IDBグループを通じた中南米支援~日系人コミュニティとの連携事例~
IDB(米州開発銀行)理事室 江口 枝里子
1 はじめに
日本にいると、遠い中南米について考える機会はあまりないかもしれません。私自身、いつか行ってみたい場所として、ペルーのマチュピチュやボリビアのウユニ塩湖を思い浮かべることはありましたが、イメージは漠然としたものでした。
IDB理事室に勤務して約2年、中南米が抱える様々な社会・経済課題へのアプローチを議論するとともに、中南米出身の同僚との交流や、現地に赴く機会を通じて、中南米が以前よりずっと身近になってきています。
なかでも、出張先のペルーで、現地に根ざした日系人文化・コミュニティの存在を感じたとき、遠かった中南米がぐっと親しみやすいものになりました。食文化の面でも、醤油や照り焼き味、刺身を使ったメニューなど、「Nikkei」を冠したメニューを見かけることがしばしばありました。
ペルーに限らず、日本と中南米との関係を語る上で、日系人はとても重要な存在です。直近では今年5月、岸田総理がブラジル・パラグアイを訪問した際にも、各国で日系人と懇談し、中南米日系社会との交流促進が表明されました。本稿では、中南米における日系人コミュニティの基礎情報に触れたうえで、IDBグループを通じた中南米支援の中で、現地の日系人との連携が一つの鍵となったプロジェクトを紹介したいと思います。*1
コラム
IDBグループと日本
IDB(Inter-American Development Bank、米州開発銀行)は、6億超の人口を有する中南米・カリブ地域への支援を行う開発金融機関です。IDBグループには、公的セクター向けの融資・保証・技術協力等を行うIDB(1959年設立)の他に、民間セクター向けに支援を行うIDB Invest(1986年設立)、そしてスタートアップを含む小規模な民間企業を支援するIDB Lab(1993年設立)の3つの機関が存在します。IDB約2000名、IDB Invest約450名、IDB Lab約90名のスタッフが、ワシントンD.C.の本部及び各国のカントリーオフィスで勤務しています。
日本は、加盟国48カ国(うち中南米・カリブ地域26カ国)のうち、IDBで5%のシェア(5位)、IDB Investで3.73%のシェア(8位)を持つ主要株主の一つであるとともに、IDB Labにおいては最も大きなシェアを持つトップドナーとなっています。また、IDBグループを通じた中南米・カリブ地域へのさらなる協力のため、1988年にはIDBに日本信託基金を設立し、現在までに累計4.3億米ドルを超える支援を行ってきています。
2 中南米における日系人
中南米には、約308万人の日系人が暮らしていると推計されています。世界全体の日系人は約500万人とされており、このうち約6割が中南米で暮らしていることになります。
日本人の中南米への移住は、19世紀後半から始まりました。海外移住は、個人による移民と政府等による集団計画移住に大きく分けられますが、中南米への集団計画移住としては、1899年に790人がペルーに渡ったのが最初となります。ペルーの日系人は現在約20万人と推計されています。
現在約270万人と中南米最大の日系人コミュニティを有するブラジルへの集団計画移住は、1908年、781人がコーヒー農園等で働く契約移民として渡ったのが始まりでした。未開の土地に住み、農作物の不作や風土病などの困難に直面しながらも、それを乗り越えて、各地の農業の発展に大きく寄与したといわれています。また、移住者及び子孫の方々が各国で設立した日系団体は、日本文化の継承と普及の役割を果たしてきています。
写真 移民募集のポスター(出典:外務省外交史料館)
コラム
ペルーのマチュピチュ村と日本人村長
有名な世界遺産であるペルーのマチュピチュ遺跡。その玄関口となるマチュピチュ村がなぜか日本の温泉街に見える、というのが以前SNSで話題になっていました。実際に日本の街並みに影響を受けたのかは分かりませんが、マチュピチュ村の実質的な初代村長は日本人移民である野内与吉氏だったことはあまり知られていません。
野内氏は1917年に移民団の一員としてペルーに渡り、マチュピチュ村までの路線建設に携わった後に村に定住し、道路や水路、水力発電の建造や、ホテル建設などの観光開発にも尽力して指導的立場となり、2年間実質的に村長を務めたということです。その功績をたたえ、2015年、マチュピチュ村が初めての姉妹都市協定を締結したのは、野内氏の故郷である福島県大玉村でした。
写真 マチュピチュ村
3 IDBグループを通じた支援
IDBグループを通じた中南米支援の中で、日系人とつながりが深い最近のプロジェクトを2つ紹介したいと思います。いずれもIDB Lab、そしてIDB LabがJICAと共同で行っているTSUBASAプログラムに関係するものです。
IDBグループ機関の一つであるIDB Labは、IDBグループの“Innovation Laboratory”として、中南米が抱える様々な課題に対するイノベーティブなソリューションを持つスタートアップや中小零細企業(MSMEs)に対し、融資やエクイティ投資、技術協力を行っています。IDB LabとJICAが連携して提供するTSUBASA(Transformational Start Ups’ Business Acceleration for the SDGs Agenda)プログラムは、SDGs達成に貢献し得る革新的なビジネスモデルやテクノロジーを持った日本のスタートアップ企業の中南米進出を支援するものです。2021年に始動し、2023年までの3年間で、中南米・カリブ地域の開発課題の解決に向けたアイディアを持つ28の日本企業が採択されています。採択企業は、6ヶ月の間、IDB Lab・JICA・コンサルタント企業による助言や現地ネットワークの紹介など、事業アイデアを具体化するためのサポートを受けます。これらのサポートの結果、現地パートナーを特定し、実現可能性の高いビジネスプランが検討できている場合、TSUBASAプログラム終了後にIDB Labによる追加支援の可能性が検討されます。IDB日本信託基金からも、必要に応じてパイロットプロジェクト実施に向けた支援等を行っています。
3-1.日系人創立の信用組合を通じたMSMEs支援(ペルー)
ペルーにあるAbacoは、1981年、“practicar la ayuda mutua”(相互扶助の実施)を掲げて32名の日系人が創立した貯蓄信用組合です。現在ではペルー全土で3万人以上の日系・非日系組合員を有し、ペルーの信用組合最大手の一つとして、組合員向けに金融サービスを提供しています。また、日・ペルー商工会議所の理事を務め、日系コミュニティの施設やイベント開催のスポンサーになるなど、ペルーの日系人社会を振興する役割も担っています。
IDB Labでは、2014年からAbacoに対する融資や技術協力、JICAとの協調融資を行ってきました。その一環で、日本のスタートアップ企業とのタイアップも実現しています。2014年には、日本でマイクロ投資プラットフォームを提供するミュージックセキュリティーズ株式会社とAbacoの連携により、既存の金融機関から十分な融資を受けられないペルー地方部の小規模農業生産者・事業者のための「Abaco小さな農家応援ファンド」が立ち上げられ、日本の個人投資家からクラウドファンディングで集めた資金がAbacoを通じて現地に提供されました。また、2019年には、日本・シンガポールに拠点を持つウミトロン株式会社とAbacoが連携し、ウミトロン社が有するAIやIoTを活用した養殖の自動化テクノロジー(スマートフォンアプリを用いた魚の観察や給餌最適化等)を、ペルー・チチカカ湖におけるサーモントラウト養殖に導入し、生産性向上と高付加価値化を図るプロジェクトも実施されました。
2023年にスタートした最新のプロジェクトでは、IDB日本信託基金も活用し、ペルーのMSMEs向けのマイクロ投資クラウドファンディングプラットフォームの立ち上げが目指されています。ペルーでは、MSMEsが全企業数の99.4%を占めるとともに、MSMEsによる雇用が民間部門総雇用者数の90.6%、ペルー全体の労働力人口の61.4%を占めています(2022年、ペルー生産省)。ペルーにおいて、MSMEsは銀行ローン等の従来の資金調達手段へのアクセスが十分でなく、株式発行による資金調達も、市場が十分に発展しておらずほぼ実現できていない状況にあります。そのため、MSMEsのビジネスの立ち上げ・継続・拡大に資するような革新的な資金調達スキーム/プラットフォームの開発が望まれていました。
本プロジェクトでは、先述のミュージックセキュリティーズ社とAbacoが連携し、ペルーにおいて新しいジョイントベンチャーを立ち上げ、MSMEsに対する個人投資家からの小規模投資を集めるためのクラウドファンディングプラットフォームの構築が目指されています。ミュージックセキュリティーズ社はTSUBASAプログラムの採択企業であり、プログラムの支援の下、ミュージックセキュリティーズ社の持つテクノロジーを中南米でどのように活用できるかという点を中心に、国や社会課題、現地パートナーの特定が行われました。その結果、前述の連携実績にも鑑み、Abacoが現地パートナーに選定されました。
ペルーでは、新しい資金調達スキームとしてのクラウドファンディングに対する関心の高まりを受け、クラウドファンディングに関する法整備が近年行われたところです。今回のミュージックセキュリティーズ社とAbacoのプロジェクトでは、クラウドファンディングプラットフォームの立ち上げ・運営にあたっての法的コンプライアンスの確保、マーケティングやコミュニケーション戦略の策定・実施、MSMEsへの融資条件の詳細等、ビジネスモデルの実行に向けた支援が今後行われていく予定です。
写真 チチカカ湖でのサーモントラウト養殖向けIoTプロジェクト
写真 ペルー地方部のコーヒー農園でAbacoからの融資で購入された機材の一部
コラム
リマの日秘文化会館
ペルー・リマにあるCentro Cultural Peruano Japonés(日秘文化会館)は、ペルーと日本の文化交流を促進するためにAPJ(Asociación Peruano Japonesa、ペルー日系人協会)が運営する文化施設です。1967年の開館式には上皇(当時皇太子)ご夫妻も出席されました。
劇場や日本人移民の歴史に関する資料館があるほか、日本料理店や雑貨店、そしてAbacoの支店も入っています。ペルーでは沖縄県にルーツを持つ日系人が多いとされていますが、併設のレストランで提供されているSOBAも蕎麦粉ではなく小麦粉を使っており、沖縄そばに近い味わいです。
写真 日秘文化会館の玄関と併設レストランのSOBA
3-2.日本企業によるITエンジニア育成
プログラムの導入(パラグアイ)
株式会社ダイビックは、ITエンジニアを育成するためのプログラミングスクールや人材紹介サービスを展開する日本企業です。2021年のTSUBASAプログラムの採択企業の一つとして、国や現地パートナーの特定を含む中南米進出の準備が進められ、2022年、パラグアイにおいて学生・若年層向けにオンライン・プログラミング学習システムを提供するプロジェクトが開始されました。
パラグアイでは、総人口の4分の1以上を占める18歳~34歳の若年層における高い失業率が社会課題となっています。また、ソフトウェア分野は最も大きな成長率が期待される産業の一つであるにもかかわらず、教育機関や現地企業におけるトレーニング環境が整っておらず、ITエンジニアの育成が間に合っていない状況にあります。このような状況下、パラグアイ政府は国家戦略の核の一つとしてデジタル化を推進しています。本プロジェクトは、ダイビック社がパラグアイ現地のNGOであるEl Centro de Ingeniería para la Investigación, Desarrollo e Innovación Tecnológica(CIDIT)とパートナーシップを結び、CIDITを実施機関として、ITエンジニア育成オンラインプログラムの導入と普及を目指すものです。IDB Labを通じて日本信託基金からも支援し、学習システムのローカライズ(プログラム言語の追加やスペイン語対応等)を行った上で、経済的に恵まれていない若者や障がいのある方をメインターゲットとして、3年間で最大400名を対象に育成プログラムの運用が開始されています。
パラグアイへの進出にあたっては、現地の日系人コミュニティからのサポートも後押しになりました。ダイビック社の野呂浩良代表取締役によると、進出先としてパラグアイを選んだ背景には、IT人材への需要が高いだけでなく、パラグアイに比較的大きな日系人コミュニティがあり、日本人や日本企業が社会に深く受け入れられているということも大きかったといいます。本プロジェクトの計画・実施において、パラグアイの日系人商工会議所等から、現地のITエンジニアの育成や就職、IT企業のエンジニア採用をめぐる課題の共有や、日系人エンジニアの紹介といったサポートがありました。
これまでに300名超が育成プログラムを受講しており、今後、プログラムの受講生数の拡大、そして卒業生の就職につなげるための現地企業や他国企業との関係構築等が行われていく予定です。また、IT人材が不足する日本からのアウトソース需要を念頭に、日本語対応が可能な日系人人材の活用を含め、より広くパラグアイのIT人材育成事業を展開することも模索されています。
写真 パラグアイでのITエンジニア育成プログラム関連イベント
4 おわりに
日本から最も遠い中南米の地で、古くからの日本文化が現地の文化と融合し、地域に根ざした形で継承されていること、そして何より、日本というルーツを大切にし、お互いに支え合いながら、現地で信頼を得ている日系人の方々の存在は心強く、また、嬉しく感じます。今回は、IDBグループを通じた中南米支援の中で、現地の日系人コミュニティとの連携が一つの鍵となったプロジェクトの例を紹介しました。ペルーには直接訪れる機会を得ましたが、世界最大規模の日本人街として知られるブラジル・サンパウロのリベルダージ地区や、パラグアイのイグアス移住地、ボリビアのオキナワ移住地など、他にも有名な日系人コミュニティはいくつかあります。いつか機会をつくって訪れてみたいと考えています。
参考資料・ウェブサイト
外務省「海外日系人数推計」令和5年(2023年)10月1日現在
https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/100646175.pdf
外務省パンフレット「日本と中南米をつなぐ日系人」(2018年3月)
https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/pr/pub/pamph/japan_latinamerica.html
外務省パンフレット「日本と中南米」(2019年3月)
https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/pr/pub/pamph/j_latinamerica.html
外務省外交史料館 特別展示「日本とブラジルの120年」
https://www.mofa.go.jp/mofaj/ms/da/page25_000158.html
JICA横浜海外移住資料館「海外移住資料館だよりNo.51 / 2019 March」
https://www.jica.go.jp/jomm/outline/ku57pq00000lx6dz-att/dayori51.pdf
JICA TSUBASA
https://tsubasa-jica.com/
Abaco
https://www.abaco.com.pe/
ミュージックセキュリティーズ株式会社
https://www.musicsecurities.com/
ウミトロン株式会社
https://umitron.com/ja/index.html
Perú Ministerio de la Producción, Las MIPYME en Cifras 2022
https://ogeiee.produce.gob.pe/index.php/en/shortcode/oee-documentos-publicaciones/publicaciones-anuales/item/download/1975_20e6ce0c8ab3daf39cd6644aa594eb81
株式会社ダイビック
https://diveintocode.jp/corporate
Instituto Nacional de Estadística de Paraguay, Proyección de la población nacional, Áreas urbana y rural por sexo y edad, 2000-2025 - Revisión 2015
https://www.ine.gov.py/microdatos/index.php?cant=99&tema=TODOS
Centro Cultural Peruano Japonés
https://www.apj.org.pe/cultural
図表 中南米の推計日系人数(2023年10月1日時点)
*1) 本稿の内容は、筆者が参考資料等を元に個人的に執筆したものであり、誤りがある場合は筆者個人に責任があります。また、本稿は筆者の個人的な見解であり、筆者の所属する組織を代表するものではありません。