancial actionをコミットするのは自然で責任ある態度ではなかろうか。
アルシュ・サミット
アルシュ・サミットは1989年7月14日(フランス革命200周年記念日)から3日間、パリに隣接するラ・デファンス地区に新築された新凱旋門(グラン・アルシュ)で開催された。
地区名「ラ・デファンス」は、19世紀の普仏戦争時に付近でパリ防衛(ラ・デファンス・ド・パリ)の戦闘があり、同名の記念碑が設置されたことに由来する。
G7サミットは東京サミットのように通常地名を冠するが、一説には「ラ・デファンスサミット」は戦闘を彷彿させるのでアルシュ・サミットと命名したらしい。
なお、「G20サミット」から日本酒マニア垂涎の「雄町サミット」まで、現在ではサミットを冠するフォーラムは官民で数多く存在するが、1990年代初頭まではサミットと言えば現在のG7サミットを指していた。
Beneficial Owner
Beneficial OwnerはFATFで「(名義上の)顧客を最終的に所有ないし支配する自然人、または(名義上の)顧客名で取引する自然人」と定義され、税の透明性の確保に取り組むOECD等もこの定義を採用している。
日本では「実質(的)支配者」「実質(的)所有者」「真の受益者」「最終受益者」等々に和訳され、内容も文書、文脈で異なるので要注意。念のためFATFのもう一つの公用語のフランス語表記を確認すると、定義は英語表記の直訳だが、用語はBénéficiaire Effectifで英語表記の直訳ではない。誤解を避けるため拙稿ではBeneficial Ownerのまま使用した。
野田 恒平 著
還流する地下資金 犯罪・テロ・核開発マネーとの闘い
中央経済社 2023年12月 定価 本体3,500円+税
(パリとマネロンと私)
平松愛理のヒット曲「部屋とYシャツと私」発表の3年前の1989年7月、アルシュ・サミットの経済宣言に麻薬問題への対応として、サミット参加国及びその他の関心を有する諸国からなる「financial action task force(FATF)を招集すること。その権能は、銀行制度と金融機関を資金の洗浄のために利用することを防止するために既にとられた協力の成果を評価すること、及び多数国間の司法面での協力を強化するための法令制度の適合等のこの分野における追加的予防努力を検討すること」との文言が盛り込まれた。
1988年4月に大蔵省に入省した評者は最初の配属先でアルシュ・サミットの大蔵省窓口を担当したので、FATF誕生の過程を見ている。ただその後は、マネロン(マネー・ロンダリング)を担当する機会が無く、FATFがマネロン以外にテロ資金、核開発資金もカバーしていく中でも、更にパリのOECDに出向しFATFが身近になっても、ややこしそうなので見て見ぬふりをしてきた・・・本年春に都立中央図書館で本書と遭遇するまでは。
(「全体」に迫ろうとする本書の魅力)
著者曰く、マネロンの議論が技術的細論に迷い込み、「制度的沿革」や「俯瞰的な政策検討」が置き去りにされかねないとの危惧から本書を執筆したという。「全体」をキーワードに、本書を3点に要約してみた。
1 全体に注目する まず、マネロン、テロ資金、核開発資金の三者は本来別物だが、組織犯罪や汚職との繋がりを介して密接に関連するので、三者を「地下資金」として括り全体に注目すべき。次に、FATFは麻薬資金対策として発足した沿革から金融当局と警察当局を中心としたフォーラムであり議論は両当局の所掌事務に偏りがち。今後のFATFは視野を広げ、(1)資金の流れに付きまとう税務の議論も尽くし、(2)入・出両面で国境管理の重要性が一層増す中で税関当局、出入国管理当局及び関連機関を従来以上に関与させることが必要。
2 全体を決着する 暗号資産等のデジタル資産を可能にするブロックチェーン技術の下では、地下資金対策にとって決定的に重要な個人情報の追跡可能性はほぼ皆無と言われる。デジタル資産の安全性(地下資金対策)、利便性(金融包摂)、プライバシー(人権保障)の三者の同時かつ完全な実現は困難であることを認識し、国民的議論を経て三者全体の均衡点を決着すべき。暗号資産よりも価値が安定し安全に隠匿できるステーブルコインや、業者に記録が残らない個人間取引の台頭は、今でさえ困難な地下資金対策を一層困難にしよう。
3 全体で取り組む 地下資金対策の実施体制は、官民全体での壮大な共働の体系。「民」にあっては、金融機関をはじめとする民間事業者の負担は非常に重く、本人確認、「疑わしい取引の届出」等の日々のコンプライアンス業務の負担に留まらず、業務に不備があった場合の制裁リスクも抱える。「官」にあっては、名義上の顧客の背後のBeneficial Ownerの把握・検証作業は緒に就いたばかりであり、世界全体でBeneficial Ownerの把握・検証の実効的な仕組みを構築していくことが必要。
著者はアツ~い文言で絨毯爆撃するタイプではないが、感情溢れる文言が要所で登場するので力点が自然と伝わる。本書を手に取って「これまで断片的に見知っていたことがはじめてつながったような気持ち」(本書巻頭の増井良啓教授の推薦文より)を味わって欲しい。
(税とマネロン)
評者の見立てでは、「税とマネロン」に関する著者の問題提起が一番重要だ。問題提起の力強さとニュアンスを正確に伝えるため原文を引く。「ペーパー・カンパニーの実態を暴くという、地下資金対策上の頭の痛い課題は、そのまま税務執行上の課題であり、それを継続的調査により把握し得る立場にある機関の一つが税務当局であることは間違いない。当局間の協力というと、ともすれば既存の情報を共有するだけといったような、矮小化した捉え方をされることも多いが、法執行に際しての大きな共働関係を構築するような、大胆な発想の転換が必要とされているのかも知れない。」
本問題提起に続き、著者は最新の論文「マネー・ロンダリング対策と税務の交錯」で、税務当局が受け手・送り手となる情報提供の現状と法的論点を整理した。
(1)税務当局が受け手となる情報提供として、警察当局から税務当局への「課税通報」が恒常的に行われ、犯罪捜査で発見した収益への課税を促している。
(2)他方、税務当局の質問検査でつかんだ金融犯罪の端緒はマネロン捜査を担う警察にも極めて有益な情報となり得るものの、国税職員の重い守秘義務が公務員の犯罪告発義務に優先するので税務当局が送り手となる情報提供は困難というのが伝統的な通説・実務。
(3)税務当局が送り手となる情報提供についての2004年の最高裁決定や最近の研究は、事案毎の守秘義務と告発義務との利益衡量の問題と考え、守秘義務が告発義務に一般的に優先するとは考えない。
(税と通商)
「税とマネロン」は、2000年代初に評者が従事した経済連携協定交渉でも論点となった「税と通商」を連想させる。伝統的な税の専門家は、税については租税条約があるとの理由で、通商協定から税をcarve out(彫り除く=適用除外する)することを主張してきた。
経済連携協定交渉と並行して、最近の税の専門家による「俯瞰的な政策検討」が行われ、(1)租税条約の一つの眼目は貿易・投資の促進で、これは通商協定の眼目と同じ、(2)租税条約に固有の眼目は、各国が税収を一定量確保することを前提に税収を関係国間でどう配分するかにあり、この点しか通商協定から税をcarve outする論拠たり得ない、との整理が提唱されている。
(俯瞰的にもほどがある?)
「税とマネロン」について、「税と通商」について行われたような「俯瞰的な政策検討」は行われていないと見られる。著者が夢見る「法執行に際しての大きな共働関係を構築するような、大胆な発想の転換」の糸口はないかと、評者も駄目元で「俯瞰的な政策検討」を試みた。
今更だが、FATFのFAつまりfinancial actionとは何か。FAの和訳は「金融活動」が定着し、またFATFでは金融機関関連の話題が多いので、financial action=「民の金融取引」が当然視されている節がある。しかし、FATFの行動主体は官だからfinancial actionの行動主体も官ではないかと考えてみると、financial action=「財務当局(financial ministry)の行動を中心とした官の財務分野の行動」が素直な解釈ではないか。この考え方に従えば、財務当局の構成員たる税関当局や税務当局はFATFの協力者ではなく当事者となるので、政策的な位置づけ、優先順位も変わって来よう。
なおG7サミットの「制度的沿革」を見ても、サミット創設当初からその運営に外交当局と共に深く関与してきた財務当局が自分事としてfinancial actionをコミットするのは自然で責任ある態度ではなかろうか。
アルシュ・サミット
アルシュ・サミットは1989年7月14日(フランス革命200周年記念日)から3日間、パリに隣接するラ・デファンス地区に新築された新凱旋門(グラン・アルシュ)で開催された。
地区名「ラ・デファンス」は、19世紀の普仏戦争時に付近でパリ防衛(ラ・デファンス・ド・パリ)の戦闘があり、同名の記念碑が設置されたことに由来する。
G7サミットは東京サミットのように通常地名を冠するが、一説には「ラ・デファンスサミット」は戦闘を彷彿させるのでアルシュ・サミットと命名したらしい。
なお、「G20サミット」から日本酒マニア垂涎の「雄町サミット」まで、現在ではサミットを冠するフォーラムは官民で数多く存在するが、1990年代初頭まではサミットと言えば現在のG7サミットを指していた。
Beneficial Owner
Beneficial OwnerはFATFで「(名義上の)顧客を最終的に所有ないし支配する自然人、または(名義上の)顧客名で取引する自然人」と定義され、税の透明性の確保に取り組むOECD等もこの定義を採用している。
日本では「実質(的)支配者」「実質(的)所有者」「真の受益者」「最終受益者」等々に和訳され、内容も文書、文脈で異なるので要注意。念のためFATFのもう一つの公用語のフランス語表記を確認すると、定義は英語表記の直訳だが、用語はBénéficiaire Effectifで英語表記の直訳ではない。誤解を避けるため拙稿ではBeneficial Ownerのまま使用した。