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PRI Open Campus~財務総研の研究・交流活動紹介~30

楡井 誠 特別研究官インタビュー

財務総合政策研究所(以下、「財務総研」)では、大学等に所属している研究者の方々に、「特別研究官」として、専門的な調査研究に参画していただいています。
今月は、マクロ経済学を専門にご研究をされておられる特別研究官の楡井誠教授(東京大学大学院経済学研究科)に、ご研究活動やその背景及び政策を考える上での経済学の役割についてインタビューを行いました。その中で、昨年11月に上梓された近著『マクロ経済動学—景気循環の起源の解明』(有斐閣)について、執筆の動機や問題意識を伺いましたので、ご紹介します。*1

楡井 誠 東京大学大学院経済学研究科教授/財務総合政策研究所特別研究官
平成14(2002)年にシカゴ大学で博士号(経済学)を取得。サンタフェ研究所ポストドクトラルフェロー、一橋大学准教授、財務省財務総合政策研究所総括主任研究官、東京大学准教授などを経て平成31(2019)年現職。専門はマクロ経済学。

上田 淳二 財務総合政策研究所総務研究部長
京都大学経済学博士。平成6(1994)年東京大学経済学部卒、大蔵省入省。財務省主税局調査課税制調査室長、京都大学経済研究所准教授、IMF財政局審議役などを経て、令和2(2020)年から現職。

細江 塔陽 財務総合政策研究所総務研究部(客員研究員)
令和3(2021)年東京大学経済学部卒、財務省入省。財務省大臣官房総合政策課、財務総合政策研究所計量分析室、熊本国税局を経て令和6(2024)年から財務総合政策研究所所属。

1. これまでのご研究

上田総務研究部長:
本日はよろしくお願いします。まずはこれまでのご研究の動機についてお伺いしたいと思います。
様々な分野でのご研究をされている楡井教授ですが、楡井教授にとって経済学という領域に入っていく一番の動機とは何だったのでしょうか。
物事を科学的に解き明かしていく事実解明的な側面に魅力を感じられたのか、あるいは、政策的に何を改善していくべきか、ということに対する規範的な示唆を経済学という学問から導けるかもしれないという期待と、どちらが強いのでしょうか。

楡井教授:
両方あると思いますが、どちらが強いかと言われると、後者になると思います。ケインズやマルクスといった社会体制論に関わる部分で、経済はどうあるべきか、社会は経済というものとどう付き合っていくべきか、という広い意味での経済学の政策インプリケーションに強い関心がありました。
しかし、私が学生の頃には、そういった議論は抽象的に戦わせるものではなく、実際の経済を見て、どちらがうまくいっているのか、どういったタイプの経済統制を行うとどのようなことが起こるのか、といった具体的な命題が実証的に議論されているような状況でした。例えば、青木昌彦先生に代表される日本型の資本主義とアメリカ型の資本主義を対比させるような比較制度分析は非常に盛んでしたし、日本は90年代のちょうど端境期にあって、より望ましい経済体制のあり方を模索していた時代であったと思います。私もそういったことに非常に関心がありました。
ただ、それを実際に考えていくためには事実解明的な面で説得的な理論でないと私自身も納得ができないという具合でした。

上田総務研究部長:
事実解明的な研究をやろうとする際に、複雑系科学という分野のご研究を非常に念入りにされて、それを経済学の中に活かしていくことになったのは、どういう動機やきっかけだったのでしょうか。

楡井教授:
複雑系が事実解明的だというのは本当にその通りですが、そのような学問に出会ったのも偶然でした。
複雑系科学も非常に面白く、はじめは、非常に抽象的な数理によって洗練されていくカオス理論のような美しい研究があり、そういった研究も力学自体の更なる発展にもつながったと思います。ただ、サイエンスの面白いところは、そのように美しい理論で満足する人たちがいる一方で、それで現実が説明できないと意味がないと感じる人たちがいて、複雑系というのは後者のタイプの人たちによって担われている学問だと思います。そういう意味では、単純系以外の全てが複雑系になってしまっていて、複雑系は定義の難しい曖昧なタームになっています。
温暖化モデルの提唱者である真鍋淑郎氏がノーベル物理学賞を受賞した2021年に、同じく物理学賞を受賞したパリージという統計力学者がいます。彼は複雑系科学の元祖の1人ともいえる研究者であり、真鍋氏の気候変動に関する研究も、気候という非常に複雑で非線形な系に対する複雑系モデルのいちばん良い応用例の一つと言えます。そのため我々界隈では2021年のノーベル物理学賞は複雑系科学に対する受賞であると言われていたりします。しかし、必ずしも報道等ではそういった中身にまで踏み込んでいかないので、ここでもまた「複雑系」というタームはスルーされてしまった印象はあります。
ただ、複雑系科学自体が事実解明的な態度を持つという点では自分向きであったと思います。
社会がどうあるべきか、ということに対する関心が元々経済学を学ぶモチベーションとなっていた中で、所得分布の富裕層部分がパレート分布に従うという実証的な規則性があることを知りました。さらに、同じ分布が、複雑系科学でも知られていて、マクロ的振動一般、それも経済だけでなく、社会現象や生物、物理にも同じように現れる、ということを知って、深く魅了されました。
研究していくうちに、マクロ経済は複雑系そのものであると思うようになるとともに、現在のマクロ経済理論におけるいささか硬直的な数理構造を少しほぐすことにも、複雑系科学の手法は有用であると思いました。例えば、現在のマクロ経済学は全ての市場であらゆる瞬間に需給が均衡しているだとか、家計や企業は常に合理的で他人の行動も読み込んで意思決定しているといった仮定を標準的に採用しています。
そこから少しずつ柔軟にしていこうという動きは、行動経済学をはじめとして、常に経済学の内部にありますが、逆に「純粋化」方向の動きも常に存在します。私自身はそうした硬直的な仮定や手法に少し窮屈さを感じていました。

上田総務研究部長:
楡井教授は、大学院時代をシカゴ大学で過ごされています。外からの印象では、シカゴ大学というのは新古典派の規律を重んじて、政府の役割や政策については重視しないという先入観がありますが、大学院での経験について語っていただけますか。

楡井教授:
シカゴ大学のイメージは少し実態から乖離しているように思います。個人合理性と均衡を第一原理とすることを強力に推進したのはシカゴ大学の方たちですが、それは堅固な第一原理を持つことで、理論を突き詰め、研究者の創造性を発揮させることを目指したということだと思います。どんな仮説も認めてしまうと、理論から乖離した場当たり的な解釈が可能となって、一貫した経済学ディシプリンの進化にはつながっていきません。彼らにとっては第一原理そのものが重要なのではなく、通底するディシプリンが事実解明的に現実を説明できることを重要視していたのではないでしょうか。そういう意味では、「原理主義」というよりは論理実証主義と言えると思います。

2. 『マクロ経済動学』

上田総務研究部長:
昨年11月に、初めて、和書『マクロ経済動学』をご出版されました。早速、拝読させていただきましたが、経済学のあり方そのものや経済学を政策にどう活かすのかといった射程の長いテーマについて、非常に深い考えを述べておられて、今までの日本になかった本だと感じました。研究者のみならず、行政官にとっても重要な視点や気づきがあるのではないかと思います。
まずは、執筆における動機や問題意識について教えてください。

楡井教授:
マクロ経済理論の大きな課題の一つに、全要素生産性の中身の解明があります。経済成長理論も景気循環理論も、標準理論の大元に全要素生産性があり、それが市場の外の要因によって変動したり成長したりすることで景気循環や成長が起こるとされています。この仮説は、マクロ経済の重要な変数であるGDPや雇用、賃金、金利、消費と投資などの動きを整合的に説明できるという点で大変優れています。
しかし、一つ不満な点は、成長や循環の根本原因が経済の外からやってくると仮定されていて、それ自体の説明やとるべき政策の議論に結びつかないことです。多くのマクロ経済学者が長年この問題に取り組んできました。
私も、景気循環論の文脈において、このような研究に取り組みたいと思いました。

上田総務研究部長:
経済学を勉強していると、景気循環や経済成長の源泉を突き詰めていった先に、結局、理論では説明できない「市場の外からのショック」という要因に辿り着いてしまうことが多く、経済学という学問に対して、フラストレーションを感じる人も多いのではないかと思います。

楡井教授:
日本の学生さんはなかなかそういう不満を言いませんが、普通に考えればしらけると思います。景気循環に関しては、近年、コロナショックをはじめ、実際に外からショックがやってくることが多いので、まだ理解できなくもないかもしれませんが、経済成長論については、その要因がすべて説明できない外部の要因だと言われてしまうと、不満を感じると思います。

上田総務研究部長:
これまでは研究者として、学術論文を書くということに注力されていたと思いますが、今回はじめて日本語での著書を刊行するにあたって、特にどのような人たちに読んでもらいたいと考えられたのでしょうか。

楡井教授:
日本語で書かれた一般書ではあるものの、やはり専門的な本ではあるので、基本的に念頭にあったのは、これまで仕事のうえで関わってきたマクロ経済学に関係する方々で学界の外の人たちということになります。
特に、現代のマクロ経済理論の基本的な構造や社会に対する含意、統治についての見方といった、マクロ経済理論に対するメタレベルな関心を持っている方に伝えることが重要だと思いました。具体的には、上級学部生や、経済政策担当者、シンクタンクや企業の調査部門で働いている方などです。
また、隣接する学問分野の研究者。特にこの本は数学を扱うので。理科系の学生さんや研究者で、経済学になんとなく関心を持っているという方には、複雑系研究を通じて多く出会い、話をしてきたので、彼ら彼女らに伝わるようなものが書ければ、と思っていました。
ある程度の専門性を前提に、理論の持つ数理的な構造はごまかさずに書こうと思ったので、少し難しくなってしまいましたが、それらの数式を経済の言葉に引き起こすとどういうことを意味するのか、日本語で直観的に読めるように努めました。そのうえで、こういった理論を作ることによって、マクロ経済学という学問が何を目指しているのか、社会にどのように貢献しようとしているのかについて私なりの考え方を伝えたいと思いました。

上田総務研究部長:
余談ですが、「マクロ経済動学」という極めてシンプルなタイトルと、白一色の装丁は、奥ゆかしさとすがすがしさを感じさせますが、そのようなタイトルと装丁にはどのような思いが込められているのでしょうか。

楡井教授:
タイトルと装丁は基本的に出版社が候補を出してくれるので、私の貢献ではないのですが、結果的に私もとても気に入っています。この本の後半は私の研究をまとめたやや専門性の高いものですが、前半は現代マクロ経済学をある程度の厳密性を保ちつつ、大まかに掴みたいという人のために書いたので、「マクロ経済動学」というタイトルはよく中身を表していると思います。
装丁は、寒色系のザラザラした手触りという希望を出版社に伝えただけだったのですが、デザイナーさんが美しい質感に仕上げてくださいました。本の帯は淡藤(あわふじ)色というのでしょうか。古くから日本の伝統的な着物などでもよく使われる色です。なだらかな曲線は、本書のテーマでもある「なだれ」や「パレート分布」を表す、といった説があります。

上田総務研究部長:
序章と終章で、「マクロ経済学」の大きな流れと現在の位置を非常に丁寧に説明されています。おそらく日本語でこういった内容が提供されることは、今までなかったのではないかと思います。
最後の章には、「市場が大まかにはよく機能する体系の内側に、局所的だが重要な活断層がある」(P.222)という表現があり、非常に印象的でした。こういった表現は、非常に大まかな議論が行われがちになるマクロ経済の分析に対して、非常に解像度を高くして観察する必要があるというニュアンスが鮮明に現れていると感じました。
こうした直観を得た背景や、ご自身が経済学のご研究に取り組もうと考えられたきっかけがあれば教えてください。

楡井教授:
特に実務家の方には、序章と終章から読んでいただきたいです。私がメタなレベルでマクロ経済学をどう日本社会に紹介したいのかということが伝わると思います。
まさに引用していただいた部分が今までの自分の研究の「ステートメント」であり、この本が提示している仮説ということになります。
これは最初からあった考えではなく、色々と試してみた研究の終盤で、自分の考えてきたことをまとめようとした時に浮かび上がってきたものです。最初に研究を始めた頃は、現実の経済には至る所に摩擦があるのだから、それらがガタピシすれば、マクロ経済全体の景気変動もでるだろう、くらいの雑な考えでした。
しかし、実際に論文を書くというプロセスにおいてじっくり考えてみると、市場がマクロ経済を平準化する力は非常に強いもので、まず、統計的な力が働きます。独立で確率的なショックは、マクロ的には均されてしまいます。さらに、個々の家計や企業は、突然の変化を積極的に行う理由がなく、むしろ変化を嫌うため、マクロ経済の変数は平準化されてしまいます。例えば、マクロ全体で見たときの家計消費の年々の振幅は、経済が被るショックに比べてかなり小さい。4章では、個々の企業の投資に摩擦があった時に、それが経済全体の総投資の振動を生むということを述べていますが、このテーマにしても、カーンとトーマスによる古典的な研究*2があり、単純な摩擦があるだけではマクロ経済の安定性は損なわれないことがかなり頑健に知られています。
4章は私の博士論文後半でやりたかったことを卒業後ずいぶん長い時間をかけて完成させたものです。シカゴ大学の大学院生だったとき、この部分をセミナーで報告させてもらいました。その時、ボブ・ルーカスに「君は企業の設備投資に不可分性があるから総投資が自律的に変動するというが、不可分性があるのは歯ブラシだって同じこと―1.5本の歯ブラシはない―だ。歯ブラシの不可分性は総消費の変動を生むのかね。」と質問されました。
この質問に対しては、設備投資には企業間の戦略的補完性があるから総投資の変動につながるのであり、歯ブラシの消費には家計間の補完性はないから変動にはつながらない、と答えることができました。しかし、このやりとりによって、内生的な変動を生み出すための経済モデルを考案するだけではなく、より抽象的に、いかなる理論的条件の下で私が主張するような内生的変動が生じるのかということを突き詰めることこそが学術的貢献になるのだ、と得心しました。
そのうえで本書の主張は、「不可分性」と、マクロの平均値に追随するようなインセンティブを個人が持っているという意味での「完全な補完性」がある変数において、マクロ経済は内生的に変動する、というものです。本書ではその代表例として、収穫一定の生産関数と価格が硬直的に動く経済を仮定した下での設備投資(4章)、貨幣中立経済で個々の企業が価格付けしている時に生じる物価の内生的振動(5章)、そしてシグナル・ノイズ比が小さい短期において、トレーダーが他のトレーダーの動向を見ながら投資をするような「ケインズの美人投票」的な状況における資産価格(7章)という3つの理論的条件下での内生的振動を挙げることができました。
そういう意味で、市場には平準化機能があって安定的ではあるものの、いくつかある条件を満たすところに「活断層」があるという表現は良いまとめになっていると思います。
しかし、日本語で本をまとめていく過程で、「市場が大局的には安定的だが局面によっては不安定だ」という命題自体は、私が学生の頃に読んだ岩井克人先生や宇沢弘文先生の不均衡動学理論が言おうとしていることでもあると気づきました。先人たちの考えを学び、そのアイデアをより現代的なマクロ理論の中で表現することに夢中になっているうちに、その発想がそもそもどこから来たのかは忘れてしまっていたのです。そういった気づきもこの本を書いて良かったことでした。

3. 望ましい政策を考える上での経済学の役割

上田総務研究部長:
楡井教授は経済学がもたらす広い意味での政策インプリケーションにご関心がおありということでした。「経済学」が、政策の立案において果たすべき役割について、どのようにお考えでしょうか。日本の経済学研究において、十分であること、不足していることは何でしょうか。

楡井教授:
日本には、アカデミックな経済学はありますが、プラクティカルな経済学が少ないと感じます。産業界やジャーナリズムの経済調査、政府の政策立案において用いられる調査研究手法と、国際的な経済論壇が前提とする手法との間に、断絶があります。例外は日銀くらいではないでしょうか。日本の経済論壇にも、折々の世界的な流行り言葉はどんどん輸入されてくるけれど、どういう発想でそれらの言葉が生まれているのかを知るための根っこがついてきていない。言葉だけが輸入されて流通していると感じます。政府においては、旧経済企画庁が統廃合されたのちの官庁エコノミスト不足が深刻で、統計を作る人力も知力も圧倒的に不足していると思います。その原因ははっきりとは分かりませんが、国際的に学ばれている経済学に対する、曖昧だが堅固な不信感が日本にはあり、経済学や統計のあり方を根本から理解できるようになったところで得るものは大してない、と思われている節があります。これはOECD諸国の中でも日本に顕著なことのように、個人的には感じます。というのは、日本の外では経済学はもう少し尊重されているからです。
確かに、大まかに言えば、個々の経済論文がそのまま政策に役立つことはないので、実務家がアカデミックな経済学を逐一フォローする必要はないと思います。しかし、アカデミックな根っこの理解が進まず、経済学が政策立案の蚊帳の外に置かれているという日本の現状は、政策決定に不利益をもたらしているように思います。日本経済の長期を見据えた政策や、逆に危機時など非常に短期の判断が重要な局面で、アカデミズムに基づいた経済学的な発想があるのとないのとでは大きな違いが生まれていると感じます。
アカデミックバックグラウンドのある人材を確保することで、アカデミアの底流とその向かう先をよく理解しておくことは、自国の政策を立案する上でも、世界の動向を理解する上でも、とても重要なことのように思います。
一方で、日本の経済学アカデミアは、過去において、実務から無視された反動もあったかもしれませんが、実務とアカデミアが分離したことで、純粋アカデミズムへの指向性を強めてしまったように思います。この傾向は最近変化の兆しが見られています。近年、データ指向も相まって、実践への指向性が特に若い研究者を中心に回復しているように感じられ、良いことだと思っています。これからは、まずアカデミズムの強さを維持するために、国際性とダイバーシティを高めて研究力を強化することが重要だと思います。それと同時に、社会への発信の「質」を高めることが重要だと思います。質の高い発信によって、実務的な経済学が前進するのではないかと思います。
しかし、近年感じているのは、質の高い論争の少なさです。マクロ経済は十分複雑なので、衆目の一致する唯一解を見つけることは難しい。ただ、有力な複数説が競合することによって、正解がどの領域内にありそうかということや、どの変数の動向が解の鍵を握っているかについてのコンセンサスが生まれてくる。そのため、複数説の継続的な論争が重要なのだと思います。現代の言論はインターネットが主戦場ですが、SNSは付和雷同か分断かに陥りやすい。質を高く論争するためには双方に対する尊重が必要で、議論が噛み合うためには言葉や数字が共有されていなければならない。経済学会の役割の一つはそういったプラットフォームの提供にあるのではないかと思います。

上田総務研究部長:
実際に、『マクロ経済動学』の中では、いくつか章末にコラムを書かれていて、現実の論争における安直な議論に対して冷静な警鐘を鳴らしておられます。それらは、質の高い議論の土台を提供しようという意図なのではないかと感じました。ただ、そういった議論の場というものが圧倒的に不足している中で、どのように建設的な議論に繋げていくことができるでしょうか。

楡井教授:
一つの顕著な事象は、批判的な書評というものがなくなったことだと思います。そもそも出版が減ったので、本ベースでの論争が減っていきました。一冊一冊真剣に時間をかけて書く本というものは継続的な論争を行う良い仕掛けだったと思います。
さらに書評において、批判を書くということは皆無になってしまいました。かつては批判的な書評がたくさんあって、それが論争に繋がっていきました。そういった意味でも新しいプラットフォームを作らなければいけないと感じます。

上田総務研究部長:
実際に政府の中でも色々な議論をしていこうという時に、様々な考えを建設的な議論に結びつけていくようなプラットフォームを模索している人は少なからずいると思います。

楡井教授:
公共を担う非政府部門の役割は大事だと思います。ヨーロッパであればVoxEUなどに研究者が一般向けの記事を書いていたり、そういったweb上の媒体で識者が論争を行なっていたりすることが多くあります。
日本語でもそういった場があれば良いと思いますが、政府が大規模にそういった場を提供するというよりも、本来は学会のような組織が担うべきではないかと思います。

上田総務研究部長:
本書の序章と終章を読めば、マクロ経済学に関心のある実務家にとって、政府の取り組むべき本質的な課題についての様々なインプリケーションが得られると思いました。
現在の日本の文脈において、政府が果たすべき役割、取り組むべき政策として、何を優先すべきだとお考えでしょうか。

楡井教授:
おそらく、政府がやるべき経済政策としては、「景気循環の安定化」ではなくて、未来に向けた投資だと思います。例えば、教育などの広い意味での人的資本投資や少子化、人口動態を見据えた施策でしょうか。そのような長期を睨んだ財政政策が一番大事だと思っています。
一方で、『マクロ経済動学』は景気循環の本ですので、それに関連するのは、経済安定化政策ということになります。本書で主張しているのは、景気の安定化は金融政策に任せて、財政は機動的に出ていかなくて良い、ということだと思います。
『マクロ経済動学』で書いた通り、経済は何もなくても一定程度揺れ動く一方で、それを政府が逐一コントロールすることは困難であり、やるべきでもありません。まずは、生きた市場経済である以上、ある程度の振幅がマクロレベルであるということを共通認識にすることが大事だと思います。もしも、1~2%の所得の減少が生じるような不況の影響が、国民全員に均されて負担されるのであれば、大きな問題ではないと言うべきでしょう。しかし、実際に不況が大問題なのは、不況の影響は人々の間で偏って生じるため、人によっては失業に繋がってしまうためです。政府はまさにこの問題に責任を持つべきで、個々の不況に対応するというよりも、失業者が発生した時にどういうセーフティネットがあるべきなのか、という議論が求められています。そういった意味で、ある程度の振幅は受容しようというのが本書のメッセージになると思います。
例えば現在、新NISAが家計に好評で金融資産投資が浸透し始めています。そのこと自体はマクロ経済からみて望ましい方向性だと思います。しかし今後、資産価格が一定の揺動を続けることは確かです。家計はそのような価格振動に対して冷静さを保つ必要がありますし、短期的な揺動に影響されないような資産計画をあらかじめ立てておくべきです。同様に政府は、多少の景気の悪化を危機だと騒ぎ立てて、緊急対策を講ずるのはやめた方が良いでしょう。
景気が下振れしたときの真の社会的コスト、例えば失業が挙げられると思いますが、それを見定め、備えを前もって用意しておくべきです。例えば、失業保険や社会保険制度、財政の自動安定化装置や頑健な政府財政が備えになるのだと思います。
その一方で、真の危機もあります。そもそも世界大恐慌の時にケインズがマクロ経済学を立ち上げたように、本当の危機が起きた時にどうすべきかという議論からマクロ経済学は生まれました。例えばリーマンショックやコロナパンデミックはケインズ的な危機だったと思います。伝統的な財政刺激策はそのような危機において有効です。そう考えると、いつが危機でいつがそうでないのかを見分ける必要があります。その識別手法や、危機対応を調べておくのも重要な政策研究だと思います。

上田総務研究部長:
まさに何が危機で何が危機でないのか、コンセンサスを形成することができれば、そこから導かれる政策というのもコンセンサスに近づいていくのではないかと思います。実際に、過去20年程度、日本の経済成長率が低迷したという状況に対して、長い危機が続いたという見方をする人もいます。そしてその危機を大型の財政出動で解決しなければならないという言説も多くあります。一方で、成長率が伸び悩んだ状態をある種の定常状態だと受け入れることができるのか、それを経済学という科学が提供できるのかということは政策担当者としては大変興味のあるテーマだと思います。
これについては、例えばどういったアプローチで議論ができるでしょうか。

楡井教授:
難しいですね。生産性から発するショックの伝播と需要不足から発するショックの伝播は異なりますので、そういった識別は可能だと思います。しかしご質問はむしろこの20年間の危機の常在化といったパーマクライシス論についてでしょう。本当に必要なのは長期の政策だと思います。危機という言葉の使い方かもしれませんが、実際に日本は長い間停滞していますし、長期的に解決されなければいけない課題は多くあります。長期的な目線で十分な調査と検討をしっかりと行い、世論の理解も得つつ社会を変革していく必要があると思います。こういった長期の政策に対応するのが財政であり、時間的スパンが景気循環とは全く異なるものであると考えています。

上田総務研究部長:
今後、どのようなご研究を行っていくことを考えておられるでしょうか。

楡井教授:
景気循環について、『マクロ経済動学』を書けば気が済むと思っていましたが、書いてみたら、さらにやりたいことが次々と出てきており、かつ、共同研究の輪も広がっているので、この景気循環論をもっと完成させたいと思っています。『マクロ経済動学』は日本語で出版しましたが、英語でも包括的な景気循環論の本を書きたいと思っています。
あとは、この本を書いてみて、自分はやはり日本経済に関心があるということを改めて感じました。エコノミストの小峰さんが自分の趣味は日本経済とおっしゃっていて、とても羨ましいと思いました。今後の日本経済について非常に関心がある一方で、今までは理論を中心に研究していて、先ほど述べたようなプラクティカルな経済学を研究する機会はあまりありませんでした。そのため、今後は政策に直接役立つようなプラクティカルな経済学にも取り組んでいきたいと思っています。ただ、こういったことを得意とする方がたくさんいらっしゃる中で、自分が貢献できるかはわかりませんが、日本経済に取り組んでいきたいという思いは強くあります。

4. 財務総研に期待する役割

上田総務研究部長:
もちろん実務家はプラクティカルな経済学に関心があると思いますが、理論やディシプリンの背景を持たないままやろうとすると道に迷ってしまうと思います。理論や数理の根っこに精通した楡井教授の貢献が期待されている領域は広く存在するのではないかと思います。
楡井教授には、2015年から2017年の間、財務総合政策研究所において仕事をしていただいたことがありますが、実務と研究の境目に存在している財務総研という存在は、楡井教授をはじめとした理論家であり、日本経済に関心のある経済学の研究者と、どのように協働していくことが望ましいでしょうか。

楡井教授:
実務家も学者もどちらも業務や研究に忙殺されてしまっていますが、両方の組織で実務的な経済研究が評価される土壌があると良いと思います。
また、研究者にとってはそのキャリアの中で、実務の場と行き来することがとても良い経験になると思います。自分自身、財務総研で過ごしたのは本当にありがたい経験でした。言葉で言い表すのはなかなか難しいですが、アカデミアしか知らない状況と比べると、2年間でも実務に触れることができたのは、全く差があると自分では感じています。
ひょっとすると、同じことが行政官や実務の方にも言えて、例えばアカデミアでは博士号をとることを非常に重視するわけですが、これはやはり、自分の責任において、まとまった論考を博士論文として書くということを経験することの大事さを研究者は身に沁みているからだと思います。これは多分2、3年はかかることですが、その経験がある実務の経済分析家と、経験がない分析家では違いが出てくると思います。できれば20代から40代にかけて、お互いに別の場所に行ける機会が複数あるようなキャリアパスを作ることが出来るととても良いと感じます。

上田総務研究部長:
実際に、アカデミアのバックグラウンドをお持ちの方が財務省の中の組織に来たことによる気づきとして、印象に残っていること、視点が異なると感じたことはありますか。

楡井教授:
自分にとっては財務総研の経験があったからこそ、省庁という組織がどのように動いていて、政策というものがどのように制度的に設計されているものなのかということが身をもってわかりました。
研究者からは数式の中の一変数として捉えられる政策というものを、人間がやっているところを目の当たりにするのが新鮮でした。モデルの中では単なる変数の一つですが、実態としては、膨大な人たちが膨大な知見を積み重ねて動かしていることですよね。そのように考えると、何か政策の提言をするときの「実装上の重み」は、実際に見てみないと実感できないと思います。「帰結の重み」は研究をする中でもイメージが湧きますが、政策を実施する側でどういった条件があるのか、そういった意思決定に至るまでにどういうふうに情報が共有され、誰が意思決定に関わるのか、といった「実装の重み」を垣間見ることができました。その組織とプロセスを知ることによって実務家にとって役に立つ提言ができるようになるということは間違いないと思います。

上田総務研究部長:
ありがとうございます。将来的に活躍されるであろう多くのアカデミアの方々が、「それをどう実装するのか」ということを意識の片隅にでも入れながら、議論していただくということは非常に貴重なことですし、必要なことであろうと考えています。
少し難しい問かもしれませんが、政府での仕事を行う行政官や、公共の利益を考える仕事をしようとしている学生たちに、経済学をどのように学んでいくことを薦められますか。

楡井教授:
学生さんにはあまり細かいところに拘泥せず、経済学がどういったことをやろうとしている学問で、実際にどういうところに使われていて、今後どのような課題があるのか、ということを知ることが大切だと思います。そういう意味では、教科書を一通り読まないとそもそも話がわからないのでそれも大事ですが、一番大事なことは対話から得られると思います。研究者と話してみて、自分の中に浮かんだ素朴な疑問を、恥ずかしからずにそのまま言ってくれることが一番学生さんにとっては学びに繋がっていくと思います。相手は先生かもしれませんし、友達かもしれませんが、人との対話が大事だと思っています。
同じことは行政官にも当てはまるのかもしれません。特に日本の場合では、アカデミアと実務の乖離が、人材交流においても顕著です。そうなると、不信感であったり、やや敵意のようなものが生まれてしまいがちだと思います。多くの場合、誤解が多いと思っていて、例えば、経済学一筋の人や論理と数式の世界にこだわる人など、いろいろなタイプの人が研究者の中にはいますが、そういう人たちが全てではなく、常識の範囲内で話のできる人はいっぱいいます。対話をすることで、必ずしも経済学が突飛なことを言っているわけでもないし、上から目線でもない、ということがわかると思います。
逆に研究者の側から言うと、例えば、行政官に対しては、「ものすごい一枚岩なのではないか」、「組織人としての振る舞いしかできないのではないか」というイメージすら持ちかねないところがあります。実際に行政官の方は話せることに制約があると思いますが、なかなか自由に個人の意見を聞くことができないということがあるので、研究者の側からしても取り付く島がないというところもあります。
こういった課題は、お互いにお互いのお勉強をするよりももっと端的に率直な対話を増やすことで解決できることが多いのではないかと思います。
加えて、経済学を学ぶ方には「仮説を立てて検証していくことや論争していくことの楽しさ」を知ってほしい、と思います。マクロ経済は前提となる知識の量は多いし、識者の見解はいくらでも見聞きすることができるので、それらを見ているだけでもなんとなくそれっぽいことは言えるようになるし、ルーチンの仕事をこなすことはできると思います。しかし知識の集積だけでは、「雨は雷神、風は風神」式の場当たり的な発想しかできない。基礎となる理論が頭の中にないままでは、どんなに見聞を広めても、新しい発想には至らないと思います。
そして、新しい事態に対応するために必要なのは、そのような基礎から演繹的に導かれた発想だと思います。頭の中の経済モデルは、研究に使うほど厳密である必要はないけれども、整合的に構築されている必要があります。様々な事態に直面するたびに、自分の頭の中の経済モデルを試してみる。友人・同僚の頭の中の経済モデルとは、どの前提が異なっているのか、吟味してみる。マクロ経済は十分複雑で、唯一の正しい解はどこにも、インターネット上にもない。なので人間の頭で解答を作り出す必要がある。それが経済政策に関わることの楽しさであり、創造性なのだと思います。

上田総務研究部長:
ありがとうございます。率直な対話は非常に大切ですが、その対話というものを建設的な形で進めていくことが今の時代においては少し難しいかもしれません。SNSを通じたグルーピングが起こりやすい中で、お互いの素朴な疑問をもとにした率直な対話が起こりにくくなってしまっているのかもしれないとお話を聞きながら思いました。『マクロ経済動学』のような教科書を一通り読んだ上で、素朴な疑問や考えたことについて、率直に議論をするということがお互いにとって必要だと思いました。

細江客員研究員:
昨今の財政政策の動向も踏まえて、終章で述べられている「マクロ経済学的「常識」の無批判な援用」というご指摘が非常に印象に残りました。根っこがないまま日本に持ち込まれて、煮詰められ過ぎてしまった概念を何も考えずに政策立案に持ち込んでいる現状に対する強烈な指摘だと感じます。

楡井教授:
特に日本の文脈においては、財政による景気刺激策の策定の仕方がほぼ脊髄反射になってしまっていると思います。一度脳までいって咀嚼して、適宜の状況に応じた施策が出てくるのではなく、規模ありきで反応しているように感じます。
そして、その脊髄反射が「マクロ経済学」の名の下に行われてしまうところが、やはりマクロ経済学者としては一番納得がいかないところです。やるのであれば、それはマクロ経済学とは全く異なる理屈をつけてやってほしいと思います。学問というものが何か勿体を付けるための定型的な儀式になってしまっているとすれば、それは学問の対極にあるものだと思っています。

細江客員研究員:
日本の経済学者よりも欧米の経済学者の方がそういった発信の機会が多いように思います。一般の新聞や雑誌などでも読者に分かるような言葉で経済学者が声を上げる機会がある一方で、日本においては、アカデミアが少し閉鎖的になっているようにも感じますが、いかがでしょうか。これは同時に、全く同じ指摘が財務省をはじめとする日本の行政組織にも当てはまっていると思います。

楡井教授:
まさに経済学アカデミアの反省点だと思います。一つにはスピードが遅いと思います。何か事態が発生した時に、研究者が意見や提言を出すには賞味期限というものがあって、半年後では遅すぎるということがしばしばあります。欧米の経済学会が社会からの関心を惹きつけることができているのは、やはり十分に素早いタイミングで声を出せているからだと思います。数年後に事態を回顧して分析した研究は山ほどありますが、同時代で政策に関与できるような形での発信がすごく少ないと思います。そこは海外の研究者を見習うべきですし、先ほど行政官も経済学のバックグラウンドを持っていた方が良いと言いましたが、学者の方も普段から実務のことを知っていて、足下の経済のことをわかっていないと、いざ現実に事件が起きても、すぐに適切な発信ができないと思います。

上田総務研究部長:
行政官のマインドセットも少しずつ変えていく必要がありますし、アカデミアの方々には今後とも建設的な議論に参画していただければ大変ありがたいと思います。本日はありがとうございました。

*1) 本稿の内容は全て筆者の個人的見解であり、財務省および財務総合政策研究所の公式見解を示すものではありません。
*2) Khan and Thomas(2008)