見過ごされてきた大国インドネシアのこれまでとこれから
在インドネシア日本国大使館 二等書記官 仲井 玄暦*1
Selamat siang.(インドネシア語で「こんにちは」)財務省から外務省・在インドネシア日本国大使館に出向している仲井玄暦と申します。
突然ですが、皆様は「インドネシアについて話して」と言われたら、何を話すでしょうか。観光地として有名なバリ島、ナシゴレン等のインドネシア料理、赤白の国旗*2等が思い浮かぶものの、「インドネシア」という国をそこまでよく分からない方も多いかと思います。かくいう私も2021年8月末の赴任当初はほとんど知識のないまま、初の海外駐在で不安と期待が混じり合いながらインドネシア生活をスタートさせました。
インドネシアは、3年弱では到底理解しきれないほど深遠な(奇天烈な?)国ですが、今回、ファイナンスへの寄稿という貴重な機会を頂戴しましたので、この国の特徴や歴史、日本との関係性の一部をご紹介しつつ、今年2月に実施された「世界最大の直接選挙」である大統領選挙の機会を捉まえて、ジョコ・ウィドド現大統領の10年間を概観してみたいと思います。
1.インドネシアとはどんな国?
(1)多様性と活気溢れるインドネシア
まず基本的な事項をおさらいしていくと、インドネシアの国土は、南北に約1,900km、東西に約5,100kmにわたり、その面積は約192万km2と日本の約5倍もあります。首都ジャカルタのあるジャワ島を始めとし、スマトラ島、カリマンタン島、スラウェシ島、ニューギニア島の5つの大きな島とその他の多くの群島から構成され、インドネシア政府の公式発表によるとその数は13,000以上にのぼります。総人口は約2.7億人(2022年6月時点。日本の約2倍)で、中国、インド、米国に次ぐ世界第4位であり、いまでも毎年3百万人近く増加しています。世界一高齢化が進んでいる国と言われる日本の平均年齢が約49歳であるのに対し、インドネシアは平均約29歳と非常に若く、街が活気に溢れているのを肌で感じることができます。また、インドネシアの15歳から64歳までの生産年齢人口は2030年までピークが持続すると推計されており、英フィナンシャル・タイムズ紙が“overlooked giant”(見過ごされてきた巨人)と評したように、高い成長ポテンシャルが期待されています。
さらに詳細に見ると、民族的には、東部・中部ジャワに居住するジャワ人(総人口の約40%。謙虚で控えめな性格である一方、忍耐強さも併せ持つ。)、西ジャワに居住するスンダ人(同約15%。明るく、楽天的・社交的な性格。信仰に厳格な人が多い。)、スマトラ北部に居住するバタック人(同約3%。お世辞を嫌い白黒はっきり主張する傾向。積極的で交渉事が得意。)のほか、約300の民族が暮らしている多民族国家です。そして、異なる背景を持つ民族同士が円滑にコミュニケーションを取るために海上交易で広く使われていたマレー語に由来するインドネシア語(Bahasa Indonesia)が独立後に国語・公用語とされましたが、インドネシア語を第一言語として利用しているのは2割程度に留まり、各地では今でもその地域の言語が日常的に使われ、その総数は700近いと言われています。宗教の観点では総人口の約9割がイスラム教徒であり、インドネシアは世界最多のイスラム教徒を抱える国として知られていますが、憲法で宗教信仰の自由も認められており、プロテスタント、カトリック、ヒンドゥー教、仏教等を信仰している人もいます*3。
このように多種多様な文化、言語、宗教が複雑に入り混じるインドネシアは、“Bhinneka Tunggal lka”(インドネシア語で「多様性の中の統一」)というスローガンを1945年の憲法制定時から掲げて、多様性を尊重し合う「パンチャシラ精神」(コラム1参照)がインドネシア国民の心に根付くことにより、一つの民主主義国家としてまとめ上げられています。
コラム1 インドネシアのパンチャシラ精神
インドネシアをよく知るために欠かせない要素の一つに、インドネシア国民の重要な思考・行動原則であるパンチャシラ精神があります。パンチャシラ(“Pancasila”(サンスクリット語で「5つの徳」)とは、インドネシア共和国憲法の前文で定められている建国の理念を表す5原則のことを指し、インドネシアの国章「ガルーダ パンチャシラ(“Garuda Pancasila”)」の絵柄にも象徴されています。
(1)唯一神への信仰:各宗教が相互に尊重し合うこと/【中央】黄色の星と黒い盾:一つの星が唯一神を表す
(2)公正で文化的な人道主義:国民が相互理解、相互扶助すること/【右下】四角と円形の鎖から成る輪:四角の鎖は男性、円形の鎖は女性を表す
(3)インドネシアの統一:国民が国家の利益のために働くこと/【右上】ベンガル菩提樹の木:大地に根を張るベンガル菩提樹が誠実と国家繁栄を表す
(4)合議制と代議制における英知に導かれた民主主義:他者を強要しない合議による意思決定を行うこと/【左上】牛の頭:集うことを好む牛が民主主義を表す
(5)全インドネシア国民に対する社会的公正:国民が社会の一構成員として、他者を尊重し公正を保つこと/【左下】稲穂と綿花:稲穂と綿花がそれぞれ衣と食を表す
写真:インドネシアの国章
(2)インドネシア人の国民性
多種多様な民族から構成されるため、インドネシア人の国民性を一括りに説明するのは困難ですが、一般的に大国意識から来る誇り高さ、面子を非常に重んじる点に特徴があると言われています。そのため、どれだけ理屈が通っていてもインドネシア人を人前で叱責や非難をすると、相手はひどく自尊心を傷付けられたと感じて、一生恨みを募らせるだけでなく後で何倍にもして返してくることもあるので注意しなければなりません。
また、インドネシア人は家族や地域コミュニティを非常に大切にしています(コラム2参照)。そのため、人と対立したり、人を不快な気持ちにしたりして社会的調和を崩さないように、直接的な“No”をあまり使わない傾向があると言われています。例えば、Yes/Noでの二択の回答を求める質問にも「検討中」や「また後で回答する」という返事を返してくることが多いです(当初はこのような曖昧な対応をいい加減だなと感じていましたが、彼らのことを知るうちにこれもインドネシア人の「おもいやり」から生じているのだと理解できました。とはいえ、仕事上で困ることも多いのも事実です・・・。)。
他方で、温暖な気候の地域に比較的によく見られる傾向ですが、インドネシア人は時間にルーズな一面もあり、それを象徴する一例として、インドネシアには“Jam Karet”という「時間はゴムのように柔軟」という意味の言葉があります。しかし、彼らのいざという時の瞬発力には目を見張るものがあり、ある国際イベントの数日前に視察した時には会場設営がほぼ進んでいなかったにもかかわらず、当日、それは立派な会場に仕上がっていて大変驚かされました。
インドネシアは親日国かつ日本と同じアジア圏内にあるため、日本人にとって住みやすい国とよく言われますが、それでも異なる文化の中で生活し、一緒に仕事をする際には、相手の文化や性質を理解・尊重すること、自身の言動が相手にどう写るのか注意を払うことが重要であると感じています。
コラム2 ラマダンとイフタール
イスラム教徒にとって神聖で、信仰と自制、精神的な浄化に邁進する重要な期間の一つであるラマダン(断食月。アラビア語で「9月」)中は、イスラム教徒は日の出から日没まで飲食を禁じられます。これはイスラム教徒が同じ試練を共有することで連帯感や相互扶助の精神を高めるほか、貧富の別なく等しく空腹や喉の渇きの辛さを味わうことで恵まれない人の気持ちを理解すること等が目的とされます。ラマダン期間中の日没後初の断食を解く食事はイフタール(アラビア語で「断食を破る」)と呼ばれ、どこの家庭でも家族や親戚、友人達とともに普段よりも豪華な食事を囲んで、お互いの結びつきを再確認します。この時期にはホテルやレストランでもイフタール仕様のメニューが用意されており、イスラム教徒以外でも楽しむことができます。
写真:イフタール仕様のレストランの様子
(3)日・インドネシア関係
日・インドネシアは1958年に両国間で正式な外交関係を樹立して以降、海洋・民主主義国家として同じ価値観を共有し、伝統的な友好・協力関係を構築してきました。2022年にはG20議長国としてG20サミットを成功裡に主催し、翌2023年にはASEAN議長国を務め上げており、この2年余りで、岸田総理はジョコ・ウィドド大統領と6回の首脳会議を行っています。
さらに、同年6月には天皇皇后両陛下が即位後初めての外国への親善訪問としてインドネシアを御訪問されました。今回の天皇皇后両陛下のインドネシア御訪問は、1991年10月の上皇・上皇后両陛下のインドネシア御訪問以来32年ぶりという、両国間で長年培われてきた友好親善関係を深化させ、日・インドネシアの協力関係を一層発展させる記念すべき御訪問であったと思います。
また、日・インドネシアの経済交流は1960年代に本格化して以来、アジア通貨危機時や新型コロナウイルスの感染拡大期等の一時期を除いて、約65年にわたり拡大し続けています。日本はインドネシアの最大の貿易相手国の一つであり、日本からは機械設備類、自動車・関連部品、鉄鋼等の工業製品が輸入され、インドネシアからは鉱物性燃料、鉱石等の資源が輸入されています。外務省の海外進出日系企業拠点数調査によるとインドネシアに進出している日系企業数は2,100拠点(2022年10月時点)を越え、国際協力銀行(JBIC)が実施している海外事業展開調査(2023年度)によるとその安定した経済成長を背景としたマーケットの今後の成長性が評価され、中期的な有望事業展開先国としてインドネシアは第5位につけており、引き続き日系企業による進出のポテンシャルの高さがうかがえます。特に乗用車・二輪車の日本メーカーのシェアは9割を超え、街中を走る車やバイクのほとんどがトヨタや三菱、ホンダ等の皆さんにも親しみのある日本メーカーです(しかし、最近は中国や韓国勢による電気自動車もじわじわと数を伸ばしてきています・・・。)。
公的部門では、インドネシアは日本の最大の援助国の一つであり、人材協力や経済社会インフラ整備等を通じて開発に大きく貢献してきており、2021年度までの有償協力、無償協力、技術協力を合計した政府開発援助の累計は約5.9兆円にのぼります。インドネシア初の地下空間を含む都市鉄道であるジャカルタ都市高速鉄道(MRT:Mass Rapid Transit)は、2019年開業以降、ジャカルタ市民の生活に徐々に根付いていき、2023年通年では前年の1.7倍の約3,350万人を記録しました(私自身も毎日の通勤に利用していますが、この数年でも目に見えて当地の利用者が増えてきています。)。今後、北側への延伸や東西方向への整備が計画されており、ジャカルタ市内及び近郊地域の輸送インフラの更なる発展への期待が寄せられています。
人材協力の側面では、インドネシアにおける日本語学習者数は中国に次ぐ世界第二位(約71万人)を誇り、現在、技能実習生が約7.4万人、特定技能人材は約3.4万人(いずれも国別ではベトナムに次ぐ第二位)と数多くのインドネシア人が日本で技能を学んでいる等、長年の人材育成や教育分野協力の結果として、両国間の人的交流は年々幅と深みを増しています。
2.独立以降のインドネシア歴史の概観
次に独立からジョコ・ウィドド政権樹立までのインドネシアの歴史を簡単に概観していきます。
1945年8月17日、スカルノ大統領が1600年代から続く長い植民地支配からの独立を宣言しましたが、オランダがこの独立宣言を認めなかったため、インドネシア独立戦争が勃発しました。その約4年後、国際的に脱植民地・民族独立の機運が高まっていたことにも後押しされ、1949年12月のハーグ円卓協定によって、インドネシアは漸く事実上の独立を勝ち取りました。この事実上の独立後、スカルノのもとで政党政治・議院内閣制を基礎とした憲法が制定され、1955年には初の総選挙が実施されましたが、濫立した諸政党の相互対立、各地で頻発した内乱等により国内は混乱に陥り、スカルノによる建国はすぐには軌道に乗りませんでした。そこで、スカルノは1945年憲法への復帰を宣言し、大統領に権限を集中させる国家主導統治を通じて、こうした事態の収拾を図りました。他方、スカルノは徐々に共産主義に傾倒し、1960年代には西側諸国との距離が開く一方、急速にソ連や中国に接近していきました。加えて、次第に行き詰まっていった閉鎖的な統制経済に対する国民の不満の目を逸らすべく諸外国への軍事侵攻を行った結果、いよいよ国際社会からの援助を失い、生産活動の更なる停滞、対外債務の増加、インフレ加速等で国家経済は壊滅的状態になりました。
その後、共産党のクーデター未遂事件を契機にスカルノが失脚すると、開発の父で知られるスハルト第2代大統領によるインドネシアの「開発」の時代が到来します。スハルトは共産主義諸国から資本主義諸国寄りの外交方針に転換し、西側諸国からの直接投資や援助を受け入れるべく、外資優遇措置を盛り込んだ外国投資法を定めて工業・農業生産の拡大、教育の普及等の経済社会開発を押し進めました。他方で、スハルト政権はスカルノの権威主義を継承・強化し、中央集権を推進したことから「開発独裁」とも称されていました。第三者による監視が機能しないがために政権後半には汚職、癒着、一族利権が蔓延り、同政権への国民の不満も高まっていました。アジア通貨危機を契機に経済・社会が不安定化すると一気に不満が噴出し、32年続いたスハルトは退陣を余儀なくされました。
そして、同政権の副大統領から大統領に昇格したハビビ第3代大統領により中央集権体制の反省から政治活動の自由化、権力の分散が進められ、44年ぶりに実施された1999年の自由選挙でイスラム教指導者のワヒドが第4代大統領として選出されました。ワヒドはスハルトの負の遺産を清算すべく、経済再建や国軍改革を推し進めましたが、閣内対立の激化、諸政党の反発、国軍との軋轢等をうまく収めることができず、わずか2年後の2001年に汚職疑惑をかけられ国会で解任、同政権の副大統領であったメガワティ(スカルノ初代大統領の実娘)が第5代大統領として就任しました。当初はスカルノの実娘としてのカリスマ性に期待が寄せられていましたが、就任2ヶ月後に発生した米国での同時多発テロ後の国内イスラム勢力への対応や翌2002年に発生したバリ島のテロ事件への対応におけるリーダーシップの欠如、イラク戦争勃発に伴う物価上昇による国内経済の悪化等が重なり、国民からの支持は伸び悩んでいました。
このような国際社会の混乱、アジア通貨危機後の経済停滞等に苦しみつつも、これら3代の大統領政権下でインドネシア憲法は4回改正され、三権分立、自由と人権の保障、大統領直接選挙制等の民主主義制度の基礎が築き上げられました。そして、2004年の建国史上初の大統領直接選挙により、陸軍出身のスシロ・バンバン・ユドヨノ第6代大統領が選ばれました。ユドヨノは、徹底した汚職撲滅、アチェ分離運動との和平合意、テロ発生の抑制、外国投資の回復を通じた平均6%近くの堅調な経済成長等の成果をあげました。これらの政治的安定、順調な経済を背景に2009年の大統領選でも国民から圧倒的な支持を得て再選、10年にわたる同政権のもとインドネシアは「安定と成長」を取り戻しました。
3.ジョコ・ウィドド政権の10年
(1)第一次ジョコ・ウィドド政権
このような政治的・経済的に安定した政策運営をやり遂げたユドヨノ大統領の任期満了を受けた2014年の大統領選挙では、ジョコ・ウィドド(愛称「ジョコウィ」)候補とプラボウォ候補が争った結果、非政治エリート出身のジョコウィ候補が、庶民目線の政治を行うことを期待され、第7代大統領として当選しました。
ジョコウィ政権は、9つの優先アジェンダ(“Nawacita”(サンスクリット語で「9つの思想」)に基づいて、ユドヨノ前政権に引き続き反腐敗政策や成長戦略に取り組みましたが、前政権との大きな違いは経済成長を目指すだけでなく、その成長から得た果実の分配にも注力している点が挙げられます。具体的には、貧困層・低所得者層の底上げという所得階層間の平準化だけでなく、地方、農村部、辺境地という経済的に脆弱な地域との格差是正という空間的な平準化を含んでいます。
例えば、インフラ開発では、ジャワ島やスマトラ島等の地方主要都市を結ぶ高速道路・鉄道の拡充、海運物流の改善のための離島地域を含む港湾施設整備、農村地域での道路整備や灌漑施設整備等に取り組み、地域経済の発展促進と成長戦略としての連結性拡充の両立を目指しました。また、経済的に脆弱な地域の地方自治体に十分な財政支援を行い、地域の状況に応じた公共サービスの提供や地域開発の推進、福祉の向上を可能にする地方交付税交付金制度を重要な政策の一つに位置付けることで、地方自治体が主体となって地域経済を活性化させ、ひいては地域間の均衡を目指しました。
また、ジョコウィ政権は所得階層間の平準化の施策として、社会福祉プログラムの拡充、教育制度改革や医療サービスの拡充を通じた国民生活水準の向上に取り組みました。この中でも特に重要な再分配政策として、これまで職種別で複数の制度に分かれていた保険制度を統合し、全国民を対象とする医療保険制度を2014年に開始しました。これにより多くの人々で保険料を負担し合い、貧困層も含め必要な医療サービスへのアクセスを可能にしました。
また、2005年からの世界的な資源ブームや中国との垂直型貿易の拡大を背景に工業化の後退が進んだことに起因する、インドネシア国内の製造業者の約9割が低付加価値、競争力の弱い中小零細企業であるという状況を打開するために、同政権は経済成長加速と雇用創出を目指し、投資環境の整備、外資規制緩和、税制優遇や投資奨励策等に取り組みました。その結果、多くの外国企業による国内投資が促進され、製造業や観光業等の産業が成長して国内総生産の上昇や輸出拡大等の成果を上げましたが、それでもなお、資本集約型、競争力の高い大手地場企業はなかなか育ちませんでした。
(2)第二次ジョコ・ウィドド政権
第一次政権では経済成長が伸び悩んでいたものの、前回の任期で実施したインフラ整備・貧困削減の継続に加えて、人的資本の向上、技術革新とイノベーションを通じた経済転換等を選挙公約に掲げたジョコウィ大統領が2019年の大統領選挙でも再選しました。2期目は1期目に進めた政策の持続、改善、深化に取り組みました。
まず、第一次政権でも依然として高い水準で推移していた若年者失業率の改善に向けた人材育成施策として、産業界のニーズと求職者の技能とのミスマッチ解消、製造業の生産性向上を図るために、これまで初頭・中等教育の拡充に力点を置いてきた教育政策を、高等教育・技能教育の質向上にシフトすべく、職業高等学校や技術教育センターの整備、産業界と連携した職業訓練プロクラムの拡充、STEM教育(科学、技術、高額、数学)の推進等、生徒の幅広い産業分野における技術の習得、能力の向上を支援しました。
2014年に開始された社会保障制度を国民皆保険制度とすべくカバー範囲の拡大を押し進めて、2021年12月時点での当該制度への加入者は全国民の86%(約2億3,500万人)にまで拡がったほか、加入者の給付水準ニーズに応じた医療サービスを受けられるように、民間保険会社と協調して給付調整プログラムを新たに運用開始する等、社会保障プログラムの拡充に取り組みました。
前任期中の外国投資誘致策を継続・強化するために、(1)官民連携プロジェクト(PPP:Public Private Project)を通じた民間セクターからの資金調達や技術供与の実現、(2)特定産業や特定地域にかかる外国企業に対して税制優遇、規制緩和等の投資優遇措置が提供される経済特区(SEZ:Special Economic Zone)の創設、(3)残業規制や産業別の最低賃金規制、解雇規制の緩和を含む労働規制改革や雇用契約の柔軟化する「雇用創出オムニバス法」の制定*4等を実施しました。
また、第二次政権では国内製造業の活性化、質の高い経済成長をさらに進めることに力点を置いた外資の呼び込みを実施しています。ジョコウィは「産業の川下化」に注目し、特に国内の豊富な鉱物資源を最大限活用すべく、付加価値を高めるための資源加工産業の育成、産業構造の転換の実現に向けた各種施策を打ち出しています。その一例として、インドネシアが世界の埋蔵量の約2割を占めるニッケルが電気自動車(EV)のバッテリーの主要原料であることに着目し、(1)未加工ニッケル鉱石の輸出を禁止するとともに、(2)ニッケル加工・製錬企業をインドネシア国内に積極的に誘致することで、高付加価値のニッケル関連産業の成長加速に一定の成功を収めました。また、ニッケルの主な大規模な生産拠点はジャワ島以外であるため、この産業下流化政策は、産業競争力の向上だけなく地方の新たな雇用機会の創出、地方経済の振興にも貢献することが期待されています。今後、同政権はインドネシア国内におけるEVバッテリーエコシステムの構築を目指して、(1)バッテリーメーカー、自動車メーカー等向けの税制優遇措置を行うほか、(2)国内で産出されないリチウム等の安定的な調達確保、(3)ASEAN諸国等と技術やリソースの共有、市場の拡大を図るべく周辺諸国と地域間連携・協力を進めています。これらの動きに呼応してか、ベトナムのビンファストや中国の比亜迪(BYD)、ドイツのBMWがインドネシア国内での工場建設計画を表明しています。
また、ジョコウィ大統領のレガシーになるであろう、ジャカルタからカリマンタン島東部のヌサンタラ(“Nusantara”ジャワ語で「群島」)への首都移転構想*5は、2019年8月に提案されたときは熱帯雨林が生い茂るような地域に移転できるのか俄に信じがたいと思われていましたが、基礎インフラの敷設、行政・立法・司法等の公的機関の移転に向けて(計画どおりとまではいきませんが)着実にインフラ整備が進められており、ジョコウィ大統領は2024年8月17日の独立記念日式典はヌサンタラで開会すると公言しています。
このように書くと、いかにもジョコウィ政権がうまく政策運営しているかのように見えますが、次のようにまだまだ多くの課題が積み残されています。
・2期にわたって地方・農村部の交通インフラ整備に注力したもののまだ道半ばで、経済格差の是正のためには更なるインフラ投資が必要であり、都市部においても交通渋滞や港湾の混雑問題等が依然として解消されていません。
・雇用創出や貧困削減についてもまだ改善の余地があり、高止まりした若者の失業率や地方、農村部における雇用機会の不足等の解決のために適切な職業訓練や教育制度、地方経済の振興が求められます。
・外資誘致のための投資環境改善も一定程度の成果は見られますが、まだ規制の複雑さ、不透明な制度運用、非関税障壁や最低資本金・最低投資額を中心とした保護主義的措置が依然として残っているほか、政策や法規制の変更が頻繁に行われるため事業の予見可能性が低く企業の不確実性が高い状況にあります。
・EV向けのリチウムイオン電池は、ニッケル、マンガン、コバルト等のレアメタルを主成分とする高価な三元形正極材(NMC)電池と相対的な安価なリン酸鉄リチウム(LFP)電池があるところ、LFP電池はNMC電池よりもエネルギー密度が低く、航続距離が短いという短所がありますが、技術進歩に伴ってLFP電池がNMC電池の性能に追い付きつつあります(さらにニッケルの代わりにマンガンを電池の正極に使用するリン酸マンガン鉄リチウム(LMFP)電池やレアメタルフリーのナトリウムイオン電池(NIB)等の開発も進んでいます。)。このような技術革新を背景に、LFP電池が(潜在的にはLMFP電池やNIBも)市場シェアを伸ばしており、ニッケルに重点を置いたEV向けバッテリーのエコシステム構築がジョコウィ政権の描いた計画どおりに進むかは雲行きが怪しくなってきています。
・新首都移転に要する約490兆ルピア(約4.6兆円)のうち8割を民間投資及びPPPで賄うことを予定していますが、インドネシア政府の掲げる首都移転計画の進捗にばらつきがあるほか、そもそも政権移行後に計画が見直されるリスクを懸念して、多くの海外投資家は投資判断に踏み切れず、財源確保に苦労しているのが現状です。
コラム3 ジョコウィ政権の経済・財政状況
2010年から足下のインドネシア実質GDP成長率を見ると、ユドヨノ前政権後半が平均6%弱であったのに対し、第一次ジョコウィ政権は平均5%で推移し、大統領就任当初の「7%の経済成長の実現」という公約は達成できませんでした。第二次政権発足後の2020年には、新型コロナウイルス感染拡大の影響で、実質GDP成長率がアジア通貨危機以来のマイナス値▲2.1%(対前年比)まで落ち込みましたが、パンデミックの影響緩和、景気回復の促進を目的とした国家経済復興(PEN)プログラムを導入した結果、翌2021年にはプラス成長に戻り、足下では再びコロナ禍前の水準にまで戻っています。
次に主要都市・インドネシア全体のジニ係数の推移を見ると、ジョコウィ政権が就任してからインドネシア全体で格差が縮小、特にジャワ島以外の地方都市におけるジニ係数が逓減しており、ジョコウィ政権の掲げた空間的な格差の平準化施策が一定の成果を出していることが分かります。他方で、ジャカルタ首都特別州でも所得階層間の平準化施策が執られたものの、富裕層への更なる富の集中が加速したこともあって足下の同地域のジニ係数は上昇傾向にあります。
続いて失業率・就業者数の推移を見ると、失業率はコロナ禍での一時的に増えたものの足下では前政権からほぼ横ばい、就業者数は右肩上がりであることが分かります。しかし、15~24歳の若年者失業率は依然として高水準で推移しており、雇用創出や求職者と産業界ニーズのミスマッチはまだ課題として残っています。
インドネシアの財政状況を見ていくと、アジア通貨危機の反省を踏まえて2003年に国家財政法で財政規律目標(フロー目標:財政収支対GDP比▲3%以内、ストック目標:総債務残高対GDP比60%以内)を定めて以降、インドネシアが健全な財政運営を行ってきているのが分かります。2020年には前述の新型コロナウイルス対策予算として、当時の国家予算額の約4分の1に相当するPENプログラムを実施したために財政赤字が拡大しましたが、2023年には税収が上振れしたこともあって再び財政収支対GDP比▲3.0%以内の水準に戻っています。
4.終わりに
連続3選が認められないジョコウィの次の大統領を選出するための大統領選挙が2024年2月14日に実施され、同年3月20日にプラボウォ国防大臣とギブラン・ソロ市長(ジョコウィ大統領の長男)の正副大統領ペアが当選しました(なお、プラボウォは過去に2度大統領候補として選挙に臨み、ジョコウィ大統領に敗北を喫しています。)。
プラボウォは、これまでジョコウィ政権が進めてきたインフラ開発、資源産業の川下化、新首都移転等のあらゆる政策を継承し、発展させることを強調しつつ、その他に貧困撲滅策として低所得者層向けの住宅建設や目玉施策として学校給食の無償化等を掲げていますが、その対象範囲や財源についてはまだ明らかにされていません*6。
インドネシアは巨大な消費者市場、豊富な資源、再生可能エネルギー電源のポテンシャル、堅調な経済成長等を背景に、魅力的な投資先として世界から注目を集めています。また、民間予測*7では2050年時点のGDPランキングはインドネシアが中国、米国、インドに次ぐ第4位になる可能性があると言われていますが、他方で、インドネシアの人口ボーナスは2030年代に終わりを迎えるとも言われ、楽観視はできない状況にあります。
そのような中で、中所得国の罠に陥らないためには、地方経済の底上げを通じた持続的な経済拡大及び所得水準の向上、質の高い教育の普及や雇用創出による社会的・経済的な格差是正、実効性のある外資誘致施策及び産業構造の高度化等、バランスの取れた成長戦略の舵取りが重要であることは言を俟ちません。インドネシアの行く末から今後も目が離せません。
図表 9つの優先的アジェンダ
図表 実質GDP成長率・寄与度の推移
図表 ジニ係数の推移
図表 失業率・就業者数の推移
図表 財政収支対GDP比・総債務残高対GDP比の推移
*1) 本寄稿の意見は全て筆者の個人的見解であり、財務省、外務省・在インドネシア日本国大使館の見解を示すものではありません。また、本寄稿の情報は執筆した2024年3月時点のものであることをご了承ください。
*2) インドネシアの国旗は1945年の独立時に制定され、白色は「潔白」、赤色は「勇気」をそれぞれ表し、この2色を組み合わせた国旗は「潔白の上に立つ勇気」を意味しています。
*3) イスラム教も国教という位置付けではありませんが、他方で、唯一神への信仰が定められており、無宗教であることは基本的に認められていません。婚姻制度においても、異教徒同士では結婚が認められていないため、片方が改宗する必要があります。
*4) 法律形式や条文のミスに加え、審議過程の公開性等の立法過程に瑕疵があるとして、2021年11月に憲法裁判所で条件付違憲判決が下されましたが、2022年に雇用創出法に関する法律代行政令が施行され、同法律代行政令は2023年3月に国会審議を経て正式に法制化されました。
*5) 首都移転計画のスケジュールは以下のとおり5つのフェーズに分けて進められる予定になっています。
フェーズ1(2022~2024年):道路や電気、水道等基礎インフラの敷設と行政、立法、司法等の機関の移転
フェーズ2(2025~2029年):工業団地や観光関連施設等ビジネス促進のための複合エリアの開発
フェーズ3(2030~2034年):水道や電力、ゴミ処理インフラの拡張や輸送システムの開発、工業団地等拡大
フェーズ4(2035~2039年):スマートシティに向けた実装、教育やヘルスケア分野への注力
フェーズ5(2040~2045年):全ての中央政府の機関と機能の移転完了
*6) ファンダメンタルズの脆弱性がアジア通貨危機の背景にあったとの反省から2003年に国家財政法で財政規律目標を定め、それ以降、新型コロナウイルス感染拡大の影響下にあった2020-2022年を除いて、この財政規律目標が堅持されてきましたが、次期政権において、この財政規律目標が緩むのではないかという報道も見られます。
*7) https://www.goldmansachs.com/japan/insights/pages/path-to-2075-f/report.pdf