評者 廣光 俊昭*1
寺井 公子/アミハイ・グレーザー/宮里 尚三 著
高齢化の経済学 地方分権はシルバー民主主義を超えられるか
有斐閣 2023年12月 定価 本体4,000円+税
「都市の空気は自由にする」
年を取るほど余生が短くなるのは避けられない。高齢者が、便益を長期に渡って生み出す行政サービスから直接裨益する機会は小さくなる。このため、社会全体の高齢化が進むにつれ、便益を長期的に生むサービスを求める有権者は減り、直ちに便益をもたらすサービスばかりが求められるようになる。長期のサービスの例としては、インフラ投資や教育(人的資本への投資)、短期のサービスには福祉サービスが挙げられる。この事態を「シルバー民主主義」という。
本書は、このシルバー民主主義について、日本とアメリカのデータを用いて、その実際の解明を試みている。とりわけ、地方(県、州)レベルのデータを用い、地方団体間の比較により、「足による投票」(Tiebout,1956),といわれる地方分権論の理論と結び付けることで、高齢社会における地方分権のあり方にまで議論のすそ野を広げたことに特徴がある。ただ、各地方の人口構成と行政サービスへの歳出の間には、1)人口構成が行政サービスに与える影響だけなく、2)好みの行政サービスを提供する地方に人々が移動するという、足による投票という逆方向の影響もありうる。この足による投票の影響を制御して、人口構成が行政サービスに与える影響のみをみるために、本書では操作変数法という計量経済学の手法を用いている。
本書の発見は多岐にわたるが、その主要なものは次の通りである。日本においては、操作変数法による分析から、シルバー民主主義の想定する通り、高齢化した地方では、(ひとりあたり。以下同)インフラと教育が減り、福祉の増をもたらしていた*2。他方、アメリカでは、操作変数法によると、すべての政策分野でシルバー民主主義の想定通りの結果を得たわけではなかった。本書は、この日米間の違いの理由を、地域間移動の活発さの違いに求めている(アメリカでは、若者だけでなく、壮年・高齢期にも多くの者が越境移動する)。すなわち、日本では選挙での投票により政策の選好が表示されている。一方、アメリカでは、足による投票によって、政策の選好が示されている。アメリカでは、高齢者がインフラ投資の少ない地方に移動し、福祉支出の多い地方に移動していたという(教育については、操作変数法で、シルバー民主主義の想定する関係が出ている)。
高齢化が長期的な成長を阻害しないようにする必要があるとの問題意識から、本書は、今後の地方分権のあり方を論じている。民主主義では多数派に政策運営が委ねられる。少数派が「多数の専制」による収奪から逃れるためには、有権者が強い地方分権のもとで足による投票を行うことで、政策選好の近い者同士が集まって住むことが望ましいと本書は指摘する。都市に若者が住み、一定の政治的影響力を保ってきたことを、若者の声を地方の政治に届け、成長に資する政策を促すために必要なことだったかもしれないとポジティブに評価する。そして、本書は、若者と高齢者の住みわけが実現すれば、すべての地域で高齢者の利益が優先され、経済成長が阻害される可能性を小さくできると説くのである。
ヨーロッパ中世には、「都市の空気は自由にする(Stadtluft macht frei)」という格言があった。都市に逃げ込んだ農奴はある期間を無事に過ごすと、自由の身となった。本書の主旨は、高齢者による専制から若者を解放する都市の機能を発揮させることにある。本書は、いわば、現代日本で「都市の空気は自由にする」を実践することを提案するものである。自由になった都市の市民は、高度な産業基盤、教育や研究を含む知的資産への投資などを通じ、都市を豊かにし、ひいては国全体の成長、国際競争力の伸長をもたらす。このような期待のもとに本書は構想されている、と評者は解した。
残された課題
本書の分析は緻密に設計されており、信頼に足る発見を提示している。おまけに、計量経済学の方法の解説や、実際のデータを解析する際の留意点を丹念に述べており、入門者が分析の実際になじむ上で格好の教材にもなりうるものである。以下では、本書から一歩身を引いた外在的な視点から、本書の生み出す残された課題を二点述べたい。
第一に、若者と高齢者の住みわけを社会実装する、国と地方のあり方の青写真を提示することが望まれる。本書では、デジタル技術の活用を通じ、離れて住む高齢の親への支援を促す仕組みを設けることなどを示唆しているが、もっと多くのことが必要となるであろう。とりわけ、理に適った社会保障サービスを持続可能な形で提供するための国・地方の財政関係を整理することは必須である。高齢者の多くの住む地域の持続可能性を担保するには、都市からの一定の財政移転は避けられないだろう。この移転が「都市の空気は自由にする」という本旨を台無しにしないようにするには、どうするのか。地方では、集住化など費用効果を高める努力が不可欠であろう。他方、都市の自由が濫用されても経済成長という果実を得ることはできない。自由を規律する住民自治や国との関係のあり方を問わなければならない。
第二の課題は、「都市の空気は自由にする」を社会実装できたとしても、依然として、高齢社会のもとでも社会に必要な投資がおこなわれる道を確保することが必要なことである。都市といえども高齢化と無縁ではない(国立社会保障・人口問題研究所の推計によると、東京都の2050年の高齢化率は29.6%)。全面的な高齢社会では、高齢者が自発的に投資に同意することが必要である。本書は、個人が私的な利害に基づき政治参加することを前提とする。ただ、実際の個人は、私的利害のみならず、社会にとって何がよいか考えて政治に関与するものではないか。本書は、高齢者が若者への利他性を持つ可能性を示唆するが、利他性に止まらず、公共性、すなわち、自己を超えて存続する社会への配慮を人々は持っているのかもしれない*3。公共性の発揮を促し、その働きが利己の心に圧倒されることのないよう、政治や社会の仕組みを整えることこそが望まれる。代議民主制は、代表間の熟議を通じて、単なる私的利害のぶつかり合いよりも良きものを得る試みである(J.S. Mill, 1861)。議員任期を長期化することで長期的考慮に基づく決定を促すことは、アメリカの連邦議会上院(任期6年)に期待されている機能のひとつである。
これら残された課題は、本書の意義をむしろ高めるものである。本書の著者たちには、これら課題についての一層の考察を望みたい。本書は高齢化という累次論じられてきた問題に、足による移動という斬新な切り口から切り込んだ、注目に値する業績である。本書が多くの読者を得て、高齢化という難題を乗り越えるための有益な議論が活発に交わされることを期待したい。
(参考文献)
Mill, J.S.(1861), Considerations on Representative Government.
Tiebout, C.(1956), “A Pure Theory of Local Expenditures”, Journal of Political Economy, 64(5):416–424.
廣光俊昭(2021年)『哲学と経済学から解く世代間問題 経済実験に基づく考察』、日本評論社.
*1) 財務総合政策研究所客員研究員
*2) 計数のうち、特に教育と福祉は受益者の人数に比例的に増減しやすい計数である。子どもが少なれければ、地方の教育支出は減り、高齢者が多ければ、福祉費は増加するかもしれない。この点をクリアするには、例えば、生徒ひとり当たりの教育支出や高齢者ひとり当たりの福祉費でみることが一案である。本書では、日米の教育については、生徒ひとりあたりの計数を用いて、本評本文に紹介した発見の頑健性を検証し、ポジティブな結果を得ている(pp.101-103, 126-128)。
*3) 評者は、財政政策の仮想の選択肢からの選択を一般市民に問う実験から、シルバー民主主義の想定する事態が起こりうること示しつつも、政策の選択は公共的な考慮にも基づいておこなわれうることを示したことがある(廣光,2021年)。
寺井 公子/アミハイ・グレーザー/宮里 尚三 著
高齢化の経済学 地方分権はシルバー民主主義を超えられるか
有斐閣 2023年12月 定価 本体4,000円+税
「都市の空気は自由にする」
年を取るほど余生が短くなるのは避けられない。高齢者が、便益を長期に渡って生み出す行政サービスから直接裨益する機会は小さくなる。このため、社会全体の高齢化が進むにつれ、便益を長期的に生むサービスを求める有権者は減り、直ちに便益をもたらすサービスばかりが求められるようになる。長期のサービスの例としては、インフラ投資や教育(人的資本への投資)、短期のサービスには福祉サービスが挙げられる。この事態を「シルバー民主主義」という。
本書は、このシルバー民主主義について、日本とアメリカのデータを用いて、その実際の解明を試みている。とりわけ、地方(県、州)レベルのデータを用い、地方団体間の比較により、「足による投票」(Tiebout,1956),といわれる地方分権論の理論と結び付けることで、高齢社会における地方分権のあり方にまで議論のすそ野を広げたことに特徴がある。ただ、各地方の人口構成と行政サービスへの歳出の間には、1)人口構成が行政サービスに与える影響だけなく、2)好みの行政サービスを提供する地方に人々が移動するという、足による投票という逆方向の影響もありうる。この足による投票の影響を制御して、人口構成が行政サービスに与える影響のみをみるために、本書では操作変数法という計量経済学の手法を用いている。
本書の発見は多岐にわたるが、その主要なものは次の通りである。日本においては、操作変数法による分析から、シルバー民主主義の想定する通り、高齢化した地方では、(ひとりあたり。以下同)インフラと教育が減り、福祉の増をもたらしていた*2。他方、アメリカでは、操作変数法によると、すべての政策分野でシルバー民主主義の想定通りの結果を得たわけではなかった。本書は、この日米間の違いの理由を、地域間移動の活発さの違いに求めている(アメリカでは、若者だけでなく、壮年・高齢期にも多くの者が越境移動する)。すなわち、日本では選挙での投票により政策の選好が表示されている。一方、アメリカでは、足による投票によって、政策の選好が示されている。アメリカでは、高齢者がインフラ投資の少ない地方に移動し、福祉支出の多い地方に移動していたという(教育については、操作変数法で、シルバー民主主義の想定する関係が出ている)。
高齢化が長期的な成長を阻害しないようにする必要があるとの問題意識から、本書は、今後の地方分権のあり方を論じている。民主主義では多数派に政策運営が委ねられる。少数派が「多数の専制」による収奪から逃れるためには、有権者が強い地方分権のもとで足による投票を行うことで、政策選好の近い者同士が集まって住むことが望ましいと本書は指摘する。都市に若者が住み、一定の政治的影響力を保ってきたことを、若者の声を地方の政治に届け、成長に資する政策を促すために必要なことだったかもしれないとポジティブに評価する。そして、本書は、若者と高齢者の住みわけが実現すれば、すべての地域で高齢者の利益が優先され、経済成長が阻害される可能性を小さくできると説くのである。
ヨーロッパ中世には、「都市の空気は自由にする(Stadtluft macht frei)」という格言があった。都市に逃げ込んだ農奴はある期間を無事に過ごすと、自由の身となった。本書の主旨は、高齢者による専制から若者を解放する都市の機能を発揮させることにある。本書は、いわば、現代日本で「都市の空気は自由にする」を実践することを提案するものである。自由になった都市の市民は、高度な産業基盤、教育や研究を含む知的資産への投資などを通じ、都市を豊かにし、ひいては国全体の成長、国際競争力の伸長をもたらす。このような期待のもとに本書は構想されている、と評者は解した。
残された課題
本書の分析は緻密に設計されており、信頼に足る発見を提示している。おまけに、計量経済学の方法の解説や、実際のデータを解析する際の留意点を丹念に述べており、入門者が分析の実際になじむ上で格好の教材にもなりうるものである。以下では、本書から一歩身を引いた外在的な視点から、本書の生み出す残された課題を二点述べたい。
第一に、若者と高齢者の住みわけを社会実装する、国と地方のあり方の青写真を提示することが望まれる。本書では、デジタル技術の活用を通じ、離れて住む高齢の親への支援を促す仕組みを設けることなどを示唆しているが、もっと多くのことが必要となるであろう。とりわけ、理に適った社会保障サービスを持続可能な形で提供するための国・地方の財政関係を整理することは必須である。高齢者の多くの住む地域の持続可能性を担保するには、都市からの一定の財政移転は避けられないだろう。この移転が「都市の空気は自由にする」という本旨を台無しにしないようにするには、どうするのか。地方では、集住化など費用効果を高める努力が不可欠であろう。他方、都市の自由が濫用されても経済成長という果実を得ることはできない。自由を規律する住民自治や国との関係のあり方を問わなければならない。
第二の課題は、「都市の空気は自由にする」を社会実装できたとしても、依然として、高齢社会のもとでも社会に必要な投資がおこなわれる道を確保することが必要なことである。都市といえども高齢化と無縁ではない(国立社会保障・人口問題研究所の推計によると、東京都の2050年の高齢化率は29.6%)。全面的な高齢社会では、高齢者が自発的に投資に同意することが必要である。本書は、個人が私的な利害に基づき政治参加することを前提とする。ただ、実際の個人は、私的利害のみならず、社会にとって何がよいか考えて政治に関与するものではないか。本書は、高齢者が若者への利他性を持つ可能性を示唆するが、利他性に止まらず、公共性、すなわち、自己を超えて存続する社会への配慮を人々は持っているのかもしれない*3。公共性の発揮を促し、その働きが利己の心に圧倒されることのないよう、政治や社会の仕組みを整えることこそが望まれる。代議民主制は、代表間の熟議を通じて、単なる私的利害のぶつかり合いよりも良きものを得る試みである(J.S. Mill, 1861)。議員任期を長期化することで長期的考慮に基づく決定を促すことは、アメリカの連邦議会上院(任期6年)に期待されている機能のひとつである。
これら残された課題は、本書の意義をむしろ高めるものである。本書の著者たちには、これら課題についての一層の考察を望みたい。本書は高齢化という累次論じられてきた問題に、足による移動という斬新な切り口から切り込んだ、注目に値する業績である。本書が多くの読者を得て、高齢化という難題を乗り越えるための有益な議論が活発に交わされることを期待したい。
(参考文献)
Mill, J.S.(1861), Considerations on Representative Government.
Tiebout, C.(1956), “A Pure Theory of Local Expenditures”, Journal of Political Economy, 64(5):416–424.
廣光俊昭(2021年)『哲学と経済学から解く世代間問題 経済実験に基づく考察』、日本評論社.
*1) 財務総合政策研究所客員研究員
*2) 計数のうち、特に教育と福祉は受益者の人数に比例的に増減しやすい計数である。子どもが少なれければ、地方の教育支出は減り、高齢者が多ければ、福祉費は増加するかもしれない。この点をクリアするには、例えば、生徒ひとり当たりの教育支出や高齢者ひとり当たりの福祉費でみることが一案である。本書では、日米の教育については、生徒ひとりあたりの計数を用いて、本評本文に紹介した発見の頑健性を検証し、ポジティブな結果を得ている(pp.101-103, 126-128)。
*3) 評者は、財政政策の仮想の選択肢からの選択を一般市民に問う実験から、シルバー民主主義の想定する事態が起こりうること示しつつも、政策の選択は公共的な考慮にも基づいておこなわれうることを示したことがある(廣光,2021年)。