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コインの世界につれてって!~収蔵庫からこんにちは 奥深いコインの世界~造幣局 造幣博物館・令和6年度前期特別展の紹介

独立行政法人造幣局総務部広報官博物館(造幣博物館) 館長兼広報戦略室長 藤田 輝/主事 松嶋 理恵/主任 澤﨑 瞳(本展担当学芸員)

はじめに
 造幣局は、明治4(1871)年に、今の大阪本局が所在する大阪・天満の地で創業し、令和3(2021)年に創業150年を迎えた独立行政法人です。貨幣製造のほか、勲章・褒章、金属工芸品の製造、地金・鉱物の分析及び試験、貴金属製品の品位証明(ホールマーク)といった事業を担っており、大阪の本局のほか、埼玉県さいたま市及び広島県広島市の2か所に支局を有しています。両支局を含め、現在は約860人の役職員を有する組織です。
 今回ご紹介する特別展を開催した造幣博物館は、以上の造幣局の事業を紹介するため、また、造幣局が所蔵している貴重な古銭等のコレクションの公開を目的に、造幣局の組織の一つとして、昭和44(1969)年に大阪の本局で開館しました。
 その建物は、明治44(1911)年に火力発電所として建設された、赤煉瓦造りの構内最古の建築物で、建設当時の外観そのままに改装、復元したものです。平成21(2009)年には、開館40周年を記念して、「人に優しい博物館、環境に配慮した博物館、魅せる博物館」をコンセプトに大改装・リニューアルオープンし、現在に至ります。
 造幣博物館では、概ね年に2回、貨幣や造幣局の歴史にまつわるテーマで特別展を開催しています。本稿では、本年7月20日(土)から9月16日(月・祝)まで開催しました令和6年度前期特別展「コインの世界につれてって!~収蔵庫からこんにちは 奥深いコインの世界~」の内容についてご紹介いたします。
写真 造幣局本局(大阪市)

企画の背景
 造幣博物館では、造幣局が135年前の明治22(1889)年頃から収集してきた古いコインや、日本だけでなく、世界中で製造されたコインを所蔵しています。
 常設展示では貨幣のほかメダルなども含め、約4千点の所蔵品を展示していますが、収蔵庫で大切に保管している貨幣のコレクション総数は約14万点にものぼります。それだけコインというものが、長い歴史を持ち、人々の暮らしや文化に広く、そして密接に結びついたモノである、ということがこの数からも窺い知ることができます。
 ところが、最近は、電子マネーやQRコード決済の普及など、いわゆるキャッシュレス化が急速に進み、コインを使う機会が減りつつあります。
 造幣博物館では、そういう時代だからこそ、物理的な実体を持つコインが、単に決済や貯蓄の手段=通貨としての役割だけではなく、多種多様な魅力を持った存在であることを多くの人に知ってほしいと考え、この特別展「コインの世界につれてって」の企画に至りました。
 (なお、造幣局では、通常、硬貨について「通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律」(昭和62年法律第42号)に倣い、「貨幣」と呼称していますが、本展では、様々な世代の多くの来館者に、貨幣の「硬い」印象を払拭し、親しみやすさを持ってもらうため、「コイン」と表記しました。本稿でもそれに倣っています。)

奥深いコインの世界にようこそ!
(1)芸術品になったお金~玩賞貨幣~
 室町時代の末から江戸時代にかけて造られたと考えられるお金の中に、いわゆる「玩賞貨幣」とよばれるものがあります。「玩賞」とは、そのものの良さを味わうこと、鑑賞すること、という意味の言葉で、玩賞貨幣とは、お金として使うために造られたものではなく、主に鑑賞用に造られた、美術品ともいえる特殊なお金、ということになります。
 製作年代や製造場所が不明なものが多いのですが、これらのお金は江戸時代に書かれた『金銀図録』(きんぎんずろく)において、「玩賞品」などとして紹介されているものがあります。
 『金銀図録』は、江戸幕府の書物奉行をしていた近藤守重(1771~1829)によって文化7(1810)年に書かれた、いわばコインの図鑑で、日本古来の金貨や銀貨、約550点が紹介されています。
 謎の多い玩賞貨幣ですが、今回は、造幣博物館に所蔵されている中から、『金銀図録』にも紹介されている『翁小判』『謙信大判』『牛舌大判』『女院雛大判』『近江戸笹小判』『土佐小判』『鶏小判銀』『女院花成銀』の8点を紹介しました。
 大判や小判といった名称がついているものの、その形状は、良く知られている大判や小判とは異なります。『翁小判』など、精巧な細工を施して造られているものもあり、現代のコレクター向け収集用貨幣のような位置付けのものもあったのではないかと考えられます。
写真 翁の顔が刻まれている金貨である『翁小判』(左:縦54.83mm~横47.68mm。量目(重さ)14.68g)と『金銀図録』陸(巻之六)におけるその図(右)。近藤守重が、日本古来の金銀貨幣を図録にして発行した『金銀図録』は全7巻あり、この中で玩賞貨幣については、巻之四「各国品」、巻之五「尚古品」、巻之六「玩賞品」として紹介されている。
(2)あの世で使うコイン~六道銭の歴史~
 日本では古くから、死者を葬るときに棺の中にお金を入れる風習がありました。このお金は六道銭(ろくどうせん/りくどうせん)と言われ、三途の川の渡し賃に使うものとされていました。
 冥土に行く途中にあり、死者が初七日に渡ると言われている三途の川ですが、罪の浅い者が渡る浅水瀬、善人が渡る橋渡(有橋渡とも)、悪人が渡る強深瀬の3種類の川があることから、三途の川と呼ばれています。お金を持たない者が来た場合は、渡し賃の代わりに、川のほとりに居る奪衣婆と懸衣翁という二人の鬼に衣類をはぎ取られると言われていたことから、死者が三途の川を舟で渡るために必要なお金として、棺の中に六道銭を入れる風習が生まれたと言われています。
 この風習は、江戸時代に一般化したようですが、江戸時代以前から行われていた地域もあります。その背景には、仏教思想が人々の間に広まったことや、貨幣の流通量が拡大したことが挙げられます。
 棺の中に入れる枚数については、六道(仏教における、衆生がその業によって輪廻転生する地獄道・餓鬼道・畜生道・阿修羅道・人間道・天道のこと)の「6」に関連付けて、一文銭6枚とすることが一般的でしたが、枚数やお金の種類は、地域や時代によって様々でした。
 本展では、17世紀~18世紀ごろの江戸時代に鋳造された寛永通宝一文銭(銅銭)を6点、展示しました。一文銭は、江戸時代の庶民がよく使用していたお金ですが、死後の世界でも必要な、大切なお金であったのです。
 なお、宗派や地域によって違いはありますが、六道銭を棺の中に入れる風習は現在も続いています。しかし、火葬には適さないため、紙で作られた銭が使われていることが多いようです。
写真 展示した6枚の寛永通宝(17~18世紀)。直径22.91~26.04mm、量目2.95g~4.15g。日本各地で造られた寛永通宝は、量目や字体等にばらつきや違いが見られた。
(3)コインに願いをこめて
 幸福になりたい、無事に帰ってきてほしい、そんな思いを人々はコインにこめました。ここでは、人々が願いをこめたコインを紹介します。
〈七福絵銭〉
 江戸時代に造られた、絵や模様、文字などが刻まれたお金を、絵銭(えせん)と呼びます。円形で真ん中に四角や丸形の穴が開いているので、江戸時代に流通していた寛永通宝と似ていますが、お金として使われたものではありません。
 吉兆を意味する文字や図柄を刻み、お守りとして造られたものや、「めんこ遊び」の用具や石けりの玉といった子供のおもちゃとして造られたもの、棟上げなどの記念銭として造られたものもあり、その用途は様々でした。寛永通宝一文銭と同じ形をしていたことから、銭さし(ぜにさし。緡銭(さしぜに)ともいう。穴あき銭をわらや麻のひもでまとめたもの。)などに紛れていたこともあったようです。
 今回紹介した七福神を刻んだ絵銭は、江戸時代に盛んになった七福信仰の一環で、得財招福の守り札の代用として所持されたと言われています。直径約28mmの中に、七柱の神様が見分けられる姿で刻まれています。
写真 七福絵銭(17世紀末以降:直径28.18mm、量目6.42g)
〈5銭貨・10銭貨〉
 かつて5銭貨と10銭貨は、「死線(しせん、4銭)を越え、苦戦(くせん、9銭)を越える」という意味から、戦地に向かう人がお守りとして持っていったとされます。アルミ貨を除き穴あきのコインであったことから、腹巻や肌着、千人針に縫い込まれることもありました。
 千人針とは、出征する兵士が持った、弾除けのお守りのことです。白または黄色のさらし木綿に、出征する人の母や妻が街頭に立ち、女性たちに協力を求めて、赤糸で一針ずつ縫ってもらって結び目を作り、それを戦場で腹巻きなどに使用しました。日清戦争(1894-1895)や日露戦争(1904-1905)の頃に始まったと言われており、日中戦争開始直後の昭和12(1937)年頃から太平洋戦争(1941-1945)中にかけて、多く作られました。
写真 (左)5銭ニッケル貨(昭和8(1933)年銘:直径19.01mm、量目2.80mm)(右)10銭ニッケル貨(昭和9(1934)年銘:直径21.98mm、量目4.05mm)
〈6ペンス銀貨〉
 欧米では、結婚式の時に花嫁が古いもの、新しいもの、借りたもの、青いものを身に着け、特にイギリスでは、靴の中に6ペンス銀貨を入れると幸せになれる、というジンクスがあります。このジンクスは、以下の19世紀ごろの詩に由来していると言われています。
Something old, something new,
Something borrowed, something blue,
And a sixpence in her shoe.
 6ペンス・コインは、1551年、イギリスにおいてエドワード6世の時代に銀貨として流通が開始されましたが、1947年に白銅貨となり、1971年、貨幣が10進法化されることを機に、1970年を最後に発行はされなくなりました(1980年半ばまで、2.5ペンスとして法的には通用しました。また、現在も、収集用貨幣として製造したものを英国造幣局が販売しています。)。
写真 6ペンス銀貨(1887年銘:直径19.30mm、量目2.80g)。表面にヴィクトリア女王(在位期間1837-1901)の肖像が刻まれている。
〈ラッキー・ルーニー Lucky Loonie〉
 カナダで発行されている1ドル・コインは、裏面に刻まれている鳥(loon、かいつぶりなどの水潜り鳥)にちなみ、「ルーニー」(loonie)と呼ばれています。
2002年、ソルトレークシティー冬季オリンピック競技大会が開催された際、スケートリンク設営を担当したカナダ人スタッフが、アイスホッケーリンクの氷に、センターを決めるために「ルーニー」を埋め込みました。
 その後、カナダは男女共にアイスホッケーで金メダルを獲得。優勝後、氷に埋められていたルーニーは取り出され、「ラッキー・ルーニー」として大切に保管されることになりました。
当館では2002年銘の「ルーニー」は所蔵していないことから、本展では、バンクーバー2010冬季オリンピック競技大会の開催に合わせて発行された、ルーニー(1ドル記念貨幣)を紹介しました。
(4)100年前のコイン
 コインは、時代を映す鏡にもなります。
 本展では、今からちょうど100年前に発行された日本や外国のコインを展示し、コインに関連してその時代を振り返ってみました。
〈100年前の造幣局〉
 日本では、金本位制が布かれ金貨も発行されていた100年前の大正13(1924)年、造幣局では2度に渡る大規模な人員整理が行われました。
 第一次世界大戦(1914-1918)は日本に戦争好況をもたらし、この時期の増産要請に応えるためには未だ製造能力が不足していたため、造幣局では人員増・作業時間の延長を行うとともに、設備拡充を検討、それまでの年間製造能力2億枚を倍増することを目標に、大正8(1919)年から4か年計画で設備拡張を行い、大正10(1921)年には職員数が千人を超えました。
 しかし、黄金期もつかの間、大戦景気の反動で、大正9(1920)年3月に株式市場が大暴落し、戦後恐慌が発生したことや、大正12(1923)年9月1日に発生した関東大震災により、日本国内で大不況が起こったことなどが原因で、貨幣の需要が激減、その製造量も減り、多くの職員を解雇することになりました。
 100年前、このように造幣局にとっては厳しい状況となっていましたが、世界ではどのようなコインが造られていたのでしょうか。ここでは、本展で展示したコインのうち、当時の時代背景を象徴する、海外2か国の対照的なコインを紹介したいと思います。
写真 約100年前の造幣局(大正10(1921)年撮影、造幣局所蔵)
〈米国1ドル銀貨(1924年銘)〉
 1921年から1928年まで、そして1934年から1935年にも発行された1ドル銀貨は、第一次世界大戦の終結とそれに続く平和と繁栄の時代を記念し、米国が平和になったことを象徴するように、裏面の白頭鷲が平和の象徴であるオリーブをしっかりとつかみ、その足元に“PEACE”の文字が刻印されていることから「ピースダラー」と呼ばれています。本展で紹介した1ドル銀貨は、摩耗が激しいですが、PEACEの文字がかろうじて確認できます。
写真 米国1ドル銀貨(1924年銘:直径38.00mm、量目26.80g)裏面。下部に「PEACE」の文字が見える。
〈伊2リラ・ニッケル貨(1924年銘)〉
 イタリアでは、1861年に統一され王国となった後は、100センテーシモを1リラとする貨幣制度が用いられました。
 1924年銘の2リラ貨には、表面には、当時の国王であったヴィットリオ・エマヌエーレ3世(在位期間:1900-1946)の横顔が刻まれています。
 この2リラ貨の裏面に1923年から描かれるようになった「束桿」(そっかん/fasces、ファスケス)は、束ねた棒に斧を縛った一種の権威標章で、古代ローマ時代より政治的な団結を象徴するものとして用いられ、「ファシズム」の語源ともなったものです。1922年に独裁政権を樹立したベニート・ムッソリーニ率いる国家ファシスト党の党章に用いられていました。
 ちなみに、このファスケスは、元々団結の象徴として用いられていたことから、実は米国において、1916年から1945年に発行された、いわゆる「マーキュリー・ダイム」(表面に描かれた自由の女神が、ローマ神話における商業の神であるメルクリウスと誤解されてこのように呼ばれている10セント貨)の裏面にも描かれていました。米国内では、1930年代初めに、イタリアでのファシスト党の台頭を受けて、このコインへの批判が高まったと言われていますが、1945年のフランクリン・ローズヴェルト大統領の死去を受けて、翌年にローズヴェルトの肖像が刻まれたダイムが登場するまで発行されました。
写真 イタリア 2リラ・ニッケル貨(1924年銘:直径29.00mm、量目10.00g)
(5)世界の国々で使われているコイン
 本展では、米国・イギリス・オーストラリア・カナダ・韓国・クロアチア・ケニア・スイス・ジョージアにおいて、現在流通しているコインも紹介しました。
 日本を含め各国の造幣局が参加する「造幣局長協会 (Mint Directors Association)」及び「国際造幣局長ネットワーク(International Mint Directors Network)」が運営するウェブサイト(mintindustry.com)によると、全世界で普段使われているコインは、現在、おおよそ800ほどの種類があると言われています。それらの材質も、日本の貨幣ではなじみの深い、アルミや白銅、青銅などのほかに、ステンレススチールや表面を銅などでめっきしたコインが発行されています。
 また、このmintindustry.comによると、世界には、日本の造幣局のように、政府が保有している造幣機関が約70機関あるほか、民間でも約40機関あると言われています。
 米国等、主要な国々には、それぞれ造幣局がありますが、中には造幣機関の無い国もあり、その場合は、政府や中央銀行が、他国の造幣機関や民間の造幣所に依頼して、自国貨幣を製造しています。例えば、ジョージアには造幣機関がないので、平成28(2016)年には、日本の造幣局が、同国の中央銀行から、一部のコイン(20テトリ貨)を受注・製造したこともありました。
写真 当館所蔵イギリスの2022年銘貨幣セットより。2022年まで発行されていたこれらのイギリスの流通貨幣全貨種6枚の裏面を所定の位置で並べると、イギリスの紋章が浮かび上がる。なお、2023年にチャールズ3世国王が戴冠したことから改鋳が行われ、今では国王の自然保護への熱い思いを反映した動植物の図柄が用いられている。
写真 当館所蔵クロアチアの2023年銘貨幣セットより。クロアチアは2023年からユーロを導入した。この50セント黄銅貨(2023年銘:直径24.25mm、量目7.80g)には、同地で生まれた、発明家でエンジニアの二コラ・テスラ(1856-1943)の肖像がデザインされている。
写真 日本の造幣局も製造したことがある20テトリ貨幣(左:表面、右:裏面、ステンレススチール製、直径25mm、量目5g)。
(6)いくつ知ってる? コインのトリビア
 ここからは、本展で取り上げた、日本及び海外のコインにまつわる様々なトリビアを抜粋してご紹介したいと思います。
〈10円貨のギザは7年間だけ〉
 現在通用している10円貨は、昭和26(1951)年から製造が始まりました。デザインは現在と同じで、表が平等院鳳凰堂、裏が常盤木ですが、当時は縁にギザがありました。
 ギザは、明治時代の金貨や銀貨につけられていました。これは、偽造防止や周りを削り取られないようにするためなどの理由から付けられるようになったものですが、第二次世界大戦後に一番高額なコインにギザがつけられるという慣習ができたといわれています。
 昭和26年には、10円の額面が一番高額であったためギザがつけられました。しかし、昭和30(1955)年には50円が、昭和32(1957)年には100円が登場し、それぞれギザがつけられたため、紛らわしいことなどから10円貨のギザは、なくなりました。
〈明治時代に造られたお金の中には、英語が刻まれているものもあった〉
 明治4(1871)年に定められた「新貨条例」では、金貨を本位貨幣とし、補助貨幣として銀貨と銅貨を製造すること、また、十進法が採用され、単位が円・銭・厘と定められました。
 さらに当時、アジア地域の貿易では、主に銀貨が使われていたことから、1円金貨とは別に、海外貿易用として使用するための1円銀貨を製造することも定められました。貿易で支払うことを目的に造られたため、額面や品位、量目は英語で刻まれています。
 しかし、市場では、メキシコドルが多量に流通していたため、期待したほど使用されず、明治11(1878)年からは、貿易だけでなく、国内でも流通するようになりました。
写真1円銀貨(明治7(1874)年:直径38.53mm、量目26.96g)
〈明治時代から現在まで造られているコインには、「日本」の国名表記が3種類ある〉
 現在流通しているコインには、「日本国」と表記されていますが、時代をさかのぼると違った表記がされています。明治時代に初めて造られたコインには「大日本」と表記されていました。「大日本」という表記は、第二次世界大戦まで続きます。
終戦直後は、コインの模様にもGHQ(連合国総司令部)が介入し、その頃発行されたコインには「日本政府」と表記されています。
 その後、昭和22(1947)年5月3日に施行された日本国憲法の中で「日本国」という名称が用いられるようになり、昭和22年に造られた50銭黄銅貨には「日本國」の表記が用いられるようになりました(現在は「日本国」と表記)。
写真 「大日本」表記の50銭銀貨(左/明治4(1871)年銘:直径32.14mm、量目12.05g)と「日本政府」表記の50銭黄銅貨(右/昭和21(1946)年銘:直径23.55mm、量目4.59g)
〈造幣局では、グリコのおもちゃ(おまけ)を造っていたことがある〉
 コインではありませんが、造幣局のトリビアとして一つご紹介いたします。
 子供のころに一度は食べたことがある「グリコ」。甘いキャラメルとともに、どんなおもちゃが入っているかワクワクしたことがあると思います。
 『グリコグループ100年史』によれば、牡蠣に含まれる栄養素グリコーゲンを子供の健康に役立てようと生まれたグリコは、大正11(1922)年2月、三越大阪店で販売を開始しました。創業者江崎利一は、子供は遊ぶことと食べることが天職という持論から、おもちゃを入れる発想があり、当初は資金も乏しいことから子供が好きそうな絵カードなどを添えたりしていたそうです。本格的におもちゃを封入したのは、昭和2(1927)年でしたが、昭和4(1929)年に本体の箱と一体化させたおもちゃ小箱を考案し、グリコの人気を決定的なものにしました。様々なおもちゃを採用する中で、特に人気を集めたのが豊臣秀吉や西郷隆盛など歴史上の人物を刻印したメダルでした。江崎利一は、民間業者の価格や品質に満足できず、昭和5(1930)年、これを造幣局に依頼しました。
 当初30万個で申し込むと、あまりの数の多さに、担当者から疑念を抱かれ、保証金を入れて注文することになったそうです。メダルは良質な仕上がりで人気になり、最終的には60万個を発注、コストも大幅に削減できたと言われています。
写真 造幣局が製造したグリコのおまけメダル(「乃木将軍」(左:直径22.78mm、量目3.73g)及び「リス」(右:直径22.82mm、量目3.78g))
〈鳥の名前が通貨の単位になっている国がある〉
 中央アメリカの北部にあるグアテマラの通貨単位は、「ケツァール」です。
 このケツァールとは、もともとは、メキシコ南部からパナマの山岳地帯に生息する鳥のことで、古代アステカでは神として崇拝され、その羽は高貴な人物しか身に着けることができませんでした。自由を奪われると死ぬという伝説があったことから、自由の象徴ともなりました。ケツァールはグアテマラの国鳥として、現在流通している通貨の単位になりました。
 コインとしては、1ケツァールが最高額面で、本展では1/4ケツァール貨なども展示していましたが、現在のグアテマラでは1ケツァールの100分の1をセンタボスという単位であらわし、1・5・10・25・50の各センタボス・コインが発行されています。ただし、表記する時はそれぞれ、ケツァールの頭文字をとって、Q0.01・Q0.05・Q0.1・Q0.25・Q0.5と表しており、また、裏面はすべて共通で、1ケツァール貨ともども、ケツァールの姿が描かれています。なお、1ケツァールには紙幣もあります。
写真 グアテマラ・1ケツァール銀貨(1925年銘:直径39.00mm、量目33.20g)

本展の周知活動
 本展も含め造幣博物館の特別展は小規模なものですが、せっかくの特別展であることから、できるだけ多くの方々に周知し、ご鑑賞いただきたいたいと考えています。また、多くの機関がそうであるように、造幣局でも、とりわけ若年層への広報に注力したいと考えていることから、周知方法も少し工夫をしてみました。
 まず、夏休み期間中の開催でもあり、子どもたちだけでなく、その保護者世代にも本展に関心を持ってもらえるよう、今回は館員が生み出した少しレトロな少女漫画風のオリジナル・キャラクター(かつては銀貨であり、今は桜が描かれている100円貨にちなみネーミングした、金髪の「白銀桜子(しろがねさくらこ)」さん等6人)を採用し、本展タイトルやポスター・チラシも「少女漫画風」にしました。
 特別展のPRとしては、今までにない取り組みであり、どのような反応があるものなのか、やや不安もありましたが、通常の記者発表のほか、造幣局公式SNSでの展開、近隣の小学校や地下鉄駅構内、関西の観光関係のウェブメディア、各地の図書館や博物館等に周知を行った結果、公式Xなどではポスターの写真とともに好意的な反応が得られたところです。
 そのほか、台風で臨時休館することもありましたが、期間中の週末・祝日には、「館内クイズラリー」やコイン製造のプロセスを疑似体験できる「缶バッジ製作体験」、本物の寛永通宝等古銭を使用した「拓本体験」、学芸員や館長による「特別展ガイドツアー」を実施し、来館者に楽しんでいただきました。
 こうした取り組みが功を奏したのか、近隣だけでなく、海外や日本全国から来阪された旅行客など、ご家族連れを中心に老若男女、幅広い層の方々にご来館いただき、会期中の入館者数は、昨年同時期の特別展よりも4割以上増え、10,371人となりました。これからも博物館広報に工夫を重ねたいと考えています。
写真 特別展ポスター

おわりに
 今回の特別展では、普段は収蔵庫で保管されている公開することが稀なコインも含め、様々な時代・地域のコインなど115点を、いくつかのテーマに沿って紹介しました。本稿でご紹介したコインはその一部となります。
 本展に登場したコインは、価値交換媒体という役割を超えて、様々な目的や意味合い・役割を、また、思いもよらないデザインや形状・特質を持っていました。本稿の読者の皆様にも、これらのコインを通じて、今まで知らなかったコインの魅力に気づいていただき、電子マネーやキャッシュレス決済では味わえない、まだ踏み入れたことのない、コインの奥深い世界を垣間見ていただけたのであれば幸甚です。
 なお、造幣局では、大阪にある本局のほか、さいたま支局及び広島支局にも博物館・展示室を設けており、本局の造幣博物館で開催した本展は、10月に造幣さいたま博物館で、11月には広島支局展示室で巡回展として開催予定です。日時・開館時間等の詳細につきましては造幣局ホームページ(https://www.mint.go.jp/)でご案内します。
 また、本局・造幣博物館の常設展では、造幣局の歴史や貨幣製造工程を学べるほか、竹流金や天正菱大判などの貴重な貨幣、勲章・褒章やわが国で開催されたオリンピック・パラリンピックの入賞メダルなど約4千点を展示しています。毎月第3水曜日や年末年始・桜の通り抜け期間中等を除き、休日・祝日も開館しております。入館無料ですので、お近くにお越しの際は、ぜひお立ち寄りください。
 そのほか造幣局では本局及び両支局にて工場見学も受け付けています。詳しくは造幣局ホームページでご確認できます。
 最後に、本稿に掲載した貨幣やメダル、『金銀図録』の写真は、すべて造幣博物館の所蔵品を撮影したものとなります。これらを含む本展展示品の一覧については、幣局ウェブサイト内特別展紹介ページにリンクを掲載しています。当該ページには次の二次元コードからアクセス可能です。
 また、本展の紹介動画や解説は、公式YouTubeチャンネルやInstagramでも発信しています。ぜひこちらもチェックしてみてください。

〈本展にかかる主な参考文献等〉
大蔵省造幣局(編)『造幣局百年史』 大蔵省造幣局 1976年
造幣局150年史編集委員会『造幣局150年のあゆみ』 独立行政法人造幣局 2022年
大蔵省(編)『大日本貨幣史 3』 大日本貨幣史刊行会 1969年
石原幸一郎(編)『日本貨幣収集事典』 原点社 2003年
瀧澤武雄・西脇康(編)『日本史小百科〈貨幣〉』 東京堂出版社 1999年
岩橋勝『ビジュアル日本のお金の歴史[江戸時代]』 ゆまに書房 2015年
櫻木晋一『考古調査ハンドブック15 貨幣考古学の世界』 ニューサイエンス社 2016年
高木久史『通貨の日本史』 中央公論新社 2016年
谷川章雄『六道銭の考古学』 高志書院 2009年
R.S.ヨーマン(著)、岡政道(訳)『近代世界コインのカタログ』 泰星スタンプ・コイン 1984年
造幣局長協会(Mint Directors Association)公式ウェブサイトMint Industry 内Fast Factsページ
(https://mintindustry.com/information-hub/fast-facts/(参照2024-6-9))
協同一致 Glicoグループ100年史正史(冊子)版 第1章第2節創意工夫の原点「グリコ」の商品企画
(参照2024-6-12)
(https://www.glico.com/jp/100th_history_contents/assets/js/pdfjs/web/viewer.html?file=/jp/100th_history_contents/assets/pdf/d041-045.pdf#pagemode=none)
平木啓一『新・世界貨幣大辞典』 PHP研究所 2020年
その他関係各国造幣局等ウェブサイト
〈造幣博物館のご案内〉
住所:〒530-0043 大阪市北区天満1-1-79
お問合せ先:Tel. 06-6351-8509(午前9時~午後5時)
開館時間:午前9時から午後4時45分(入館は午後4時まで)
休館日:年末年始、「桜の通り抜け」開催期間、毎月第3水曜日
このほか、展示品の入替日等のため臨時休館することがあります。
入館料:無料(10名以上の団体は事前に電話による予約が必要です。)
ホームページ:https://www.mint.go.jp/enjoy/plant/plant-osaka/plant_museum.html
博物館ブログ:https://www.mint.go.jp/enjoy/plant/plant-osaka/museum_blog.htm
※造幣博物館を含む造幣局の情報は公式SNSでもご覧いただけます。
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写真 公式Facebookページ
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図表 貨幣製造枚数と従業員数の推移(大正8(1919)-大正13(1924))