評者 杉山 真
木内 昇 著
剛心
集英社 2021年11月 定価 本体2,000円+税
明治の大蔵省の偉人を挙げるなら、この小説の主人公である妻木頼黄(つまきよりなか)(1859~1916年)もそのうちの一人であろう。明治建築界の巨匠であり、内閣臨時建築局、内務省土木局等を経て、大蔵省で営繕官僚のトップである臨時建築部長(1905~1913年)等を務めた。
本書でも描かれる旧横浜正金銀行本店(現神奈川県立歴史博物館)や日本橋の麒麟・獅子像等で名高い。大蔵省関係では旧門司税関、横浜赤レンガ倉庫(旧横浜税関)、赤煉瓦酒造工場(旧醸造試験所)が現存する。
しかし、大蔵省の文脈で妻木の功績が語られることはあまりないのではないか。妻木や臨時建築部を原点として、戦前の大蔵省が官庁営繕や議院建築を所掌していたことも、今日語られることはほとんどない。
本書は、そんな妻木頼黄の官僚建築家としての歩みや矜持、まさに「剛心」を描いた傑作小説である。
妻木の生涯はもちろん、官庁集中計画や広島臨時仮議事堂をはじめ、明治以降の建築史、大蔵省や官庁街等にまつわる歴史としても、とても読み応えがある。
妻木は江戸の屋敷や街並み、伝統的な社寺建築を愛し、米独留学等で学んだ西洋の建築技術を取り入れつつも、日本ならではの意匠や景色を追求する。
明治以降の洋風建築は建築家の自己顕示と化し、景色を乱している、建築家は土地の歴史を深く知り、「景色を読む力」が必要、との妻木の主張は、現代の建築や街づくりでも服膺すべきところがあるだろう。
官僚としては、妻木の首相たちとのやりとりが興味深い。現場の職人を大事にする技師でもあった。
本書のクライマックスは、近代日本の建築史における頂点とも言える帝国議会議事堂(現国会議事堂)の建築(1920年着工、36年竣工)への道のりである。
帝国議会は予算不足等から長らく木造の仮議事堂で行われており、本建築は長年の課題となっていた。
その本建築の設計をめぐっては、大蔵省臨時建築部で進めようとする妻木と、コンペの実施を要求する辰野金吾(日本銀行本店や東京駅の駅舎等を設計)等の民間建築家たちとが激しく対立する。本書はそんな官民建築家たちの人間模様も生々しく描いている。
こうした中、妻木は首相官邸に桂首相をたずね、桂の支持を得る。しかし、妻木は単なる薄っぺらな根回し官僚ではない。私心で動いたわけでもない。
「自分の手柄にしたいか」と問う桂に対し、妻木は、「国政を論じる、いわばこの国の要となる建物」がどうあるべきか、なぜ「大蔵省の仕事として後世に遺す」べきか、粛々と説く。その信念に桂がやや気圧されたかのようなやりとりは、本書中の白眉と言える。
しかし、次の西園寺首相とは対照的で、結局、妻木は志半ばで世を去る。その後、市来大蔵次官が寺内首相を説得し、本建築はやっと本格的に動き出す。大蔵省に臨時議院建築局が設置される。
議会政治がまだ脆弱な時代にあって、妻木が「国の行く先を決めるための建物」「日本の命運を託す場所」たるべきと心血を注ぎ、その薫陶を受けた大蔵省の技師たちが遺志を継いで完成させた議事堂。
本書が描く妻木たちの思いや、長く困難な道のりに触れる時、日ごろの国会の論戦等は、また様々な見え方にもなることであろう。
そして、妻木たちには、今どう見えるだろうか。
最後に、本書のタイトルである「剛心」について。
建築用語で、建物の重さの中心である重心に対し、強さの中心(center of rigidity)を言うそうである。
本書では、妻木が西園寺にこう語っている。
「剛心がしかと定まってこそ、その双方が歪みなく存在してこそ、強く美しく安定した建物になる」
何事も、かくありたいものである。
木内 昇 著
剛心
集英社 2021年11月 定価 本体2,000円+税
明治の大蔵省の偉人を挙げるなら、この小説の主人公である妻木頼黄(つまきよりなか)(1859~1916年)もそのうちの一人であろう。明治建築界の巨匠であり、内閣臨時建築局、内務省土木局等を経て、大蔵省で営繕官僚のトップである臨時建築部長(1905~1913年)等を務めた。
本書でも描かれる旧横浜正金銀行本店(現神奈川県立歴史博物館)や日本橋の麒麟・獅子像等で名高い。大蔵省関係では旧門司税関、横浜赤レンガ倉庫(旧横浜税関)、赤煉瓦酒造工場(旧醸造試験所)が現存する。
しかし、大蔵省の文脈で妻木の功績が語られることはあまりないのではないか。妻木や臨時建築部を原点として、戦前の大蔵省が官庁営繕や議院建築を所掌していたことも、今日語られることはほとんどない。
本書は、そんな妻木頼黄の官僚建築家としての歩みや矜持、まさに「剛心」を描いた傑作小説である。
妻木の生涯はもちろん、官庁集中計画や広島臨時仮議事堂をはじめ、明治以降の建築史、大蔵省や官庁街等にまつわる歴史としても、とても読み応えがある。
妻木は江戸の屋敷や街並み、伝統的な社寺建築を愛し、米独留学等で学んだ西洋の建築技術を取り入れつつも、日本ならではの意匠や景色を追求する。
明治以降の洋風建築は建築家の自己顕示と化し、景色を乱している、建築家は土地の歴史を深く知り、「景色を読む力」が必要、との妻木の主張は、現代の建築や街づくりでも服膺すべきところがあるだろう。
官僚としては、妻木の首相たちとのやりとりが興味深い。現場の職人を大事にする技師でもあった。
本書のクライマックスは、近代日本の建築史における頂点とも言える帝国議会議事堂(現国会議事堂)の建築(1920年着工、36年竣工)への道のりである。
帝国議会は予算不足等から長らく木造の仮議事堂で行われており、本建築は長年の課題となっていた。
その本建築の設計をめぐっては、大蔵省臨時建築部で進めようとする妻木と、コンペの実施を要求する辰野金吾(日本銀行本店や東京駅の駅舎等を設計)等の民間建築家たちとが激しく対立する。本書はそんな官民建築家たちの人間模様も生々しく描いている。
こうした中、妻木は首相官邸に桂首相をたずね、桂の支持を得る。しかし、妻木は単なる薄っぺらな根回し官僚ではない。私心で動いたわけでもない。
「自分の手柄にしたいか」と問う桂に対し、妻木は、「国政を論じる、いわばこの国の要となる建物」がどうあるべきか、なぜ「大蔵省の仕事として後世に遺す」べきか、粛々と説く。その信念に桂がやや気圧されたかのようなやりとりは、本書中の白眉と言える。
しかし、次の西園寺首相とは対照的で、結局、妻木は志半ばで世を去る。その後、市来大蔵次官が寺内首相を説得し、本建築はやっと本格的に動き出す。大蔵省に臨時議院建築局が設置される。
議会政治がまだ脆弱な時代にあって、妻木が「国の行く先を決めるための建物」「日本の命運を託す場所」たるべきと心血を注ぎ、その薫陶を受けた大蔵省の技師たちが遺志を継いで完成させた議事堂。
本書が描く妻木たちの思いや、長く困難な道のりに触れる時、日ごろの国会の論戦等は、また様々な見え方にもなることであろう。
そして、妻木たちには、今どう見えるだろうか。
最後に、本書のタイトルである「剛心」について。
建築用語で、建物の重さの中心である重心に対し、強さの中心(center of rigidity)を言うそうである。
本書では、妻木が西園寺にこう語っている。
「剛心がしかと定まってこそ、その双方が歪みなく存在してこそ、強く美しく安定した建物になる」
何事も、かくありたいものである。