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日本語と日本人(第6回) -主語制になった英語-

国家公務員共済組合連合会 理事長 松元 崇

 前回、中国と日本の歴史認識の違いの背景に、主語がある中国語と主語が無い日本語のもたらす世界観の違いがあるという話をしたが、同様のことは英語と日本語の間についても見られる。それにしても、どうしてかつては主語制でなかった英語が主語制の言語になっていったのだろうかというのが今回の主要なテーマである。

日米金融協議で感じたとまどい
 筆者が大蔵省(当時)証券局業務課の補佐だった時、日米金融協議(1985年)が行われた。その場での米国側の要求には、随分ととまどわされるものがあった。とにかく自分たちが正しいという姿勢で議論してくるのである。同様のことは、通商産業省(当時)の日米自動車協議や半導体協議、建設省(当時)の日米建設協議でも繰り広げられたと聞く。当方からは米国の双子の赤字(貿易と財政の赤字)を指摘し、その是正を求めた。その後、米国は財政赤字縮小の道を歩んでいくのだが*1、日本に対しては赤字財政拡大による景気対策を求めてきた。自国の貿易赤字縮小のためである。自国の都合のための論理の使い分けであった。当時は、それは経済覇権を日本に奪われるのをおそれる米国の外交戦略からのものだろうと考えていたが、その後、日本語についての考察を進めるにつれて、そのような米国の議論の仕方の背景には主語を使う英語があると考えるに至っている。
 この点に関して興味深いのが、鈴木孝夫氏の「閉ざされた言語・日本語の世界」の指摘である*2。それによると、イタリアでは自分の考え方でいかに相手を説得するかが大学で学ぶべき基本的な研究とか学習の態度だという。イタリア人は真理などそっちのけで、自分の考え方でいかに相手を説得し、それによって社会での地位を獲得するかを学んでいるようだ。ドイツ人も議論が事実と合うか合わないかよりも、議論がそれ自体として矛盾なく、いかに緻密に構成されているかの方に気を使うらしい。事実とは、生の未だ整理されていない、思考の素材にすぎないもので、これをある特定の角度から論理的に選び取り組立てていって、はじめて価値が生まれる。したがっていわゆる事実よりも、むしろ論理的に構成された理論の方が、一段と高い真実だと考えているらしい。万人にとって承服出来る客観的な事実など前提とすることが出来ないので、「論より証拠」ではなく「証拠より論」だというのだ。同様の指摘は、英国エジンバラでファンド・マネージャーをしていたハーディー智砂子氏からも行われている。同氏によると、英国人やフランス人は、およそ根拠がないことでも堂々と主張する。間違った発言でも沈黙よりはいいという感覚だ。日本人なら、間違ったことを言ったら迷惑になるとか、つまらない意見だと思われたら恥ずかしいなどと思うが、そんなことはおよそ考えずに、ほとんど何の知識もないのに堂々と自信満々に持論を披露するという*3。

主語を使う西欧語の誕生
 そのような西欧人の議論の仕方の背景に、主語を使う言語があるというのが筆者の考えだが、西欧の言語が主語を使うようになったのは近代になってからだ。「英語にも主語はなかった」を著している金谷武洋氏によると、主語を使わないラテン語を共通言語としていた西欧で言語が主語制になったのは、フランスの啓蒙思想の時代からだった。啓蒙思想の時代に、それまで自然中心の発想だったのが、人間と自然を分離して人間中心の発想に変わり、そこからフランス語などに主語が誕生した。それは、「我思うゆえに我あり(デカルト)」という、自我(エゴ)を前面に打ち出す人間中心の発想からのもので*4、その影響が英語にも及んだのだという*5。
 まず起こったのは14世紀に端を発する宗教改革だった。宗教改革で、キリスト教がカソリックとプロテスタントに分裂し、その過程で宗教と科学が遠ざかり、「合理的な思考」が行われるようになった。そこから懐疑主義が生まれて、すべてを疑うデカルトが登場したというのである*6。中世の大学での学問の中心は神の存在を論証する神学で、科学も神の御業(みわざ)を知るためのものだった。そこには懐疑主義が入り込むすき間はなかった。神は疑うことなくひれ伏し従うものだった。神は、ただ完璧なのだった。完璧な神は、人間に自らの創造を理解することなど求めない。そうした人間の試みは、知恵の実を食べることとされていた。「知恵」つまり「合理的な思考」は非難されていた。もし「合理的思考」によって神の摂理に疑問を感じるなら、それは罪深いこととされていた*7。神は「知恵ものたちを、そのずる賢さで捕える」*8。「ユダヤ人はしるしを請い、ギリシャ人は知恵を求める。しかしわたしたちは、十字架にはりつけられたキリストについて説く」*9のだった。それが、中世の大学で教えられていたことだったのだ。それが、宗教改革でキリスト教が分裂すると宗教と科学が遠ざかり、宗教と離れて「合理的な思考」が行われるようになった。そこで懐疑主義が生まれて、すべてを疑ったデカルトが、そのように疑っている「われ」こそがすべての源だ、「われ思うゆえにわれあり」だとして「自我」を発見した。そして、その「自我」の発見が主語の誕生につながったというわけである。

「地上の視点」から「神の視点」へ
 デカルトの「われ思うゆえにわれあり」は、中世スコラ哲学でトマス・アキナスが述べていた「われありゆえにわれ思う」を反転させたものだった。それは、人間の言葉による思考(われ思う)を人間の存在(われあり)に優先させるものだった。そのように言葉をすべてに優先させる考え方は、ヨハネの福音書に述べられていた。それによると「初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった」「万物は言葉によって成った」のだった。デカルトは、そのような言葉で「われ思う」ことによって人間(われ)を認識したのだが、それは言葉によって人間だけでなく世界も認識するようになったことを意味していた。それまで人間は自然物と並列にいる「地上の視点」で世界を認識していたのが「神の視点」で世界を認識するようになったのだ*10。その結果、それまで自然の中にいて「ここは、どこですか(where is here)」と言っていたのが「私はどこにいますか」(Where am I)と言うようになって主語が誕生した*11。そして、それまで、人間と同じ平面にある自然という無限定な環境を前提に、その環境と調和的に日々の生活をしていた人間が、人間の頭脳が創り出した言葉によって抽象化した環境を前提に、コントロールされた条件の下での実験によって科学技術を発展させ、自然をもコントロールするようになっていったのである。
 ちなみに筆者は、カントの観念論哲学もデカルトが始めた言葉による世界認識の一環だと考えている。カントは、道徳法則を万有引力の法則などの自然法則と同じレベルでとらえていたという。「神の視点」で世界を認識するようになって、人間の道徳法則も自然の物理法則と同じように言葉で解明出来るはずだと考えたというわけである。言葉による思索をすべてに優先させるデカルトの考え方は、なにものにも縛られないということで、その後の実存主義哲学の誕生にもつながっていったと考えられよう。

日本人にとって脅威ともいうべき西欧流の「自我」
 ここで、デカルトが発見した「自我」について考えてみることとしたい。本稿の第1回に、西田哲学の「我々の自己は絶対者の自己否定として成立する」というのはデカルトの「自我」を否定しているのだという話をしたが、それは主語を使わない日本語の世界では「世間」での出会いに先立って確立している「自我」などはないということだった*12。
 冒頭に紹介した鈴木孝夫氏によると、同氏がアメリカのある大学に滞在している時、日本の中学生・高校生の自殺の原因として、「自分の心をすっかり打ちあけてとことんまで話のできる相手が誰もいない悩み」が大きな比率を占めている。学校の先生は悩み事の相談に乗ってくれない。同級生はみな受験のライバルで、心を打ちあけることなど思いもよらないし、両親はただ勉強しろの一点ばりで、話にもならない。自分はこの孤独にもう耐えられないという話をしたところ、驚いたことに、何人かの学生がおかしくてたまらないという様子で笑い出したというのだ。理由をただすと、一人が次のように答えたという。私は本当に大切なことは、友人はもちろん、親にも話したことがない。先生や他人と相当深くいろいろ議論はするが、それは自分の心の中にある大事な問題について自分で決定する手がかりを得るためであって、問題そのものを打ちあけることはしないし、ましてその解決を他人から教わろうとは思わない。個人が本当に個人である部分は、他人に言えない部分であって、それを明かすことは自分の存在を危険にさらすようなものだ。だから何もかも心をすっかり打ちあける他人がいないことで自殺するなど愚の骨頂であるというのだ。女子学生の一人は、自分も大体同意見で、本当に自分にとって大切なことは夫にも決して言ったことがない。そして自分以外の人間に、自分の本当の気持など分るはずがないとつけ加えたという*13。
 このエピソードから思い起こされるのは、本稿第1回に紹介した熊谷晉一郎先生の話だ。日本人の「自立」は西欧人の「自立」とは異なり、たくさんのものに少しずつ依存できるようになることなのだ。そのような日本人にとって、デカルトが発見した「自我」は、相当に異質なものといえよう。心理学者の河合隼雄氏は、「ユング心理学と仏教」という本の中で、他と区別し「自立」したものとして形成される西洋人の自我は、日本人にとっては脅威とでもいうべきものだとしているのである*14。

言葉をすべてに優先させることによる植民地支配
 言葉をすべてに優先させるようになったことから、西欧の啓蒙主義の時代となり、科学技術の発展につながったのであるが、言葉の優先は、西欧人によるおよそ道徳的でない行動様式も生むことになった。その極めつけが、近世の植民地支配といえよう。
 中南米を植民地化する際、スペインの征服者は、神によって「すでに承認された先例を持ち出し、それに倣うことで、法を遵守する体裁をとる」という方法を考え出した。兵士たちは、先住民の村を「襲撃」する前に「レケリミュン」と呼ばれる、1513年発布の催告[降伏勧告]を読み上げた。この催告は、コンキスタドール(征服者)は神と教皇と国王の権威の体現者であり、先住民はその権威に服従すべき奴隷であると宣言するものだった。「この大陸のカシーケ(首長)とインディオたちよ……我々は宣言し、おまえたち皆に知らしめる。この世に神は御一人、教皇も御一人、カステイリヤの王も御一人しかおられず、この王こそがこれらの国々の支配者である。速やかに前に進み出て、奴隷としてスペイン王への忠誠を誓え」としていた。続いてこの催告は、村人が服従しない場合、その身に降りかかる災難を数え上げた。そして、「ひとたび催告を伝える義務を果たせば、彼らの略奪と奴隷集めを邪魔するものはなかった」。先住民による抵抗はすべて「反乱」と見なされ、残忍な拷問、闇夜の焼き討ち、公衆の面前での女性の絞首刑といった容赦のない「報復」が行われた。それらの行為は「お前たちの落ち度であり、国王やわたしやわたしに同行した紳士たちの落ち度ではないことを、正式に宣言する」とされた*15。前回紹介したアメリカ合衆国がネイティブ・アメリカンを僻地に追放して領土を広げていったことやロシア帝国が原住民を僻地に強制移住させて国土を広げていったことも同様の行動様式だったと考えられよう。
 言葉をすべてに優先させるようになったことでの紛争は、西欧社会の内部でも起こったと考えられる。プロテスタントによるローマ・カソリック教会の権威の否定が行われた結果、人類史上最も破壊的な紛争と言われる30年戦争が繰り広げられたのである。30年戦争での死者は800万人にもなったという。世界の総人口が6億人程度だった時代の、ヨーロッパという限られた地域での話である。

ヘブライ語で書かれた旧約聖書
 それにしても、なぜ世界に6000ほどもの言語がある中で、西欧の10ほどの言語だけが、宗教改革の時代以降、主語制の言語になっていったのだろうか。西欧文明はギリシャ文明の流れを汲んでいるはずなのに、ギリシャ哲学には存在しなかった「自我」が、なぜそこで誕生したのだろうかというのが筆者のかねてからの疑問だった。それについて、そうではないかという答えらしきものに思い至ったのは、イスラエル大使館に勤めている人に、イスラエルという国の名前が「神と論争する人」という意味だと教えられた時だった。神と論争するには神と向き合わなければならず、自らを示す主語が必要だ。それが啓蒙主義の時代に再認識されて主語が「誕生」したというわけである。
 旧約聖書を記していたヘブライ語は、ギリシャ語が静的な言葉であるのに対して動的な言葉だという。ヘブライ語における言葉(ダーバル)は、「前に駆り立てる」という意味だ。旧約聖書の創世記の最初に神が「光あれ」と言うと光が現れる。そのように動的な世界を記述していたのがヘブライ語だった。その動的な世界で、唯一の神が万物を創造し、人間も創造した。先に紹介したヨハネの福音書は、「万物は言葉によって成った」に続けて「言葉の内に命があった」としている。そのように「命」を創り出した神である「ヤハウェ」の意味は「存在するもの」で、自らをイメージしてはならないとしていた(偶像崇拝の禁止)。ユダヤ教では、そのような神に選ばれたのがユダヤの民で、神との契約(旧約)に基づく儀式、祈り、倫理的行動を通して神と永遠の対話をすることによって救済に至るとされていた*16。
 そのようにユダヤの民と対話をしていた神が、新約聖書の世界になると人との対話をしなくなった。そして主語を使わないギリシャ語やラテン語によって広まっていったのである。「神は愛です」となったキリスト教の神は、自らの創造を理解することを求めなくなった。ただ完璧な神として、ひれ伏し従う対象となった。神が人と対話をしなくなったのに、神の声を聴いたとすることは罪になった。英仏百年戦争でジャンヌ・ダルクは英軍にとらえられて火あぶりにされたが、それはジャンヌが13歳の時から「神の声」を聞いていてそれに促されて立ち上がったと公言していたのが罪とされたからだった*17。新約聖書の世界で神との対話はなくなり、主語は忘れられていったのである。
 新約聖書は、まずは東地中海の国際公用語だったコイネー・ギリシャ語と言われる古いギリシャ語で書かれ*18、その後ラテン語訳が行われた*19。いずれも主語を使わない言語である*20。ギリシャ語は、ヘブライ語が動的な言葉であるのに対して静的な言葉だった。ギリシャ語の言葉(ロゴス)は、「集める、束ねる」という意味で、論理(ロジック)に通じるものだ。秩序付ける静的な世界を記述するのに適しており*21、ただ完璧な神を語るのにふさわしい言葉だった。

ギリシャ語で書かれた新約聖書
 ここで、「神は愛です」と説くキリスト教の誕生について考えてみることにしたい。「神は愛です」として万人に福音を説く教えは、ユダヤの民だけが神に選ばれたとするユダヤ教の教えとは全く異なるものだった。そのように異質なものが誕生した謎について「〈世界史〉の哲学、現代編Ⅰ」を著している大澤真幸氏は、旧約聖書の中にあった申命記革命を応用したものだったとしている。ご関心のある方は同書を参照していただきたいが、申命記革命とは、神殿の改修の際に「発見された」とされる申命記法典に基づいて、礼拝所をエルサレムに集中させて偶像を捨てさせたという革命であった。それは、申命記法典が「発見された」という「事実」に基づいて、解釈の大幅な変革を行うものだった。それによってユダヤ教の教えにどのような具体的な命令も代入できるという仕組みが導入された*22。そしてその仕組みを利用して申命記革命の「反復」として、キリスト教が成立したというのである。
 もう少し具体的に述べると、旧約聖書の神はイメージしてはいけないものだったが、キリストという形で神が少なくとも一度だけは現れるという「革命」によって現れ、神との契約が改められた*23。それまでの旧約聖書の神は、人と対話をして人間に生贄を要求する神だった*24。アブラハムには息子のイサクを生贄として要求したのである。それに対して新約聖書では、キリストが自らの死によって人間の罪を贖(あがな)い、それを通じて神との間で新たな救済が約された(新約)。人々は、キリストへの信仰によって神との間にその新たな契約を結び、神に服従する生活の下に新しいいのちを受けることとなった。神は対話の相手ではなくなり、疑うことなくひれ伏すものになったのである。
 さて、ここまで見てきて気になるのが、キリスト教を受け入れた人々は、多くの神々がいるギリシャ神話やゲルマンの多神教の世界を常識としていたはずだということである。それは、旧約聖書で描かれていた一神教の世界とは全く異なる世界だった。ギリシャ神話の神々は、日本神話と同じくカオス(混沌)の中から生まれてきた。カオスの中からガイア(大地)が生まれ、ウーラノス(天)との交わりによって多様な神々が生み出されたのだ*25。そのように多様な神々がいた世界に一神教のキリスト教が普及していって、なぜ問題が生じなかったのかというのは気になる点だ。その点は、キリスト教が土着の宗教の神や精霊をキリスト教の天使や聖人に置き換えて巧みに取り込んでいったということと*26、ローマ・カトリック教会が聖書を一般の人には分からないラテン語で独占していた*27ということによって説明ができるように思われる。
 神はイメージしてはならないとされているのに、ローマ・カトリックでは様々な職業や地域ごとに多くの守護聖人がいて教会にはそれらの像が安置されている*28。それらの像は、人々が信仰していたゲルマンの精霊などを置き換えたものだったというわけだ。そのような守護聖人は、聖書のどこにも書かれていない。ユダヤ教のシナゴーグやイスラム教のモスクには、そのような像は置かれていないのだ。ところが、それに疑念を抱かせなかったのが、ラテン語で書かれた聖書の独占だった。聖書を英語に翻訳した英国の神学者ウィクリフの聖書は焚書とされ、その衣鉢を継いだボヘミアの宗教改革者フスは火刑にされた*29。そして、教会では人々の常識に反するような旧約聖書に記されている出来事は、およそ説かれることはなかったのだろう。ちなみに、神との対話をすることがなくなった人々にとっては、キリスト教と土着の神々との関係について思いめぐらす必要もなかったのだと考えられる。その結果、キリスト教が広がっても、旧約聖書の世界とは程遠いゲルマンやケルトの神話が生き続けることになったというわけである。ゲルマンやケルトの森には、日本と同じように精霊や魑魅魍魎が住み続けた。イソップ童話の「金の斧、銀の斧」は、樵が森の精霊に出会う物語だ。グリム童話では、動物が口をきくのは当たり前だ。ちなみに、今日のディズニーの漫画でも、動物が口を利くのは当たり前だ。子供の世界では、今日でも精霊の世界が生き続けているのだ。
 ただ、そのような土着の神々や精霊をキリスト教の天使や聖人に置き換えて取り込むことは、宗教改革の時代になり印刷術の発達で人々が自国語に翻訳された聖書を自ら読むようになると通用しなくなる*30。自分で聖書を読み神のメッセージはこうだと自分で思索するようになったプロテスタントの人々にとっては神だけが信仰の対象となった。プロテスタントの協会には、聖書に記載のない聖人の像は置かれていない。そして、宗教と科学が遠ざかり「合理的な思考」が行われるようになり、デカルトが「われ思うゆえにわれあり」と思索して「自我」を発見し、主語が誕生した(再認識された)というわけである。

啓蒙主義が生んだ西欧民主制
 言葉をすべてに優先させるようになったことは、西欧民主制という素晴らしい制度を生み出すことにもなった。ある人が「証拠より論」ということで「論」を展開しても、他の人が自らの思索に基づいてそれと違う「論」を展開して議論することによって合理的な解を見つけ出そうとする近代民主制が誕生したのである。そのような民主制は、日本でのように、一人が何かを言うと、みんながまずは「そうですね」とうなずいていては誕生しなかったはずだ。西欧では、たまに全員が同じ意見に傾いていたりすると、本当は反対でなくても「でも、こういう考え方はどうかな」と故意に反対の意見を敢えて言うことが“devil’s advocate”ということで議論を深める手法として尊重されているのだ*31。ちなみに、反論に確信が無くても故意に反対の意見を敢えて言うことには、いかに西欧人といえども勇気がいる。西欧民主制において、そのようなことが定着した背景には、ローマ時代以来、西欧の倫理学で徳性の一つして「勇気」が挙げられていることがあったと考えられる。ラテン語の勇気であるVirtus(英語のVirtue)は徳性をも意味するようになっているのだ*32。勇気が徳性だということになると、会議で誰かの発言が間違っていると思えれば、自らの考えに確信が無くても勇気を出して反論するのが良しとされることになる。欧米の民主主義は、そのような伝統にも基づいて出来上がっているのである。
 ただ、ここで日本人として留意が必要なのは、そのような西欧民主制の世界では、議論の場で黙っていると無視されてしまうことだ。「権利のための闘争」という本がある。ドイツの法学者イェーリングが、1872年に著したものだが、そこで説かれていることは、他者との論争において自らの権利を守ることは、自分の人格を守ることだ。そして、それは国家・社会を守ることにもつながるという考え方である。マックス・ウェーバーは、西欧型の民主制の下における政治的指導の本質は、「党派性、闘争、激情」だとしていた*33。いずれも、議論の場では他者の発言に対して即座に強く反論することを前提としている。スリープ、スマイル、サイレンスではいけないのだ*34。ちなみに、説明責任(Responsibility)という言葉を最近日本でも聞くようになったが、それは西欧においては18世紀ごろから使われるようになった言葉だという*35。西欧での近代的な議論の手法も、そのころから成熟していったということであろう。

西欧民主制の限界
 ここで忘れてならないのが、民主制は最悪の政治にもなりうるということだ。極めて民主的とされたワイマール憲法体制の中からヒトラーが登場してきたのである。そしてその背景にあるのが、ルソーの社会契約論だとされている*36。ルソーは、「統治者が市民に向かって『お前の死ぬことが国家に役立つのだ』というとき、市民は死なねばならぬとする。なぜなら、(中略)彼の生命は単に自然の恵みだけではもはやなく、国家からの条件付きの贈物なのだから」としていた*37。ここからは、民衆の支持を得てヒトラーが「統治者」になってしまえば、とんでもないことになるということが出てくる。
 ルソーの社会契約論などと難しいことを言わなくても、今日の民主社会における言論には多くの問題点が存在している。社会が分断化する中、いずれの国の議会でもためにする議論が行われることが多くなっている。最近では、フェイクニュースの跋扈が問題になっている。そのような問題点を抱える西欧の民主制が、非西欧社会に移植されてもうまくいかないのは、ある意味で当然といえる。非西欧の人々の文化と不適合を起こし、政治、経済、市民社会の機能不全を招いてしまうのだ。そして、氏族、部族、民族集団間の内戦へと発展し、貧困、汚職などをますます悪化させることにもなりかねないのである*38。

西欧合理主義と保守思想
 実は、ルソーの社会契約論のような合理主義一辺倒の考え方に対しては、西欧においてもそれを否定する考え方が受け継がれてきている。例えば、アダム・スミスが「道徳感情論」で唱えていた考え方で、日本と同様に「世間」を道徳の基準とする保守思想である。アダム・スミスは、近代経済学の祖として知られているが、元々はエジンバラ大学の道徳哲学の先生だった。アダム・スミスの書としては「諸国民の富」が知られているが、スミスの主著はこの「道徳感情論」だ。その中でスミスは、他者との共感を基礎とした道徳を説いていた。アダム・スミスは、啓蒙思想からの西欧合理主義が生み出したユートピア的な思想に対しては嫌悪感しか示さなかったという。特に、ホッブスの「万人の万人に対する闘争」といった文明以前の自然状態や、ルソーの野生人を理想とするような考え方はきっぱりと拒絶していた。社会が出現する以前の人間を論じても意味はない。なんとなれば人間は生まれつき社会的な動物だからだとしていたのである*39。同様の考え方は、スミスと同時代のデイビット.ヒュームという哲学者にも共有されていた。ヒュームは、道徳の基準には世論しかないとしていた*40。ヒュームやスミスと同時代のバーナード・マンデヴィルは、「人間に何らかの動機付けをするものは、二つしかない。利己心と恥である」としていた*41。先の大戦後、米国人のルース・ベネディクトが、西欧の「罪の文化」に対して日本を「恥の文化」だとしたが、西欧でも「恥の文化」が認識されていたのである。
 そのように西欧でも「世間」を道徳の基準とする思想は連綿と続いていたのだが、西欧人が啓蒙思想の時代に主語を導入した結果、自然物と並列の視点を失ってしまったことは否定しようもない事実である。主語制を導入した結果、冒頭で見たように「証拠より論」といった議論の仕方が跋扈するようになっているのである。そこで、ここで「証拠より論」の議論の仕方の基本にある弁論術について考えて見ることとしたい。そもそもギリシャの民主制で行われていた弁論術は、ソクラテスの対話術の延長線上にアリストテレスが確立したものだった。それは、語る人の人格を基本に、受け手の感情を喚起し、その上で論理力で相手の納得を得る術だった。ところが、同じくギリシャで行われていたソフィストの弁論術は、語る人の人格とは無関係に論理力を基本に受け手の感情を喚起して納得を得る術だった。そのようなソフィスト的な弁論術が「証拠より論」の手法になっているといえよう。それを、語る人の人格を基本にしたソクラテス的な弁論術の世界に戻していくためには、他者との共感を基礎としたアダム・スミスやデイビット・ヒュームの道徳を思い出す必要がある。それは、「世間」を前提とした弁論術で、主語のない日本語では当然とされているものである。そんなところから西欧民主制の言論空間を工夫していけないものかというのが筆者の問題意識である。この点は、本稿の最終回で考えてみることとしたい。
 いずれにしても、近代の西欧民主制は、それを非西欧社会にも適合させていくような工夫がなければ、今後、世界をリードしていくことはできないと思われる。そもそも、歴史を振り返ってみれば、西暦1000年ころのイスラム法学者サイード・イブン・アフマドは、文明人に含まれるのは、インド人、ユダヤ人、エジプト人、ペルシャ人、ギリシャ人、そしてローマ人で、上級クラスの野蛮人が中国人とトルコ人、それ以外が南方の「黒色野蛮人(アフリカ人)」と「白色野蛮人(ヨーロッパ人)」だとしていた。その後、およそ道徳的でない植民地支配に乗り出した西欧人は「白色野蛮人」とされていたのだ。文明人という概念も時代によって変わるものなのである*42。

人の脳の働きと言語
 最後に、本稿の第1回に紹介した脳科学者のニック・チェイター教授に登場願うことにしたい。チェイター教授は、人の脳は、その時注意を向けている感覚情報を整理統合して意味をとるために絶えず奮闘している存在で、感覚世界の一部ではない「自己」を意識するなどという話は支離滅裂なナンセンスだとしている*43。デカルトの「われ思うゆえにわれあり」という「自我」の考え方を正面から否定しているのだ*44。同教授によれば、人格とはその人独自の過去の経験、思考や言動の積み重ねの歴史で、その歴史の中で人は常に自分自身を作り、また作り直している*45。社会や文化も、そのような作業の中で作り出されている。そして、「何を行い、何を欲し、何を言い、何を考えるのかという前例が共有されることで、個人においてのみならず、社会の中に秩序が創り出される。(中略)そして新たに作った前例というのは古い共有された前例に基づいているのだから、文化のほうも私たちを創り出している。(中略)そのようにして、驚くほど安定し整然とした暮らしや組織や社会が構築されているのだが(中略)私たちがその上に建物を築くことのできる強固な基礎というのは、結局のところ存在しない。(中略)新たな思考や価値や行動を正当化したり吟味したりできるのは、過去の前例の数々という伝統の枠内でのみなのだ。(中略)私たちの生き方と社会を構築するのは、本来的に終わりのない、創造的な過程である(中略)。何をもって自分の意思決定や行動の基準とするかということ自体も、その同じ創造的過程の一部なのだ。つまり人生とは自分たちで遊び、自分たちでルールを創作し、点数をつけるのも自分たちであるようなゲームなのだ」という*46。このチェイター教授の説明は、日本語において日本人が「世間」の中で変幻自在に立ち現れる、自己も他者も「世間」の中でかかわりあうことで規定されるという世界そのものと言えよう。そのようなチェイター教授が重視するのが、想像の飛躍であり比喩だ。言語には、その比喩がしみ込んでいて想像力をどこまでも広げていく、それが人間の進化につながっているという*47。同様の指摘は、「言語の力」という本を著しているビオリカ・マリアン氏によってもなされている*48。
 次回は、日本語の世界が、チェイター教授やマリアン氏が指摘しているような創造の飛躍に富んだ世界であること、その背景に日本人の宗教観があることについて見ていくこととしたい。

*1) 米国の財政再建は、クリントン政権で成し遂げられた(「失われた90年代と我が国財政についての考察」松元崇、ファイナンス、VOL36.No6,p53)
*2) 「閉ざされた言語・日本語の世界」鈴木孝夫、新潮選書(増補版)2017,p199
*3) 「古き佳きエジンバラから新しい日本が見える」ハーディー智砂子、講談社α新書、2019、p66-67、91
*4) 「述語制言語の日本語と日本文化」金谷武洋、文化科学高等研究院出版局、2019、pp31-36、173。「英語にも主語はなかった 日本語文法から言語千年史へ」金谷武洋、講談社選書メチエ、2004。
*5) 「我々はどこから来て、今どこにいるのか?(下)」エマニュエル・トッド、文芸春秋、2022、、p290-91。個人主義という言葉の登場は、19世紀初めであった(「トクヴィル」宇野重規、講談社学術文庫、2019、p85)
*6) 「規範としての民主主義・市場原理・科学技術」藤山智彦編著、東京大学出版会、2021、p49、218
*7) 「知能低下の人類史」エドワード・ダットン、春秋社、2021、p223―4。
*8) コリント人への手紙第一、3章19節
*9) コリント人への手紙第一、1章22節
*10) 「日本語には敬語があって主語がない」金谷武、光文社新書、2010、p36-38
*11) 金谷武洋、2019、p183
*12) 本稿第2回参照
*13) 鈴木孝夫、2017,p191
*14) 金谷武洋、2010、p17(「ユング心理学と仏教」河合隼雄、岩波書店、1995)
*15) 「監視資本主義」東洋経済新報社、ショシャナ・ズボフ、2021,p201‐202
*16) 旧約聖書の世界における奴隷制やジェノサイドについて「道徳・政治・文学論集」D.ヒューム、田中敏弘訳、名古屋大学出版会、2011,p310-336参照。
*17) 「よくわかる一神教」佐藤賢一、集英社文庫、2023,p190-91
*18) 「キリスト」は、ヘブライ語の「メシア油を注がれたものから転じて救済者」のギリシャ語訳(「よくわかる一神教」佐藤賢一、集英社文庫、2024,p60,69)
*19) 旧約聖書は、5世紀にヒエロニムスによってラテン語訳された(「1414年その一冊がすべてを変えた」スティーブン・グリーンブラット、柏書房、2012、p122)
*20) 金谷武洋、2010、p173。ギリシャ語では1人称と2人称の場合には主語を明示する必要がなく、動詞だけで主体を示すことができる(「しっかり学ぶ初級古典ギリシャ語」堀川宏、ベレ出版、2021,p18-19)。イスラム教の聖典であるコラーンも主語を使わないアラビア語で書かれており、神はただ完璧で、ひれ伏し従う対象である。
*21) 「日本語の哲学へ」長谷川三千子、ちくま新書、2010
*22) 「〈世界史〉の哲学 現代編1」大澤真幸、講談社、2022、p100
*23) ユダヤ教では神の言葉が全てであり、キリストのような預言者が誰であるかは重視されていなかった。キルケゴールによれば、キリストだけが特殊だった(大澤真幸、2022、p62)。
*24) ローマ帝国では、キリスト教を国教とした前年の391年にテオドシウス帝によって公の場での生贄が禁止された(スティーブン・グリーンブラット、2012、p115)
*25) 「世界失墜神話」篠田知和基、八坂書房、2023、p91-121
*26) 佐藤賢一、2023,p142-45
*27) コラーンも翻訳してはならず必ずアラビア語で唱えられるが、アラビア語は一般の人にもわかる言葉である
*28) 例えば、日本の守護聖人は、フランシスコ・ザビエルである
*29) フスは、聖書のどこにも「教皇」などという言葉はないと言って、カトリック協会の腐敗を厳しく批判した(スティーヴン・グリーンブラット、2012、p208)
*30) 佐藤賢一、2023,p197-99
*31) ハーディー智砂子、2019、p37。大澤真幸氏は、西欧の民主制もキリスト教の誕生と同じく申命記革命の手法によって成立したものだとしている(大澤真幸、2022,p87,89、97,101-02、105)
*32) 「ローマとギリシャの英雄たち〈栄華編〉」阿刀田高、新潮文庫、2014、p235
*33) 「マックス・ウェーバー」野口 雅弘、中央公論新社、2020、p46-47。「職業としての官僚」嶋田博子、岩波新書、2020、p182‐83
*34) 本稿、第1回参照
*35) 「今道友信 わが哲学を語る」鎌倉春秋社、今道友信、2010,p173
*36) ルソーの考え方から恐怖政治が生まれることについて、「近代の呪い」渡辺京二、平凡社、2023,p99-102参照
*37) 「社会契約論」岩波書店、1954,p54
*38) 「WEIRD」下、ジョセフ・ヘンリック、白揚社、2023、p322
*39) 「アダム・スミス 共感の経済学」ジェシー・ノーマン、早川書房、2022、p92、113
*40) 「道徳・政治・文学論集」D.ヒューム、田中敏弘訳、名古屋大学出版会、2011、p389
*41) ジェシー・ノーマン、2022、p89
*42) ジョセフ・ヘンリック、2023,p250-51
*43) 「心はこうして創られる」ニック・チェイター、講談社選書メチエ、2022,p255
*44) ブッダも「自我」を否定していた(「ブッダという男」清水俊史、ちくま新書、p162-173、214-15)
*45) 「言語はこうして生まれる一即興する脳とジャスチャーゲーム」モーテン・H・クリスチャンセン、ニック・チェイター、新潮社、2022、p281-83
*46) モーテン・H・クリスチャンセン、ニック・チェイター、2022、p264―68、309―10
*47) モーテン・H・クリスチャンセン、ニック・チェイター、2022、p290-95
*48) 「言語の力」ビオリカ・マリアン、KADOKAWA,2023,p16-19、87-88