豊かな海産物に恵まれるかつての漁師町、変貌を続ける木更津
木更津税務署 総務課長 髙本 智野
はじめに
木更津税務署は、税務署が創設された明治29年11月、君津郡(現在の木更津・君津・富津・袖ケ浦4市)を管轄して設置され、合併・分割なく現在に至っています。
かつて千葉県は、安房(あわ)国・上総(かずさ)国・下総(しもうさ)国の3国からなっていました。当署管轄区域は、上総国のうち東京湾に面した東側の「かずさ地区」「君津地区」と呼ばれる地域です。なぜか「きさらづ地区」とは言いません。
明治4年11月、廃藩置県後の府県統合により上総国、安房国一円を管轄する「木更津県」が発足され、明治6年6月に印旛県と合併して現在の千葉県が成立しました。1年半余りの短い期間ではありますが、現在の木更津市には県庁が設置されていたそうです。
製鉄所と「やっさいもっさい」
昭和40年、海苔主体の漁業が盛んだった君津に「君津製鉄所(現:日本製鉄東日本製鉄所)」が創業されました。戦後の日本経済を支えた「八幡製鉄」の関東進出に伴い、北九州市をはじめ全国から君津市に2万人以上もの移住者を迎え「民族大移動」と称されました。
八幡製鉄進出の話が持ち上がったのは昭和35年。沿岸部の埋め立てにより、先祖代々から受け継いだ生活基盤を根底から変えることになるため、当初は多くの反対もあったそうです。しかしながら、海苔の不作なども影響して地元漁協は漁業権の譲渡、放棄に踏み切ったといいます。こうして静かな漁師町は瞬く間に鉄鋼の街に変貌を遂げました。
製鉄所の進出と共に生まれたのが、木更津市を代表する踊り「やっさいもっさい」です。毎年8月14日には、木更津港まつりのイベントの一つとして木更津駅西口前から税務署の前に続く「富士見通り」で行われています。
元々は木更津甚句の囃子言葉の一種で「そこのけそこのけ」という意味があり、踊り中の掛け声「おっさおっさ」も木更津甚句の囃子言葉の一種で「おお、そうだよ」と同調する意味があります。ほぼ同時期に徳島で行われる「阿波踊り」同様、「連」を結成するもので、「房総版阿波踊り」と表現されることもあります。
多くの移住者を迎えた木更津周辺において、従来からの住民との交流の場として、昭和49年からこの踊りがイベントの中で開始されました。製鉄所関連の地元企業や町内会のほか、近年では、全国各地から集まった「木更津キャッツアイ」ファンによる「木更津キャッツアイ連」や木更津とゆかりの深い「氣志團」のファンによる連も結成されています。
令和5年には、長いコロナ禍による4年間のブランクを経て、台風接近による中止が心配される中で、盛大に復活開催されました。
写真 やっさいもっさい風景
アクアライン
平成9年12月に開通した、東京湾の中央部を神奈川県川崎市から木更津市までほぼ一直線に結んで横断する自動車専用有料道路で、川崎浮島JCT-木更津金田IC間を「東京湾アクアライン」といいます。道路の総延長は15.1km、このうち川崎側の約9.5km区間が「アクアトンネル」、木更津側の約4.4km区間が「アクアブリッジ」、トンネルと橋が直結される場所に「海ほたるPA」がある人工島で構成されています。
「アクアブリッジ」は橋梁全長4,384m、日本一長い橋として知られています。「海ほたるPA」は、四方を海に囲まれた全長650mの木更津人工島に建設された世界でも珍しいパーキングエリアです。房総名物が豊富に並ぶ売店やレストラン、東京湾のパノラマビューを楽しむことができる海に浮かぶショッピングモールは、房総観光の際の立ち寄り先としても人気を博しています。
アクアライン開通により、木更津-川崎間の距離が約100kmから30kmへ、所要時間も約90分から30分へ短縮され、首都圏の物流効率向上に大きく寄与しています。
近年は、川崎・羽田空港等の都心各地との間に高速バスが多数運航しており、京浜地域に通勤する労働者層を中心として木更津地域への移住もさらに増加傾向にあります。
写真 2年ごとに開催される「アクアラインマラソン」の日
久留里の名水
木更津駅から君津市の上総亀山駅までを結ぶ32.2kmの単線鉄道路線が久留里線です。その途中山間部入口に久留里駅(君津市)は位置しており、その駅前には、連日多数の人が水くみに訪れる井戸があります。
水田の灌漑用水として明治中期に上総掘り井戸方式が完成し、現在も久留里地方で約200本の井戸が点在・湧出しており、この井戸から湧き出る水は、水質の良さ、美味しさから「久留里の生きた水」と呼ばれ「平成の名水百選」にも選ばれています。
「名水あるところに名酒あり」と言ったもので、当署の管内には酒蔵が8つ点在しており、君津市では平成26年10月に「きみつの地酒で乾杯を推進する条例」を施行しています。
海の幸グルメ
東京湾にそそぐ豊富な栄養と静穏な干潟に恵まれた内房総木更津エリアでは、潮干狩り・簾建てを楽しむことができ、「味よし・色よし・香よし」の海苔は贈答品としても人気が高くなっています。
アサリや海苔のほか、富津岬近くの東京湾に浮かぶ「海堡(明治政府が作った洋上の要塞)」、近海で採れた魚介類を使用した「海堡丼」、富津名産であるアナゴを甘辛く煮た「はかりめ丼」など、新鮮な海の幸を使用したご当地グルメが多数並びます。
中でも、富津金谷近海に生息する根付きの真あじは「黄金あじ」と呼ばれ、アジフライは絶品です。
房総へお越しの際には、是非ご賞味ください。
写真 木更津海岸潮干狩り場(赤い橋は、中の島大橋)
(写真提供:木更津市観光協会、観光写真コンクール入賞作)
歴史と最先端が交差する街 東京・港区
麻布税務署 総務課長 山下 篤史
はじめに
麻布税務署は、昭和18年8月に旧幸橋税務署から旧麻布区を、四谷税務署から旧赤坂区を移管し、赤坂税務署として誕生しました。その後、昭和20年8月に戦災で庁舎が焼失した四谷税務署を合併し、昭和22年8月に麻布税務署及び四谷税務署に分割されて、現在に至ります。
管轄区域は、東京都の南東部に位置する港区のうち、麻布・六本木地区及び赤坂・青山地区であり、管内面積は7.80km2となっています。
当署管内には、繁華街である赤坂や六本木、ファッションの街として知られる青山など、様々な特徴を持つエリアがありますが、ここでは管内の主な特色と見どころをご紹介します。
管内の特色
[大使館]
現在、日本国内にある約150か国の大使館のうち約80が港区に置かれており、その多くが当署管内にあります。
江戸時代末期に日本が世界へ国際交流の門戸を開いたとき、最初の外国公使館が寺院(例えば、アメリカは元麻布の善福寺)に置かれましたが、明治維新後、政府は旧大名家から没収していた屋敷の跡地を大使館用地として各国に提供しました。このような経緯から、大名屋敷が多くあった港区に大使館が集まったと言われています。
[坂]
武蔵野台地の東縁に位置する港区内には、名前が付いているだけで89の坂があり、そのうち麻布地区には大小42の坂があるといわれています(芋洗坂、鳥居坂、饂飩坂、仙台坂など)。
それぞれの坂の名前には由来があり、例えば、仙台坂は坂の南部一帯が仙台藩伊達家の下屋敷であったことに由来しています。
写真 鳥居坂
写真 仙台坂
[民放キー局]
民放テレビのいわゆる在京キー局5局は全て港区に本社を置いており、当署管内にはテレビ朝日(六本木)、TBS(赤坂)、テレビ東京(六本木)の3つのテレビ局の本社があります。
そのため、管内には、テレビ局の関連企業や芸能プロダクション関連の企業が多くあります。
管内の見どころ~赤坂・青山地区~
[青山霊園]
明治7年に江戸時代の美濃国郡上藩青山家の屋敷跡に開園され、面積約26万m2(東京ドーム約5.6個分)と東京23区内で最大規模の霊園で、大久保利通、犬養毅、尾崎紅葉、斎藤茂吉など、日本近代史上の多くの著名人の墓所があります。
園内は緑が豊かであり、400本以上のソメイヨシノが咲く桜の名所としても有名です。
写真 青山霊園から六本木方面を望む。
[迎賓館赤坂離宮]
明治42年に東宮御所として建設された、日本では唯一のネオ・バロック様式による宮殿建築物で、当時の日本の建築、美術、工芸界の総力を結集した建築物です。
戦後、日本が国際社会に復帰し、外国からの賓客を迎えることが多くなったため、国の迎賓施設へと大規模な改修を施し、昭和49年に現在の迎賓館として開館しました。
平成28年からは、接遇日程等を除き、通年で一般公開されています。
[明治神宮外苑いちょう並木]
明治41年から育成が始まり、大正15年の明治神宮外苑創建に先立ち、大正12年に完成した、146本のいちょうが300メートル続く通りです。
樹高も地盤も入口の青山通り側が高く、聖徳記念絵画館に向かって徐々に低くなっており、遠近法の手法を用いて絵画館が並木の先に美しく見えるように設計されています。
見頃を迎える時期には、いちょう祭りが開催され、ライトアップが行われるなど、大勢の人たちで賑わいを見せています。
管内の見どころ~麻布・六本木地区~
[麻布十番商店街]
麻布十番駅から六本木方面へと伸びる商店街で、善福寺の門前町として栄えた江戸時代から続いています。老舗が建ち並び、都心にありながら下町情緒も残るなごやかな活気で賑わう一方、新しいショップも多く立ち並び、お洒落な雰囲気も漂います。
憩いのスポットである「パティオ十番」には、童謡「赤い靴」のモデルとなった岩崎きみちゃんの像があり、街を見守っています。
また、商店街で50年以上にわたり開催されている納涼祭りは、例年約30万人以上の来場者が訪れるなど、夏の風物詩として親しまれています。
写真 パティオ十番
写真 きみちゃん像
[六本木ヒルズ]
高さ238メートルの高層オフィスビル(六本木ヒルズ森タワー)を中心に、集合住宅のほか、ホテル、テレビ朝日本社社屋、映画館をはじめとする文化施設、その他の商業施設等で構成されています。
平成15年の開業から約20年が経過した現在も年間約4,000万人が訪れており、東京のランドマークとして定着しています。
森タワー52階からの展望は、都心のほぼ中央にありながら周囲に視界を遮る建物がなく、360°のダイナミックな景観が見渡せます。
写真 森タワーの展望台から青山方面を望む。
[国立新美術館]
平成19年に開館した国立美術館で、故黒川紀章氏の設計による建物の南側は、波のようにうねるガラスカーテンウォールが美しい曲線を描き、円錐形の正面入口とともに個性的な外観です。
コレクションを持たないアートセンターとして、国内最大級の展示スペースを生かした多彩な展覧会が開催されています。
また、館内のレストランやカフェで、多くの方がくつろぎのひとときを過ごしています。
このほかにも、近隣には、根津美術館、サントリー美術館(東京ミッドタウン内)、森美術館(六本木ヒルズ内)といった、魅力的な美術館があります。
[麻布台ヒルズ]
都心の新たなランドマークとなる大型複合施設が令和5年11月に開業しました。
「麻布台ヒルズ森JPタワー」など3つの高層ビルを中心に、オフィス、住宅、ホテル、商業施設、インターナショナルスクール等が集まっています。
その中核となる森JPタワーは、地上64階建てで高さは330メートルあり、現時点では日本一の超高層ビルです。
おわりに
ここでは一部のスポットのご紹介となりましたが、港区では、近年大規模な再開発が相次いで行われ、最先端の文化・商業施設が続々と開業しているだけでなく、歴史的な遺産や街並み、四季の移ろいを感じられる緑地などの自然もあり、多様な見どころがあります。
お近くにお越しの際には、是非お立ち寄りください。
歴史感じる古都鎌倉~相模湾に臨む鎌倉・逗子・葉山~
鎌倉税務署 総務課長 竹村 寛之
はじめに
鎌倉税務署が所在する鎌倉市は、相模湾に面した神奈川県の南部に位置する海と山に囲まれた自然豊かな街で、市域に神社仏閣などの歴史的な遺産も多く、源頼朝が幕府を開いた地として知られ、国内外から多くの観光客が訪れています。
鎌倉税務署は、昭和61年7月に横須賀税務署及び藤沢税務署から分割され設置、平成4年12月に新庁舎が落成し、仮庁舎から現在の所在地に移転しました。現庁舎は、街の景観に馴染む色合いで、樹木に囲まれた落ち着いた雰囲気の建物となっています。
管轄区域は、藤沢税務署の管轄であった鎌倉市、横須賀税務署の管轄であった逗子市及び三浦郡葉山町の2市1町であり、管内面積は約74km2、管内人口は約26万人です。
写真 現庁舎
鶴岡八幡宮
鎌倉市の中心部に建つ「鶴岡八幡宮」は、日本を代表する八幡宮であり、康平6(1063)年、源頼義が源氏の守り神として京都の岩清水八幡宮を由比郷鶴岡(現在の材木座にある由比若宮(元八幡))に分祀したことに始まります。その後、治承4(1180)年に平家打倒のため挙兵した源頼朝が鎌倉入りした際に現在の場所に遷座して、鶴岡若宮と称し鶴岡八幡宮の基礎を造りました。
社前から海側に続く、参道となる若宮大路の中央にある一段高くなった道は、段葛(だんかずら)と呼ばれ、頼朝が妻である北条政子の安産を祈願し造らせたといわれています。当時は、小高く盛土した脇に石を並べた程度の造りであったようですが、時を経て幾度となく改修されており、現在の段葛は、平成26年11月から平成28年3月までの改修工事で整備されたものとなっています。
写真 鶴岡八幡宮
源氏山公園(源頼朝像)
税務署から徒歩10分圏内にも源頼朝にゆかりのある場所があります。
頼朝の鎌倉入り800年を記念して、昭和41年に開園した「源氏山公園」は、春には桜、秋には紅葉など四季折々の自然が感じられる公園で、園内には、頼朝像があります。この源氏山公園に税務署から向かう途中には、夢に現れた宇賀福神(人頭蛇身の神)のお告げにより、頼朝が霊水の湧きだす泉を発見し、社を建てたとされる「銭洗弁財天宇賀福神社」があります。この湧水は鎌倉五名水の一つで、お金を洗って使うと何倍にもなって返ってくるといわれています。
また、伊豆蛭ヶ小島に流されていた頼朝が病に倒れたおり、夢枕に現れた「かくれ里の稲荷」を名乗る白髪の老婆から平家討伐の挙兵を勧められ、頼朝がこれに従い挙兵し、戦に勝ったとの言い伝えがあります。のちに幕府を開いた頼朝が、このかくれ里で祠(ほこら)を見つけ、社を建てさせたといわれる「佐助稲荷神社」があります。社殿へと続く参道には、深緑に映える朱色の鳥居が49基建てられており、神聖な空気に包まれています。
諸説ありますが、税務署が所在する「佐助(さすけ)」地区の地名は、当時、頼朝が佐殿(すけどの)と呼ばれており、その佐殿を助けた稲荷を「佐助稲荷」と名付けたことに由来するといわれています。
写真 源頼朝像
建長寺
建長5(1253)年に五代執権の北条時頼によって創建された「建長寺」は、中国の僧・蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が初代住職に招かれた禅宗の日本初の本格的な禅寺です。
南宋の五山十刹制度にならい、鎌倉時代末期に北条氏が導入した五山制度による禅宗の格付けで鎌倉五山第一位に選定されています。
総門・三門・仏殿・法堂・方丈などの主要な建物が一直線に並び、座禅堂などが左右対称に並ぶ伽藍(がらん)配置は、中国宋時代の禅宗寺院を模して配置されたものです。創建当時の建物の多くは火災などで焼失し、現存するこれらの建物は、他の寺院から移築や再建されたものですが、三門をはじめ、仏殿や法堂など数々の建物が国の重要文化財に指定されています。
三門は、「三解脱門」の略で、2階部分の楼上に五百羅漢などが安置されており、門をくぐり、下を通ることで心が清められるといわれています。
また、野菜の皮やへたを無駄にしないよう道隆が発案し、建長寺の修行僧が作っていた精進料理の建長汁(けんちょうじる)が「けんちん汁」の始まりといわれています。
写真 建長寺(三門)
高徳院(鎌倉大仏)
国宝の「銅造阿弥陀如来座像(鎌倉大仏)」で知られる「高徳院」は、法然上人を開祖とする浄土宗の仏教寺院です。
暦仁元(1238)年に着工した大仏は木造であったため、台風により倒壊し、現在の青銅像(高さ約11メートル・重量約120トン)は、宋の影響を受け、建長4(1252)年から10年前後の歳月をかけて当時の最高技術で鋳造されたといわれています。
また、鎌倉市の北西部に位置する大船地区には、JR大船駅近くの「大船観音寺」に「白衣観音像(大船観音)」があります。昭和4(1929)年に着工したのち、戦争で20数年間工事が中断したため、約31年かけて昭和35(1960)年にようやく完成したそうです。駅を出ると木々の上から顔を覗かせる白衣をまとった姿が特徴的な胸像(高さ約25メートル・幅約19メートル)は、街のシンボル的な存在です。
写真 高徳院(鎌倉大仏)
鎌倉彫
鎌倉を代表する伝統的な工芸品である「鎌倉彫」は、漆塗で彫りの深い陰影のある文様の彫刻が特徴的で、「屈輪(ぐり)文様」という渦巻きが連続した幾何学文様のほか、唐草・牡丹・椿などの植物文様、鳳凰や龍を描いた文様が伝統的な文様として伝えられています。
鎌倉彫は、鎌倉時代に禅宗とともに宋から伝えられた彫漆工芸に影響を受けた仏師たちが仏具を作ったのが始まりといわれています。室町時代にかけて、各地の寺院に伝わる「香合」や修験者が仏像や経典などを納めて背負って運ぶ「笈(おい)」などの優品が生まれ、国宝として数多くの作品が残されています。
その制作技術は800年もの間、伝統を守りながら、時代とともに仏具から茶道具やお盆などの日用品の制作へと受け継がれています。
海水浴場・国道134号
鎌倉税務署の管轄区域である鎌倉市、逗子市及び葉山町は、いずれも相模湾に面しています。古くから漁業が営まれており、近海で獲れるシラスやアジを提供する飲食店も少なくありません。砂浜が広がる海岸には、それぞれ海水浴場があり、特に夏場は、海水浴客や花火大会の見物客でにぎわいを見せています。湾内では、セーリングやサーフィンなどのマリンスポーツも盛んに行われており、「日本ヨット発祥の地」と知られる葉山の港入口には、セール型の石碑が立っています。
また、横須賀市を起点に三浦半島の海岸線から西へ湘南方面に延びる「国道134号」は、映画やアニメなどの舞台として数多く取り上げられています。近年では、劇中に登場した場所を巡る聖地巡礼のため、国内のみならず、海外からも多くの日本アニメファンが訪れています。
写真 葉山港
おわりに
鎌倉幕府が開かれ、武家政権の中心地として歴史とともに繁栄した鎌倉市には、市域に史跡や遺構、発掘調査により確認された埋蔵文化財などが数多く存在しています。こうした歴史的な遺産や街並みを保全するため、建築物の高さや色を制限した景観地区の指定や歴史的風致維持向上計画の策定などにより、歴史的な遺産と共生する「まちづくり」に取り組んでいます。また、逗子市は、令和6年4月に市制施行70周年、葉山町は、令和7年1月に町制施行100周年を迎えます。
一度訪れたことのある場所も季節やテーマを変えて巡ると、新たな発見や感動を得られることと思います。歴史ある鎌倉・逗子・葉山に是非、お越しください。