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ファイナンスライブラリー


評者 前財務事務次官 矢野 康治
伊吹 文明 著/望月 公一 聞き手
保守の旅路
中央公論新社 2024年2月 定価 本体1,700円+税



御縁を賜り、感想文を書かせていただくことになりましたが、そもそも、国権の最高機関の長であられた伊吹元衆議院議長が御自身の半生を振り返ってお書きになられたものに書評を書くなど分際知らずも甚だしいですし、また、政治や憲法や天皇陛下に関わる深淵な内容についてコメントする能力など持ち合わせておりませんので、お引き受けした後になって痛切に後悔しておりますが、恥をしのびつつ、公僕の大後輩の一人として、拙い読後感を吐露させていただきます。
まずもって、伊吹先生が、政治家として、大蔵官僚から転じて国会議員になられる際(きわ)といい、初陣や逆風選挙の当落の際(きわ)といい、また政権与党の地位の与奪の際(きわ)といい、苦楽を共にした家族でもなく一読者に過ぎない私でさえも、手に汗握ると申しますか、情緒安らかでは居られないと申しますか、なんとも運命と努力のすさまじい壮烈なドラマが繰り返され、苛酷なまでの哀楽が織り成され、行間を読む力量は元よりないものの、文字を読むだにおぞましいほどの重苦しさを感じました。
国権の最高機関の長まで務められた御仁なら、あるいはそうでなくとも、あれはオレが仕切った、これはオレが決めた、となりそうなものですが、そういう色合いはなく、渦中にありながらご存知なかったことも一部あったとか、水面下の流れを感知できずにいた場面もあったなどと御謙遜で恬淡と綴られており、運命のいたずらというべきか、歴史とは一体誰が、何が形づくっているのだろう、とまで考えさせられました。
伊吹先生は、国会議員でおられた際も、その後も、ずっと財政規律を重視しておられますが、それは大蔵省出身だからというようなことではなく、保守だからだと述懐しておられます。エドマンド・バークの言をも引用しながら、国家とは過去・現在・未来の三世代の共同体であり、その一員として、未来の予算を縛り、未来(子孫)の権利を奪ってはいけないと説かれ、財政規律には真の保守の理念と矜持、良識が必要だと説いておられます。
なるほど確かに、厳格な財政ルールがなくとも、しっかりした矜持があれば財政運営は健全に保たれますが、矜持がないと(痛い目に遭う悲劇に直面しない限り)的確なルールづくりも行われ得ないので、矜持こそが第一義、基であるというのは、まさしく仰せの通りと存じます。
目下、これまでの長きにわたる“金利ボーナス”(低金利の恩恵)の時期はついに潮目が変わりつつあり、もはやその逆の“金利オーナス”が目の前に迫っており、痛い目に遭ってからではなく、知性と理性をもって賢明な財政運営に臨むべき時だと思います。「賢者は歴史に学ぶ」と言われますが、伊吹先生の歴史の証言からも、随所にその理(ことわり)が深く語られています。国政を担う為政者の方々も、それを支える公務員も、しっかり学ぶべき歴史の重い証言だと、噛み締めながら拝読した次第です。
少々余計で不遜な感想かもしれませんが、御著書全編を通じて、伊吹先生が、恩義の念と尊重の気持ちを大事にしてやってこられたように感じました。誰もが賛成するような容易な政策は少なく、むしろ賛否がかなり割れるような難題が多い国政において、筋を通すにも、大仕事を成すにも、お世話になった方々への恩義と、意見が異なる人を含めた他者への尊重を大事にすることが最も肝要だということ、…そういうことをお書きになられたかった訳ではないと拝察致しますが…、そう読み解けるような、そのことが通奏低音となっているような気が致しました。
それは国会議員であれ、公務員であれ、私企業の人であれ、誰しも共通することであり、人の道とも言うべきものかと存じます。歴史の証言の中味の重々しさや各々の教訓の深長さも息を呑みながら読ませて頂きましたが、証言者ご自身の視座と申しますか、矜持や謙虚さとともに恩義の念、尊重の気持ちを大切にする生き方に強く惹き寄せられ、心を洗われるような思いが致しました。
為政者や公僕だけでなく、少子高齢化の課題先進国と言われる日本国民に、広くあまねく、いかに忙しかろうとも、せめて「終章 国を損なうことなかれ」だけでも、是非、全員に読んでほしいと思います。